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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その23~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その23~

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  ■猫のたたずまいには、孤高を堪能しているような何かがある。
    
(ルイス・J・カミュティ/米国の猫獣医、1893~1981)
  There is something about the presence of a cat...that seems to take the bite out of being alone.


 ウチには白、黒そして灰色の三匹の猫がいる。日中に三匹で一緒にいることはまずない。尤もぼくとカミさんも日中は別の部屋にいることがおおいけど…、猫も含めて1日に二度はみんなが一緒の部屋に集まる。

 それは朝食と夕食の時なのだけれど、その時間の催促をする担当が猫たちの間では決まっているようなのだ。朝食の時はクロが呼び出し担当で朝一番でベッドの上にぼくをおこしにくる。

 クロのタイムリミットは7時半でそれ以上になると、「ニャゴー(おきろ〜)」と大声を出してぼくの顔の上に乗ってきたりする。その間他の二匹は「早くおこしてこいよ〜」といった感じでぼくとクロのやり取りを見つめている。猫たちは家中みんなが揃わないと自分たちの食事も始まらないのを知っているようだ。

 夕食の催促担当は白猫のレオで、彼のタイムリミットはちょっと細かくて5時20分。ぼくが二階の部屋でパソコンを打っていたりすると、カミさんの食事の支度が始まる5時頃には一階の階段の下でぼくが降りてくるのを待っている。

 暫く待っても降りてこないと、そこで二、三回鳴いて今度は二階の階段を上がった辺りで待機。それでもダメだとダルマさんが転んだ、みたいにジリジリとぼくの机に近づいて来る。

 そして5時20分になると、ついに待ちきれなくなってぼくの机の上に乗ってきてぼくの顔の真ん前にきて睨みつけてンニャ〜。こうなるともう、もう一緒に階下に降りるまでかんべんしてもらえない。灰色猫のモモは催促担当はやらないけど、猫用のランチョンマットを床に敷いてぼくが猫茶碗を三つ用意しているうちに真っ先に定位置について待っている。

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 食事が終わっても飼い主としては暫し猫を交えてまったりとした家族団らんのひと時を…、と思うのだけれど、猫たちは自分たちの食事が終わると「は~い、解散!」みたいに各々のお気に入りの場所に散ってしまう。

 レオは大抵は一階の居間の出窓に陣取る。一階の寝室のベッドの上はクロもモモもお気に入りの場所なのだけれど、これは早い者勝ちなので二匹一緒に居ることはない。

 モモがベッドの争奪戦に負けた時は大抵二階のぼくの机の上で午前中を過ごす。クロのお気に入りの場所は二階の出窓の所で、寝そべって外を見たいのでブラインドが邪魔だと器用に手で広げて外を見ている。

 モモもクロも甘えるのが好きでぼくの膝の争奪戦もあるのだけれど、それだってひとしきり甘えて満足すると、自分のお気に入りの場所に行って寛いでいる。基本的には一人が好きなのかもしれない。

 猫は一人でいてもちっとも寂しそうに見えない。それどころかその佇まいには侵しがたいような、他人が邪魔するのがはばかられるような雰囲気さえ漂ってさえいる。一人で居ることのあの心地よさ、そしてそれで好いのだというあの確信はどこからくるのだろうか。

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美術館で… [新隠居主義]

美術館で…

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 ここのところまたちょっと固めて美術館通いをしている。行きたい気分になるのにムラがあるという自分の性格にもよるのだけれど、美術展の方もどうやら展覧会向きの時期というのがあるらしくて見たいものの会期が重なるというのもあるみたいだ。

 それはもちろん企画展や特別展示のことを言っているのであって、収蔵品をもつ美術館の常設展なら基本的にはいつだって行けるのでその気軽さがいい。でも、大規模な特別展などは世界中から名画の方からやってきてくれる訳で、東京のような大都市に住んでいる役得みたいなものなのでそれも逃したくない下心もあって…。

 ぼくは本当はなじみの作品がゆったりとみられる常設展が好きだ。大好きな西洋美術館の常設展は大昔から毎月のように行っていたのだけれど、あの世界遺産登録の騒ぎでここのところちょっと足が遠のいていて、結構ストレスが溜まっている。

 西洋美術館はルーヴル美術館みたいに規模が大きすぎないので気が向いた時にフラッと行ってお気に入りの作品だけ観てくるなんてこともできる。絵は不思議なもので何度見てもその時の自分の状態で感じが変わってくる、どこか心の鏡みたいな面を持っていると思う。

 あ、そう言えばルーヴル美術館はずっと昔は「ルーヴル博物館」って言っていたような気がする。大英博物館がBritish MuseumでルーブルがMusée du Louvreだから、同じように訳すならルーヴル博物館だと思うのだけど…。概念としては博物館=Museumが一番大きな概念で、その中に美術館(美術博物館)=Art Museumや科学博物館=Science Museumなどのカテゴリーがあるのだと思う。

 それに収蔵品を持たない国立新美術館なんかも、固いことを言えば美術館(Art Museum)ではなくてアート・ギャラリー(Are Galarie)とかアート・センター(Art Centre)とかなんだけど、国立新美術館も英語名はちゃんとThe National Art Center, Tokyoとなっている。国立新美術館という日本名は最初はぼくなんかも違和感があったけれど、今では慣れてしまったなぁ。

 一方、東京都美術館(Tokyo Metropolitan Art Museum)はもともと収蔵品を持つ美術館と公募展や企画展なども行うアート・ギャラリーの両面の機能を持っていた美術館だ。しかし現代美術の収集収蔵機能は後から出来た東京都現代美術館に移行され、大規模なアート・ギャラリー機能は国立新美術館に持っていかれて微妙な立場になってしまっていたけれど、改修後にモネ展や若冲展などで盛り返そうと頑張っている。今後どうなるか楽しみ。

