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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その19~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その19~

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 ■ いつも言っているように、犬はね散文なの、ネコは詩だわ。 (ジーン・バーデン)
  A dog, I have always said, is prose; a cat is a poem.(Jean Burden)

 ■ 犬は素晴らしい散文かも知れない、しかし猫だけは詩なのだ。(フランスの諺?)
  The dog may be wonderful prose, but only the cat is poetry. (french proverb)



 猫に関する色々なアフォリズムを見ていると、その3割位は犬との対比がされているのに気づく。そして、その殆どが犬を小ばかにしたようなものだとも気づく。ぼくは子供の頃からずっと犬と一緒に育ったし大好きなのでそういうモノには余り組しないけれど、このアフォリズムは別に犬をバカにしているわけではないし、両方と暮らした経験から言えば上手く言えている感じがする。

 散文は英語でproseと言うけどこれは率直なとか真っ直ぐなと言う意味から生まれているらしい。人間との長い共生の歴史の中で犬の習性はかなり詳しく知られていて訓練の方法も確立されている。それもあって犬は人間の心や意志に率直に応えてくれる。だからその反応も散文のように分かりやすいかもしれないし、ある意味では論理的だ。

 それに対して猫の方はどう見ても率直とは言えない。飼い主(そもそも飼い主とは思っていないけど…)との駆け引きがあったり、ぼくらの計り知れない気まぐれさがあったり、行動一つとってもいろいろな解釈の余地があったりして…。しかし、じゃあ猫とはコミュニケーションが取れていないかと言うとそうとも言えない。飼っていれば、それこそのように直観的に感じることが出来る。またのようにその本当の意味をじっくりと手探りする楽しみも残されていると思う。

 昔まだ大学生の頃友達と散文とどちらが優れているかという青臭い論議をしたことがある。友人は散文こそ論理的で人間の英知だと言う、その証拠にや俳句ではマルクスの資本論も学術論文も伝わらないと言った。ぼくは論理的な文章だけでは伝わらない情念のようなものがあり、それはと言う形でより心に届くしそれに学術の世界だってアインシュタインの相対性理論のE=mc2という真理はいかにも簡潔でのように美しいではないか、という訳の分からん理屈をこねたことがある。

 結局その時は、それは特性の話であって優劣の問題ではないのだろうということになったけれど、犬と猫の論議もまたそれに近いと思う。 …という訳で、ぼくは今日も三篇の難解なと暮らしいている。パズルのような猫たちと暮らしいてるうちに、最近は読み解くよりも鑑賞していたいと思うようになった。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その18~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その18~


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 ■ 猫は、世の中の全てのものに"用途"がある訳ではないことを我々に教えようとしている。(ギャリソン・ケイラー)
 Cats are intended to teach us that not everything in nature has a purpose. (Garrison Keillor)


  歳のせいか、最近夜中にトイレに起きることが多くなった。昨日も夜中の3時ごろトイレに起きて用をすませてから寝室に戻るとレオカミさんの枕に頭を乗せて寝ている。

 ところがレオは余り寝相が良くないので段々と頭が枕から離れて行く。別にカミさんに遠慮している訳ではない。無意識なのだろうが何とか頭を枕の上にキープしておきたいと手で枕の端をつかんで必死に耐えている。でも眠っている。見ていて可笑しくなってしまった。

 その時ふと冒頭のケイラーの言葉を思い出した。ここで言う"purpose"とは、目的というより用途とか使い途という意味だと思うのだけど、世の中はそればかりじゃないよと猫は言っているということかな。

 世の中には確かに警察猫とか麻薬探知猫とか、盲導猫や牧羊猫とかなんか居ないけど、だから猫はダメなのか。もっと言えばネズミを捕らなくなった猫はダメなのか。でもそれは人間の都合で、人間は自分勝手で自分の役に立たなくなったらいつでも放り出されるかもしれない。そればかりか中世には猫は魔女の手下とされて何万匹も殺されたこともあった。猫はその時のためにいつだって一人で生きられるように人間には用心している。

 「わたしは一人でも生きていけるんだけど、飼うのはあんたの都合なんだから、ちゃんと面倒みてちょうだい。それにあんたの言うことなんかきかないし、あんたの用なんかもしないからね。何でも自分の役に立つと思ったらそうはいかないわよ」というのが猫の言い分なんだと思う。

