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A Happy Birthday to Ma! [新隠居主義]

A Happy Birthday to Ma!

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  今日は母の98歳の誕生日だった。母が生まれたのは大正9年、西暦でいえば1920年。その年はアメリカであの悪名高き禁酒法が施行され、合衆国憲法修正第19条が発効し、始めて女性参政権が認められた年でもある。

 一方、日本では第一次世界大戦後の戦後恐慌で株価が大暴落、多くの銀行で取り付け騒ぎが起きた。そして三年後にはあの関東大震災が起きお袋も被災したらしい。それからもさらに大変な変化が待っていたのだけれど…。

 全てが破壊されてゼロからスタートした敗戦直後のぼくらの世代だって、閉塞感の強い時代を生きる今の現役世代だってどの世代が一番大変ということは無いけれど、それでもお袋の世代は今のぼくたちには想像もできない苦労があったんだろうなと思う。 …なにはともあれ、お誕生日おめでとう。


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謹賀新年 [新隠居主義]

謹賀新年

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病院の身売り [新隠居主義]

病院の身売り


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 縁あってもう三十年近くお世話になっている病院がある。その病院でもう三回手術を受けたこともあるし、現役時代の最後の方は過労で頸椎症が悪化するので毎年のように年に一度は一月近く入院していたこともある病院だ。その病院が十月に突然他の病院グループに身売りすることが決まった。

 ぼくが通っていたその病院は企業名を冠した大病院でそのもとの企業の再建のためという事らしい。日本でも有数の大手メーカーで経営の失敗から急速に会社がおかしくなってしまった。昔ぼくも一年ほどその本社で仕事していたこともあって親近感のある企業だったが…。数年前に医療事業部門も手放し、従って病院も用無しになったのか残念なことではある。

 …というと他人事みたいだが、ぼくにとってはそれが切実な問題になってしまった。この歳になって医療難民のようになろうとは思ってもいなかった。現在ぼくが通院しているのはその病院だけなのだけれど、大きい病院なのでそこで複数の診療科にかかっており、いずれも長期間の通院が必要となっているのだが、病状が安定しているという理由で来年の一月一杯で他の病院に転院するように言われてしまった。嗅覚もゼロだし、いまだ胸のつかえの原因も結局分からずじまいなのに。転院先は自分でネットで探してくれと。

 発端は消化器科の医師に自分は三月で辞めるので、あとはぼくが今かかっている内分泌内科の医師に引きついでおくからとのことだったが、翌週その内分泌内科の医師の診察の際に、今度はこの病院が売却されるので内科ではこのままだと内科医が不足しており、買収後は病院の性格も変わるようなので他の病院へ行くように言われてしまった。ここに長年通っておりこの病院に自分の膨大な医療データがあること、何度もこの病院の治験にも協力してきたこと等も伝えたのだけれども、その医師も今後のことは自分でも責任が持てないから変わった方が良いと言われた。

 翌週、昨年手術をしてもらった別の科の医師の診察のときにも、その医師も三月で辞めるので紹介状を書くから他の病院に行くようにと…。さらにもし何かこの病院の他の医師の動向等の情報が分かったら教えてほしいとも言われた。どうやら医師の間にも詳しい情報は伝えられていないようだ。そんな医師の不安感はダイレクトに患者にも伝わってくる。この病院にはずっと感謝もし、信頼もしていたのだけれども、ぼくにとってあまりにもあっけない幕切れとなった。

 この病院には個人的にもいろいろな思い入れがあり、ぼくの人生の大きな山場を何回かこの病院のベッドの上で迎えた。このブログでも何度かそのことにも触れてきた。せめてもの救いは内科の医師が、来年一月に自分の最後の内視鏡チェックを責任を持ってやると言ってくれたこと位いか。買収後の病院は収益の見込める長期リハビリ分野に的を絞ることになるらしい。この年の瀬に世知辛い状況になってしまった。


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[Blog Review その時ぼくはこの病院にいた…]

病棟の夜  (2016)
眠り Der Schlaf  (2016)
香り無き世界 (2016)
病院の朝  (2011)
エレベーター  (2009)
病院閑話  (2009)
Blackout  (2009)
病院の桜  (2006)
レクイエムを残して  (2005)



