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冬の日の日曜日 [gillman*s park 18]

冬の日の日曜日


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 会社を辞めた今はいわば毎日が日曜日なのだけれど、それでも世間が日曜日だとこっちも人並みに何となくゆったりとした気分になる。と言っても、のこのこと何処かへ出かけたりはしない。土日は家でじっとしているに限る。都会の土日はどこへ行っても人出でいっぱいだからせいぜいが近所の公園の散歩位なのだが…。

 普通、冬の公園は寒いし日中でも人影もまばらなのだけれど、最近は朝夕は冬の日でもランニングする人や犬を散歩させる人達を結構見かけるようになった。もちろんそれらの人たちはその行動が日課になっている人たちなので、毎日同じ時間に散歩すると前にも見かけた顔ぶれに合うことが多い。



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 ところが日曜日の公園は普段とはガラリと様子が変わる。家族連れやカップルが多くなってきっとわざわざ遠くから来たんだなという様子がうかがえる。もちろんそれは人ごみというほどの人出ではないから見ているこちらもゆったりとした気持ちで見ていられるのだけれど。池のほとりや丘の上を手をつないで歩いている親子連れを見ると、ずっと昔に見た昭和的な光景が目に浮かんでくる。

 両親と手をつないだ親子、お父さんと男の子の二人連れ、子供と犬を連れたお母さん、いろいろな家族が公園の丘の階段を行き来してゆく。考えてみたら、最近は遊園地なんかにも行かないので少子高齢化の今の世の中でこんな光景をぼくは久しく目にしていなかったような気がする。丘の上に立つ親子の足元から、冬の日に照らされた階段の手すりの影がまるで稲妻のように鋭く走っている。それはあたかも社会にエネルギーを与えている彼らパワー・ジェネレーターの証のようだ。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その30~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その30~

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 ■「…っていうか、猫ってアスペルガー症候群じゃないかと思うんだ。 猫はぼくみたいに、すごく頭がいいし。それにぼくのように、時々は何でもいいから一人にして放っておいてほしいんだよ」 (ジョディ・ピコ 「ハウス・ルールス」)

 “On the other hand, I think cats have Asperger's. Like me, they're very smart. And like me, sometimes they simply need to be left alone.” (Jodi Picoult, House Rules)



  最近発達障害という言葉を色々なところで聞くようになった。例えば落語家の柳屋花縁さんは発達障害でずっと何故か漢字だけが読めず大人になってからも番組台本なんかの漢字には奥さんにルビを振ってもらっているらしい。当然子供の頃の成績は良くなかったのだけれど、それが発達障害のせいだと分かったのはつい最近らしい。

 発達障害の認識が社会に浸透するまでは彼のように人知れず悩んだり、変人扱いされて辛い思いをした人も多いと思われるが、その研究もまだまだこれかららしい。アスペルガー症候群というのもそのような発達障害の一つとされている。アスペルガー症候群は知識障害はないのだけれど、人間関係を築くのが苦手だったり、特定の分野に強い、時には執拗とも言えるような関心と集中力を示すなど変人扱いをされることが多いらしい。

 一般的イメージとしては頭がよく、ナイーブだが人づきあいが悪く、一見気まぐれにも見えてしまう振る舞いなどの点が言われているが、芸術やコンピュータなどの特定の分野で高い才能を示す著名人も少なくないようだ。冒頭の言葉についてはジョディ・ピコの小説「House Rules」の中のアスペルガー症候群の登場人物であるジェイコブの言葉と思われる。

 それじゃほんとうは猫はどうかというと、ぼくはアスペルガーのことはよく知らないけど、ここでいうその集中力と気まぐれさには思い当たることはある。うちのモモについていえば、普段はロシアンブルーの特徴ともいえる独特の人懐っこさで、呼ぶとこいつは犬じゃないかと思うほど尾っぽは振らないけど、尾っぽを立ててとんでくる。そんなモモがいくら呼んでも全く知らんぷりすることがある。

 一つは何かに夢中になっている時。例えば出窓で寝ている時そばの木に鳥がとまったりしていると、いくら呼んでも全く聞こえない風で振り向きもしない。壁の中でなんか物音がしたようなときなど納得いくまでいつまでもそこを離れない。その集中力と執着力はすごい。しかし、その関心や集中力のスイッチがプチッと切れることがある。そうするとまるでそんなことは無かったとでもいうように我に返って平然としている。

 もう一つは、一人でいたいオーラが全身から出ている時がある。ぼくがカミさんとテレビを観ている時など離れたところで一人でまったりしている。そんなとき声をかけても全くしらんぷり。一人でいたいときはぼくらが一階に居ても一人で二階に居ることもある。ぼくが呼びに行っても、ちょっと迷惑そうな顔をしてそっぽを向いてしまう。そんな時は、あ、一人になりたいんだなとそれ以上声を掛けない。面倒かもしれないけど、一緒に暮らしていてぼくはこの距離感が好きだ。それを楽しんでいる。



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Blue Heaven [gillman*s park 18]

Blue Heaven

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 ■ 空

空はいつまでひろがっているのか
空はどこまでひろがっているのか
ぼくらの生きている間
空はどうして自らの青さに耐えているのか

ぼくらの死のむこうにも
空はひろがっているのか
その下でワルツはひびいているのか
その下で詩人は空の青さを疑っているのか

今日子供たちは遊ぶのに忙しい
幾千ものじゃんけんは空に捨てられ
なわとびの輪はこりずに空を計っている

空は何故それらのすべてを黙っているのか
何故遊ぶなと云わないのか
何故遊べと云わないのか

青空は枯れないのか
ぼくらの死のむこうでも

もし本当に枯れないのなら
枯れないのなら

青空は何故黙っているのか

ぼくらの生きている間
街でまた村で海で

空は何故
ひとりで暮れていってしまうのか


 (『自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)』 谷川 俊太郎より)

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 東京の冬の青空は独特の彩をしている。最初は抜けるように透き通って、地平から上に行くに従い青味を増してゆきそれはやがて地球全体を包み込む大気の神秘的な青へとつながっているようだ。もし、「世界青空ランキング」なんてコンテストがあれば、東京の冬の青空はきっとその上位に食い込むだろうなぁ。

 東京も高度成長時代の大気汚染が問題になった頃には、もちろんこんな青空はそう頻繁に見られるわけではなかったけれど、それでも経済活動が一瞬ストップする正月にだけは抜けるような青空がみられた。だからぼくの子供の頃からの正月のイメージにはいまだに青空に舞う凧の姿が残像のように焼き付いている。

 今朝、公園を散歩した時上空に広がっていた空もそんな正月の空だった。天気は良いが風が強く芯から寒さが浸みてくる。丘の上で凧上げをしていたのでスマホで撮ろうとしたけれど、手袋を忘れてきてしまい指先が冷え切って中々スマホのスイッチが入らない上に、シャッターもよく反応しない。やっぱりこういう時はちゃんとしたカメラだなぁ、と思ったけれど…。

 以前は公園を散歩するときもカメラを持っていたのだけれど、段々億劫になってか今はスマホだけしか持ち歩かないようになってしまった。そんなこともあって自分のブログで公園の事を書くことも次第に少なくなって、このブログを始めた2005年には55回もあったのに昨年はたったの一回。その背景にはぼくには余りありがたくないこの公園の変化もあるのだけれど、いずれにしてもそれは季節の移ろいなどに対する自分の感性が老いてしまった証みたいなものだと思った。

 というわけで、今年は自分の日常に慣れ切ってしまった視線に活を入れて、まさに[Jamais-vu](ジャメヴュ・未視感)的感覚を研ぎ澄ませて身の回りの色々なものを観てゆきたいと思うのだけれど、…いつもの年初の決心みたいに三日坊主で終わるかもしれない。


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[Déjà-vu] No.7  デジャヴとジャメヴの間 [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.7  デジャヴとジャメヴの間