 確かにそうだね。でも君たちはもうとっくにぼくの役に立ってしまっているんだよ。ネズミを捕らなくたって、犯人を嗅ぎ分けて追い詰めなくたって、羊を集めなくたって、道案内しなくたって、ただ一緒に暮らしているだけでいいんだ。ぼくにはそれで充分なんだ。充分役にたっているんだ。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その17~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その17~


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 ■ 我々を躾けて傍に置き、しかも我々に我慢している猫たちは、みんな英雄じゃないかね?この業績だけでもメダルに値する。(アーノルド・ハーノ) Aren't they all heroes...our cats who train us, keep us and put up with us? For these accomplishments alone, they deserve medals. (Arnold Hano)



 レオは三匹で食べる朝晩のご飯の後、必ず一人でお替りをする。ひと口でも良いから必ず決まった場所で一人でお替りを貰わないと気が済まない。水を飲む水鉢の前にじっと座っている時はお水を替えてくれと言う意思表示。晩ご飯は5時20分でないとダメ。それを過ぎるとぼくがどこに居てもお腹がすいたと言いに来る。誰か他の猫が猫のトイレに入るとはやく掃除をしてくれと言いに来る、など等。

 モモは二階の部屋と一階の寝室が自分の居場所だと思っているので、食事がすむと二階の階段の途中で早く上がってこいとぼくを呼ぶ。遊びたいときにはヒトが寝ていても布で出来たネズミ(自分が飼っていると思っている)を持ってきて起きて遊べと言う。猫ドアがあってモモはいつも自由に出入りしているのに、気が向かない時は鳴いて開けてくれと言う。ぼくがトイレに入ると必ずドアの外で「クワッ」と鳴いて入れてくれと言う、など等。

 クロは朝七時前にはお腹がすいたと起こしに来る。クロは寝室の猫ドアをくぐれないので外で鳴いているけど、カミさんがドアを開けると同時に寝ているぼくのところに突進してきて耳元で大声で鳴く。そのくせ食事が終わると今度は一緒に寝ようとなんとかぼくを寝室に連れてゆこうとする。知らん振りをしていると何度も迎えに来る。一階と二階の地袋の扉はクロがいつでも逃げ込めるように少し開けておかないとパニックになる、など等

 かように注文の多い猫達と暮らすうちにこちらの方がしっかりと躾けられていることに気付く。要求のとおりにしてあげても「ありがとう」と言われる訳でもない。至極当たり前、という風に平然としている。一度くらいお世辞でもいいから「あ、すいませんねぇ」くらい言ってくれても好いと思うんだけど…。それどころか、水鉢の前にレオがいるのに気が付かないで、水を替えるのが遅れると、「ったく、いつになったらちゃんとできるのかねぇ」とでも言わんばかりの不機嫌。

 スポーツ・ライターのアーノルド・ハーノが言うには、猫達はそんなぼくらを何とか躾けて、我慢強く一緒に暮らしてくれているらしい。尤も時にはそれでも我慢がならないのか、家中を駆け回ってストレスを発散していることもあるなぁ。ぼくらにとっては本来ならそんなご奉仕生活はまるで間尺に合わないはずなのだけれど、それが何とも気持ち良いところがメダリストの猫の凄いところなのだろう。たまに足元にまとわりついて、頭でもこすり付けてあげれば人間は実によく言うことを聞く動物だということを猫達は良く知っているのだ。



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猫ばさみ [猫と暮らせば]

猫ばさみ

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 先月から隣家と前の通りの家の建て替えが重なって、連日出入りの工事車両や建設の音で昼間は騒然としている。新しい家がご近所に建つということはめでたいことなんだけれども、家が揺れるような衝撃音や釘を機械で打ち込む断続的な音はそのたびにどきっとする。

 もちろん、数か月で終わることだしご近所でお互い様のことだから仕方ないのだけれど、猫達は大きな音や鋭い音がするたびに家の中を逃げ回っている。もともと家の前の私道に宅急便のトラックが来ただけでみんなで聞き耳を立てているくらいだから、小心者の一団にとっては大変なことらしいのだ。

 そのせいもあってか今月初め位からモモが家の猫用トイレ以外の処にウンチをするようになってしまった。週に一度くらいのことなのだけれど、便も柔らかいので近所のペット病院に連れて行った。下痢止めと整腸剤を貰って飲ませたら一時はおさまったのだけれど、すぐまた元に戻ってしまう。

 先生の話では恐らくは音などのストレスが原因ではないかと言うのだけれど…。家の中にモモの小さな爆弾が落とされるたびに、お掃除セットをもって駆け回る日が続いている。トイレも頻繁に掃除するようにしているけど、視界にモモの姿が見えなくなるとどこかで粗相をしてないかと心配になって見に行くこともある。

