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無香生活宣言 [新隠居主義]

無香生活宣言

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 結局、嗅覚は戻ってこなかった。今もゼロである。昨日は手術後三か月で術後の最終診察日だったのだが、三か月たっても嗅覚が戻っていないということで、医者にこれ以上の改善は期待薄だと言われた。どうやら嗅覚の神経自体がダメになっているらしい。

 嗅覚は大事な五感の一つなのだけれど、嗅覚が全くのゼロになっても障害とは見なされないということだった。それは一つには嗅覚能力の厳密な測定法が無いのも一つかもしれないが、ソムリエや調理師や調香師でもない限り社会生活にさして支障はないだろうという位の世間の認識もあるのかも知れない。

 だが、ちょっと考えれば、以前ぼくも部屋の壁のペンキを塗っていて危なく倒れそうになったけど、シンナーや強い揮発性の匂いも分からないので昏倒リスクが高まることくらいは想像できるし、火事の初期段階のきな臭い匂いや、ガス漏れだって感知できない。もちろんこれらの生活上のリスク対応能力が低下することは由々しきことなんだけれども、実は匂いが無くなることによる本当のダメージは長い時間の中でボディブローのように効いてくるのだ。

 前にも書いたことがあるけど、匂いが全く無い世界というのは一言でいえばモノクロ映画を観ているようで現実感に乏しい。変な例えだけれど、テレビでやっているサスペンス・ドラマか何かで殺人事件のシーンがあって死後何日もたった被害者が見つかる。本当ならばその付近は腐乱死体の腐敗臭が立ち込めていて、現実には居たたまれない状況のはずだが、テレビを見ているぼくらは他人事のようにストーリーの展開の方に関心を向けることができる。それは匂いを抜くことによって現実感が薄まってゆく一つの例だ。匂いのない日常というのは要はそういうことなのだ。

 匂いが無いと毎日がどことなくうわついた、現実感を欠く浮遊感の中で過ぎてゆく。そのうち本当に奪われたのは匂いではなく、人生を噛みしめる貴重な瞬間、時間であったことに気が付く。全ての時間の質が変わってしまったことに気が付く。無くしたのは、ゆっくりとコーヒーやお茶を飲みながら本を読む時間であり、妻とバカを言いながらテレビを見つつワインを飲む時間であり、干した布団の陽の香りを胸いっぱい吸いこみそれに包まれて眠るという…。失ったのは上質な時間。

 昨日、もしかして、と言うはかない望みも絶たれて、言わば医者に「無香生活宣言」をされたようなものだ。でも、それで少しは踏ん切りがついたような気がする。まぁ泣き言は今日のこれ位にして、無くしたものを嘆き続けるより、残ったものに感謝してそれを磨き上げて、香り無き日常の楽しみ方を自分なりに探究してゆこうと思っている。それに良いことだって一つはある。匂いが分からなくなって猫のトイレを掃除するのが苦にならなくなったことだ。

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*最近テレビのコマーシャルを観ていると、
実に香りに関する事項が多いことに気が付きます。
印象としてはざっくり言って3割くらいは
香りに関するメッセージが入っているような…。
食べ物や化粧品の宣伝はもちろん
洗剤、芳香剤などの良い香りを売りにしているもの
また逆に匂いを取り去る消臭剤など等。
匂いが分からなくなると、実は世の中は
様々な匂いに囲まれていることがかえってよくわかります。


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小さくなる背中 [新隠居主義]

小さくなる背中

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  …老いるってことは病(やまい)るってことと同じ。
 だけど、それは闘うんではなくて、猫とつきあうように、病とか老いに静かに寄り添ってやるもんだと思うんだよね。一緒に連れ添っていくというか。

 よく、頑張んなきゃとか、しっかり生きなきゃとかいうけど、頑張んなくてもいい、寄り添っていけば。力まずに、それも自分だという風に生きていくと、すっと楽になる。そんなこと思ったの、つい三、四日前なんだけどね。(笑)…

  (緒形拳「私と猫」)



 母はこの2月で97歳になった。それまでは比較的しっかりしていたんだけれども、昨年の夏の終わりころから急激に認知症の症状が顕著になり年末の介護認定の更新では要介護4ということになった。

 母が認知症と診断されたのはもう十年くらい前になるが、その時に当時通っていた大学院の精神医療の授業で教わっていた医師にそのことを相談したら、認知症を治す薬も予防する薬もまだないが、唯一症状の悪化を緩やかにする薬があるので服用した方が良いというアドバイスをもらった。

 かかりつけの精神科医に処方してもらって、幸いその薬が母にあったのか副作用はみられなかったので(叔母は一度その薬を試したがむくみの副作用がひどく止めたのだということを聞いていたので心配だったが…)以来ずっと続けていた。そのお蔭かその時々で状態に波はあるものの何とかやってこられた。もちろんその間にも、この前まではアレはできたのに最近は出来なくなったなどというものが徐々に増えていった。最初に俳句ができなくなって、それから新聞が読めなくなって、とうとう字を書いたりメモもとれなくなった。

 今は調子がいい時はぼくやカミさんのことは分かるけれど、そうでない時は話しかけても中々反応しなくなった。車椅子の生活なので足のむくみが気になってマッサージしてあげるのだけれどいつもの「ああ~、いい気持ち」という声も聞かれなくなったし、頸のマッサージをするために後ろに回るとほんとに背中が小さくなった。

 ここのところ二、三日日差しの暖かい日が続いたので近くのお寺に散歩につれて行ったのだけれど、周りに関心がなく早く帰りたがるようになった。以前は口癖のようだった、どこが痛いとかもう生きてるのが嫌になったとかは言わなくなったけれど、そうなると、そんな泣き言、繰り言でもいいから言ってもらいたいという気にもなってくる。車いすを押しながら、これから益々母の背中は小さくなっていくんだろうなぁと想った。気が付けば自分ももう身体の無理の利かない老いの中にいる。今は寄り添うことくらいしかやってやれない。

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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その25~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その25~

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 ■ 長いこと一緒に暮らしていると、犬は飼い主の言うことが分かるようになってくる。猫は長いこと一緒に暮らしていると猫の言うことを飼い主が分かるようになってくる。 (gillman)



  今回は古今の著名人が残したちゃんとしたアフォリズムじゃなくて恐縮なのだけれど、これは今まで犬や猫と暮らしてきたぼくの実感なのだ。犬と猫を比べるアフォリズムは多いけど、その大半はどちらかというと猫に分があるようだ。それは文学者などに猫好きが多いということもあるかもしれないけれど、猫の方が野生が残っているので人間にとっては、特に詮索好きの人間にとっては謎解きのような楽しみがあり魅力的に映るのかもしれない。

 いずれにしても、猫も犬も人類が同じ空間で同じ時間を過ごしてきた親しい存在であることに変わりはない。それだけに、その違いに目が行くのかもしれないけど…。その一番大きな違いはコミュニケーションのスタイルの違いがあるかもしれない。犬は常に飼い主とコミュニケーションを取りたいと思っているし、一方猫は自分の必要な時にのみ自分の欲求をわかってもらいたいという傾向がありそうだ。

 どうも、その傾向が飼い主の性向にも表れる、というよりそういう性向が犬か猫を選ばせるのかもしれないが…。いずれにしてもテイストが微妙に異なる。誤解を恐れずに端的にいうなら「犬は教える喜び、猫は学ぶ喜び」みたいな感じがありはしないか。最近は猫を飼っているから、どうも猫の言うことをきいてその通りにしていることに喜びを感じている自分がいたりして何とも不可解千万である。

 最近はモモがマッサージを覚えて、寝る前にベッドの上でぼくのお腹をひとしきりマッサージしないと気が済まない。マッサージといったって、もちろんあの猫特有のモミモミ運動なのだけれど、体重をかけて揉まれるとそれはそれでマッサージっぽくなるのだ。で、暫くたって気が済むと解放してくれるのだけれど、途中で起き上がったりするととにかく怒る。その様子を傍らでレオは冷ややかな目で見ている。両方猫なのに。わからんっ。あ、そういえば、こういうアフォリズムもあったなぁ。


 ■猫とは、解答のないパズルである。(ハーゼル・ニコルソン)
 A cat is a puzzle for which there is no solution. (Hazel Nicholson)



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ヒッチコック再会 [Retro-Kino]

ヒッチコック再会

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 ■ サスペンスとはなにか

 …わたしにとっては、ミステリーがサスペンスであることはめったにない。例えば、謎解きにはサスペンスなどまったくない。一種の知的なパズル・ゲームに過ぎない。謎解きはある種の好奇心を強く誘発するが、そこにはエモーションが欠けている。しかるに、エモーションこそサスペンスの基本的な要素だ。…
 (「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」より)



 この間新百合ヶ丘の劇場で映画「ヒッチコック/トリュフォー」を観たら、またヒッチコックの映画を観なおしたくなった。川崎市アートセンター内にあるアルテリオ映像館は家からは遠いのだけれど、そこは有楽町のヒューマントラストシネマと並んで大手シネコンでは扱わないような映画が上映されることが多いので、新宿や銀座にでた時は時間が合えば行くようにしている。

 アルテリオ映像館は座席数も100席ちょっとと小規模でスクリーンもそれなりに小さいのだけれど、それはあまり気にはならない。映画「ヒッチコック/トリュフォー」は1962年にトリュフォーが敬愛するヒッチコックに一週間にわたってインタビューしたものを1966年にHitchcock/Truffaut (アメリカ)、Le Cinéma selon Alfred Hitchcock(フランス)というタイトルでフランス、アメリカで同時出版されたのだが、その時の音源をもとに最近ドキュメンタリー映画として制作されたものだ。

 本の方は1981年には日本でも「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」というタイトルで出版されたのだが、ぼくは'90年頃に改訂版が出たのを機に買って、もう25年以上経っているが今でも折に触れ読んでいる。(最近また復刻版で出版されたらしい) それはぼくの映画の教科書のようなもので、映画におけるいわば文法とも言える要素がヒッチコックの作品の豊富なカット割写真で実例をあげて示されている。

 ヒッチコックは生涯に57本の映画を制作した。そのうち1本は現存していないので観られないけど、他は一応すべて観たし今も手元にもある。昔苦労して彼の作品のビデオテープを集めたのだけれど、DVDの時代になって画質も向上したのでVTRの方は処分してDVDで再度集めなおしたが、彼のロンドン時代の古い作品などはネットでも観られるようになった。

 ヒッチコックのドイツ表現主義からスタートしたドイツ時代(助監督作品がある)、ロンドン時代そしてアメリカ時代と順を追って作品を観てゆくと、正に映画の歴史を垣間見ることができる。もちろん彼の映画はサスペンスという言わば限られた範囲での映画の分野であることは間違いないのだけれど、楽しさやハラハラ、ドキドキを創り出しているその根底をなしている映画文法のようなものは映画界全般への遺産となっていると思う。

 そこら辺をこのドキュメンタリー映画の中ではマーチン・スコセッシピーター・ボグダノヴィッチを始め多くの監督が証言している。これを機会にやはり二十年以上前に買った植草甚一の「ヒッチコック万歳」や、つい最近刊行された「映画術…」の翻訳も手がけた山田宏一の「ヒッチコック映画読本」も読んでみよう。CGを駆使した最近のSFスペクタクルやアクション映画にちょっと食傷気味の感がある向きは、そんなヒッチの作品を観なおしてみると意外と新鮮に感じるかもしれない。



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 *植草甚一の「ヒッチコック万歳」の初版が出たのは1976年9月だから、その時点ではまだ日本語版の「映画術…」は出版されていなかったと思うのだけれど、彼の本にはヒッチコックとトリュフォーなどのヌーベルバーグの監督たちとの関係がちゃんと書かれている。

