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Best in my iPod <Tokyo>
東京 Songs
Best10

戦後の東京の歌は何もない焼け跡から始まった。進駐軍のアメリカ兵がジープに乗って銀座を疾走する傍らで、花売り娘が路上に立ち、兵士と腕を組んだ女たちがブギを踊る。浮浪児と呼ばれた戦争孤児の子供達が日々の糧を求め街を徘徊していた。ぼくは1947年生まれだからごく身近にそんな光景があったはずだし、そういう歌が歌われていたはずなのだ。一つひとつの具体的なシーンは覚えてはいないけれど、歌のメロディーはしっかりと記憶の底に残っている。
その後、日本は高度成長を経て、東京Songsは大都会の歌へと変わって行く。その中身は地方から東京に出てきた若者の不安な心理。夢破れて東京を去って行く若者の心理などを投影する歌に変わって行った。
(曲名/アルバム名/アーティスト名)
東京の花売娘
ジャズ色・歌謡浪漫+3

澄淳子
この歌は終戦直後の1946年(昭和21年)に岡晴夫の歌唱で世に出た。終戦直後が舞台になっている映画などでは、焼け跡のバラック建ての家のラジオからこの歌か「リンゴのうた」が流れてくるシーンが頭に浮かぶ。
澄淳子の歌はTokyo Flowergirlというタイトルで英語で歌われている。澄淳子のちょっとけだるいけれど軽快なテンポで昭和の歌が全く新しいジャズの歌に生まれ変わったという感じがする。
東京ブギウギ
Timeless -A Cappella Japanese Standard-

Time Five
1947年(昭和22年)の笠置シヅ子の歌。笠置シヅ子は真っ赤な口紅の大きな口が子供心にも奇異に思えた。ブギの意味は分からなかったけど、何か弾むようなリズムが子供にも心地よかった。
当時としては東京ではまず聴くことができなかった関西弁だが、彼女の全編関西弁の歌「買い物ブギ」の響きも面白かった。ブギの女王と言われただけあって「大阪ブギ」というのもある。このアルバムのTime Fiveの歌はアカペラでとても洗練された垢ぬけた歌になっている。このアルバムの他にも、美空ひばり(カバーソング・コレクション)や福山雅治(服部良一~生誕100周年記念トリビュート・アルバム~)も歌っている。
東京の屋根の下
服部良一 ~生誕100周年記念トリビュート・アルバム~

一青窈
1948年(昭和23年)灰田勝彦の歌。戦後の歌の一つの特徴は、焼け跡やバラックの現実はあってもどこかに戦争の終わったという開放感が感じられることだ。この歌も目の前には厳しい現実がありながらも「東京の屋根の下に住む、若い僕等はしあわせもの、日比谷は恋のプロムナード、上野は花のアベック、 なんにも なくてもよい口笛吹いてゆこうよ」と明るい。
一青窈の歌は、どこか昔の広々とした東京の青空を想い起させるような好い雰囲気を持っている。
東京キッド
レクイエム ~我が心の美空ひばり~

岡林信康
1950年(昭和25年)の美空ひばりのヒット曲。この頃はまだ戦争孤児が路上にもいたのだと思う。宮城まり子が歌った靴磨きの少年の歌やこの歌もそんな情景と無縁ではない。「右のポッケにゃ夢がある、左のポッケにゃチゥインガム」というフレーズにその時代の微妙な雰囲気が映し出されている。岡林信康は美空ひばりへのオマージュを淡々と歌っている。さだまさし(情継こころをつぐ)の東京キッドも情感があって好い。
ウナ・セラ・ディ東京
UNITED COVER

井上陽水
1964年(昭和39年)ザ・ピーナツが最初は「東京たそがれ」というタイトルで出したが、ヒットしたのはイタリアの歌手ミルバが歌ってからだと思う。ぼくもミルバの歌の方とザ・ピーナツの方と両方の記憶がある。
東京オリンピックの時代、大都会東京がその全貌を現し始めていた。この頃から東京の歌は大都会の心理や情景を歌った歌へと変質してゆく。この前年にお化け煙突は姿を消し、東京タワーの時代に入っていた。
東京
友よ! ~あの出発ちを"青春"と呼ぼう~
クミコ
1974年に作曲者の森田貢氏などが結成したバンド「マイ・ペース」の歌でヒットした。大都会東京へ去っていった恋人との別れを歌っており、都会が地方の人を大量に吸い込んでゆく時代の切なさがある。「東京へはもう何度もいきましたね。君が咲く花の都」
去る者と、残る者、それぞれの想い。クミコの歌にはそんな切なさが良く出ていると思う。
東京砂漠
歌姫 III ~終幕

中森明菜
1976年(昭和51年)内山田洋とクールファイブのヒットソング。ぼくが印象に残っているのはこの歌がマンション業者のテレビCMに使われていたことだ。ビルの林立する街の屋上で若者がバスケットボールで遊んでいるシーン。
ビルの谷間に広がる青空のゴールに向かってトスをする。そのバックに「あなたの傍で、ああ、暮らせるならばつらくはないわ、この東京砂漠」というこの歌が流れていた。印象に残るCMだった。大都会に埋没しそうな不安感に耐えきれず、なにかにしがみつこうとする心情が伝わってくる。
東京Nights
DEEP RIVER

宇多田ヒカル
2002年(平成14年)のリリース。都会生活の中の心情が都会的な歌詞とテンポの中で歌われている。今までの都会vs故郷のような図式ではなく、都会育ちの感覚で東京を歌っている感じがする。その都会とは東京でもニューヨークやパリにも共通するような感覚かもしれない。
東京
5年モノ

福山雅治
2005年(平成17年)にシングル盤でリリース、その後アルバム「5年モノ」に収録。福山雅治の「東京」「BEAUTIFUL DAY」「東京にもあったんだ」の東京3部作の第一弾。曲の始めに「涙や弱さや素顔なんて この街じゃ誰にも見せちゃいけないって 思ってた」とあるように、地方から上京してきた若者が大都会で感ずる緊張感や孤独感が強く出ている。
東京三部作の中で福山雅治にとっての東京が少しずつ変わって行くのが感じられるが、その入口になるこの歌の心情は都会に来た若者が誰しも感じることかもしれない。
東京にもあったんだ
VOICE II

中村あゆみ
2007年(平成19年)福山雅治の東京三部作の言わば完結編になる。大都会東京の暮らしに慣れて、そこで発見したもの。「キレイな夕日」や「キレイな月」、それが「東京にもあったんだ」という発見。
一方、勝つためにこの街のルールに染まり、そのために傷つく自分も見つめなければならない。都会のルールと自分のアイデンティティーの狭間でまだ心は揺れていると思う。
<そのほかの東京Songs>
東京ドドンパ娘/渡辺マリ
東京タムレ/渚エリ
ラブユー東京/黒澤明とロス・プリモス
東京スヰート/ゴスペラーズ
Little Tokyo/高橋真梨子
ロンリーナイト東京/秋元純子
(May 2012)
Deutschland Now!
足元のドイツ
外国に旅行すると食べ物や文化や色々なものを体験する楽しみがある。その中でもぼくはどちらかというと名所や景勝地よりもそこで暮らす人たちの日常生活に関するモノやその土地の人々を取り囲んでいる雰囲気を垣間見るのが好きだ。
見上げる空の光もそうだし、足元の踏みしめる路もそういったものの一つだ。ヨーロッパなどではよく足元にも歴史などのメモリーが刻み込まれていることが多い。偉人が訪れたなどの記念プレートや特定の場所への道しるべが刻み込まれている場合もある。マンホールだって立派な情報だ。もっともキョロキョロしながら足元のマンホールなんかの写真を撮っていて怪訝な顔をされることもあるが…
Dresden

ドレスデンで見つけた四角いマンホールはとても格調が高かった。なんのマンホールかは分からないが、市の紋章とともに州都ドレスデンという文字が誇らしげだ。ドレスデンはザクセン州の州都であることを示している。ぼくの足元には煙草の吸殻が落ちているが、ドレスデンでは結構路の上に吸殻が落ちているのを見かけた。
ぼくの乗ったバスの運転手も歩きながら煙草を吸って、ポイとそのまま捨てていた。ちょっと意外な気がしたのを覚えている。
Dresden

これもドレスデンで見かけたマンホールだが、古い教会がある区画のマンホールだ。マンホールというより雨水や側溝を流れる水はけのための穴だと思うが、教会の脇にあるものだけに何となく十字架のようで印象に残った。想像するにずっと昔からそのままだったか、ドレスデンのことだから爆撃で破壊された後に昔と同じ形に復元したのかもしれない。
Berlin


ベルリンでは昔東西の壁があった所には何箇所か壁そのものが残っていて、そこに描かれている絵とともに観光資源にもなっているが、壁が壊された場所でも足元に壁のあったことを示すプレートがはめられている。プレートには長いベルト状になって所々に金属のプレートが埋められているタイプと、しっかりとしたブロンズのプレートが埋め込まれている場合とがある。どちらにもBERLINER MAUER 1961-1989という文字が刻みこれている。
Weimar

ワイマール市という文字が刻み込まれたマンホール。各地で一般的に見るタイプのものだが、丸いマンホールの周りに敷かれた石畳の石を並べるのは大変だろうなぁ、と思いながら撮った。昔も石畳の補修をしている姿をよく見かけたけれど砂を敷いてその上に結構厚みのある石をさし込むように組み上げてゆく。ドイツの古い街には石畳の路が多いけれど映画などで雨にぬれた石畳の上をハイヒールの女性がカツカツと音を立てながら歩いてゆくシーンがあるが、恐らくそんなことをしたら何メートルも歩かないうちに足首を捻挫するのがオチだ。石畳の石と石の間は結構隙間があいているし、その間隔も不規則でもある。ドイツの婦人靴に歩きやすいのが多いのは、そんなことも関係しているかもしれない。
Weimar

今回ワイマールも40年ぶりに訪れたけれど、街の雰囲気は思っていたよりも明るくなっていた。ドレスデンを見たあとでそれと比べると昔訪れた時より、こういう表現は適切でないかもしれないけど、ずいぶんと垢ぬけた感じになっていた。何がちがうということははっきり言えないけれど街なかには東ドイツ臭が全くと言っていいほど残っていない感じがした。そんな中で東ドイツ時代に作られたらしいマンホールを見つけた。もしかしたら違うかもしれないけれど東ドイツはドイツ語で当時DDRと呼ばれていたが、このマンホールにはGDRという文字が見えるし、真ん中のハンマーの印が如何にも東ドイツ風ではないか。
(April 2012)
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My Best 10
桜咲く
「サクラサク」というと、ぼくには苦い思い出がある。インターネットのなかった大昔は、受験の合格発表は自分で見に行くか試験会場で学生等がバイトでやっている電報サービスを利用するしかなかった。特に離れた受験地の場合は大抵試験を受けた時に電報サービスを頼んでおくことが多かった。
いよいよ発表当日に、合格したときには「サクラサク」、そして不合格の場合は「サクラチル」という文面の電報が届くと言う訳だ。ぼくが最初に受け取った電報は「サクラチル」だった。春になってハラハラと桜が散る光景を目にすると、ふとその時のことを想い出すことがある。今年もやっと桜咲くか。
さくら(独唱)
さくら

