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てやんでぃ    落語と差別用語 [落語]

 現在は第三次お笑いブームだと言われている。テレビを点ければコント・デュオとピン芸人のオンパレードだ。最近の芸人は、自分で自分の賞味期限が短いことを知っているようなことをよく言うのが悲しいね。苦節十年やっとテレビに出られたと思ったら、テレビというメディアの宿命で極端に露出が多いと、すぐ飽きられるというセオリー通りのプロセスで、皆の前から消えてゆく。「ゲッツ!」とか「なんでだろ~、なんでだろ~」なんて今頃言おうものなら、「キモイ~」とか言われるのがおちだ。


 一方、お笑いの中でも落語は少し違う道をたどっている。最近はホール落語がどこへ行っても混んでいる。落語はテレビというメディアに頼っていては生き延びていけない。事実、ある程度以上の上演時間を必要とする古典落語は、民放テレビでは全くと言っていいほど聞くことができない。ではNHKは、というと、確かに教育テレビ等の時間枠も使ってたまに放映されるが、こちらは放送禁止用語に厳しいときている。

古典落語は言うまでもなく昔の風俗・概念で組み立てられているので、今日では差別用語と受け取られる言葉も多く入っている。昔NHKの放送の時「支那竹」の「支那」の所にピーの音声が入ったことがあるらしいが、これなどは何をか言わんやだ。「てやんでぃ、べらぼうめ!」と言いたくなる。自然とテレビにかけられる演目も減ってくる。と言うわけで昔の噺はCDかなんかでひっそりと聴いているわけだ。言い換えをすればすむものもあるかも知れないが、さげの所にそんな言葉が入っていたら難しくなる。「そりゃ、木(気)がちがいます」なんてさげは使えない。


 身体のハンディを直截に言う言葉は確かに人を傷つける。言葉は使うものと受け取るものとで出来上がっているから、受け取る側の心情が大事だ。僕らの感性がすでに「盲滅法」とか「聾桟敷」と言う言葉でも、ドキッとするようなものになっているので、落語といえどもそのような言葉が頻繁に使われていては笑えないし、心が落ち着かない。

この間、先代の柳亭痴楽の噺を聞いていたら、そんな言葉が出てきた。正直言って少し居心地の悪さを感じた。先代痴楽の噺は生前何回も聞いているが、その時はそういう感じはしなかったのに…。古今亭志ん朝なんかは「気がちがう」と言うところを「気がふれる」と言い換えていた。漢字で書けば「気が狂(ふ)れる」なのだが、口に出して言えばそれ程きつくない。他にも「くず屋」など職業や、「めかけ」など身分に関する微妙な言葉も出てくるが、全てを排除してしまったら古典落語は成立しなくなる可能性もある。
知恵を働かせて、なんか野暮にならず、粋な解決法はないものか。


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この落語のCDはちょっとすごいぞ ! [落語]

                      

『ご存じ 古今東西噺家紳士録』というCDを買った。CDと言っても音声のみのCDではなくデータ形式で記録されているPC用のCDだ。これがちょっとすごい。

データ編には江戸中期からの落語家1395人の系図を始めとして、写真、略歴、出囃子などが収録されている。音源部分には、東京と上方併せて271の演目が録音されている。演目の録音は物故者を中心に5分から長いものでは20分近く録音されているものもある。

昭和初期の貴重な音源も多数あるが、当然だが聞き難いものが多い。しかし現在のデジタルリマスタリングの技術を使えば、もう少し雑音を減らしたり音質を改善できると思うが、そこらへんが少し残念だ。最近のものでは古今亭志ん朝などの演目も収録されている。


 録音された演目はPCで聴くことができるが、音の状態の良いものについてはどうしてもiPodに入れて聴きたいと思った。そこでCDの中身を覗いてみると、一つのフォルダーに音源ファイルが入っていた。ファイル形式は.movだったので通常のアプリでも再生できるファイルだ。このファイルのうち欲しいものだけをiTunesに読み込んでAAC形式に変換すれば良いわけだが、ファイル名だけからでは演目がわからない。

音源は300近くあるのでその中から欲しいものだけをiPodに移すには演目全部を聴いて判断しなければならない。結局、頭のところだけを聴いて誰のどの演目か確認しながら移すしかなかった。ということで比較的音質の良い音源、合計50演目をiPodに入れることができて今はそれを持ち歩いて聴いている。

古今の噺家の熱演が聞ける。こうして昔の人も含めていろいろな噺家の話を聞くと、改めて五代目古今亭志ん生のすごさが際だつし、志ん朝の早世が惜しまれる。

 


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