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 初めて訪れる見知らぬ土地を旅している時、ふと「あ、こんな光景に以前出会ったことがあるなぁ」と感じることがある。また日常でも「あ、前にこんな状況で、こんな心持になったことがあるなぁ」等、ぼくなんかはよくある。その元がはっきり思い当たることもあるけど、大抵は何か漠然とした心の揺れみたいなものだけがあとに残るのだけれど。

 既視感というのか[Déjà-vu](デジャブ)みたいなのは、歳をとってくると多くなってくるような気がする。今までの長い人生の中で色々な光景や状況を見聞きしているから、似たような状況に出会う確率も多くなるからかもしれない。小学生にそう度々デジャヴなんか起きないのじゃないか。
 
 既視感[Déjà-vu](デジャブ)とは逆の未視感つまり[jamais vu](ジャメヴ)というのもあるらしい。こちらは普段から見聞きしてよく知っている筈のものが全く新たなものに感じられたり、違うものに見えたりする事なのらしいけど、そういう事もあるかもしれない。例えばいつもの道の角を違う方向から歩いてきたとき、まるで違う街に来てしまったような…。
 
 これが甚だしくなると正常な認識が崩壊したり、コミュニケーションが難しくなってしまうらしいけど、適度なジャメヴは日常に新たな視点を与えてくれるかもしれない。ものの見方がまだ経験にとらわれないという点で言えばこちらは若い人の方があり得るのかもしれない。尤も年寄りでも認識崩壊とスレスレかもしれないけど、あれ?ということは日常生活の中でも時たまあるものだ。

 そういう意味でいうとぼくの歳になると毎日が「あれ、これどこかで見た事あるよなぁ」というデジャヴ感と「あれ、これって、こんなんだっけ?」というジャメヴ感に挟まれて辛うじて残っているリアリティーの細道を手探りで歩いているようなものだ。もしかしたらそれが老齢になるという事かもしれない。

 なんだかいかにも危なっかしい世界だけれど、考えようによっては悪いことばかりではない。懐かしさ、ノスタルジーを呼び起こしてくれるデジャヴ感と色あせた日常に括目させてくれるジャメヴ感という風にとらえれば、それはそれで楽しめるのかもしれない。もちろん医者に聞けばそれは、単に脳の老化ということであっさりと片づけられてしまうのだろうけれど…。



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 年末年始になると必ずデジャブのようにやってくる感覚があります。朝起きてしばらくすると天気の良い日には南側の部屋に冬の日が煌めくようにいっぱいに差し込みます。すると父や母が元気だったころ皆で元日にテーブルを囲んでおせち料理を食べた時の感覚が頭をよぎります。

 穏やかな、何ということもないありきたりの正月の風景。今も冬の日が差し込むと正月でなくともそんな光景がフラッシュバックしてきます。ましてや今日は正月、母がまだ元気だった頃の正月が頭に浮かびます。写真はたった五年前なのに大きく変わってしまって今は認知症でぼくの顔も判らない。写真はその時々を、そして一日一日を大切に生きよ言っているようです。


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謹賀新年 [新隠居主義]

謹賀新年

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[Déjà-vu] No.6   A Happy Birthday to Someone! [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.6   A Happy Birthday to Someone!


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 ■ここ 

 どっかに行こうと私が言う

 どこ行こうかとあなたが言う
 ここもいいなと私が言う
 ここでもいいねとあなたが言う
 言ってるうちに日が暮れて
 ここがどこかになっていく

  (谷川俊太郎 『女に』より) 


 沖縄は大抵冬か春先にしか行かないから、真夏のきらめくような沖縄の姿はよく知らない。もっとも会社勤めしていた頃は仕事だから時期なんかは関係ないので何度か真夏にも行ったことはあるけど…。隠居してからはシーズンオフに行くのは、第一には飛行機代が安いこともあるけど、島にも観光客が殆どいないので土地の人とゆっくり話せたりすることもある。さらにはぼくの場合は春先に行くと花粉症が軽いなどのありがたいご利益もある。

 人がいないと離島などの海岸が独り占めできるという良いこともある。慶良間諸島などの島にお気に入りの海岸線が何箇所かあるのだけれども、そんな中には海岸に半日居ても誰にも合わないということもある。海岸線全体を見渡せるデッキもシーズン中はカフェがオープンして、客でごった返していたのだろうけど今は店も閉まり誰もいない。

 沖縄でも天気が良くなければそれなりに寒く感じるのだけども、ちょっと陽がでれば寒い内地からきたぼくらには十分温かく感じられる。誰もいない海岸のデッキで日永一日、本を読んで過ごすのは自分のサラリーマン時代からの夢だったのだが、そういう場所に出会えたのは幸運だったし、そのきっかけを作ってくれた友人にはいつも感謝している。

 あるとき離島のそんな海岸にいつものように本を持って行ったら、デッキにあるテーブルの上にサンゴを並べてメッセージが書いてある。前の日の昼までは無かったからそのあとに誰かが書いたものらしい。A Happy Happy Birthday 最後にはハートマークまでついている。

 誰に対してのメッセージかは書いてない。その人がその場にいたからなのか、それとも一人で来た人が誰かの誕生日を心の中で祝って書いたのか。「沖縄」「海」「珊瑚のメッセージ」なんてキーワードを並べると頭にはすぐ若者の姿が浮かぶけれど、そうとは限らない。

 このシーズンオフの平日にこの海岸にくるのはぼくのようにもうリタイアした老齢の人間かもしれない。そうすると、今はもういない伴侶の誕生日を想って書いたのかもしれない。ほんとうは「いつか」一緒に来たかったのだけれど、日常の忙しさにまぎれてその「いつか」は、とうとうやっては来なかった…のかも。 誰もいない海は妄想を掻き立てる。



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病院の身売り [新隠居主義]

病院の身売り


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 縁あってもう三十年近くお世話になっている病院がある。その病院でもう三回手術を受けたこともあるし、現役時代の最後の方は過労で頸椎症が悪化するので毎年のように年に一度は一月近く入院していたこともある病院だ。その病院が十月に突然他の病院グループに身売りすることが決まった。

 ぼくが通っていたその病院は企業名を冠した大病院でそのもとの企業の再建のためという事らしい。日本でも有数の大手メーカーで経営の失敗から急速に会社がおかしくなってしまった。昔ぼくも一年ほどその本社で仕事していたこともあって親近感のある企業だったが…。数年前に医療事業部門も手放し、従って病院も用無しになったのか残念なことではある。

 …というと他人事みたいだが、ぼくにとってはそれが切実な問題になってしまった。この歳になって医療難民のようになろうとは思ってもいなかった。現在ぼくが通院しているのはその病院だけなのだけれど、大きい病院なのでそこで複数の診療科にかかっており、いずれも長期間の通院が必要となっているのだが、病状が安定しているという理由で来年の一月一杯で他の病院に転院するように言われてしまった。嗅覚もゼロだし、いまだ胸のつかえの原因も結局分からずじまいなのに。転院先は自分でネットで探してくれと。

 発端は消化器科の医師に自分は三月で辞めるので、あとはぼくが今かかっている内分泌内科の医師に引きついでおくからとのことだったが、翌週その内分泌内科の医師の診察の際に、今度はこの病院が売却されるので内科ではこのままだと内科医が不足しており、買収後は病院の性格も変わるようなので他の病院へ行くように言われてしまった。ここに長年通っておりこの病院に自分の膨大な医療データがあること、何度もこの病院の治験にも協力してきたこと等も伝えたのだけれども、その医師も今後のことは自分でも責任が持てないから変わった方が良いと言われた。