キンモクセイ
初めて森山直太郎がこの歌を彼独特のファルセットで歌っているのを聴いた時の鮮烈な印象を今でも覚えている。それ以来この歌はぼくにとっての春のオープニング・ナンバーになった。その後、この曲も入っているキンモクセイのアルバム「さくら」を知ってからはこのアルバムを春先に聴くのが春一番の楽しみになった。車を走らせながらこのアルバムを聴くと、ああ春が来たなぁと実感する。
桜色舞うころ
MIKA NAKASHIMA BEST

中島美嘉
中島美嘉の歌は「雪の華」を聴いてから好きになった。そこにはアジアの歌の底流を流れる「切なさ」という響きがある。彼女のかすれ気味の声は微風に揺れた枝からはらはらと桜の花びらが舞い落ちる様を彷彿とさせて感慨深い。
桜坂
VOICE

中村あゆみ
この歌はもちろん本家の福山雅治の歌が好いけれど、中村あゆみのこの歌も捨てがたいものがある。アコースティックギターの調べに乗ってロックの彼女にしてはとても自然に何気ない風に歌っている。それが却って切ない春の訪れを告げるようで心に浸みる。平原綾香の「桜坂 Sakurazaka」も中村あゆみの歌に劣らず素晴らしい。
SAKURAドロップス
DEEP RIVER

宇多田ヒカル
宇多田ヒカルは若くして一気に歌の世界を駆け抜けてしまい、今は立ち止まって充電をしてるのかもしれない。ぼくは今でも彼女があの「Automtic」で鮮烈にデビューした時のことを忘れていない。彼女がブレイクしたその時にはぼくはもう充分中年と言っていいサラリーマンになっていたけれど、通勤電車の中でのイヤホーン・ラジオから流れてきた強烈なビートで始まる「Automatic」に出会ったショックは今でも覚えている。それは今まで日本人の女性歌手の歌からは聞かれなかったテイストを持っていた。彼女の曲は一見曲の流れに乗りにくいような口語スタイルの歌詞が彼女の歌声と感性で抵抗なく溶け合っている。このSAKURAドロップスにもそんな宇多田節が現れている。
桜
No Reason ~オトコゴコロ~

高橋真梨子
日本人の女性歌手の歌を聴いていて巧いなぁと感心することが時々あるけれど、高橋真梨子もぼくにとってはそんな歌手の一人だ。ペドロ&カプリシャスの時代から良く聴いていたけれどソロになってからの方が好いように思う。自分の感性で曲を選べるようになったからだろうか。この「桜」は彼女のボーカルが多重録音になっていると思うのだが、それがこの曲を盛り上げている。杏里、布施明の歌うこの曲もとても好いとおもう。
Cherry
Compact Jazz

The Singers Unlimited
スイングル・シンガーズやマンハッタン・トランスファーそしてこのシンガーズ・アンリミテッドなどのジャズ・コーラス・グループの歌を聴いていると段々と心が軽くなってくるような気がする。人間の声が作り出すハーモニーや小気味のいいテンポは理屈抜きでぼくの身体の中に潜んでいた元気の素みたいなものを引き出してくれる。小気味いいテンポのこの「Cherry」にもそんな力がありそうだ。
Sakura, Sakura (Traditional Japanese Melody)
Portrait Of Rampal

Jean-Pierre Rampal
最近はあまりフルートの曲を聴くことは少なくなったけれど、大学の頃はこのランパルやオーレル・ニコレのフルートを好く聴いていた覚えがある。透明なランパルのフルートの音を再現しようと何回かスピーカーを変えてみたが、当時は特に高音部が満足のいく音が出せなかった。この「さくら、さくら」はもちろん日本向けに録音したものだと思う。イントロのあれ、お箏かなと思う部分も良く聴いてみるとハープで弾いているようだ。この曲を聴きながら道明寺の桜餅なんかを頬張りお茶を一服というのも好いかも知れない。もっとも、ぼくには桜餅とビールという組み合わせもアリだけれど…
心根 ~一本桜~
SONGS

山本潤子
このアルバムには歌詞の付いているこの「心根~一本桜~」と歌詞のないハミングだけの「一本桜 [ヴォーカリーズバージョン]」の二曲が入っている。どちらかといえばヒーリング・ミュージックのようなゆったりとしたメロディーが心に浸みてくる。一本桜 [ヴォーカリーズバージョン]の方を聴いているうちに以前見た福島の三春の滝桜を想い浮かべた。まさに桜の精の化身のような雄大で見事な滝桜を前にして自分の小ささを思い知ったことを想い出した。
あの日、桜の下で
「10年」~70年代の歌たち~

クミコ
クミコの歌はどれもとても物語性が強く感じられるのだけれど、この曲もまたそうだ。思春期の春の一日の光景が淡い歌声の向うに見えてくるようだ。このアルバムにはタイトルが示すように70年代の歌が入っている。十年、闇夜の国から、時の過ぎゆくままに、喝采、「いちご白書」をもう一度、等など13曲。
桜三月散歩道
氷の世界

井上陽水
歌のタイトルも口に出して言うとテンポが好い。歌詞は♪ 街へ行けば、人が死ぬ~など如何にも井上陽水の曲らしいシュールな内容だが、テンポはいかにも春らしく軽快だ。井上陽水は今でも頻繁にライブをしているがその中でも良くこの曲は歌われているようだ。キンモクセイのアルバム「さくら」に収録されているこの曲も歯切れがよく軽快で好い。
(Apr. 2012)
The Best in my iPod <Music>
My Best 5
流行歌
(後篇)
流行歌は誰のものか?
一昔前までは流行歌というのはそれをヒットさせた歌手のものだとされていた。だからそれを他の歌手が歌ったり録音することは殆どなかったと言っていい。
それは一つの流行歌が生まれヒットするまでの努力、つまり一つは著名な作曲家や作詞家に歌を作ってもらえるようになるまでの努力、そして歌が生まれてからは地方のレコード屋の店先でのミカン箱かビールケースの上での歌唱から始まって、有線局回り、放送局回りと涙ぐましい努力の果てにやっと数十曲に一曲のヒット作にたどり着く、そんな背景を持っていたからかもしれない。
その基本的な図式は今でも変わらないかもしれない。変わったとすれば、昔に比べて著作権と言う考え方が普及して作曲家や作詞家の権利にも目が向くようになって、流行歌というものが歌手だけではなく作曲家、作詞家そして聴衆と時代というものの複合体であったという認識が強くなってきたこと。
そしてもう一つは流行歌の発生から早一世紀を経て、いわばその音楽的な遺産ともいうべきものが数多く残されておりこれを捨て去るのは惜しいという意識が出てきたことかもしれない。前篇に続いて残りの5曲をチョイス。
なごり雪
Reminiscence

庄野真代
Original:1974年 かぐや姫/イルカ(1975)
元はかぐや姫が歌った曲だが、大ヒットしたのはイルカが歌ってからだと思う。カバーバージョンの方ががヒットしたという例だ。ぼくも覚えているのはイルカが歌ったバージョンの方だ。この頃から競作やカバーというものが出始めたのかもしれない。「なごり雪」という言葉は無いが、冬の終わり春の初めに訪れる人との別れのなごり惜しさを降る雪に託したのだろう。
この庄野真代の「なごり雪」はハスキーな声でちょっとだるそうな、いかにもこの40年間の時代の隔たりを感じさせるようなものだ。イルカが歌っていたストレートな哀愁というものはもしかしたら昭和のあの時代の空気だったのかもしれない。
1974年、この年ぼくは就職した。第一次オイルショックの就職難を乗り切り就職が決まったのに入社前研修の最終日、人事部との面接で生意気な暴言を吐いたためか、入社と同時にいきなり関連子会社に出向させられた。小野田少尉がルバング島から帰還、ニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任、ぼくはリチャード・バックの『かもめのジョナサン』を読んでは自分をなぐさめていた。イルカの「なごり雪」がいやに心に染みた。
時の過ぎゆくままに
「10年」~70年代の歌たち~

クミコ
Original:1975年 沢田研二
この前久しぶりにテレビで沢田研二を見たら、ちょっといけないものを見てしまったような気になった。天地真理以来のショックか。このクミコの歌は実に情感が豊かでシャンソンめいた香りさえする。それに比べると70年代はパワーの時代だったのかもしれない。
この年1975年にぼくは結婚した。上司に平日は仕事が忙しいのだから結婚式は土曜日にしろと言われて土曜日にした覚えがある。知らなかったのだが、その日は自分の会社の創立記念日だった。ぼくは入社即、出向されられていたから本社の創立記念日などは頭になかった。お陰でその後本社に戻ってからは創立記念のイベントがあるので毎年結婚記念日を忘れることは無かった。
その年の頭を過ること…。ザ・ピーナツが引退したこと、三木首相が右翼に襲われたこと、沖縄海洋博が開かれたこと、その頃まだ高かったテニスのテレビゲームを買ったこと、街に布施明の「シクラメンのかほり」が流れていたこと。
卒業写真
The Cover!

Hi-Fi Set
Original:1975年 荒井由美
ぼくが当時良く聴いていたのは荒井由美(松任谷由美)の方ではなくて、Hi-Fi Setのアルバム「卒業写真」に入っていた歌の方だと思う。大学時代はジャズとクラシックばかり聴いていたけれど、就職してからはコンサートやライブに行く時間も無く精神的にも軽めのものを求めるようになっていたのかもしれない。
この「卒業写真」は今ではカバー曲の典型的なものになって多くのカバー曲集に顔を覗かせている。ぼくのiPodにも8人位のアーティストの歌で入っているけれど、その中でも山本潤子、松山千春、徳永英明、コブクロの歌が特によかった。カバー曲の一つの醍醐味はその曲が各々のアーティストのもつ「スタイル」でどう変化し新しい顔を見せてくれるかということにあると思う。
津軽海峡・冬景色
カバー・ベスト・コレクション

テレサ・テン
Original:1977年 石川さゆり
流行歌の中でも特に演歌は自分の持ち歌という感覚が強い分野だと思う。この津軽海峡冬景色は阿久悠の詩の斬新さもあって、演歌の領域を超えて広く長くヒットして行った。この曲は余りにも石川さゆりという歌手と一体になっていたので、世間では長いこと他の人間の歌で聴きたいとは思わなかったかもしれない。それでもカバーアルバムの広がりに呼応するようにここ数年でカバーされる局の中に入るようになってきた。
この曲のカバー歌手としては森進一はすぐ浮かんでくるが、あがた森魚やアンジェラ・アキ、山崎まさよし等は意外性があって愉しかった。ぼくはそんな中でもこのテレサ・テンのものが好きだ。彼女の歌声と感性は日本の演歌にアジアの翅を与えてくれるような気がするからだ。
70年代は流行歌の黄金時代と言っても好いかも知れない。これからもそれらの歌は新しいアーティストのスタイルを通して生き続けてゆくと良いと思っている。
少年時代
YOSUI TRIBUTE

