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新宿 しんじゅく Shinjuku [Ansicht Tokio]

新宿 しんじゅく Shinjuku


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  人なつかしさだけが、行き場を失って空っ風のように

  渦巻いている孤独な町。

  だが、私たちにとって、新宿は、最後の町なのだ。

  ここを失なったら、もう、どこも帰る「町」はないのである。

       (寺山修司/気球乗り放浪記) 



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  新宿のことは余りよく知っている訳ではないので、偉そうなことは言えないけれど、最近の新宿は何か違うという感じがしている。中学は両国、高校の頃は本郷谷中、大学なってからも北千住上野銀座界隈が馴染みだったので、新宿はたまに行くくらいだった。それでも新宿三丁目の都電通りや花園神社の紅テントや今は高層ビル地帯になっている淀橋浄水場の記憶があれば昔の新宿を語る資格は一応あると思うんだけど…。

 歌舞伎町のコマ劇場もなくなったし、ゴールデン街は、はみ出し若者やフリーク親父たちの憩いの場からディープ感たっぷりの外国人向け観光スポット的な色彩を帯びてきたし、あの新宿西口地下広場は何の政治色もない能天気なスペースに変わってしまったこと等など。あえて言うなら牙を抜かれた虎のような…、毒を抜かれたフグのような。

 1969年の冬、数千人の若者が西口地下広場に集まってベトナム戦争反対のフォーク集会が開かれた。真冬の熱気。すぐさま政府は新宿西口地下広場は、「広場」ではなく「通路」であるから集会は許可しないと、露骨な弾圧に出た。ぼくらは日本には「広場」がないから革命が起こらないのだ、と冷笑するしかなかった。

 それから通路はホームレス達のねぐらになり、やがて忘れ去られた。でも、それでもその先に高層ビルは増え続けていった。すべてが一新されたのは、都民を睥睨する砦のようなあの都庁がやってきてからかもしれない。役人達が気持ちよく通勤できるようになのか通路が整備され、動く歩道までつくられた。確かにきれいになって、快適になって…そして、毒も熱気も、ついでに人なつかしさまで姿を消して、新宿はどこまで無機質な街になってゆくのか。



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  *もちろん、西口と東口では今でも雰囲気には大きな差があるように思いますが、それでも寺山修司の言っていたような人なつかしさは希薄になっているような気がします。と言いつつも、本当は大好きな街ではあります。今は毎週のように行っていますが、西口が多いので東口方面にもまた行くようにしたいと思っています。


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さよなら人情食堂 [Ansicht Tokio]

さよなら人情食堂

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 以前このブログでも千住のやっちゃばの時にもちょっと触れたこともあるけど、近所の青果市場である北足立市場の場外食堂「佐野新」が残念なことに今月一杯で店を閉めるらしいのだ。北足立市場というのは東京都中央卸売市場の1つで、以前は同じく中央卸売市場の一つである千住市場が手狭になったので昭和54年に青果部を今の場所に移転させたのが始まりだ。千住市場の方は今は水産物専門の市場になっている。

「佐野新」は元々千住市場で商いをしているお店だったが、それを機に北足立市場の方に移って場外食堂を始めたらしい。 その後昭和63年には花卉部門も設けられて北足立市場は本格的な中央卸売市場になった。そこはぼくがいつも散歩に行く舎人公園に隣接する所にあり、直ぐそばなのだけれど中に入ったことはなかった。ぼく自身は市場というか下町の言葉でいうと「やっちゃば」とは縁があって、幼稚園の頃は千住のやっちゃば(千住市場)の裏に住んでいたし、中学は今では江戸東京博物館になってしまっている両国のやっちゃばの隣の両国中学だった。

 ある時、食べ物屋や飲み屋に詳しい友人から北足立市場に場外食堂があるので行ってみないかと誘われた。自分の家のすぐそばなのに知らなかったのだけど…。行ってみると実に気の置けない、暖かい雰囲気のところで食べ物も美味しい。姉弟のごきょうだい(この場合は漢字ではかけないな)でやっていて、話をしているうちにご両人ともぼくの小学校の同窓生で、お姉さんとは幼稚園も同じことが分かった。その時は友人と不届きにも朝からビールを飲んで帰ってきた。野菜も新鮮、魚は千住の市場から仕入れているからこれまたうまい。