 植草のことだから当然その時点で英語版の「映画術…」は読んでいたのだと思うけれど、すごいなぁと…。彼の書くヒッチコック映画の内容だって、今のようにDVDやPCの動画でシーンを確認することなんて簡単にはできないのに、重要なシーンはちゃんと脳裏に焼き付いている。う~ん…。これも今でもヒッチコック映画の素晴らしいもう一つの教科書だと思います。

 **あ、それからヒッチコックの評価の位置を今のようなものにしたのは、やはりトリュフォーの功績だということを忘れてはいけないなぁ。それにしても彼の死が早すぎたのが何とも残念です。


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伊豆下田へ [新隠居主義]

伊豆下田へ

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 去年の年末からぼくが嗅覚の手術をしたり、その後も嗅覚が戻らなかったり、母の状態がよくなかったりでストレスと疲れがたまっていたのだけれど、そんな状態をみてか有難いことに友人が伊豆下田への一泊旅行に誘ってくれた。

 ゆったりと行こうということで車ではなくて東京駅から踊り子号に乗ってゆくことにした。そういえば最近国内で列車で旅したことは余りないなぁ。会社にいる時は毎月のように各地への出張があったけれど、辞めてからは旅行と言えば飛行機か車が多かった。東京駅から伊豆急下田駅まで旅というには短く、乗ってしまえばほんの数時間だけれども、それはそれでとても楽しかった。

 伊豆半島に来るのは本当に久しぶりだった。高校や大学の頃は一人でテントを担いで西伊豆の松崎あたりをうろうろしていたこともあるけど、大人になってからはこっちの方面にはとんとご無沙汰になってしまった。伊豆急下田の駅前は昔と殆ど変らない感じだったけど、町並みはだいぶ変わっていた。

 駅から海の方へ少し行くと、平滑川沿いになまこ壁の古民家や古い街並みが続いていてペリーロードという名前までついていた。それらの家はカフェやレストランになっていてシーズンには観光客でにぎわうようだ。漁港の前には道の駅もできている。昔は干物屋と唐人お吉くらいのイメージしかなかったのだけれど…。


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 ホテルは海に面した素晴らしい立地に建っていた。部屋は東側にあり、明け方には海の日の出が眺められる。生憎寝坊して日の出の瞬間は見逃してしまったけれど、それでも充分神々しい海の曙を拝むことができた。金色の雲から光芒が差し込み、その光は海の上に浮かぶ利島(としま)の上に降り注いでいた。黄金の希望の朝。少し気持ちが軽くなったような気がした…。
 

 ■ 明るさは 海よりのもの 野水仙 (稲畑汀子)


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  *翌日は「水仙まつり」の行われている爪木崎に行きました。海岸には一面の水仙の花が咲いており、そこには同時に真っ赤なアロエの花も咲いていました。白い水仙の花との対比が美しかったです。日差しは春の温かさを予感させるものでしたが、河津の桜はまだのようでした。


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もうすぐ… [gillman*s park 17]

もうすぐ…

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 昔は冬も嫌いじゃなかった。お気に入りのコートのポケットに両手を突っ込んで寒風吹きすさぶ街を歩くのはそれなりに楽しかったし、小休止に入った喫茶店のコーヒーのほっとする温かさとの落差も生きている実感に繋がっていた。

 ところが歳をとるにつれて、もちろんその間に頸の手術をしたことが一因なのだけれど、情けないことに冬はただただ寒いことによる頸周りの筋肉の硬化と痛みが気になって冬を楽しむ余裕がなくなってきた。北国の人から見れば東京の冬など何ということはないのだろうが…。

 今となってはつらい季節となってしまった冬にも、今でも変わらない好きなものがある。それはどの地域にも当てはまるものではないかもしれないけれど、ぼくにとっては冬におけるかけがえのない喜びなのだが。一つは晴れた冬の日の東京の青空。

 天気が良くちょっと風のある冬の日の東京の空は驚くほど青い。白い雲が少しあって、それがなおさら空の青さを強調しているようでまた好い。近くの公園の小高い丘の中腹から空を背景にした丘の上を見上げると、一枚の絵のようになる。それは毎日眺めても、いつまで眺めていても飽きることがない。

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 冬の日のもう一つの楽しみは、部屋の中に差し込む柔らかで暖かな日の光だ。ブラインドの間をすり抜けて二階の部屋に差し込む冬の日の光は、時間の経過とともに部屋の奥にまで差し込んでゆく。冬の日の光は、それ自体にほのかな温かさが感じられ光が当たっている所に触ってみると実際に温度を感じるし、その温かさは目でも感じられる。

 以前飼っていた白猫のタマもそうだったのだけれど、最初出窓で寝ていた猫たちは部屋に差し込む光が時間とともに部屋の奥に移動するにつれて、自分たちも移動してゆく。夕方になると部屋の一番奥のふすまのところに張り付くように座っている。なんとものんびりとした、冬のほほえましい光景だ。でも、本音を言えば早く温かくなってほしい。それも、もうすぐ…か。


 ■ 大寒の 馬鹿晴れにして 山へ鳥 (岸田稚魚)

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トーハク散歩 [新隠居主義]

トーハク散歩

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 去年の年末に入院して以来めっきり脚腰が弱くなった感じだ。十日位の入院だからどうってことは無いはずなのだが、そのくらいの期間でもやっぱりベッドに寝ているというのは全体的に体力が落ちるものなんだろう。というわけで最近はできるだけ意識して歩くようにしている。

 と言ってもただ歩くだけでは面白くないからできるだけ美術館など趣味を兼ねた処をふらつきたいのだけれど、そうそう美術展ばかり行っていても金もかかるし…と思っていたところ昔の学生時代のことを思い出した。大学の頃ちょうど学生運動真っ最中の時で休講や授業があってもセクトが乱入してきて急きょ追求集会に変えられたり、ついにはロックアウトになるなど、ノンポリ(学生運動に参加していない学生は当時そう呼ばれていた)のぼくにはポッカリと時間が空くことが多かった。

 そんな時は大抵上野の国立西洋美術館(セイビ)か東京国立博物館(トーハク)で時間をつぶしていた。当時は西洋美術館の二階のテラスと国立博物館の正面のユリノキの大木の下がぼくの恰好の読書&昼寝場所だったと記憶している。当時としては常設展の入場料位の金額で一日ゆったりと過ごせる場所はなかった。今ならマンガ喫茶とかネットカフェとかゲームセンターとか色々とあるのだろうけれど、生憎というか幸いと言おうかそんなものはまだ無かった。まぁ少しお金がある時にはジャズ喫茶位だったかもしれない。ぼくの大学時代には周りには当時盛んだった麻雀をやる友人も居なかったから、それに時間を食われることもなかった。

 話を今に戻すと、そんな昔のことを想い出して上野の美術館界隈を散歩コースにしようと思い立ったのだけれど、それを後押ししてくれるようなことがあった。今は特別展も入れる年間パスを持っているのだけれど、昨日行ってみたら常設展ならば70歳以上はいつでもフリーで入れることが分かった。西洋美術館は65歳以上が無料なのでこの二館だけでも十分すぎる散歩コースが組めるわけだ。

 ぼくの場合、たいてい日暮里駅から谷中を抜けて藝大の横を通って上野公園に入るので距離的にもちょうどいい感じがする。さらにはこの二館とも基本的には常設展示物の写真撮影はオーケーなのでその意味でもこれから楽しみが増えたような気がする。昨日は早速正月特別公開の長谷川等伯松林図屏風にお目にかかった。これから散歩がてら自分なりに美術の勉強もさせてもらおうと思っている。


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美:事始め「快楽の館」 [新隠居主義]

美:事始め「快楽の館」

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  篠山紀信「快楽の館」
  原美術館

 年末に行けなかった原美術館へ。あと三日で終わりの篠山紀信快楽の館」展にゆく。去年は日本美術を見ようと年初に決めていたけれど、今年は出来るだけ写真を観ようと決めたので新年最初の美術館展も写真展にした。

  原美術館の室内のフルヌードの作品の他にも、外にも何枚かの写真が貼られている。室内に展示されているのは全てヌード写真だけれど(室内は撮影禁止)、戸外の写真はさすがに敷地内とは言え下着姿のモデルになっている。「快楽の館」展のモデルは壇蜜やAVでお馴染みの紗倉まなや三上悠亜など大量のモデル陣(30名程)で中にはポールダンサーの人も居るらしい。

  写真は額に入っている形ではなく、殆どは等身大の大きな写真が壁面に直接貼られていた。写真の撮影場所は全てこの美術館の中。展覧会ではぼくも好きな原美術館の建物の趣とあいまって楽しめたし、それなりの雰囲気は醸し出しているけど、ぼくの印象では2009年に原紗央莉をモデルに起用した「20XX TOKYO」のあの鮮烈さには及ばないと思った。

  しかしそれは戸外のヌード写真撮影ということで篠山紀信と原紗央莉は警視庁に書類送検され写真集は闇に葬られた。そこに収められていた真夜中の大都会の暗闇に放出された女レプリカントのようなあの写真は、篠山紀信を次のステップへと導くはずのものだったとぼくは思っている。「20XX TOKYO」の写真集自体は持っていないけれど、摘発される前に某有名カメラ雑誌が巻頭特集を組んだ時のモノを持っている。その写真集自体が見られないのが、なんとも残念だなぁ。

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(cam:iPhone6)

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謹賀新年 [新隠居主義]

謹賀新年

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 新年明けまして、おめでとうございます。

 禽息

 
禽息(きんそくちょうし)とは大志を持たずに徒に齢を重ねることですが、まさにその通りにぼくもとうとう今年は古稀を迎えることになってしまいました。昨年は体調も万全ではなく年末に入院・手術ということに…。母も今年で97歳になり、老老介護の身では先々が心配ではあります。

 一方では折しも世界はまさに大きな変動期に入った感があり、老骨に鞭打っても家族のために何とか生き残っていかねばならないとも思っていますが…。賀状でのこの「感字誤変換」も始めてから20年余になりました。正しい字を予想してみてください。初笑いになれば幸甚です。                   
                                              平成二十九年元旦

 今年の誤変換はじめ…

 ヒラリーの「隊長不良」とか「鳥獣用メール」が暴露されて「カナリヤ売店会」になったと思ったら「ナイス害」とはとても言えないトランプが…。これから世界の変化は「禿思想」だ。昨日の「商社」は今日の「廃車」。「歯医者」は「猿のみ」か、もう「ハム買う気にも」ならないのか。これからは「鯖威張る」時代だ。

 「施錠」不安な「盗難アジア」も心配だし。「アメリカ国暴走ショウ」も「来た挑戦」で頭も痛い。テロの横行で「貝が胃に棲む」日本人も気が気でない。何か「シチューカツを求める」方法は無いものか。「損な子といわれても」今更「マニア湾」。一人一人が「胃まで切ることをする」ことしかないのか。「アーメン独裁」世の中になったなぁ。でも、「妄想言う時代でしょ


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 *パソコンの漢字変換でおかしな間違いが出てきたのがきっかけで、この「感字誤変換」の年賀状を20数年続けてきました。しかし最近では賀状以外にもメールやSNS、ブログなどコミュニケーションの手段も選択肢が増え、古希を節目にそろそろ賀状も見直そうかと思っている今日この頃です。新年早々このような駄文で、孟子は毛ありません。

 本年も拙ブログをよろしくお願い申し上げます。



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すみだ北斎美術館 [下町の時間]

