So-net無料ブログ作成
検索選択
gillman*s park 09 ブログトップ
前の10件 | -

Himmel und Vogel  空と鳥 [gillman*s park 09]

Himmel und Vogel  空と鳥

VogelfreiR0021395.jpg

LichtR0021393.jpg

       ■ 鳥とほくとほく雲に入るゆくへ見おくる (山頭火)

 空に雲があって空が生き生きとするように、空に鳥がいて空は地と同じように命を育む空間となっている。公園の空を見上げるといつも鳥がいる。それが当たり前のように空に鳥がいることが、たまらなくうれしい。空を飛ぶ鳥の姿はこの世でも最も美しいものの一つだと思う。

 以前はあんなふうに自由に空を飛べたらどんなに良いだろうかと思っていたが、毎日彼らのことを観察しているとそう単純でもなさそうだ。追いかけっこがあったり、空中戦があったり、そこは彼らにとってぼくらの地べたと同じような空間なのだと思う。それでも一度は鳥になって空を飛んでみたいと思うことがある。もしぼくが空を飛べたとしたら、史上初めての高所恐怖症の鳥になるだろうな。


   ■ 空に小鳥がいなくなった日

  森にけものがいなくなった日 森はひっそり息をこらした  
  森にけものがいなくなった日 ヒトは道路をつくりつづけた
  
  海に魚がいなくなった日 海はうつろにうねりうめいた
  海に魚がいなくなった日 ヒトは港をつくりつづけた
  
  街に子どもがいなくなった日 街はなおさらにぎやかだった
  街に子どもがいなくなった日 ヒトは公園をつくりつづけた
  
  ヒトに自分がいなくなった日 ヒトはたがいにとても似ていた
  ヒトに自分がいなくなった日 ヒトは未来を信じつづけた
  
  空に小鳥がいなくなった日 空は静かに涙ながした
  空に小鳥がいなくなった日 ヒトは知らずに歌いつづけた


                                                     (谷川俊太郎)

 

cosmos.gif


nice!(19)  コメント(6) 
共通テーマ:アート

空の羊 [gillman*s park 09]

空の羊

WolkenDsc_0415b.jpg


  秋の空は特に美しい。秋風が立つようになってから公園に行くと空ばかり見ている。もっとも公園の空は広いので、わざわざ意識して視線を上に向けなくたって空の方から目の中に飛び込んでくる。都会の中では空は意識して見上げないと視界に入ってこない。だから昔は空なんて見上げたことなどきっと数えるほどしかなかったはずだ。しかし実はそういう物理的な理由よりも、おそらく空を見るという気持ちの余裕などなかったことの方が大きいのかもしれない。

今は毎日のように空を見ているが、そのうちに自分は本当は空というより雲を見ていることに気がついた。その証拠に、雲ひとつない空は確かに見ていても気持ちいいが、そのうちすぐに飽きてしまうのだ。雲は空に表情を与える。そしてその表情を何かの絵か美術作品を観賞するように見つめることが楽しくなってくる。

  今朝は曇っている。公園は平日の朝ということもあって、人影もまばらだ。朝はもう肌寒い感じがする。道の両側には黄色い花をつけたセイタカアワダチソウがびっしりと咲いている。その黄色い花のラインの真ん中にここ数日で急に色を濃くした真っ赤なピラカンサの実が目にまぶしい。

 ピラカンサの向こうに広がる空にはいくつもの雲の塊。ぼくは雲のことはあまりよく知らないが羊雲というのだろうか。モコモコとした雲の塊が空いっぱいに広がっている。頭上の羊の群れを見上げるように一羽のハトが電線にとまっている。ハトもじっと空を見ている。今年も秋がやってきた。

cosmos.gif


nice!(18)  コメント(3) 
共通テーマ:blog

そらとほく [gillman*s park 09]

