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職人という生き方 [下町の時間]

職人という生き方

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 ぼくの親父は菓子職人だった。和菓子の職人だけど、和菓子といっても「おこし」と呼ばれるもので今では雷おこし位しか知られていないかもしれない。親父は学校を出てから丁稚奉公を経て自分の会社を作って何人か職人を使って小さな町工場(まちこうば)をやっていたけど、自分自身も職人であることに変わりはなかった。

 辞書で職人という言葉をひくと、【自分の技能によって物を作ることを職業とする人】と出ているけど、親父はまさにそういう人だった。同じ年代の同業者達が段々と中小企業の社長然としてゆくのを傍目で見ながら、彼等とは通り一遍の付き合いだけはしても自分は工場に入り続けた。

 無骨で寡黙な人だった。ウチのばあさんはいつも「お父ちゃんが、もうちょっと外交上手だったら良かったのにねぇ」と言っていた。その頃は営業のことを外交と言っていたのだけれど、かといって親父は決して人嫌いなわけではなかった。それどころか、大手の菓子問屋の経営者などからは朴訥な性格が可愛がられて「もっと、頻繁に社長が顔を出せば注文も増えるんだけどなぁ」と言われた時も「今のままで良い」と行かなかった。工場(こうば)にいた方が良かったのだろう。

 仕事の金の工面はばあさんがした。もちろん基本は親父の商売で自分たち家族と住み込みの職人達を食わせているのだけれど、商売には大きな波がつきものだ。おこしは夏は売れないし、デパートなどでちょっと売れ残れば返品を食らって売上金からその代金を相殺される。最も堪えたのは菓子問屋の計画倒産だった。

 代金は長いサイトの手形払いで目一杯納品させておいてある日突然倒産。売掛金を回収に行くともう債権者の列が並んでいる。ある時、今の金額で言えば一千万円近くの売掛金を踏み倒された時は、ばあさんが事務所にへたり込んでしまったのを子供心にも憶えている。たとえ一円でも回収して来いと送り出した番頭が持って帰ってきたのは、古びた柱時計ひとつ。

 あとは、もぬけの空だった。そのもう動かない古びた柱時計は今もぼくの部屋の壁に掛かっている。ずっと後になっても、ばあさんはその時計を見ると一千万の時計とため息をついた。ばあさんの金繰りで何とか連鎖倒産は免れたけれど、そんなことは一度や二度ではなかったようだ。

 家には女中さん兼女工さんが居たけれど、昼間はもちろんお袋も工場に入った。工場は子供の頃のぼくの遊び場でもあったし、忙しい時は子供なりにも手伝わされた。ばあさんは工場の作業の合間を縫って週に何度か近所に日本舞踊や三味線を習いに行っていた。それを親父は工場の者に示しがつかないと言って、内心面白くは思っていなかったみたいだけれど、それはばあさんの唯一の息抜きだったろうし、それがあったからやって行けたんだろうと思う。

 親父はほとんど酒を飲まない人だったので、ぼくが大人になって一緒に住んでいても二人で酒を酌み交わしてジックリと話をした記憶がない。ただ、昔ぼくがドイツにいた時親父から手紙を貰って、その中でぼくのことを「君(きみ)」と呼んでいたのが妙に新鮮だったのを憶えている。その職人の親父は七十を前に仕事を辞めた。それから約十年間、親父は社交ダンスとビリヤードと週末の競馬の日々を送って八十になる直前、秋の彼岸の頃に逝ってしまった。

 最近、親父のことをよく想い出す。いや、想い出すというよりその存在を身近に感じると言った方が良いかも知れない。親父は考えようによっては好い職人人生を送ったようにも思う。自分の技能によって物を作ることを職業とするのが職人かぁ。ぼくの仕事は目に見える形にはならないものだった。自分の腕ひとつで生きる職人に憧れたこともあったけれど、商売で苦労したウチのばあさんは「お勤めさん」が良いよと言った。