 それから何度か訪れて、一度はカミさんと行ったこともある。尤も近くの公園には朝いつも散歩に行くのだけれど、朝から一人で飲みにお店に寄る訳にも行かないのでそう度々行ったわけではないけど…。かといって場外食堂なので昼過ぎには閉めてしまうから、夜飲みに行くということもできない。でも、行くたびに妙に落ち着く。で、先日くだんの友人と久しぶりに訪れたら今月で閉店の話がでて…。

 前からおかみさんからも聞いていたのだけれど、段々とこの北足立市場で食堂を続けていくのが大変になっているらしい。というのも年々この北足立市場の取扱高が減って、活気がなくなっているらしいのだ。その原因は野菜・果物等の取引における大手のスーパーなどの比率が増えるにつれて、中央卸市場で仲卸を通す取引が減っているという現実があるのだ。

 大手のスーパーなどは産地での直取引や農家との契約栽培など仲卸を通さずに殆どの取引をしている。中には開発輸入と称して海外で商品開発をして直に輸入するケースも出ている。市場の活気がなくなれば、自然と食堂に来る人も減り経営的にも苦しくなる。場外売り場の建物の二階が食堂になっているのだけれど、ほとんどがシャッターが閉まっていて、やっているのはほんの数軒になってしまった。時代の流れかもしれないが、何とも寂しい。あのほっこりとしたイワシのフライがもう食べられないかと思うと、胃袋も寂しがっている。

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 *この北足立市場に入ってみると実に広いことがわかります。
敷地面積は61,076㎡で、実は今移転問題で話題になっている
豊洲市場の青果棟の敷地面積が58,000㎡なのと比べても
それより広いことがわかります。
物流上の立地は決して悪くはないので築地移転にからめての
再活用など何か活性化策はないのでしょうか。


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天空の美術館 [Ansicht Tokio]

天空の美術館


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 ■…親密で家庭的な主題は、カリエールの作品の中心を占めている。ゴーギャンやムンクの悲惨な自伝が精神分析を背景にした注釈者によって数多く分析されているのに対し、カリエールの伝記を構成している家庭生活のささやかな喜びや苦悩は、分析者達からほとんど重んじられいてない。カリエールの生涯に、目立つ出来事や人目を引く恋愛沙汰はほとんどない。… (「ウジェーヌ・カリエール、現実の幻視者」ロドルフ・ラペッティ)


 先日新宿に出た折、夜の約束の時間までまだ随分と間があるので久しぶりに損保ジャパン日本興亜美術館(長い名前だなぁ)に行ってみることにした。新宿の都庁付近には結構頻繁に来るのだけど、そのすぐ近くのこの美術館にはそう度々くることはなかった。それはひとえにぼくが極度の高所恐怖症ということがあるからなのだけど、なんと言ってもここはビルの42階にあるのだから。

 この時はたっぷりと時間があったことと、その時行われていた展覧会が日本ではあまり知られていないウジェーヌ・カリエールの回顧展だったからだ。展覧会のタイトルは「没後100年 カリエール展 ~セピア色の想い~」。カリエールはこの展覧会のサブタイトルにもなっている「セピア色の想い」ということでもわかるように、セピア色の濃淡で象徴主義的な表現をする絵画で知られている。

 会場には90点近くが展示されていたけれど、ほぼ全ての絵がセピア色のものだ。こういう展覧会も珍しいかもしれない。カリエールの展覧会はたしか2006年位に西洋美術館で友人だったロダンの作品との共同展示の展覧会があって以来だと思う。今回の展示は特にカリエール家の所有ものや個人蔵で彼の家族を描いた絵が中心になっている。人物画はセピア色の霧の中から浮かび上がってくるようだ。

 その日の展覧会はやはり画家が一般的でなかったのか、会場に人はまばらだった。場所的に苦手なだけでこの美術館のキュレーション自体は嫌いではない。今までにも「ユトリロとヴァラドン展」や「セガンティーニ展」など素晴らしい企画もあった。最近はゴッホやモネなどの有名作家の展覧会が目白押しだけれど、日本ではあまり知られていない作家の回顧展などにも取り組んでくれるこういう美術館の存在も忘れてはならないと思う。

 展覧会を見終わって42階のロビーに出ると眼下に夕暮れの新宿の街が広がっていた。高層階の美術展といえば六本木のアークヒルズにある森アーツセンターがここより高い52階にあるけど、向こうは景色を見ようと思ったら美術館とは別に展望台の料金を払わなければならないし、何よりも僕の苦手な足元までの窓ガラスというのが気に食わない。

