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無香生活宣言 [新隠居主義]

無香生活宣言

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 結局、嗅覚は戻ってこなかった。今もゼロである。昨日は手術後三か月で術後の最終診察日だったのだが、三か月たっても嗅覚が戻っていないということで、医者にこれ以上の改善は期待薄だと言われた。どうやら嗅覚の神経自体がダメになっているらしい。

 嗅覚は大事な五感の一つなのだけれど、嗅覚が全くのゼロになっても障害とは見なされないということだった。それは一つには嗅覚能力の厳密な測定法が無いのも一つかもしれないが、ソムリエや調理師や調香師でもない限り社会生活にさして支障はないだろうという位の世間の認識もあるのかも知れない。

 だが、ちょっと考えれば、以前ぼくも部屋の壁のペンキを塗っていて危なく倒れそうになったけど、シンナーや強い揮発性の匂いも分からないので昏倒リスクが高まることくらいは想像できるし、火事の初期段階のきな臭い匂いや、ガス漏れだって感知できない。もちろんこれらの生活上のリスク対応能力が低下することは由々しきことなんだけれども、実は匂いが無くなることによる本当のダメージは長い時間の中でボディブローのように効いてくるのだ。

 前にも書いたことがあるけど、匂いが全く無い世界というのは一言でいえばモノクロ映画を観ているようで現実感に乏しい。変な例えだけれど、テレビでやっているサスペンス・ドラマか何かで殺人事件のシーンがあって死後何日もたった被害者が見つかる。本当ならばその付近は腐乱死体の腐敗臭が立ち込めていて、現実には居たたまれない状況のはずだが、テレビを見ているぼくらは他人事のようにストーリーの展開の方に関心を向けることができる。それは匂いを抜くことによって現実感が薄まってゆく一つの例だ。匂いのない日常というのは要はそういうことなのだ。

 匂いが無いと毎日がどことなくうわついた、現実感を欠く浮遊感の中で過ぎてゆく。そのうち本当に奪われたのは匂いではなく、人生を噛みしめる貴重な瞬間、時間であったことに気が付く。全ての時間の質が変わってしまったことに気が付く。無くしたのは、ゆっくりとコーヒーやお茶を飲みながら本を読む時間であり、妻とバカを言いながらテレビを見つつワインを飲む時間であり、干した布団の陽の香りを胸いっぱい吸いこみそれに包まれて眠るという…。失ったのは上質な時間。

 昨日、もしかして、と言うはかない望みも絶たれて、言わば医者に「無香生活宣言」をされたようなものだ。でも、それで少しは踏ん切りがついたような気がする。まぁ泣き言は今日のこれ位にして、無くしたものを嘆き続けるより、残ったものに感謝してそれを磨き上げて、香り無き日常の楽しみ方を自分なりに探究してゆこうと思っている。それに良いことだって一つはある。匂いが分からなくなって猫のトイレを掃除するのが苦にならなくなったことだ。

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*最近テレビのコマーシャルを観ていると、
実に香りに関する事項が多いことに気が付きます。
印象としてはざっくり言って3割くらいは
香りに関するメッセージが入っているような…。
食べ物や化粧品の宣伝はもちろん
洗剤、芳香剤などの良い香りを売りにしているもの
また逆に匂いを取り去る消臭剤など等。
匂いが分からなくなると、実は世の中は
様々な匂いに囲まれていることがかえってよくわかります。


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小さくなる背中 [新隠居主義]

小さくなる背中

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  …老いるってことは病(やまい)るってことと同じ。
 だけど、それは闘うんではなくて、猫とつきあうように、病とか老いに静かに寄り添ってやるもんだと思うんだよね。一緒に連れ添っていくというか。

 よく、頑張んなきゃとか、しっかり生きなきゃとかいうけど、頑張んなくてもいい、寄り添っていけば。力まずに、それも自分だという風に生きていくと、すっと楽になる。そんなこと思ったの、つい三、四日前なんだけどね。(笑)…

  (緒形拳「私と猫」)



 母はこの2月で97歳になった。それまでは比較的しっかりしていたんだけれども、昨年の夏の終わりころから急激に認知症の症状が顕著になり年末の介護認定の更新では要介護4ということになった。

 母が認知症と診断されたのはもう十年くらい前になるが、その時に当時通っていた大学院の精神医療の授業で教わっていた医師にそのことを相談したら、認知症を治す薬も予防する薬もまだないが、唯一症状の悪化を緩やかにする薬があるので服用した方が良いというアドバイスをもらった。