 まあ、細かいことは抜きにしても、常設展のような場所があるというのはとにかくありがたい。前にも書いたけれど、ぼくはサラリーマン時代に仕事で行き詰まって辛い時に何度か西洋美術館に来て救われたような気になったことがある。この静かで時間が止まったような空間に身をおいてゆったりと観てまわると次第に気持ちが落ち着いてくるのだ。

 そして馴染みになった絵の一枚一枚を観てゆくと、それらの絵のどれ一枚として忽然としてこの美術館に現れたわけではないことに気付く。その多くはまず作家自身の中での格闘の末に一つの形として一枚の絵が生まれ、そしてそれは生まれ落ちたと同時に今度はその作家の生きた時代や世間の非難や怨嗟の波にもまれ、その末に時を経てやっと此処にたどり着いたのだと。美術館はその魂の安住の地でもあってほしい。

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 *写真はベルリン旧国立美術館(Alte Nationalgalarie Berlin Germany)
   **写真の大きな絵はルノアールの「ヴァルジュモンの子どもたちの午後(1884)」という作品。


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大人買い [新隠居主義]

大人買い

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 ぼくらの世代には誰でも大人になったら誰気兼ねなく自分のお金で買ってやるぞなんて思った品があるんだと思う。ぼくは終戦後すぐの生まれだから、誰彼構わず日本中が貧しかった。ぼくのすぐ上の世代は、もっと切実で大人になったらアレを腹いっぱい食べてみたい、というような食べることの欲求が強かったかもしれない。

 もちろんぼくらの世代にだって食料が十分あったわけではないから、心の底には飢えた記憶や、空腹への恐れはあるのだろうけど、そこらへんは物心つく前だったから主に親が苦労してくれたんだろうと思う。そして遊び盛りから、小生意気になるあたりに世の中は上向き初めて、新しいオモチャやら遊び道具が出始めてきた。

 ぼくの場合、小学校の中ほどくらいからお小遣い制になったような気がする。だから買いたいものはそのお小遣いをためるか、お正月のお年玉を使うかだったけど、子供のことだからそう計画的にできるわけではない。お年玉は貯金させられたりしてたから、やっぱり欲しいものがあると親におねだりという事になるのだけど、それが中々一筋縄ではいかない。

 家は貧しいという訳ではなかったけれど、とにかくまず我慢しなさいと言われて、それでも粘ると例えば半分まで自分のお小遣いで貯めたらあと半分をだしてあげるとか、2つ欲しいものがあったら1つは我慢するか後回しにする、とか親の方にも子供の言いなりにはならないぞ、という感じがあった。

 それは今でもぼくの中で息づいていて、何か欲しいものが複数あったらまず、一つにして他のモノは後回しにするか我慢するという気持ちが湧いてくる。カミさんに言わせるとそれはただの貧乏性みたいなんだけども…。そんなこんなで親との駆け引きで子供時代を過ごしてきたのだけれど、それでもどうしても手に入らなかったものがあった。

 それは、HOゲージとかいう鉄道模型で、それは当時はなんたってお金持ちの道楽みたいなもので下町の洟垂れ小僧達には手の届くものではなかった。小学校時代は喧嘩仲間のY君が近所に住んでいて、彼の家には立派な鉄道模型があったから遊びに行くと八畳の部屋にレールをしいて遊んだのだけれど、列車には触らせてはくれないので、結局はいつも喧嘩になって帰ってくる。

 結局、そこらへんのフラストレーションはまだ買いやすいプラモデルかなんかに転嫁されていたんだろうと思うのだけれど…。で、大人になって大人買いするようになったかというと、どうも先ほどの貧乏性の方が勝ってしまって、威勢の好い大人買いができない。

 最近、ちょっとハマっているのが元来子供のオモチャのガチャで、見かけるとついやってしまう。もちろんガチャなら何でも良いという訳ではなくて、鳥獣戯画と海洋堂の仏像ガチャに限る。それでも多少大人買いの気分になるのはこれらは普通200~300円のところ100円高い400円なのだ。それを子供をわき目に時には2個連続で買ったりする。なんとも大人げない、大人買い。

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世界は… [Column Ansicht]

世界は…

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  なんか世界がちょっとザワザワしてきたような感じがする。ぼくは確たる政治的信念を持った人間ではないし、~イズムというものを余り信じない方なんだけれども、それでも日本や世界の政治がどんなベクトルをもって動こうとしているのかについては関心もあるし心配もしている。

 政治については全くの素人なので、もちろん何らかの専門的な分析ができるわけではない。しかし、自分の乏しい経験から、自分の身を守るために自分なりに一つの皮膚感覚のようなものを大事にしている。それは政治に関して、①激しすぎる言葉、②シンプルすぎる論理、③勇ましい言動、この3つに対しては本能的に身構えるようになっている。心のどこかで「ちょっと待てよ」と囁く声が聞こえる。

 経験と言っても各々の項目に対応する明確な体験がある訳ではないけど、考えてみると大きくは大学時代の学生紛争の時の経験と、昔少しかじったヒトラー時代の勉強の影響が大きいと思う。確かに歴史を動かして行くためには大きなエネルギーが必要だし、そのためにはある意味で激情も必要かもしれない。しかしその激情がどこに向かうのか、そのために切り捨てるものは何なのか「ちょっと待てよと」振り返ってみる必要があると思う。

 激しい言葉、シンプルすぎる論理、そして勇ましい言動は時として人を惹きつけるかもしれないけど、その過程で普通なら見えるものが、もしくは見るべきものが見えなくなり、そして自らもそれに酔いしれてゆく危険を孕んでいる。人を否定し、他を排除し、ブルドーザーのように突き進んでやがて熱が冷めた時の惨劇は歴史が嫌という程目撃しているはずだ。いくら時間がかかっても、自分の目と耳と皮膚感覚を動員して自分の頭で考え行動することが大事だと自分に言い聞かせている。