そらとほく

HimmelDSC_0321d.JPG

 夕暮れの公園は独特の雰囲気があって好きだ。黄昏時はマジックアワーと呼ばれるように、自分の周りの世界が光の量やその差し込む傾きの変化によって刻々と変わってゆく。白い光が赤みを帯びてそしてやがて夜の藍に染まってゆく。たたずみ、じっと空を見ていると、突然自分の廻りの騒音がふっと消えたような錯覚に陥る時がある。

 空には何羽ものハトやカラスが飛び交っていた。夕刻に空中を浮遊する虫たちを狙っているのだろうか。それとも一日の終わりのフライトを楽しんでいるのだろうか。ふいに二羽の鳥影が群れを抜け高く舞い上がる。一羽が追いかけようとする。もう一羽の方は、それを振り切るようにさらに高い空へと飛んで行った。

  たたずめば風わたる空のとほくとほく  (山頭火)


cosmos.gif

nice!(16)  コメント(4) 
共通テーマ:blog

Cosmos [gillman*s park 09]

Cosmos

コスモスDsc_0300.jpg
 

   コスモスなど やさしく吹けば 死ねないよ  (鈴木しづ子)


 ぼくは鈴木しづ子のこのコスモスの句が好きだ。好きだというより、この句を読むたびに不思議な気持ちになる。その不思議さがたまらない。読むそのたびにその背景に異なる物語が浮かんでくる。もちろん、それらの妄想は作者の意図したものとは異なるのだろうが、詩も俳句もひとたび作者のもとを離れれば、あとは勝手に読み手の心の中で動き出してしまうのは仕方のないことだ。

 コスモスと言えば、夏が過ぎ去って心にぽっかりと穴が開いたようなところに、風にそよぐ頼りなげなコスモスの姿を目にすると、寂しさに輪をかけるような気がする。「死ねないよ」などという状況の人間にはコスモスはその心の寂しさに追い打ちをかけそうなものだ。しかし日本人はいわばその自然の寂寥感が嫌いではない。その中に安らぎを見出すことがあるようだ。

 言い方は変だが、寂しさに癒されるということがあるのかも知れない。自然の儚さや、過ぎてゆく季節のうつろいへの未練などと今の自分の心情とを同列に並べることによって、自然に包まれていたり、自然との一体性を感じて安らぐのかも知れない。最近、季節の移り変わりというものがいかにぼくたち日本人のセンチメントに大きく影響しているか痛感している。

cosmos.gif


 *去年のコスモスです。コスモスは年々咲くけれどそれを見る自分の眼差しは同じではないような気がします。

nice!(31)  コメント(14) 
共通テーマ:アート

Licht und Leben 光といのち [gillman*s park 09]

Licht und Leben 光といのち

081Dsc04667.jpg

 歳をとったら美しいものだけを見て暮したいと思った。だが、現実に歳をとってみるとそうもいかない。身の回りには相変わらず雑多なものやお世辞にも美しいとは言えない現実が溢れている。そこで考えられる方策は美しくないものからは目をそむけるか、それともそうでないものの中にも新たな美しい要素を見つけ出す努力をするかのどちらかだろう。

 いずれにしてもそれにはかなりの勇気と努力がいるに違いない。ここで「それでは、そもそも美しいとは何だろうか」というところまで遡れるほどの情熱と時間はぼくには残されてはいないような気がする。それにそんなに大上段に構えたって物事の本質は見えてはこないことなど、
うっすらと分かり始める年齢にもなっている。

035Dsc_3073.jpg

 そこでぼくが選んだ道は、とりあえずこの公園の四季を通じて、自分の中で月並みでもいいから美しいと感じたものを心の記憶にとどめてみようと思った。散歩のたびに公園の写真を撮り続けた。そして今年ひと夏をかけて、この五年間に撮った公園の写真に目を通してみると、美しいと感じるぼくの心の根底には、流れてゆく「時」への愛おしさのような感覚があると思った。

