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断捨離 [新隠居主義]

断捨離


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 ここ数年、断捨離と称して三十年分の文芸春秋を処分したり、押し入れや天袋を覗いて昔のダンボール箱を開けてみたり…そのたびに何かしら昔の捨てたはずのもの等が出てきたりして片付けは一向にはかどらない。先週は古びたダンボールの中から1964年の東京オリンピック大会の新聞のスクラップが大量に出てきた。

 閉会式の日の新聞の一面は閉会式の模様と当時の池田首相が病気で辞任するかどうかというような記事。オリンピック種目では体操女子のチャフラフスカ選手の写真のスクラップがたくさんあったのでその頃のぼくは彼女に夢中になっていたのかもしれない。よくは憶えていないのだけど…。

 昨日、ぼくのブログのサイドバーに載せている「I remember...」に4月29日がアルフレッド・ヒッチコックの命日なのでその記事を書いていて、そう言えば大昔ヒッチコックの写真を表紙に載せた映画の同人誌みたいなものを創ったことがあったんだけど、あれってどこかにまだあるのかな、と気になって今朝起きるなり部屋の天袋や地袋を探してようやくそれが二冊残っていたのを見つけ出した。


 もう三十年くらい昔になるけど、ぼくが以前勤めていた会社の企画部門に居た頃、会社の映画好きの数人の仲間と映画の同人誌を作ろうという話になった。彼らと退社後会社の近くの飲み屋で飲んでいるとき、上司の悪口なんかより映画の話の方が盛り上がっていたのでそういうのを何か形にしたいねとは話していた。

 話を切り出した手前とりあえずぼくが編集長ということになって原稿の準備に入ったんだけど、「編集会議」と称する飲み会は毎回盛り上がるんだけど、ちゃんと原稿を出して来たのは一人くらいであとは一向に原稿が入ってこない。春ごろから始まって夏過ぎても原稿はパラパラ状態。このままでは飲み屋でのただの戯言になってしまう。

 結局ぼくの方で「編集会議」を座談会風にテープ起こしをしたり、他の人の分の穴埋め原稿を書いたり、はては表紙のデザインもやって、大学時代の印刷業の友達や製本屋の友達に格安で作業を頼んだりして、年末にやっと本が完成した。その後も仕事の忙しさにかまけて、この「AMENIC」は創刊号だけで終わってしまったんだけど、その二冊がまだ残っていて押入れの奥から出てきたと言う訳だ。今読んでみるとちょっと恥ずかしいくらいだけど、あの頃が一番楽しかったのかもしれない。


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 *最近は世界遺産や京都観光など「○○検定」というのが盛んですが、このAMENICの中でもお遊びで映画検定的なものにチャレンジし、それにたいする傾向と対策と称して例えば下のような問題集もいれました。今となっては、いささか作品が古いので恐縮です。

【設問2】左の作品の原語タイトルを右の中から選びなさい。(各1点=10点)
1.大いなる西部            A.WITNESS OF THE PROSECUTION 
2.明日に向かって撃て!   B.SUDDEN IMPAKT
3.情婦                       C.WATERLOO BRIDGE
4.ダーティーハリー4      D.BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID
5.遊星Xからの物体       E.BONNIE & CLYDE
6.哀愁                       F.THE BIG COUNTRY
7.俺達に明日はない      G.THE THING
8.出逢い                    H.ON GOLDEN POND
9.黄昏                       I.THE SECRET OF MY SUCCESS
10.摩天楼はバラ色に     J.THE ELECTRIC HORSEMAN

**同人誌のタイトルの「AMENIC」はCinemaの逆さに読んだアナグラムです。なんともイージーなネーミングでした。
***JTIというのはJapan Total Image Instituteというその時の同好会の大仰な名前でした。ロゴまで作ったりして…。

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気持ちの引き出し [新隠居主義]

気持ちの引き出し

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 写真を撮る者の性みたいなもので、雪が降ったと言っては、桜が咲いたと言ってはカメラを担いで飛び出したくなるみたいだ。それはすごくエキサイティングで楽しいことだし、今度桜が咲いたらもっと違う切り口で撮ってみせるぞ、みたいな先への楽しみも生み出してくれるのかもしれない。

 絶景や決定的瞬間をものにできたときの喜びはいかばかりのものか。ぼくにはそんなショットは正直一枚もないけど、かといってそれで落胆しているというわけでもない。最近、遅ればせながら写真が巧くなりたいと思うようになったのだけれど、それはなんとかもっとその時の自分の気持ちが写らないものかと思うようになったからだ。