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野心 [Column Ansicht]

野心

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 「野心」という言葉は決して嫌いじゃない。なんか脂ぎっていてギラギラするものを感じる。最近は草食系男子とか色々取りざたされているけれど、若い人の心根のどこかにはそんなものも持っていてほしいという勝手な願望を抱いている。じゃあ、自分が若い時にはそんな野心を持っていたのかというと、まるでそんなことはなかったから、やはりジイさんの戯言といわれそうだ。

 野心という言葉を辞書で引くと「ひそかに抱く、大きな望み。また、身分不相応のよくない望み。野望」この後半のところの[身分不相応のよくない望み]というのは微妙だなぁ。望み自体がよくない内容なのか、それとも身分不相応の大きな望みを持つことがよくないのか。尤も手がすぐ届くような身分相応のものであればギラギラ感などは出てこないし、野心とも呼べないと思うけど。

 ぼくが思うに、野心にも二つの種類があるのではないか。一つは「何者かになりたい」という野心。ビジネスマンなら会社の社長、政治家なら東京都知事、国務大臣そして内閣総理大臣などの地位に上り詰める。もう一つはそういうものよりは「何事かを成し遂げたい」という野心。この二つは互いに絡み合っていることもあるし、その片方だけがその人の野心を形作っているという、場合もあると思う。

 野心というと政治家がすぐ浮かんでくるけど、ぼくは若い頃ひょんなことから国会議員の秘書のようなものを一年間やったことがある。その時(その時代のという意味でもあるけど)でも政治家は金とか裏の顔とか色々なことが言われていたけれど、基本的には優秀な人たちであると言えると思った。

 マスコミなどは彼らが金銭欲や権力欲だけで政治家になったようにいう事もあるが、彼らはもし政治家になっていなくても世間ではそこそこの成功は手に出来たに違いないという感じはしたし、歳をとっても野心のようなギラギラしたものをなくしていないことも凡人から見れば稀有なことに思えた。

 でも、少しその世界の息を吸ってみるとその彼らの野心は政治家生活のどこかの時点で、何事かを成し遂げたいという野心から、何者かになりたいという野心へと変質していっているのではないかと思い始めた。それはぼくの若気の至りの見方で、何事かを成すためには、まずそれにふさわしい何者かにならなければならないのだ、という事があるのかもしれないが…、どこかの時点で後者のほうが自己目的化していったのではないかと。

 考えてみれば、明治維新を成し遂げた幕末の志士の野心の核は「何事かを成し遂げたい」という野心だったと思う。彼らは藩主にも殿様にも公家にでもなりたかったわけではない。それはもう一つの野心の対象である「何者かになる」、という「何者」自体が崩壊しかけていた時代だったからだろう。同様に戦国時代も野心の対象は天下統一を成すということが野心の対象だった。変革、混迷の時代にはそういう野心をもつ人物が出てくるのかもしれない。

 今世界は混とんとし始めているし、さらに混迷を極めるだろう。こういう時代には一方では現状に固執する草食系人間が増殖してくると同時に片方では野心を持った新たな人物なり勢力なりが次々と登場してくるに違いない。「何者かになろうとする者」「何事かを成し遂げようとする者」「何事かを成し遂げるために、何者かになろうとする者」もちろん、彼らが成し遂げようとする何事かが、万人にとって幸せなこととは限らない。ぼくらが自分の身を守るためにも今こそ目を凝らして彼らの野心の中身を見据える必要があると思うのだけれど。



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通夜の帰り道 [新隠居主義]

通夜の帰り道

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 通夜の帰り道。

 先月、大学院時代の恩師の教授を亡くしたばかり、今日はもっとも親しかった元上司の通夜。気持ちが萎える。こうして別れに慣れてゆくのだろうか。歳をとると、新たな出会いが減り、逆に別れが多くなる。勢い「サヨナラだけが人生さ」という気持ちになる。それとも歳をとってもいつも新たな出会いを持ち続けろということか。

 元上司のAさんとはぼくの会社勤めの一番苦しい数年間を経営管理部門で一緒に過ごした。ぼくは株や土地などには手を出していなかったので世の中が浮かれたバブルの最中でも個人的には何も良い目には合ってはいなかったけど、バブル崩壊後はそのツケはしっかりと会社に降りかかってきて命を削る思いをしなければならなかった。

 Aさんとは毎晩オフィスをあとにしても会社の近くの食堂や居酒屋で喧々諤々の論議をして道筋を探り続けた。そんな論議の中でアイデアが出ることも何度もあった。そんな時はぼくが最終電車で帰宅した後、明け方までかかってそのアイデアをまとめて書類にして翌朝さらにその案を二人で練り直した。

 彼はその書類を食い入るように見て、でも昨晩終電で別れてからぼくがその書類をいつ作ったかなどという些末な事には、当たり前だけど関心などない様子だった。生来、身体も心も強いほうでない自分は激務とストレスで身体はボロボロになっていた。蓄積疲労のためか胃潰瘍と頚椎症の悪化で毎年年末には短期間入院するようになった。医者には職業病だと言われた。でも、不思議なことに今でもその時代のことになんら悔いはない。

 ある時、ぼくの会社のブランド名が絡む商標権の紛争が他社と起きて、それがこじれて法務部では手が追えずぼくの所に回って来たことがある。下手をすれば自社ブランドが使えなくなる重大だが嫌な案件を押し付けられたような形である。ぼくは追い詰められたようで悩んでいたが、その時Aさんが「何かあれば俺が責任をとるから、お前のやりたいようにやってこい」と背中を押してくれた。その言葉に今までの経緯に相手の理不尽さを感じていたぼくも何としてもやらなければという気になって相手方にのりこみ、ギリギリで切り抜けたこともある。