 そこへゆくと、この美術館の42階のロビーはほとんど人もいないし窓には腰高までの台があるからぼくでも窓に近寄ることができる。何よりも素晴らしいのは、遠くのスカイツリーからすぐそばの新宿御苑の森まで雄大なパノラマが見渡せることだ。刻々と光の色が変わってゆく暮れなずむ新宿の街は実に美しい。いつものカメラを持ってこなかったので恐る恐る窓に近づいて持っていたスマホで撮った。今度はちゃんとカメラを持ってきてみようと思いつつ…。


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晴海客船ターミナル [Ansicht Tokio]

晴海客船ターミナル

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 晴海客船ターミナルは今何かと話題になっている豊洲の新市場の海を挟んで丁度真向かいにある。真ん前にはレインボーブリッジを望む絶好の場所にあるのだけれど、その割にはあまり知られていないのか特別なイベントでも開かれていない限りいつ行ってもすいている。元々の目的である船の発着がどのくらいの頻度であるのか分からないけど、横浜の大桟橋みたいには頻繁にないのかもしれない。

 とはいえ、眺めがいいのでカメラマニアやモデル撮影にはよく利用されているようだ。日曜日に久しぶりにいつもの写真仲間とターミナルで待ち合わせて各々気ままに写真を撮ってから反省会と称して築地の場外で飲み会。で、反省だれれども、いつも横着して三脚はパスするのだが今回はさすがに薄暮から夜景とあって三脚は持参した(しかもミラーレス2台)。でも、また手抜きして軽いヤツを持ってきたのでやっぱりボロが出た。三脚の脚がやわなので微妙にぶれている。その上老眼のせいで焦点が合わせにくい。というわけで「老眼+やわな三脚+不慣れな夜景=ピンボケ写真」という見事な図式が成り立って、一番下の最後の二枚はよくある失敗作例となった(小さなサムネイルの写真)。

 失敗したので悔し紛れに言うのではないのだけれど、本当に撮りたかったのは外のデッキからの夜景ではなくて、大きなガラス空間を持つ待合室からの外の眺めだった。此処に前回来たのは六年位前の初冬だと思うのだが、その時はレインボーブリッジの上に月が出ていてなんとも美しい光景だった。さらにその光景を大きなガラスに囲まれた空間から見るとまるで一幅の絵のようだったのを覚えている。その時は時間切れで撮れなかったので、今回はそこから海を見渡した薄暮と夜景を撮りたかったのだ。薄暮はなんとか撮れたけれど、レインボーブリッジに灯がともるころの光景は残念ながら今度は室内のライトが点いてそれがガラスに映り込んで撮ることができなかった。え~と、今回は取り敢えずロケハンという事にしよう。

 窓越しの夜景を撮るならやはり冬の平日が良いかもしれない。今回は日曜日だったので八時過ぎまで開いているが、平日は五時までなので冬の五時なら橋に灯もともり部屋の明かりが落ちた一瞬を狙えるかもしれない。それに確かクリスマスのイルミネーションが始まると室内のメイン・ライトを落とすからその時もねらい目かも。それまで老眼対策と夜景撮影スキルを磨いておくべきなんだろうが、ぼくのことだから怪しいものだ。撮るたびに嫌になってくるという悪循環からなんとか抜け出さないと…。いずれにしても反省会と称する飲み会の方は何とも楽しい。今回の築地のまぐろもまた格別だった。

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 *晴海客船ターミナルの待合室はガランとしていて、ベンチで寝ている人、ずっと膝の上のパソコンで何かの作業に没頭する人、じっと海を見つめている人、など外とはちょっと違う時間が流れているようでした。
 


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銀座で偲ぶ… [Ansicht Tokio]

銀座で偲ぶ…

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 土曜日は銀座で大学のゼミの恩師を偲ぶ会を兼ねた同窓会があった。大学を出て今年で40年、その間何年かに一度、教授を招いて同窓会をやっていた。次回の同窓会は教授の米寿のお祝いを兼ねて、と思っていたが昨年米寿を前にして亡くなられた。今回は先生を偲んで…、という趣旨で集まろうと。ずっと幹事をやらせてもらっているけど、40年も経つとやっぱり時の流れを感じる。

 ゼミの卒業生は教授がゼミをやめるまでかなりの数の卒業生がいるのだけれど、どこの同窓会でもそうだと思うが、段々と出席者が減ってくる。今年は80名位いに案内を出して出席が13名。それも多くはゼミ初期のメンバー、ということは皆そこそこいい年齢なのだ。