 ぼくにとって美しいとは綺麗と同義語ではない。美しいと感じた心の背後で流れてゆく時を具体的に物語っていたのが、この公園の光といのちに他ならなかった。この二つとも一時として同じ様相に留まることもないし、また二度と同じものに戻ることもない。静謐ではあるが決して同じ処に留まってはいない世界。今のところそれがぼくにとっての美しい世界かも知れない。

アキアカネdsc01567.jpg

The Postcards (Die Ansichtskarten)

 ぼくの家の天袋にある古びたトランクの中には沢山の昔の絵葉書がしまわれている。たいていは旅先の友人からもらったものだが、その中には自分が昔身内に出したものも含まれている。写真を見るとどれも一見その地ではありきたりの風景に見られそうだが、実際に行ってみれば天候などにもよるがなかなかそんな絵葉書通りの光景に出くわせることは稀なことだと分かる。絵葉書にはありきたりだが、その地を代表する普遍的な美しさが込められているような気がする。

067Dsc01578.jpg

 ぼくは特に絵葉書というものの大きさも気に入っている。額にかけるほど大仰ではなく、かといってポケットに忍び込ませるほど秘密めいてもいない。いつも身近において気楽に見られる楽しみがある。また何枚もの絵葉書があればカードのように並べ替えて自分だけのストーリーを作ることだってできるかもしれない。

 確かに大きさの制約から表現の限界はあるかもしれないが、それだけに表現する要素を一つに絞り込んだ潔さがある。絵葉書は一つの表現手段になっていると思う。トランクの中の古い絵葉書を眺めながら、いつか自分でもそんな絵葉書を作ってみたいと思っていた。今、夏の終わりに公園の絵葉書集を作っている。


cosmos.gif


nice!(32)  コメント(11) 
共通テーマ:アート

槿揺れて [gillman*s park 09]

槿揺れて

MukugeDsc_0043.jpg

 木槿の花がおしまひになって風吹く (尾崎放哉)

 舎人公園にはムクゲ(槿/木槿)の花を見るのにいい場所が二か所ある。一か所はぼくが勝手に槿通りと呼んでいる尾久橋通り沿いの小道で、ここは公園の中では珍しく先の大規模改修工事でも舗装を免れた道なのだ。したがって雨が降るとちゃんと水たまりができる。ぼくの好きな小道の一つだ。この小道の中ほどに両側に大きなムクゲの木が植わっている場所がある。背丈よりは大分と大きい立派な佇まいの木で花をつけた姿は見事だ。

 もう一か所は通りを挟んだ公園北側の三本の柳の谷近くにある。そこはまだ未整備地区なこともあるし、スダジイの林の陰に隠れて目立たないからあまり人も来ない。赤と白の花をつけるムクゲの木が何本も並んでいて一斉に花をつけた様はちょっと壮観だ。このあたりはぼくの散歩のコースになっていてスダジイの林やこのムクゲの木立の他にも、ピラカンサニシキギなどがあって季節の移ろいが感じられる場所だ。ずっとこのままの形でいるといいなとも思うが、八月から整備工事が始まるという看板もでていたので、ここら辺も変わってしまうかもしれない。もしかしたら、隣接する場所にあった草原で以前見ることができたみごとな草紅葉のように、このムクゲの木立も今年が見納めになるのかもしれない。

 白いムクゲの花は花びらの根本のあたりが茄子紺色になっていて、それが一層花の白さを際立たせている。同じアオイ科の仲間のハイビスカスが、真っ青な空の下で咲き誇るように天に向かって満面の笑みをたたえているのと比べると、ムクゲの花はどこか少しはにかんで俯いている少女のように楚々とした風情がある。ここのムクゲの花は盛りを過ぎて木の根元にはいくつもの花が落ちている。中には蕾のまま落ちているものも多い。ムクゲの花は一日花と言われるように、朝開くと夕方には落ちてしまうものらしい。ぼくらはそこにどこかしら儚さを感じるのだろうか。