 考えてみれば、上司はまさに昭和的で豪胆な人だった。彼の祖父はNHKテレビの朝の連続ドラマにも登場したような立志伝中の人物だったのだけれど、あの豪胆さは祖父譲りだったのだろうか。反面、ずっと独身だったAさんは半生を通じて周囲から結婚を反対され続けてきた女性と、70歳近くになって会社を退いてから結婚するなど、言葉は陳腐に響くかもしれないけれど「純愛」の人でもあった。

 通夜の後、昔の仲間数人と少し精進落しをしてからみんなと別れて一人で帰る道すがら、ガラにもなく涙がこぼれてきた。昔だったらそんな弱い自分が何とも情けなくて耐えきれないくらいに嫌になったのだろうが、その感性さえも鈍くなったのか、そういう自分がいてもいいのかなと…思えた。ライナーの駅のガラスに映った既に老人になった自分の姿もちゃんと覚えておこうとスマホのボタンを押した。

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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その22~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その22~

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 ■老いと猫

 …老いるってことは病(やまい)るってことと同じ。
 だけど、それは闘うんではなくて、猫とつきあうように、病とか老いに静かに寄り添ってやるもんだと思うんだよね。一緒に連れ添っていくというか。

 よく、頑張んなきゃとか、しっかり生きなきゃとかいうけど、頑張んなくてもいい、寄り添っていけば。力まずに、それも自分だという風に生きていくと、すっと楽になる。そんなこと思ったの、つい三、四日前なんだけどね。(笑)…

 
(緒形拳「私と猫」)


 結婚してから初めて飼った猫タマ。ぼくが四十の時、その時の上司に頼まれて白い子猫をひきとった。何も考えずにタマと名付けた。臆病だったけど病気一つせず18年の天寿を全うした。この18年間はぼくにとって最も忙しい時期でもあった。

 まだ暗いうちに家を出て、帰ってくるのは大抵深夜過ぎ。子供の頃からずっと猫がいて一緒に育ったようなものだけど、自分で「飼う」というのは初めてだった。でもタマが来て感じたのは子供の時とおんなじで飼うというより一緒に暮らすという感覚だった。

 タマのおかげで家に居る貴重な時間がどれほどくつろいだものになっていたか、それが寄り添うということだったのだと、最近になって実感するようになった。猫の持つ独特の距離感ときまぐれさが却ってさり気無い寄り添い感を作り出してくれる。

 2005年の5月3日、タマはカミさんの膝の上で突然逝ってしまった。タマの晩年は穏やかなものだった。ソファーの陽だまりの中で寝ることがなによりも好きだった。自分の老後もこうだといいなぁ、と思いつつその隣にそっと座ったことも何度かあった。

 今、ぼくも歳をとって目はかすむし、歯は抜ける、腰は痛いし息切れもひどい。でもそれは抗ってみても仕方のないことだと思うようになった。緒方拳の言うように猫と暮らすみたいに、老いに寄り添ってやるというのも大事かもしれない。まぁ、言う程簡単にはいかないと思うけど…。


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 *緒方拳のこの文章は2008年の雑誌「猫びより」7月号に乗ったものです。その後この緒方拳を含め何人もの著名人がこの雑誌で自分の猫を語った部分を集めて「私と猫」という一冊の単行本になりました。

 緒方拳が亡くなったのは2008年の10月、71歳でした。この記事が載ったのが2008年の7月号ですから、ということはこの雑誌が取材していくらも経たないうちに亡くなっているということになります。

 この頃にはご本人も自分の病状には覚悟をしていたようなので、彼の口から発せられたこの言葉には実感と凄味があるように思います。彼が愛ネコの「オーイ」達と写っている写真はまさに枯れた大木のようでした。

 **緒方拳の自宅は京浜東北線沿いにあって細長い彼の家の庭をそとネコがいつも通り抜けていました。彼は通り過ぎる何匹かのネコに、「品川、大井、蒲田、川崎」などと駅名をつけていたのだけれど、その中の茶トラの「オーイ」だけが居ついて家猫になったらしいです。


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その21~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その21~

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 ■ 猫は、毛皮を被った道楽者である。(テオフィル・ゴーティエ)
  The cat is a dilettante in fur. (Theophile Gautier)
  

 確かに猫を見ていると「額に汗して」というタイプではないなぁと思う。冒頭のように19世紀のフランスの詩人テオフィル・ゴーティエ(名前は知っていても作品は読んだことはないけど…)はそれを道楽者と表現した。でも、道楽者というと落語に出てくる若旦那みたいに、吉原通いや芸者衆に入れあげて挙句の果てに親に勘当される(落語「船徳」「湯屋番」「唐茄子屋政談」のように)みたいなイメージがあるのだけれど、ちょっとなんか違うなぁ。

 そこで元の文章を見ると英語では「The cat is a dilettante in fur.」でもゴーティエはフランス人だから当然フランス語に違いないのでフランス語では「Le chat est un dilettante en fourrure.」となっている。いずれも「道楽者」というところには「dilettante(ディレッタント)」という言葉が使われているので、ここら辺が彼が言いたかったところなのだろうか。

 ディレッタントという言葉は調べてみると、「専門家や学者ではないが、文学や芸術を愛好し、趣味生活にあこがれる人。つまり好事(こうず)家」となっているけど、日本ではディレッタントと言うとアマチュアとか生半可に知識などをひけらかす人を小ばかにしていうことが多いらしいが…。

 でも、西欧ではこのディレッタントという言葉にはそういう嘲笑的な意味合いは無いようだ。むしろ尊敬の香りさえ漂っている。例えばウィーン楽友協会(Gesellschaft der Musikverein in Wien)の設立から長いことその演奏活動を支えていたのはディレッタントと呼ばれる演奏家たちで、彼らは音楽以外にほかに職業を持っていたというだけで演奏技術はプロの演奏家たちと何ら変わらなかった。敢えて今風に言うなら「玄人はだし」という事かもしれない。 