 会場は銀座の老舗ビアホールのビルのパーティールームにしたので歩行者天国の目抜き通りをぶらつきながら向かった。土曜日という事もあって銀座四丁目付近の通りはなんか祭りのようだった。銀座は昔から一番よく来る繁華街だけれど、最近の変化はめまぐるしい。高級ブランドショップの林立などの変化はぼくなんかは必ずしも好きではないけれど…。

 歩行者天国ではグループでダンスをする若者達がいる。それにこれはいつも見かける光景だけど、あちこちでテレビのインタビューも行われている。Appleストアーの前は新機種iPhone7の発売でごった返している。さすがにもう徹夜組の列はないと思うけど、店内は混雑状態で外国人観光客らしい人たちも興味津々だ。

 四丁目の交差点の角の旧日産ショールームは建て替えられて、今度はNissan Crossingとして生まれ変わった。準備万端整って来週の24日のオープンを前に円筒形のショーケースの中にはおそらく最新の日産の車であろう、車体にカバーをかけられた車がもうスタンバイしている。

 何となく人ごみに酔うような感じで会場に着いた。幹事としては先生を偲ぶ会だし、皆そこそこの歳なので盛り上がるかちょっと心配していたけれど、そんな心配は要らなかった。というよりは元気な人が此処に来ているのだと思った。それは幸いなことだ。



 人生の中では時々似たようなことが続くことがある。次の日の日曜日にも「偲ぶ会」が続いた。大学院時代の恩師の教授が急逝し母校で偲ぶ会が行われた。恩師と言っても10年前にぼくが59歳の年に大学院に入った時の教授だから年齢はぼくより二つか、三つ上くらいなのだ。

 ぼくのことを今までで一番年長の教え子と言っていた。日本語教育の女性教授で商社にお勤めのご主人の関係で、アメリカとスペインの生活が長かったらしい。とにかくパワフルで思い立ったらすぐ行動というタイプ。学生は煽られっぱなしだった。よく授業の始まる前に教室で待っていると廊下からカッカッというヒールの音が響いてくるので先生が来ることが分かった。

 偲ぶ会ではご主人がご挨拶をされて…。先生は二年前に定年で退職されその後あのパワフルさで色々な趣味に励まれたという事だけど、今年の春にスキルス性の癌がみつかり、わずか二か月足らずで逝ってしまった。享年72歳。死期はご自分でも分かっていらしたらしく、最後の言葉は「一切やり残した事は無い、良い人生だった」という事だったと言う。中々出来ない生き方だなぁ。合掌。

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(photos by iPhone6/写真の上でクリックすると写真が大きくなります)


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秋葉原、アキハバラ、Akihabara [Ansicht Tokio]

秋葉原、アキハバラ、Akihabara

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 秋葉原をさまよいながら思った。この街はつくづくかわった街だ。考えてみたら、もう半世紀以上も見続けているけど、この街はアメーバのように刻々とかわり続けている。今は電子とサブカルが一体となったカオスのような街になっている。この数十年間、ぼくはおそらく二週間か三週間に一度はこの街に来ていると思う。と言っても、その目的はずっと同じだったというわけではない。この街が変化してきたように、この街を訪れるぼくの目的も時代によって変化してきた。

 ぼくが秋葉原を初めて訪れたのは中学生の頃、鉱石ラジオ(今では分からない人もいると思うけど)を作るとき部品を買いに来た時だと思う。今でも一部は残っているけど、その頃の人でごった返しているガード下の部品横丁の活況はまだ脳裏にはっきりと残っている。ぼくは兄のように工作少年ではなかったので、アンプなどを組み立てるために部品横丁に通うということはなかったのだけれど、その頃から出始めてきたテープレコーダーやトランジスタ・ラジオに興味があってそれらの新製品を見ているだけでも楽しかった。

 高校から大学に進んだころから音楽を聴き始めた。いわゆるオーディオ時代の幕開けなのだけれど、その頃は丁度今のパソコンやゲーム機等のデジタル商品が目まぐるしく入れ替わるようにアンプやスピーカーやテープレコーダーそしてLPプレーヤー等の分野で新しい商品が次々に登場してきた。オーディオの分野でもSONYやAKAI等の日本のメーカーもその存在感を増していたけど、やはり憧れの的はJBLやALTECそしてTANNOY、マッキントッシュやオルトフォン等の海外製品だった。秋葉原に通う一つの目的はオーディオ視聴室を回って高嶺の花のそれらを聴き比べることだった。