 少し小高い丘になっているこの場所は風の通り道になっているのか、ムクゲの花が絶えず風に揺れている。今年が見納めになるかもしれないから、写真を撮っておこうと思ったが風がなかなか止まない。一瞬風が止まった時を見計らって花に近づくと、ムクゲの花はいやいやをするように激しく頭を振る。何度試してもじっとしていてくれない。放哉の句に曰く■木槿の花がおしまひになって風吹く。きっとこの姿が今のこのムクゲの気持なのだろう。

mukuge.gif


nice!(13)  コメント(5) 
共通テーマ:blog

紫陽花には曇り空がよく似合う [gillman*s park 09]

紫陽花には曇り空がよく似合う

HortensieDsc_7226.jpg

    ■ あぢさゐや月に色づき日に褪せて  (成瀬桜桃子)

 もう梅雨に入っているかもしれない。公園の空はどんよりとして今にも降って来そうな気配だ。公園の散歩道に沿った木立の裏側に紫陽花の花が咲いている。背の高さが異なる何本もの紫陽花の株がこんもりとした花の列をなしている。鮮やかな紫から薄桃色そして淡い黄色とその花の彩りも様々だ。

 どんよりとした梅雨空の下、木立の陰の少しうす暗い処で紫陽花の花は自分で光を発しているかのように妖しく輝いていた。
向日葵のように太陽がギラギラと輝くもとで咲き誇る紫陽花の花というのはどうも想像しにくい。

 それよりも、ちょっとうす暗いような曇り空の下や、そぼ降る雨に打たれる紫陽花の方が似合っているような気がする。この桜桃子の句のように強烈な日光を浴びたら紫陽花のあの移ろいやすい花の色は本当に色褪せてしまいそうだ。煌々と輝く月の光の下で妖しく光る紫陽花の花を一度見てみたいものだ。

gillman_park.gif


過去の紫陽花の記事です。

2007年の紫陽花
2008年の紫陽花
2008年秋の紫陽花


nice!(22)  コメント(8) 
共通テーマ:blog

朽ちる [gillman*s park 09]

朽ちる

rot2Dsc_7093.jpg
 公園に隣接した未整備地区の椎の木林の中。大きなクスノキの足元に一台のバイクが打ち捨てられている。手足をもがれて横たわる獣の屍のように無造作に転がされている。ピカピカの黄色い車体と真っ赤なテールランプは、先ほどまで野を駆け回っていたカモシカの体のように新鮮な印象を与えた。

 打ち捨てられた獣は時がたてばやがて朽ちて土にかえるが、鉄とプラスチックで創り上げられたこの黄色い都会の獣は、その身体が輝きを失っても朽ちることなく永いこと醜態をさらしてそこに居続けなければならない。

gillman_park.gif

 *家の中を整理する必要があって先週くらいから不要な物を捨てるようにしているんですが、出るわ出るわ毎日のようにゴミを出す羽目になりました。粗大ゴミは自分で廃棄処理場に持ち込めば一定数処理してくれるので二回にわたって持ち込みました。それでもまだ出続ける山のようなゴミを前にして、まるで今までゴミの山の中に棲んでいたような気持ちになりました。その中の殆どはタダで手に入れたものではなく、どれも貴重なお金を出して買ったものばかりなわけで、その時わざわざお金を出して手に入れたものがどうしてゴミになってしまったのだろうかと考え込んでしまいました。

  ゴミとなったものの中には故障や老朽化を待たずして、技術の進歩や流行の変化によって価値が薄れてしまったものも多くありました。今、個人消費が落ち込んでいることが景気後退の一つの原因と言われていますが、考えてみれば「現代の消費」とはいかにして、流行おくれ時代遅れなものと思わせて今所有しているものを捨てさせるかというムーブメントに他ならないような気がします。またそのうち景気が戻るということは、この殆ど浪費と言えるような限界的な消費が戻ってくることだとすれば何か釈然としないものを感じます。