すみだ北斎美術館

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 両国の「すみだ北斎美術館」がオープンした。いろいろ紆余曲折があってやっと今年の11月の下旬にオープンしたので早く行きたかったのだけれど、入院などで中々行けなかったが何とか年内に行くことができた。

 美術館は葛飾北斎が住んでいた界隈である両国亀沢に作られたのだけれど、実はぼくも50年以上前に中学生の頃この美術館と通りを隔てた向かい側に住んでいたことがある。祖母と叔父夫婦が暮らす家が当時そこにあって、ぼくはそこにいっ時居候して両国中学に通っていた。

 久しぶりに訪れてその界隈を歩いてみると当たり前だがすっかり変わってしまった。50年も経てばそりゃ変わるわなぁ。子供の頃はやたらと広く感じられた通りも、今ではどこにでもある普通の広さの通りに感じられる。今は江戸東京博物館になっているが昔は青物市場のやっちゃ場だった場所から真っ直ぐ東に延びるその通りも今は「北斎通り」という名前になっているらしい。

 その頃は美術館の場所は公園だったと思う。学校の帰りによく遊びに行った所だ。今でも敷地の手前は公園になっているらしくいくつかの遊具もあった。その向こうに銀色に輝く独特のフォルムをした建物が建っているが、それが「すみだ北斎美術館」だった。

 建物の設計は妹島和世(せじま かずよ)氏である。妹島和世氏は西沢立衛氏と「SANAA」というユニットを組んで国内外の革新的な建築物を手がけており、「金沢21世紀美術館」やニューヨークの「新現代美術館」などに続く美術館建築としてルーブル美術館の別館である「ルーブル・ランス」の設計も手掛けている。

 美術館は建物の威容の割には建物自体は決して大きくは無い。というよりは美術館としての展示スペースは至極狭い部類に入ると思うが、区立という運営母体を考慮すれば北斎という単一のアーチスト専門の美術館としては十分かもしれないが…。

 展示スペースは3階と4階で、その日は常設展とオープン記念の「北斎の帰還展」が開催されていた。オープン後まだ日も浅いこともあってか、かなり混んでいた。1階と3.4階の展示階までは小さなエレベーター2基のみで階段では往き来出来ないので観客が多いと移動が大変という印象を持った。

 展示スペースの規模からいうと山種美術館や大田美術館クラスだと思うけど、そうなると美術館として生き残ってゆくためには今後のキュレーションが大事になると思う。常設展部分を見た限りではリピートさせるだけのインパクトのある展示にはまだなりきっていない感じがするのだけど、これからまだまだ改善されてゆくと思う。

 所蔵作品の内容はまだ詳しく分からないがモース・コレクションが中心だということなので、是非興味ある展示を今後も展開していって欲しいと思う。初代館長は、なんとぼくの母校の両国中学の前校長だった菊田寛氏だ。菊田氏はもとは美術教師だったということで美術には造詣は深いと思うので是非頑張ってもらいたい。

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 *色々とご心配をおかけしましたが、なんとか退院いたしました。手術からまもなく半月程経とうとしていますが、今のところまだ嗅覚が戻る気配はありません。医者の話では場合によってはひと月くらいかかることもあるそうですが、段々医者が手術前に言っていた「匂いについてはダメもとで…」という言葉が頭の中を駆け巡っています。

 **母校の中学校は江戸東京博物館の隣にあるんですが、昔はそこがやっちゃ場で塀一つを隔てた隣が母校の体育館でした。ぼくは剣道部だったので夏の暑中稽古の時など、稽古が終わるとやっちゃ場の人が塀越しにスイカを差し入れてくれたことなど、懐かしく思い出してしまいました。



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病棟の夜 [新隠居主義]

病棟の夜

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 病棟の夜は長い。
 病棟の夜はほんとうに長い…。

 痛みで眠れない夜など、病棟の夜はとてつもなく長く感じる。何度もトイレに起きてシンとした廊下をつたってベッドに戻るのだけれど、朝はいつまで経ってもやってこない。

  眠れない夜、脳裏に浮かんでくるのは、なぜか楽しい事ではなく悔しいこと、辛いこと、不安なことなど等。まるで自分の人生に楽しいことなど無かったみたいに…。

 2009年にやはり手術でこの病院に入院した時もそうだったことを思い出した。その晩眠れないベッドの中で思い起こしていたのは一人の友の事だった。その一番の親友のTを最後に見送ったのもこの病棟のエレベーターだった。もうあれから16年も経ったんだ。

  その晩、ぼくは眠れないままにフラフラとエレベーターホールまで歩いて行った。あの日、このエレベーターの扉の向こうに消えて行った友の表情を未だに思い出すことができない。今生の別れだったのにその表情を思い出せないことがずっとぼくの胸に引っかかっている。

  痛みで眠れない夜の鎮静剤は劇的だ。ようやく薬が効き始めた真夜中の静謐な病棟の廊下。暗闇の中に生命(いのち)を示す光がもれて、どこかエドワード・ホッパーの絵のようで美しいなと思った。悲しみとか、苦しみとかの中にも美しさのようなものが見えるのだ…鎮静剤があれば。


 
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香り無き世界 [新隠居主義]

香り無き世界
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 ■ …味覚と嗅覚には無数の段階があります。記憶、経験、主観、偏見、演出、無数の要素によって好悪が一瞬に決定されます。 (開高健 「白いページⅡ」)



 手術から数日経って、今度は手術後のもう一つの山場である。手術の際に止血のために鼻の奥に詰められていた大量のガーゼを取り出すのだけれど、前回の手術の時はこの作業がとても辛かったのを覚えている。ピンセットでガーゼの端を挟んでもちろん少しづつ取り出すのだけれど、癒着している部分もあって何度も痛い思いをした。

 しかし、今回は休憩をはさみながら三回に分けて慎重に作業をしてくれたので恐れていたほどのことは無く一安心。ガーゼを全部取り除いた時点で医師が何やら蓋のあいたビンをぼくの鼻先に近づけて「これ匂いますか?」と聞いた。まったく何の匂いも感じられないので「いいえ、全然」というと分かりましたと言ってビンを戻して、ぼくの両方の鼻の穴に綿球を詰めた。

 「この時点で匂いが感じられることもあるので…、まぁ、一か月くらいかかることもありますから」 あれ、前は一か月から長くて三か月と言っていたような気がするんだけど。縮まったかな。医者にしてみれば、手術前に匂いはダメ元と思ってください、と保険を掛けてあるから…そう、悲壮なニュアンスは無かったけれど…。

 というわけで、手術後に高熱が続いたことはあったが何とか退院して、それでもまだ鼻の孔は綿球でふさがれている。来週外来で診てもらった時に調子が良ければ、この綿球は取れるはずだ。なにしろ鼻で呼吸できないので苦しいうえに両方の鼻の穴に白い綿球が詰まっているのが傍から見てもよくわかるので、なんか鼻血を出した小学生みたいで、みっともなくてマスクをしないと外出もできない。



 以前、匂いが全く分からない状態を「モノクロの世界のようで現実感が無い」と表現したけれど、開高健のエッセイを読んでいて嗅覚は実は好悪などの直観的できわめてパーソナルな感性を担っていることに気が付いた。視覚や聴覚は感覚器の中でも言わば、あくまでも相対的だがどちらかといえば客観的にものを捉える特質を持っている。

  それに対して味覚や嗅覚は客観的な感覚というよりどちらかといえば人間の「生理」に近いような気がする。記憶や経験や嗜好、それこそ偏見まで含めて自分の生きてきた時間枠の中で蓄積された極めてパーソナルな部分が露出してくる。視覚や聴覚には「傍観」とか「傍聴」などいわば客観的スタンスで受容することを表す言葉があるのに対し、「傍嗅」などという言葉は無い。

 それじゃあ、主に視覚と聴覚に頼っている今のような状態は、主観的でパーソナルな嗅覚や味覚に邪魔されないのでものを以前よりも客観的に捉えられているかというと、ぼくの場合客観性の方に傾くのではなくて、非現実感の方に大きく振れてしまっているようなのだ。考えてみれば通常、現実というのは誰にとっても一律に同じなわけではなくて、それは常に自己というフィルターを通しての認識なので、一種の自己フィルター装置である嗅覚がなくなれば、それにつれて現実感も無くなるのは当たり前といえば当たり前であるかもしれない。

 学問的には良くよからないけれど、ぼくらが日々体験している「現実感」というヤツは実は嗅覚や味覚というエゴがフル回転している生理的な感覚があって、その上に視覚や聴覚のより客観的な感覚が乗っかって初めてちゃんと成立するのではないかと感じている。これは旅をしてみると実によくわかる。新しい土地に着くとまず鋭敏に働き出すのは嗅覚であり、味覚である。逆に言えばこれが働かないと旅をしている実感も薄れてくるのだ。なんとか…ならないかなぁ。
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 *入院中暇なのでネットで調べていたら、嗅覚はゼロになっても障害には認定されないようです。客観的な測定方法の問題もあるのかもしれないけれど、調香師やソムリエならずとも料理人や食品関係やある種の工事関係など職業自体が困難になることもあると思うんですが…。それでなくてもぼくもペンキ塗やボンベのガス漏れでも怖い思いをしたこともあります。嗅覚がゼロになるということは、単に生活が味気なくなるとか、リスクを察知しにくくなるということだけではなくて、日常生活の中で現実感をも喪失したストレスに晒されているのだということは、中々理解してもらえないようです。

  **嗅覚がゼロになると、実は味覚の方も感覚的には半分位になってしまう感じです。モノを食べ、咀嚼している時に口腔の中から鼻腔に上がって来る香りを潤沢に含んだ空気は言わば味覚の一部のようなもので、それが一切感じられないというのが味覚を鈍くする一因でもあります。



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眠り Der Schlaf [新隠居主義]

眠り Der Schlaf

 
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おお 、人間よ! しかと聞け !
深い真夜中は何を語るか?
「わたしは眠りに眠り- 、
深い夢から 、いま目がさめた 、-
この世は深い 、
 『昼 』が考えたよりもさらに深い 。
この世の嘆きは深い-
しかしよろこびは - 断腸の悲しみよりも深い 。
嘆きの声は言う 、 『終わってくれ ! 』と 。
しかし 、すべてのよろこびは永遠を欲してやまぬ - 、
深い 、深い永遠を欲してやまぬ!」

O Mensch! Gib acht!
Was spricht die tiefe Mitternacht?
≫Ich schlief, ich schlief -,
Aus tiefem Traum bin ich erwacht:-
Die Welt ist tief,
Und tiefer als der Tag gedacht.
Tief ist ihr Weh-,
Lust-tiefer noch als Herzeleid:
Weh spricht: Vergeh!
Doch alle Lust will Ewigkeit-,
-will tiefe, tiefe Ewigkeit!≪

(ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』第四部「酔歌」より/氷上英廣訳)


 
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  このフリードリヒ・ニーチェの詩はツァラトゥストラの最終部分に出て来るのだけれど、マーラーの第三交響曲第4楽章のところでも歌曲としてアルトで歌われておりぼくの好きな曲でもある。

  実は一週間ほど前から入院して嗅覚の手術を受けている。この病院で手術を受けるのは頸の手術以来今回で4度目になるのだけれど、手術の際に全身麻酔を体験するたびに奇妙な感覚に襲われる。

  手術で顔がパンパンに腫れたお見苦しい写真は手術直後、病室に戻って来た時のスマホでの自撮り写真なのだが、この時はまだ少し意識が朦朧としている。頭の中には手術台に乗った時までのことしか残っていないのだ。

  全身麻酔は当たり前のことだけれど決して睡眠ではない。その間のことは恐らく記憶のどこにも残っておらず、それは敢えて言えば一時的な死という感じだ。麻酔から醒めた時、頭脳は一生懸命その空白を埋めようとあがくのだけれど、それは無駄な努力に終わる。

  ぼくは風邪をひいた時や、疲れ過ぎた時には食事も取らずに18時間くらい爆睡することがあるのだけれど、少なくともその時には睡眠の自覚もあるし、ぼくの場合その間に見た夢も大方覚えていることが多い。

  全身麻酔が痛みも感じず天国での死のようだとすれば、その覚醒後にやって来る間断無い痛みと、それを抑制するために投与される鎮静剤によってもたらされる眠りは、今度は現世の悪夢のような眠りかも知れない。

  ぼくの場合今回それは睡眠というより、うなされるという時間の連続でその間ぼくは何故か大学院の日本語教育の修論の資料が見つからずにずっと探し続けるという無限循環と、高速道路を逆走するというこれまた無限に続くループにはまっていた。

  ニーチェはツァラトゥストラの中で他所でも眠りについて書いている。云く…

  …睡眠をうやまい 、畏れるがいい !これが第一のことである 。そして 、よく眠れない 、夜なかに目をさましている者とつきあうな !