 そんな訳で無意識にモモのことを気にしているのが、クロにもすぐ伝わるらしい。以前からメス同士でライバル心が強かったのだけれど、それがぼくの関心がモモに行ったと思っているのかクロの態度が極端になっている。餌の時も何をするにもモモより先でないと気が済まない。

 モモの頭でも撫ぜようものなら「あ、わたし、わたし」とでも言うように駆けてきて頭をこすり付ける。甘え方もモモに見せつけるような感じで…。というわけでぼくがデスクにいる時は机の上は猫二匹に占領されて書類を広げるスペースも無い。板挟みならぬ猫ばさみの状態。一日も早く工事が終わってもとの平穏な生活に戻りたいなぁ。

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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その16~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その16~


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 ■犬があなたの膝に乗るのは、あなたが好きだから。でも猫が同じことをしても、それはあなたの膝の方が温かいからだ。(アルフレッド・N・ホワイトヘッド)
If a dog jumps into your lap, it is because he is fond of you; but if a cat does the same thing, it is because your lap is warmer. (Alfred North Whitehead)

 確かにそうかもしれないけど、そうはっきりいわれてしまうと身も蓋も無いなぁ。まぁ、言ったのが数学者で哲学者のホワイトヘッドだから、わからないでもない。彼は全ての哲学はプラトン哲学の脚注にすぎないと言い放った御仁だから。

 この間、西洋美術史の講義を受けていたら、講師がアングルの絵「ホメロス礼賛(L'apotheose d'Homere)」のところで画中に描かれているプラトンに触れたとき、その「全ての哲学はプラトン哲学の…云々」と言ったので、あ、何処かで聞いたフレーズだなぁと思っていたら、それはホワイトヘッドの言葉だった。偶然ってあるもんだ。

 ウチには今、クロレオそれにモモ(歳の順)と三匹の猫がいるけど、クロは10歳を過ぎているのでまぁ言わば、ばあさんネコで、とても寒がりなのだ。モモは一年中寝室でぼくらと寝ているけどクロは怖いのか寝室の猫ドアをくぐることができないので、居間で寝ている。レオは寝室で寝たり居間で寝たりしているけど、寝室で寝るときはやはり猫ドアをくぐれないので夜中に自分がトイレに行きたくなると出してくれと騒ぐ。

 ぼくが居間のソファに腰かけてテーブルに足を載せてテレビを見ていると、その膝はネコの格好の居場所になるのでクロとモモの場所争奪戦が始まる。時には膝の上で気持ちよさそうに寝ているモモにいきなりクロのネコキックが飛んでくることもある。

 ここのところ厳しい寒さが続いているが、夜は居間の暖房を切ってしまうから、カミさんがクロに湯たんぽをいれてあげる。寝る前近くになるとソファに置いてあるひざ掛けに湯たんぽを挟んでその上にクロが寝られるようにしてあげるのだ。普段はクロを膝から降ろすと嫌がったり怒ったりするのだけれど、湯たんぽが入っているのを見るとクロはそちらの方に行って文句も言わない。

 してみると確かにぼくの膝はクロにとっては湯たんぽの代わりみたいなものかもしれない。「ほらね…」というホワイトヘッドのしたり顔が見えて來るようだけど、じゃあ、クソ暑い真夏にも猫がぼくの膝の上に乗ってくるのは、どういうことなんだ。ねぇ? その時はぼくの膝はクーラーなんだろうか。


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その15~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その15~

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 ■ 猫は集団を必要とせず、単独で生きる。気の向いたときだけ従い、もっとはっきりと見定めるために寝た振りをし、手を置けるところならどこでも爪を研ぐ。(フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン)The cat lives alone, has no need of society, obeys only when she pleases, pretends to sleep that she may see more clearly, and scratches everything on which she can lay her paw. (Francois Rene de Chateaubriand)


 猫好きとしては新年が来るたびに猫年が無いことの悔しさを感じるのだけども、猫にとってはそんなことはどうでも好いことかもしれないなぁ。猫はマイペースだから猫年なんか作って、その時だけ猫なで声を出されて追いかけまわされても迷惑に感じるだけかもしれない。

 散歩や旅行に行くと外で一匹でいる猫をよく見かける。なんとなく野良犬は悲しいけど、野良猫は逞しい感じがする。もっとも外で見かけるのがすべてが野良猫とは限らない。猫をぼくなりに勝手に大きく分けてみると、①家猫、②通いネコ、③地域猫、④野良猫となるかもしれない。