忌野清志郎
Original:1990年 井上陽水
数あるカバー・アルバムの中でぼくが一番好きなのがこのYOSUI TRIBUTEだ。井上陽水の曲を様々な歌手が歌っている。
1. 夢の中へ / TRICERATOPS
2. 東へ西へ / 布袋寅泰
3. 心もよう / 平原綾香
4. リバーサイド ホテル / 奥田民生
5. いっそ セレナーデ / 小野リサ
6. 限りない欲望 / Bank Band
7. カナリア / ジェーン・バーキン
8. 傘がない / UA
9. いつのまにか少女は / 持田香織
10. とまどうペリカン / 松任谷由実
11. 白い一日 / 玉置浩二
12. ワインレッドの心 / DOUBLE
13. ジェラシー / 一青窈
14. 少年時代 / 忌野清志郎
驚くほどのバラエティーである。その最後を飾っているのが、忌野清志郎の少年時代だ。残り少ない夏休み。夏の光を浴びて伸び伸びと遊びまわる少年がふと空を見上げる。そんな少年の中に流れている時間の清々しさが忌野清志郎の声を通じてぼくらの心に響いてくる。流行歌はこれからも何度も生まれ変わってゆくと思う。
(Feb. 2012)
gillman*s choice <Art>
My Best 10
常設展に行こう!
国立西洋美術館
[絵画]
上野の国立西洋美術館はぼくの好きな美術館の一つだ。考えてみるともう40年以上の付き合いになる。
最初に行き始めた時に比べると新館ができたり、地下が拡充されたりと展示スペースは三倍位になっている。
最近ではコルビジェ設計のこの建物を世界遺産に登録しようという運動もあるらしい。独立法人になって収益上の期待もあってか優れた特別展も多いが、かなりの人出がある特別展の時でも常設展示の部分は人もまばらなことが多いのは少し寂しい気がする。
ここの常設展は実は西洋絵画の流れを本物を前にしてコンパクトに把握できる優れたものだと思う。もちろん展示の中心は松方コレクションの基本をなす印象派時代の作品だけれど西洋絵画の流れを意識した作品の収蔵も優れたものだと思う。気になるのは独立法人になって以来、収益的にはとても厳しくなっており、新たな収蔵品を増やせない状況にあるらしいことだ。
世界遺産になることで世間の目がそちらの方にも向かって状況が改善されれば好いのだが、話題だけの空疎な観光スポットになってしまっては寂しいと思うのだが。
ピアノを弾く妻イーダのいる室内
Interior with Ida Playing the Piano

Vilhelm Hammershøi
1864 - 1916
最近になって展示順路の最後の所に展示されているハンマースホイの作品だ。収蔵作品入りしたのは比較的最近だと思う。苦しい作品購入予算の中で良く手に入れたと思う。ぼくも行ったけれど2008年にここ「西美」で開かれた「ヴィルヘルム・ハンマースホイ・静謐の詩情」は今まで西美で行われた特別展の中でもピカイチの出来だったと思う。
彼のこの晩年の作品にはハンマースホイの静謐さとミステリアスな要素が強く出ていると思う。彼の妻イーダが描かれているという点も良い。西美で行われた「ヴィルヘルム・ハンマースホイ・静謐の詩情」展の図録は、恐らく日本で出版されたハンマースホイの唯一、最良の画集だと思う。
貧しき漁夫
Poor Fisherman

Pierre Puvis de Chavannes
Lyon, 1824 - Paris, 1898
時代的には印象派の時代だが、絵は一見フレスコ画のような雰囲気をもっている。この絵を描いたシャヴァンヌはロダンやカリエールとも親交が深かったらしくいわゆる印象派とは画風が異なっている。彼の作品この「貧しき漁夫」はフレスコ画のような色調の画面の中央に配置された小船の中で、漁夫が立って何かを祈っているような光景が描かれている。
彼の足元には幼子が寝ている。特定の主題に添って書かれた宗教画ではないが、宗教的な雰囲気を漂わせていると思う。この画面とそっくりな彼の作品をパリのオルセー美術館でも見たことがある。そちらの絵には母親らしき人物も描かれていた。
以前西美で自分の好きな作品について短いエッセイを公募したことがあって、ぼくはこの作品についてエッセイを書いたことがあった。幸いにも館長賞を頂いて半年ほどこのシャヴァンヌの絵の脇にぼくのエッセイのプレートが掛けられていた。愉しい経験だった。
⇒Ansicht05「ずっと祈っていますね シャヴァンヌ」
坐る女
A Seated Woman
Foujita Tsugouharu
Tokyo, 1886 - Zurich, 1968
藤田嗣治の絵は独特の雰囲気を持っている。油彩でありながら限りなく日本画のような雰囲気を持っている。あの乳白色が当時のフランスでもフジタの作り出す奇跡のように賞賛されていた。
戦時中に軍の指揮のもとで戦争画を描いたことで結果として戦後フジタは日本から排除されたような形になってしまったが、フジタの絵はそれでもしっかりと日本と西洋を結び付けているような気がする。もっとも彼がこの絵を描いた1929年には戦争のことも、それが彼にもたらした厳しい試練のことも彼は知る由も無いのだが… 西美にはないがぼくはフジタの描く猫が大好きだ。⇒「藤田嗣治画文集 猫の本」
悲しみの聖母
Mater Dolorosa

Carlo Dolci
Florence, 1616 - Florence, 1687
カルロ・ドルチは17世紀にイタリアのフィレンツェで活躍した画家らしい。この画家のことはあまり知らないけれど、美術館で実際の絵を前にすると何とも言えない気品が伝わってくる。古来よりこの「悲しみの聖母」というテーマは多くの画家が祭壇画などにも描いているけれど、この絵は個人宅に飾るような感じの絵なので個人の注文主の要望に沿って描かれたものかもしれない。モデルは彼の新婚の妻とも言われている。宗教画の形を借りて愛する女性の姿を残したいという気持ちが伝わってくるようだ。
罠にかかった狐
Fox Caught in a Trap

Gustave Courbet
Ornans, 1819 - La Tour-de-Peilz, 1877
クールベの絵が好きになったのは、やはり西美にある彼の作品「波」を見てからだった。英仏海峡に押し寄せる大波を力強いタッチで描いたその作品はとても印象的だった。(大原美術館には同じ波の絵で、もう少し穏やかな海を描いた「秋の海」があるが、そちらもすばらしい)
彼は海の風景を多く描いたけれど西美にはこのキツネの絵と馬小屋の馬の絵がある。身近な題材としての動物にも彼の鋭い観察眼は生きている。とくに罠にかかった狐を描いたこの作品は、餌の少ない冬の野山で罠に掛かってしまった狐の鳴き声が今にも聴こえて聞こえてきそうな気がする。
コンスタンティーヌ、アルジェリア
Constantine, Algeria

Maurice Denis
Granville, 1870 - Saint-Germain-en-Laye, 1943
西美はかなりの数のドニの作品を所蔵している。ドニの絵は淡い色と装飾的な構図が特徴的で、それは西美に展示されている「踊る女たち」の大画面に代表されるかもしれない。もちろんこれらの作品も好いけれど、ぼくは以前見たこの風景画が好きだ。
残念ながら今は展示されていないけれど、彼独特の淡い色彩が構成的な建物の画面と相まって、いつか見た夢の中の街のように心地よい印象を与えている。また展示をして欲しいものだ。
あひるの子
Ducklings

John Everett Millais
Southampton, 1829 - London, 1896
ジョン・エヴァレット・ミレイの絵は40年くらい前にイギリスのテートギャラリー(今のテート・ブリテン)で「オフィーリア」を見て以来、その人物描写の素晴らしさに魅せられていた。シェークスピアの「ハムレット」の一場面であるオフィーリアの入水のシーンで、着飾ったまま水面に浮かぶ気のふれたオフィーリアの姿が切ないほど美しく描かれていた。
西美の「あひるの子」と称されたこの作品も彼の人物描写の巧みさが遺憾なく発揮されている。こちらを射抜くような少女の無垢な視線はぼくをハッとさせるものがある。具体的なモデルがいて描いたものではないらしいけれど、見つめると確かに少女が絵の中で息づいているように思える。
雪のアルジャントゥイユ
Snow in Argenteuil

Claude Monet
Paris, 1840 - Giverny, 1926
モネは松方氏や松方コレクションを支えたブラングィンと知己の間柄だったらしく西美の収蔵作品の数も多いし質も高い。もちろん睡蓮の作品もすばらしいにちがいはないがこの雪のアルジャントゥイユにはそれとはまた違った味わいがある。この作品は比較的初期のものだが、雰囲気がとても良い。雪が積もった朝の道を人々が行き交った雪道の痕跡が鮮やかに時間を刻んでいる。
ちなみに、ぼく自身はモネの作品では一連の睡蓮の作品よりも、野原での真っ赤なポピーが描かれている連作の方が強烈な印象を持っている。
眠る二人の子供
Two Sleeping Children

Peter Paul Rubens
Siegen, 1577 - Antwerp, 1640
西美にはルーベンスがこれを含めた二点しかないし、その二点とも習作なので取り立てて…、という感じもするが、この「眠る二人の子供」はもしかしたら習作であるがゆえに自由に描けているような気がしないでもない。 一昨年、ウィーンに行った時に美術史美術館を訪れてルーベンスの大作を呆けるように見つめていた愉しさを今でも思い出すけれども、この絵は本当に小さいけれど見る者に与える力は大画面の力作に劣らないほど強いと思う。幼子の薔薇色の頬に瑞々しい命の美しさが宿っていると思う。
ヴァニタス-書物と髑髏のある静物
Vanitas - Still Life with Books and Manuscripts and a Skull

Edwaert Collier
c. 1643 - 1710
コリールの描くヴァニタスの世界は、去年ホキ美術館で見たあの透徹した超レアリズムの世界に通じるかもしれない。
寓意絵画というのは世界にいくつかあるけれども、その中でもヴァニタスの世界は独特かもしれない。書物や時計、本や財布など世の中のモノが極めて精密に描かれているが、それは如何に人生がそれらのモノに彩られていても、現世は儚く短いものだというヴァニタスの世界観を引き立てるためなのだ。ヴァニタスとはラテン語で「空虚」のことだけれど、それは突き詰めれば写真家、藤原新也の写真集「メメント・モリmemento mori」(死を想え)のように、心して今を生きるということにも通じる世界観でもある。
以前、西美に行ってこの絵の前に立った時、小学生らしい少年が熱心にこの絵に見入っていた光景を目にした。彼は一体何に興味があったんだろうか。
西美にはまだまだ素晴らしい作品が溢れている。これからもずっと西美を愉しみたいと思う。
(Jan. 2012)
The Best in my iPod <Music>
My Best 10
流行歌
はやりうた
去年は由紀さおりの「夜明けのスキャット」が世界中で注目を浴びた。忘れられていた流行歌が何かの拍子に息を吹き返すということがあるものだ。
流行歌には昔の歌謡曲や演歌、フォークを中心に膨大な数の曲の遺産がある。明治以降に近代西洋音楽を取り入れようとして考えられた唱歌がその源になっているのかもしれない。
それが日本人の「切なさ」というメンタリティーに翼を与えて時代、時代の色を帯びた流行り歌となって広がっていったのだと思う。
週単位でランキングが入れ替わってゆく現代の流行歌は時代の色彩を帯びる間もなく消え去ってゆくのが寂しい。
一方「カヴァー曲」という新たなジャンルの中で昔の流行歌が新たな翼を与えられるようになったことはなによりも嬉しいことだ。
ゴンドラの唄
カバーソング コレクション[Disc2]
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美空ひばり
松井須磨子が歌い大正5年位から段々と流行り始めたらしい。この歌が作られた1915年(大正4年)は前年に第一次世界大戦が勃発、ドイツ海軍がイギリス周辺を交戦海域に指定し、Uボートによる無制限潜水艦戦が開始された。ぼくの親父もこの年に生まれた。
ぼくが覚えているのは、1952年の黒澤明監督作品『生きる』で、末期のガンに侵された志村喬演じる公園課の職員である主人公が、雪の降る夜ブランコをこぎながら、この歌を口ずさむシーンだ。「命短し、恋せよ乙女…」降りしきる雪が歌とともに心に浸みこんできた。美空ひばりの歌も心に浸みる。
蘇州夜曲
届けたい ~あなたに歌を