 
戦後、何も物を持たないぼくたち日本人が、アメリカのホームドラマなどテレビを通じて見せつけられてきた眩しくなるようなアメリカ式の生活、多くのモノに囲まれたいわば浪費に近いような生活をどこまで続けてゆくのか。そろそろ考え直す時に来ているような気がします。昔ドイツ時代「少しの良いものを永く使う。それがまっとうな生活だ」とぼくの下宿のおばさんがよく言っていましたが、自分の家のゴミの山を前にして今そのことが身に浸みています。
nice!(18)  コメント(4) 
共通テーマ:blog

草いきれ [gillman*s park 09]

草いきれ

Kraut3Dsc_6974.jpg

 公園を散歩していた時、それは突然やってきた。前日までの雨も上がって新緑が目にまぶしい。いつも通る公園の未整備地区の入口にある原っぱはひざの高さにまで雑草が生い茂っている。正式な公園の敷地ではないので、人が通った跡がけもの道のようになっている。足もとの草をかき分けるようにして歩みを進めている時、突然鼻の奥に草いきれの匂いがやってきた。

 今年の二月に嗅覚の手術をして、少しづつではあるが嗅覚は戻りつつあった。しかしまだ散歩のたびに野原を歩いても、それは以前どおりの無音ならぬ無臭の世界が続いていた。それが今、突然蘇ってきたのだ。あたりを見回して、緑一色の視界を目に焼き付けながら胸いっぱいに草いきれを吸い込んだ。ちょっと湿った青臭い空気が肺中に広がった。少し胸が熱くなった。

  ■ 肺熱きまで草いきれしてゐたり (岩岡中正)


 草むらを通り抜けて、街を見下ろす小高い丘に出る。ここも雑草が生い茂って、青々としている。他には誰もいない野原の真ん中でひと組の父子キャッチボールをしている。父さんの方は大きなマスクをかけてちょっと頼りなさそうだった。男の子は自分のボールが届く目いっぱいの距離にいて全力で投げている。

 しばらくすると、その父さんはバットを持って少年の前に立ちはだかった。「さあ、こい!」とでも言うように。少年は父さんをじっと睨んで、そこで時は止まった。時折風に揺れる雑草のザザザという音と、脇を通りかかるライナーのウィーンという音だけが耳に残った。きっと二人にとってこの瞬間はとても大切な時なのだと思った。その時父子は心の中で話をしていた。少年には、父さんが大きく見えただろうか、この草いきれの中で。

gillmanspark_cameria.gif

nice!(27)  コメント(15) 
共通テーマ:blog

シルエット [gillman*s park 09]

シルエット

ParkDsc00663.jpg

 一瞬、森の向こうが燃えているのかと目を疑った。夕陽の残照が複雑な形をした雲に映えて空が燃えているようだ。普段見慣れた公園の小さな森が、まるで渓谷の谷間のような壮大なシルエットで浮かびあがっている。

 シルエットの世界は不思議だ。色が欠落した分だけ純粋に物の形にだけ注意が集中するためか、いつもと同じものを見ていても新しい発見がある。木々の葉や木立の形がこんなに美しく浮き上がるのは光と時の魔術かも知れない。視界を横切るカラスの姿さえ、どこか神々しく見えてくる。

 公園の外の小さな池の方へ向う。ここは公園の外の未整備地にできた小さな池だが、いつも釣りをする人達でにぎわっている。今日も天気がよかったから昼間は釣りをする人が大勢いたに違いないのだが、この時間になるとさすがに皆引き上げてしまったのかガランとしている。おじさんが一人、自転車の前に座り込み釣り糸を垂れてねばっている。今日は釣果がなかったのか。

 木々の向こうから池沿いを走る車の音がかすかに聞こえてくる。時折吹く風に水面が揺れて縮緬のように光を反射している。こんな景色を前にしながら一日を終われることは何にも代えがたい幸せだと感じた。


ParkDsc00707.jpg

gillmanspark_cameria.gif

nice!(10)  コメント(2) 
共通テーマ:アート
前の10件 | - gillman*s park 09 ブログトップ