 会社に入って少しして何とか自分なりのオーディオ装置を持てた頃には、皮肉なことに音楽会に行く時間的余裕などは無くなってしまった。それまでは音楽会に行くとその響きを忘れないうちに家に帰ってオーディオ装置の調整などしていたのだけれど、それも出来なくなってしまった。それでも会社が秋葉原に近かったこともあって、昼休みなどにはレコードや新しいオーディオ製品に触れるために秋葉原に行った。そのうちに秋葉原で目にし始めたのがその頃登場し始めたマイコンと呼ばれたパーソナルコンピュータだった。

 いわゆるワンチップ・マイコンであるNECのTK-80は結局手に入らなかったけど、それ以降ぼくが秋葉原を訪れる目的はパソコンがメインになっていった。それは同時に秋葉原がオーディオからITの街へと変貌してゆく時期でもあったのだ。最盛期には秋葉原の街にはいたるところにPC関連の部品屋が並び、中東のテロリストも手作りのミサイルの電子部品を秋葉原で調達しているというまことしやかな噂が流れたのもこの頃だ。

 ぼくがやっと音楽の趣味に戻り始めた90年代にはメディアはもうLPからCDに変わっていた。LP時代にも通っていたイシマル電機もCD専門館が出来て、そこにはカリスマ店員か何人かいてクラシックでも指揮者とか年代を言えばたちどころに適切な推奨盤を見つけてくれたり、ジャズでも同じように半端なく詳しい店員がいたものだ。今ではネットのデータベースで調べればなんということはないのだけれど、彼らと話す中で得られた情報は温かみがあってなんとも有り難かった。

 しかし、その内大型店のCD等の音楽関係の売り場は次第に縮小されるようになり、ラジオ会館などにアニメやフィギュアが並ぶようになって、ついには中央通りのAKB48劇場に発したアイドル、サブカルの熱波が秋葉原を覆うようになる。実はこの背後にはそれまで秋葉原の街の外観を支えていた大型電気店の凋落がある。この時代になるといわゆる大型電機量販店が全国にできることによって白物家電などの電気店製品における秋葉原の優位性は消えかけていた。サブカルはその穴を埋める形で増殖していった。

 今の秋葉原は全くのカオスと言っていいかもしれない。電子もあるし、カメラもあるし、サブカルもある。ある意味ではそれは戦後のモノのない時代に闇市のようにジャンク品や電機部品の屋台が並んでいた秋葉原の再来のような感じもする。そこにはまだ独特の熱が残っている。ぼくが子供のころ秋葉原に感じたこの街独特の「うさん臭さ」や独特の「」が若者や外国人を引き付けているのかもしれない。

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→ 花と蝶 ~アキハバラの凋落と変貌~

上の記事「花と蝶」は9年前の2007年に書いたものですが、
その頃とも事情は変わってきているようです。
その頃にはまだいたCD売り場のカリスマ店員も
今では何処に行ったのでしょうか。
というか店員どころか今ではそのCD館もありません。
会社自体も今では中国系の家電量販店になっています。
時代は動いています。


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街と言う舞台 [Ansicht Tokio]

街と言う舞台

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 ■灰色の舞台

 
早朝の街は雲量約九
 都市を悪夢の中に忘れてきた

 ネオンは夜の雨で漂白され

 この街の歴史
 この街の地理は
 全く百科事典の三四行で
 乾いた足音ひとつ聞こえない

 確率零なる挨拶の機会

 地図をもたぬ不安に
 ふと素直になりながら
 ボール紙で街路樹をつくる

 灰色の舞台 青い童話

 早朝の街は湿度約九十
 そしてやはり無機質のような…
 僕は足を速める

  (「二十億年の孤独」 谷川俊太郎)




 ぼくはちょっと離れた処から街の様子を観察するのが好きだ。視界の中の街の一画を頭の中で切り取ってそれを舞台に見立てる。舞台の上を通行人A、通行人Bが横切って行く。中にはちょっと位セリフのありそうな脇役級の若い女性が意味ありげに通り過ぎて行く。そうこうしているうちに舞台中央の書き割りが開いて舞台裏からヘルメットのおじさん達が立ち現れる。

 工事の警備のおじさん達らしく、朝礼が終わって各自の持ち場に行くのか。そのうち一人のおじさんがラジオ体操みたいな格好で身体をほぐし始めた。「昨日はチョット飲みすぎちゃったなぁ~」なんて思ってるのかもしれない。さて、これからこの舞台上でどんな情景が展開されるのか。