新垣勉
この歌が作られた1940年にドイツ軍がパリに無血入城した。世界はまたキナ臭い暗雲に満ちていた。この歌は最初は山口淑子(李香蘭)が映画「支那の夜」の中で歌った挿入歌だったが、同年渡辺はま子が録音したものが大ヒットした。
このアルバムで歌っている新垣勉は沖縄出身の盲目の歌手だ。他人から見れば出生から不幸の塊みたいな新垣の人生にとって、歌がどれほど大きな価値を持っているかは、この歌を聴いただけでも分かるような気がする。どこまでも透明な新垣の声はそのままストレートにぼくらの心に入ってくる。
悲しき口笛
美空ひばり トリビュート

宇崎竜童
1949年に美空ひばりがこの歌を歌った時には、日本にはまだ進駐軍とか浮浪児とか、もう今では死語になってしまったようなものが身の回りに溢れていた。世界では中華人民共和国がやっと成立してアジアが大きく動き出した時代といえるかもしれない。宇崎竜童の声がいかにもその時代のやり切れなさを現して見事だ。
アカシアの雨がやむとき
TWIN PERFECT COLLECTION [Disc 1]
![TWIN PERFECT COLLECTION [Disc 1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_TWIN20PERFECT20COLLECTION205BDisc2015D.jpg)
おおたか静流
この歌ができた1960年、日本は自信を取り戻しながら地べたから這いあがりつつあった。その年ソニーは世界初のトランジスタテレビを発売して、メイド・イン・ジャパンという旗を掲げつつあった。そんな中で巷に流れた西田幸子のこの歌は「アカシアの雨に打たれて、このまま死んでしまいたい…」という至極後ろ向きな歌詞で始まる。 それは遮二無二走り始めた日本人の心の疲れの表出だったかもしれない。おおたか静流のけだるい声はそんな雰囲気を今風に表現しているようだ。
いつでも夢を
東京タムレ 原由子\東京タムレ

原由子
1962年には藤田まことの「てなもんや三度笠」が放送開始。ぼくは中学生だったが学校では何かというと「当たり前田のクラッカー」と言うのが流行っていた。家庭の中に本格的にテレビが入りこんできた時代だった。吉永小百合・橋幸夫。今考えるといかにも奇異に思える組み合わせも、その時の言わばアイドルの吉永さゆりとトップシンガーの橋幸夫というビッグ・カップルだったのだ。この歌には明るい未来への希望が溢れている。
この頃から外国の歌手が日本の流行歌を歌うという動きが出てきたように思う。ぼくはリトル・ペギー・マーチの歌った「霧の中の少女」という曲が好きだった。このアルバムの原良子と桑田圭佑が歌う「いつでも夢を」は原曲に負けないくらい好い。
上を向いて歩こう
坂本九トリビュートアルバム

長渕剛
元々作曲されたのは1961年らしいが、1963年に坂本九のこの曲がアメリカのビルボードのトップチャートに登ってブレークした。海外で認められた初めての日本の曲かもしれない。ぼくが1970年にモスクワのホテルに泊まった時、ホテルのレストランのバンドがこの曲を演奏してくれたのを聴いて感激した覚えがある。この年、街頭テレビのヒーローだった力道山が刺されて死亡する。テレビも新しい時代に入りつつあった。
長淵剛の歌ったこの曲は大震災に打ちひしがれたぼくら日本人の心に深く響いたと思う。
お嫁においで
The Golden Oldies

福山雅治/Fukuyama Engineering Golden Oldies Club Band
1966年にはトヨタ自動車が「カローラ」を発表し日本も本格的なモータリゼーションの時代に指しかかった。
「若大将」シリーズでブレークした加山雄三の屈託のない「幸せだなぁー」というフレーズが日本人のその時代の高揚感を現しているようなきがする。
福山雅治のこのアルバムはぼくの大好きなアルバムの一つだけれど、ずいぶんと洗練された歌い方でやっぱり時代は変わったんだなぁと実感する。
星影のワルツ
遠藤 実 ビギンの一五一会 58ドライブ

BEGIN
1966年にはビートルズが来日し、日本武道館で公演が行われた。日本の高度成長時代の一つのピークだったかもしれない。「別れることは辛いけど、仕方がないんだ君のため…」という過去への決別を暗示するような歌詞のこの歌をヒットさせた千昌夫自身が、眩しいような日本のバブル経済の象徴のような存在になり、そしてやがてバブル崩壊の象徴にもなっていったということは何とも皮肉なことだ。
BEGINの歌はそんな時代背景を抜きにしても純粋に別れの歌としての情感が伝わってくる。
亜麻色の髪の乙女
[男歌 version]
すぎやまこういち 男歌 ~cover song collection~

島谷ひとみ
彼女がTVのシャンプーのコマーシャルで歌って再ブレークした。アカペラで歌ったあの時のCMは原曲のヒットをリアルタイムで体験しているぼくにとっても新鮮だった。グループサウンズのヴィレッジ・シンガーズがこの歌を歌った1968年、ぼくはテレビにくぎ付けになっていた。
フィリピンで革命がおこり、テレビはフィリピンのマルコス大統領が国外脱出する様子を逐一伝えていた。
また逢う日まで
筒美京平-阿久 悠 the popular music Compilations

CRAZY KEN BAND
流行り歌にはその曲と一体になった歌手が存在する。特にその歌手がその一曲だけでぼくらの記憶の中に存在する場合には曲とその歌手を頭の中で切り離すことがとても困難になることがある。尾崎紀世彦もそのような歌手の一人だ。CRAZY KEN BANDの演奏はそんな固定概念を切り離してくれるのに十分なものだ。今の曲として蘇っている。この年1971年にはキッシンジャー米大統領補佐官が日本の頭越しに中国を極秘訪問して、新たな米中時代が出現しつつあった。
~後篇につづく~
(Jan. 2012)
The Best in my iPod <Rakugo>
My Best 5
大晦日の奇跡
「芝浜」を聴く
おりしも噺の舞台は大晦日。腕はいいが一旦酒を飲んでしまうと仕事にも行かずグズグズになってしまう棒手振り魚売りの魚屋の勝五郎。ある朝女房に無理やり暗いうちから河岸に送り出されて、むしゃくしゃしているところに芝浜の海岸で大金の入った財布を拾います。
その金を持ち帰り魚勝は仲間を呼んでどんちゃん騒ぎ。女房はこのままでは亭主が本当にダメになってしまうということで、全ては夢の中の出来事だったと泥酔から覚めた魚勝に思い込ませます。
それ以来ぷっつりと酒をやめた魚勝は懸命に働いて数年後には毎年のように借金取りに追われて逃げ回っていた大晦日も、全ての払いを早々と済ませ夕方には夫婦してのんびりとお茶を飲めるようにまでなりました。
お茶を飲みながら女房は魚勝に実はあの日のことは夢ではなく、本当のことだったと打ち明けます。夫に殴られる覚悟で涙ながらに語るのですが…
この「芝浜」は先日亡くなった立川談志の十八番でした。代々の名人上手と言われる噺家はこの噺を大抵自分の題目に加えていますが、談志の「芝浜」は一時間の長丁場で、観ていて落語というよりは新派の舞台を観ているような気にさえなります。
噺の下げの所で…
魚勝は女房を叱るどころか、あのままだったら自分は本当にダメになっていたと礼を言います。久しぶりに女房が酒を用意して「おまえさん、ここまで来たんだから今夜はゆっくりとお呑みよ」と勧めます。
何年ぶりかの酒に魚勝は嬉しそうに盃を口元に運びます。しかし、そこでピタリと手を止めて…
「よそう、また、夢になっちまうといけねぇ…」
芝浜
立川談志プレミアム・ベスト落語CD-BOX (Disc 7)
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立川談志
60分/2001年12月21日 よみうりホール録音
この録音では、いつものように端は歴代名人の声色でやるなど遊びながらやっているが、段々と客を引きこんでゆく。この「芝浜」は三代目桂三木助が好い噺に仕上げたと言われるが、その三木助バージョンでの場面演出にも注文をつけているところなどは談志らしい。この噺では三木助の演出を踏襲している落語家が多く、早朝の芝の海岸で、魚屋が海の水で顔を洗って目を覚ますシーンがあるが、談志は「ベトベトしちゃって、塩水で顔なんか洗ゃしないやねぇ」と即断。
大晦日に女房が魚屋を夢だと騙したことを告白するくだりは、噺の冒頭では投げやりだった女房が、心底魚屋を想い惚れている可愛い女房に変わっている。談志の芝浜は人間の情、弱さをそのまま全て優しく包み込んでいる好い話になっていると思う。三木助の噺をまた一段超えていると感じた。
芝浜
ききたい落語家シリーズ6 三代目桂三木助

三代目桂三木助
35分/1954年12月29日NHKラジオでの録音
三木助の声は子供の頃ラジオから流れてくる懐かしい落語家の声だ。今の噺家には中々似合わない「アタシ」という言い回しが耳に心地よい。三木助の演じる魚屋の女房は声の調子をそれ程上げるわけでもないがちゃんとカミさんの声に聴こえている。不思議なものだ。演出としては談志は批判するけれども、早朝の芝浜で朝日に向かって気持ちを取り戻すまでのリアルな運びや、もちろん女房の告白のくだりも素晴らしい。
談志の演ずる女房が可愛い女房なのに対し、三木助の演ずる女房はいかにも健気でしっかり者の女房と言う印象がある。他の噺家の話の中では、見つけた財布には42両の金が入っていたことになっているが、この録音の三木助の話のなかではなんと82両になっている。どうやら三木助は時々金額を変えていたようだ。
芝浜
古今亭志ん朝新選独演会5

古今亭志ん朝
37分/1979年11月12日大阪毎日ホール録音
志ん朝の芝浜は三木助の系統とはちょっと異なっている。恐らく親父さんの志ん生からのものだと思う。他の落語家の芝浜の魚屋の名前は勝五郎つまり魚勝だが、志ん朝の話の中では熊五郎で魚熊となっている。
見つけた大金もここでは50両になっている。話の演出としては三木助の芝浜は魚屋が女房の勘違いで一刻(いっとき)早く家を出されたために、誰もいない芝の海岸をうろつき、その時の光景を事細かに描写しているのに対して、志ん朝の噺では、早朝家を送り出された次の場面では、もう熊が大慌てで家に戻ってくるところから始まる。 海岸でのくだりは熊が女房に大金を発見した経緯を説明する中で語られる。志ん朝の演じる女房は談志とも三木助とも異なり、もう少し明るくガラッパチだが芯はしっかり者という雰囲気だ。前半のガラッパチさがラストの告白の時のしおらしさを一層引き立てている。何よりも志ん朝独特のテンポがいい。それに随所にちゃんとくすぐりが入っていて江戸の噺としての面目躍如たるものがある。
芝浜
五代目三遊亭圓楽 落語名演集3

五代目三遊亭圓楽
24分/1983年7月4日 四谷倶楽部録音
五代目圓楽の芝浜もテンポがいい。彼の場合特に地の語りの部分の歯切れ良さがぼくは好きだが、この噺では人物の掛け合いの所にも好い味がある。魚勝と女房の関係は飲兵衛でヤンチャな魚勝を良くできた女房がなだめながら働かせていたような風情が感じられる。
浜から帰った魚勝が財布を下帯の中に隠していたので下帯がずぶ濡れになってしまった。自分が酒を飲んで寝ているうちにカミさんが脱がせて取り換えておいてくれなどと甘ったれたことを言わせている。五代目の演じる熊はどれだけ酒好きかがしっかりと伝わってくる。それが熊が酒を断って働いた月日の長さをきちんと伝える助けをしていると思う。
芝浜
三遊亭楽太郎 十八番集3