 翌週、昨年手術をしてもらった別の科の医師の診察のときにも、その医師も三月で辞めるので紹介状を書くから他の病院に行くようにと…。さらにもし何かこの病院の他の医師の動向等の情報が分かったら教えてほしいとも言われた。どうやら医師の間にも詳しい情報は伝えられていないようだ。そんな医師の不安感はダイレクトに患者にも伝わってくる。この病院にはずっと感謝もし、信頼もしていたのだけれども、ぼくにとってあまりにもあっけない幕切れとなった。

 この病院には個人的にもいろいろな思い入れがあり、ぼくの人生の大きな山場を何回かこの病院のベッドの上で迎えた。このブログでも何度かそのことにも触れてきた。せめてもの救いは内科の医師が、来年一月に自分の最後の内視鏡チェックを責任を持ってやると言ってくれたこと位いか。買収後の病院は収益の見込める長期リハビリ分野に的を絞ることになるらしい。この年の瀬に世知辛い状況になってしまった。


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[Blog Review その時ぼくはこの病院にいた…]

病棟の夜  (2016)
眠り Der Schlaf  (2016)
香り無き世界 (2016)
病院の朝  (2011)
エレベーター  (2009)
病院閑話  (2009)
Blackout  (2009)
病院の桜  (2006)
レクイエムを残して  (2005)



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[Déjà-vu] No.5 眩しい視線 [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.5 眩しい視線

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  Hoi An Vietnam 2015


 昼間、ホイアンの街を歩いている時、通り添いの民家の前に若い男女が立っているのに気がついた。きちんとした身なりをしており、何か二人で話をしている。二人の後ろには立てかけられたはしごに足をかけている男がひとり。

 何ということのない光景だけれど、この二人の佇まいがあんまり素敵なのでぼくは前を通りながら写真を撮った。今考えるときっとこれは結婚式の「前撮り」の光景だったのかも知れない。まだ朝方だったので通りにもあまり人通りがないうちに撮っていたのか。

 その二人の視線はいかにも若者らしく、素朴でそして未来を真っ直ぐに見つめているような視線だった。日本にもそして自分にも未来にあんな輝いた視線を投げかけていた時があったんだろうか…。その二人をぼくはきっと眩しそうに見ていたにちがいない。



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うしろ姿のしぐれてゆくか [新隠居主義]

うしろ姿のしぐれてゆくか

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 ■ うしろ姿の しぐれてゆくか (種田山頭火)

 

 1931(昭和6)年12月31日、山頭火は行乞の旅の途中にあり九州の飯塚にいた。自堕落な自分を奮い立たせて行乞の歩みを進めるが、ともすればすぐに俳句仲間の処などで深酒をし自堕落な自分に戻ってしまう。大晦日の俳句ノオトには「自嘲」という言葉に続いてこの句「うしろ姿のしぐれてゆくか」という句が収められている(行乞記二)。行乞の旅でこの師走に安宿に逗留している山頭火の脳裏には寒々とした時雨の中を行く自分自身の後ろ姿が浮かんでいたのかもしれない。

 一方、絵の世界で後ろ姿を描く画家といえばまず脳裏に浮かぶのはデンマークの画家ヴィルヘルム・ハンマースホイだろう。彼はコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地にあった自宅内を多く描いているが、その室内における妻のイーダの後ろ姿を何枚も描いている。現在国立西洋美術館に展示されている彼の作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」もそのような絵の一枚だ。白い扉の向こうで妻のイーダがピアノを弾いている後ろ姿。しかし、イーダはピアノの前には座っているけれど本当にピアノを弾いているようには見えない。画面を静寂が支配していてぼくにはピアノの音は聞こえてこない。言わば静謐だがどこか不安な空気が画面を覆っている。

 ドイツの画家カスパー・ダーフィド・フリードリヒも人物の後ろ姿をよく描いているが、彼の場合の後ろ姿は絵の登場人物が絵を観ている人と同じ方向を見つめるという関係に置くことによって、あたかも絵を観ている人が画中の人物になって彼の視線を通じて絵の中の情景を見つめ体験しているような感覚になる事を意図していると思う。

 またアングルロートレックドガムンクそして、アンドリュー・ワイエスなども人物の後ろ姿を描いている。それらは絵の鑑賞者の視線の代理というよりは、その背中自体の表情で何かを語らせている。それはモデルの存在感であったり、安らぎであったり、孤独や拒絶であったり、生きることのプライドであったり…。それらは時に顔の表情に劣らず多くの事を語ってくれる。また時として顔の表情は人を欺くが、背中は正直だ。


 大昔の1971年の冬、クリスマス休暇をウェールズの友人の実家で過ごした帰りにロンドンに寄ったことがある。年が変わって1972年1月1日になってピカデリーの近くのロイヤル・ヘイマーケット劇場で演劇を見た。演目は「A Voyage round my father(父を巡る旅路)」 主人公の頑固な父親を演じたのがアレック・ギネスだった。劇はもちろん英語で行われていたので細部はよく分からなかったけれど、素晴らしいラストシーンだけは今も鮮明に脳裏に残っている。

 真っ暗な舞台の中央に背もたれのある木の椅子が客席に背を向けるかたちで置かれている。スポットライトに浮かび上がったその椅子にはギネス扮する年老いた父親が座っている。やはり観客に背を向けて座り観客には彼の背中とイスの肘かけの上に載せた左右の手しか見えない。舞台には子供の楽しそうな声や海風の音、明らかにその老人の人生の回想シーンが音だけで流されている。

 どのくらいの時間それが続いただろうか、やがて音が止んで、静寂がおとづれ劇場内は緊張した空気に包まれる。観客の全ての視線がその老人の後ろ姿に注がれた時、老人の片方の手からふっと力が抜けて掌が少し上向き加減になった。観客がそれが老人が今息を引き取ったことを意味するのだという事に気が付くのにそれほど時間はかからなかった。その時ギネスは後ろ姿と片手だけで人生の終焉を演じ切った。暫くして静かに幕が下りる。そして鳴り止まない拍手。忘れられないラストシーンだった。後ろ姿には物語がある。


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 *「父の背中を見て育つ」など日本人には昔から後ろ姿への独特の思い入れのようなものがあるように思います。考えてみると、それは寡黙なことが良いとされた日本的風土の中で相手の心を言葉以外のものでも読み解こうとする文化的伝統のようなものがあったのかもしれません。

 そんな高尚なものではないんですが…、ぼくも写真を撮る時無意識に人物の後ろ姿を追ってしまいます。素人写真では普通モデルは使えないので、街なかのスナップなど事前・事後に了承を得て正面から撮ることはありますが、自分の力ではその大抵のものはいかにも記念写真的なものになってしまうような…。もちろん、時間をかけて相手との人間関係を作ったり、瞬時に相手との心理的距離を縮めることが巧みであればいいのですが、ぼくにはまだ、まだ…。

 それにぼくが何よりも後ろ姿に惹かれるのは、そこに作為がなく、かつ何がしかの物語を想像もしくは創造しうる余地がありそうな気がするからです。それが自分なりに大切にしている写真の画面の外に広がってゆく物語の予感みたいなものを与えてくれそうな気がしています。自分の写真の中ではたとえその後ろ姿が小さく写っていたとしても、その意味も同じようには小さいとは思っていません。絵画においてもしかりだと思ってます。



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東京が東京であった処 [Ansicht Tokio]

東京が東京であった処

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 大手町の旧東京中央郵便局のあとにできた(といってもファサードだけは古いビルの外観が一部残されているけど…)ショッピングモールKitteに行くと必ず寄るところがある。それは4階にある旧東京中央郵便局長室で、そこからは駅舎再現修復と駅前広場整備の終わった東京駅がよく見えるのだ。

 背後に高層ビル群を従えた東京駅駅舎の姿は威風堂々としている。ヨーロッパの駅舎も趣があって好きなのだけれど、東京駅のように数えきれない程の本数のプラットホームがあってバリバリの現役で、しかもそのエリアがオフィス中心街になっているというところは少ないと思う。

