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中世ギルドの朝 〜フランドルから〜 [gillman*s Lands]

中世ギルドの朝  〜フランドルから〜

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 ブルージュブリュッセルの丁度中間あたりにある街ヘント(Gent、英語読みではゲント)には中世のギルドハウスの街並みが今も残されている。レイエ川の運河に沿って西側に広がる穀物河岸(コーンレイ)と東側のグラスレイ(香草河岸)と呼ばれる地区には中世におけるギルドの隆盛を彷彿とさせる建築群が見事に残されている。

 それはファン・アイクの有名な祭壇画「神秘の子羊」のある聖バーフ大聖堂のほど近くにある。ぼくがヘントを訪れた時はまだ朝早くで、街がやっと動き始めた時刻だった。船の往来もまだ少ない運河の水面は鏡の様に静まりかえっており、そこに壮麗な中世の建築群の姿が映り込んでまるで一幅の絵の様だった。

 その時ぼくの頭を去来したのは、ぼくら(つまり現代人は)はなんでこういう美しい建物や街並みを造りそして残せないのだろうか、ということだった。この建物の多くは13世紀から16世紀にかけて造られた建築群なのだけれど、今の建物よりも美しいかどうかは別としても、少なくともぼくらの今作りつつある街並みなんぞはその永続性だけでも既にこれらの建築群に負けているに違いないのだ。

 たかだか50年前に造られた国立競技場を壊して、またぞろ3000億円もかけて新しく作ろうとしている。それだって一体何年もつのだろうか。アジリティー、つまり迅速性というものを基本においている現代文明は見方を変えれば、積んでは、そのそばから崩れてゆく賽の河原の石のように儚いものかもしれない。一説によると一般的なコンクリートの耐用年数は50年〜60年と言われている。すぐ出来あがる物は、すぐ壊れると喝破した先人の言葉は正しかったのかもしれない。

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上の写真:
前にトラックの止まっている家から順に左へ
自由船員組合のギルドハウス(ブラバント・ゴシック様式1531年)
小麦計量検査官のギルドハウス(後期バロック様式1698年)
港使用税徴収官の小さな家(フランドル・ルネサンス様式1682年)
穀物倉庫(ロマネスク様式1200年)
穀物計量検査官のギルドハウス(フランドル・ルネサンス様式1435年)
メーソンのギルドハウス(ブラバント・ゴシック様式1527年)

(cam:NEX-7)


 

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 ブルージュで食事をしたレストラン「Duc de Bourgogne」の建物は昔の皮なめし職人のギルドハウスでした。ヨーロッパを旅するとどこへ行っても教会ばかりでちょっとうんざりするところもありますが、視点を少し変えて中世あたりからの商業活動に目を向けると、また違ったものが見えてきます。

 ここ数年訪れてきた、バルト海沿岸のリトアニア、ラトビア、エストニアそして北ドイツのハンブルクやブレーメンならびにリューベックなどのハンザ都市、さらに今回の北海に面したオランダならびにフランドルは特に都市同盟やギルドといった商業の動きが昔から活発でした。

 もちろん、ぼくは専門家ではないので興味本位の野次馬根性で見ているだけなんですが、それでもそれらに関する豆知識はフェルメールやレンブラントの絵の背景を理解する助けにもなるし、単に過去のことだけではなく現在の金融や保険そして都市機能の成立や職業倫理観などぼくたちが今住んでいる世界の一つの底流を作り出していることにも気づかされます。


[ギルドに関する手元メモ]

「ギルド」というとざっくり言って「同職組合」という理解でいたけれど、基本的にはそれでも間違いではなかったが、もう少し掘り下げて知りたいと思った。

まず日本で言う「ギルド」はドイツではGilde、イギリスではGildもしくはGuild、フランスでGuildeというので英語経由で入っているのかもしれない。(ネットで「ギルド」を調べると関西のバンドの「ギルド」とコンピュータ・ゲームのことばかりがでている)

ギルドは10世紀に北イタリアのヴェネチアやジェノヴァあたりから始まり、11世紀にかけて北フランス、フランドルそしてドイツのライン河流域に集中的に発生しその後全ヨーロッパに広がって行った。