 ①の家猫はさらに、飼い主の家に飼われていても家と外を自由に出入りできる家猫と、我が家のように一切外には出ない言わば箱入り家猫がある。理想は自由に出入りできる方が好いのだろうけれど、都会では車にひかれたり、他の猫の病気が心配だったりするので箱入り家猫にならざるを得ないことが多い。のんびりとした田舎で家と外を自由に出入りできる猫は羨ましい限りだ。

 ②の通いネコはウチの近所にも結構いるみたいだ。場合によってはちゃっかり二三軒の家を掛け持ちして餌をもらって暮らしているのもいる。③の地域猫は小さな村や特に沖縄などの島で多く見かける。どの猫が誰に飼われていると言うわけではないけど、誰かしらが餌をあげている。いわゆる一匹だけの野良猫とは違って代々のファミリー的なグループを見かける時がある。

 ④の野良猫はぼくの散歩の途中でも顔馴染みのが何匹か居るけど、ほんとの野良猫は面構えからして違う。身のこなしも素早いし、何度か木の陰から鳥を狙っている姿を見かけたけれど正に獣という迫力がある。ウチのお嬢ちゃん、お坊ちゃん猫とは随分と違うのだ。

 野良猫たちとお友達になりたいとは思うけど、そう易々とは近づく事は出来ない。どこかの国の諺にも「見知らぬ猫と友達になる術を知ったら、いつだって幸運になれる」というのがあるけど、確かにそうだな。You will always be lucky if you know how to make friends with strange cats. (old Proverb)

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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その14~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その14~

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↑当ブログの写真は写真の上で左クリックすると大きくなります。



 猫は、自分のしたいことをしたい時にする。これをどうにかすることはできない。(フランク・パーキンス) A cat will do what it wants when it wants, and there's not a thing you can do about it. (Frank Perkins)


   
 時々、猫は字が読めるんではないかと思ってしまうことがある。もちろんそんなことはないのだけれど、新聞を拡げるとどこからともなく猫が現れる。そして決まってぼくが今まさに読んでいる記事の上にドッカと横になる。ぼくの目線と記事の場所を見比べるでもなく「あ、この記事ね」とすぐに感づいてその上に寝そべるのだ。

 「ほらぁ、読めないじゃないか~」と言うと、チラっとこっちを見て「知ってるよ」と言う感じ。知っているならどいて欲しいんだけど…、一向にどく気はない。「ならいいよ、こっちを読むから」と言って反対側のページの方を読み始めると「よっこらしょっ」という感じでそっちの記事の方に移って來る。

 ぼくが机に向かっている時は、たいていモモクロが机の上に乗っている。それもパソコンのモニターの真ん前に陣取っているから場合によってはネコ越しにキーボードを打たなければならなかったりする。書類を見ながら打たなければならない時などは脇に書類を置いて打ち始めると、ネコがその書類の上に移動する。見えない。このゲームは大抵ネコの方がそのうち本当に眠くなって動くのが億劫になるまで続く。寝たところで猫の身体をそっと机の端の方に移すのだ。

 この間、画集を見ながら文章を打っていたら例によってモモが画集の上に乗ってしまって見ることができない。仕方ないのでそのまましばらくネコ越しに本なしで打てる部分を打っていた。そのうちモモが寝入ったのでその身体をそっと右側にズラして続けようと思ったら、モモの足は画集の大事なところをしっかりと隠していた。あくまでも全ては見せないつもりらしい。

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*ぼくの机は端が少し角度がついて傾斜してるんですが、この後モモのお尻が段々とズレて来て落ちました。

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ネコとカメラ [猫と暮らせば]

ネコとカメラ


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 テレビでは関越60キロの渋滞とか言っている。そうか世間はお盆で帰郷ラッシュの真っ最中なのだ。ウチは東京だからお盆は7月に済ませたし、ぼくもカミさんも東京の生まれ育ちだから帰る田舎もない。というわけで家でのんびりしている。こういう世間が動き回っている時は家でじっとしているのが一番だ。

 だいいちリタイアしたじいさんが、唯でさえ交通機関やホテルの予約がとりにくいこの時期に割り込んでいったのでは貴重な休みを使っている現役世代に申し訳ない。こういう時は家で静かに猫の相手でもしているにこしたことはない。もちろんぼくだって昔はクーラボックスを車に積んで予定通り関越の大渋滞に巻き込まれていた一人なのだが…。