六代目三遊亭圓楽
38分/2009年12月8日 横浜にぎわい座録音
これは六代目がまだ楽太郎の時代に録音したものだが、上の4人に比べればBest5に入れるのはまだ早いような気がする。
六代目三遊亭圓楽の襲名披露の公演にもいったが、正直言ってゲストで出ていた立川談春に負けていたように思う。
噺の構成は先代のものをほぼそのまま持ってきているが、くすぐりのところがまだ先代のように笑える形になっていない。掛け合いのテンポは悪くないと思うが、主人公の魚勝の声が押し殺したような声に聴こえるのでもう少し地の語りの声のように自然なものでも良いのではないかと思う。ぼくは長く聴いているとちょっと気になる。
いずれにしてもこれから六代目としての自分の噺に仕上げていってもらいたいものだ。六代目は偶然だが両国中学でぼくの後輩にあたる。いつかは掛け値なしでBest5に入って欲しいと願っている。
(Dec. 2011)
Best in my iPod <Music>
Autumn Leaves
Jazz Best5
今頃になると色々なところで「枯葉」を耳にする。元はイブモンタンがフランス映画の「夜の門」の中で歌った挿入歌らしいが今は英語の歌詞で歌われることも多い。
「枯葉」はジャズの分野でも今ではスタンダード・ナンバーになっている。
ぼくのiPodの中の「枯葉」を検索しようと思って"Falling Leaves"と入れたら何も出ない。そうか「枯葉」はAutumn Leavesだった。
Autumn Leaves
Portrait In Jazz

Bill Evans
この1959年のアルバムPortrait In Jazzはエバンスのアルバムの中でもWalz for Debbyと並んでぼくが最も好きなもののひとつだ。エバンスのAutumn Leavesにはいろいろなバージョンがあるけれど、その中でもこのアルバムの中のそれが特に素晴らしいと思う。このアルバムの中にはステレオでのテイクとモノでのテイクの二種類のAutumn Leavesが収録されている。どちらも文句なしの出来だけれど、モノの方にはLP時代の懐かしい音が生きているような気がして好きだ。
どちらのテイクも曲の最初からエバンスの軽妙なタッチにいきなりひきつけられてしまう。曲の最初から寄り添うように歌っていたスコット・ラファロのベースがやがて少しづつ前に出てエバンスのピアノとのインタープレイに発展してゆく。その移り変わりこそエバンス芸術の一つの醍醐味だと思う。秋だけでなく一年中聴いていたい「枯葉」だ。録音は1959年12月28日。
Autumn Leaves
Dear Oscar

小曽根真
このアルバムはタイトルの通り小曽根が尊敬するオスカー・ピーターソンに捧げたもの。Autumn Leavesという曲のアレンジの中ではぼくは小曽根のこれが一番気に入っている。小曽根のピアノ・テクニックは言うまでもないけれど、まさにピターソンばりのスムーズな流れとノリに聴いていて心が弾んでくる。この曲での枯葉は、ハラハラと散る枯葉というよりも風の中で軽妙に踊る木の葉が彷彿とする。ベースの北川潔、ドラムスのクラレンス・ペンとのトリオが最高。
Autumn Leaves
She was too good to me

Chet baker
チェット・ベーカーに心酔するファンからはこの時代の彼の演奏を軽すぎると嫌う向きもあるようだけれど、ぼくは好きだ。実に軽快なチェットのトランペットのイントロにポール・デズモンドのドラムがからむあたりはジャズィーで好いけれど、後半から出てくるボブ・ジェームズのピアノがエレクトリックなのがイージーリスニングっぽくて気に障るという意見もあるが、ぼくは却ってそれが好い効果を出していると思う。
今聴いても軽すぎると言う印象は無い。なにもしかつめらしく聴くだけがジャズの楽しみではないと思う。(1975年録音)
Autumn Leaves
D・N・A Live in Tokyo

Roland Hanna/日野皓正
前のチェットの枯葉が軽妙なトランペットで始まったのに対して、この日野皓正のAutumn Leavesはピアノのハナとの物静かなダイアログで始まり、続いて空気を切り裂くような日野皓正の鋭いトランペットの音色が続く。テンポは比較的ゆっくりで正にクールな秋の光景が浮かんでくる。日野皓正(tp)、ローランド・ハナ(p)、ロン・カーター(b)、ジャック・デジョネット(ds)というとても豪華な顔触れも好い。
ライブの最後に日野照正が観客に向かって"Thank you so much!"と言ったのがなんか場違いに軽かったけど…
Autumn Leaves
The Golden Striker

Ron Carter
ロン・カーターはベーシストとしては恐らく日本では一番人気があると思う。ぼく自身はどちらかというとポール・チェンバースの方が好きなのだけれど… このロン・カーターのアルバムをここに入れたのはトリオを組んでいるギターのラッセル・マローンとピアノのマルグリュー・ミラーとの組み合わせが絶妙で全体としてとても大人の雰囲気になっていると思うからだ。
< +Plus One >
Autumn Leaves
Best

Gontiti
これはジャスではないけれど数あるAutumn Leavesのインストルメンタルな演奏の中でも素晴らしいと思うのでPlus Oneとして挙げておきたい。Gontitiはユニークな日本のギター・デュオだが、かれらのこのアルバムはBest版にふさわしい素晴らしい出来だと思う。
その中でもAutumn Leavesはアコースティックなギターデュオに加えてバイオリンの金子飛鳥の演奏が加わって独特な素晴らしい世界を作り出している。曲の後半になって段々とテンポが上がってゆき、ギターとバイオリンが一体となってクライマックスへと突き進んでゆくプロセスは一聴に値する。
(Dec. 2011)
gillman*s choice <music>
イヤースピーカーを換えたら
聴き直したい曲
Best10
(Classics編)
昔はけっこう高級なヘッドフォンを使っていたが、iPodは考えてみたら長いこと買った時についていたイヤーフォンでずっと聴いていた。特段不満はなかったけれども、ある日そう言えばイヤーフォンだって今は良くなってるんだろうなと思って、大型電気店のオーディオ売り場に行った。
案の定、そこにはぼくが昔LPプレイヤーやカートリッジなどのオーディオ製品で馴染んでいた会社の名前を含めて色々なメーカーの製品があった。そして音も一昔前の、製品を買うと一緒についてくるお仕着せのイヤーフォンとは大いに異なっていた。
というわけで、新しいものを買うたびに気に入った曲を聴きなおしている。その度に馴染みの曲も異なった顔を見せてくれるのが嬉しい。
(表示:曲名/アルバム名/アーチスト名)
Der Freischutz Overture
Der Freischutz
_Carlos20Kleiber.jpg)
Carlos Kleiber/Staatskapelle Dresden
ぼくはオペラの中でも何故かこのウェーバーの歌劇「魔弾の射手」だけが異常に好きで、CDやDVDでいろんな指揮者のものを9種類も持っている。劇場でも3度ほど観たことがある。お陰で同じ曲でも演者が異なると曲の印象が大きく変わるものだという極めて当たり前のことが実感できた。
ぼくの持っているCDアルバムの指揮者はこのカルロス・クライバーを始めとしてその親父さんのエーリッヒ・クライバー、フルトベングラー、ヨッフム、カイルベルト、マチタチッチ、クルツ、ハウシルトと多彩だ。
ぼくが最初に買ったのがマタチッチがベルリン・ドイツオペラを振ったものだったせいか演出の仕方も耳に染みついているので一番なじんでいる。総合的に一番気に入っているのはこのC・クライバーがドレスデンを振っているもので、この歌劇の初演がドレスデンのゼンパー劇場ということもあってぼくも殊のほか思い入れを持って聴いている。
この「魔弾の射手」の序曲はぼくの時代は確か小学校の音楽の教科書に「秋の夜は」という題で出ていたような気がする。これからオペラが始まるぞというワクワクするような雰囲気が満ち溢れていて思わず引き込まれてしまう。
Beethoven:Symphony#5 in C Minor
Beethoven Symphony #5 & 7

Gustavo Dudamel/Simon Bolivar Youth Orchestra
去年だったか、この若き指揮者ドゥダメルがベネズエラのユースオーケストラを率いて日本にきた時コンサートで聴いたマーラーは今でも耳に残っている。荒削りだけれども、途轍もなくエネルギッシュで若々しかった。それはこのベートーベンの五番にも全く同じことが言える。
彼の演奏で聴く「運命」は重々しく人生の扉を叩くというよりは、激しく連打するようなインパクトを持っている。賛否両論あろうが、これも一つのベートーベンだと思った。
Saint-Saens - Carnaval Des Animaux
Le Carnaval des Animaux - Introduction et Marche royale du L

Martha Argerich
サンサーンスの「動物の謝肉祭」は理屈抜きで楽しい。高校生の時に学校から行った音楽会で聴いた覚えがある。各楽器の特徴が曲の流れの中で自然に理解できて楽しかった。
先生のひくピアノの前でドミソとかドファラとか和音の当てっこばっかりしないで、小学校の時にこんな楽しい曲を聴かせてくれていたら、ぼくだってもっと早く音楽好きになっていて通信簿に「音楽 2」なんて書かれないで済んだかもしれない。アルゲリッチのピアノはもちろんだが特に弦が生き生きとしていて無上に楽しい。
Gradus Ad Parnassum – Die Geschichte Des Klaviers
Nocturne E-Dur Op. 62/2 "Schwanengesang"

Jorg Demus
これはぼくの大好きなウイーンのピアニスト、イェルク・デムスのピアノ技法の集大成みたいなCDだ。CDアルバムのタイトルもズバリ「ピアノの歴史」となっている。チェンバロから始まって(他にも歴史上で消えていった他の鍵盤楽器も登場する)ピアノの歴史をなぞるように48曲の楽曲が連なる。その上嬉しいことにピアノの名器のベッヒシュタインやベーゼンドルファーの音色とも邂逅することもできる。ちなみにこのショパンのノクターンは1860年製のパリで作られたロココ調のピアノで弾かれている。
デムスはスコダ、グルダと並んでウイーンの三羽烏と呼ばれることがあるがその割には他の二人に比べて日本では知名度が低いかもしれない。それは彼の活動がピアノ伴奏家としての役割が多かったせいもあると思う。
大抵の音源ではスポットライトのあたっているシュヴァルツコップやフィッシャー=ディースカウなどの名手の影に隠されてしまっているが、このCDでは自由に自分の世界に浸っているように思う。
Mozart:Die Zauberflote (Highlights)
Der Hoelle Rache
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Herbert von Karajan/Chor der Deutschen Oper Berlin:Berliner Philharmoniker
モーツァルトの「魔笛」の中で夜の女王が歌うこの復讐のアリアはLP時代にも高音部のチェックに使っていたけれど、曲が始まるとその歌唱に聴き入ってしまいなかなかチェックにならなかったのを思い出した。
ポイントは勿論高音部が割れてしまっては折角のコロラトゥーラ・ソプラノの妙味が伝わらないからダイナミックレンジの広さが問われるのは当然として、大事なのはその高音部の音色とでも言おうかキンキンした音では最後まで聞くに耐えない。
その点この録音は上手くいっていると思う。もちろん夜の女王を演じたカリン・オットの歌唱が素晴らしいこともあるが、録音によってはオーケストラの音に紛れてソプラノが聞き辛いものもあることを考えれば、その点の心配がないことも大事なポイントだと思う。
Dom zu Passau - Edgar Krapp
Transkription für Orgel über den Pilgerchor (aus Tannhäuser)