 商売としての菓子屋を裏で支えていたばあさんは、商売人は24時間仕事のことを考えていなければならないけど、お勤めさんなら家に帰ればあとは全部自分の時間だからと…。そういえば、ばあさんはお勤めさんの娘だったのだ。結局のところぼくはお勤めさんになったのだけれど、時代はお勤めさんにとって、そう柔(やわ)な時代ではなくなっていた。猛烈社員から企業戦士の時代へ、大変革時代が来て、そして熾烈な競争社会の到来と、時代は家に帰っても息を抜くことさえ許してはくれなかった。


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コメント 13

テリー

いつの時代でも、厳しいことはありますね。
by テリー (2015-03-06 14:42) 

Silvermac

私もあまり話をしなかった父を懐かしく思い出します。 
by Silvermac (2015-03-06 18:06) 

たま

昔の写真、味わいがありますね。
by たま (2015-03-06 18:28) 

JUNKO

いい写真ととても良いお話、心に響きます。
by JUNKO (2015-03-06 19:50) 

としぽ

おはようございます。
私は小さい時に親父が死んだので思い出が殆ど有りません。
お袋から聞いた話だけですが良くは言ってなかったですね。
by としぽ (2015-03-07 10:56) 

ナツパパ

わが家は小さな事務所を経営する自営業です。
両親ともそこで働いていて、小学生のわたしは、
事務所の隅で宿題をし、晩ご飯も食べましたっけ。
場所は違ってしまいましたが、今でも小さな事務所で
わたしが父と同じように働いています。
by ナツパパ (2015-03-07 11:42) 

binpa

腕に自信ありと言うお写真・・カッコいいですね^^
by binpa (2015-03-07 15:31) 

engrid

職人さん
お勤めさん、、その言葉に心惹かれますね
ひきつけられるお写真に、お話
ありがとうございます
by engrid (2015-03-07 17:38) 

coco030705

こんばんは。
いちばん上のお父様のお写真がとてもいいですね。いい顔をなさっていると思います。ワンちゃんもかわいいですね。
御商売は大変ですよね。私も実家は商売人の家でしたから、その苦労はある程度理解できます。
お父様はお仕事をやめられてから、ご自分の好きなことを存分になさったのではと想像致します。gillmanさんがお母様をとても大切になさっているわけがよくわかったような気がします。
by coco030705 (2015-03-07 21:29) 

けん

深い・・・記事ですね。
またドイツにいらしていることもびっくり。
自分もいつか親父のことを思い出す日が来るのかな。
まだ長生きしてほしいですが。
そんな事を考えさせられました。
by けん (2015-03-08 22:03) 

ZZA700

人生はドラマだなあとつくづく思いました。
職人さんと経営者の二足の草鞋はさぞ大変だったことでしょうね。
しかし、お父様が優秀な職人であると同時に立派な経営者であったことは、
社員さんたちの幸せそうな笑顔が証明しているような気がします。
by ZZA700 (2015-03-08 22:09) 

anan

お父様と愛犬の写真、何とも言えぬ雰囲気があります。
デジタルカメラは光を写すと言われますが、
この時代のカメラはその時の空気感を写しますね。
我が家は商家でしたが、近隣は職人の街でした。
gillmanさんの家庭の状況、よく分かります。
あの頃はどの家も、家族総出で働いていました。
懐かしいです。お金のありがたみをダイレクトに学びました。
お父様はお幸せな人生だったと思います。
そのお父様を支えたお母様もお幸せですね。
介護のご苦労、さぞやと思います。
皆様のご健康とお幸せをお祈りいたします。
by anan (2015-03-10 11:17) 

親知らず

私は商売人が嫌で手に職を付けましたが、それはそれで厳しい。
何歳まで出来るのだろうかと思う今日この頃です。
by 親知らず (2015-03-21 13:53) 

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