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うしろ姿のしぐれてゆくか [新隠居主義]

うしろ姿のしぐれてゆくか

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 ■ うしろ姿の しぐれてゆくか (種田山頭火)

 

 1931(昭和6)年12月31日、山頭火は行乞の旅の途中にあり九州の飯塚にいた。自堕落な自分を奮い立たせて行乞の歩みを進めるが、ともすればすぐに俳句仲間の処などで深酒をし自堕落な自分に戻ってしまう。大晦日の俳句ノオトには「自嘲」という言葉に続いてこの句「うしろ姿のしぐれてゆくか」という句が収められている(行乞記二)。行乞の旅でこの師走に安宿に逗留している山頭火の脳裏には寒々とした時雨の中を行く自分自身の後ろ姿が浮かんでいたのかもしれない。

 一方、絵の世界で後ろ姿を描く画家といえばまず脳裏に浮かぶのはデンマークの画家ヴィルヘルム・ハンマースホイだろう。彼はコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地にあった自宅内を多く描いているが、その室内における妻のイーダの後ろ姿を何枚も描いている。現在国立西洋美術館に展示されている彼の作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」もそのような絵の一枚だ。白い扉の向こうで妻のイーダがピアノを弾いている後ろ姿。しかし、イーダはピアノの前には座っているけれど本当にピアノを弾いているようには見えない。画面を静寂が支配していてぼくにはピアノの音は聞こえてこない。言わば静謐だがどこか不安な空気が画面を覆っている。

 ドイツの画家カスパー・ダーフィド・フリードリヒも人物の後ろ姿をよく描いているが、彼の場合の後ろ姿は絵の登場人物が絵を観ている人と同じ方向を見つめるという関係に置くことによって、あたかも絵を観ている人が画中の人物になって彼の視線を通じて絵の中の情景を見つめ体験しているような感覚になる事を意図していると思う。

 またアングルロートレックドガムンクそして、アンドリュー・ワイエスなども人物の後ろ姿を描いている。それらは絵の鑑賞者の視線の代理というよりは、その背中自体の表情で何かを語らせている。それはモデルの存在感であったり、安らぎであったり、孤独や拒絶であったり、生きることのプライドであったり…。それらは時に顔の表情に劣らず多くの事を語ってくれる。また時として顔の表情は人を欺くが、背中は正直だ。


 大昔の1971年の冬、クリスマス休暇をウェールズの友人の実家で過ごした帰りにロンドンに寄ったことがある。年が変わって1972年1月1日になってピカデリーの近くのロイヤル・ヘイマーケット劇場で演劇を見た。演目は「A Voyage round my father(父を巡る旅路)」 主人公の頑固な父親を演じたのがアレック・ギネスだった。劇はもちろん英語で行われていたので細部はよく分からなかったけれど、素晴らしいラストシーンだけは今も鮮明に脳裏に残っている。

 真っ暗な舞台の中央に背もたれのある木の椅子が客席に背を向けるかたちで置かれている。スポットライトに浮かび上がったその椅子にはギネス扮する年老いた父親が座っている。やはり観客に背を向けて座り観客には彼の背中とイスの肘かけの上に載せた左右の手しか見えない。舞台には子供の楽しそうな声や海風の音、明らかにその老人の人生の回想シーンが音だけで流されている。

 どのくらいの時間それが続いただろうか、やがて音が止んで、静寂がおとづれ劇場内は緊張した空気に包まれる。観客の全ての視線がその老人の後ろ姿に注がれた時、老人の片方の手からふっと力が抜けて掌が少し上向き加減になった。観客がそれが老人が今息を引き取ったことを意味するのだという事に気が付くのにそれほど時間はかからなかった。その時ギネスは後ろ姿と片手だけで人生の終焉を演じ切った。暫くして静かに幕が下りる。そして鳴り止まない拍手。忘れられないラストシーンだった。後ろ姿には物語がある。


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 *「父の背中を見て育つ」など日本人には昔から後ろ姿への独特の思い入れのようなものがあるように思います。考えてみると、それは寡黙なことが良いとされた日本的風土の中で相手の心を言葉以外のものでも読み解こうとする文化的伝統のようなものがあったのかもしれません。