 では猫はいったい何のディレッタントなのかといえば、それは優雅に人生を楽しむディレッタントなのかもしれない。いつも居心地のいい場所に陣取って、自分の関心の向くままに生きようとしている。似たような表現になるけど、寺山修司はもっと過激な表現で「猫は財産のない快楽主義者」とも言っている。ぼくらが日常生活で目いっぱいになって心の余裕がなくなってしまっているような時、猫を見てフト肩の力が抜けるような気になるのは、そんなところから来ているのかもしれない。




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醜聞 [TV-Eye]

醜聞

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 ■ 醜 聞

 公衆は醜聞を愛するものである。白蓮事件びゃくれんじけん、有島事件、武者小路事件――公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであろう。ではなぜ公衆は醜聞を――殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう? グルモンはこれに答えている。――
「隠れたる自己の醜聞も当り前のように見せてくれるから。」

 グルモンの答は中あたっている。が、必ずしもそればかりではない。醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼等の怯懦きょうだを弁解する好個の武器を見出すのである。同時に又実際には存しない彼等の優越を樹立する、好個の台石を見出すのである。「わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。」「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知っている。」「わたしは武者小路氏ほど……」――公衆は如何にこう云った後、豚のように幸福に熟睡したであろう。


 (芥川龍之介「侏儒の言葉」)



 今月の12日はぼくの好きなナンシー関の命日だったのだけど、彼女が生きていたら今の芸能界の諸々をどう見ていただろうかと想像したりする。最近は余りリアルタイムでテレビを見ることが少なくなったし、芸能界のニュースも「んなこと、どうでもいいじゃん!」と思うのだけれど、ナンシー関はそうではなかった。

 彼女は偉大なるミーハーというか、テレビに登場するスターや芸能人のあり様をテレビのこちら側で穴のあくほど見つめて、直感的に(とは言いつつある意味では極めて論理的に)本質的なものを喝破するという能力を持っていた。そこが偉大なるという所以だと思う。

 ナンシーは言う「わたしは"顔面至上主義"を謳う。見えるものしか見ない。しかし目を皿のようにして見る。そして見破る」ぼくらが半ば通り過ぎる背景のように無意識に観ているテレビの画面の向こうに映り込んでいる時代の匂いや、人間や大衆の根っこをナンシーは目を皿のようにして観ていたのだ。

 天野祐吉さんがまだ存命のころ、時々ぼくのブログにコメントを入れてくれることがあったのだけれど、以前ぼくがナンシー関のことについて少し書いた時もそこにコメントを入れてくれたことがあった。天野さんはナンシーと仕事をしたことがあったらしいのだが、彼はナンシーの眼力が怖かったと言っていたことを思い出した。


 ナンシー関が目を皿のようにしてみていた「芸能人」だけど、ぼくは若い頃から落語が好きなので「芸人」という言葉に畏敬の念を抱いていた。今は「お笑い芸人」などどちらかと言えば軽い感じで使われているような気がする。それに対してこのなんだか良くわからない「芸能人」という言葉の方が使われるようになった。芸[能]人という位だから芸人よりも「能」があるみたいなのだが、実際は歌や踊りや話芸などのいわゆる専門的芸を持っていない「芸no人」を指している場合が多い。別名「タレント」とも言う。

 それじゃあ、専門的芸のない彼らは何をもってメディアの海の中を泳ぎ回っているのかというと、これまたよくわからない「キャラ(キャラクター)」というものを武器にして渡り歩いている。曰く、良い人キャラ、おバカキャラ、外人キャラ、インテリキャラ、キモキャラ、いじられキャラ、カマキャラそしてヒールキャラつまり嫌われ者キャラ等々。

 これらを敢えて「芸風」と言えば言えないこともないけれど、そもそもその芸風の芯になる「芸」がない中での芸風なのでなかなか難しいことも確かだ。例えば、嫌われ者のヒールなぞは皆から100%嫌われてはメディアから駆逐されてしまうので、時々は無邪気さや、ひたむきさや、人情味や家族思いなどのプラス要素をタイミングをみて垣間見させなければならない。

 それによって、いつもはあんな事言っているけど、もしかしたらあの人も本当は良い人なのかも…と、でもこれも出しすぎて元のヒール感を消してしまう程になってはいけない。そのさじ加減が難しい。時折泥まみれになってゲームで頑張るデビ夫人も、さりげなく野村監督が漏らす野村沙知代のプラス情報だってヒールキャラのコントロール情報の一つには違いないのだ。

 一方、良い人キャラのトップを走っていたのがベッキーだった。ところがいくつかあるキャラタイプの中でこの「美人で良い人」というキャラは実はとてもリスキーで脆弱性を持ったキャラなのだと思う。先のヒールのキャラが実は良い人かもしれないというアンチ情報が過度に流れてもヒールキャラの力は弱まるかもしれないけれど、致命的ではない。もちろんifレベルだけど、例えば、おバカキャラのスザンヌが学生時代成績が良かったり、ボビー・オロゴンがホントは流ちょうな日本語が話せたり、ウエンツ 瑛士が実は英語がペラペラだったとしても、それは致命的ではない。

 ところが、良い人キャラにおいては、実はそれ程良い人ではないかもしれないという情報はそのキャラ芸能人に致命的になることがある。ましてそのキャラの主が美人とあればなおさらだ。冒頭の芥川龍之介の言葉にあるように、それは大衆の持つジェラシーに火をつけ手の付けられない事態を招くからだ。

 ちょっと意味はズレるかもしれないけど、それはニーチェの言う一種のルサンチマン(ressentiment)にも通ずる膨大なエネルギーを持っている。これが芸人であれば芸とキャラに一線を画することができるし、そもそも芸自体に善悪はなく巧拙があるのみだから上手くやれば逃げ道はあるのだ。ところがその芸がないキャラ芸能人にとってはキャラ=人格という図式があてはめられてしまい、風圧をまともに受けることになる。

 ベッキーの場合、報じられたSNSでの「サンキュー、センテンス・スプリング(文春)だね!」という一言が良い人キャラにとどめを刺すことになった。その後は龍之介の言うような大衆のジェラシーに火が付いた。彼女は先日復帰をしたらしいのだけれど余程戦略を練り直さないと難しい気がする。大転換してヒールキャラに転向することもあり得るが、それだってそう容易ではない。一つだけ考えられるのは芸no人から「芸」のある存在への転換だ。どこかで映画の脇役でも良いから演技を高く評価されて…。う〜ん、ナンシーならなんと言うだろうか?