ギルドには大きく分けて
①商人ギルド(Gilde=独)と
②職業ギルド(Zunft=独)に別れ、
発生的にはまず①の商人ギルドが前述のように北イタリア近辺で始まった。またその両方の役割を持つ総合ギルド(Gesamtgilde=独)というものも存在した。総合ギルドは商業ギルドが職業ギルドを取り込んで総合化してゆくケースと、逆に最初は総合的だったものが商人ギルドと職業ギルドとに分化してゆくケースとがある。

さらに細かく言えば①の商人ギルドは、
a)広域商人ギルド(遠隔地交易をおこなう商人仲間で、例えばハンザ同盟等)と
b)都市商人ギルド(都市定住型の商人仲間)に分かれる。
いずれにしても商人ギルドは次第に力を付けてゆき都市運営を独占しようとしたりしたため、職業ギルドが運営の参画を求めてギルド間抗争、すなわちツンフト闘争(Zunftkämpfe)がドイツを中心に起こった。

またギルドの目的について言えば、商人ギルド、職業ギルドを問わず、その設立目的は外に向かっては権利保護による独占、ウチに向かっては相互扶助ということに尽きるかもしれない。さらにこれらのギルドは中世の都市共同体の大きな部分を担っていたと考えられる。特に商業ギルドの有力メンバーは街の参事会議員になる等の形で、都市運営の担い手にもなって行った。

一方、職業ギルドの中では厳格な徒弟制度が確立され、親方(Meister=マイスター)、職人(Geselle=ゲゼッレ)、徒弟(Lehrling=レールリンク)という身分制度が運用されることとなった。なお職業ギルドには親方だけが入ることができ、親方は仕事場と職人と徒弟を抱えている。職人は通いの有給の者で、親方になるには経験を積んで職人を経なければならない。また徒弟とは住み込みの基本的には無給の者である。

後年、職人から親方になるには親方の下での経験の他に数年をかけて各地の親方の処に行って修行をする遍歴職人を通過しなければならない職人遍歴制度(Wamdergesellentum)が行われるようになった。そのためには時には何年も各地を遍歴し辛い修行を余儀なくされる。

この辺の様子はシューベルトの歌曲(「美しき水車小屋の娘」/「冬の旅」)やH・ヘッセの小説(「クヌルプ」)にも度々でてくる。マイスターでいえば、もちろんヴァグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が有名でマイスタージンガーとは試験に受かった職匠歌人で劇の中にも靴屋、金細工などのギルドの親方たちも出てくる。主人公のハンス・ザックスは靴屋のマイスターである。またこのマイスター制度は現在でもドイツの職業制度である「手工業マイスター制度(Handwerksmeister)」のもとになっているらしい。

また、ギルドはこんな力も持っていた。例えば画家のレンブラントがその浪費壁のために破産に瀕し結局1656年に全財産を処分せざるを得なくなった時に、行政や債権者たちは比較的穏健だったがアムステルダムの画家ギルドは彼に厳しくレンブラントをもう画家として扱わないことを決めた。これに困り果てて結局奥さんと息子が画商を開業しレンブラントを雇う形をとったらしい。

商業ギルドでは交易のために遠隔地に赴き船舶の事故などがあった場合にギルドメンバーが死亡した時などに遺族の補償や損害の軽減などから相互扶助ならびに原初的保険機能も生まれたと考えられる。

ぼくらが観光でヨーロッパを訪れたり、歴史に目を向ける時どうしても教会ばかりに目が向きがちだけれど、こうした商業の部分にも目を向けてみるのも面白いと思う。もちろんギルドそのものは教会や宗教と無縁ではない。むしろ彼らの守護神としてギルド毎に自分たちの聖人を設定するなど密接な関係を持っていた。

観光で訪れる有名な教会の中にも、貴族の専属の礼拝堂と並んでギルド毎の専用の礼拝堂などがある場合もある。そんな時はそれらを訪ねて何のギルドだったのかを知れば、その土地で当時どんな職業が力があったか等が想定できるかもしれない。その土地のその時代に思いを馳せるのも、それはそれで楽しいと思った。


(May 2015 in Brugge)


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コメント 3

ナツパパ

一枚目の写真、素晴らしいです。
静謐、という言葉そのもののように感じます。
by ナツパパ (2015-06-09 17:34) 

JUNKO

未知の世界を楽しく読ませていただきました。
by JUNKO (2015-06-09 21:44) 

kuwachan

ゲントは朝も素晴らしかったですが、夕景もとても印象に残っています。
by kuwachan (2015-06-11 19:42) 

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