  盗人でさえも人の眠りをさまたげることを恥じている 。夜中に 、盗人は足を忍ばせて歩く 。
  しかし夜番は恥知らずだ 。恥知らずにも 、その角笛をふきまわる 。

  眠ることは 、決して容易なわざではない 。そのためには 、なにしろ一日じゅう起きていなければならない。…
  (ニーチェ同著、徳の講壇より/氷上英廣訳)

  まあここら辺は、ニーチェが「眠り」の名を借りて、先人の大哲学者ヘーゲルを揶揄してるようにも取れるのだけれど…。そんな哲学的な意味でなくとも、入院するような状況に置かれると如何に健全な眠りが大事で貴重なものか実感させられるのだ。


 
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  *再手術なのでちょっと手間どったようですが、匂いが戻るかは微妙です。医者からは匂いはダメもとと思ってくれと言われてますから。
  ぼくとしては、手術前に麻酔医が最後にさらっと言った言葉の方がショックでした。「あ、それから手術中に付ける人工呼吸器のテープが外れると命に関わりますからお髭は全部剃っておいてくださいね」え? 考えていなかった。前回は言われなかったのに…。
  術後、ちょっと高熱が続いてるので感染症の心配もあり、退院はもう少し後になりそうです。

  **この病院での手術はこれで4度目ですが、いつも入院するたびに感謝です。もちろん看護師さんや医師への感謝もあるけど、それ以上に食べられたり、歩けたり、笑えたり、匂いがかげる等、あたり前の日常がいかに得難く、そしてありがたいかに感謝です。
  今回の手術は再手術なので、骨が(頭蓋骨の一部)前回の手術で弱っており今回の手術中に折れる恐れがある、その時は血液成分でできた糊(生物学的組織接着剤というらしいです)を使いながら成形するといわれています。すごいなぁ。もうすぐ97歳になる母より先に逝くわけにはいかないので頑張ります。


 

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静謐な生活 [gillman*s park 16]

静謐な生活

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 近くの公園はすっかり秋のたたずまいに変わってしまっていた。そういえばここの所ゆったりとした気持で散歩していないことに気づいた。歩くだけの目的でそそくさと、カメラで写真を撮ることもなく。今日だってiPhoneで撮っている。知らぬ間に余裕が無くなってしまっていたのかもしれない。

 若いころ一時(いっとき)、役所の戸籍係のような生活に憧れたことがあった。こう言うと実際の戸籍係の人にふざけるな現実はそんな甘いもんじゃない、ときっと叱られると思うが、あくまでも腕にあの袖カバーをまいたような象徴的な意味での「戸籍係」であって…。何はともあれ、転勤もなく勤務先も近く定時に帰れルーチンワークをこなして帰宅すれば自分の自由な時間が待っている。若いのに怠け者とか無気力者と言われればそれまでだが、基本は静かな生活、そんな生活に憧れた時期があった。

 これはカフカの小説の影響もあったと思うけれど、多くはお袋の影響だと思う。親父は菓子の職人で小さな工場を経営していたから、両親は四六時中仕事のことや金の心配で気の休まることがなかったし、いわば二十四時間臨戦態勢の生活だった。夜なべで夜遅くまで工場で仕事をしている、そんな時のお袋の口癖が「お勤めさんはいいねぇ」だった。

 親父は職人気質だったから、どちらかと言えば仕事をやっていればそれで良かったみたいだが、お袋の方は浮き沈みの多い生活や将来のことを気に病んでいた。「お勤めさんは、月末になればきちっ、きちっと入るものが入ってくるし、家に帰ればそれはもう自分だけの時間だし、お前達も…」

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 結局、ぼくはお袋が羨んだ「お勤めさん」になったのだけれど、既に時代はお袋なんかが考えていたものとはガラッと変わってしまっていた。時代はモーレツ社員から、企業戦士へと。企業の中で生き残ろうと思ったら自分の時間などはどんどんと削られてゆく。もちろんそれなりの理想は持って働いていたつもりだけれども、それでも心に積もってゆく澱のようなものが残っていった。

 そういう時間に埋もれて「お勤めさん」の幻影はぼくの中でいつしか「静謐な生活」への憧れに変質していった。例えば、エマニュエル・カントのようなシンプルで静謐な生活。カントは毎日きっかり同じ時間に同じ道を散歩していた。彼の散歩の時間を知っていた街の人は、散歩中の彼を見かけると自分の家の時計を合わせたという逸話が残っているほどだ。

 ぼくも仕事を辞めたら形だけでもそんな規則的で静謐な生活ができたら、と密かに思っていた。ところがいざ実際に仕事を辞めてみると憧れていた静謐な生活とはまるでかけ離れた時間が待っていた。お袋の介護のこともあって第二の人生の夢は断念したことはもちろんあるのだけれども、同時に自分の中にある、もしくは長いビジネス生活の中で身に付いてしまったかもしれない「貧乏性」に気づいてしまったのだ。

 時間はあるのに中々じっとしていることができない。いつも年初には規則的で静謐な生活の時間割を作るのだけれども、一日としてその通りに行ったことはない。不測の事態がよく起こることもその一因かもしれないが、予定にはなかったやりたいことが次々と出てきて時間割がすぐ絵に描いた餅になってしまう。憧れていた晴耕雨読の静謐な生活は逃げ水のように遠ざかってゆくけれど、いつかは…という気持ちだけは今でも持っている。


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その24~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その24~

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 ■

 私は自分の家に持っていたい

 わけの分かった一人の妻と

 書物の間を歩きまわる一匹の猫と

 それなしにはどの季節にも

 生きて行けぬほど大切な

 私の友人たちと

  (アポリネエル/堀口大學訳)


 上の言葉は大佛次郎の随筆「猫のいる日々」に出てくるアポリネエルの詩だ。なんとも静謐で良き時代の文化人の理想のような生活にも思える。これはアポリネエルでなくとも、こういう雰囲気の生活に憧れるのは西欧はもちろん昔の中国でも、日本の文人でもあるのではないか。

 もっとも僕なんかの今の生活はそんな静謐さにはほど遠いけれど、妻・書物・猫・友とその要素だけは一応整っている。そればかりか、猫は三匹もいる。まぁ、数の問題じゃないけれども…。感謝しなければならない。

 考えてみたら、その四つは自分が死に物狂いで働いていた時期にもちゃんと自分の身の回りにあったのだ。ただ、それに目を向けてつくづくとその有難味に感謝する気持ちの余裕も、その時間の余裕も無かったのだと思う。

 幸い今はそれに気付き感謝する時間も十分にあるけれど、今度は先に時間がそうは残されていないことに思い至る。時間はできたが、他方で今度は残された時間との戦いが…。と、以前は思っていたけど所詮時間と戦っても勝ち目はないので、今は一日一日を大事にすることに徹するようにしている。

 大佛次郎はこの随筆の中で、自分が臨終の時には猫がそばに居て欲しいと言っている。そればかりか、もしあの世というのがあってそこには猫が居ないのだったら自分の棺桶に入れて欲しいとも。もちろんこれは例えの話だけれど、それ程に猫を好いていたということだろう。

 大佛次郎はあの世に猫を連れて行きたいと言ったけれど、ぼくは自分が先に逝って万一猫だけが残ったらどうしようと心配している。ウチの猫は今、12歳、11歳、9歳だから猫にすれば決して若くはない。人間の平均寿命からすれば普通はこちらの方が長生きするのだろうけど、そこは何とも言えない。

 これからも、猫の居ない生活は想像し難くずっと飼い続けたいと思うのだけれど、万一猫が残った時のことを思うとカミさんともう新しい猫は飼えないかもねぇと話している。身内や周りに引き取って可愛がってくれそうな者がいるなら安心できるのだけれど、残念ながら猫嫌いと猫アレルギーなどで里親候補はみつからない。



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ビーダーマイアー現象 [新隠居主義]

ビーダーマイアー現象

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 ■「会議は踊る。されど進まず」。リーニュ侯爵の名言で知られる一八一五年のウィーン会議は、革命とナポレオンに搔き乱されたヨーロッパの再建策として催された。だが会議を牛耳ったメッテルニッヒは、革命はもちろん、民主的改革を憎み恐れることなはなだしく、王政復古を企み、旧体制、旧秩序の復活と延命にこれ務めて各国市民階級の期待を裏切った。…
   (「愉しいビーダーマイヤー」前川道介/クラテール書房)
 

 今から200年くらい前のオーストリア、ドイツにビーダーマイヤと呼ばれる文化的特徴をもったごく短い時代が存在した。具体的にはメッテルニヒが活躍したウィーン会議(1814年)から1848年革命までの期間となるのだけれど、その最盛期は1830年代までくらいかもしれない。

 ビーダーマイヤーと呼ばれる時期は短いけれど、それは家具や文学、服装や絵画の領域においてビーダーマイヤー様式というスタイルとして残っている。ビーダーマイヤー様式の絵画はベルリンの旧国立美術館やウイーンのオーストリア・ギャラリー(ヴェルヴェデーレ上宮)でも数多く見ることができる。

 実はビーダーマイヤー様式という立派な名前がついているけど、そこには「取るに足らない」とか「小市民的な」とかちょっと侮蔑的なニュアンスが含まれて居る。これはその文化を作り出した時代背景が大きく関わっていると思う。ビーダーマイヤー時代は別の言い方をすれば反動的時代と言ってよく、フランス革命で盛りあっがっていた市民社会の期待が王政復古によって打ち砕かれ人々の政治への希望、関心が薄れていた時代だ。

 人々の関心は日常の身の回りの事物に移っていった。日常的で簡素で小市民的なものに喜びを感じる感性が湧きあっがってきた。もちろんこれを逃避と見ることもできるし、本当の幸せは立身出世や大時代的な英雄譚にあるのではなく、ごくありふれた身の周りにあるのだという、新たな幸福感の成立と見ることもできるかもしれない。ぼく自身はビーダーマイヤーに関心があるし、そのスタイルも嫌いではない。

 あ、これって何か今の状況にすごく似てはなくないか。胸をふくらませて迎えた輝かしいはずの21世紀は、その期待とは裏腹にテロと民族戦争、そして宗教戦争の世紀の様相を呈している。加えてあのアメリカばかりか南の国でも北の国でも反動的で強権的政治指導者が台頭してきている。世界中で反動のマグマが蠢いているようだ。

 毎日そういう情報に触れていると段々と心が重くなって、それが積み重なってストレスを生み出していると自分でも認識できる程になっている。加えてここのところ母の身体の具合もあまりよくなく、かつ自分の体調も手術を前にしてすぐれないのでどうしても気持ち的に落ち込んでしまう。何とか上向かせようとしているのだけれど…。