Edgar Krapp
こちらは逆に超低音部のチェックに最適なのだが、曲がワーグナーのタンホイザーの序曲だから導入部はごく静かに慎ましく始まるから、ここにボリュームを合わせておくと後で大変なことになる。LP時代はヴァルヒャーのオルガン曲でチェックしていたがどうしても超低温部でハウリングを拾ってしまい苦労した覚えがある。南ドイツのパッサウにある大聖堂のこのパイプオルガンの音色は本当に素晴らしい。特にDenonのイヤースピーカーなら迫力満点だ。
J.S.Bach - Partitas For Solo Violin
III

Arthur Grumiaux
バッハの無伴奏組曲としては以前はチェロ組曲の方が好きだった。というのも、無伴奏バイオリン組曲の方は録音自体良くないと長いこと聴いているととても疲れるような気がするからだ。低音部がしっかりしていればチェロ組曲の場合カザルスの大昔のLPのように霞の向こうから聞こえてくるようでも充分聴いていられるのだが…
その点このグリューミョーのバイオリン組曲のCDは高音部もちゃんと美しく出ており、長時間聴いていても疲れない。Monsterで聴くとバイオリンのクリアーな音像が浮かび上がってくる。
A Baroque Festival - Bach - Handel - Purcell (Taverner Players, Andrew Parrott)
Trumpet Overture (The Indian Queen Z630)

Andrew Parrot/Taverner Players
宮殿の大広間を彷彿とさせるような乾いた明るさの楽曲に抜けるようなスッキリとしたパローのトランペットが響き渡る。スピーカーで再生すると昔はこの抜けるような明るいトランペットの音色は日本のスピーカーは余り得意じゃなかったようにおもうけど、この3つのイヤースピーカーはどれも満足いくレベルで再生していると思う。
Der Tod Und Das Mädchen
Andante Con Moto

Amadeus Quartet
シューベルトには美しいメロディーの曲が多い。音楽的な難しいことは分からないけど、ロマン派の曲にはぼくのような能天気なクラッシック音楽ファンにとっても、とても分かりやすい「サビ」のメロディーがあって嬉しい。
その中でもシューベルトのこの「死と乙女」の第二楽章前半のメロディーの移り変わりの部分は、もちろんぼくはそんなに沢山クラッシックを聴いているわけではないけど、ぼくの知っている曲の中ではもっとも美しいと思っている。
何度聴いてもその部分に来ると感動で鳥肌が立つほどだ。元々は弦楽四重奏であるこの曲をマーラーが編曲、オーケストレーションしたものを水戸交響楽団がCDで出しているけれどそれも素晴らしく一聴に値すると思う。
Le Quattro Stagioni/The Four Seasons, I Musici
Concerto No. 4 L'Hiver

I Musici
クラシック音楽の定番中の定番で恐らくクラシック音楽で一番売れたレコードがこれだと思う。ぼくもたぶん自分で買ったクラシックのLPレコードとしてはベートーベンの第九に続いての二枚目だと思う。高校を卒業した頃の話だ。この録音の凄いところはそれ以来LPやCDなど再生装置を換えるたびにちゃんと音の品質がそれについてくるということだ。もちろん最近に録音されたものと同レベルでは語れないかもしれないが、活き活きとした弦とフェリックス・アヨーの歌うようなバイオリンの香りは少しも劣化してはいないと思う。
(Nov. 2011)
gillman*s choice <audio>
My
Best
Earphones
ぼくはどちらかというと、スピーカー、それも昔の箱全体で鳴らすタイプのもので聴くのが好きなのだけれども、外出時や夜遅く聴く時はどうしてもイヤースピーカーで聴くことが多い。
普通はイヤフォンというけれどぼくはイヤスピーカーという言い方が好きだ。以前スタックス社がアンプ付きの高級ヘッドホンをイヤスピーカーという名称で販売していた。ぼくも持っていたが耳全体を覆う大きなヘッドホンは長時間聴くと耳に圧迫感があってなかなか馴染めなかった。でもイヤスピーカーという名称は気に入っていた。
今のイヤフォンは装着感も音質も格段に良くなっている。そういうものはイヤスピーカーというに相応しいと思うのだが…
今の若い人でもイヤフォンの色やデザインには気を使うけれど音質には結構無頓着という人もいるようだ。でも、イヤフォンを良いものに変えると確実に音楽自体の印象も変わる。今までもイヤフォンを変えるたびにぼくは気に入った曲はそのイヤフォンで全て聴き直した。
ということで、今ぼくが使っていて気に入っているイヤスピーカーBest3
AKG K324P CHROME
…主に外出用

AKGはアー・カー・ゲーと読んで、オーストリアのオーディオ・メーカーだが今はハーマンインターナショナルの傘下に入って、JBLやマークレビンソンと同じグループの会社になった。ぼくなんかはAKGというとマイクロフォンやLP時代のカートリッジを想い起こすけど、イヤスピーカーの実力もなかなかのものだと思った。
このイヤスピーカーの一番気に入っているところは長時間聴いていても全く疲れないことだ。かと言って音をぼやかしたり、ダイナミックレンジを狭めたりして軽く聴き流せる音にしているということは全くない。低音も小気味いいし、音の分離だって良いのだ。
ただ一つの欠点は、イヤスピーカーの左右が分かりにくいこと。虫眼鏡で見ても分からない程の小さな字でR/Lが表示されている。ぼくは別売りのイヤパッドを買って左右で色分けをしている。
この型番は最近廃番になったらしいが、並行輸入のものが今でも手に入ることもあるけど偽物も出回っているらしいので気をつけたい。
⇒装着感:イヤホン自体が軽いので外出時に使用しても疲れないがイヤパッドで左右の色分けをした方が使いやすい。ぼくの買ったものにはサービスでサイズの異なるイヤパッドが2対着いていた。
DENON AH-C710
…主にクラッシック用

DENONはぼくがオーディオを始めたころからずっと一貫して音に携わっている数少ないメーカーの一つだ。こういう会社にはぼくはいつも敬意を払っている。現在、アンプもDENONのものを使っているけど満足している。30年以上昔のTannoyのRectangular Yorkのスピーカーを今もちゃんと鳴らしてくれている。
このイヤスピーカーは同社にしてはちょっとクセがあるかもしれない。全体のバランスからいえば、低音部分が多少強調されている感じがする。
人間の聴力は悲しいかな年齢とともに確実に衰えていく。とくに超高音部と超低音部に対する聴力感度の低下は顕著だ。ぼくもそういう年齢になった。その点を考えるとこの低音部が厚いという点は逆にありがたいかもしれない。もちろんこのイヤスピーカーを気に入ったのはそれだけではない。音の立ち上がりと切れがとても小気味良いのだ。全体として音圧レベルも高いように感じる。これでチェロの曲を聴くのがぼくは好きだ。
⇒装着感:イヤホンの重量は比較的重い方に属するかもしれない。イヤホンの形状は独特の「くの字」型をしている。ポータブルケースとサイズの異なるイヤパッドが2対ついていた。
MONSTER CABLE MilesDavis TRIBUTE HM MLD
…主にJAZZ用

このイヤスピーカーは最近手に入れたのだけれど、ぼくのモニタースピーカー的な存在になりつつある。これでJazzを聴くことが多いけれどもクラッシックでも全く不満はない。
MONSTER CABLEのイヤスピーカーはMONSTER Turbine Copperというモデルが最近は人気があるようだけれど、試聴した感じではぼくにはちょっと合わない感じだった。このMilesDavisモデルは同社のGoldモデルあたりをちょっといじってプレミアム感を出したような、よくありがちなアップグレードタイプの商品だと思って聴いてみたら、かなり違って本格的なチューニングがしてあると感じた。
音の広がりや澄み切った高音部それに楽器の定位なんかも良いのだ。全体的な印象としては自分が包まれる音場がひと回り大きくなる感じだ。かといって、オンマイク気味で録音されたAnn BurtonなどのJazz Vocalでも歌手の口の大きさのイメージが異常に大きくなることもない。これで今、気に入った曲を順次聴き直しているところだ。
⇒装着感:この三種類のイヤースピーカーの中では一番重いと思う。しかし付属のイヤパッドは装着感も良く遮音性も高いので、自分にフィットしたものを選べば重さはさほど気にならないかもしれない。キットには素材やサイズの異なるイヤパッドが14対もついているので自分にぴったりのサイズ、素材のものを選ぶことができる。ポータブルケースが二種類とMiles Davisの特別版の2枚組CDもついている。
イヤフォン程カタログのスペックやデータを見ても参考にならない商品も珍しい。基本的には現物で聴いてみないとなんとも言えないというのが正直なところだ。それも一瞬聴いただけではなかなか判断がつかない。そういう意味でも秋葉原のヨドバシカメラのようにiPodに自分の聴き慣れた曲を入れて持って行けば、かなりの主要メーカーのイヤーフォンが比較して試聴できるというのはありがたいことだ。
(July 2011)
gillman*s choice <music>
イヤースピーカーを替えたら
聴き直したい
曲/アルバム Best10
昔はけっこう高級なヘッドフォンを使っていたが、iPodは考えてみたら長いこと買った時についていたイヤーフォンでずっと聴いていた。特段不満はなかったけれども、ある日そう言えばイヤーフォンだって今は良くなってるんだろうなと思って、大型電気店のオーディオ売り場に行った。
案の定、そこにはぼくが昔LPプレイヤーやカートリッジなどのオーディオ製品で馴染んでいた会社の名前を含めて色々なメーカーの製品があった。そして音も一昔前の、製品を買うと一緒についてくるお仕着せのイヤーフォンとは大いに異なっていた。
というわけで、新しいものを買うたびに気に入った曲を聴きなおしている。その度に馴染みの曲も異なった顔を見せてくれるのが嬉しい。
(表示:曲名/アルバム名/アーチスト名)
The Fool On The Hill
Duet
![Duet [Disc 1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_Duet205BDisc2015D.jpg)
Chick Corea & 上原ひろみ
今年のグラミー賞を上原ひろみが受賞したのはとても嬉しかった。ましてや同時に内田光子さんの受賞で(内田さんをなかなか呼び捨てには出来ないなぁ)喜びが倍になった。このアルバムは彼女のCD中では一番気に入っている。Chick Coreaとのかけ合いが何とも小気味良い。
グラミー賞の対象になったのは確かビッグバンドとの共演だったと思うけど、ぼくにはこっちの方があう。このアルバムの中のビートルズナンバーThe Fool On The Hillにおける二人のピアノのかけ合いはピアノの会話を聴いているようだ。絶妙なタイミングで二台のピアノが謳っている。
ぼくはこの曲はDennonのイヤースピーカーAH-C710で聴くのが好きだ。ピアノの低域の腹に沁み渡るような響きが心地よい。
Homeless
The Paul Simon Anthology
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Paul Simon
サイモンとガーファンクルは何と言ってもぼくらの世代の青春のシンボルみたいなものだ。「卒業」のサウンドトラックの曲に夢中になった時期が過ぎてみると、ソロシンガーとしてのポール・サイモンの活動が気になり出した。そのポール・サイモンの曲を2枚のCDにしたのがこのAnthologyだが、彼の珠玉の曲がぎっしりと36曲詰まっている。
このHomelessは彼がアフリカの音楽に傾倒している頃に造られた歌だ。無伴奏の全くのアカペラでアフリカの平原を彷彿とさせる不思議なハーモニーとリズムを持っている。この曲は昔の箱で鳴らすタイプのスピーカーで聞くとその響きがとても素晴らしい。Monster CableのイヤースピーカーTribute HM MLDで聴くととてもナチュラルで、歌っているコーラスメンバーの並び方まではっきりと分かるほど音の定位もしっかりとしている。
Love Kills
Metropolis (Original Motion Picture Soundtrack)
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Freddie Mercury
フリッツ・ラングの往年の無声映画の名画「メトロ・ポリス」のフィルムの断片を世界中から集め、ジョルジオ・モローダがそれにロック音楽をあてはめてリメイクした映画音楽のアルバムだ。全く新しい映画に生まれ変わって、この上なく現代的になっているのはもちろん音楽のせいもある。ぼくはロックはほとんど聞かないのだが、この映画に出てくるロックミュージックはどれも素晴らしいと思う。
そのなかでも特にこのLove KillsとBonnie Tylerの歌っているHere She Comesはぼくの耳の底にずっと残っている。AH-C710で聴くとちょっとくどくてうるさい感じになるこの曲もAKGのK324P Chromeで聴くと気にならない。Tribute HM MLで聴くとさらに小気味いい切れ味の曲に聞こえてくる。
シルエット・ロマンス
Terra (テラ)
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大橋純子
大橋純子のアルバムを聴くたびに「うまいなぁ」と唸ってしまうのだけれど、彼女のアルバムの中でもこのTerraは出色の出来だと思う。このアルバムの最後にこの「シルエット・ロマンス」が入っている。伴奏はピアノだけ、彼女のどこまでも伸びやかに響き渡る声を心行くまで満喫することができる。
Tribute HM MLではピアノがちょっと前に出過ぎるかもしれないけれど、K324P Chromeだとそのバランスは良いと思う。このアルバムの中の「地上の星」もフラメンコ・ギターのバックと息があってとても素晴らしい。
California
Joy
Paul Greaver
このアルバムは蓮の花の写真のジャケットが気に入って買ったのだけれど、最初に買ったのはまだLPの頃だったかもしれない。ジャケットもいいが、もちろんポール・グレーバーのギターも素晴らしかった。スチルの弦の上を指がすべる音が生々しく聞こえてくる。テンポのいい響きがいかにもカリフォルニアの陽気のように軽やかだ。AH-C710なら低域の弦が前に出てギターの音色がちょっと重厚に聴こえるが、K324P Chromeでは爽やかなカリフォルニアの空気が伝わってくるようだ。Tribute HM MLならさらにバランス良く好い具合にナチュラルに聴こえる。
The Cat
The Cat-Jimmy Smith