 ヨーロッパの駅は鉄道が実用化されるはるか前に石造りの旧市街が出来上がっていたため各方面から大都市に入ってくる鉄道の駅は街を通過出来ないので旧市街の縁までの引き込み線になっている場合が多い。鉄道が各地方から入ってくるので駅の名前も大抵方面別に「西駅」とか「東駅」とか「中央駅」とかの名前がついている。日本で駅前というと中心地のように思えるが、ヨーロッパではそうとは限らない。

 ロンドンにも、パリにも、ベルリンにも、そしてウィーンにもその都市の名前だけの、例えば「ウィーン」という駅は無い。ウィーンの場合でいうとぼくが初めて訪れた大昔は「ウィーン南駅」と「ウィーン西駅」というどちらも引き込み線タイプの終着駅があったのだけれど、今では南駅は通過式の駅として中央駅に生まれ変わった。しかし名前は「ウィーン駅」ではなく「ウィーン中央駅」である。

 そういう意味では世界有数の大都市東京でシンプルな「東京」という駅名が存在していることは珍しいかもしれない。普通なら「東京中央駅」もしくは「大手町駅」となりそうなものだけれど…。それはもちろん常に膨張を続けてきた東京という街の歴史を背負った駅名なのだと思う。東京駅ができたとき、新宿も渋谷も池袋も今では想像できないほどの田舎だったはずなのだ。

 上野だけが比較的早くから北の玄関口としての機能を果たしていたから、上野は「東京北駅」なのかもしれない。この旧東京中央郵便局長室から東京駅を臨むとそんな東京駅=東京だった頃の東京の姿が脳裏に浮かんでくる。ぼくは東京で生まれ育ったのだけれど、最近東京の街なかを色々と歩き回っていると各所に「江戸」の名残は残っているのだけれど逆に東京駅ができた明治・大正の「東京」の名残が意外と少ないことに気付いた。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その29~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その29~

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 ■君は本当の友達を知っているかい?
   それは君がいなくなった後、君の猫の面倒をみてくれる人だよ。
(ウィリアム・S・バロウズ)
  You know a real friend? Someone you know will look after your cat after you are gone.(William Seward Burroughs II)
 

 この歳になると、断捨離とかデジタル終活とか色々と身辺整理を考えてしまうのだけれど、それは誰にも訪れることだから言わば順送りの仕事みたいなもんだ。

 

 こういうのは、順当に行けば平均寿命からいっても男が先逝って、その後妻の方が暫し余生を楽しんでおもむろに…というのがセオリーらしいしカミさんもそう思っているフシがある。

 

 ぼくの方もその方が有難いから、それはそれで良いのだけれど、どちらが残るにしても気がかりな事は猫のことで、最近はそのことが頭から離れない。もちろん若い頃はそんな事は考えもしなかったし、逆に飼い始めた子猫がいつの間にか自分を追い越して歳老いて先に逝かれてしまうことに辛い思いをしていたくらいだから。

 
 ところが、そのうち猫より自分の方が先に逝ってしまうというような心配をする時が来ようとは…。クロがいなくなって、寂しさがつのるほどに、いつまでも猫と暮らしたいという気持ちは逆に強くなった。カミさんとも、いつまでも猫を飼い続けたいねとは話すのだけれど、先のことを考えると二の足を踏んでしまう。

 猫は犬より手がかからないから、猫好きの人であれば引き取って飼ってくれそうなのだけれど、それが周りにいるかというとこれがなかなか難しい。当たり前だが自分たちより若くなきゃならないし、猫を好き嫌いもあるだろうし、動物のアレルギーや住宅事情さらには散々他人が飼った猫が慣れてくれるだろうかという心配もあるかもしれない。

 猫の老人ホームのようなところがあって身寄りのなくなった猫などが暮らせる施設もあるやに聞くけれど、当然お金がかかることだし、年金頼みの身では自分のことで精いっぱいで将来もそこまでお金がまわるか、また猫たちがそこで本当に幸せに暮らせるんだろうか…など等悩みは尽きない。

 今の願いは、せいぜいカミさんに長生きしてもらって猫と暮らし続けたいという身勝手な願いと、自分でも最後までちゃんと猫の面倒をみられる身体でいたいという事ぐらいだ。


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*ウィリアム・S・バロウズ…バロウズはアメリカの小説家。ハーバード大学を出た後親の遺産の年金でブラブラ。その後ウィーンの医学校に入るが戦争のため帰国。彼は麻薬中毒でゲイ、小説は難解だが最先端でアメリカを代表する作家のひとり。

真実は疑わしいが薬でラリって妻とウィリアムテルごっこをしていて妻の頭にリンゴを載せて間違えて妻を射殺。その後彼は南米に逃亡、そしてぼくの好きな街であるモロッコのタンジールに移住。そこで無一文になると今度はさらにパリへ。最後は猫に囲まれて83歳の生涯を閉じたらしい。ぼくは恐れ多くて(読んでもきっと分からないし)彼の作品を読んだことは無い。日本には名うてのバローズ・マニアがいるらしいです。

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Urban twilight [新隠居主義]

Urban twilight

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 最近家を出るのが億劫に感じる時がある。特に午後から約束があって出ていくようなこともあるのだけれど、午前中を家でダラダラと過ごしたあとに出かけてゆくのはちょっと自分の身体と心に活を入れて出ださないといけないみたいだ。日本語学校に行くというようなルーティンの行動は最初からそのつもりでいるから良いのだけれど、止める気なら自分さえそう決めればそれで済むようなことは、ともすれば止めてしまいたい衝動に駆られることもある。


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 日日

  ある日僕は思った
  僕に持ち上げられないものなんてあるだろうか

  次の日僕は思った
  僕に持ち上げられるものなんてあるだろうか

  暮れやすい日日を僕は
  傾斜して歩んでいる

  これらの親しい日日が
  つぎつぎ後ろへ駆け去るのを
  いぶかしいようなおそれの気持ちでみつめながら


  Days

  One day I wondered if there was something
  I would be unable to lift.

  The next day I wondered if there was anything
  I would be able to lift.

  As days lead toward darkness
  I walk on slumped over.

  watching, with doubt and fear,
  those familiar days gallop away backward,
  passing me by, one after another.

   (「二十億光年の孤独」谷川俊太郎/W.I.エリオット訳、集英社)


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 歳をとるということは、こういうことなんだろうか。ずっとこうだと、段々と精神もそのような身体について行ってもう少し楽になるのかもしないけれど、まだそんな境地にもなれない。天気の良い朝なぞは意味もなく「まだやれる感」が頭をもたげ身体を置き去りにして前のめりに走り出す。旅に出たいなんて思うときは、たいていこんな朝だ。

  この間の朝もそんな日だった。前の晩に億劫なので止めようと決め込んでいた新宿行きを、やっぱり行くことにして昼前にポケットにGRDだけをほうりこんで家を出た。駅まで来ると何となく身体が動き始めた。

 新宿で用を済ませた頃にはもう陽が傾きかけていた。まっすぐ帰ろうとも思ったけれど、出たついでなのでいつものように秋葉原をちょっと覗いてから帰路に就いた。秋葉原の駅のプラットホームから空を見上げるともう青い夜がそこまで来ていた。どこかヨーロッパの夜を思わせるように青い夜。この空は家にいては見られなかったかもしれないなぁ。



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Akihabara [Ansicht Tokio]

Akihabara

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 秋葉原、この街をうろつき始めてからもう何年になるだろうか。四十年以上になるかもしれない。勤め先が本郷で秋葉原に近いということもあるのだけれど、通い始めたのは大学時代からだからもしオフィスが多少遠くても来たかもしれない。通算すると月一回、多いときには毎週もあったと思う。

