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谷根千今昔 ~千駄木・根津~ [下町の時間]

谷根千今昔 ~千駄木・根津~


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 ■青年

 小泉純一は芝日蔭町(しばひかげちょう)の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場から上野行の電車に乗った。目まぐろしい須田町の乗換も無事に済んだ。さて本郷三丁目で電車を降りて、追分(おいわけ)から高等学校に附いて右に曲がって、根津権現(ねづごんげん)の表坂上にある袖浦館(そでうらかん)という下宿屋の前に到着したのは、十月二十何日かの午前八時であった。

  此処は道が丁字路になっている。権現前から登って来る道が、自分の辿って来た道を鉛直に切る処に袖浦館はある。木材にペンキを塗った、マッチの箱のような擬西洋造(まがいせいようづくり)である。入口の鴨居の上に、木札が沢山並べて嵌てある。それに下宿人の姓名が書いてある。… …

(森鴎外/「青年」新潮社)



 根津神社で昼すぎに落ち合う約束になっていたので、昼前に日暮里駅で降りてそこから谷中・千駄木を歩いて根津神社まで行くことにした。森鴎外の小説にあるようにぼくなんかも根津神社ではなく根津権現という名前が頭に入っている。権現というのは神仏習合の時の呼び名なので、神仏分離が原則の現在では神社と呼んでいるのかもしれない。

 平日とあって境内は人の姿もまばらだ。これが四月中旬からのツツジの季節だったら、それこそ平日でも大勢の人でごった返して大変なことになる。お祭りのハレ(霽れ)の場も良いけど、ぼくは神社やお寺はやはり今日のような普段の(褻)の静謐な感じが好きだ。

 境内でのんびりしながらひとしきり写真を撮り終えたころ友人二人がやってきた。もう一人はちょっと遅くなるということだったので、取りあえずソバでも食べようということになって根津裏門坂を上がったところにある大学病院の前の蕎麦屋「夢境庵」に行くことにした。

 そこは昔親父がその大学病院に入院している時、見舞いに行った帰りによく寄ったところだ。親父は末期の肺がんで結局その病院で亡くなったのだけれど、入院している間、夜仕事が終わると毎日のように本郷の会社から病院に寄っては親父の顔を見た。そして病院から家に帰る前に、時にはその蕎麦屋に寄って気持ちを落ち着けてから帰ったこと等想い出した。


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 ソバを食べ終わった頃もう一人の友人も来たので、谷中の方へ歩いて行くことにした。不忍通り(しのばずどおり)を道灌山の方向に行くと次の坂が団子坂だ。ここら辺でもこの団子坂と次の動坂はとても勾配が急で、昔学生の頃大雪の降った時などはバスが坂を上がれずに降ろされたことがあった。

 団子坂の丁度中ほどに森鴎外が半生を過ごした自宅「観潮楼」がある。ぼくの通っていた学校はそのすぐ近くだ。鴎外の自宅はぼくが学校に行っていたころには鴎外図書館(正式には文京区立鴎外記念本郷図書館)といって地域の図書館になっていたけれど、この間久しぶりに行ってみたら「森鴎外記念館」という森鴎外に関する資料館になっていた。ぼくの記憶では場所も前は通りの反対側だったような気がするのだけれど。

 今回は不忍通りではなく、それに沿って走っているへび道と呼ばれる曲がりくねった裏道を歩いて行った。車一台がやっと通れるくらいの細い道は子供の頃から見慣れている下町の街並みだ。子供の頃当たり前だった風景が今では人が珍しがって散策すると思うと、少し複雑な気持ちになった。

 千駄木の裏路地を抜けて三崎坂に出たあたりから周りは寺ばかりの寺町になる。よくまあこれだけ寺が集まったものだと感心するほど寺がある。三遊亭圓朝や山岡鉄舟などの墓があったり、築地塀の美しい寺があったりで飽きない。

 気が付くと結構な距離を歩いていた。駅にしたら3つ位の駅の間だけど朝から都合三回行ったり来たりしている。でも、各々好き勝手なものを撮りながら友人達と過ごす時間は何とも楽しいひと時だ。それに、後に控えている「反省会」も…。今回は根津の「串揚げ はん亭」で大いに反省?した。

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 *根津の蕎麦屋の先の広い通りに出ると夏目漱石が「吾輩は猫である」を書いた漱石邸跡(そこに建っていた通称「猫の家」は現在は明治村に移築されています)がありますが、この狭いエリアに漱石・鴎外という明治の二大文豪が住んでいたのは興味深いですね。

**ぼくは何故か森鴎外とは縁があってドイツ繋がりもそうですが、昔住んでいた千住には森鴎外が若い時住んでおり、そこからドイツ留学に向かった鴎外の実家である森医院がありましたし(今は足立税務署になっています)、高校の時はすぐ側に鴎外の終の棲家であった観潮楼がありました。

 漱石と言えばイギリス、鴎外と言えばドイツと言う風に留学先も違う二人はその作風も異なりますが、同じ時代のそれも一時期同じ地域の空気を吸っていたことを思うととても興味深いですね。実は漱石の住んでいた「猫の家」には、一時期鴎外も住んでいたことがあるということです。

 現在でも漱石の小説は広く読まれているのに対して、鴎外の作品は最近はそれ程読まれていないような気がして少し残念です。鴎外の作品には、漱石とはまた違った深遠な世界があると思うのですが…。


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コメント 9

Silvermac

森鴎外も城崎に来ています。
by Silvermac (2015-02-26 06:15) 

mimimomo

おはようございます^^
谷根千、まったく未知の場所。地図で一所懸命探してしまいました。
お蕎麦屋さんに魅かれて~
by mimimomo (2015-02-26 09:17) 

ナツパパ

明治の頃は、根津千駄木あたりが、ちょうど新市街のような感じだったのでしょうか。
以前、日暮里の台地から東を見下ろした写真があって、一面田んぼでしたっけ。
千駄木も静かな街だったのかも知れませんね。
by ナツパパ (2015-02-26 20:36) 

めぎ

数年前にここの辺りに泊まってゆっくり散歩したことを思い出します。
うちのドイツ人にとっても、いい思い出になっていますよ。
by めぎ (2015-02-27 18:40) 

kjisland

なかなか深遠な世界を生きておられますね。また、おじゃまします。ありがとうございました。
by kjisland (2015-02-28 00:13) 

ぽちの輔

御訪問ありがとうございました^^
by ぽちの輔 (2015-02-28 06:15) 

YAP

赤い鳥居がずっと続くカットはいいですね。
by YAP (2015-02-28 07:07) 

鋭理庵

あこがれの下町、でも東京へ出るのは年に数える程しか行かない。昔は日本橋の丸善とか高島屋に好んで出掛けたが、今は横浜の有隣堂とか横浜高島屋で用を済ます。今度、台東区下谷で育った友人と下町を案内してもらいながら散策をしてみたくなりました。
by 鋭理庵 (2015-02-28 22:09) 

けん

いろんな知識があると散歩も一味違ったものになりますね。
あんまり何にもしらない若輩者だから写真ばっか撮ってます(^^;
by けん (2015-03-02 22:36) 

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