 そんな高尚なものではないんですが…、ぼくも写真を撮る時無意識に人物の後ろ姿を追ってしまいます。素人写真では普通モデルは使えないので、街なかのスナップなど事前・事後に了承を得て正面から撮ることはありますが、自分の力ではその大抵のものはいかにも記念写真的なものになってしまうような…。もちろん、時間をかけて相手との人間関係を作ったり、瞬時に相手との心理的距離を縮めることが巧みであればいいのですが、ぼくにはまだ、まだ…。

 それにぼくが何よりも後ろ姿に惹かれるのは、そこに作為がなく、かつ何がしかの物語を想像もしくは創造しうる余地がありそうな気がするからです。それが自分なりに大切にしている写真の画面の外に広がってゆく物語の予感みたいなものを与えてくれそうな気がしています。自分の写真の中ではたとえその後ろ姿が小さく写っていたとしても、その意味も同じようには小さいとは思っていません。絵画においてもしかりだと思ってます。



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Urban twilight [新隠居主義]

Urban twilight

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 最近家を出るのが億劫に感じる時がある。特に午後から約束があって出ていくようなこともあるのだけれど、午前中を家でダラダラと過ごしたあとに出かけてゆくのはちょっと自分の身体と心に活を入れて出ださないといけないみたいだ。日本語学校に行くというようなルーティンの行動は最初からそのつもりでいるから良いのだけれど、止める気なら自分さえそう決めればそれで済むようなことは、ともすれば止めてしまいたい衝動に駆られることもある。


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 日日

  ある日僕は思った
  僕に持ち上げられないものなんてあるだろうか

  次の日僕は思った
  僕に持ち上げられるものなんてあるだろうか

  暮れやすい日日を僕は
  傾斜して歩んでいる

  これらの親しい日日が
  つぎつぎ後ろへ駆け去るのを
  いぶかしいようなおそれの気持ちでみつめながら


  Days

  One day I wondered if there was something
  I would be unable to lift.

  The next day I wondered if there was anything
  I would be able to lift.

  As days lead toward darkness
  I walk on slumped over.

  watching, with doubt and fear,
  those familiar days gallop away backward,
  passing me by, one after another.

   (「二十億光年の孤独」谷川俊太郎/W.I.エリオット訳、集英社)


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 歳をとるということは、こういうことなんだろうか。ずっとこうだと、段々と精神もそのような身体について行ってもう少し楽になるのかもしないけれど、まだそんな境地にもなれない。天気の良い朝なぞは意味もなく「まだやれる感」が頭をもたげ身体を置き去りにして前のめりに走り出す。旅に出たいなんて思うときは、たいていこんな朝だ。

  この間の朝もそんな日だった。前の晩に億劫なので止めようと決め込んでいた新宿行きを、やっぱり行くことにして昼前にポケットにGRDだけをほうりこんで家を出た。駅まで来ると何となく身体が動き始めた。

 新宿で用を済ませた頃にはもう陽が傾きかけていた。まっすぐ帰ろうとも思ったけれど、出たついでなのでいつものように秋葉原をちょっと覗いてから帰路に就いた。秋葉原の駅のプラットホームから空を見上げるともう青い夜がそこまで来ていた。どこかヨーロッパの夜を思わせるように青い夜。この空は家にいては見られなかったかもしれないなぁ。



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♪ 東京のキリル・ペトレンコ Petrenko in Tokyo [新隠居主義]

♪ 東京のキリル・ペトレンコ Petrenko in Tokyo

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 一昨年バイロイト音楽祭ヴァーグナーの「指環」を観た際、その音の素晴らしさに魅せられた。その時、選りすぐりのメンバーのバイロイト祝祭管弦楽団を率いていたのがキリル・ペトレンコだった。クラッシック音楽の知識はからきしのぼくにでもその音の輝きの素晴らしさは分かったし、劇場でも最終日ペトレンコが舞台上に登場した時の拍手喝さいは凄まじかった。