 ここでは視界の中の切り取った街の一画を舞台に見立てて鑑賞する訳だけど、この「見立て」というのは日本の美意識もしくは鑑賞法の一つの特徴でもある。見立てとは何かをちがった別のものになぞらえて鑑賞することだが、日本庭園なんかはそれこそ見立ての塊みたいなものだ。

 俳句や和歌なんかにも見立てがよく登場する。落語だって噺の中で手拭いや扇子を色んなものに見立てている。見立てとは、元々は貧しくてモノが十分にないとか、その場では現物が手に入らないような状況で苦肉の策で発生したのかもしれないけれど、それは長い時間の中でぼくたち日本人の精神の遊びのようなものにまで昇華されてきた。

 見立ては、やがて茶の湯のように高い抽象性や簡潔性を伴った美意識へと繋がっていったような気がする。それはやっと現代になってポップだモダンだと称するような美の存在に世界が気づく遥か昔のことだ。ぼくは昔を過大に評価したり、美化したりするのは余り好きじゃないけど、これはちょっと凄いと思う。で今、溢れるようなモノに囲まれて、ないモノが無い。見立てる必要もない。もしかしたらぼくらの精神の中までモノでいっぱいなのかもしれない。ぼくらは今見立てのような精神の遊びを少し忘れていないか。


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 *「見立て」というのはと面白い言葉で、「あの医者は見立てが巧い」というと病気の診断が上手と言う意味だし、「このネクタイはカミさんの見立てなんだ」というと奥さんが選んだということですね。

 また「このまま円高が進めば100円割れもあるというのが専門家の見立てだ」と言えば予測だし、もちろん「この庭園ではあの築山を富士山に見立てている」というのは、富士山になぞらえているということです。

 知らなかったのですが、「見立て殺人」という言葉があるらしく、これは最近はやりのミステリー等で伝説や童謡などに見立てた連続殺人事件や、それを匂わすような操作のされた現場のある殺人事件などを言うらしいです。


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東京の空の下 [Ansicht Tokio]

東京の空の下

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 ■花が葉になる東京よさようなら (「草木塔」種田山頭火)

 桜の花が散って、青々とした葉ばかりの木になると山頭火のこの句を想い出す。山頭火は明治37年、22歳の時に早稲田大学を中途退学して故郷に戻った。神経衰弱がひどくなっての事だったと思う。そして30年後の昭和11年東京で開かれた自由律俳句誌「層雲」の大会に出るため東京を訪れた。山頭火はそのときもう52歳になっていた。この句はその大会が終わり東京を去る時に読んだ句と思われるのだけれど、彼の東京との決別の気持ちが現れているような気がする。この6年後に山頭火は58歳で亡くなっている。

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 昨日カミさんと日本橋にでかけた。三井記念美術館で「北大路魯山人の美」と銘打った展覧会が開かれているので、それを見てから銀座に行って熊本県物産館で買い物と寄付をして来ようという算段だった。土曜日でも午前中とあって美術館は左程混んではいなかった。

 魯山人と言うと美食家でも有名だが、その幼年期は悲惨とも言えるものだったらしい。その魯山人の悲惨な幼少期を想うとき、ぼくの頭にはいつも種田山頭火のそれがダブって去来する。その悲惨さは今のぼくらにはちょっと想像しがたいようなものだったかもしれない。山頭火はその幻影から逃れるために行乞の旅に出て傍目には破滅的な人生を歩んだ。一方、魯山人はそこから這い上がるようにして美の世界へと耽溺していったように思う。冒頭の山頭火の句を想い出したのはそんなこともあってだった。

 展覧会を観終わってミュージアム・カフェで軽く食事をして銀座に向かった。銀座へ向かう途中日本橋の上から川面を見たら一隻の観光用ボートが見えた。先だって日本橋の川岸にクルーズ用の船着場が出来たというのは聞いていたけど、どうやらそれらしい。好奇心で船着場の方へ降りてみると間もなく日本橋・隅田川巡りの船が出るらしい。聞いてみると60分のコースでまだ席に余裕があるということだったので急きょ乗ってみることにした。

 コースは日本橋船着場~日本橋川~豊海橋~隅田川永代橋~隅田川支流~相生橋~佃水門~朝潮運河~東京港~レインボーブリッジ遠望~竹芝ふ頭~勝どき橋~佃大橋~豊海橋~日本橋川~日本橋船着場ということで、考えてみたらぼくも子供の頃よくハゼ釣りに来た界隈だし、カミさんの育った門前仲町の永代橋の下も通るらしい。