 かかりつけの精神科医に処方してもらって、幸いその薬が母にあったのか副作用はみられなかったので(叔母は一度その薬を試したがむくみの副作用がひどく止めたのだということを聞いていたので心配だったが…)以来ずっと続けていた。そのお蔭かその時々で状態に波はあるものの何とかやってこられた。もちろんその間にも、この前まではアレはできたのに最近は出来なくなったなどというものが徐々に増えていった。最初に俳句ができなくなって、それから新聞が読めなくなって、とうとう字を書いたりメモもとれなくなった。

 今は調子がいい時はぼくやカミさんのことは分かるけれど、そうでない時は話しかけても中々反応しなくなった。車椅子の生活なので足のむくみが気になってマッサージしてあげるのだけれどいつもの「ああ~、いい気持ち」という声も聞かれなくなったし、頸のマッサージをするために後ろに回るとほんとに背中が小さくなった。

 ここのところ二、三日日差しの暖かい日が続いたので近くのお寺に散歩につれて行ったのだけれど、周りに関心がなく早く帰りたがるようになった。以前は口癖のようだった、どこが痛いとかもう生きてるのが嫌になったとかは言わなくなったけれど、そうなると、そんな泣き言、繰り言でもいいから言ってもらいたいという気にもなってくる。車いすを押しながら、これから益々母の背中は小さくなっていくんだろうなぁと想った。気が付けば自分ももう身体の無理の利かない老いの中にいる。今は寄り添うことくらいしかやってやれない。

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伊豆下田へ [新隠居主義]

伊豆下田へ

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 去年の年末からぼくが嗅覚の手術をしたり、その後も嗅覚が戻らなかったり、母の状態がよくなかったりでストレスと疲れがたまっていたのだけれど、そんな状態をみてか有難いことに友人が伊豆下田への一泊旅行に誘ってくれた。

 ゆったりと行こうということで車ではなくて東京駅から踊り子号に乗ってゆくことにした。そういえば最近国内で列車で旅したことは余りないなぁ。会社にいる時は毎月のように各地への出張があったけれど、辞めてからは旅行と言えば飛行機か車が多かった。東京駅から伊豆急下田駅まで旅というには短く、乗ってしまえばほんの数時間だけれども、それはそれでとても楽しかった。

 伊豆半島に来るのは本当に久しぶりだった。高校や大学の頃は一人でテントを担いで西伊豆の松崎あたりをうろうろしていたこともあるけど、大人になってからはこっちの方面にはとんとご無沙汰になってしまった。伊豆急下田の駅前は昔と殆ど変らない感じだったけど、町並みはだいぶ変わっていた。

 駅から海の方へ少し行くと、平滑川沿いになまこ壁の古民家や古い街並みが続いていてペリーロードという名前までついていた。それらの家はカフェやレストランになっていてシーズンには観光客でにぎわうようだ。漁港の前には道の駅もできている。昔は干物屋と唐人お吉くらいのイメージしかなかったのだけれど…。


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 ホテルは海に面した素晴らしい立地に建っていた。部屋は東側にあり、明け方には海の日の出が眺められる。生憎寝坊して日の出の瞬間は見逃してしまったけれど、それでも充分神々しい海の曙を拝むことができた。金色の雲から光芒が差し込み、その光は海の上に浮かぶ利島(としま)の上に降り注いでいた。黄金の希望の朝。少し気持ちが軽くなったような気がした…。
 

 ■ 明るさは 海よりのもの 野水仙 (稲畑汀子)


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  *翌日は「水仙まつり」の行われている爪木崎に行きました。海岸には一面の水仙の花が咲いており、そこには同時に真っ赤なアロエの花も咲いていました。白い水仙の花との対比が美しかったです。日差しは春の温かさを予感させるものでしたが、河津の桜はまだのようでした。


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トーハク散歩 [新隠居主義]

トーハク散歩

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 去年の年末に入院して以来めっきり脚腰が弱くなった感じだ。十日位の入院だからどうってことは無いはずなのだが、そのくらいの期間でもやっぱりベッドに寝ているというのは全体的に体力が落ちるものなんだろう。というわけで最近はできるだけ意識して歩くようにしている。