 ペトレンコは現在バイエルン国立歌劇場の音楽監督を務めるが、2018年からはベルリンフィルの首席指揮者・芸術監督になることが決まり、しかも一定期間現在のバイエルン国立歌劇場の方もかけ持ちをするという引っ張りだこで、傍目で見ても大丈夫かなと思うほどスポットライトを浴びるようになった。そのペトレンコがバイエルン国立管弦楽団を率いて先日来日した。

 この日曜日に東京文化会館で彼の日本公演の皮きりの演奏会があったので聴きに行った。切符は今年の春に友人が苦労して手に入れてくれたものだ。当日の曲目は前半がラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲Op.43」でピアノはイゴール・レヴィット。ぼくは初めて聞く名前のピアニストだったが、透明度の高いその音に魅せられた。アンコールがまた素晴らしかった。

 後半はマーラーの「交響曲第五番」。これは、特に最終楽章は今まで聴いたこともないようなアンジュレーションの大きな盛り上がりで、ぼくは最高にワクワクしたけれど人によってはこれは評価の分かれるところかもしれない。難しいことは分からないが、なんと言ってもペトレンコの瞬発力、瞬時の制動力そしてそれに繊細さが共存している点は抜きんでているし、そこがぼくが一番好きなところでもある。

 驚いたのは自分の出番がおわったピアニストのレヴィットが後半ぼくらの前の席に座ってじっとペトレンコの振るマーラーに聴き入っていたことだ。所々小さく頷いたり、控えめだけどあっと言うような身振りを見せたり…。音楽家はこんな聴き方をするんだなぁと感心した。

 ペトレンコの今回の来日の目玉は何と言ってもバイエルン国立歌劇場によるオペラ公演だろう。特にヴァグナーの「タンホイザー」は注目の的だ。一昨年のバイロイトで彼の素晴らしい「指環」を観たので、今回のタンホイザーも、とは思ったのだがチケットの法外な値段を思うとなかなか踏ん切りがつかなかった。もちろん、海外から歌劇場のスタッフ一行も引き連れての公演ということを考えると決して法外な値段とは言えないのだけど。ただ、ぼくの音楽の他にもやりたいこととのバランスで言えばの値ごろ感、価値観の違いなんだけれども…。


 なにはともあれオペラの方は諦めていたところに、友人からオペラ「タンホイザー」のゲネプロ(Generalprobe)の招待券を貰った。彼が本公演のチケットを買った際に抽選で何名かをタンホイザーのゲネプロに招待するという企画に応募して当たったらしいのだ。それをありがたい事にぼくにくれるというので観ることが出来たということなのだけれども…。
 
 ゲネプロとは衣装も舞台も本番さながらの通し稽古で、コンサートのゲネプロは何度も観たことがあるけれども、オペラのゲネプロは初めてだった。それと同じ様に軽い気持ちで考えていたのだけれども、どうして、どうして、間に一時間の休憩を挟んだにしても、始まったのが午後3時で終わったのは夜の8時すぎ。それでもその日はまだ二幕までである。
 
 今回の「タンホイザー」の配役は、タンホイザー役がクラウス・フロリアン・フォークトでエリザベート役がアンネッテ・ダッシュというぼくには懐かしいコンビだった。それは2015年バイロイトで観た「ローエングリン」のローエングリン役とエルザ・フォン・ブラバント役の組み合わせそのままだった。その時も二人とも素晴らしい歌手だと思った。
 
 ゲネプロ前半は順調に進んだが、それでも随所で中断、ペトレンコの指示で少し戻ったシーンからやり直し。その度に役者はもちろん照明、字幕、小道具などのスタッフが前のシーンに戻すためにフル回転、時には大型のクリーナーが舞台効果で汚れた舞台上を掃除し直す。本番では見えないところで大勢のスタッフが動いているのだ。
 
 休憩を挟んで後半はかなり指示が細かくなって、至る所で中断する。舞台上とのやり取りもあるが、オケとのやり取りも多い。段々と熱が入ってきて、ペトレンコの指示も長くなる。こっちがドイツ語がよく分からない上に、離れていて聞きづらいので殆ど分からなかったけど、時々「もっと明瞭に」とか「そこは叫ぶんじゃなくて、うたって…」とかの断片が聴こえてきた。
 