 通うと言っても特別な目的があるわけではない。ただぶらついて街を、店を見ているだけで何となく楽しいのだ。それでもその時々によって興味を持って見るものは確かに変わってきた。最初はオーディオ関係のスピーカーやターンテーブル、アームやカートリッジなどの部品がメインだった。

 それから、音楽でジャズやクラシックのLPに目が向いてディスク漁りをやっている内に、当時「マイコン」と呼ばれるパソコンが出始めた。そうすると秋葉原の街はあっという間にオーディオの街からデジタルタウンに切り替わっていった。その時分にはぼくももう会社に入っていたのでぼくの関心もオーディオからパソコンの方に比重がかかっていった。

 以来、時の経過とともにいくつかの関心がぼくを長いことこの街につなぎとめていた。リタイヤしてからは関心はカメラやジャズのCDなどに向いていったが、今はそれにタブレットやBluetoothなどの新しいオーディオ機器への関心が加わった。この街の変遷が自分の関心の範疇に合っていたのか、はたまたこの街の変遷に自分の関心が引きつけられたのか、おそらくはその両方だと思うけど…この街は長いことぼくの関心を繋ぎ留め続けてきた。

 ただ一つだけ、この街の変遷で自分の範疇には取り込めなかった、または取り込まなかったものがある。それはいわゆるオタク文化に類するもので、それがこの街に浸みこむように広がってゆく様をぼくは少し遠くから傍観者として見ていた。それは秋葉原という街に新たな味付けをすることになった。それは一見唐突にこの街に現れたように思えるけれど、今までの秋葉原文化と何処かで通底するものを持っているとぼくは思っている。


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 昨日、友人のところに行くので馴染みの秋葉原で乗り換えた。ラッシュアワーも終わった午前中の秋葉原駅のホームはいつもぼくが見ているのとは違ってどこかのんびりとしていた。ぼくが乗ろうとしていた総武線の千葉方面のホームの一番先の方は人影もまばらで、ローカルの駅のようだった。約束の時刻まではまだ間があったのですぐに電車に乗らずに少しホームをぶらつくことにした。

 家を出る時久しぶりにRICOH GX200をポケットに入れてきたのでそれでホームの光景を覗いてみた。ホームに差し込む光は既に冬のそれになりかけている。ガラッとしたホームには自販機が並んでいる。時折、自販機に飲み物を買いに来る人が通るくらいで人通りも少ない。駅の時間はラッシュアワーの時刻を過ぎて急にそのスピードを落としてなだらかに流れ始めた。もちろん、それは夕刻の次のラッシュアワーまでの束の間のことだけれど。


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三者三様 [gillman*s Lands]

三者三様

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  Wiener Staatsoper

 
  考えてみたらウィーンの良いところはぼくらに美術館と音楽の両方の楽しみを与えてくれるということかもしれない。昼は美術館をウロウロして夜になったらクラシックのコンサートに行く。それも、そこそこの日数いて退屈しない所というと世界でもそう何箇所もあるわけではない。音楽だけとか、美術館だけとかなら他にもあるのかもしれないけど、この二つがバランスよく揃うことはなかなかない。

 そういう意味では、ベルリンとかパリとかロンドンとか東京ニューヨークもそうかもしれないけれど、他はどこもいわば名だたる大都会で、それに対してウィーンならその殆どはどこも年寄りの脚でもそこそこ歩いて行ける距離にある。もちろん乗ろうと思えば路面電車で行くこともできるけど…。 Volksoper(フォルクスオーパー)だけ街なかから少し離れているけどそれだって地下鉄ですぐのところにある。

 観光旅行も悪くは無いけど、歳をとってくると転々と宿を替えてこまめに移動することが億劫になってくる。動くと金もかかるし…。出来れば一か所に拠点をかまえてのんびりしていたいのだが…、それじゃあ家に居れば良いじゃないかと思うのだけれど、体力は衰えてくるのに放浪癖みたいなのはなかなか落ち着いてくれない。その最たるものが時折行く沖縄で、なんのことはない旅先でもやっていることは読書と昼寝と酒だけで、そんなことはどこでもできるんではないかと思う。 で、あまり動かなくて自分の好きなものだけを楽しめる処がウィーンということで、この街が好きなのだ。


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  Musikverein Wien Goldener Saal


 今回コンサートで訪れたのがウィーン国立歌劇場(1869年)とウィーン楽友協会(1870年)そしてウィーン・フォルクスオーパー劇場(1896年)の三か所だが、それぞれに雰囲気も音も異なって三者三様でとても興味深かった。最初に訪れたのが一番中心地にある国立歌劇場で、その時は2017-18年音楽シーズンのまさに始まりの時期だった。シーズンの始まりを告げるものか、劇場の前には超大型のパブリックビューイングが設置されオペラの中継が見られるということで夜になると劇場の前は観客でいっぱいになっていた。

 この歌劇場で以前観たときはヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」だったが、今回はやはりヴェルディの「椿姫」。特にヴェルディが好きなわけではないけど偶然そうなった。席は以前もそうだったがLoge(ロジェ)といわれる小部屋で一列目だと観やすいが後ろの列はちと辛い。一列目で良かったのだけれど、席に行ったらそこには既にアメリカ人らしい夫婦が座っている。ここはぼくらの席だと言っても自分たちのだといって、知らんぷりをしているので座席案内係の女性に来てもらった。

 切符を確認すると何のことはない、自分たちの席は一階上のロジェの同じ席でそれを指摘されると、「ソーリー」も言わずそそくさと去って行った。この劇場の字幕は前の座席の背もたれか、ロジェの場合は席の前のカウンターにモニターが付いていて、今年からは日本語も見られるようになった。中に入ると円形劇場特有の高揚感というかこれから歌劇を観るのだという雰囲気に満ちている。

 その時は右側のロジェだったけど音は驚くほど良く聞こえてくる。もちろんマイクは無いのだけれどロジェでも一列目に居れば平土間と同じようによく聞こえるのも円形劇場のおかげかもしれない。ただロジェは場所にもよるけど平土間に比べてオーケストラの音が上に抜けやすいので、舞台上の声楽とのバランスは平土間の方が良いのかもしれない。もともと昔はロジェは男女の逢引きにも使われたり奥でコソコソ話もしたりと粋な場所でもあったらしい。

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  Volksoper Wien


 二番目に行った楽友協会のGoldener Saal(ゴルデナー・ザール=黄金の間)と呼ばれる大ホールは毎年お正月にNHKが放送するウィーンフィルのニューイヤー・コンサートが行われることで知られているが、ここはウィーンフィルの本拠地ではあるけどもちろんウィーンフィルの持ち物ではないのでウィーン交響楽団なども頻繁にここで演奏している。

 ここの音の良さは有名なのだが、演奏中は本当に体全体が音場に包まれている実感がある。全体がよく響くと同時に不思議と一つ一つの楽器の音のディテールがちゃんと聴こえてくる。その証拠にはるかかなたの席での咳ばらいが生々しく耳もとに響く。かと言って教会のような明らかに残響時間が長い類の響きではない。ここは円形でなくシューボックスタイプといわれる四角い箱型でその形状や、床が木でできていたり、天井うらに空間があったりと、好い音の原因はいろいろ取りざたされているけど、きっとその奇跡的な相乗効果なのだろうと思う。

 そんなに色々なホールの音を聴いているわけではないので偉そうなことは言えないけど、ここのホールの音は最高でかつ唯一無二の感じがしている。ホールが大きすぎないのも一つの要因かもしれない。今回はサイドの桟敷席で聴いたのだけれど、音的には以前平土間で聴いたときの方がいい感じがした。クラシック音楽のことはさして詳しくないけど、昔のオーディオ・マニアの端くれとして音響自体を評すればたぶんオーディオファン垂涎の音だと思う。