 と言ってもただ歩くだけでは面白くないからできるだけ美術館など趣味を兼ねた処をふらつきたいのだけれど、そうそう美術展ばかり行っていても金もかかるし…と思っていたところ昔の学生時代のことを思い出した。大学の頃ちょうど学生運動真っ最中の時で休講や授業があってもセクトが乱入してきて急きょ追求集会に変えられたり、ついにはロックアウトになるなど、ノンポリ(学生運動に参加していない学生は当時そう呼ばれていた)のぼくにはポッカリと時間が空くことが多かった。

 そんな時は大抵上野の国立西洋美術館(セイビ)か東京国立博物館(トーハク)で時間をつぶしていた。当時は西洋美術館の二階のテラスと国立博物館の正面のユリノキの大木の下がぼくの恰好の読書&昼寝場所だったと記憶している。当時としては常設展の入場料位の金額で一日ゆったりと過ごせる場所はなかった。今ならマンガ喫茶とかネットカフェとかゲームセンターとか色々とあるのだろうけれど、生憎というか幸いと言おうかそんなものはまだ無かった。まぁ少しお金がある時にはジャズ喫茶位だったかもしれない。ぼくの大学時代には周りには当時盛んだった麻雀をやる友人も居なかったから、それに時間を食われることもなかった。

 話を今に戻すと、そんな昔のことを想い出して上野の美術館界隈を散歩コースにしようと思い立ったのだけれど、それを後押ししてくれるようなことがあった。今は特別展も入れる年間パスを持っているのだけれど、昨日行ってみたら常設展ならば70歳以上はいつでもフリーで入れることが分かった。西洋美術館は65歳以上が無料なのでこの二館だけでも十分すぎる散歩コースが組めるわけだ。

 ぼくの場合、たいてい日暮里駅から谷中を抜けて藝大の横を通って上野公園に入るので距離的にもちょうどいい感じがする。さらにはこの二館とも基本的には常設展示物の写真撮影はオーケーなのでその意味でもこれから楽しみが増えたような気がする。昨日は早速正月特別公開の長谷川等伯松林図屏風にお目にかかった。これから散歩がてら自分なりに美術の勉強もさせてもらおうと思っている。


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美:事始め「快楽の館」 [新隠居主義]

美:事始め「快楽の館」

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  篠山紀信「快楽の館」
  原美術館

 年末に行けなかった原美術館へ。あと三日で終わりの篠山紀信快楽の館」展にゆく。去年は日本美術を見ようと年初に決めていたけれど、今年は出来るだけ写真を観ようと決めたので新年最初の美術館展も写真展にした。

  原美術館の室内のフルヌードの作品の他にも、外にも何枚かの写真が貼られている。室内に展示されているのは全てヌード写真だけれど(室内は撮影禁止)、戸外の写真はさすがに敷地内とは言え下着姿のモデルになっている。「快楽の館」展のモデルは壇蜜やAVでお馴染みの紗倉まなや三上悠亜など大量のモデル陣(30名程)で中にはポールダンサーの人も居るらしい。

  写真は額に入っている形ではなく、殆どは等身大の大きな写真が壁面に直接貼られていた。写真の撮影場所は全てこの美術館の中。展覧会ではぼくも好きな原美術館の建物の趣とあいまって楽しめたし、それなりの雰囲気は醸し出しているけど、ぼくの印象では2009年に原紗央莉をモデルに起用した「20XX TOKYO」のあの鮮烈さには及ばないと思った。

  しかしそれは戸外のヌード写真撮影ということで篠山紀信と原紗央莉は警視庁に書類送検され写真集は闇に葬られた。そこに収められていた真夜中の大都会の暗闇に放出された女レプリカントのようなあの写真は、篠山紀信を次のステップへと導くはずのものだったとぼくは思っている。「20XX TOKYO」の写真集自体は持っていないけれど、摘発される前に某有名カメラ雑誌が巻頭特集を組んだ時のモノを持っている。その写真集自体が見られないのが、なんとも残念だなぁ。

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(cam:iPhone6)

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謹賀新年 [新隠居主義]

謹賀新年

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 新年明けまして、おめでとうございます。

 禽息

 
禽息(きんそくちょうし)とは大志を持たずに徒に齢を重ねることですが、まさにその通りにぼくもとうとう今年は古稀を迎えることになってしまいました。昨年は体調も万全ではなく年末に入院・手術ということに…。母も今年で97歳になり、老老介護の身では先々が心配ではあります。