 天気はちょっと曇っているけれど時々日がさして暑すぎず好い具合ではあった。鬱陶しい高速道路の下の細い運河日本橋川を抜けて隅田川に出ると途端に視界が開ける。それがさらに東京湾に出ると広々とした東京の空の下に未来都市のように東京の街並みが広がっている。その街並みは、もちろん山頭火が決別した東京のそれでも、ぼくがハゼ釣りをした東京のそれでもなく、カミさんが育った門前仲町の永代橋に繋がる街並みでもなかった。それは壮大で、そしてちょっと危うそうな今の東京の姿そのものだった。


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 *予定外のクルーズの後銀座に出てまずビルの8階にある大分県のアンテナショップに行きました。こちらは初めて行くので分かりにくく探しながら行きましたが、その日は土曜日とあってレストランの方は開いていましたが観光センターの方は土曜なので閉まっていました。募金箱も無くちょっと肩透かしを食ったような…。

 一方、ソニービルのちょっと先にある熊本県のアンテナショップは何度も行ったことがあるのですが、店の少し手前まで来たところでもう人の列が見えます。長蛇の列で店に入るだけで大分待たなければならない様子。買い物は諦めて募金は振込でやることにして帰ってきました。

今回の地震は本震と思われたものの後にさらに揺れの大きな地震が来るなど、住民の人が味わった恐怖感もいかほどかと…。東京の街並みを同じような地震が襲ったらとおもうと他人ごとではないです。東京は以前もこのブログにも書きましたが今は大地震を「猶予」されているモラトリアム都市であるわけですから…。





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東京漂流 [Ansicht Tokio]

東京漂流

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 このところ月に何回か土曜日に新宿に行く用があって、その用は昼過ぎには終わるのだけれど、その後をどうしようかいつも迷っている。折角新宿まで出てきたのだから、そのまま家に帰るのはなんかもったいないような気がするのだ。

 大体土曜日と言う曜日が良くない。東京は広いから暇つぶしに行くところに不自由はしないけれど、どこへ行っても土曜日は人が一杯だし、それに満員のレストラン等で一人で食事するのもあまり楽しくもない。かといって友達を呼び出して食事につき合わすのもなんだし。なんて、うじうじしている内に食事時を逃してしまうこともある。

 最近は新宿の後、六本木の国立新美術館の資料室に行って写真集や探している作家の画集を見るついでにそこで軽く食事をしたり、神田の本屋街や秋葉原をうろつくことも多い。上野の西洋美術館の常設展もとても好いのだけれど、特別展が始まると混んでしまってそれも辛い。昨日はなんか気乗りしないでだらだらとコクーンビルにある本屋で長い時間本を物色していた。

 結局、欲しい本も見つからずに、しかたなく秋葉原に行ってCDでも見ようと総武線の快速のホームに向かった。ホームに上がるエスカレーターの前のアルプス広場には来週から始まるテレビの新シリーズらしい大きな広告が出ていた。でも、誰も立ち止まって見るでもない。子ずれの親子がそのそばを通り過ぎた時、ポスターの女優が恨めしそうな視線で子供の方を見ていた…ような。

 快速電車も混んでいた。結局、秋葉原の電気屋にも寄らずに自宅のある駅で降りて、近所の公園を散歩しながら帰った。時折小雨が降るまさに梅雨時の天気だ。なんかとても疲れた気がしたけど、公園の東屋のベンチに腰かけて丘を見ていたら、こんな日もあっても好いなと思えてきた。土曜日はやっぱりこの公園を散歩しているのが一番かも。


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驛 Station [Ansicht Tokio]

驛 Station

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 ■…季子(すゑこ)は今夜初てこゝに來たのではない。この夏、姉の家の厄介になり初めてから折々憂欝になる時、ふらりと外に出て、蟇口に金さへあれば映畫館に入つたり、闇市をぶらついて立喰ひをしたり、そして省線の驛はこの市川ばかりでなく、一ツ先の元八幡驛の待合所にも入つて休むことがあつた。

その度々、別に氣をつけて見るわけでもないが、この邊の町には新婚の人が多いせいでもあるのか、夕方から夜にかけて、勤先から歸つて來る夫を出迎へる奧樣。また女の歸つて來るのを待合す男の多いことにも心づいてゐた。季子はもう十七になつてゐるが、然し戀愛の經驗は一度もした事がないので、さほど羨しいとも厭(いや)らしいとも思つたことはない。