 そんな時、この間お風呂場の洗面所のタオルを新しく変えて、これってなんか好いなぁ、と思ってどこか少し心が軽くなった。でも次の瞬間、あ、いかん、これは自分の心の中のビーダーマイヤー現象みたいなもんの始まりかもしれない。もちろん、身の周りの細かい事に目を向けてそこにささやかな美や喜びを見出すのは意味のあることだし、それがそもそもぼくがこのブログを始めた端緒でもあるのだけれど…、でもそれが逃げ道になってはいけないなぁ。逃げ道になってはいけない、でも今のほくは日常のいわゆる些細なことこそが人生の実相だと思っていたりもして。


 しかし時代というものは不思議なもので、その中にいるとわからないけれど何年か何十年か経って一定の距離を置いてみると、現像液の中から次第に姿を現す印画紙の映像のようにその姿が立ち上がってくる。何十年か経って振り返って今の時代を見た時、今が第二のビーダーマイヤー時代に見えてくる、ということもあるのかもしれない。

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*この時代の詩人シュティフターは短編集「石さまざま」の序文の中で
次のように延べ、いかに日常的な事象に目を向けることが大切か述べています。

「…雷雨、稲妻、爆発する火山といった壮絶あるいは壮麗な光景より、
風のそよぎ、小川のせせらぎ、緑の草木、空の輝き、
星の輝きのほうが偉大なのてある。
嵐のような現象は特別なもので、過ぎてしまえばどうということはない。
それよりささやかな現象に現れている普遍的な「柔和な法則」を追及してこそ、
初めて真の驚異に対して目が開かれる。…」

ここら辺にもビーダーマイアー時代の価値観が生きているような気がします。


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さよなら人情食堂 [Ansicht Tokio]

さよなら人情食堂

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 以前このブログでも千住のやっちゃばの時にもちょっと触れたこともあるけど、近所の青果市場である北足立市場の場外食堂「佐野新」が残念なことに今月一杯で店を閉めるらしいのだ。北足立市場というのは東京都中央卸売市場の1つで、以前は同じく中央卸売市場の一つである千住市場が手狭になったので昭和54年に青果部を今の場所に移転させたのが始まりだ。千住市場の方は今は水産物専門の市場になっている。

「佐野新」は元々千住市場で商いをしているお店だったが、それを機に北足立市場の方に移って場外食堂を始めたらしい。 その後昭和63年には花卉部門も設けられて北足立市場は本格的な中央卸売市場になった。そこはぼくがいつも散歩に行く舎人公園に隣接する所にあり、直ぐそばなのだけれど中に入ったことはなかった。ぼく自身は市場というか下町の言葉でいうと「やっちゃば」とは縁があって、幼稚園の頃は千住のやっちゃば(千住市場)の裏に住んでいたし、中学は今では江戸東京博物館になってしまっている両国のやっちゃばの隣の両国中学だった。

 ある時、食べ物屋や飲み屋に詳しい友人から北足立市場に場外食堂があるので行ってみないかと誘われた。自分の家のすぐそばなのに知らなかったのだけど…。行ってみると実に気の置けない、暖かい雰囲気のところで食べ物も美味しい。姉弟のごきょうだい(この場合は漢字ではかけないな)でやっていて、話をしているうちにご両人ともぼくの小学校の同窓生で、お姉さんとは幼稚園も同じことが分かった。その時は友人と不届きにも朝からビールを飲んで帰ってきた。野菜も新鮮、魚は千住の市場から仕入れているからこれまたうまい。

 それから何度か訪れて、一度はカミさんと行ったこともある。尤も近くの公園には朝いつも散歩に行くのだけれど、朝から一人で飲みにお店に寄る訳にも行かないのでそう度々行ったわけではないけど…。かといって場外食堂なので昼過ぎには閉めてしまうから、夜飲みに行くということもできない。でも、行くたびに妙に落ち着く。で、先日くだんの友人と久しぶりに訪れたら今月で閉店の話がでて…。

 前からおかみさんからも聞いていたのだけれど、段々とこの北足立市場で食堂を続けていくのが大変になっているらしい。というのも年々この北足立市場の取扱高が減って、活気がなくなっているらしいのだ。その原因は野菜・果物等の取引における大手のスーパーなどの比率が増えるにつれて、中央卸市場で仲卸を通す取引が減っているという現実があるのだ。

 大手のスーパーなどは産地での直取引や農家との契約栽培など仲卸を通さずに殆どの取引をしている。中には開発輸入と称して海外で商品開発をして直に輸入するケースも出ている。市場の活気がなくなれば、自然と食堂に来る人も減り経営的にも苦しくなる。場外売り場の建物の二階が食堂になっているのだけれど、ほとんどがシャッターが閉まっていて、やっているのはほんの数軒になってしまった。時代の流れかもしれないが、何とも寂しい。あのほっこりとしたイワシのフライがもう食べられないかと思うと、胃袋も寂しがっている。

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 *この北足立市場に入ってみると実に広いことがわかります。
敷地面積は61,076㎡で、実は今移転問題で話題になっている
豊洲市場の青果棟の敷地面積が58,000㎡なのと比べても
それより広いことがわかります。
物流上の立地は決して悪くはないので築地移転にからめての
再活用など何か活性化策はないのでしょうか。


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時の滴 [新隠居主義]

時の滴

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 ■ ブドー酒の日々

ブドー酒はねむる。
ねむりにねむる。

一千日がきて去って、
朱夏もまたきて去るけれども、

ブドー酒はねむる。
壜のなかに日のかたち、

年のなかに自分の時代、
もちこたえてねむる。

何のためでもなく、
ローソクとわずかな

われらの日々の食事のためだ。
ハイホー

ブドー酒はねむる。
われらはただ一本空壜をのこすだけ。

  (詩集『食卓一期一会』食卓の物語 / 長田弘)


 酒を「寝かせる」という言い方があるけど、もちろん何でも寝かせれば良いというわけではない。ウイスキーとかワインとか一部の果実酒みたいなのはそれに向いているけど、日本酒やビールは余り寝かせることはしないみたいだ。

 以前ポルトガルの港町ポルトでポルト酒の老舗醸造所Sandemanを訪れたことがある。暗いひんやりとした貯蔵蔵には大樽に詰まった膨大な量のポートワインが寝ていた。寝ていたといっても通常のポートワインはそれほど長く寝かせるものではないらしいのだが。

 その酒蔵の一角に金網で仕切られた区画がありその中にはこれまたおびただしい量のワインボトルが並んでいた。こちらの方はどうやら長い期間寝かせて熟成させるタイプの高級なポートワインが保管されているらしい。

 壜は年代順に並べられているらしく、その一角にぼくの生まれ年である1947年という表示を見つけてなんだか飲んでみたくなってしまった。その時酒蔵を案内してくれていたガイドに「高いんだろうねぇ」と聞くと「ええ、かなりお高いと思いますよ」と素っ気なく言われてしまった。やっぱり高いんだ。

 時は金なり、ということか。しかしまぁ、すべてがアジリティー、つまり俊敏性や即効性が重んじられる現代において、この「眠りは」貴重であり、贅沢でもあるのかもしれない。我が家でもその贅沢を最近発見した。それが写真の果実酒で一番古いものは1990年だからいまから26年前に仕込んだものだ。

 実は数年前に同じころのカリン酒を自分で飲んだり、知人に差し上げたりしたのだけれどそれはもう無いものと思っていた。ところが最近断捨離と称して身の回りのいろいろなところを整理していたら、床下収納と滅多に開けない天袋からまた古いガラス製の大きな壜がでてきた。

 もうすっかり忘れていたけれど、その頃は毎年のようにばあさんカミさんといろいろな果実酒を作っていたなぁ。一番古い1990年カリン酒は叔父の家でなったカリンの実を貰ったものを焼酎につけたものだ。1990年と言えば、ぼくは43歳、ぼあさんだって70歳で今のぼくとほぼ同じ歳だ。

 その年ぼくは会社で長いこと居た企画部門から経営管理部門に移って大きな転機を迎えていた。月並みな表現だけれど死ぬほど忙しくなって家にいることはほとんどなくなった。だからそのカリン酒もぼくは余り手を出していなかったのだと思う。多分カミさんとばあさんで作ったのだろう。

 もう一つの1999年杏子酒の方はほとんど記憶にない。その頃には日本のバブルもはげてぼくは夜も休みもなく走り回っていたころだ。朝は暗いうちに家を出て、帰ってくるのは大体夜中の12時を過ぎてから。心のどこにも果実酒を造る余裕などなかった。でもそんな中でも果実酒は造られて、そしてきっとひっそりと家のどこかにしまわれていたのだろう。

 壜の中にはまだ果実も入っていた。本来はタイミングを見て実を取り出すのだけれどもそれをしていないから、濾してみたけれども微細な澱が残っている。でも、数日壜を静かにしておくと澱が沈んで透明で実にいい色になる。口に含むと微かにえぐみはあるけれど、とても濃厚でまさに「時の滴」の趣がある、と感じた。

 考えてみればその26年間、もちろん時は止まってはいなかった。酒が暗闇の中で過ごした26年間を眠ったと表現してもよいかもしれないけれど、それは停止ではなかった。外界のぼくらの時間は眠ってはいなかった。それどころかそれは激変の時の流れだった。しかし経ってしまえばまるで眠りのようにあっという間だ。

 過ぎ去った時はきっと酒の味に浸み込んでいるはずだ。一方ぼくの過ぎ去った時もぼくの身体に浸み込んでいるのだろうか。尤もそれで好い具合の味になってるかは、傍から見れば酒もぼくも両方とも何とも怪しいものだけれど…。

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 *大きなガラス瓶から果実を取り出して、残った果実酒を濾してそれを何本かのウイスキーの空き瓶に入れました。(ウイスキーの空き瓶はとっておくもんですねぇ) それにパソコンに残っていた以前作ったラベルを貼る。ラベルのQuittenはドイツ語でマルメロのことでアバウトですがカリンに相当するかも。Aprikoseは杏子です。ぼくの飲み方は、果実酒に氷を入れてそこにドライな炭酸を注いで飲みます。

 **長田弘の詩集「食卓一期一会」は好きで最近よく手に取ります。全編食べ物の詩でタイトルを見ているだけでも楽しいです。中は…台所の人々、お茶の時間、食卓の物語、食事の場面の四つの章に分かれています。詩がそのままレシピになっているもの、中には「戦争がくれなかったもの」のような辛辣なものもあります。



..
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天空の美術館 [Ansicht Tokio]

天空の美術館


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 ■…親密で家庭的な主題は、カリエールの作品の中心を占めている。ゴーギャンやムンクの悲惨な自伝が精神分析を背景にした注釈者によって数多く分析されているのに対し、カリエールの伝記を構成している家庭生活のささやかな喜びや苦悩は、分析者達からほとんど重んじられいてない。カリエールの生涯に、目立つ出来事や人目を引く恋愛沙汰はほとんどない。… (「ウジェーヌ・カリエール、現実の幻視者」ロドルフ・ラペッティ)


 先日新宿に出た折、夜の約束の時間までまだ随分と間があるので久しぶりに損保ジャパン日本興亜美術館(長い名前だなぁ)に行ってみることにした。新宿の都庁付近には結構頻繁に来るのだけど、そのすぐ近くのこの美術館にはそう度々くることはなかった。それはひとえにぼくが極度の高所恐怖症ということがあるからなのだけど、なんと言ってもここはビルの42階にあるのだから。