 一方では折しも世界はまさに大きな変動期に入った感があり、老骨に鞭打っても家族のために何とか生き残っていかねばならないとも思っていますが…。賀状でのこの「感字誤変換」も始めてから20年余になりました。正しい字を予想してみてください。初笑いになれば幸甚です。                   
                                              平成二十九年元旦

 今年の誤変換はじめ…

 ヒラリーの「隊長不良」とか「鳥獣用メール」が暴露されて「カナリヤ売店会」になったと思ったら「ナイス害」とはとても言えないトランプが…。これから世界の変化は「禿思想」だ。昨日の「商社」は今日の「廃車」。「歯医者」は「猿のみ」か、もう「ハム買う気にも」ならないのか。これからは「鯖威張る」時代だ。

 「施錠」不安な「盗難アジア」も心配だし。「アメリカ国暴走ショウ」も「来た挑戦」で頭も痛い。テロの横行で「貝が胃に棲む」日本人も気が気でない。何か「シチューカツを求める」方法は無いものか。「損な子といわれても」今更「マニア湾」。一人一人が「胃まで切ることをする」ことしかないのか。「アーメン独裁」世の中になったなぁ。でも、「妄想言う時代でしょ


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 *パソコンの漢字変換でおかしな間違いが出てきたのがきっかけで、この「感字誤変換」の年賀状を20数年続けてきました。しかし最近では賀状以外にもメールやSNS、ブログなどコミュニケーションの手段も選択肢が増え、古希を節目にそろそろ賀状も見直そうかと思っている今日この頃です。新年早々このような駄文で、孟子は毛ありません。

 本年も拙ブログをよろしくお願い申し上げます。



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病棟の夜 [新隠居主義]

病棟の夜

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 病棟の夜は長い。
 病棟の夜はほんとうに長い…。

 痛みで眠れない夜など、病棟の夜はとてつもなく長く感じる。何度もトイレに起きてシンとした廊下をつたってベッドに戻るのだけれど、朝はいつまで経ってもやってこない。

  眠れない夜、脳裏に浮かんでくるのは、なぜか楽しい事ではなく悔しいこと、辛いこと、不安なことなど等。まるで自分の人生に楽しいことなど無かったみたいに…。

 2009年にやはり手術でこの病院に入院した時もそうだったことを思い出した。その晩眠れないベッドの中で思い起こしていたのは一人の友の事だった。その一番の親友のTを最後に見送ったのもこの病棟のエレベーターだった。もうあれから16年も経ったんだ。

  その晩、ぼくは眠れないままにフラフラとエレベーターホールまで歩いて行った。あの日、このエレベーターの扉の向こうに消えて行った友の表情を未だに思い出すことができない。今生の別れだったのにその表情を思い出せないことがずっとぼくの胸に引っかかっている。

  痛みで眠れない夜の鎮静剤は劇的だ。ようやく薬が効き始めた真夜中の静謐な病棟の廊下。暗闇の中に生命(いのち)を示す光がもれて、どこかエドワード・ホッパーの絵のようで美しいなと思った。悲しみとか、苦しみとかの中にも美しさのようなものが見えるのだ…鎮静剤があれば。


 
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香り無き世界 [新隠居主義]

香り無き世界
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 ■ …味覚と嗅覚には無数の段階があります。記憶、経験、主観、偏見、演出、無数の要素によって好悪が一瞬に決定されます。 (開高健 「白いページⅡ」)



 手術から数日経って、今度は手術後のもう一つの山場である。手術の際に止血のために鼻の奥に詰められていた大量のガーゼを取り出すのだけれど、前回の手術の時はこの作業がとても辛かったのを覚えている。ピンセットでガーゼの端を挟んでもちろん少しづつ取り出すのだけれど、癒着している部分もあって何度も痛い思いをした。

 しかし、今回は休憩をはさみながら三回に分けて慎重に作業をしてくれたので恐れていたほどのことは無く一安心。ガーゼを全部取り除いた時点で医師が何やら蓋のあいたビンをぼくの鼻先に近づけて「これ匂いますか?」と聞いた。まったく何の匂いも感じられないので「いいえ、全然」というと分かりましたと言ってビンを戻して、ぼくの両方の鼻の穴に綿球を詰めた。

 「この時点で匂いが感じられることもあるので…、まぁ、一か月くらいかかることもありますから」 あれ、前は一か月から長くて三か月と言っていたような気がするんだけど。縮まったかな。医者にしてみれば、手術前に匂いはダメ元と思ってください、と保険を掛けてあるから…そう、悲壮なニュアンスは無かったけれど…。