 もう大分時間もたって、舞台上にもちょっと疲労感が…、脇役の役者は寝転んだり、主役のフォークトも舞台中央のプロンプターのカバーの端に座り込んだり、エリザベート役のダッシュも靴を脱いで水を持って来させて飲んだり、時折は床に座ったり…。その間ペトレンコは一切気にする様子もなくオケ等に指示を出し続ける。それだけ舞台上やオケとの間に信頼関係があるのだろうなと感じた。

 完璧なものを創り出すというのはほんとうに大変なことなんだ。午後8時になってゲネプロがやっと終わりを迎えた時、NHKホール中に一瞬ホッとした空気が広がったような気がした。ペトレンコは全然平気で疲れていないみたいに見えた。前夜、来日初のコンサートをこなしたばかりなのに、凄いエネルギーだなぁ。


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 *いままではオーケストラピットに入って指揮をしているペトレンコしか見たことがなかったので、舞台上で指揮する彼を見たのは今回が初めてでした。実にパワフルで、ある時は踊るように、ある時はひれ伏すように大きなジェスチャーなんですが、その左手はかなり細かく曲の表情を指示しているようでした。ここら辺に瞬発力と繊細さの秘密の一端があるのかもしれないと感じました。

**ペトレンコは日本のプレスにこう答えていました。ゲネプロでの彼はまさにそれを証明しているようでした。

 音楽のモットーを問われると、「特別なものはないが、音楽に真摯(しんし)に向かい、時間をかけて十分な準備、(オーケストラや歌手との)リハーサルをして作品に取り組む。私の身上はリハーサル、これが一番大切かもしれない」

…指揮者の役割については「リハーサルの準備段階でオーケストラと一つになること。本番で指揮者がすることは少ない方がいい。実際のコンサートでの指揮者の役割は、単に音楽を聴衆に伝えるだけ」と答えた。 (9月18日付朝日新聞デジタルより)


写真上…東京文化会館(2017/09/16)
写真下…NHKホール(2017/09/17)

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東岳寺 一日だけの広重展 [新隠居主義]

東岳寺 一日だけの広重展

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 この間散歩がてら近くの寺、東岳寺に寄った。そこには歌川広重のお墓があってよく前は通るのだけど中に入ってお墓に参ったのはその時が初めてだった。ぼくの子供の頃には学校では安藤広重と習ったはずなのだけれど、実際には広重は絵師としては安藤姓を名乗ったことはないらしく、今では歌川広重ということになったらしい。

 広重のお墓の隣には寄り添うようにしてアメリカ人ジョン・スチュアート・ハッパーのお墓もある。余り知られていないけれど広重に魅せられて40年以上日本に住み西洋に広重を紹介した功績者でもある。広重に焦がれて最後は名前も広重ハッパーと名乗っていたこともあって、没後広重の傍にお墓が作られたそうだ。彼の著書「Japanese Sketches and Japanese Prints(1934)」は今でもペーパーバックで手に入るようだ。


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 実は先だってここに来た時に、数年前から広重の命日である9月6日にはこのお寺で「一日だけの広重展」をやっているというので来てみたのだ。午後からは広重の法要があると聞いていたので昼前に来てみると、既に数人の見学者が来ていて、展示場ばかりでなく広重の墓の前や境内でも墓参の人たちの姿も見られた。

 展示は本堂ではなくて、お寺の座敷の方に広重の版画が展示されている。展示物は神田の古書店からこの日限りに借り受けたもの等で、入場は自由で座敷にはソファも置いてあってゆったりと観ることができる。展示点数はそう多くは無いけど、広重の墓所で見る「東海道五十三次乃内 庄野の白雨」などは感慨深いものがあった。

 この寺もそうだけれど、ここら辺は関東大震災の後浅草のお寺が多数移転してきて寺町になっている。近くには先代三遊亭圓楽の実家の寺で彼のお墓もある易行院や林家三平や父の七代目林家正蔵のお墓がある常福寺もある。また、散歩の折に寄ってみようと思う。


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虻蜂取らず [新隠居主義]

虻蜂取らず

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 昔からの友人と二人で久しぶりに福島に行こうということになって、今回は会津の秘湯巡りをしようということになった。友人は温泉にも酒にも詳しく、会津の秘湯にも何度か来ているということで案内してもらうことになった。鬼怒川温泉駅まで電車でゆき、そこでレンタカーを借りて温泉を巡ることに。