 さて、最後はフォルクスオーパーだけど、ここは文句なく楽しかった。出し物がオペレッタの「こうもり」だったこともあるけれど、雰囲気も下町の劇場という感じで理屈抜きで楽しかった。ここはオペレッタばかりでなくミュージカルや演劇もやるのだが、建物は国立歌劇場と同じ円形劇場でそれをギュッと小さくしたような小ぶりの劇場だ。音の響きはちょっとデッドな感じだが舞台に近いロジェで観たので全く問題は無かった。休憩時間のホワイエ(ロビー)でもちょっとおめかしした高校生らしきグループがいたりいかにも気さくな感じがした。クラッシック音楽一つを聴くにも、三者三様のそれも最高レヴェルのものに触れられるなんて、そう何処にでもあることじゃない。やはりこの街ではのことだと思う。



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[photos]上から
・ウィーン国立歌劇場(演出上からか開演前から幕が上がっていた)
・同カーテンコール
・ウィーン楽友協会大ホール(ゴルデナーザール)
・同桟敷席から見た大ホール
・フォルクスオーバーのカーテンコール
・ロジェからみたフォルクスオーバー観客席
・フォルクスオーバーの休憩時間、ホワイエでのビール
・フォルクスオーパー休憩時間のホワイエ風景
・ウィーン楽友協会前にて


[concerts memo]
♪ Wiener Staatsoper ウィーン国立歌劇場
29 Sept.2017
演目-La Tlaviata 椿姫
指揮-James Gaffigan
演出-Jean-François Sivadier
Violetta Valéry-Olga Peretyatko Mariotti
Alfred Germont-Jean-François Borras
George Germont-Paolo Rumetz

♪ Musikverein Wien Goldener Saal ウィーン楽友協会
30 Sept.2017

演奏-Wiener Philharmoniker
指揮-Zubin Mehta
演奏曲
①Brahms:Tragische Ouvertüre ブラームス/悲劇的序曲

②Joseph Haydn Sinfonia concertante for violin, cello, oboe, bassoon, and orchestra, Hob.I:105 ハイドン/バイオリン、チェロ、オーボエ、ファゴットのためのSinfonia Concertante
③Bartók Béla:Concerto for Orchestra Sz116 バルトーク/オーケストラのためのコンチェルト、Sz116

♪ Volksoper Wien ウィーン・フォルクスオーバー
03 Okt.2017

演目-Fledermaus こうもり
指揮-Giudo Mancusi
演出-Heinz Zendnik
演奏-Komparserie der Volksoper Wien
Gabriel von Eisenstein-Carsten Süss
Rosalinde,seine Frau-Ulrike Steinsky
Adele,ihr Stubenmädchen-Elisabeth Schwary


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乗り物は楽しいな [gillman*s Lands]

乗り物は楽しいな

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 旅の楽しみの一つに乗り物にのるということがある。単に移動手段と言ってしまえばそれっきりなんだけど、例え地下鉄であってもそれが普段乗っているものと違うというだけで、なんかちょっとドキドキするし楽しみでもある。もっとも、ヨーロッパに行くための十二時間近くのフライトは段々と辛くなってはきているのだけど…。

 乗り物という点ではウィーンには路面電車も地下鉄もSバーンという郊外電車もあるのだけど、今回は街なかのホテルに泊まって美術館とかコンサートホール辺りをフラフラしていたもんで余り電車などには乗らなかった。観光らしい観光はあまりしなかったこともあるけど、それよりもウィーンの旧市街はリンク内、つまり昔の城壁の内側なので大体歩いて行ける範囲にあるのだ。それはありがたい。

 日本を出る前、一緒に行く友達と一回くらいはどこか遠出をしようとは話し合っていたけどはっきりとは決めていなかった。で、結局ウィーンの郊外にあるバッハウ渓谷というドナウ川沿いの眺めの良いところを少し船で下るという何のことはない旅行案内書に出ている通りのコースで行くことになった。

 自分たちで手配して行ってもいいのだけれど、乗換列車の接続とか列車と船の接続時間とか一部車を使うなどめんどくさそうなのでドイツ人のガイドが一人つく現地手配の一日ツアーに参加することにした。当日朝の待ち合わせはウィーンの西駅。ホテルから歩いてゆけるシュテファン大聖堂のところの地下鉄駅から地下鉄U3番線に乗って数駅で着く。


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 西駅というのは来るのは初めてだったが、平日の朝ということもあってか思ったよりも人が少ない。もう五十年近くも昔になるけれどぼくが初めてウィーンに来たのはモスクワから国際列車で来たので、その時着いた駅は南駅だったと思う。列車を降りて何も分からないで困っていると今乗ってきた国際列車の運転手が非番になったらしくコーヒーをごちそうしてくれて色々と教えてくれた。

 長話になって、駅前の広場に米軍の爆撃があってすべて破壊されてしまって自分も怪我をした、もう戦争はこりごりだとか…大阪万博はどうだとか…。ドイツ語はよくわからなかったので半分くらいしか理解できなかったけど、今でもその運転手のガッチリした体格と日焼けした顔は覚えている。その南駅という名前も2014年に新しい中央駅ができて無くなくなったみたいだ。ぼくにとっては今でも南駅のSÜD(ズュート)という響きは懐かしい。

 結局このツアーに参加したのは正解だった。色々な乗り物に乗れたし何より人任せで気楽なのがいい。ぼくは緻密なプラン作りは苦手なのだ。オーストリアの鉄道はドイツ国鉄がDB(デーベーDeutsche Bahn=ドイツ鉄道)と呼ばれるように、ÖBB(Österreichsche Bundes Bahnen=オーストリア連邦鉄道)通称ウーベーベーと呼ばれる。

 列車の一番前にはこのÖBBのロゴが大きく書かれている。ところがこのロゴがデザイン的に洒落た感じを出すためだろうと思うのだけど、Oのウムラウトの部分を斜め線にしているものだからどうもQのひっくり返ったもののように見える。列車に書いてあるそのロゴを見るたびにぼくの頭の中でQBB→チーズのサイクルが回りだして止まらなくなってしまった。

 その内ぼくの頭の中ではもうÖBBQBBBBQ→バーベキューというあらぬサイクルまで回りだして、そのロゴを見るたびに笑いをこらえるので必死だった。最近、こんなのどかな事柄で頭の中がいっぱいになったことはないので本当に楽しい一日だった。

 [その日の乗り物]

  Stefanplatz(シュテファンプラッツ)→(地下鉄U3)→ウィーン西駅→(ÖBB)→St.Pöltenで乗換→(ÖBB)→Melk/メルク修道院→船でドナウ川を下る→Dürstein-Oberloiben→(車)→Krems→(ÖBB)→Heiligenstadt→(地下鉄U4)→Karlsplatz(カルルスプラッツ)



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 *西駅で待ち合わせたのは平日の朝9時半でしたが、もう通勤時間も過ぎたためかあまり混雑もなくなんとものんびりした雰囲気が漂っていました。ホームのある方に行ってみると、ここもヨーロッパの都市の駅の例にもれず引き込み線の駅になっており、ここで列車は方向転換します。

 ホーム部分はドイツのドレスデンやライプチッヒのようにガラスのドーム屋根があるような旅情溢れる造りではなく、ごく素っ気ない今風のものでした。しかし、ホームから中に入って駅舎の大きなガラス越しに見る朝のウィーンの街の光景はなかなかのものでした。


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ウィーン 世紀末の光 [gillman*s Lands]

ウィーン 世紀末の光

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 一週間くらい前から友人と二人で久しぶりにウィーンに来ているのだけれども、美術館はどこもグスタフ・クリムトエゴン・シーレの作品で溢れている感じがする。以前、数年前に来たときにはベルヴェデーレ宮殿の美術館にはクリムトの「接吻」などの作品が展示されていたけれども、それ程目立つ場所ではなかったしそれ以外の彼の作品もそう多くはなかったと思う。