 この時はたっぷりと時間があったことと、その時行われていた展覧会が日本ではあまり知られていないウジェーヌ・カリエールの回顧展だったからだ。展覧会のタイトルは「没後100年 カリエール展 ~セピア色の想い~」。カリエールはこの展覧会のサブタイトルにもなっている「セピア色の想い」ということでもわかるように、セピア色の濃淡で象徴主義的な表現をする絵画で知られている。

 会場には90点近くが展示されていたけれど、ほぼ全ての絵がセピア色のものだ。こういう展覧会も珍しいかもしれない。カリエールの展覧会はたしか2006年位に西洋美術館で友人だったロダンの作品との共同展示の展覧会があって以来だと思う。今回の展示は特にカリエール家の所有ものや個人蔵で彼の家族を描いた絵が中心になっている。人物画はセピア色の霧の中から浮かび上がってくるようだ。

 その日の展覧会はやはり画家が一般的でなかったのか、会場に人はまばらだった。場所的に苦手なだけでこの美術館のキュレーション自体は嫌いではない。今までにも「ユトリロとヴァラドン展」や「セガンティーニ展」など素晴らしい企画もあった。最近はゴッホやモネなどの有名作家の展覧会が目白押しだけれど、日本ではあまり知られていない作家の回顧展などにも取り組んでくれるこういう美術館の存在も忘れてはならないと思う。

 展覧会を見終わって42階のロビーに出ると眼下に夕暮れの新宿の街が広がっていた。高層階の美術展といえば六本木のアークヒルズにある森アーツセンターがここより高い52階にあるけど、向こうは景色を見ようと思ったら美術館とは別に展望台の料金を払わなければならないし、何よりも僕の苦手な足元までの窓ガラスというのが気に食わない。

 そこへゆくと、この美術館の42階のロビーはほとんど人もいないし窓には腰高までの台があるからぼくでも窓に近寄ることができる。何よりも素晴らしいのは、遠くのスカイツリーからすぐそばの新宿御苑の森まで雄大なパノラマが見渡せることだ。刻々と光の色が変わってゆく暮れなずむ新宿の街は実に美しい。いつものカメラを持ってこなかったので恐る恐る窓に近づいて持っていたスマホで撮った。今度はちゃんとカメラを持ってきてみようと思いつつ…。


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晴海客船ターミナル [Ansicht Tokio]

晴海客船ターミナル

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 晴海客船ターミナルは今何かと話題になっている豊洲の新市場の海を挟んで丁度真向かいにある。真ん前にはレインボーブリッジを望む絶好の場所にあるのだけれど、その割にはあまり知られていないのか特別なイベントでも開かれていない限りいつ行ってもすいている。元々の目的である船の発着がどのくらいの頻度であるのか分からないけど、横浜の大桟橋みたいには頻繁にないのかもしれない。

 とはいえ、眺めがいいのでカメラマニアやモデル撮影にはよく利用されているようだ。日曜日に久しぶりにいつもの写真仲間とターミナルで待ち合わせて各々気ままに写真を撮ってから反省会と称して築地の場外で飲み会。で、反省だれれども、いつも横着して三脚はパスするのだが今回はさすがに薄暮から夜景とあって三脚は持参した(しかもミラーレス2台)。でも、また手抜きして軽いヤツを持ってきたのでやっぱりボロが出た。三脚の脚がやわなので微妙にぶれている。その上老眼のせいで焦点が合わせにくい。というわけで「老眼+やわな三脚+不慣れな夜景=ピンボケ写真」という見事な図式が成り立って、一番下の最後の二枚はよくある失敗作例となった(小さなサムネイルの写真)。

 失敗したので悔し紛れに言うのではないのだけれど、本当に撮りたかったのは外のデッキからの夜景ではなくて、大きなガラス空間を持つ待合室からの外の眺めだった。此処に前回来たのは六年位前の初冬だと思うのだが、その時はレインボーブリッジの上に月が出ていてなんとも美しい光景だった。さらにその光景を大きなガラスに囲まれた空間から見るとまるで一幅の絵のようだったのを覚えている。その時は時間切れで撮れなかったので、今回はそこから海を見渡した薄暮と夜景を撮りたかったのだ。薄暮はなんとか撮れたけれど、レインボーブリッジに灯がともるころの光景は残念ながら今度は室内のライトが点いてそれがガラスに映り込んで撮ることができなかった。え~と、今回は取り敢えずロケハンという事にしよう。

 窓越しの夜景を撮るならやはり冬の平日が良いかもしれない。今回は日曜日だったので八時過ぎまで開いているが、平日は五時までなので冬の五時なら橋に灯もともり部屋の明かりが落ちた一瞬を狙えるかもしれない。それに確かクリスマスのイルミネーションが始まると室内のメイン・ライトを落とすからその時もねらい目かも。それまで老眼対策と夜景撮影スキルを磨いておくべきなんだろうが、ぼくのことだから怪しいものだ。撮るたびに嫌になってくるという悪循環からなんとか抜け出さないと…。いずれにしても反省会と称する飲み会の方は何とも楽しい。今回の築地のまぐろもまた格別だった。

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 *晴海客船ターミナルの待合室はガランとしていて、ベンチで寝ている人、ずっと膝の上のパソコンで何かの作業に没頭する人、じっと海を見つめている人、など外とはちょっと違う時間が流れているようでした。
 


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晩酌猫 kuro [猫と暮らせば]

晩酌猫 kuro

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 食事の時には基本的には猫たちを食卓には載せないのだけれど、クロだけは例外でぼくが食事をしながら晩酌をしている脇に控えている。クロは身体が小さいことと、ばあさんの躾でそうなってしまった感がある。食卓の上に居てもさして悪戯はしないのだが、かと言って油断しているとお魚ののったお皿にソーッと手が伸びてきたりする。

 クロは2004年の10月にまだ生まれてひと月も経たないような子猫の時に家の前で倒れていたのをばあさんが保護したのが縁で飼い始めたからもう12歳になる。この間テレビで日本の飼い猫の平均寿命が11歳に伸びたというニュースをやっていたので、クロももう飼い猫の平均寿命を超えたわけだ。

 以前飼っていた白猫のタマは18歳まで生きたからクロもまだまだ頑張ってもらいたいのだけれど、ばあさん猫になったからか、最近とみに人使いがあらく、やきもちやきになってきた。とにかくぼくが家に居る時は一日中後をついて回る。普通猫は余りそういうことはないのだけれど、それにクロだって以前はそうでもなかったのだけれど…。

 一匹だけで飼っている場合はそうでもないのかもしれないけど、三匹もいると独占欲が出てくるのかも。朝も朝食が終わるとなんとかぼくを寝室の方に連れてゆこうとする。とにかく自分の気が済むまで話さない。後ろを振り向き振り向き人を寝室へと誘導する。寝室に入ると自分はさっさとベッドに上がって横になる。これが朝の儀式で、これをしないと一日がはじまらない。

 一事が万事で何かやって欲しいことがあると、ぼくの所に来て鳴く。しらんぷりをしていると、段々大声になる。ぼくが椅子に座っている時は立ち上がってぼくの袖を引っ張る、結局根負けして言う事を聞いてしまうのだ。モモはそういうところが見たくないのか、プイとどこかへ行ってしまう。ここら辺が今の悩みと言えば悩みではあるけど、晩酌猫のクロをはべらせての夕餉のひと時は何ものにも代えがたい時間だ。いつまでも続いてほしいと願っている。


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銀座で偲ぶ… [Ansicht Tokio]

銀座で偲ぶ…

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 土曜日は銀座で大学のゼミの恩師を偲ぶ会を兼ねた同窓会があった。大学を出て今年で40年、その間何年かに一度、教授を招いて同窓会をやっていた。次回の同窓会は教授の米寿のお祝いを兼ねて、と思っていたが昨年米寿を前にして亡くなられた。今回は先生を偲んで…、という趣旨で集まろうと。ずっと幹事をやらせてもらっているけど、40年も経つとやっぱり時の流れを感じる。

 ゼミの卒業生は教授がゼミをやめるまでかなりの数の卒業生がいるのだけれど、どこの同窓会でもそうだと思うが、段々と出席者が減ってくる。今年は80名位いに案内を出して出席が13名。それも多くはゼミ初期のメンバー、ということは皆そこそこいい年齢なのだ。

 会場は銀座の老舗ビアホールのビルのパーティールームにしたので歩行者天国の目抜き通りをぶらつきながら向かった。土曜日という事もあって銀座四丁目付近の通りはなんか祭りのようだった。銀座は昔から一番よく来る繁華街だけれど、最近の変化はめまぐるしい。高級ブランドショップの林立などの変化はぼくなんかは必ずしも好きではないけれど…。

 歩行者天国ではグループでダンスをする若者達がいる。それにこれはいつも見かける光景だけど、あちこちでテレビのインタビューも行われている。Appleストアーの前は新機種iPhone7の発売でごった返している。さすがにもう徹夜組の列はないと思うけど、店内は混雑状態で外国人観光客らしい人たちも興味津々だ。

 四丁目の交差点の角の旧日産ショールームは建て替えられて、今度はNissan Crossingとして生まれ変わった。準備万端整って来週の24日のオープンを前に円筒形のショーケースの中にはおそらく最新の日産の車であろう、車体にカバーをかけられた車がもうスタンバイしている。

 何となく人ごみに酔うような感じで会場に着いた。幹事としては先生を偲ぶ会だし、皆そこそこの歳なので盛り上がるかちょっと心配していたけれど、そんな心配は要らなかった。というよりは元気な人が此処に来ているのだと思った。それは幸いなことだ。



 人生の中では時々似たようなことが続くことがある。次の日の日曜日にも「偲ぶ会」が続いた。大学院時代の恩師の教授が急逝し母校で偲ぶ会が行われた。恩師と言っても10年前にぼくが59歳の年に大学院に入った時の教授だから年齢はぼくより二つか、三つ上くらいなのだ。

 ぼくのことを今までで一番年長の教え子と言っていた。日本語教育の女性教授で商社にお勤めのご主人の関係で、アメリカとスペインの生活が長かったらしい。とにかくパワフルで思い立ったらすぐ行動というタイプ。学生は煽られっぱなしだった。よく授業の始まる前に教室で待っていると廊下からカッカッというヒールの音が響いてくるので先生が来ることが分かった。

 偲ぶ会ではご主人がご挨拶をされて…。先生は二年前に定年で退職されその後あのパワフルさで色々な趣味に励まれたという事だけど、今年の春にスキルス性の癌がみつかり、わずか二か月足らずで逝ってしまった。享年72歳。死期はご自分でも分かっていらしたらしく、最後の言葉は「一切やり残した事は無い、良い人生だった」という事だったと言う。中々出来ない生き方だなぁ。合掌。

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(photos by iPhone6/写真の上でクリックすると写真が大きくなります)


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縁側の時間 [下町の時間]

縁側の時間

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  ■ 宗助は先刻から縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。秋日和と名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。肱枕をして軒から上を見上げると、奇麗な空が一面に蒼く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較べて見ると、非常に広大である。たまの日曜にこうして緩くり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日をしばらく見つめていたが、眩しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子の方を向いた。障子の中では細君が裁縫をしている。
「おい、好い天気だな」と話しかけた。…   (夏目漱石「門」)


  夏目漱石の小説「門」はこんな縁側の情景から始まる。小説「門」はこれから複雑な人間関係のドラマが始まるのだけれども、まるでその前の一時の静寂を楽しむように縁側の時間が展開してゆく。

 今の都会では一軒家といえども縁側とその先に広がる自宅の庭などは望むべくもないが、ぼくの子供の頃は下町の家でも縁側と庭付きの家も珍しくはなかった。ぼくが育った千住の平屋の一軒家にも縁側と庭があって、庭には親父がこしらえた小さな池もあった。

