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驛 Station [Ansicht Tokio]

驛 Station

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 ■…季子(すゑこ)は今夜初てこゝに來たのではない。この夏、姉の家の厄介になり初めてから折々憂欝になる時、ふらりと外に出て、蟇口に金さへあれば映畫館に入つたり、闇市をぶらついて立喰ひをしたり、そして省線の驛はこの市川ばかりでなく、一ツ先の元八幡驛の待合所にも入つて休むことがあつた。

その度々、別に氣をつけて見るわけでもないが、この邊の町には新婚の人が多いせいでもあるのか、夕方から夜にかけて、勤先から歸つて來る夫を出迎へる奧樣。また女の歸つて來るのを待合す男の多いことにも心づいてゐた。季子はもう十七になつてゐるが、然し戀愛の經驗は一度もした事がないので、さほど羨しいとも厭(いや)らしいとも思つたことはない。

唯腰をかけてゐる間、あたりには何一ツ見るものがない爲、遣場のない眼をさう云ふ人達の方へ向けるといふまでの事で、心の中では現在世話になつてゐる姉の家のことしか考へてゐない。姉の家にはゐたくない。どこか外に身を置くところはないものかと、さし當り目當めあてのつかない事ばかり考へつゞけてゐるのである。…
 (『或夜』永井荷風)



 ぼくは人混みというか雑踏が余り好きではない。尤も人混みが大好きなどというのはスリか痴漢くらいのもので大抵の人は好きではないと思うけど…。 会社を卒業してからは幸いにして休日混みそうな処は平日の昼間に行けるので、そう頻繁には人混みに出くわさないのでその点はありがたい。

 そんなぼくでも雑踏を有難いと思う、もしくは雑踏に癒されるということが稀にある、というよりはあったと言った方が好いかもしれない。それは駅の雑踏なのだけれど、もちろんいつでもと言うわけではない。今は余りないけど、会社にいる頃には年に何度か雑踏を求めて駅に行ったことがある。そんな時の駅は大抵、上野駅か東京駅のような大きなターミナル駅であることが多い。その頃は新宿や渋谷にはあまり縁が無かったからやはり上野か東京駅だったと思う。

 駅の雑踏に完全に紛れ込むのではなくて、そこからちょっと離れて雑踏を見つめることができる場所が好い。例えば駅構内のカフェとかコンコースを見下ろせる吹き抜けのベンチのような場所。今は変わってしまったけれど上野駅や東京駅にはそんな格好の場所が何箇所かあった。それはどう表現したら好いのか…、例えば「雑踏の中の居心地の好い孤独」のようなものをいつでも保証してくれるような処。

 そこは自然に囲まれた野原のように静寂でも、離れ小島の海岸のように心地よい波の音があるわけでもないけれど、雑踏の不規則な雑音が却って集中力と不思議な安堵感を与えてくれるような気がするのだ。そこに暫くいると行き詰った日常から、少しづつだが心が解放され遊離してゆくように感じられる。まず、そこが好い、これはもちろんぼくの場合だけど…。

 そこで時間が経って少し心が落ち着いてくると、やがて雑踏の細部に目が行くようになる。ひたすら先を急ぐ人。待ち合わせをしているらしい人。何回も頭を下げながら懸命に携帯でずっと話している人など等。目の前の群れの「塊」として目に映っていた雑踏が、次第に心の中で分解されて自分と等価な個別の存在へと変質してゆく。「あの人も結構大変そうだなぁ」

 そこにはこれから旅行に出かける楽しそうなグループだっている。ターミナルは遠く離れた土地と都会を結びつけるノード(結節点)でもあるのだ。それはぼくに自分の日常の外側にもっと広い世界があることを強く示唆してくれる。日常の枠の中でガチガチに固まった心が少し軟化するような気になる。

 でも、それでいきなり何かが解決するわけではない。それは言って見れば心の準備運動みたいなものなのだ。此処からはまた自分の世界に戻ってゆかねばならない。今度は雑踏の中の心地よい孤独感が集中力を高めてくれる。少しタガの緩んだ心はその集中力の助けを借りて何かを見つけ出す…かも知れない。

 もちろん、いつも何かが見つかるわけではない。大抵は目の前に広げた手帳のメモ欄が白いままその場を後にすることになるのだけれど、それでも心の状態は来る前とは確実に変化しているような気はするのだ。

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 *上野駅も東京駅もここ十年たらずの間に大きく変わりました。昔よく訪れたポイントもその殆どが変わってしまいました。一方、新しくできたポイントも多くそれを探して回るのもまた新たな楽しみです。

 先年修復が終わった東京駅にはドームも蘇ってきました。ドームは丸の内側の北と南にあり、南側は東京ステーション・ホテルから、そして北側はステーション・ギャラリーを通ってドーム内を一周する回廊に入ることが出来ます。

 ぼくはこの北側のドームの回廊から駅の雑踏を見渡すのが好きです。ステーション・ギャラリーの展覧会に行った際には必ず寄っては、つい時間を忘れて眺めいってしまいます。

 ドームの回廊から下を飽きずに眺めていると、その中央にダークスーツの一団がやって来て、誰かを待っている様子。その内その待っている相手が来たらしく、丸天井の真下で名刺交換が始まりました。なんか厳かな儀式みたいに…フフ。ぼくも、ああだったんだろうなぁ。



 


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コメント 4

ナツパパ

名刺交換をされている皆さんの姿勢、そして、
ライティングもちょうどピンポイントで...
ドラマの一場面みたいです。
by ナツパパ (2015-07-03 19:45) 

TaekoLovesParis

上から見ると、こんな放射線状なんですね。写真がある場面を切り取った、という感じで素敵です。
by TaekoLovesParis (2015-07-03 22:17) 

たま

床が騙し絵になってる
by たま (2015-07-04 09:05) 

ZZA700

名刺交換の図だったのですね。
ご当人たちは観察されていたとは夢にも思わなかったでしょうね。
「待ち合わせはドームの中心で、、、」ってことになっていたのでしょうか。
その感覚が斬新です^^
by ZZA700 (2015-07-04 09:18) 

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