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秋葉原、アキハバラ、Akihabara [Ansicht Tokio]

秋葉原、アキハバラ、Akihabara

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 秋葉原をさまよいながら思った。この街はつくづくかわった街だ。考えてみたら、もう半世紀以上も見続けているけど、この街はアメーバのように刻々とかわり続けている。今は電子とサブカルが一体となったカオスのような街になっている。この数十年間、ぼくはおそらく二週間か三週間に一度はこの街に来ていると思う。と言っても、その目的はずっと同じだったというわけではない。この街が変化してきたように、この街を訪れるぼくの目的も時代によって変化してきた。

 ぼくが秋葉原を初めて訪れたのは中学生の頃、鉱石ラジオ(今では分からない人もいると思うけど)を作るとき部品を買いに来た時だと思う。今でも一部は残っているけど、その頃の人でごった返しているガード下の部品横丁の活況はまだ脳裏にはっきりと残っている。ぼくは兄のように工作少年ではなかったので、アンプなどを組み立てるために部品横丁に通うということはなかったのだけれど、その頃から出始めてきたテープレコーダーやトランジスタ・ラジオに興味があってそれらの新製品を見ているだけでも楽しかった。

 高校から大学に進んだころから音楽を聴き始めた。いわゆるオーディオ時代の幕開けなのだけれど、その頃は丁度今のパソコンやゲーム機等のデジタル商品が目まぐるしく入れ替わるようにアンプやスピーカーやテープレコーダーそしてLPプレーヤー等の分野で新しい商品が次々に登場してきた。オーディオの分野でもSONYやAKAI等の日本のメーカーもその存在感を増していたけど、やはり憧れの的はJBLやALTECそしてTANNOY、マッキントッシュやオルトフォン等の海外製品だった。秋葉原に通う一つの目的はオーディオ視聴室を回って高嶺の花のそれらを聴き比べることだった。

 会社に入って少しして何とか自分なりのオーディオ装置を持てた頃には、皮肉なことに音楽会に行く時間的余裕などは無くなってしまった。それまでは音楽会に行くとその響きを忘れないうちに家に帰ってオーディオ装置の調整などしていたのだけれど、それも出来なくなってしまった。それでも会社が秋葉原に近かったこともあって、昼休みなどにはレコードや新しいオーディオ製品に触れるために秋葉原に行った。そのうちに秋葉原で目にし始めたのがその頃登場し始めたマイコンと呼ばれたパーソナルコンピュータだった。

 いわゆるワンチップ・マイコンであるNECのTK-80は結局手に入らなかったけど、それ以降ぼくが秋葉原を訪れる目的はパソコンがメインになっていった。それは同時に秋葉原がオーディオからITの街へと変貌してゆく時期でもあったのだ。最盛期には秋葉原の街にはいたるところにPC関連の部品屋が並び、中東のテロリストも手作りのミサイルの電子部品を秋葉原で調達しているというまことしやかな噂が流れたのもこの頃だ。

 ぼくがやっと音楽の趣味に戻り始めた90年代にはメディアはもうLPからCDに変わっていた。LP時代にも通っていたイシマル電機もCD専門館が出来て、そこにはカリスマ店員か何人かいてクラシックでも指揮者とか年代を言えばたちどころに適切な推奨盤を見つけてくれたり、ジャズでも同じように半端なく詳しい店員がいたものだ。今ではネットのデータベースで調べればなんということはないのだけれど、彼らと話す中で得られた情報は温かみがあってなんとも有り難かった。

 しかし、その内大型店のCD等の音楽関係の売り場は次第に縮小されるようになり、ラジオ会館などにアニメやフィギュアが並ぶようになって、ついには中央通りのAKB48劇場に発したアイドル、サブカルの熱波が秋葉原を覆うようになる。実はこの背後にはそれまで秋葉原の街の外観を支えていた大型電気店の凋落がある。この時代になるといわゆる大型電機量販店が全国にできることによって白物家電などの電気店製品における秋葉原の優位性は消えかけていた。サブカルはその穴を埋める形で増殖していった。

 今の秋葉原は全くのカオスと言っていいかもしれない。電子もあるし、カメラもあるし、サブカルもある。ある意味ではそれは戦後のモノのない時代に闇市のようにジャンク品や電機部品の屋台が並んでいた秋葉原の再来のような感じもする。そこにはまだ独特の熱が残っている。ぼくが子供のころ秋葉原に感じたこの街独特の「うさん臭さ」や独特の「」が若者や外国人を引き付けているのかもしれない。

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→ 花と蝶 ~アキハバラの凋落と変貌~

上の記事「花と蝶」は9年前の2007年に書いたものですが、
その頃とも事情は変わってきているようです。
その頃にはまだいたCD売り場のカリスマ店員も
今では何処に行ったのでしょうか。
というか店員どころか今ではそのCD館もありません。
会社自体も今では中国系の家電量販店になっています。
時代は動いています。


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Nikko 至福の時 [新隠居主義]

Nikko 至福の時

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 日光の小田代が原の湿原を見渡すデッキに着いたのは朝の四時少し過ぎだった。運よく赤沼駐車場を出る始発の低公害バスに乗り込むことができた。昔は何度か奥日光から歩いてこの小田代が原に来たことはあるけど、こんな朝早く来たことはなかった。