 福島は隠れた名湯がたくさんある上に酒もうまい。本当はのんびりしたいとこだが、今回はできるだけ多くの温泉を「味見」して回ろうというのでまる二日間走り回った。(と言っても運転したのはぼくではないのだけれど…) 結局下記のように二日間で七か所の温泉に入った。

[一日目]東京→鬼怒川温泉→湯の花温泉(石の湯、弘法の湯)→木賊[とくさ]温泉→南会津の旅館→休憩→古町温泉(赤岩荘の湯)→南会津の旅館泊
[二日目]南会津の旅館→朝一、尾瀬檜枝岐[ひのえまた]温泉(燧[ひうち]の湯)→宿に戻り朝食→大内宿→二岐[ふたまた]温泉(大丸あすなろ荘の渓流の露天風呂、自噴泉甌穴の湯)→塔のへつり→湯野上温泉民宿泊(民宿の温泉)
[三日目]台風のため即帰宅。


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 風呂は大抵地域の有料の共同風呂が多かったのだけれど中には湯が熱くてとてもまともには入れなかった所もあったけれど、概ねは情緒もあって気持ちの良いお風呂だった。やっぱり露天風呂が解放感もあってよかった。中でも二岐[ふたまた]温泉の大丸あすなろ荘にある渓流の露天風呂は清らかなせせらぎに沿った眺めも抜群の湯だった。(一枚目の写真)

 この温泉宿は「日本秘湯を守る会」にも登録されており、その中でもこの渓流の露天風呂はおすすめの場所なのだけれど…。脱衣所で裸になって露天風呂のところにゆくと余りに眺めが良いので、ぼくらが入った時には他には誰も居なかったこともありスマホで写真を撮ろうとした。

 スマホのカメラを構えた途端身体の数か所に鋭い痛みを覚えた。はっと気が付くと何匹かのアブが襲いかかってぼくの身体を噛んでいる。(刺すのではなく、アブは噛んで血をだしそれを舐めるらしい) スマホを戻し慌てて湯船につかったけれど既に遅し。腕、背中、お尻それに太ももの四ヶ所をしっかりと噛まれた。

 噛まれた箇所は赤く腫れあがって猛烈に痒い。帰宅してから抗ヒスタミン剤を塗っているがなかなか腫れもひかず今でも痒みは残っている。二週間くらい続くこともあるそうだ。諺に「虻蜂取らず」ということがあるけど、大人しく速やかに湯船に入っていれば良かったものを、ちょっと写真なんか撮ろうとしたばかりに、お湯も写真もどちらもまともに楽しめず…虻蜂取らずになってしまった。(宿の人の話だとお盆を過ぎた頃になればアブは居なくなるそうだ) でも、とても楽しい旅だった。



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[写真]上から
1.二岐[ふたまた]温泉の大丸あすなろ荘にある渓流の露天風呂…お盆前はアブに注意とのこと…入る前に言って欲しかったなぁ〜
2.南会津の旅館で会津の銘酒をいただく
3.大内宿…江戸時代の宿場町の茅葺の家並みが美しい
4.会津は酒どころと言いつつ、次々と飲み比べ
5.コップ山盛りの酒が嬉しいのだけれど、香りがわからないのが、残念
6.子持ちの鮎の塩焼き、小骨が苦手だけれど…
7.湯の花温泉の石の湯…温泉が石の間から湧き出ている、でも熱すぎて…
8.木賊[とくさ]温泉の湯はここからさらに坂を下りた渓流のところにある
9.スーパーにはお盆用のお供物が…すごい原色、地方によって特色があって面白い



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 *旅の醍醐味はやっぱりその土地とちの食と酒と人。今回も南会津の旅館の親父さんや、湯野上温泉の三部屋しかない民宿のご夫婦との楽しい会話がありました。湯野上の宿のひょうきんなご主人と上海出身のパワフルな女将さんとの掛け合いはまさに至芸でしたね。
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[Déjà-vu] 薄れゆく記憶 [新隠居主義]

