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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その33~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その33~


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 ■ 猫と過ごす時間は決して無駄にはならない。(シドニー・ガブリエル・コレット)
  Time spent with a cat is never wasted.(Sidonie Gabrielle Colette)



 猫好きのコレットは「年寄」と「夕暮」という二匹の猫を飼っていた。シドニー=ガブリエル・コレット、「青い麦」「ジジ」「牝猫」等の小説の著者にして、役者そしてパントマイムの踊り手、はたまたジャーナリストやオペラ作家と多彩な才能を持ち自由奔放な人生を送ったフランス女。まさに彼女もまたその時代のファム・ファタール(運命の女)だったのかもしれない。

 15歳年上のバイセクシャル男性との結婚を皮切りに、次の結婚では亭主の連れ子と良い仲になり離婚、三度目は今度は17歳年下の男性と結婚。それはうまくいったみたいだ。でも、その間にも彼女には同性の恋人も居たようだけど…。

 冒頭の言葉を彼女が言ったかどうか本当のところは定かではないが、猫好きの彼女なら、そして自由奔放でどんな時も悔いなき人生を送った彼女ならそんな言葉もはいたかもしれない。猫と過ごすというより彼女自身が猫のような感じさえする。

 ぼくのような凡人でもこの歳になると、人生の中で本当に無駄だったと言えるような時は無かったような気がすることもある。回り道したようでも、その一見無駄な時が無かったならば今は無いと思うこともしばしばだ。まして、その傍らに猫が居たらどんな時間も無駄にはならない。

 部屋でソファにもたれて音楽を聴いているような時はもちろん無駄な時間ではないが、その傍らに猫が居たらそれはもう至福のひと時に様変わりしてしまうのだし、打ちのめされたり、疲れ果てた後に襲ってくるあの無意味な精神の停滞の時間も傍の猫の頭を一撫ですれば黄金の時に変わってしまうような気さえする。

 コレットは猫に囲まれて悔いのない人生を駆け抜けていったのかもしれない。彼女が81歳でパリで亡くなったとき彼女のあまりにも奔放な人生ゆえにカソリック教会は大反対したのだが、それをおしてフランスは彼女を国葬にした。フランスというのも只者ではない国である。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その32~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その32~


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 ■ まさに、ここは猫の家なのだ。我々はただローンを払っているにすぎない。(出典不明)
 It's really a cat's house-we just pay the mortgage. (Unknown)



 ウチの猫のトイレには上の写真のような張り紙がしてある。これは注意書きではなくて、あくまでも「お願い」なのだ。猫たちはトイレで用をたしながら、この張り紙を読んでくれていると思うんだけど…、なかなかその通りにはいかない。ウチには今は二匹だがつい最近まで三匹の猫が居た。ここの他にもう一か所トイレがあるのだけども、どういうわけか同じような時間に同じトイレを使いたがる。

 トイレはちゃんと一匹に一つはあるのに、朝ごはんの後あたりは混むことが多かった。仕方なく並んで用を足すこともあるけれど、大抵は誰かが入るのを遠巻きにしてみている。レオは一番神経質なので誰かが入ったすぐあとは嫌らしいのだ。昼ごろトイレを掃除していて何となく背後に視線を感じて振りかえると、レオが掃除が終わるのを後ろでじっと待っているということが何度もある。

 モモのお得意は覗きと待ち伏せ。レオなどがトイレに入ると、すかさずそ~っとトイレのカーテンの処に行って中を覗き見るか、カーテンの陰に隠れていてトイレから出てきたところを驚かすのが楽しいらしい。クロは一階のトイレが自分のだと思っていたのだけど、二階で遊んでいる時などはよく二階のトイレに駆け込んでいたが、そんな時もすぐモモが覗きに行ってケンカになっていた。

 猫の行動で何とも解せないのが、トイレが終わると猛ダッシュで飛び出してきて部屋中を駆け回り猛烈に爪を研いで気を落ち着かせようとすることだ。それはどうもウチの猫だけではなさそうで、この間ネットのアンケートを見ていたら飼い猫の7割くらいがそういう行動をするみたいだ。

 そのたびに、爪とぎの段ボールが部屋中に飛び散ったり、時には勢い余って花瓶を蹴飛ばすようなこともあるけど、まぁそれは猫が元気なしるしだから良しとしなければならない。なにしろ、此処は猫の家で、ぼくたちはお世話をしながら住まわせてもらっているらしいので…。感謝しなければならない。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その31~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その31~