 今思ったらそれほど広くはないスペースだったのだろうけれど、子供の時は縁側の一直線がとても長いものに感じられてよく端から端までダッシュして親に叱られたものだ。子供部屋はあったけれど、特に夏などは家に居る時は大半は縁側で過ごしていたように思う。

 そこは勉強部屋にも(めったに勉強などしなかったけれど…)、プラモデルを組み立てる部屋にも、夏は子供の寝室にも自在に変わることができた。家族のイベントも考えてみればほとんどがそこで行われていたな。夏の花火や冷えたスイカの種の飛ばしっこ。夏の終わりになるとどこからともなくスイカの芽がでくる。

 ぼくのウチは当時は親戚に同じくらいの歳の子供が大勢いたので、親戚の子供達が集まって遊ぶのもやはり縁側だ。縁側でちらし寿司やお菓子を皆で食べる。パーティーなんぞというハイカラな言葉は使いこそしなかったけれど、今考えてみればそれは紛れもなくパーティーだったのかもしれない。

 そして縁側の縁の下は子供たちにとって格好の探検の場所でもあった。ちょっとヒンヤリした空気と微かな埃とカビの匂い。その先に広がる闇は行ってみたいような、行くのが恐ろしいような。ぼくは一度その縁の下で戦時中の防毒マスクを見つけたことがある。最初はなんだかわからなかったけど、その不気味な仮面のようなマスクの先に突き出していた象の鼻のようなパイプが尋常ならぬものだということは子供心にも感じとれた。

 縁の下からは子猫の声が聞こえたり、家で飼っていた鶏の卵が出てきたり異空間につながるドラえもんのどこでもドアみたいな感じだ。今でも地方の農家や古民家に行くと縁側のある家が残っている。それらの家の縁側に座ると、何とも言えない安心感に包まれるのはぼくだけだろうか。もし、時間にも世界文化遺産のように世界時間遺産というものがあるとすれば、貧しくとも幸せだった「縁側の時間」は間違いなく世界時間遺産になると思うのだけれど…。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その23~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その23~

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  ■猫のたたずまいには、孤高を堪能しているような何かがある。
    
(ルイス・J・カミュティ/米国の猫獣医、1893~1981)
  There is something about the presence of a cat...that seems to take the bite out of being alone.


 ウチには白、黒そして灰色の三匹の猫がいる。日中に三匹で一緒にいることはまずない。尤もぼくとカミさんも日中は別の部屋にいることがおおいけど…、猫も含めて1日に二度はみんなが一緒の部屋に集まる。

 それは朝食と夕食の時なのだけれど、その時間の催促をする担当が猫たちの間では決まっているようなのだ。朝食の時はクロが呼び出し担当で朝一番でベッドの上にぼくをおこしにくる。

 クロのタイムリミットは7時半でそれ以上になると、「ニャゴー(おきろ〜)」と大声を出してぼくの顔の上に乗ってきたりする。その間他の二匹は「早くおこしてこいよ〜」といった感じでぼくとクロのやり取りを見つめている。猫たちは家中みんなが揃わないと自分たちの食事も始まらないのを知っているようだ。

 夕食の催促担当は白猫のレオで、彼のタイムリミットはちょっと細かくて5時20分。ぼくが二階の部屋でパソコンを打っていたりすると、カミさんの食事の支度が始まる5時頃には一階の階段の下でぼくが降りてくるのを待っている。

 暫く待っても降りてこないと、そこで二、三回鳴いて今度は二階の階段を上がった辺りで待機。それでもダメだとダルマさんが転んだ、みたいにジリジリとぼくの机に近づいて来る。

 そして5時20分になると、ついに待ちきれなくなってぼくの机の上に乗ってきてぼくの顔の真ん前にきて睨みつけてンニャ〜。こうなるともう、もう一緒に階下に降りるまでかんべんしてもらえない。灰色猫のモモは催促担当はやらないけど、猫用のランチョンマットを床に敷いてぼくが猫茶碗を三つ用意しているうちに真っ先に定位置について待っている。

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 食事が終わっても飼い主としては暫し猫を交えてまったりとした家族団らんのひと時を…、と思うのだけれど、猫たちは自分たちの食事が終わると「は~い、解散!」みたいに各々のお気に入りの場所に散ってしまう。

 レオは大抵は一階の居間の出窓に陣取る。一階の寝室のベッドの上はクロもモモもお気に入りの場所なのだけれど、これは早い者勝ちなので二匹一緒に居ることはない。

 モモがベッドの争奪戦に負けた時は大抵二階のぼくの机の上で午前中を過ごす。クロのお気に入りの場所は二階の出窓の所で、寝そべって外を見たいのでブラインドが邪魔だと器用に手で広げて外を見ている。

 モモもクロも甘えるのが好きでぼくの膝の争奪戦もあるのだけれど、それだってひとしきり甘えて満足すると、自分のお気に入りの場所に行って寛いでいる。基本的には一人が好きなのかもしれない。

 猫は一人でいてもちっとも寂しそうに見えない。それどころかその佇まいには侵しがたいような、他人が邪魔するのがはばかられるような雰囲気さえ漂ってさえいる。一人で居ることのあの心地よさ、そしてそれで好いのだというあの確信はどこからくるのだろうか。

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美術館で… [新隠居主義]

美術館で…

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 ここのところまたちょっと固めて美術館通いをしている。行きたい気分になるのにムラがあるという自分の性格にもよるのだけれど、美術展の方もどうやら展覧会向きの時期というのがあるらしくて見たいものの会期が重なるというのもあるみたいだ。

 それはもちろん企画展や特別展示のことを言っているのであって、収蔵品をもつ美術館の常設展なら基本的にはいつだって行けるのでその気軽さがいい。でも、大規模な特別展などは世界中から名画の方からやってきてくれる訳で、東京のような大都市に住んでいる役得みたいなものなのでそれも逃したくない下心もあって…。

 ぼくは本当はなじみの作品がゆったりとみられる常設展が好きだ。大好きな西洋美術館の常設展は大昔から毎月のように行っていたのだけれど、あの世界遺産登録の騒ぎでここのところちょっと足が遠のいていて、結構ストレスが溜まっている。

 西洋美術館はルーヴル美術館みたいに規模が大きすぎないので気が向いた時にフラッと行ってお気に入りの作品だけ観てくるなんてこともできる。絵は不思議なもので何度見てもその時の自分の状態で感じが変わってくる、どこか心の鏡みたいな面を持っていると思う。

 あ、そう言えばルーヴル美術館はずっと昔は「ルーヴル博物館」って言っていたような気がする。大英博物館がBritish MuseumでルーブルがMusée du Louvreだから、同じように訳すならルーヴル博物館だと思うのだけど…。概念としては博物館=Museumが一番大きな概念で、その中に美術館(美術博物館)=Art Museumや科学博物館=Science Museumなどのカテゴリーがあるのだと思う。

 それに収蔵品を持たない国立新美術館なんかも、固いことを言えば美術館(Art Museum)ではなくてアート・ギャラリー(Are Galarie)とかアート・センター(Art Centre)とかなんだけど、国立新美術館も英語名はちゃんとThe National Art Center, Tokyoとなっている。国立新美術館という日本名は最初はぼくなんかも違和感があったけれど、今では慣れてしまったなぁ。

 一方、東京都美術館(Tokyo Metropolitan Art Museum)はもともと収蔵品を持つ美術館と公募展や企画展なども行うアート・ギャラリーの両面の機能を持っていた美術館だ。しかし現代美術の収集収蔵機能は後から出来た東京都現代美術館に移行され、大規模なアート・ギャラリー機能は国立新美術館に持っていかれて微妙な立場になってしまっていたけれど、改修後にモネ展や若冲展などで盛り返そうと頑張っている。今後どうなるか楽しみ。

 まあ、細かいことは抜きにしても、常設展のような場所があるというのはとにかくありがたい。前にも書いたけれど、ぼくはサラリーマン時代に仕事で行き詰まって辛い時に何度か西洋美術館に来て救われたような気になったことがある。この静かで時間が止まったような空間に身をおいてゆったりと観てまわると次第に気持ちが落ち着いてくるのだ。

 そして馴染みになった絵の一枚一枚を観てゆくと、それらの絵のどれ一枚として忽然としてこの美術館に現れたわけではないことに気付く。その多くはまず作家自身の中での格闘の末に一つの形として一枚の絵が生まれ、そしてそれは生まれ落ちたと同時に今度はその作家の生きた時代や世間の非難や怨嗟の波にもまれ、その末に時を経てやっと此処にたどり着いたのだと。美術館はその魂の安住の地でもあってほしい。

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 *写真はベルリン旧国立美術館(Alte Nationalgalarie Berlin Germany)
   **写真の大きな絵はルノアールの「ヴァルジュモンの子どもたちの午後(1884)」という作品。


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大人買い [新隠居主義]

大人買い

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 ぼくらの世代には誰でも大人になったら誰気兼ねなく自分のお金で買ってやるぞなんて思った品があるんだと思う。ぼくは終戦後すぐの生まれだから、誰彼構わず日本中が貧しかった。ぼくのすぐ上の世代は、もっと切実で大人になったらアレを腹いっぱい食べてみたい、というような食べることの欲求が強かったかもしれない。

 もちろんぼくらの世代にだって食料が十分あったわけではないから、心の底には飢えた記憶や、空腹への恐れはあるのだろうけど、そこらへんは物心つく前だったから主に親が苦労してくれたんだろうと思う。そして遊び盛りから、小生意気になるあたりに世の中は上向き初めて、新しいオモチャやら遊び道具が出始めてきた。

 ぼくの場合、小学校の中ほどくらいからお小遣い制になったような気がする。だから買いたいものはそのお小遣いをためるか、お正月のお年玉を使うかだったけど、子供のことだからそう計画的にできるわけではない。お年玉は貯金させられたりしてたから、やっぱり欲しいものがあると親におねだりという事になるのだけど、それが中々一筋縄ではいかない。

 家は貧しいという訳ではなかったけれど、とにかくまず我慢しなさいと言われて、それでも粘ると例えば半分まで自分のお小遣いで貯めたらあと半分をだしてあげるとか、2つ欲しいものがあったら1つは我慢するか後回しにする、とか親の方にも子供の言いなりにはならないぞ、という感じがあった。

 それは今でもぼくの中で息づいていて、何か欲しいものが複数あったらまず、一つにして他のモノは後回しにするか我慢するという気持ちが湧いてくる。カミさんに言わせるとそれはただの貧乏性みたいなんだけども…。そんなこんなで親との駆け引きで子供時代を過ごしてきたのだけれど、それでもどうしても手に入らなかったものがあった。

 それは、HOゲージとかいう鉄道模型で、それは当時はなんたってお金持ちの道楽みたいなもので下町の洟垂れ小僧達には手の届くものではなかった。小学校時代は喧嘩仲間のY君が近所に住んでいて、彼の家には立派な鉄道模型があったから遊びに行くと八畳の部屋にレールをしいて遊んだのだけれど、列車には触らせてはくれないので、結局はいつも喧嘩になって帰ってくる。

 結局、そこらへんのフラストレーションはまだ買いやすいプラモデルかなんかに転嫁されていたんだろうと思うのだけれど…。で、大人になって大人買いするようになったかというと、どうも先ほどの貧乏性の方が勝ってしまって、威勢の好い大人買いができない。

