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水たまり [gillman*s park 15]

水たまり

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  ■やはり病人なのであろうか。私は、間違っているのであろうか。私は、小説というものを、思いちがいしているのかも知れない。
 よいしょ、と小さい声で言ってみて、路のまんなかの水たまりを飛び越す。水たまりには秋の青空が写って、白い雲がゆるやかに流れている。水たまり、きれいだなあと思う。ほっと重荷がおりて笑いたくなり、この小さい水たまりの在るうちは、私の芸術も拠よりどころが在る。この水たまりを忘れずに置こう。…

 (太宰治 『鴎―ひそひそ聞える。なんだか聞える。』 「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房)



 結構雨が降ったんだろうか、公園の噴水のそばに水たまりが出来ている。以前は少し雨が降ると公園のあちこちに水たまりが出現するのだけど、今は公園の中でも人の歩く道の大半が舗装されてしまったので水たまりを見ることは少なくなった。

 人間とは勝手なもので、身近に溢れかえっている時は鬱陶しく感じるけど、ついぞ見かけなくなるとなんとなくそれに郷愁を感じるようになる。昔、自宅の周りは舗装がされていなくて雨が降ると水たまりだらけで、駅まではビニールの靴カバーをつけて行かないと、都心のオフィスに着く頃には靴が泥だらけになってしまうので困ったものだった。

 一旦郷愁に捉えられると、不便で不愉快だったことまでが懐かしく感じられてしまう。それは人間の身勝手な性分とも言えるけれども、人間の楽天的一面をも示していると思う。子供の頃の水たまりにまつわる想い出や、水たまりに映る青空の美しかったこと、冬の寒さで凍てついた水たまりに張った氷の割れ目が美しかったこと、など等。それらは時のフィルターを潜り抜けて頭に残っている。それもそういう形で憶えておいても好いのだと思うようになった。



 ■ 水たまりがほがらかに子供の影うつす (山頭火『行乞記(二)』)

 

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アジサイのブーケ [gillman*s park 15]

アジサイのブーケ

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 あぢさゐや 生き残るもの 喪に服し (鈴木真砂女)


 気が付いてみたらもう八月。猛暑が続いている。今年は何故かアジサイの時期に公園に散歩に行ったのは数回きりだったような気がする。確かに梅雨時に長雨が何回か続いたことはあったのだけれど、その合間に何度か晴れたときはあったはずで…。もしかしたら、公園でのアジサイの楽しみが少し減ったからだろうか。

 公園は今、今までは入れた広大な未整備地区がいよいよ整備に入ったということで、その一帯は立ち入り禁止になっている。そこには素晴らしいアジサイの見どころがあったのだけれど、そこには行けないしさらに今散歩をしている地区にあったアジサイも昔に比べると株の数が減っているような気がした。

 まぁ、ここの公園の良さは敢えて花壇を作ったり、園芸種の植え込みを増やしたりしないで自然で素朴なところが好いのだけれど…。柵の無いなだらかな丘一面に白いツメクサが咲き乱れている光景はほんとうに素晴らしいと思う。草の萌えるような青さと一瞬だけ出現する白い絨毯の輝き。ここでは草自体が主人公なのだ。

 そんな公園での園芸種の役割は季節の到来を告げるサインみたいなものかな。鈍色の空の下に紅の椿が咲いて、やがて雪柳の白とレンギョウの黄色のコントラストが眩しく光り、それから爽やかな黄菖蒲の季節が来て、やがてアジサイや卯の花が咲き出す。これ見よがしでなく、よく見れば公園のどこかで咲いている。それが好い。来年は新しく整備された地区でもアジサイのブーケを見られるとうれしいな。


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~アジサイ・紫陽花・あじさい~

青い花
一夜の花
牧野先生の嘆息
宴の後
雨の中の花火
リンネの遺産


 


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春ガキタ。 [gillman*s park 15]

春ガキタ。


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 桜の季節が過ぎたとはいえ三寒四温のような不安定な時期が続いて、やっとこさそこを抜けていかにも春の心地よい暖かさがやってきた。いつもの公園に散歩に行くと今日はそこに居る人々の佇まいも昨日までとは違うような気がする。

 平日の午前中で、なおかつ桜の時期も終わったとあって、公園の中には人影も少なくなんとものんびりとした時間が流れていた。池をひと回りして芝生のある広場に来ると何か所か設置してあるテーブルの一つに二人のおばさんが座っていた。

 他のテーブルにはまだあまり人もいない。木々の間から垣間見えるその二人はお茶しているのか、時折笑い声がこちらまで聞こえてくる。明るい陽光の下でのんびりとお茶なんて最高の時間なんだろうなぁ。春なんだ。

 楽しそうなおばさんたちを横目さらに芝生の広場の脇の路をゆくと、今度はテーブルではなくて芝生の上にシートを広げて一組のカップルが寛いでいた。男性の方は上半身裸になって横になっている。最近は日光浴という光景を中々目にすることは無いけれど、これは昔よく見た日光浴の格好だ。