 最近はテレビがあまり面白くないので、夜は早々と寝室に引っ込んでベッドの上で本を読んだりジャズを聴いたりしている。そんな時は大抵モモが付き合ってくれるのだけれど、必ずと言っていいほどそこにクロが割り込んできてベッドの上を一人で独占しようとする。そうするとモモはプイッと部屋を出て行ってしまうので最近はクロが入らないように寝室の扉を閉めている。


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 しばらくは夏の夜のまったりとした時間の中でジャズと本を楽しんだ。モモもすっかりリラックスして落ち着いている。そんなところをちょっと写真に撮りたいのだけれど、カメラを取りに行くときっとこの状況はその時点で終わりになるだろうなぁ。手元のスマホで撮ることにしたけど、モモはもうその雰囲気を察知して耳を立てている。

 うーん、ネコとカメラは中々自分の思い通りにはならないもんだ。もっとも、だから興味が尽きないし、その面白さもあるんだけど…。こちらも知らんふりをしてスマホを隠してまた本を読み続ける。しばらくしてまたリラックスしてモモが寝転がった頃を見計らって撮る。一枚撮るとキッとして耳を立てて睨み付ける。面白いなぁ。ネコとカメラがあったら生涯退屈することは無いかもしれない。


 
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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その13~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その13~

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 □ ネコはどこに座れば不便になってしまうか、その正確な場所を数学的に計算できる。(パム・ブラウン)
  Cats can work out mathematically the exact place to sit that will cause most inconvenience. (Pam Brown)

 □ 猫は自分の尊厳に対して鋭敏な感覚を持っている。決して猫を笑い者にしてはいけない。猫はその恨みをいつまでも持ち続けるからだ。(ジム・アルテス)
  Cats have a higher sense of dignity. NEVER laugh at a cat. They can hold a grudge forever! (Jim Aites)


 確かに、猫達は自分にとって快適で便利な場所をよく知っているし、そこは誰にも渡さないぞ、という強い意志も持っている。テレビの前のソファの特等席はレオがいつも座っているし、ベッドの上はクロモモが(昼と夜の交代制)、そしてぼくの机の上のキーボードの前にはモモが寝そべっている。

 モモがキーボードの前に長々と寝ているものだから、ぼくはネコ越しにキーボードを叩かねばならないので、その姿勢が続くとちと辛い。本気になってちょっとまとまった文章を打つ時はさすがにモモの身体をズラしてキーボードを手元に引き寄せるのだけれども、それでも机の上から降りようとはしない。

 それどころか、脚をお行儀よくきちんと揃えてあらぬ方を見てシレッとしている。なにしろ、そこはちょっとヒンヤリして気持ちいいし、部屋中が見渡せるからクロがきてもすぐに身構えることができる。しかし、あまり気持ちイイからといってついウトウトして寝返りをうつと、元来狭いスペースで無理やり横になっているのだから机の端からすべり落ちることがよくある。

 幸せそのもののような顔をして寝ていたのが、いきなり床の上に落ちて面食らっている。そこはネコだからさすがに背中からドタッと床に落ちるということは無いけれど、四本足でスクッと立って顔は何がおきたか分からずにボーッとしている姿は可笑しくもある。

 だが、こんなときはそれを見て笑ってはいけない。猫はプライドが高いからいたく傷つくのだ。猫も犬も人間と長く暮らしているからか、人間がすると同じように何かに失敗した後に照れ隠しをする。犬は自分の失敗したところを見られると「デヘヘヘヘ…」というような感じで照れ笑いのようなしぐさをしてごまかすことがあるけど、猫のはもう少し異なる。

 以前レオがソファに上がり損ねたのをぼくが見て笑ったことがあった。その時レオと目が会ったのだけれど、レオは何かを言いながら一目散に駆け出していった。なんだか「ちくしょう、ちくしょう…あーあっ」なんて言っているように。部屋中を駆け回って最後に爪とぎのところへ行って懸命に爪を研いでいる。クロもモモも多かれ少なかれ同じような行動をとる。

 猫は自分が失敗したのを自分でも知っている。それだけでもこたえているのに、それを見られてしまったというたまらない気持になるのだろうか。それ以来、彼らの失敗を見ても見ないふりをすることにしているけれど、さっきも言ったように彼ら自身は自分で失敗したことを知っているので何とか気を落ち着けようとしている。