 最近、ちょっとハマっているのが元来子供のオモチャのガチャで、見かけるとついやってしまう。もちろんガチャなら何でも良いという訳ではなくて、鳥獣戯画と海洋堂の仏像ガチャに限る。それでも多少大人買いの気分になるのはこれらは普通200~300円のところ100円高い400円なのだ。それを子供をわき目に時には2個連続で買ったりする。なんとも大人げない、大人買い。

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世界は… [Column Ansicht]

世界は…

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  なんか世界がちょっとザワザワしてきたような感じがする。ぼくは確たる政治的信念を持った人間ではないし、~イズムというものを余り信じない方なんだけれども、それでも日本や世界の政治がどんなベクトルをもって動こうとしているのかについては関心もあるし心配もしている。

 政治については全くの素人なので、もちろん何らかの専門的な分析ができるわけではない。しかし、自分の乏しい経験から、自分の身を守るために自分なりに一つの皮膚感覚のようなものを大事にしている。それは政治に関して、
  ①激しすぎる言葉
  ②シンプルすぎる論理
  ③勇ましい言動
この3つに対しては本能的に身構えるようになっている。心のどこかで「ちょっと待てよ」と囁く声が聞こえる。

 経験と言っても各々の項目に対応する明確な体験がある訳ではないけど、考えてみると大きくは大学時代の学生紛争の時の経験と、昔少しかじったヒトラー時代の勉強の影響が大きいと思う。確かに歴史を動かして行くためには大きなエネルギーが必要だし、そのためにはある意味で激情も必要かもしれない。しかしその激情がどこに向かうのか、そのために切り捨てるものは何なのか「ちょっと待てよと」振り返ってみる必要があると思う。

 激しい言葉、シンプルすぎる論理、そして勇ましい言動は時として人を惹きつけるかもしれないけど、その過程で普通なら見えるものが、もしくは見るべきものが見えなくなり、そして自らもそれに酔いしれてゆく危険を孕んでいる。人を否定し、他を排除し、ブルドーザーのように突き進んでやがて熱が冷めた時の惨劇は歴史が嫌という程目撃しているはずだ。いくら時間がかかっても、自分の目と耳と皮膚感覚を動員して自分の頭で考え行動することが大事だと自分に言い聞かせている。





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野心 [Column Ansicht]

野心

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 「野心」という言葉は決して嫌いじゃない。なんか脂ぎっていてギラギラするものを感じる。最近は草食系男子とか色々取りざたされているけれど、若い人の心根のどこかにはそんなものも持っていてほしいという勝手な願望を抱いている。じゃあ、自分が若い時にはそんな野心を持っていたのかというと、まるでそんなことはなかったから、やはりジイさんの戯言といわれそうだ。

 野心という言葉を辞書で引くと「ひそかに抱く、大きな望み。また、身分不相応のよくない望み。野望」この後半のところの[身分不相応のよくない望み]というのは微妙だなぁ。望み自体がよくない内容なのか、それとも身分不相応の大きな望みを持つことがよくないのか。尤も手がすぐ届くような身分相応のものであればギラギラ感などは出てこないし、野心とも呼べないと思うけど。

 ぼくが思うに、野心にも二つの種類があるのではないか。一つは「何者かになりたい」という野心。ビジネスマンなら会社の社長、政治家なら東京都知事、国務大臣そして内閣総理大臣などの地位に上り詰める。もう一つはそういうものよりは「何事かを成し遂げたい」という野心。この二つは互いに絡み合っていることもあるし、その片方だけがその人の野心を形作っているという、場合もあると思う。

 野心というと政治家がすぐ浮かんでくるけど、ぼくは若い頃ひょんなことから国会議員の秘書のようなものを一年間やったことがある。その時(その時代のという意味でもあるけど)でも政治家は金とか裏の顔とか色々なことが言われていたけれど、基本的には優秀な人たちであると言えると思った。

 マスコミなどは彼らが金銭欲や権力欲だけで政治家になったようにいう事もあるが、彼らはもし政治家になっていなくても世間ではそこそこの成功は手に出来たに違いないという感じはしたし、歳をとっても野心のようなギラギラしたものをなくしていないことも凡人から見れば稀有なことに思えた。

 でも、少しその世界の息を吸ってみるとその彼らの野心は政治家生活のどこかの時点で、何事かを成し遂げたいという野心から、何者かになりたいという野心へと変質していっているのではないかと思い始めた。それはぼくの若気の至りの見方で、何事かを成すためには、まずそれにふさわしい何者かにならなければならないのだ、という事があるのかもしれないが…、どこかの時点で後者のほうが自己目的化していったのではないかと。

 考えてみれば、明治維新を成し遂げた幕末の志士の野心の核は「何事かを成し遂げたい」という野心だったと思う。彼らは藩主にも殿様にも公家にでもなりたかったわけではない。それはもう一つの野心の対象である「何者かになる」、という「何者」自体が崩壊しかけていた時代だったからだろう。同様に戦国時代も野心の対象は天下統一を成すということが野心の対象だった。変革、混迷の時代にはそういう野心をもつ人物が出てくるのかもしれない。

 今世界は混とんとし始めているし、さらに混迷を極めるだろう。こういう時代には一方では現状に固執する草食系人間が増殖してくると同時に片方では野心を持った新たな人物なり勢力なりが次々と登場してくるに違いない。「何者かになろうとする者」「何事かを成し遂げようとする者」「何事かを成し遂げるために、何者かになろうとする者」もちろん、彼らが成し遂げようとする何事かが、万人にとって幸せなこととは限らない。ぼくらが自分の身を守るためにも今こそ目を凝らして彼らの野心の中身を見据える必要があると思うのだけれど。



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通夜の帰り道 [新隠居主義]

通夜の帰り道

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 通夜の帰り道。

 先月、大学院時代の恩師の教授を亡くしたばかり、今日はもっとも親しかった元上司の通夜。気持ちが萎える。こうして別れに慣れてゆくのだろうか。歳をとると、新たな出会いが減り、逆に別れが多くなる。勢い「サヨナラだけが人生さ」という気持ちになる。それとも歳をとってもいつも新たな出会いを持ち続けろということか。

 元上司のAさんとはぼくの会社勤めの一番苦しい数年間を経営管理部門で一緒に過ごした。ぼくは株や土地などには手を出していなかったので世の中が浮かれたバブルの最中でも個人的には何も良い目には合ってはいなかったけど、バブル崩壊後はそのツケはしっかりと会社に降りかかってきて命を削る思いをしなければならなかった。

 Aさんとは毎晩オフィスをあとにしても会社の近くの食堂や居酒屋で喧々諤々の論議をして道筋を探り続けた。そんな論議の中でアイデアが出ることも何度もあった。そんな時はぼくが最終電車で帰宅した後、明け方までかかってそのアイデアをまとめて書類にして翌朝さらにその案を二人で練り直した。

 彼はその書類を食い入るように見て、でも昨晩終電で別れてからぼくがその書類をいつ作ったかなどという些末な事には、当たり前だけど関心などない様子だった。生来、身体も心も強いほうでない自分は激務とストレスで身体はボロボロになっていた。蓄積疲労のためか胃潰瘍と頚椎症の悪化で毎年年末には短期間入院するようになった。医者には職業病だと言われた。でも、不思議なことに今でもその時代のことになんら悔いはない。

 ある時、ぼくの会社のブランド名が絡む商標権の紛争が他社と起きて、それがこじれて法務部では手が追えずぼくの所に回って来たことがある。下手をすれば自社ブランドが使えなくなる重大だが嫌な案件を押し付けられたような形である。ぼくは追い詰められたようで悩んでいたが、その時Aさんが「何かあれば俺が責任をとるから、お前のやりたいようにやってこい」と背中を押してくれた。その言葉に今までの経緯に相手の理不尽さを感じていたぼくも何としてもやらなければという気になって相手方にのりこみ、ギリギリで切り抜けたこともある。

 考えてみれば、上司はまさに昭和的で豪胆な人だった。彼の祖父はNHKテレビの朝の連続ドラマにも登場したような立志伝中の人物だったのだけれど、あの豪胆さは祖父譲りだったのだろうか。反面、ずっと独身だったAさんは半生を通じて周囲から結婚を反対され続けてきた女性と、70歳近くになって会社を退いてから結婚するなど、言葉は陳腐に響くかもしれないけれど「純愛」の人でもあった。

 通夜の後、昔の仲間数人と少し精進落しをしてからみんなと別れて一人で帰る道すがら、ガラにもなく涙がこぼれてきた。昔だったらそんな弱い自分が何とも情けなくて耐えきれないくらいに嫌になったのだろうが、その感性さえも鈍くなったのか、そういう自分がいてもいいのかなと…思えた。ライナーの駅のガラスに映った既に老人になった自分の姿もちゃんと覚えておこうとスマホのボタンを押した。

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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その22~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その22~

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 ■老いと猫

 …老いるってことは病(やまい)るってことと同じ。
 だけど、それは闘うんではなくて、猫とつきあうように、病とか老いに静かに寄り添ってやるもんだと思うんだよね。一緒に連れ添っていくというか。

 よく、頑張んなきゃとか、しっかり生きなきゃとかいうけど、頑張んなくてもいい、寄り添っていけば。力まずに、それも自分だという風に生きていくと、すっと楽になる。そんなこと思ったの、つい三、四日前なんだけどね。(笑)…

 
(緒形拳「私と猫」)


 結婚してから初めて飼った猫タマ。ぼくが四十の時、その時の上司に頼まれて白い子猫をひきとった。何も考えずにタマと名付けた。臆病だったけど病気一つせず18年の天寿を全うした。この18年間はぼくにとって最も忙しい時期でもあった。

 まだ暗いうちに家を出て、帰ってくるのは大抵深夜過ぎ。子供の頃からずっと猫がいて一緒に育ったようなものだけど、自分で「飼う」というのは初めてだった。でもタマが来て感じたのは子供の時とおんなじで飼うというより一緒に暮らすという感覚だった。

 タマのおかげで家に居る貴重な時間がどれほどくつろいだものになっていたか、それが寄り添うということだったのだと、最近になって実感するようになった。猫の持つ独特の距離感ときまぐれさが却ってさり気無い寄り添い感を作り出してくれる。

 2005年の5月3日、タマはカミさんの膝の上で突然逝ってしまった。タマの晩年は穏やかなものだった。ソファーの陽だまりの中で寝ることがなによりも好きだった。自分の老後もこうだといいなぁ、と思いつつその隣にそっと座ったことも何度かあった。

 今、ぼくも歳をとって目はかすむし、歯は抜ける、腰は痛いし息切れもひどい。でもそれは抗ってみても仕方のないことだと思うようになった。緒方拳の言うように猫と暮らすみたいに、老いに寄り添ってやるというのも大事かもしれない。まぁ、言う程簡単にはいかないと思うけど…。


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 *緒方拳のこの文章は2008年の雑誌「猫びより」7月号に乗ったものです。その後この緒方拳を含め何人もの著名人がこの雑誌で自分の猫を語った部分を集めて「私と猫」という一冊の単行本になりました。

 緒方拳が亡くなったのは2008年の10月、71歳でした。この記事が載ったのが2008年の7月号ですから、ということはこの雑誌が取材していくらも経たないうちに亡くなっているということになります。

 この頃にはご本人も自分の病状には覚悟をしていたようなので、彼の口から発せられたこの言葉には実感と凄味があるように思います。彼が愛ネコの「オーイ」達と写っている写真はまさに枯れた大木のようでした。

 **緒方拳の自宅は京浜東北線沿いにあって細長い彼の家の庭をそとネコがいつも通り抜けていました。彼は通り過ぎる何匹かのネコに、「品川、大井、蒲田、川崎」などと駅名をつけていたのだけれど、その中の茶トラの「オーイ」だけが居ついて家猫になったらしいです。


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