 恋人らしき傍らに腰かけた女性と何やら話しながら春の陽光を浴びている。新緑が目に刺さるほど眩しい。絵のようだなぁ、と想いながら見ていたらフッとジョン・エヴァレット・ミレイの絵のオフィーリアを想い出してしまった。こんな幸せそうな光景を前にして、なんでまた悲劇のオフィーリアなんかが頭に浮かんできたのだろう。

 シャッターを押してから、少し考え込んでしまった。たぶん…だけど、ひとつは今目にしている強烈な緑色がラファエル前派のミレイのあの鮮やかな緑にダブっているのだ。大昔にロンドンのテートで観たオフィーリアの鮮烈な緑が今も目に焼き付いているから。

 それと、もう一つはぼくが、もうとうの昔に忘れてしまった「青春」みたいなものがその二つのイメージを結びつけたのかもしれない。幸福と悲劇が紙一重の青春。のんびりとした公園の中でガラにもなくちょっと甘酸っぱい感傷にひたってしまった。うん、やっぱり春なんだ。


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(cam:TX-7/iPhone6)

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さくら時計 [gillman*s park 15]

さくら時計

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 よく人間の身体の中には時計が埋め込まれていると言う話を聞く。そこには太古の昔から何万年にもわたって続けてきた人類の生活のリズムが刻み込まれているとも言う。食事の時間になると腹が減るのもそうだし、夜が来れば眠くなるのもそうかもしれない。

 ある学者が調べたところによると、人間を真っ暗なところに閉じ込めて、その中で人間の時間感覚がどうなるかをみたら、人間の体内時計の感覚による一日の長さは25時間位らしい。つまり毎日一時間位のズレが生じるので、それを日照時間などで調整しながら動かしているらしい。

 それらは一日ベースの時計の機能なのだけれど、クマ等の冬眠を見てもそれ以外にも季節ベースの体内時計もあるはずなのだ。人間の場合こちらの方は多分に文化的側面に反映されているような気がする。四季がはっきりしている文化圏とそうではない地域の文化圏では、いわば季節ベースの体内時計の感度に差が出てくるようだ。

 四季文化圏の中でも日本人は特に優れた季節ベースの体内時計を持っていると思う。もちろん農耕民族ということもあるけれど、それ以上に日本人が意識してその機能を磨き上げてきたと言うことも言えるかもしれない。その端的なものの一つが、ぼくが勝手に「さくら時計」と呼んでいる今のぼくらの感覚だ。

 このさくら時計は冬のさ中から動き始めて春先には秒読みの態勢に入る。もちろん今のように桜前線が話題になるのはソメイヨシノという特異な桜が出現してからだけれども、でも桜の咲くのを心待ちにしていたのは奈良の吉野の桜の時代からそう変わらないような気もする。

 特に歳をとってくると、日本人にとって今年も桜を目にすることができたというのは、冬を越して一年をなんとか生き延びたと言う独特の感慨ももたらす。桜はいわば命の褒美みたいなものだ。今でも旧暦の新春はほんとうに春先なのだけれど、さくらは日本人にとっての心の新春なのだ。

 昨日、近所の公園に花見に行った。カミさんと一緒に義姉と姪とその子供と連れ立って、安直に近くのコンビニでお弁当とビールを買って…。場所は、十年前にカミさんとの結婚三十年の記念にと公園に寄贈した桜の木の下。植樹した時には背丈ほどの細い苗木で、いつかは本当にこの木の下でお花見ができるようになるのだろうかという心細さもあった。

 その桜の木はいつもぼくが散歩に來る場所に植えられているので、成長ぶりは頻繁に目にしているはずなのだけれど、それでもそれを実感するのはやはり見事な花が咲いたときなのだ。毎日見ているはずの子供の成長が、入学式や運動会など節目のイベントの中でより実感できる感覚に似ているかもしれない。

 弁当とレジャーシートを小脇に抱えて軽い気持ちでその桜の処に行ったら、なんとなんと、立派な桜木になっているではないか。堂々と枝を広げて、春霞のようなふわりとした薄いピンクの花の塊を全身にまとっている。その下ではゆうに二家族はお花見ができるような桜になっていた。お前いつの間に! ぼくの中でさして長いとも思っていなかった十年という時の重みが目の前に迫ってきた。ぼくの中では眠っていたかもしれないさくら時計はこうして着実に動いていたんだなぁ。



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 薄墨色の桜


*上の一枚目の写真の桜がその桜なんですが、
公園以外でも花の咲いていない時期には
目立たない木が花が咲いて初めてその存在に
気が付くと言うことがありますね。

日本人は特に桜に特別な思い入れ
を抱いているような気がします。
西行法師の歌や、芭蕉の
「さまざまのこと思ひだす桜かな」など等…。

ぼく自身は東北大震災の時、
国に帰っていた留学生
その年の春に日本に桜を見に来る予定
だったのを断念せざるを得なかったのですが、
国でとても日本のことを案じて
日本のために祈ろうとネットで訴えかけて
くれたこと等を想い出します。




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