 ウチの場合、猫によって多少違うけれどこちらが気づかない振りをしていても、自分の気を落ち着けるために身体をさかんに舐める、水を飲む、爪を研ぐ、餌を食べるそれでも気が済まないと駆け回る、と言った行動をする。こちらが見て見ぬふりをしていると、暫く経ってから何事もなかったように傍らに来て寝ている。ネコは気分転換の名人でもある。

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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その12~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その12~

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 神のあらゆる創造物の中で、たった一つ縛り付けて奴隷にできない者がいる。それは猫だ。もし人間が猫と交配できたなら、人間は進歩するだろうが、猫は退廃してしまうだろう。
 
(マーク・トゥエイン)
 Of all God's creatures there is only one that cannot be made the slave of the leash. That one is the cat. If man could be crossed with the cat it would improve man, but it would deteriorate the cat. (Mark Twain)

 

 ■… 猫は本当に飼いならされた動物だろうか。もしかしたら、フランスの社会学者マルセル・モースの言うように、猫の方が人間を飼いならしているのではないだろうか。猫と暮らし始めれば、小さな友達にこっちの要求や権利を押し付けるより、猫のそれに従う方がいかにたやすいか、早々と覚えてしまう。

 例えばある時、家で、猫を抱き上げてかわいがろうとする。もし猫の方にもその気があれば、愛情のやり取りもうまくいき、猫は筋肉をゆるめてゴロゴロいいながら、目を細めて愛撫に身をまかせる。

 けれどももし機嫌が悪くて、おべっかなんかやめてくれという気分だったら、身体をこわばらせてもがき、抱き上げたりすれば足を突っ張っていやがり、こっちが離すまで、控えめだが断固として抵抗し、あげくにさっさと逃げ出してしまう! 猫のしてほしいことも気まぐれも、一緒に暮らすうちに、こうしてだんだん一種の命令みたいになってゆく。…

  (ジョルジョ・チェッリ「猫暮らしLa Vita Segreta dei Gatti・マホメットの猫」より)


 家の中で日向に寝ている猫をみると、ぼくは少しホッとする。自由気ままで陽の光に全身を晒してる姿は見ている方まで気持ち良くさせる。自分なりに猫達を大事に飼っているつもりだけど、心のどこかで本来自由に好きなところを駆け回れる猫を縛り付けているという後ろめたさのようなものがあるのかもしれない。

 今は猫達を家の中で飼っている。もしぼくが野中の一軒家や閑静な田舎に住んでいたなら外扉のどこかに猫ドアでも作って好きに出入りできるようにできるのだけれど、街なかでは車による交通事故や他の猫からの感染症など命に係わるいろいろな心配があってそうすることもできない。それに世の中には猫好きばかりが居るわけではない、どこかで捕まって虐待を受けないとも限らない。外猫と家猫の平均寿命を比べてみるとその差が如実に出ているのも事実だ。

 もちろん、人間もそうだけれど必ずしも長生きするだけが幸せとは言えないけれど、猫がネズミ捕り期待の生き物から家族的な位置づけに変わったことによって、なんとかその生存のリスクを減らして長生きさせたいと思うようになるのも自然なことではないか。

 ぼくの子供の頃に飼っていた猫はご飯や縁側での昼寝の時はウチにいたけれど、それ以外は大抵は庭や工場の片隅でネズミを狙っていた。夜も猫が家に帰ってきているかどうかなんて確認しないで戸締りをして寝ていた。そう思ってみると日本の家屋の在り方の変化が猫の飼い方の変化にもつながっているのかもしれない。

 昔の日本の家屋は外に向かって開かれていた。庭に面していつでも開け放たれていた縁側。部屋の仕切りだって今のようにドアではなく障子や襖だったから、ウチの猫も器用に手で開けて出入りしていた。昼間は玄関の鍵もかけないことが多かったし、あらゆる面で家は外の世界とつながっていた。ところが今は縁側は無いし、エアコンや暖房器のためもあって大抵は締め切っていることが多い。猫だってそう気軽に出入りできないのだ。時代が猫の飼い方を変えた。

 それでは猫の方は変わったかというと、どうもそうではないらしい。猫たちの目には今でもウチの中は遊び回れる草原のように見えているだろうし、その中で居心地の良い場所を探す能力も失われてはいない。そればかりか野原を駆け回っている頃よりも関係を深めることになった人間と言う召使が傍に居るおかげで便利なことが多くなった。この人間と言うやつは、これがまた、気の向いたときに少し甘えてやれば何でも言うことを聞く単純な生き物なんだ…と。


 

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