 というわけで、手術後に高熱が続いたことはあったが何とか退院して、それでもまだ鼻の孔は綿球でふさがれている。来週外来で診てもらった時に調子が良ければ、この綿球は取れるはずだ。なにしろ鼻で呼吸できないので苦しいうえに両方の鼻の穴に白い綿球が詰まっているのが傍から見てもよくわかるので、なんか鼻血を出した小学生みたいで、みっともなくてマスクをしないと外出もできない。



 以前、匂いが全く分からない状態を「モノクロの世界のようで現実感が無い」と表現したけれど、開高健のエッセイを読んでいて嗅覚は実は好悪などの直観的できわめてパーソナルな感性を担っていることに気が付いた。視覚や聴覚は感覚器の中でも言わば、あくまでも相対的だがどちらかといえば客観的にものを捉える特質を持っている。

  それに対して味覚や嗅覚は客観的な感覚というよりどちらかといえば人間の「生理」に近いような気がする。記憶や経験や嗜好、それこそ偏見まで含めて自分の生きてきた時間枠の中で蓄積された極めてパーソナルな部分が露出してくる。視覚や聴覚には「傍観」とか「傍聴」などいわば客観的スタンスで受容することを表す言葉があるのに対し、「傍嗅」などという言葉は無い。

 それじゃあ、主に視覚と聴覚に頼っている今のような状態は、主観的でパーソナルな嗅覚や味覚に邪魔されないのでものを以前よりも客観的に捉えられているかというと、ぼくの場合客観性の方に傾くのではなくて、非現実感の方に大きく振れてしまっているようなのだ。考えてみれば通常、現実というのは誰にとっても一律に同じなわけではなくて、それは常に自己というフィルターを通しての認識なので、一種の自己フィルター装置である嗅覚がなくなれば、それにつれて現実感も無くなるのは当たり前といえば当たり前であるかもしれない。

 学問的には良くよからないけれど、ぼくらが日々体験している「現実感」というヤツは実は嗅覚や味覚というエゴがフル回転している生理的な感覚があって、その上に視覚や聴覚のより客観的な感覚が乗っかって初めてちゃんと成立するのではないかと感じている。これは旅をしてみると実によくわかる。新しい土地に着くとまず鋭敏に働き出すのは嗅覚であり、味覚である。逆に言えばこれが働かないと旅をしている実感も薄れてくるのだ。なんとか…ならないかなぁ。
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 *入院中暇なのでネットで調べていたら、嗅覚はゼロになっても障害には認定されないようです。客観的な測定方法の問題もあるのかもしれないけれど、調香師やソムリエならずとも料理人や食品関係やある種の工事関係など職業自体が困難になることもあると思うんですが…。それでなくてもぼくもペンキ塗やボンベのガス漏れでも怖い思いをしたこともあります。嗅覚がゼロになるということは、単に生活が味気なくなるとか、リスクを察知しにくくなるということだけではなくて、日常生活の中で現実感をも喪失したストレスに晒されているのだということは、中々理解してもらえないようです。

  **嗅覚がゼロになると、実は味覚の方も感覚的には半分位になってしまう感じです。モノを食べ、咀嚼している時に口腔の中から鼻腔に上がって来る香りを潤沢に含んだ空気は言わば味覚の一部のようなもので、それが一切感じられないというのが味覚を鈍くする一因でもあります。



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眠り Der Schlaf [新隠居主義]

眠り Der Schlaf

 
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おお 、人間よ! しかと聞け !
深い真夜中は何を語るか?
「わたしは眠りに眠り- 、
深い夢から 、いま目がさめた 、-
この世は深い 、
 『昼 』が考えたよりもさらに深い 。
この世の嘆きは深い-
しかしよろこびは - 断腸の悲しみよりも深い 。
嘆きの声は言う 、 『終わってくれ ! 』と 。
しかし 、すべてのよろこびは永遠を欲してやまぬ - 、
深い 、深い永遠を欲してやまぬ!」

O Mensch! Gib acht!
Was spricht die tiefe Mitternacht?
≫Ich schlief, ich schlief -,
Aus tiefem Traum bin ich erwacht:-
Die Welt ist tief,
Und tiefer als der Tag gedacht.
Tief ist ihr Weh-,
Lust-tiefer noch als Herzeleid:
Weh spricht: Vergeh!
Doch alle Lust will Ewigkeit-,
-will tiefe, tiefe Ewigkeit!≪

(ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』第四部「酔歌」より/氷上英廣訳)


 
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  このフリードリヒ・ニーチェの詩はツァラトゥストラの最終部分に出て来るのだけれど、マーラーの第三交響曲第4楽章のところでも歌曲としてアルトで歌われておりぼくの好きな曲でもある。

  実は一週間ほど前から入院して嗅覚の手術を受けている。この病院で手術を受けるのは頸の手術以来今回で4度目になるのだけれど、手術の際に全身麻酔を体験するたびに奇妙な感覚に襲われる。

  手術で顔がパンパンに腫れたお見苦しい写真は手術直後、病室に戻って来た時のスマホでの自撮り写真なのだが、この時はまだ少し意識が朦朧としている。頭の中には手術台に乗った時までのことしか残っていないのだ。

  全身麻酔は当たり前のことだけれど決して睡眠ではない。その間のことは恐らく記憶のどこにも残っておらず、それは敢えて言えば一時的な死という感じだ。麻酔から醒めた時、頭脳は一生懸命その空白を埋めようとあがくのだけれど、それは無駄な努力に終わる。

  ぼくは風邪をひいた時や、疲れ過ぎた時には食事も取らずに18時間くらい爆睡することがあるのだけれど、少なくともその時には睡眠の自覚もあるし、ぼくの場合その間に見た夢も大方覚えていることが多い。

  全身麻酔が痛みも感じず天国での死のようだとすれば、その覚醒後にやって来る間断無い痛みと、それを抑制するために投与される鎮静剤によってもたらされる眠りは、今度は現世の悪夢のような眠りかも知れない。

  ぼくの場合今回それは睡眠というより、うなされるという時間の連続でその間ぼくは何故か大学院の日本語教育の修論の資料が見つからずにずっと探し続けるという無限循環と、高速道路を逆走するというこれまた無限に続くループにはまっていた。

  ニーチェはツァラトゥストラの中で他所でも眠りについて書いている。云く…

  …睡眠をうやまい 、畏れるがいい !これが第一のことである 。そして 、よく眠れない 、夜なかに目をさましている者とつきあうな !

  盗人でさえも人の眠りをさまたげることを恥じている 。夜中に 、盗人は足を忍ばせて歩く 。
  しかし夜番は恥知らずだ 。恥知らずにも 、その角笛をふきまわる 。

  眠ることは 、決して容易なわざではない 。そのためには 、なにしろ一日じゅう起きていなければならない。…
  (ニーチェ同著、徳の講壇より/氷上英廣訳)

  まあここら辺は、ニーチェが「眠り」の名を借りて、先人の大哲学者ヘーゲルを揶揄してるようにも取れるのだけれど…。そんな哲学的な意味でなくとも、入院するような状況に置かれると如何に健全な眠りが大事で貴重なものか実感させられるのだ。


 
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  *再手術なのでちょっと手間どったようですが、匂いが戻るかは微妙です。医者からは匂いはダメもとと思ってくれと言われてますから。
  ぼくとしては、手術前に麻酔医が最後にさらっと言った言葉の方がショックでした。「あ、それから手術中に付ける人工呼吸器のテープが外れると命に関わりますからお髭は全部剃っておいてくださいね」え? 考えていなかった。前回は言われなかったのに…。
  術後、ちょっと高熱が続いてるので感染症の心配もあり、退院はもう少し後になりそうです。

  **この病院での手術はこれで4度目ですが、いつも入院するたびに感謝です。もちろん看護師さんや医師への感謝もあるけど、それ以上に食べられたり、歩けたり、笑えたり、匂いがかげる等、あたり前の日常がいかに得難く、そしてありがたいかに感謝です。
  今回の手術は再手術なので、骨が(頭蓋骨の一部)前回の手術で弱っており今回の手術中に折れる恐れがある、その時は血液成分でできた糊(生物学的組織接着剤というらしいです)を使いながら成形するといわれています。すごいなぁ。もうすぐ97歳になる母より先に逝くわけにはいかないので頑張ります。


 

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ビーダーマイアー現象 [新隠居主義]