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 生まれては 死ぬるなりけり おしなべて 釈迦も達磨も 猫も杓子も
 
 (一休禅師)


 に限らずペットを飼って一緒に暮らしているうちに猫も自分も限られた時間を、そして限られた命を共に生きている仲間という気持ちにもなってくる。そういう意味でのなにか一種の連帯感とか仲間意識というものが生まれてくるみたいだ。

 なんて、偉そうなことを言っているけど、地球という自然界の中で見れば猫も人間も一個の命であることに変わりはない。ペットに死なれると本当につらいけど、考えてみればその死というものは同じ生き物である限り自分も例外ではないから、あちらがちょっと先に逝っただけのこととも言える。歳をとって場合によってはペットよりも自分が先に逝くことが無いとは言えない境遇になると余計にそう思えてくる。


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 そういう意味で肌で感じた、いわば自然界における猫と自分の命の等価性という認識は一緒に暮らしていればこそ生まれてくる感情なのかもしれない。しかしこの命の等価性みたいなものを安直に人間社会に拡大してゆくと、それはそれで具合の悪いことになってくる。

 例えば、何かの災害の時、極端なケースでいえば自分の飼い猫とどこかの見知らぬ人の命の救助が二者択一的に天秤に掛けられたとしたら、心情的な面は別としても、ここで命の等価性を持ち出すことはできない。人間とそれ以外の生き物の命は人間にとっては等価ではない、というのが今のぼくらの共通認識の根底にあるからだ。

 長い歴史の中では専制君主や独裁者の下などで、時には人の命よりも君主のお気に入りのペットや愛馬などの動物の命の方が珍重された場合もあるかもしれないが、逆にそういう理不尽な時代を人類が潜り抜けてきたからこそ生まれてきた認識であり、社会的には命の等価性は人間の枠の中でこそ語られるべき事なのだ。もちろん仏教のように宗教的には命の等価性を人間の枠の外にまで広げているケースもあるが…。

 ■「ペットはペット」という線引きがしっかりとできることは、精神の健全性を示すものさしの一つである。 (斎藤茂太)

 そういうことの上に立ってみれば、精神科医としての斎藤茂太のこの言葉は確かにその通りなのだろう。冬の陽だまりの中で屈託なく昼寝している猫たちを見ながら考えた。「それも、これも全てを心の中に飲み込んだうえで…、それでも猫たちが今与えてくれているこの時間は何にも増して大切なものに思えてくるし、大切にしてゆきたい」と。

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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その30~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その30~

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 ■「…っていうか、猫ってアスペルガー症候群じゃないかと思うんだ。 猫はぼくみたいに、すごく頭がいいし。それにぼくのように、時々は何でもいいから一人にして放っておいてほしいんだよ」 (ジョディ・ピコ 「ハウス・ルールス」)

 “On the other hand, I think cats have Asperger's. Like me, they're very smart. And like me, sometimes they simply need to be left alone.” (Jodi Picoult, House Rules)



  最近発達障害という言葉を色々なところで聞くようになった。例えば落語家の柳屋花縁さんは発達障害でずっと何故か漢字だけが読めず大人になってからも番組台本なんかの漢字には奥さんにルビを振ってもらっているらしい。当然子供の頃の成績は良くなかったのだけれど、それが発達障害のせいだと分かったのはつい最近らしい。

 発達障害の認識が社会に浸透するまでは彼のように人知れず悩んだり、変人扱いされて辛い思いをした人も多いと思われるが、その研究もまだまだこれかららしい。アスペルガー症候群というのもそのような発達障害の一つとされている。アスペルガー症候群は知識障害はないのだけれど、人間関係を築くのが苦手だったり、特定の分野に強い、時には執拗とも言えるような関心と集中力を示すなど変人扱いをされることが多いらしい。

 一般的イメージとしては頭がよく、ナイーブだが人づきあいが悪く、一見気まぐれにも見えてしまう振る舞いなどの点が言われているが、芸術やコンピュータなどの特定の分野で高い才能を示す著名人も少なくないようだ。冒頭の言葉についてはジョディ・ピコの小説「House Rules」の中のアスペルガー症候群の登場人物であるジェイコブの言葉と思われる。