Jimmy Smith/Lalo Schifrin
ジャズは好きでもなかなかオルガンという楽器には馴染みがない。ぼくなんかはプレーヤーといってもワルター・ワンダレーとこのジミー・スミス位しか知らない。もともとビッグバンド・ジャズはあまり聴くほうではなかったけれど、LPの時代にやはりジャケットに惹かれて買ってしまった。
聴いてみるとLaro Schifrinのじつにキレの良いバンドとジミー・スミスのハモンドオルガンのかけ合いが粋でいっぺんで好きになってしまった。ビッグバンドを丸ごと包み込む音場の大きさ、鋭い音の立ち上がりとスムーズな減衰など、イヤースピーカーを通して楽しめる音の世界が広がっている。
The Drum Also Waltzes
Drums Unlimited

Max Roach
ぼくがそれまで聴いていたドラムスといえば、アート・ブレーキーとかジーン・クルパーとかバディ・リッチとかとにかく機関銃のようにテクニックを駆使してドラムスを響かせるのが当たり前だと思っていた。しかしその思い込みはこのMax Roachのこのアルバムに出合うことで根本から変わってしまった。
彼の、あのアフリカのジャングルの、あるいは草原の彼方から聴こえてくるような明らかに意味を持った言葉としてのドラムス。1966年という録音時期から言ってちょっとテープヒスのようなノイズが気になるがMilesDavis TRIBUTE HM MLDで聴く彼のドラムスはそんなことも瑣末な事のように感じさせてくれる。
Libertango
Libertango-La Quartina

La Quartina
ピアソラの曲はクラシック畑のアーチストもよく演奏している。ヨーヨーマを始めベルリンフィルの12人のチェリストで構成している"ベルリンフィルの12人のチェリスト達"の演奏などすばらしいものがある。このアルバムの演奏をしているLaQuartinaはチェロの藤森亮一氏をはじめとするN響の四人のチェリストのグループだ。Libertangoはいきなりチェロの情熱的な唸り声ではじまる。次第に高い音のパーツに移りながら他のチェロとのハーモニーを導き出しつつやがて狂おしいピークへと突き進んでゆく。DENON AH-C710で聴くと、チェロの線が現実よりもちょっと野太い感じになるかもしれないがそれがラテンの雰囲気にあっているようでぼくは好きだ。
Here's That Rainy Day
Ballads & Burton

Ann Burton
コントラバスの弓がゆっくりと低音を絞り出すとバートンのMaybe,I should have saved ...those leftover dreams(きっと、残っていた夢をちゃんととっておくべきだったのね)という台詞のような歌が始まる。オン・マイク気味の録音が多いバートンの曲の中でもこの録音はかなりその傾向が顕著だ。
イヤースピーカーで聴くとバートンの唇の動きが手に取るように分かる。overで下唇を噛んでいる感じや、through asideのthroughで舌を歯にはさんでいる様子もはっきりとわかる。ぼくの好きなどのイヤースピーカーでもジャズクラブ的な雰囲気が充分伝わってくるが、MilesDavis TRIBUTE HM MLDとDENON AH-C710だと若干彼女のサ行の発音が強調されるような気がするのでAKG K324P CHROMEが一番ナチュラルに響く。
Waltz For Debby
Waltz For Debby (Live)
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Bill Evans Trio
たった一曲だけJAZZを無人島に持っていくことが許されるとしたらEvansのこの曲か、Kenny Drew TrioのGolden Earingsのどちらにするか迷うところだ。しかし一曲しか聴けなくて、それを何度も何度も聴くとしたらやはりWaltz for Debbyになると思う。
この曲にはきっとぼくがジャズに求めているものが全て入っているのかもしれない。それが何かと聞かれると困るし、言葉で説明できるなら音楽自体がいらないという気もするが、一つ言える事はこの曲は聴くたびに自分の中から何か新しい感情が湧き出してくるということだ。それはまるで自分の気持ちの鏡のようだ。今はMilesDavis TRIBUTE HM MLDで聴くのが好きだ。
(August 2011)
gillman*s choice <art>
My Best5
美術展図録
東京のような国際的な大都市に住む利点の一つに頻繁に開催される美術展で世界的な名作を目の当たりにする機会が多いことがあります。もちろん気に入った作品を海外の美術館に訪ねるのも楽しみには違いないのですが、特定の作家の作品を系統立てて見るというのもそれはそれで一つの楽しみではあります。
美術展には出展される美術品自体を見る愉しみと同時に、作品の選定や展示の順序など展覧会をしきるキュレーターの考えに触れる楽しみがあります。どんなコンセプトで作品を選び、並べたのかそれも一つの芸術活動だと思うのですが… 主要な展覧会ごとに作られる展覧会の図録を見るのも大きな愉しみです。図録はたいていその美術館のミュージアムショップで売っていたり、出口のところで売っていることが多いです。
ぼくの場合、図録を買うときはたいてい先に図録を買ってからそれをもって絵を見ます。図録を見ながら絵を見るといいことがいくつかあります。まず、絵を見てその場で図録を見ると色のチェックができることです。今は美術印刷が良くなっているのでその絵の印象を損なうものは少ないのですが、実物と同時に見ると、後で図録を見たときに実際の色と絵の大きさが頭に浮かんできます。今週行った西洋美術館でのブラングィン展の図録はよくできていたんですが、肝心の絵の写真が全体に暗く絵の印象が変わってしまうのが残念でした。
図録があればあえて音声案内を借りるまでもなく、詳細を知りたい絵についてはゆっくりとベンチにかけてその場で要点を読むこともできます(場内が暗い場合もありますが)。
最近では西洋美術館のように展示室のベンチに図録がおいてある美術館もでてきたのでうれしいですね。図録を手に他の人の邪魔にならずに観賞するためには、展覧会当初の時期を避けたり、平日にいくなどの工夫は必要ですが、そう何度も見られない絵が多いので目に焼き付けておきたい場合はこんな観かたをしています。
①ヴィルヘルム・ハンマースホイ展 静かなる詩情
197pages (国立西洋美術館)
ハンマースホイはぼくが大好きな画家です。ぼくにとっては日本でハンマースホイの作品をまとめて見られること自体、とても贅沢な気がしますが、図録の解説筆者の一人でもあるフランクフルト美術館学芸員のフリックス・クレマー氏の講演まで聴くことができて幸いでした。
日本ではあまり資料のないハンマースホイについてこの図録は唯一といってもいい画集だと思います。クレマー氏等の解説も分かりやすく的確なものだと思います。
②没後40年 レオナール・フジタ展
267pages (上野の森美術館)

上野の森美術館は少し小ぶりなので上野の他の美術館の陰に隠れてしまっているようなところもありますが、今までにもいい展覧会が多くありました。
展覧会自体は2006年に東京国立近代美術館で開かれた「藤田嗣治展」の方が規模は大きかったのですが、こちらは「レオナール・フジタ展」と銘打っているようにフランス人画家としてのフジタらしさが出ていたように思います。
大作「構図」と「闘争」が新たに公開されていました。図録集はハードカバーのしっかりした装丁のもので単独の画集としても十分楽しめるものだと思います。
③大回顧展 モネ
278pages (国立新美術館)

国立新美術館オープンのこけら落としの展覧会として企画されただけあって大規模なものでした。
従ってその展覧会の図録もモネの画集としての完成度も高い出来になってるとおもいます。全般的に図録に乗っている絵画の色もかなり本物と近い感じがしました。
④フランス絵画の19世紀展
241pages(横浜美術館)

横浜美術館は我が家から遠いせいもあってあまり行くことがないのですが、この19世紀展はアングルの絵がみたくて行ってみました。
美術館の建物自体も気に入りましたが、この展覧会は19世紀美術を俯瞰するのにとても有用な展覧会だったと思います。
図録も19世紀美術を具体例をあげて解説した本としても楽しく読めるものになっています。
⑤ポーラ美術館名作選 絵画編
224pages (箱根ポーラ美術館)