[Déjà-vu]  薄れゆく記憶


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 若い頃からずっと働いていた会社のOB会から時々会報が来る。OB会の総会などの席には顔を出したことは無いけれど、時たまくる会報には目を通すようにしている。活動報告の欄などには大抵は顔も名前も知っている人物が出てくるのだけれど、最近はちらほらと見知らぬ顔や名前も現れ始めた。

 そんな中で昨日来た会報に目を通していたら訃報欄に昔の同僚の名前を見つけて何とも表しようのない感情に襲われた。むろん、訃報だから悲しいのだけれど、ただ悲しいのではなくて今まで彼が過ごしてきただろう時間のことを思うと何ともやりきれない思いがした。

 当時同じ部署で働いていたH氏は歳はぼくより3つくらい下だったけど会社では先輩だった。彼とはそれ以前にも別の部署にいる時も一緒だった時期もあって気心は知れていた。仕事には気骨のある人で時には暴走気味になることもあったりして、人によって評価は分かれるところだったが、ぼくは彼のそういうところも買っていた。

 そんな彼がある日、頭痛が続くということで近くの大学病院に検査に行くことになって早退すると…。ぼくも事前にその話は聞いていたのだけれど、昼近く外出するときに会社の前でこれから病院に行くという彼とすれ違って二言三言言葉を交わした。どこが悪いのかと思うほど元気そうだった。しかし結局元気な彼と言葉を交わしたのはそれが最後になった。

 診断は脳腫瘍だったのだけれど、手術の結果命は取りとめたが、視覚の半分を奪われ身体の自由もきかない状態になってしまった。視覚は目の障害ではなく脳の障害によって起きている視野狭窄のため、顔を左右に動かしても常に視野の半分を認識しないという深刻な状態だった。

 もちろんそんな状態では仕事を続けることはできないが、その後もかなりの期間は在籍して当時はまだ余裕のあった健康保険組合からも医療援助を続けたと聞いている。ぼくも何回か面会したけれど、胸のつまる思いだった。リハビリも段々と本人の意欲がなえてきて成果ははかばかしくないとも聞いた。

 あれからもう15年以上もたったかもしれない。その間にぼく自身も一時は車いすの生活を余儀なくされるようなこともあって、彼の記憶も遠ざかって行った。とは言え彼とは特に最後の頃業界の色々な問題に取り組んでいたこともあって、それに関係するようなニュースが流れると、あんなこともあった、こんなこともあった、と思い起こすことはあるのだけれど…。

 記憶が遠のくのはもちろん悪いことばかりとは言い切れない、辛い記憶が時と共に遠のくからこそ人は生き続けていけるということもあるかもしれない。でも、一方その記憶が遠のいてゆくこと自体に悩んだり、またそういう自分を責めたりすることもあるかもしれない。

 それと直接は関係ないけど、ぼくの嗅覚がダメになって半年以上たったが、今その嗅覚の記憶が段々と遠ざかっているような気がする。以前は嗅覚がゼロでもテレビで火事の場面になると焦げ臭い匂いを感じたり、コーヒーの画像でいわば幻嗅ともいえるような匂いを感じることが多かったのだけれど、それも最近減ってきているような気がする。

 今、匂いを想い出すということは難しくなっている。コーヒーの香りやワインの香りばかりでなく、あの夏の草いきれの匂い、食欲をそそる少し焦げた醤油の匂い、大好きなオーデコロン4711のあの柑橘系の匂い。まだまだ忘れたくない匂い・香りが山ほどあるのに、その記憶がどんどんと遠のいてゆく。例えそれが香りのデジャブでもいい、一瞬でも蘇ってくれないものか。



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右か左か [新隠居主義]

右か左か

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 時代にベクトルというものがあるとすれば、世界は散々往したあげくに急速にに舵を切りはじめたように思う。とはいえ世界で今繰り広げられている色々な事象をみると、もはやとかとかいうシンプルな軸だけでは説明できないような段階に来ている気もするのだけれど…。

 だいたいとかとかいうのをちゃんと説明しろと言われるとなかなか難しいのだけど、辞書を引いてみると面白いことがわかる。試しに今手元にある何種類かの辞書で「」をひいてみると、例えば広辞苑では「南を向いたとき、西にあたる方」とあるし、大辞泉では「東に向いたとき南にあたる方。大部分の人が、食事の時箸を持つ側」とある。