 それじゃほんとうは猫はどうかというと、ぼくはアスペルガーのことはよく知らないけど、ここでいうその集中力と気まぐれさには思い当たることはある。うちのモモについていえば、普段はロシアンブルーの特徴ともいえる独特の人懐っこさで、呼ぶとこいつは犬じゃないかと思うほど尾っぽは振らないけど、尾っぽを立ててとんでくる。そんなモモがいくら呼んでも全く知らんぷりすることがある。

 一つは何かに夢中になっている時。例えば出窓で寝ている時そばの木に鳥がとまったりしていると、いくら呼んでも全く聞こえない風で振り向きもしない。壁の中でなんか物音がしたようなときなど納得いくまでいつまでもそこを離れない。その集中力と執着力はすごい。しかし、その関心や集中力のスイッチがプチッと切れることがある。そうするとまるでそんなことは無かったとでもいうように我に返って平然としている。

 もう一つは、一人でいたいオーラが全身から出ている時がある。ぼくがカミさんとテレビを観ている時など離れたところで一人でまったりしている。そんなとき声をかけても全くしらんぷり。一人でいたいときはぼくらが一階に居ても一人で二階に居ることもある。ぼくが呼びに行っても、ちょっと迷惑そうな顔をしてそっぽを向いてしまう。そんな時は、あ、一人になりたいんだなとそれ以上声を掛けない。面倒かもしれないけど、一緒に暮らしていてぼくはこの距離感が好きだ。それを楽しんでいる。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その29~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その29~

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 ■君は本当の友達を知っているかい?
   それは君がいなくなった後、君の猫の面倒をみてくれる人だよ。
(ウィリアム・S・バロウズ)
  You know a real friend? Someone you know will look after your cat after you are gone.(William Seward Burroughs II)
 

 この歳になると、断捨離とかデジタル終活とか色々と身辺整理を考えてしまうのだけれど、それは誰にも訪れることだから言わば順送りの仕事みたいなもんだ。

 

 こういうのは、順当に行けば平均寿命からいっても男が先逝って、その後妻の方が暫し余生を楽しんでおもむろに…というのがセオリーらしいしカミさんもそう思っているフシがある。

 

 ぼくの方もその方が有難いから、それはそれで良いのだけれど、どちらが残るにしても気がかりな事は猫のことで、最近はそのことが頭から離れない。もちろん若い頃はそんな事は考えもしなかったし、逆に飼い始めた子猫がいつの間にか自分を追い越して歳老いて先に逝かれてしまうことに辛い思いをしていたくらいだから。

 
 ところが、そのうち猫より自分の方が先に逝ってしまうというような心配をする時が来ようとは…。クロがいなくなって、寂しさがつのるほどに、いつまでも猫と暮らしたいという気持ちは逆に強くなった。カミさんとも、いつまでも猫を飼い続けたいねとは話すのだけれど、先のことを考えると二の足を踏んでしまう。

 猫は犬より手がかからないから、猫好きの人であれば引き取って飼ってくれそうなのだけれど、それが周りにいるかというとこれがなかなか難しい。当たり前だが自分たちより若くなきゃならないし、猫を好き嫌いもあるだろうし、動物のアレルギーや住宅事情さらには散々他人が飼った猫が慣れてくれるだろうかという心配もあるかもしれない。

 猫の老人ホームのようなところがあって身寄りのなくなった猫などが暮らせる施設もあるやに聞くけれど、当然お金がかかることだし、年金頼みの身では自分のことで精いっぱいで将来もそこまでお金がまわるか、また猫たちがそこで本当に幸せに暮らせるんだろうか…など等悩みは尽きない。

 今の願いは、せいぜいカミさんに長生きしてもらって猫と暮らし続けたいという身勝手な願いと、自分でも最後までちゃんと猫の面倒をみられる身体でいたいという事ぐらいだ。


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*ウィリアム・S・バロウズ…バロウズはアメリカの小説家。ハーバード大学を出た後親の遺産の年金でブラブラ。その後ウィーンの医学校に入るが戦争のため帰国。彼は麻薬中毒でゲイ、小説は難解だが最先端でアメリカを代表する作家のひとり。

