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千住の酒合戦 [下町の時間]

千住の酒合戦

 柳屋小さんの十八番の話に「ためし酒」というのがある。僕のお気に入りの一席だ。一度に酒を五升も飲むという大酒呑みの下男、久蔵の話。

 久蔵の主人が他家の旦那に、うちの久蔵は一度に五升の酒を呑むと言う話をすると、その旦那がそんなに呑めるわけがないと言う。結局、本当に呑めるかどうか主人とその旦那が賭けをすることになった。負けたほうが相手を豪奢な食事に招待するのだ。久蔵を呼んでその話をすると、久蔵はもし自分が五升の酒を呑みきれないで賭けに負けてしまうと、主人にとんだ散財をかけることになるので、ちょっと考えさせてくれと外に出てゆく。

 しばらくして戻ってくるとその賭けを受けましょうと言う。二人の旦那が見ている前で久蔵は何だかんだ言いながら、一升盛の杯で喉をぐいぐい鳴らしながら五升の酒を飲み干してしまう。そのいかにも酒好きそうな久蔵が五升の酒を夢中で飲み干す様が、小さんの噺の見せ場なのだ。聴いていると、小さんの真ん丸い顔が酒気を帯びて次第に赤ら顔になってくる姿が浮かんでくる。

 久蔵は五升の酒を瞬く間に飲み干して賭けに勝つ。その呑みっぷりの良さに、旦那はさっき外に出たときいくらでも酒が飲めるようなおまじないでもしてきたんじゃないかと疑う。そこで久蔵は「とんでもねぇ、オラも五升とまとまった量の酒を一度に飲んだことはねぇから、呑めなかったらてえへんだ。んで、ちょっくら時間をもらって近所の酒屋さ行って試しに五升飲んできたのさ」と言うのが、噺の落ちだ。

 面白い話だが、落語だから五升も六升も一度に飲む奴がでてくるのだ。そんな奴は現実にはいないだろうと思っていたら、実際にもっとすごい奴がいたようだ。  

 時は江戸時代、文化十二年というから今から二百年位前、当時の江戸の千住の宿「酒合戦」が開かれた。その時一番飲んだ者はなんと日本酒を九升一合というから今で言うと16リットル以上を飲んだという。江戸時代というのは粋な時代だったようだ。千住の宿の(今の千住一丁目あたりの)諸家飛脚宿、中屋の隠居、六右衛門(人呼んで中六)が自分の還暦祝いに顔の広い友人の鯉の隠居(通称鯉隠)に頼んで自宅で「酒合戦」を開くことにした。鯉の隠居は、鯉の絵を描くのがうまいのでこう呼ばれているのだが、顔の広いところで当時のそうそうたる文化人を一堂に集めた。



 太田蜀山人が酒合戦の模様の実況レポートを書き、谷文晁が酒合戦の模様を絵に描き、亀田鵬斎が漢詩を書くという風に、大勢の文化人それぞれが趣向を凝らした形で参加している。

 会場には六種類の杯(さかずき)が用意された。小さい杯から空けてゆき順次大杯にチャレンジしてゆく方式だ。一番小さいのが①「いつくしま杯」五合盛である。次が②「鎌倉杯」でこれが七合盛。続いて③「江島杯」九合盛、そして④「万寿無量杯」一升五合盛となる。それから二升五合盛の⑤「緑毛亀杯」、最後がその名も目出度い⑥「丹頂鶴杯」でこれが三升盛。最後にきて三升盛はきついと思うが…。

  

  当日、チャンピオンに輝いたのは、千住の宿の住人松勘という者。「いつくしま杯」から始めて「丹頂鶴杯」まで六つの杯すべて呑み干してしまった。合計なんと九升一合を飲み干した。二番目は下野小山の住人左兵衛で呑量は七升五合。これだってすごい。この二人がダントツだったようだ。変り種は新吉原の住人大門長次という奴で、彼は水、醤油、酢、各一升を酒一升と混ぜて飲み干したらしい。混ぜるにことかいて醤油一升、酢一升なんてものまで混ぜてしまって、どんな味がするのか。考えただけでも吐きそうになる。