 デッキでは同じ始発のバスで来た人たちが三脚を並べ始めていた。いつもの写真仲間と、ベトナムに赴任していた友人も日本に戻ってきたので久々に四人そろっての撮り旅。昨夜は(というか午前3時に出たので、先ほどといったほうが良いけど…)日光に住む友人のところにお世話になった。

 小田代が原に着いた時には湿原のあたり一面には霧が立ち込めていた。日はまだ男体山の向こうにある。一緒に行った友人は朝霧を狙うと言っていた。ほかの一人が皆は朝霧の向こうに「貴婦人」が現れるのを待っているのだという。ぼくは知らなかったのだけれど、湿原の向こう側に貴婦人と呼ばれる背の高い白樺が一本生えているらしい。その貴婦人が朝霧の中に姿を現すのを待っているらしい。

 朝霧も日の光も刻々と変化してゆく。貴婦人とやらは中々姿を現さないけれど、この待っている時間がぼくにとっては至福の時間でもある。空気に拡散してゆく光の変化に心を奪われ、つい撮るのを忘れてしまう。まだ、レンズの目よりも自分の目の方が可愛い証拠だ。というより、自分の稚拙な能力では心に焼き付くほどの映像は残せないので、勢い心のフィルムの方に残しておこうという意識が働いているのかもしれない。

 貴婦人はともかく、朝霧に映える日の光が美しい。ちょっと影に入ると墨絵のような…、そして霧の晴れ間から太陽がのぞくと空気は一変してオレンジ色に変わる。いつか見た平山郁夫のパルミラ遺跡や仏教伝来の絵に出てくる砂漠の太陽のようなあのオレンジ色。でも、それは一瞬の出来事だ。ふと、我にかえって、あ、撮らなくちゃ、と思いブラケットで十数枚撮る。今回も小さなミラーレス。やっぱり景色は一眼でなくちゃ、なんて言いながら軽さの誘惑にいつも負けてしまう。

 数年前同じコースを歩いた時のカメラと三脚のずっしりとした重さが…。今回は幸い往きも帰りもバスに乗ることができたので助かった。このあと千手が浜の湖畔まで行って、ちょうど盛りのクリン草を見ることができた。前日までの雨が嘘のような晴れで何とも気持の好い一日だった。仲間と歩ける幸せに浸った至福の日光だった。



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[Tour route]
・06/10…正午東京駅丸の内集合、高速道路で日光へ→日光友人宅→竜頭の滝茶屋(撮影)→三本松駐車場・戦場が原展望台(撮影)→友人宅泊
・06/11…友人宅am3:00出発→赤沼駐車場・am4:00低公害バスにて小田代ヶ原(撮影)→低公害バスにて千手が浜・九輪草(撮影)→低公害バスにて赤沼駐車場に戻る→高速道路で東京に


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[写真上から]
小田代が原の朝霧
龍頭の滝茶屋
千手が浜のクリン草
千手が浜
小田代が原に向けたカメラ

日光、春まだき

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PLUTOの先駆者たちよ [新隠居主義]

PLUTOの先駆者たちよ

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 ■ロボット三原則

 第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。
 また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

 第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。
 ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

 第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、
 自己をまもらなければならない。


 (アイザック・アシモフ  2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版)



 この間、原宿の太田美術館に行った帰り駅に戻る途中、携帯電話会社のビルの中にロボットが3台(もしくは3基)置いてあるのがガラス越しに見えた。ここら辺はどこを見回しても外国人だらけなのだけれど、ビルの中でも外国人観光客らしき人が二台のロボットとパラパラみたいなのを踊っている。それを仲間が面白そうに写真を撮っている。左にある三台目のロボットはこれも外国人とみられる少年と手を取り合って踊っている。なんかとても未来的な光景だなぁ。

 ここ数年のロボットの進化は目まぐるしいものがある。目に見える点でいえば、二足歩行のできるいわゆるヒューマノイド型の進歩。そして頭脳である人工知能(AI)の方の進歩も目覚ましいものがある。こういう光景を目にすると、どうしてもぼくの大好きなあの漫画「PLUTOプルートゥ」の世界を思い起こしてしまう。PLUTOは浦沢直樹の傑作漫画だけど、その原作は手塚治虫の鉄腕アトム「地上最大のロボット」のリメイクだ。リメイクと言ってもそれは完全に浦沢直樹のアトムになっている。

 それは人間とロボットが共生するようになった時代の話。ロボットは「感情」を持ち始め憎しみや愛との相克に悩み始める。ロボット社会の枠組みとして1950年代にアシモフが提起した「ロボット三原則」や手塚治虫の「ロボット法」などにその時代のロボットも規制されているのだと思うが、感情を持ち始めたロボット達にとってそれはどのように映るのだろうか。

 理系の人はそんなことは技術知識にうとい文系の戯言だというかもしれない。確かにチェスや将棋で人工知能が人間を負かそうともそれを作っているのは人間だからだ。でも、すっかりそういうスパンの時間軸を見失ってしまったぼくらにとって、考えるすべもない百年単位の時間の向こうの未来では、既に等差から等比級数的な発展へと踏み込んでしまった科学技術がどんな姿になるのか誰にも想像はつかないはずだ。もっとも、その時に人類がまだ存続していればの話だけれど…。

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眼差しの意味 [新隠居主義]

眼差しの意味

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 ぼくがよく通るJRの新宿西口から都庁に行く地下道のところに最近ローラの大きな写真の載っている広告がでて、そこを通るたびになんか睨まれている感じがする。日本に暮らしているとこういう風にストレートに相手を見る眼差しというものに中々出会わないし、もしそういう眼差しで見られたらそれは何か特別な意味があるのだと…。