真実は疑わしいが薬でラリって妻とウィリアムテルごっこをしていて妻の頭にリンゴを載せて間違えて妻を射殺。その後彼は南米に逃亡、そしてぼくの好きな街であるモロッコのタンジールに移住。そこで無一文になると今度はさらにパリへ。最後は猫に囲まれて83歳の生涯を閉じたらしい。ぼくは恐れ多くて(読んでもきっと分からないし)彼の作品を読んだことは無い。日本には名うてのバローズ・マニアがいるらしいです。

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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その28~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その28~

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 普通の猫なんて居ないわ。(シドニー=ガブリエル・コレット)

 “There are no ordinary cats.” (Sidonie-Gabrielle Colette)


 子供の頃から今までいろんな猫と暮らしてきたけど、それだけにこのコレットの言葉には、そうそうと思わずうなずいてしまうところがある。とは言っても、たとえば道端でノラ猫に出会ってそのことを他人に話して、どんな猫だったと聞かれたときには「普通の三毛猫だったよ」とは言ってしまうのだけれど…。

 それじゃあ、普通の猫と普通じゃない猫の分かれ目は何かというと、ざっくり言えば自分にとって名前がついているかどうかだと思う。名前は普遍的なものを特別なものへと変質させる力を持っている。いつも見かけるノラ猫に密かに名前を付けた時から、その猫は自分にとって特別な猫になるのだ。言語学者のソシュールが、そのモノがあるから名前が付いたのではなく、名前を付けたことによってその内容が浮かび上がり規定されてくるのだというようなことを言ったことを想い出した。

 名前というのは、その名前を持ったものとの関係を変えるという魔力を持っていると思う。以前訪れた南海の孤島波照間島では、島の至る所にヤギがいる。普段は畑の雑草取りのためにか長い紐で繋がれてのんびりしているが、島を挙げての一大イベントである大運動会には潰してヤギ汁にすることも多いということだった。

 ぼくの泊まった島の宿にもココちゃんというヤギが居て飼い主のおばさんに聞いたら、そのヤギは名前を付けたのでもう食べないという。随分と可愛がっていてそのヤギの自慢話を聞かされた。でもそのヤギだって放たれて島のどこかをウロウロして他所で普通のヤギとして捕まったらヤギ汁にされるかもしれない。

 名前を付けて、普通じゃない存在になって一緒に暮らし始めたら、それはもう全くと言っていい程違う存在になるのだと思う。それは猫だって犬だって金魚だってカブトムシだってそうなのだ。本当はどこにも普通の犬や普通の猫やそして普通の牛や、ありふれた豚や普通の命などはないのだろうけれど、それをしてしまったらぼくらは生きてはいけないので、普通名詞というものを考え出して不用意に固有の名前を付けないようにしているだけなのだ。


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その27~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その27~

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 ■私が猫と戯れているとき、ひょっとすると猫のほうが、私を相手に遊んでいるのではないだろうか。(モンテーニュ)
 “When I play with my cat, who knows if I am not a pastime to her more than she is to me?” (Michel de Montaigne, Apology for Raymond Sebond)


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 自分でブログをやっていて、こう言うのもなんだけど最近いつでもネットで繋がれる時代になって、逆に何か上質な孤独というものが世間から少なくなっているのではないかと。まぁ、世間のことはどうでも良いけど自分のことを振り返ってみても、いつもネットでつながっているみたいでメールが来たり、誰だれさんがSNSに書き込みしましたよ、みたいなお知らせが来たり…。

 人間にはときたま、そういうものからも解き放たれて素の一人になれる孤独のようなものが必要なんじゃないかと思ったりもしている。と言ってもずっとそうで話し相手も、連絡を取ろうとする相手も居ないのはただの孤独で、上質な孤独とは言えないような気もする。とても贅沢なことなのだけれど、時には一人で何かを想う時間も必要だし、カミさんとゆったりするような時間も必要だと感じる。

 そういう中で、猫と「二人」で過ごす時間はぼくにとってはかけがえのない時間になっている。それは一人きりで、もの想う上質な孤独の時でもないし、かといって人間同士で集う安らぎの時間でもない。ぼくにとってそれは何も考えない、そして何も想わない、純粋にそこに時間だけが存在するような瞬間に思える。そばに居る猫はぼくにとってそれ自体が幸せの時間そのもので、それ以外の何物でもない。 …むろん彼女が遊びに飽きてしまうまでだけれど。