 痛快なのは、飛び入り参加したと言われる、通りすがりの会津の旅人河田某だ。酒、六升五合を飲み干し、旅の途中でまだ立ち寄るところがあるので、急がねばならず三升いりの杯を飲めないのが残念と言って立ち去ったと言われる。後日作られた番付では彼は大関にランクされた。当時はまだ横綱がなかったから最高位だ。呑みっぷりが見事だし、時間さえあれば九升は飲めたということか。


 文化十三年に作られた「戦酒会番付」に会津旅人河田某の名が見える
 番付では呑量だけでなく呑みっぷりも評価されたようだ

  「酒合戦」の各参加者が四人の芸妓にお酌をされて次々に杯を空ける模様を、緋毛氈の席に座った審査員である文化人達が観戦しながら、それを即興で絵に描いたり、実況レポートを書いたり、漢詩を作ったり…、うーん、酒呑合戦とはいささか危険だが、なんとなく文化の香りがするな。どこかのテレビ局でやっている、ただガツガツと喰らいついているだけの早食い競争や、大食い競争の殺伐としたあさましい絵作りとは一味も二味も違うような気がするが。

             写真と資料:出典 『絵で見る年表 足立風土記』足立教育委員会編


                 
・この酒合戦には年寄りや女性も参加していたようです。吉原の62歳の伊勢屋言慶三升五合天満屋の妻女みよ一升五合千住菊屋のをすみ二升五合をあけたという記録があるようです。(大江戸まるわかり事典)
・あの大酒のみで有名な古今亭志ん生が、戦争中の酒のない時分、横綱の双葉山と酒の呑み比べをしたことがあって、その時志ん生は二升はあけたが、双葉山はまだ平気な顔で呑んでいる。さすがの志ん生も「もう腰くだけです。とても横綱にゃァ勝てません」と降参したらしいです。やっぱり大酒のみの横綱はお相撲さんのようですね。(古今亭志ん生『びんぼう自慢』)
・江戸の文化文政時代の酒合戦の名残でしょうか。北千住駅前の飲み屋横丁では今でも毎夜、酒合戦が繰り広げられています。

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コメント 6

鯉三

日本人の、酒との深い関わり方がうかがい知れるお話ですね。
この時代に年寄りや女性が酒合戦に参加していたこともとても興味深いです。このような無礼講が、社会の中に一種のアジールとして不可欠に存在していたことに、当時の人間社会の成熟を感じさせます。
by 鯉三 (2006-08-17 00:43) 

mami

おはようござます。
お酒の話勉強になりました。
横綱が優勝して飲んでいる杯は、何升入りでしょう?
by mami (2006-08-17 06:08) 

タロウの母

はぁ~飲めば飲めるというもんなんでしょうか
確かに飲めば飲むほどに飲みたくなるのが飲兵衛の常
日本で女性がお酒を飲むのは当たり前のことですが
いまだにアジアの(中の一部?)女性はお酒は飲まないとか
アメリカのベトナム人街でお昼にレストランに入りビールを注文
そこにいたお客・従業員すべての人に振り向かれ
注目されたことを思い出します
とんでもない女だと思われたようです・・・
by タロウの母 (2006-08-17 08:44) 

tm-photo

面白い話ですね。
フードファイターならぬアルコールファイターですね。
急性アルコール中毒で倒れたらどうなるんでしょう?^^
by tm-photo (2006-08-17 09:18) 

くみみん

こんばんは。
江戸時代、旦那さんが粋な遊びをされていたんですね。
贅を尽くしてきれいに遊ぶ!こと、今はなかなかこういうことができる人はいないでしょうね。
by くみみん (2006-08-18 00:47) 

ナツパパ

江戸時代には、確か甘い物の食べ比べ合戦もあったみたいですね。
わたしは下戸なので、お酒はどうも....甘い物だったら、褌担ぎくらいにはなれるかもしれませんね。
by ナツパパ (2006-08-24 18:29) 

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