 その後クリムトと同時に、時と共にエゴン・シーレの評価が高まり、2001年には美術史美術館の裏手にミュージアム・クォーターが出来その中のレオポルド美術館セセッション(ウィーン分離派)芸術家たちの作品が大量に展示されるようになったこともいわゆる世紀末藝術の展示がウィーンで充実してきた一因と思われる。

 今回は主に四つの美術館、つまりウィーン美術史美術館ベルヴェデーレ宮殿上宮オーストリア・ギャラリーと下宮オランジェリーアルべルティーナ美術館そしてレオポルド美術館を観て回ったけれど美術史美術館を除く3つの美術館にはクリムトとエゴン・シーレのいずれかの作品が展示されていた。


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 クリムトとエゴンシーレは師弟のような関係であったが奇しくも同じ年に亡くなっている。クリムトが58歳、シーレはまだ28歳だった。彼らの死を持ってウィーンの世紀末藝術は終わりを告げたと言ってもよいかもしれない。その彼らの死んだ年が1918年、つまり来年が二人の世紀末芸術家の没後100年の年なのだ。

 ということで、来年のウィーンはまさに世紀末藝術の展示で溢れかえるかもしれない。長らく西洋美術史の教えを乞うている某先生の話によると、日本の美術館もクリムト没後百年展を狙ってウィーンにアプローチしているが苦戦しているらしい。考えてみれば本場のウィーンこそ100年記念で盛り上げたいのだから、そんな時に重要な作品を海外に出すはずがないと思うのだけど…。


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 *ぼくは以前ここにも書いたのですが、世紀末現象というのは新たな世紀を迎えてもまだ十数年は続くと思っているのですが、1918年のクリムトとシーレという二人の世紀末芸術家の死は正にそこでやっと19世紀末が終わったという見方もできるかもしれません。

 来年はそれからちょうど100年、してみるとぼくらは今まさに20世紀末をまだ生きているということも…。折しもウィーンは今10月15日に行われる総選挙に向けて右と左の激論の真っ最中です。世界の動きを見ても移民、難民問題から政治のポピュリズム化、右傾化そして反動的政治家の続出など今がまさに20世紀末であるような気がしてなりません。


[photos]
レオポルド美術館からマリアテレジア広場方向を眺める
アルベルティーナ美術館の窓から市内を臨む
レオポルド美術館のエントランス
レオポルド美術館からマリアテレジア広場方向を眺める



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♪ 東京のキリル・ペトレンコ Petrenko in Tokyo [新隠居主義]

♪ 東京のキリル・ペトレンコ Petrenko in Tokyo

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 一昨年バイロイト音楽祭ヴァーグナーの「指環」を観た際、その音の素晴らしさに魅せられた。その時、選りすぐりのメンバーのバイロイト祝祭管弦楽団を率いていたのがキリル・ペトレンコだった。クラッシック音楽の知識はからきしのぼくにでもその音の輝きの素晴らしさは分かったし、劇場でも最終日ペトレンコが舞台上に登場した時の拍手喝さいは凄まじかった。

 ペトレンコは現在バイエルン国立歌劇場の音楽監督を務めるが、2018年からはベルリンフィルの首席指揮者・芸術監督になることが決まり、しかも一定期間現在のバイエルン国立歌劇場の方もかけ持ちをするという引っ張りだこで、傍目で見ても大丈夫かなと思うほどスポットライトを浴びるようになった。そのペトレンコがバイエルン国立管弦楽団を率いて先日来日した。

 この日曜日に東京文化会館で彼の日本公演の皮きりの演奏会があったので聴きに行った。切符は今年の春に友人が苦労して手に入れてくれたものだ。当日の曲目は前半がラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲Op.43」でピアノはイゴール・レヴィット。ぼくは初めて聞く名前のピアニストだったが、透明度の高いその音に魅せられた。アンコールがまた素晴らしかった。

 後半はマーラーの「交響曲第五番」。これは、特に最終楽章は今まで聴いたこともないようなアンジュレーションの大きな盛り上がりで、ぼくは最高にワクワクしたけれど人によってはこれは評価の分かれるところかもしれない。難しいことは分からないが、なんと言ってもペトレンコの瞬発力、瞬時の制動力そしてそれに繊細さが共存している点は抜きんでているし、そこがぼくが一番好きなところでもある。

 驚いたのは自分の出番がおわったピアニストのレヴィットが後半ぼくらの前の席に座ってじっとペトレンコの振るマーラーに聴き入っていたことだ。所々小さく頷いたり、控えめだけどあっと言うような身振りを見せたり…。音楽家はこんな聴き方をするんだなぁと感心した。

 ペトレンコの今回の来日の目玉は何と言ってもバイエルン国立歌劇場によるオペラ公演だろう。特にヴァグナーの「タンホイザー」は注目の的だ。一昨年のバイロイトで彼の素晴らしい「指環」を観たので、今回のタンホイザーも、とは思ったのだがチケットの法外な値段を思うとなかなか踏ん切りがつかなかった。もちろん、海外から歌劇場のスタッフ一行も引き連れての公演ということを考えると決して法外な値段とは言えないのだけど。ただ、ぼくの音楽の他にもやりたいこととのバランスで言えばの値ごろ感、価値観の違いなんだけれども…。


 なにはともあれオペラの方は諦めていたところに、友人からオペラ「タンホイザー」のゲネプロ(Generalprobe)の招待券を貰った。彼が本公演のチケットを買った際に抽選で何名かをタンホイザーのゲネプロに招待するという企画に応募して当たったらしいのだ。それをありがたい事にぼくにくれるというので観ることが出来たということなのだけれども…。
 
 ゲネプロとは衣装も舞台も本番さながらの通し稽古で、コンサートのゲネプロは何度も観たことがあるけれども、オペラのゲネプロは初めてだった。それと同じ様に軽い気持ちで考えていたのだけれども、どうして、どうして、間に一時間の休憩を挟んだにしても、始まったのが午後3時で終わったのは夜の8時すぎ。それでもその日はまだ二幕までである。
 
 今回の「タンホイザー」の配役は、タンホイザー役がクラウス・フロリアン・フォークトでエリザベート役がアンネッテ・ダッシュというぼくには懐かしいコンビだった。それは2015年バイロイトで観た「ローエングリン」のローエングリン役とエルザ・フォン・ブラバント役の組み合わせそのままだった。その時も二人とも素晴らしい歌手だと思った。
 
 ゲネプロ前半は順調に進んだが、それでも随所で中断、ペトレンコの指示で少し戻ったシーンからやり直し。その度に役者はもちろん照明、字幕、小道具などのスタッフが前のシーンに戻すためにフル回転、時には大型のクリーナーが舞台効果で汚れた舞台上を掃除し直す。本番では見えないところで大勢のスタッフが動いているのだ。
 
 休憩を挟んで後半はかなり指示が細かくなって、至る所で中断する。舞台上とのやり取りもあるが、オケとのやり取りも多い。段々と熱が入ってきて、ペトレンコの指示も長くなる。こっちがドイツ語がよく分からない上に、離れていて聞きづらいので殆ど分からなかったけど、時々「もっと明瞭に」とか「そこは叫ぶんじゃなくて、うたって…」とかの断片が聴こえてきた。
 
 もう大分時間もたって、舞台上にもちょっと疲労感が…、脇役の役者は寝転んだり、主役のフォークトも舞台中央のプロンプターのカバーの端に座り込んだり、エリザベート役のダッシュも靴を脱いで水を持って来させて飲んだり、時折は床に座ったり…。その間ペトレンコは一切気にする様子もなくオケ等に指示を出し続ける。それだけ舞台上やオケとの間に信頼関係があるのだろうなと感じた。

