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Beijing Report 石の世界から [伝説の地]

 Beijing Report 石の世界から

    
      北京・天壇 2007 gillman

 ぼくは今回、中国をある種「里帰り」をするような感覚を持って訪れた。以前にも香港台湾を訪れてはいるが、その時はそういう感情は湧いてこなかった。やはり「北京」という言葉がぼくに中国の歴史や文化のことを思い起こさせて、その想いからぼくらの文化の源流の一つである中国に里帰りするのだという感情を抱かせたのだと思う。はたして今度の旅は里帰りになったのだろうか。それとも全くの異郷への旅だったのだろうか。

 ある部分では、里帰りの旅だったとも言えるし、また同時に大きな違和感を残して帰ってきたということもある。里帰りの感情の最も重要な部分の一つは「懐かしさ」だろう。例えばそれは故郷の山や景色を見て、心に浮かんでくる懐かしさと安堵の感情かも知れない。ぼくは東京生れで東京育ちだから、そういう意味では故里の野山は持たないが、それでもぼくが育ったような東京の下町の露地を見ると何ともいえない懐かしさと安堵感を覚える。

 中国で一番「里帰り感」を抱いたのは、いうまでもなく街にあふれる漢字である。台湾でもそれに近い感情を抱いたが、中国の場合いきなりその懐かしさにはたどり着かなかった。それは台湾がぼく達が現在日本で使っている漢字に近い繁体字だったのに対し、現在の中国は極度に省略化された漢字である簡体字になっていたことに起因する。最初は目に入ってくる漢字らしき文字が、読めそうで読めないことに神経が苛立って、かえって疲れてしまった。これがハングルのように最初から読めないものならさして気にもならないのだが。飛行場のような公共の場では漢字と英語が併記されている場合があるので、そのような時は英語から漢字の意味を推測して、それに該当する日本の漢字を想起するというややこしいことをしていた。

 しかし、既に千数百年もの長きにわたって漢字を使い続けてきたぼく達の遺伝子は裏切らなかった。一週間ほど北京に滞在しているうちに簡体字の意味が少しづつわかる様になってきた。遺伝子とは言ったが、実はそのからくりはきっと次のようなものだと思う。簡体字に省略するにはいくつかの法則があるらしく、それがおぼろげながら頭で分かって来ること。そしてその省略は主に(たぶん)繁体字をもとにして作られており、子供の頃旧漢字を目にしたことがある世代のぼく等にとっては、無意識のうちに旧漢字を想いうかべることができるので了解しやすいことなど、いくつかの理由が考えられる。今まで記号として認識していたものが頭の中で次第に意味を持った文字に変化するとともに、漢字の文化に対する懐かしさが蘇ってくる。その他にも、フートン(小路)の猥雑さは下町で育ったぼくにとってはとても懐かしい気がした。

 今回、ぼくが北京を訪れるのは初めてとあって、いろいろな所を案内してもらった。万里の長城を始めとして擁和宮孔子廟十三陵頤和園紫禁城天壇など、どれも素晴らしい史跡ばかりだ。その規模やその史跡の背後に流れている時代の空気に圧倒される。しかし次々と目の前に繰り広げられる史跡の光景を目にするうちに、これらぼく達の文化の源流の一つであるはずの光景に、なぜか「懐かしさ」を感じていない自分に気がついた。あの懐かしさや安堵感とは程遠い寂寥感に近いものがこみ上げてきた。それらは、何か個人という存在をとるに足らない存在として拒否し続けているような厳しさのある世界に思われた。

 それは丁度、昔ドイツにいた時感じた孤独感と近いものだったかもしれない。毎朝、石畳の道を登って城に行き着くまでの間に目に入るもの、それは全てが石で作り上げられた世界だった。路も城も教会も橋も。万里の頂上の石段や天壇の龍の彫刻のある長い石段の下にたって考えた。ここも石の世界だ。ドイツケルンの大聖堂は住民が石を持寄って六百年かかって積上げて作った教会だ。その前に立つと個人の感傷などは吹き飛んでしまう。自分は石ころの一つなんだと思い知らされる。ここも、そんな世界なのかも知れない。奈良や鎌倉の史跡にあるような自分を包み込んでくれる類の懐かしさを求めてここに来てはいけない。



                       
 考えてみると、世界の史跡の殆どは石で出来ています。日本のように木で出来た史跡が数多く残っていることが珍しいのだと思います。「積上げてゆく石の文化」に対して、「組み上げてゆく木の文化」の特質のようなものがあるのでしょうか。
   ◆
 案内してくれた、もう二十年近くも中国で暮らしている日本人の駐在員の人の話です。
「日本人は中国のことを理解しているような気でいるから、こちらで事業をしても、何でも自分でやって結局失敗する。その点、欧米人は最初から中国のことなどは分からないと思って、中国人にやらせるからうまくいくことが多い」
考えさせられます。
   ◆
 ちょっと複雑な話ですが、中国の石の世界に触れて日本人としては寂寥感が先にたって懐かしさを感じませんでしたが、一方、個人的にはやはり石の世界であるヨーロッパで暮らした青春時代の気持ちを思い出して感慨深いものがありました。当時、石ころのような自分の存在に気づかされたこと、じっとしているだけでは何ものも自分を優しく包んではくれない世界があること、等に気づきました。若い頃、石の世界で暮らした想いが今のぼくの思考や感性にも大きな影響を与えていると、最近強く感じるようになりました。


nice!(14)  コメント(8) 

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コメント 8

テリー

確かに感じの世界って、少し、意味がわかるから、親近感がわきますね。
by テリー (2007-11-12 22:01) 

kumimin

こんばんは。
学生の頃、漢文の教授が今の中国の優秀な学生さんでも君たちみたいに漢字が読んで書ける人物は少ないよ。と言われたのが印象に残っています。もう○十年前からそうですから、簡体字しか知らない人の方が多いのかもしれないですね。
中国って日本と近い国ではあるんですけど、違いも大きいですよね。同じだと思っていては逆に悲しくなるかなあ?
でも、魅力的な国ではありますね♪
by kumimin (2007-11-12 23:23) 

SilverMac

石の文化は残りますね。北京の環境汚染も気になります。
by SilverMac (2007-11-13 08:41) 

ナツパパ

北京の街は小さな商店が建ち並んでいますね。
あれがとてもなつかしかったです。
以前は東京もそうだったのになあ、って。
by ナツパパ (2007-11-13 08:46) 

mimimomo

◎おはようございます^^
中国人はわたくしから見ると全く違った思考をする人たちと言う気がします。
韓国人のほうが日本人に近い思考を持っていると思えるのです。イギリスやアメリカで
暮らしていてそれを強く感じました。
中国人にそれこそ阿吽の呼吸で理解してもらえると思うと痛いしっぺ返しが来るような。
石の文化と木の文化の違いなのかどうか分かりませんが、わたくしは言語と
深く関わっているように思いました。
by mimimomo (2007-11-13 09:07) 

ふじかわ

変わった建物だねぇw
by ふじかわ (2007-11-13 20:04) 

ecco

この年まで行った海外はグアムのみ。
なんだか実にもったいないことを
人生においてしてしまったような気がします。

小澤征爾や小田実や沢木耕太郎のように
若いときに
世界を放浪とかしたら
なんか違ったのかな。。。
by ecco (2007-11-14 00:32) 

としぽ

おはようございます。確かに日本は木造の文化ですね。海外では
石造文化が多いですね。
by としぽ (2007-11-15 08:53) 

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