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暑い日は美術館 [新隠居主義]

暑い日は美術館

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  一歩外に出ると暑さで頭がくらくらする。若いころならそれでも若さに任せて紫外線もものともせず、海岸でオイルを塗りたくって暑さにのたうちながらも、目はランランと水着の女の子を追いかけていたものだけれど、今では紫外線は皮膚ガンのもととか無粋なことを言われて…、もっともそんなこと言われなくたってもうそんな元気もないけど。

そんなわけで、猛暑の中ではクーラーを効かせたウチの中で猫でもからかっているのが一番なのだけれども、それも何日か続くと飽きてしまうし、猫も暑さでダレていてそうそう遊んでもくれない。それに生来貧乏性だから夏の終わりに来るクーラーの電気代の請求書を思い浮かべると、それだけで暑さの汗だけでなく冷や汗まで出てくる。

涼しくて、あまり金も使わないで、それから人も多すぎない、そんな所はないかなと考えていたけれど思いついたのはやっぱり美術館しかなかった。この間、恵比寿の東京都写真美術館は行ったばかりだし、超人気の展覧会をやっている横浜方面の美術館も人ごみの様子が脳裏をかすめてパス。そう言えば、六本木の国立新美術館でドイツの写真家アンドレアス・グルスキーの展覧会をやっているのを思い出した。

グルスキーの写真集は何冊か見たけれど彼の場合、普通に写真集を見てもあまり参考にはならない。彼の作品の殆どは巨大な印画紙に焼き付けられた画像の全体とディテールを前にして、こちらの心と視点を行きつ戻りつさせて対峙しなければ何も見えて来ないように思う。いい機会なので涼みがてら行ってみることにした。

美術館内は人もまばらだった。展覧会の内容がグルスキー展とアメリカン・ポップアート展という余り馴染みのないものだからか、それとも夏休みでみんな家族連れで田舎やTDLのようなところに行ってしまったのか。いつものように一階のカフェスペース・コキーユで一息ついてから展覧会場に入った。

写真というよりはコンポジションと言った方がいいようなバンコクの川シリーズは確かに美しいけれど、ぼくはやはり彼独得の「パリ、モンパルナス」や「サンパウロ、セー駅」などの作品に惹きつけられた。「パリ、モンパルナス」はおそらく数百の窓を持つモンパルナスの巨大なアパートのファサードを丸ごと撮っている。一つひとつの窓の向こう側に展開されているだろう住民一人ひとりの生活の匂いが漂ってくるようなその画面。

そして「福山」は、丘の斜面にずらっと並ぶ牛舎の光景。日本で撮った光景だ。何頭いるか数えられないほどの数の牛たちの一頭一頭全てにピントがあっている。同じようなもう一枚。こちらはアメリカの「グリーリー」。数千頭の牛が碁盤の目のような四角い柵に囲まれた広大な平原に飼われている。これも全ての牛にピントがあっている。デジタル処理をしていることは知っていても、それはとても不思議な光景だ。

グルスキーの写真の画面は言わば等価性に貫かれている。それは、どれか特定のものにのみピントがあって、他は画面の中においてそれに対しては従属的な存在になるということがない。画面の中の全てが同じ存在価値で見えている。それが近くにあっても、遠くにあっても。グルスキーの写真の持つパースペクティブな視野の広さは、それ自体はぼくらには別に珍しいことではない。ぼくらの視界は180度以上の角度を持っているのだから。

しかし、ぼくらの脳は通常それら全部を等価のモノとしては見ていないらしい。視界の中の意識の向いた処にだけにピントがあって他はぼけているらしい。それはもしかしたら網膜はその光景を等価で受けているのだけれど、脳が意識の向いた処に選択的にピントを設定しているのかもしれないのだ。つまりグルスキーの写真は彼自身が再構成した新たな現実なのだけれど、それは同時に脳が加工する以前の光景に類似しているので、ぼくらにはとても奇異に映るのかもしれない。とにかく画面の質量が半端ではない。もちろん、これはぼくの勝手な解釈だけれど…。

丘の上からモナコの街を見下ろした光景を撮った「モナコ」を見てどこかでそんな感じの絵を見た気がした。それは昔見たサヴァン症候群の画家ステファン・ウイルシャーの絵を思い起こさせた。光景や音楽など一度見聞きしたものはどんなに些細な細部であっても正確に記憶に焼き付け再現することができるというサヴァン症候群の特質を持つ彼の絵はグルスキーの写真のように一か所たりともぼけてはおらず画面の中の全てが等価で明確だ。彼の作品の画面の質量はグルスキーのそれと酷似している。

逆に超写実主義画家といわれるスペインのアントニオ・ロペスが20年近くかけて描いた大作「パリェーカスの消防署から見たマドリード」は、一見写真と見まごうほどの精緻な描写だけれど、良く見ると明らかに画面中央付近にピントが合っていて、それ以外の領域ではかなり省略されて描かれているのが分かる。それ故にその絵を見ると精緻だけれどぼくの脳にとっては違和感のない現実そのものの光景のような安堵感を与えるのかもしれない。でもグルスキーの写真にそのような感覚はない。ぼくらは一体毎日何をどう見ているんだろうか。そして目は心とどう繋がっているんだろうか。

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コメント 7

kuwachan

美術館のたどり着くまでが大変ですが
美術館の中は快適ですよね(^_-)-☆
by kuwachan (2013-08-21 00:13) 

Silvermac

冷房の効いた美術館も良いですね。
by Silvermac (2013-08-21 22:11) 

coco030705

こんばんは。
残暑お見舞い申し上げます。
お変わりございませんでしょうか。
素敵な美術館ですね。カフェもいいですね。今度東京へ行くときはぜひ
ここに立ち寄りたいです。
暑いときはやはり美術館か映画館で過ごすのが一番ですね。
by coco030705 (2013-08-21 22:53) 

albireo

ここは、建物自体は、あまり好みではないのですが、少し前に「貴婦人と一角獣」を観に行って来ました。
>暑い日は美術館 は、同感です。
家の事情で、なかなか思うようには行きませんが、僕は一番好きなトーハクで、のんびりと、酷暑の一日を過ごしたいと思います。
by albireo (2013-08-22 00:17) 

ZZA700

脳は限られた処理能力の中で如何に効率的に仕事ができるか色々と工夫しているようですね。HDR写真も同様の理由で不自然に見えるのだと思います。掘り下げてみると面白そうな分野ですね^^
by ZZA700 (2013-08-22 20:43) 

engrid

夏の美術館は、避暑地としては最高ですね
静寂な館内を、ゆっくり回るのは楽しみなことです
カフェでのひとときも、ゆったりな時間になります
by engrid (2013-08-23 07:37) 

aya

ここ気になっています。
私は図書館が多いかな、でも夏は学生が多くて好きな席が
つまっているんです。2学期はもう少し・・・(^・^)
by aya (2013-08-23 21:50) 

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