 完璧なものを創り出すというのはほんとうに大変なことなんだ。午後8時になってゲネプロがやっと終わりを迎えた時、NHKホール中に一瞬ホッとした空気が広がったような気がした。ペトレンコは全然平気で疲れていないみたいに見えた。前夜、来日初のコンサートをこなしたばかりなのに、凄いエネルギーだなぁ。


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 *いままではオーケストラピットに入って指揮をしているペトレンコしか見たことがなかったので、舞台上で指揮する彼を見たのは今回が初めてでした。実にパワフルで、ある時は踊るように、ある時はひれ伏すように大きなジェスチャーなんですが、その左手はかなり細かく曲の表情を指示しているようでした。ここら辺に瞬発力と繊細さの秘密の一端があるのかもしれないと感じました。

**ペトレンコは日本のプレスにこう答えていました。ゲネプロでの彼はまさにそれを証明しているようでした。

 音楽のモットーを問われると、「特別なものはないが、音楽に真摯(しんし)に向かい、時間をかけて十分な準備、(オーケストラや歌手との)リハーサルをして作品に取り組む。私の身上はリハーサル、これが一番大切かもしれない」

…指揮者の役割については「リハーサルの準備段階でオーケストラと一つになること。本番で指揮者がすることは少ない方がいい。実際のコンサートでの指揮者の役割は、単に音楽を聴衆に伝えるだけ」と答えた。 (9月18日付朝日新聞デジタルより)


写真上…東京文化会館(2017/09/16)
写真下…NHKホール(2017/09/17)

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東岳寺 一日だけの広重展 [新隠居主義]

東岳寺 一日だけの広重展

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 この間散歩がてら近くの寺、東岳寺に寄った。そこには歌川広重のお墓があってよく前は通るのだけど中に入ってお墓に参ったのはその時が初めてだった。ぼくの子供の頃には学校では安藤広重と習ったはずなのだけれど、実際には広重は絵師としては安藤姓を名乗ったことはないらしく、今では歌川広重ということになったらしい。

 広重のお墓の隣には寄り添うようにしてアメリカ人ジョン・スチュアート・ハッパーのお墓もある。余り知られていないけれど広重に魅せられて40年以上日本に住み西洋に広重を紹介した功績者でもある。広重に焦がれて最後は名前も広重ハッパーと名乗っていたこともあって、没後広重の傍にお墓が作られたそうだ。彼の著書「Japanese Sketches and Japanese Prints(1934)」は今でもペーパーバックで手に入るようだ。


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 実は先だってここに来た時に、数年前から広重の命日である9月6日にはこのお寺で「一日だけの広重展」をやっているというので来てみたのだ。午後からは広重の法要があると聞いていたので昼前に来てみると、既に数人の見学者が来ていて、展示場ばかりでなく広重の墓の前や境内でも墓参の人たちの姿も見られた。

 展示は本堂ではなくて、お寺の座敷の方に広重の版画が展示されている。展示物は神田の古書店からこの日限りに借り受けたもの等で、入場は自由で座敷にはソファも置いてあってゆったりと観ることができる。展示点数はそう多くは無いけど、広重の墓所で見る「東海道五十三次乃内 庄野の白雨」などは感慨深いものがあった。

 この寺もそうだけれど、ここら辺は関東大震災の後浅草のお寺が多数移転してきて寺町になっている。近くには先代三遊亭圓楽の実家の寺で彼のお墓もある易行院や林家三平や父の七代目林家正蔵のお墓がある常福寺もある。また、散歩の折に寄ってみようと思う。


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その28~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その28~

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 普通の猫なんて居ないわ。(シドニー=ガブリエル・コレット)

 “There are no ordinary cats.” (Sidonie-Gabrielle Colette)


 子供の頃から今までいろんな猫と暮らしてきたけど、それだけにこのコレットの言葉には、そうそうと思わずうなずいてしまうところがある。とは言っても、たとえば道端でノラ猫に出会ってそのことを他人に話して、どんな猫だったと聞かれたときには「普通の三毛猫だったよ」とは言ってしまうのだけれど…。

 それじゃあ、普通の猫と普通じゃない猫の分かれ目は何かというと、ざっくり言えば自分にとって名前がついているかどうかだと思う。名前は普遍的なものを特別なものへと変質させる力を持っている。いつも見かけるノラ猫に密かに名前を付けた時から、その猫は自分にとって特別な猫になるのだ。言語学者のソシュールが、そのモノがあるから名前が付いたのではなく、名前を付けたことによってその内容が浮かび上がり規定されてくるのだというようなことを言ったことを想い出した。

 名前というのは、その名前を持ったものとの関係を変えるという魔力を持っていると思う。以前訪れた南海の孤島波照間島では、島の至る所にヤギがいる。普段は畑の雑草取りのためにか長い紐で繋がれてのんびりしているが、島を挙げての一大イベントである大運動会には潰してヤギ汁にすることも多いということだった。

 ぼくの泊まった島の宿にもココちゃんというヤギが居て飼い主のおばさんに聞いたら、そのヤギは名前を付けたのでもう食べないという。随分と可愛がっていてそのヤギの自慢話を聞かされた。でもそのヤギだって放たれて島のどこかをウロウロして他所で普通のヤギとして捕まったらヤギ汁にされるかもしれない。

 名前を付けて、普通じゃない存在になって一緒に暮らし始めたら、それはもう全くと言っていい程違う存在になるのだと思う。それは猫だって犬だって金魚だってカブトムシだってそうなのだ。本当はどこにも普通の犬や普通の猫やそして普通の牛や、ありふれた豚や普通の命などはないのだろうけれど、それをしてしまったらぼくらは生きてはいけないので、普通名詞というものを考え出して不用意に固有の名前を付けないようにしているだけなのだ。


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その27~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その27~

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 ■私が猫と戯れているとき、ひょっとすると猫のほうが、私を相手に遊んでいるのではないだろうか。(モンテーニュ)
 “When I play with my cat, who knows if I am not a pastime to her more than she is to me?” (Michel de Montaigne, Apology for Raymond Sebond)


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 自分でブログをやっていて、こう言うのもなんだけど最近いつでもネットで繋がれる時代になって、逆に何か上質な孤独というものが世間から少なくなっているのではないかと。まぁ、世間のことはどうでも良いけど自分のことを振り返ってみても、いつもネットでつながっているみたいでメールが来たり、誰だれさんがSNSに書き込みしましたよ、みたいなお知らせが来たり…。

 人間にはときたま、そういうものからも解き放たれて素の一人になれる孤独のようなものが必要なんじゃないかと思ったりもしている。と言ってもずっとそうで話し相手も、連絡を取ろうとする相手も居ないのはただの孤独で、上質な孤独とは言えないような気もする。とても贅沢なことなのだけれど、時には一人で何かを想う時間も必要だし、カミさんとゆったりするような時間も必要だと感じる。

 そういう中で、猫と「二人」で過ごす時間はぼくにとってはかけがえのない時間になっている。それは一人きりで、もの想う上質な孤独の時でもないし、かといって人間同士で集う安らぎの時間でもない。ぼくにとってそれは何も考えない、そして何も想わない、純粋にそこに時間だけが存在するような瞬間に思える。そばに居る猫はぼくにとってそれ自体が幸せの時間そのもので、それ以外の何物でもない。 …むろん彼女が遊びに飽きてしまうまでだけれど。


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 ■ どんな猫の遊びにもルールとしきたりがあるが、それは参加するプレーヤーによって様々だ。猫は、もちろんルールを破ることはない。もし、猫が以前のルールに従わないことがあれば、単に新しいルールを作ったということだ。その新しいルールを急いで覚えて、遊びを続けるかどうかは、あなた次第だ。(シドニー・デンハム)
 Although all cat games have their rules and rituals, these vary with the individual player. The cat, of course, never breaks a rule. If it does not follow precedent, that simply means it has created a new rule and it is up to you to learn it quickly if you want the game to continue. (Sidney Denham)


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