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 ■ どんな猫の遊びにもルールとしきたりがあるが、それは参加するプレーヤーによって様々だ。猫は、もちろんルールを破ることはない。もし、猫が以前のルールに従わないことがあれば、単に新しいルールを作ったということだ。その新しいルールを急いで覚えて、遊びを続けるかどうかは、あなた次第だ。(シドニー・デンハム)
 Although all cat games have their rules and rituals, these vary with the individual player. The cat, of course, never breaks a rule. If it does not follow precedent, that simply means it has created a new rule and it is up to you to learn it quickly if you want the game to continue. (Sidney Denham)


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その26~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その26~


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 ■ 家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる。
この愛らしくも不思議な動物は生き生きとした静けさをかもしだし、王のような気品を漂わせながら悠然とわれわれのあいだを歩きまわり、自分にとっておもしろそうなもの、楽しそうなものを見つけたときのみ足をとめる。 (ジャン・コクトー)


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 クロが居なくなって二人と二匹は戸惑いながらも少しづつそんな生活にも慣れようとしている。朝、お腹がすいたとぼくを起こしに来るクロの役目は最初誰もやらなかったのだけれど、クロが居なくなってからぼくが朝中々起きてこなくなったからか、最近はレオがその役を引き継いだようで毎朝ぼくを起こしにやってくる。

 夕食などの食事の時テーブルに上がれるのはクロだけの特権だったのだけれど、それを引きついてぼくの晩酌の相手をするのはまだ出てこない。時折レオがテーブルに上がってくるけどつまらなそうに横たわっている。尤も小さかったクロとちがって体の大きいレオがテーブルの上に立っていられたのでは落ち着いて食事ができないけど…。やはりそれは小さな体のクロが適役だったのだと分かった。

 モモはライバルが居なくなったのでぼくの傍を独占できるようになったのだけれど、暫くの間はどこからかクロが出てくるんじゃないかと、キョロキョロする時期が続いた。最近は少なくなったがそれでも時々クロを探すようにウチの中を歩き回っている。それに変な話だけれど、クロが居なくなってモモは時々退屈するような感じで遊びをせがんでくるようになった。猫が退屈するなんてことはないはずなんだけど…。

 夜、寝床に入ってウトウトとし始めた頃、寝室の猫ドアが怖くてくぐれないレオが入れてくれと声を上げて催促するので渋々起き上がってドアを開けて入れてやると、その間に今までそばに寝ていたモモが部屋を出てゆく。またウトウトしたころ、今度は猫ドアが使えるのにモモがわざわざドアの外で鳴いている。しかたなくまたドアを開けに行くと、自分の手下のネズミを連れたモモがドアの外に立っている。やっとクロの居るころの調子が戻ってきた。それはそれでめんどくさいのだけれども、でも、そんなこんなのめんどくささは、猫がいればこその生活の遊びのようなものかもしれない。それも猫がくれる贈り物の一つだ。



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突然の別れ [猫と暮らせば]

突然の別れ


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  昨年の暮れくらいから、嗅覚を失ったことや母の事で気落ちした状態が続いてそれが身体にも響いているのか今ひとつ体調がすぐれない。そんな時に以前から予定していた旅行に思い切って出かけたのは良かった。

 暖かい国で東京の長引く寒さを避けられたのもありがたかったけど、何より一時花粉から逃れられたのも良かった。今度の旅行では色々と考えることもあったし、久しぶりのアジアに触れてエネルギーをもらえた様な気にもなった。

 旅の日程もあっという間に終わって、東京に帰る飛行機をハノイの空港で待っている間に留守番の者からメールをもらった。普通は余程の事がない限り旅行先にはメールはよこさないのだけれど…。メールには羽田に着いたら直ぐ連絡を下さいとあった。そういうメールがなくても、羽田に着けばいつも直ぐに連絡を入れているんだけど…、と訝った。その時は乗り継ぎ便の接続が余り良くなく空港で数時間の待ち合わせをしなければならなかった。

 高齢の年寄りを抱えている事もあって、飛行機を待っている間にも何があったんだろうかとどんどん気になって来て、あと数時間で羽田に戻るのだけど結局メールで問い合わせてしまった。帰ってきたメールはクロが今朝死んだ、というものだった。詳細は帰ってから聞くと答えたけれど、家に着くまで気持ちは虚ろだった。