ビーダーマイアー現象

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 ■「会議は踊る。されど進まず」。リーニュ侯爵の名言で知られる一八一五年のウィーン会議は、革命とナポレオンに搔き乱されたヨーロッパの再建策として催された。だが会議を牛耳ったメッテルニッヒは、革命はもちろん、民主的改革を憎み恐れることなはなだしく、王政復古を企み、旧体制、旧秩序の復活と延命にこれ務めて各国市民階級の期待を裏切った。…
   (「愉しいビーダーマイヤー」前川道介/クラテール書房)
 

 今から200年くらい前のオーストリア、ドイツにビーダーマイヤと呼ばれる文化的特徴をもったごく短い時代が存在した。具体的にはメッテルニヒが活躍したウィーン会議(1814年)から1848年革命までの期間となるのだけれど、その最盛期は1830年代までくらいかもしれない。

 ビーダーマイヤーと呼ばれる時期は短いけれど、それは家具や文学、服装や絵画の領域においてビーダーマイヤー様式というスタイルとして残っている。ビーダーマイヤー様式の絵画はベルリンの旧国立美術館やウイーンのオーストリア・ギャラリー(ヴェルヴェデーレ上宮)でも数多く見ることができる。

 実はビーダーマイヤー様式という立派な名前がついているけど、そこには「取るに足らない」とか「小市民的な」とかちょっと侮蔑的なニュアンスが含まれて居る。これはその文化を作り出した時代背景が大きく関わっていると思う。ビーダーマイヤー時代は別の言い方をすれば反動的時代と言ってよく、フランス革命で盛りあっがっていた市民社会の期待が王政復古によって打ち砕かれ人々の政治への希望、関心が薄れていた時代だ。

 人々の関心は日常の身の回りの事物に移っていった。日常的で簡素で小市民的なものに喜びを感じる感性が湧きあっがってきた。もちろんこれを逃避と見ることもできるし、本当の幸せは立身出世や大時代的な英雄譚にあるのではなく、ごくありふれた身の周りにあるのだという、新たな幸福感の成立と見ることもできるかもしれない。ぼく自身はビーダーマイヤーに関心があるし、そのスタイルも嫌いではない。

 あ、これって何か今の状況にすごく似てはなくないか。胸をふくらませて迎えた輝かしいはずの21世紀は、その期待とは裏腹にテロと民族戦争、そして宗教戦争の世紀の様相を呈している。加えてあのアメリカばかりか南の国でも北の国でも反動的で強権的政治指導者が台頭してきている。世界中で反動のマグマが蠢いているようだ。

 毎日そういう情報に触れていると段々と心が重くなって、それが積み重なってストレスを生み出していると自分でも認識できる程になっている。加えてここのところ母の身体の具合もあまりよくなく、かつ自分の体調も手術を前にしてすぐれないのでどうしても気持ち的に落ち込んでしまう。何とか上向かせようとしているのだけれど…。

 そんな時、この間お風呂場の洗面所のタオルを新しく変えて、これってなんか好いなぁ、と思ってどこか少し心が軽くなった。でも次の瞬間、あ、いかん、これは自分の心の中のビーダーマイヤー現象みたいなもんの始まりかもしれない。もちろん、身の周りの細かい事に目を向けてそこにささやかな美や喜びを見出すのは意味のあることだし、それがそもそもぼくがこのブログを始めた端緒でもあるのだけれど…、でもそれが逃げ道になってはいけないなぁ。逃げ道になってはいけない、でも今のほくは日常のいわゆる些細なことこそが人生の実相だと思っていたりもして。


 しかし時代というものは不思議なもので、その中にいるとわからないけれど何年か何十年か経って一定の距離を置いてみると、現像液の中から次第に姿を現す印画紙の映像のようにその姿が立ち上がってくる。何十年か経って振り返って今の時代を見た時、今が第二のビーダーマイヤー時代に見えてくる、ということもあるのかもしれない。

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*この時代の詩人シュティフターは短編集「石さまざま」の序文の中で
次のように延べ、いかに日常的な事象に目を向けることが大切か述べています。

「…雷雨、稲妻、爆発する火山といった壮絶あるいは壮麗な光景より、
風のそよぎ、小川のせせらぎ、緑の草木、空の輝き、
星の輝きのほうが偉大なのてある。
嵐のような現象は特別なもので、過ぎてしまえばどうということはない。
それよりささやかな現象に現れている普遍的な「柔和な法則」を追及してこそ、
初めて真の驚異に対して目が開かれる。…」

ここら辺にもビーダーマイアー時代の価値観が生きているような気がします。


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