これは特別展用に作られた図録ではなく所蔵絵画の作品の中から選定した作品の図録ですが見ていて楽しいし、英語も併記してあるしっかりしたものになっています。
ポーラ美術館は日本の洋画作家の作品も収蔵されているいい美術館なのですがちょっと遠いのでなかなか行けないのが残念です。
先日訪ねた時は霧が発生して、美術館の大きな窓から見える森の景色自体が絵のようでした。収蔵作品の図版としては国立西洋美術館の「西美をうたう」は絵画と短歌を併記して作品を紹介するユニークなものでこれも読んでいて楽しいです。
(April 2010)
美術展図録
東京のような国際的な大都市に住む利点の一つに頻繁に開催される美術展で世界的な名作を目の当たりにする機会が多いことがあります。もちろん気に入った作品を海外の美術館に訪ねるのも楽しみには違いないのですが、特定の作家の作品を系統立てて見るというのもそれはそれで一つの楽しみではあります。
美術展には出展される美術品自体を見る愉しみと同時に、作品の選定や展示の順序など展覧会をしきるキュレーターの考えに触れる楽しみがあります。どんなコンセプトで作品を選び、並べたのかそれも一つの芸術活動だと思うのですが… 主要な展覧会ごとに作られる展覧会の図録を見るのも大きな愉しみです。図録はたいていその美術館のミュージアムショップで売っていたり、出口のところで売っていることが多いです。
ぼくの場合、図録を買うときはたいてい先に図録を買ってからそれをもって絵を見ます。図録を見ながら絵を見るといいことがいくつかあります。まず、絵を見てその場で図録を見ると色のチェックができることです。今は美術印刷が良くなっているのでその絵の印象を損なうものは少ないのですが、実物と同時に見ると、後で図録を見たときに実際の色と絵の大きさが頭に浮かんできます。今週行った西洋美術館でのブラングィン展の図録はよくできていたんですが、肝心の絵の写真が全体に暗く絵の印象が変わってしまうのが残念でした。
図録があればあえて音声案内を借りるまでもなく、詳細を知りたい絵についてはゆっくりとベンチにかけてその場で要点を読むこともできます(場内が暗い場合もありますが)。
最近では西洋美術館のように展示室のベンチに図録がおいてある美術館もでてきたのでうれしいですね。図録を手に他の人の邪魔にならずに観賞するためには、展覧会当初の時期を避けたり、平日にいくなどの工夫は必要ですが、そう何度も見られない絵が多いので目に焼き付けておきたい場合はこんな観かたをしています。
①ヴィルヘルム・ハンマースホイ展 静かなる詩情
197pages (国立西洋美術館)
ハンマースホイはぼくが大好きな画家です。ぼくにとっては日本でハンマースホイの作品をまとめて見られること自体、とても贅沢な気がしますが、図録の解説筆者の一人でもあるフランクフルト美術館学芸員のフリックス・クレマー氏の講演まで聴くことができて幸いでした。
日本ではあまり資料のないハンマースホイについてこの図録は唯一といってもいい画集だと思います。クレマー氏等の解説も分かりやすく的確なものだと思います。
②没後40年 レオナール・フジタ展
267pages (上野の森美術館)

上野の森美術館は少し小ぶりなので上野の他の美術館の陰に隠れてしまっているようなところもありますが、今までにもいい展覧会が多くありました。
展覧会自体は2006年に東京国立近代美術館で開かれた「藤田嗣治展」の方が規模は大きかったのですが、こちらは「レオナール・フジタ展」と銘打っているようにフランス人画家としてのフジタらしさが出ていたように思います。
大作「構図」と「闘争」が新たに公開されていました。図録集はハードカバーのしっかりした装丁のもので単独の画集としても十分楽しめるものだと思います。
③大回顧展 モネ
278pages (国立新美術館)

国立新美術館オープンのこけら落としの展覧会として企画されただけあって大規模なものでした。
従ってその展覧会の図録もモネの画集としての完成度も高い出来になってるとおもいます。全般的に図録に乗っている絵画の色もかなり本物と近い感じがしました。
④フランス絵画の19世紀展
241pages(横浜美術館)

横浜美術館は我が家から遠いせいもあってあまり行くことがないのですが、この19世紀展はアングルの絵がみたくて行ってみました。
美術館の建物自体も気に入りましたが、この展覧会は19世紀美術を俯瞰するのにとても有用な展覧会だったと思います。
図録も19世紀美術を具体例をあげて解説した本としても楽しく読めるものになっています。
⑤ポーラ美術館名作選 絵画編
224pages (箱根ポーラ美術館)

これは特別展用に作られた図録ではなく所蔵絵画の作品の中から選定した作品の図録ですが見ていて楽しいし、英語も併記してあるしっかりしたものになっています。
ポーラ美術館は日本の洋画作家の作品も収蔵されているいい美術館なのですがちょっと遠いのでなかなか行けないのが残念です。
先日訪ねた時は霧が発生して、美術館の大きな窓から見える森の景色自体が絵のようでした。収蔵作品の図版としては国立西洋美術館の「西美をうたう」は絵画と短歌を併記して作品を紹介するユニークなものでこれも読んでいて楽しいです。
(April 2010)
gillman*s choice <photo>
My Best 5
my favorite 写真集
ぼくは写真集を見るのが好きだ。どちらかというと撮るよりも見る方が好きかも知れない。いろいろな写真を見ていると、何か自分の目がいろいろなフィルターを持っていたことに気がつく。
あるはずのものが見えていなかったり、見ていたものが実はまったく別のものであったり。ここにあげた他にも良い写真集は沢山あると思うが、これらの写真集は事あるごとに見ている。
PHOTO:BOX (青幻社)

時々写真て何だろうと思うことがある。そんな時はこの写真集を見る。難しい写真史の本を読むよりもずっと勇気づけられる。この本には1826年から2008年までの写真家の作品が12のテーマに分類されて載っている。それを見ると写真というものの多様性に目を見張る。かなり分厚い本だけどぼくは見ていて飽きることがない。
植田正治写真集 吹き抜ける風 (求龍堂)

この写真集は写真美術館で行われた彼の写真展の会場で求めた。植田の写真は独特な雰囲気を持っている。敢えて言えばルネ・マグリットの絵画のような超現実的な作品が多く、好き嫌いのあるところかもしれないが、ぼくはその静謐な画面が気に入っている。別の写真集「写真とぼく」もいい。
Sebastiao Salgado AFRICA (朝日新聞社)

サルガドが撮ったアフリカは、どんな悲惨な光景でも美しさを持っている。モノクロの画面の向こうに広がるのは惨劇を包み愛しむような光だ。ルワンダ内戦の局面でさえそうなのだ。ぼくはその美しすぎることが気になっていたが、サルガドはこう語っていた。「光はフランスや日本などの豊かな国にのみあるのではない、美しい光はあらゆるところに与えられている。…美しさは写真家が作り出すものではない、そこにあっただけなのだ…」ぼくもいつもその光を探している。
The Nature of Photographs (PHAIDEN)

これは写真集というよりも写真の教科書みたないものだ。著名な写真家スティーブン・ショアーが大学で教えたものがベースになっている。この本では写真というものを①肉体的レベル、②表現レベル、③精神的レベル、④メンタル・モデリングでとらえて作品を提示しながら解き明かしてゆく。写真の見方のガイドとしてもいいかもしれない。最近日本語版が出たようだ。
GR SNAPS (CMS)

これはぼくも好きで使っているリコーのGR/GXで撮った写真の写真集だが、写真家に限らず100人のアーチストが撮った写真を載せている。スナップ写真はぼくも好きでよく撮るが結構難しい。それは撮る人の目線と距離感が如実に現れるからということもある。ぼくがGRDが好きなのは単焦点レンズで、写す側が動いて被写体との距離感をとっていくということにある。この写真集では色々な距離感が愉しめると思う。
(Jan. 2011)
my favorite 写真集
ぼくは写真集を見るのが好きだ。どちらかというと撮るよりも見る方が好きかも知れない。いろいろな写真を見ていると、何か自分の目がいろいろなフィルターを持っていたことに気がつく。
あるはずのものが見えていなかったり、見ていたものが実はまったく別のものであったり。ここにあげた他にも良い写真集は沢山あると思うが、これらの写真集は事あるごとに見ている。
PHOTO:BOX (青幻社)
時々写真て何だろうと思うことがある。そんな時はこの写真集を見る。難しい写真史の本を読むよりもずっと勇気づけられる。この本には1826年から2008年までの写真家の作品が12のテーマに分類されて載っている。それを見ると写真というものの多様性に目を見張る。かなり分厚い本だけどぼくは見ていて飽きることがない。
植田正治写真集 吹き抜ける風 (求龍堂)

この写真集は写真美術館で行われた彼の写真展の会場で求めた。植田の写真は独特な雰囲気を持っている。敢えて言えばルネ・マグリットの絵画のような超現実的な作品が多く、好き嫌いのあるところかもしれないが、ぼくはその静謐な画面が気に入っている。別の写真集「写真とぼく」もいい。
Sebastiao Salgado AFRICA (朝日新聞社)

サルガドが撮ったアフリカは、どんな悲惨な光景でも美しさを持っている。モノクロの画面の向こうに広がるのは惨劇を包み愛しむような光だ。ルワンダ内戦の局面でさえそうなのだ。ぼくはその美しすぎることが気になっていたが、サルガドはこう語っていた。「光はフランスや日本などの豊かな国にのみあるのではない、美しい光はあらゆるところに与えられている。…美しさは写真家が作り出すものではない、そこにあっただけなのだ…」ぼくもいつもその光を探している。
The Nature of Photographs (PHAIDEN)

これは写真集というよりも写真の教科書みたないものだ。著名な写真家スティーブン・ショアーが大学で教えたものがベースになっている。この本では写真というものを①肉体的レベル、②表現レベル、③精神的レベル、④メンタル・モデリングでとらえて作品を提示しながら解き明かしてゆく。写真の見方のガイドとしてもいいかもしれない。最近日本語版が出たようだ。
GR SNAPS (CMS)

これはぼくも好きで使っているリコーのGR/GXで撮った写真の写真集だが、写真家に限らず100人のアーチストが撮った写真を載せている。スナップ写真はぼくも好きでよく撮るが結構難しい。それは撮る人の目線と距離感が如実に現れるからということもある。ぼくがGRDが好きなのは単焦点レンズで、写す側が動いて被写体との距離感をとっていくということにある。この写真集では色々な距離感が愉しめると思う。
(Jan. 2011)








居眠りしているまに年を取ります。(^_^)
by SilverMac (2009-06-17 11:00)
何か、ほのぼのとしてきます。
by 鋭理庵 (2009-06-17 13:14)
猫もすぐに成猫の大きさになるんですね。かわいい時間は大切にしないと。
by hideyuki2007y (2009-06-17 13:35)
微笑ましいですね^^
by Bon-Papa (2009-06-17 20:23)
大きくなったmomoさん、凛々しいですね(*'ー'*)
by aya (2009-06-17 20:52)
ほんとにほんとにほんとに!
片手で持てたのは、いつのこと?
by rantan-nya (2009-06-17 22:03)
モモちゃん、なんてかわいかったんでしょうね。
もう食べちゃいたいくらい!(他人が言ったら失礼かしら?)
今は、気品に溢れていますね。いい育ち方をしているんでしょうね。
愛情たっぷり!
寺山修二の詩もいいですね。詩集買おうかしら。
by coco030705 (2009-06-17 22:13)
着色した写真が印象的です。
知的な猫です。
by リフソロ (2009-06-18 21:00)
子猫の時の顔立ちは すっかり影をひそめ
いつの間にか大人の顔になりますよね
ミャーと甘える声は、いっしょ!
by engrid (2009-06-22 17:52)
おはようございます^^
とても同じ猫とは思えないお顔の変化ですね~^^
猫ちゃん族は大きくなるの早いから~
by mimimomo (2009-06-26 09:40)
寺山修二の少女詩集は大好きで、
二冊持っていました~☆
一冊はあまりにもぼろぼろになってしまって。
by masugi (2009-06-26 15:52)
確かにmomoさん、大きくなってますね=^^=
賢そうなお顔ですね♪
by kumimin (2009-06-29 23:14)