 その日の深夜になってやっと家に着くと居間のソファーの上にタオルにくるまれてクロが横たわっていた。まるで眠っているようだった。でも身体に触るとひんやりと冷たいので生命の火はもう灯ってはいないことがわかった。何度もクロの身体を撫ぜてあげながら「あと、一日だったのにねぇ」と呟いた。

 クロは突然死だった。その朝も元気に窓辺で日向ぼっこしていたのに、暫くして階下の居間に下りて行ってそこで倒れたらしい。以前飼っていたタマの場合と同じだった。18歳のタマはカミさんの膝の上で寝ている時いきなり全身を硬直させてクーッと呻いたきり逝ってしまった。ほんの数十秒のことだった。

 苦しんだ様子もなく、あっという間の出来事だった。眠るようなクロの表情を見ると、きっとクロもそんな風だったのかもしれないと思った。傍に居て看取ることはできなかったけれど、苦しまなかったようだったのがせめてもの救いだった。

 飛行機が羽田に着くまで、ずっと色々なことを考えていた。もしかしたら夜が寒かったのかとか、モモとケンカしたのかとか、苦しんだのか、とか…。でもクロの最期の様子を聞いて少し心の重荷がおりた。これからはクロと過ごした時間をゆっくりと噛みしめたいと思っている。

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 *クロは12歳でした。捨てられた子猫で雨のなか家の前で倒れていたのを母が見つけて飼いだしました。その時の模様を書きだしたのがこのブログを始める一つの契機ともなりました。そういう意味ではこのブログもクロの贈り物です。

**昨日、ペットの葬儀社さんにクロの火葬と埋葬をお願いしました。またこちらも歳をとってきているので、これを機会に我が家に安置してあったタマチャー先代レオのお骨をクロと一緒に埋葬のお願いをしました。


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その25~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その25~

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 ■ 長いこと一緒に暮らしていると、犬は飼い主の言うことが分かるようになってくる。猫は長いこと一緒に暮らしていると猫の言うことを飼い主が分かるようになってくる。 (gillman)



  今回は古今の著名人が残したちゃんとしたアフォリズムじゃなくて恐縮なのだけれど、これは今まで犬や猫と暮らしてきたぼくの実感なのだ。犬と猫を比べるアフォリズムは多いけど、その大半はどちらかというと猫に分があるようだ。それは文学者などに猫好きが多いということもあるかもしれないけれど、猫の方が野生が残っているので人間にとっては、特に詮索好きの人間にとっては謎解きのような楽しみがあり魅力的に映るのかもしれない。

 いずれにしても、猫も犬も人類が同じ空間で同じ時間を過ごしてきた親しい存在であることに変わりはない。それだけに、その違いに目が行くのかもしれないけど…。その一番大きな違いはコミュニケーションのスタイルの違いがあるかもしれない。犬は常に飼い主とコミュニケーションを取りたいと思っているし、一方猫は自分の必要な時にのみ自分の欲求をわかってもらいたいという傾向がありそうだ。

 どうも、その傾向が飼い主の性向にも表れる、というよりそういう性向が犬か猫を選ばせるのかもしれないが…。いずれにしてもテイストが微妙に異なる。誤解を恐れずに端的にいうなら「犬は教える喜び、猫は学ぶ喜び」みたいな感じがありはしないか。最近は猫を飼っているから、どうも猫の言うことをきいてその通りにしていることに喜びを感じている自分がいたりして何とも不可解千万である。

 最近はモモがマッサージを覚えて、寝る前にベッドの上でぼくのお腹をひとしきりマッサージしないと気が済まない。マッサージといったって、もちろんあの猫特有のモミモミ運動なのだけれど、体重をかけて揉まれるとそれはそれでマッサージっぽくなるのだ。で、暫くたって気が済むと解放してくれるのだけれど、途中で起き上がったりするととにかく怒る。その様子を傍らでレオは冷ややかな目で見ている。両方猫なのに。わからんっ。あ、そういえば、こういうアフォリズムもあったなぁ。


 ■猫とは、解答のないパズルである。(ハーゼル・ニコルソン)
 A cat is a puzzle for which there is no solution. (Hazel Nicholson)



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