 またオックスフォード英英辞典では「その人の顔が北に向いたとき東側を向いている体の側面」みたいなことが書いてある。あっちを向いたり、こっちを向いたり忙しいが、なるほど世界中でどこでも通用するように不動なものとして東西南北を使って自分の「」を定義しようとしているわけだ。野球のサウスポー(south paw)なんかもここら辺からでているらしい。

 それ以外の説明の仕方としては、明鏡国語辞典では「人体を対称線に沿って二分した時、心臓の無い方」とかドイツ語のDuden独独辞典では「自分から見て心臓の反対側の位置の方」みたいなことが書いてある。ここでは普遍的なものとして心臓の位置を基準にしている。ただ、いつもは心臓がにあることをあまり意識していないし、医者に聞くと心臓はというより殆ど真ん中に近いらしいから説明材料としてはどうか。

 こうなると当然、あの新明解国語辞典にはどう書いてあるのかが気になるのだけれど、そこには「アナログ時計の文字盤に向かった時に、一時から五時までの表示のある側」とあり、やはりこの辞書は只者ではない。なぜ6時は入らないかというと、そこはきっと「」ではなくて「下」になるからだと思われる。

 ふつう子供は親から「お箸を持つ方が」と教わるらしいのだけれど、ぼくは元来左利きなので…。それでも今はお箸と字を書くのだけはになっているので、どこかの時点で直されたのだろうけどその記憶は無い。今でもその二つ以外は全部で、字もでも不自由なく書けるが、そのかわりで書くといわゆる鏡文字になって裏返しになってしまう。箸もなんとか左でも使えるけど、「なんちゃって右利き」になった副作用としては他人に言われると瞬間的に右左の判断ができないことだ。頭で考えてしまってどうしてもワンテンポ遅れてしまう。

 困ったのは自動車の運転免許をとる時だった。免許は一度二十歳代の時に取りに行ったのだけれど、あまりにも威張った態度の教官と喧嘩してやめてしまった。今の免許は四十歳になってからとったので幾分世間慣れして我慢することも覚えたので何とかとることができた。それでも張り倒してやりたいと思うような教官がやっぱり一人だけいた。

 仮免許をとって路上教習の時は教官が助手席に乗って、教官の指示した道を運転するのだけれど、「あ、次を」とか「そこの角をね」と言われてもワンテンポ遅れる。昔だったらパニクるところだけど、歳もとっていたので「はい、わかりました、折ですね」とか言って時間稼ぎをする。最初は教官も普通に聞いていたのだけれど、そのうち「こいつはどうも左右が即断できないんじゃないか」と思い始めたらしい。

 ある時路上教習でいつものようにぼくが「はい、そこを折ですね」というと、その教官は「そう、はいつも折、はいつも折に決まってるんだよ!」とぶっきらぼうに言った。ここまではまぁ許せたのだけれど、そのあと彼が言った一言は許せない。「あんたさぁ、どうも左右がすぐ分からないみたいだねぇ。じゃあ、上下はどうなの? 上下はすぐわかるの?」 また、張り倒してやりたくなった。



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*「右であれ、左であれ…」というとすぐにジョージ・オウエルの「右であれ、左であれ、我が祖国(My country Right or Left)」を想い出すし、「右だろうと、左だろうと…」というと石原裕次郎の「右だろうと、左だろうと、わが人生に悔いは無し」を想い出してしまいます。なんとも難しい時代になりました。

**辞書による「右」の説明
・Oxford Advanced Learner's Dictionary…[right] of,on or towards the side of the body that is towards the east when a person faces north.
・Duden Deutsches Universalwörterbuch…[recht] auf der Seite [befindlich], die beim Menschen der von ihm aus gesehenen Lage des Herzens entgegengesetzt ist.
・大辞泉…東に向いたとき南にあたる方。大部分の人が、食事の時箸を持つ側。
・明鏡国語辞典…人体を対称線に沿って二分した時、心臓の無い方。
・新明解国語辞典…アナログ時計の文字盤に向かった時に、一時から五時までの表示のある側。


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