 睨まれたから言うのじゃないけど、視線、眼差しというものは、どうやらぼくら人間も含めて動物にとっては重要な意味を持っているらしい。よく言われるのは、山の中でクマに出会ったときは死んだふりしたり、背中を見せて逃げてはいけないらしい。そういう時はじっとクマの目を見て徐々に後ずさりするのが正しい対処らしいのだけれど、ぼくにはそんな自信はない。本能的に背中を見せて一目散に逃げ出してしまうと思う。

 逆に、例えば慣れていない犬や猿の目をじっと見てはいけない、つまり視線を合わせてはいけないといわれる。それは敵意があることを意味するらしい。猫は目が合うとプイと目をそらしてしまう。その意味は動物によっても違うのかもしれない。人間にとってもそんなことがありそうだ。ぼくが学生の頃には不良がよく「ガンをつけた」といって絡んできたことがあった。相手には自分と目が合ったことが敵意の存在に感じられたらしい。何だかサルみたいだ。

 驚いたのは先日ニュースを見ていたら、義理の父親だかの男が三歳くらいの自分の子に、その子が自分に「ガンをつけた」と言って蹴って殺してしまったという事件が報じられていた。こうなると、そいつはサル以下だけど…。考えてみると子供のころ人の目をじっと見るのは失礼だから気を付けるようにと言われた覚えがある。それに会社の新入社員の頃の教育でも話すときは相手の目を見ずにネクタイのあたりを見ると良いと教わったような気もする。

 ところが、そういう文化の環境で育って二十歳をちょっと過ぎた頃ドイツに行ったら、話すときは「ちゃんと」相手の目を見て話しなさいと度々注意された。え、相手の目を見て話すことが「ちゃんと」したことなんだ。それは失礼ではないんだ。ところが長いこと当時の日本的な習慣の中で育ったのでなかなかその「ちゃんと」ができない。そうすると、それは自分に自信がないのだと受け取られる。困った。今では日本でも相手の目を見て話すことが真剣さや誠実さの表現になると受け取られるようになったようだけれど…、中々慣れない。

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眼差しにはまだまだ不思議なことが沢山
ありそうで、興味は尽きないです。


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Dancing All Night [新隠居主義]

Dancing All Night

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 大桟橋をぶらついている間に日が暮れてあたりはすっかり暗くなった。一緒に行った中の一人が家が遠いので八時過ぎには横浜から電車に乗りたいという。関内当たりで軽く食事をして…とするともういくらも時間がない。急にあわただしくなって急ぎ足で管内の駅に向かった。

 途中高架の下を通る。そこは赤レンガ倉庫のあたりから大桟橋まで歩行者専用の道があって、山下臨港線プロムナードと言うらしいけど、見晴らしも良いしゆったりと歩けるところだ。ぼくはこの高架下が好きだ。というのも、ここはよくCMの撮影をしていたり、若者が遊んでいたりするのでちょっと立ち止まって見ているのも楽しいし、場合によっては写真を撮ってもみたくなる場所なのだ。

 ところが、ここら辺から皆俄然早足になってきた。こういう時に限って、撮りたいような光景が広がっているものだ。そこでは若者数人が広場の端にあるサーチライトを舞台のスポットライトに見立てて影遊びのようなものをやっている。音楽がなっているので、それに合わせて若者たちも影も踊る。

 首から下げているぼくのミラーレスは望遠のズームになっているのでレンズを変えている暇などない。皆はズンズン先に行っている。結局、ポケットに入れていた小さいデジカメで二枚だけ撮ることができた。もうちょっと、ゆっくり撮りたかったなぁ。というより、若者たちの姿を見ていたかった。

 また早足で歩きだしながら、もうずっと長いことダンスなんてしてないなぁ、昔のことが頭をよぎった。ダンスといったって大昔に数回ディスコ(「クラブ」ではない)に行ったのと、ドイツのワイン祭りで酔っ払って一晩中ワルツを踊りまくったことくらいしか記憶にないけど…。ああダメだ、ちょっと、早足で歩いただけで息切れがしてくる。今はダンスどころではない。

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Blue Light YOKOHAMA [新隠居主義]

Blue Light YOKOHAMA

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 ここのところ二週続けて横浜に来ている。連休の始めには韓国の留学生達と連れ立って横浜散策に、そして昨日は久しぶりに写真仲間と。最近あまり体調がすぐれないので放っておくとどうしても家に居たい気持ちに負けてしまう。意識して動くようにしないと…。ということで連休中は横浜と近場の美術館に。

 連休中だから、もちろんどこへ行っても人・ヒト・ひと。桜木町で待ち合わせて野毛の飲み屋横丁から日ノ出町、黄金町へ。途中で一休みし、さらに赤煉瓦倉庫そして最終的に大桟橋にたどり着いた。なんだか人ごみにあてられたようで、段々シャッターを押す回数が減ってゆく。ダメだなぁ。

 カメラは軽いミラーレスとポケット・デジカメなのにとても重く感じる。夕方やっとのことで大桟橋にたどり着くと、街なかほどは人が居ない。ウロウロしている内にあたりは薄暮(はくぼ)になってきた。ちょっと強めだけれど頬にあたる風が気持ちいい。対岸の街並みと大観覧車に灯がともり始めて夜景ショウが始まる頃になると、これからはカップルの時間だ。徘徊中のオジサンたちには関係ないけど、それでもなんとなく心の中で軽くリフレインしている。

 ♫ 街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ~ 

 振り向いて、街と反対側の方をみれば、そこは確かにブルーライト・ヨコハマ。いいなぁ。でも、写真については今回もいろいろ反省点が。自分ではわざわざ撮りに行くほどの写真根性がないもんで、撮影に誘ってもらえるのがなんともありがたい。横浜に撮りに来るたびにちゃんと撮れなくてがっかりするけど、まぁのんびりとこれからも撮り続けようと思ったりして…。

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