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忘れない [猫と暮らせば]

 忘れない



 ばあさんは毎朝過去帳をみる。仏壇の前においてある朱子織りの表紙の小さな過去帳は、お線香の煙でもうセピア色になっている。段々と今日の日付が頭に入らなくなってきたばあさんに、毎朝過去帳をめくるように勧めたのは、最近はあまり仏壇の前でお経をあげなくなったのと、卓上のカレンダーでは今日が何日なのか見定めにくくなっていたからだ。仏壇の前で毎日過去帳をめくるようにすれば今日の日付がわかる上に、仏壇の前に座ってただぼーっとしているよりは色々と昔のことも思い出したりできるだろう。

 過去帳には亡くなった人の祥月命日が年代順に書かれているものと、一ヶ月の日々が日めくりになっていて、毎日その日の月命日の人の名前等が書けるようになっているものがある。ばあさんの使っている過去帳は毎日、その日の月命日が書けるタイプのものだが、殆ど全ての頁に誰かしらの名前が書いてある。それを見るようになってから、朝食の時などに「今日はおとうちゃんの親の命日」だとか「今日は姉ちゃんの命日でね、姉ちゃんは…」など昔の話をするようになった。そうなると、もちろん毎月同じ日に同じ話を聞かされるようになるのだが、それはそれでいい。ばあさんの頭の中に忘れられない沢山の人たちと、沢山の時間が棲んでいるということがすばらしいことなんだと思う。

 ぼくの歳ではまだ、自分の頭の中の過去帳に書かれている名前はそんなに多くはない。多くはないが、ぼくの頭の中にも忘れられない人たちと忘れられない時間が棲んでいる。さらに言えば、それは人とは限らない。自分と生きる時間を分け合った存在であれば、それはぼくの頭に棲み続けることがある。去年の丁度今ごろ突然逝ってしまったタマもぼくの頭に棲んでいる。十七年も一緒に暮らしたその時間は今もあらゆる機会をとらえて蘇ろうとする。

 春の日、うららかな陽を受けて居間でまどろんでいる時、その傍にタマがいないことに気がつくと、それが時が過ぎるということなんだと思い知らされる。ドアの向こうからトコトコとレオが近づいてくる。今はレオが来て、それはそれで新しい時間が始まっている。その新しい時間はぼくに力を与えてくれ、哀しみや寂しさを薄らげてはくれるが、タマとの時間を忘れることに対する恐怖感が心のどこかで働いている。同時にその恐れを持ってレオとの時間を過ごしていることにもレオに対して多少の後ろめたさのようなものがある。もしかしたら、それが繰り返されて心の中には最後に珠玉の時間だけが残るのだろうか。

 寺田寅彦のエッセイに「猫の死」というのがある。寺田寅彦は三毛という二匹の猫を飼っていた。家族は三毛を可愛がり、少しのろまでドジなところのあるを疎んじていたが、寅彦はを可愛がっていた。では寅彦は三毛の方を可愛がらなかったかというと、そんなことはなく三毛が死んだときはとても落胆した。その思い出を小文にしたためたのが「猫の死」だ。

 …三毛の死後数日経って後のある朝、研究所を出て深川へ向かう途中の電車で、ふいと三毛のことを考えた。そして、自然にこんな童謡のようなものが口ずさまれた。
「三毛のお墓に花が散る。こんこんこごめの花が散る。芝にはかげろう鳥の影。小鳥の夢でも見ているか」
 それから後で同じようなものをもう三つ作って、それに勝手な譜をつけて、いい加減の伴奏をもつけてみた。こんな子供らしい甘い感傷を享楽しうるのは、対象が猫であるからであろう。
 一月ぐらい経って塩原へ行ったら、そこの宿屋の縁側へ出て来た猫が死んだ三毛にそっくりであるのに驚いた。だんだん見慣れるに従って頭の中の三毛の記憶の映像が変化して、眼前の生きたものに吸収され、同化されていく不思議な心理過程に興味を感じた。われわれが過去の記憶の重荷に押しつぶされずに今日を享楽して行けるのは、単に忘れるということのお陰ばかりではなく、また半ばはこれと同じ作用のお陰であろうと思われた。…