唯腰をかけてゐる間、あたりには何一ツ見るものがない爲、遣場のない眼をさう云ふ人達の方へ向けるといふまでの事で、心の中では現在世話になつてゐる姉の家のことしか考へてゐない。姉の家にはゐたくない。どこか外に身を置くところはないものかと、さし當り目當めあてのつかない事ばかり考へつゞけてゐるのである。…
 (『或夜』永井荷風)



 ぼくは人混みというか雑踏が余り好きではない。尤も人混みが大好きなどというのはスリか痴漢くらいのもので大抵の人は好きではないと思うけど…。 会社を卒業してからは幸いにして休日混みそうな処は平日の昼間に行けるので、そう頻繁には人混みに出くわさないのでその点はありがたい。

 そんなぼくでも雑踏を有難いと思う、もしくは雑踏に癒されるということが稀にある、というよりはあったと言った方が好いかもしれない。それは駅の雑踏なのだけれど、もちろんいつでもと言うわけではない。今は余りないけど、会社にいる頃には年に何度か雑踏を求めて駅に行ったことがある。そんな時の駅は大抵、上野駅か東京駅のような大きなターミナル駅であることが多い。その頃は新宿や渋谷にはあまり縁が無かったからやはり上野か東京駅だったと思う。

 駅の雑踏に完全に紛れ込むのではなくて、そこからちょっと離れて雑踏を見つめることができる場所が好い。例えば駅構内のカフェとかコンコースを見下ろせる吹き抜けのベンチのような場所。今は変わってしまったけれど上野駅や東京駅にはそんな格好の場所が何箇所かあった。それはどう表現したら好いのか…、例えば「雑踏の中の居心地の好い孤独」のようなものをいつでも保証してくれるような処。

 そこは自然に囲まれた野原のように静寂でも、離れ小島の海岸のように心地よい波の音があるわけでもないけれど、雑踏の不規則な雑音が却って集中力と不思議な安堵感を与えてくれるような気がするのだ。そこに暫くいると行き詰った日常から、少しづつだが心が解放され遊離してゆくように感じられる。まず、そこが好い、これはもちろんぼくの場合だけど…。

 そこで時間が経って少し心が落ち着いてくると、やがて雑踏の細部に目が行くようになる。ひたすら先を急ぐ人。待ち合わせをしているらしい人。何回も頭を下げながら懸命に携帯でずっと話している人など等。目の前の群れの「塊」として目に映っていた雑踏が、次第に心の中で分解されて自分と等価な個別の存在へと変質してゆく。「あの人も結構大変そうだなぁ」

 そこにはこれから旅行に出かける楽しそうなグループだっている。ターミナルは遠く離れた土地と都会を結びつけるノード(結節点)でもあるのだ。それはぼくに自分の日常の外側にもっと広い世界があることを強く示唆してくれる。日常の枠の中でガチガチに固まった心が少し軟化するような気になる。

 でも、それでいきなり何かが解決するわけではない。それは言って見れば心の準備運動みたいなものなのだ。此処からはまた自分の世界に戻ってゆかねばならない。今度は雑踏の中の心地よい孤独感が集中力を高めてくれる。少しタガの緩んだ心はその集中力の助けを借りて何かを見つけ出す…かも知れない。

 もちろん、いつも何かが見つかるわけではない。大抵は目の前に広げた手帳のメモ欄が白いままその場を後にすることになるのだけれど、それでも心の状態は来る前とは確実に変化しているような気はするのだ。

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 *上野駅も東京駅もここ十年たらずの間に大きく変わりました。昔よく訪れたポイントもその殆どが変わってしまいました。一方、新しくできたポイントも多くそれを探して回るのもまた新たな楽しみです。

 先年修復が終わった東京駅にはドームも蘇ってきました。ドームは丸の内側の北と南にあり、南側は東京ステーション・ホテルから、そして北側はステーション・ギャラリーを通ってドーム内を一周する回廊に入ることが出来ます。

 ぼくはこの北側のドームの回廊から駅の雑踏を見渡すのが好きです。ステーション・ギャラリーの展覧会に行った際には必ず寄っては、つい時間を忘れて眺めいってしまいます。

 ドームの回廊から下を飽きずに眺めていると、その中央にダークスーツの一団がやって来て、誰かを待っている様子。その内その待っている相手が来たらしく、丸天井の真下で名刺交換が始まりました。なんか厳かな儀式みたいに…フフ。ぼくも、ああだったんだろうなぁ。



 


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