寅彦は下の詞に譜を付けた

  三毛(みけ)のお墓に花が散る
  こんこんこごめの花が散る
  小窓に鳥影小鳥影
  「小鳥の夢でも見ているか」

  三毛のお墓に雪がふる
  こんこん小窓に雪がふる
  炬燵蒲団(こたつぶとん)の紅(くれない)も
  「三毛がいないでさびしいな」

   
   忘れないということも愛するということの一つの形じゃないかと思う。
     きっと、ぼくらの頭のどこかに過ぎ去った時間が棲んでいるのだ。
 
              


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コメント 14

くみみん

こんにちは。
タマさんがなくなってもう1年なんですね。
記憶が少し薄れていくことがあっても忘れることはないですよね。
そして薄れていくのは亡くなった魂への哀しみを引きずらないようにその魂がそうさせているのかもしれません。
by くみみん (2007-05-20 15:34) 

mami

こんにちは~♪ 
mamiは、15年一緒に暮らしたネコでした。
忘れない事=愛する事って大事かも・・・
お越しいただきnice!を、ありがとうございました。m(_ _)m
by mami (2007-05-20 16:37) 

coco030705

こんにちは。
タマちゃんが亡くなったときは突然でびっくりしましたね。
もう一年経ったなんて、早いですね。

>忘れないということも愛するということの一つの形じゃないかと思う。
この言葉、本当にそうだと思います。
その人や猫を覚えている人が生きている限り、先に逝ったものも
やはり生きているのだと思います。
by coco030705 (2007-05-20 17:39) 

Silvermac

寺田寅彦の多才ぶりと繊細な神経がうかがえる話ですね。寺田寅彦の生家は保存されています。
by Silvermac (2007-05-20 18:06) 

鯉三

もう一年が経つのですね。
たまちゃんの写真を見ると、まだ今もgillmanさんのそばで日の光を浴びながらまどろんでいるような気がしました。悲しいことは忘れなきゃいけないと思うものですが、何かの拍子に記憶が蘇ることもよくあります。そうであるなら、時間をかけてでも悲しみとつきあいながら、思い出を大切にしていきたいものです。
by 鯉三 (2007-05-20 18:11) 

mimimomo

こんばんは^^
どんなに年月がたとうとも、愛するものを失った悲しみはなかなか癒えませんし、また忘れるものでもないですね。そんないろんな日々のでき事が、人生そのものですよね。
by mimimomo (2007-05-20 19:16) 

としぽ

この頃お袋ももの覚えが悪くなってきています。本人は色々とメモを取る
のですが、この頃は書いたメモを探しています。タマさんとの思い出は
とても大切ですね。
by としぽ (2007-05-20 19:43) 

HummingBird

僕も先日引き伸ばしを行なう準備で、全紙用のバットに液体を入れている時に、三年前に亡くなったゴールデン(犬)を思い出しました。

というのも、この時期、コンクリートを練るための大きな緑色のプラスチックのバットに並々と水を張って、水浴びをさせてたシーンが蘇ったからです。

忘却は悲しみを癒してくれるけど、楽しかった思い出は忘れたくないですね。
by HummingBird (2007-05-20 20:54) 

そうかもしれませんね。
by (2007-05-20 20:59) 

Baldhead1010

愛犬もいなくなって6年目になると、かなり感情は薄らいできていますが、忘れはしませんね。
by Baldhead1010 (2007-05-21 07:50) 

engrid

忘れない
忘れられない
忘れたくない
想いは 深く沈みます
by engrid (2007-05-21 15:10) 

Abraxas XIV.

我が愛猫のベラも私の記憶の中で生き続けてゐます。
死んでから43年も経ってしまったといふことが嘘のやうです。

ルー・サロメが「リルケ」の中で、「死を通して起るのは、そのひとが単に眼に見へなくなるといふことだけではなくて、更にあらたに見へるやうになるといふことでもある・・・」と言ってゐますが、同感ですね。
by Abraxas XIV. (2007-05-22 07:31) 

あかまる

いい思いではいつまでも・・・
by あかまる (2007-05-22 17:42) 

tom-is-enthusiastic-about-everything

大学時代に
「細胞は毎日死んで変わっていく。『変わらない』と思っていた自分の
体は、知らぬ間に全ての細胞が生まれ変わり、日々全く別の自分という物体になっているのだ」と講義した先生がいるのです。
肉体さえも消えて生まれ変わっていく中で、ずっと残っている「記憶」というものは偉大なのだ・・・と思いました。
忘れない、ということは凄いことですし、まさしく愛の形なのだと思います。
強く共感しつつ、合掌・・・。
by tom-is-enthusiastic-about-everything (2007-05-31 00:17) 

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