 ぼくにとって写真は昔からいわばぼくの気持ちの引き出しみたいなものだから、仕事を辞めてから今度はデジタルで写真を撮り始めた時もそんなことが頭から離れなかった。もちろんすばらしい景色を撮ったり、友人たちと撮影に行くのもそれはそれで無上の喜びなのだけれど、できれば後でその時の写真を見てそのときの自分の気持ちがよみがえってくるようなものにしたいのだけれど…。

 ぼくは絵画で言えばボナールのようなナビ派的な一面を持っている写真家のソール・ライターが好きなのだけど、彼のこの言葉も大好きだ。

 ■ 写真はしばしば重要な瞬間を切り取るものとして扱われたりするが、写真とは本当は終わることのない世界の小さな断片と想い出なのだ。(ソール・ライターの全て/急がない人生で見つけた13のこと)  
 Photography are often treated as important moments but really they are little fragments and souvenirs of an unfinished world.(All about Saul Leiter/In No Great Hurry)

 で、今までの自分の写真を見直していくと中には確かにその時の自分の気持ちが何となく写っているような気がするものもあるのだけど、何か大事なものが欠けているような気がしてきた。それはもしかしたらライターの言うsouvenirs of an unfinished world、つまり延々と続く日常の中の想い出(彼はスーベニアという言葉を使っているけど)の瞬間みたいなものが表現されていないからかもしれない。

 それにはまずは今のぼくには欠けている技術的なものがしっかりとしていなければならないのは確かだけれど、もう一つはぼくのものの見方自体の問題がありそうだ。もっと腰を据えて自分を取り巻いている世界に目を向けて、そこにこの世界のスーベニアの瞬間を見つけるようにしなければならないのかもしれない。ライターはこうも言っている。

 ■ 重要なのは、どこで見たとか、何を見たとかいうことではなく、どのように見たかということだ。(ソール・ライターの全て/急がない人生で見つけた13のこと)
  It is not where it is or what it is that matters but how you see it.(All about Saul Leiter/In No Great Hurry)

 自分の人生が終わるまでに何枚かそんな写真が撮れたらいいのだけれど…。


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生命 (いのち) [新隠居主義]

生命 (いのち)

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 昨日、が退院してひと月ぶりに元のケアハウスに戻った。ひと月前、食事中に突然意識を失い心肺停止状態になった。それでもAEDと心臓マッサージによって息を吹き返し、救急病院のICUに運び込まれた。その時は意識もなく、体にもチアノーゼがでていた。98歳の誕生日の直後だった。

 退院と言っても治ったわけではなく、今後は以前のように口からモノが食べられるようにはならないということで、点滴だけで命を繋いでいることに変わりはないのだけれど…。ドクターからは心肺停止の時間があり、その間脳に酸素が行っていないので意識もどうなるか分からないとも言われていた。

 昨日、自動点滴器やタンの吸入器などの医療機材を部屋に搬入して、今日は自分の部屋のベッドで落ち着いている。今居る処は、もともと医療機関の系列のケアハウスなので看護師も常駐しているから、これからは自室でケアしてもらえるというのがありがたい。

 これ以上母に辛い思いはさせたくないのであとは母の生命力を見守るのがぼくらの役目だ。 でも、カミさんが耳元で「おはよう」と言ったら、かすかに「おはよう」と応えてくれた。そして、あとはまた深い眠りのような世界に戻っていった。



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少しお休みします [新隠居主義]

少しお休みします

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 ■ かなしみ

 あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
 何かとんでもないおとし物を
 僕はしてきてしまったらしい

 透明な過去の駅で
 遺失物係りの前に立ったら
 僕は余計に悲しくなつてしまった

 Sadness
 
Somewhere in that blue sky
 where you hear the sound of the waves,
 I think I lost something incredible.

 
Standing at Lost and Found
 in a transparent station of the past.
 I became all the sadder.

 (谷川俊太郎 『二十億光年の孤独』 英訳 William I. Elliot and Kazuo Kawamura)

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 先日、母の98歳の誕生日の翌週に母が突然意識を失い病院に救急搬送されました。

 幸い命はとりとめて今も入院中なのですが、高齢のこともあって予断を許さない状況です。

 暫くの間ブログの更新の方をお休みさせていただきます。



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A Happy Birthday to Ma! [新隠居主義]

A Happy Birthday to Ma!

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  今日は母の98歳の誕生日だった。母が生まれたのは大正9年、西暦でいえば1920年。その年はアメリカであの悪名高き禁酒法が施行され、合衆国憲法修正第19条が発効し、始めて女性参政権が認められた年でもある。

 一方、日本では第一次世界大戦後の戦後恐慌で株価が大暴落、多くの銀行で取り付け騒ぎが起きた。そして三年後にはあの関東大震災が起きお袋も被災したらしい。それからもさらに大変な変化が待っていたのだけれど…。

 全てが破壊されてゼロからスタートした敗戦直後のぼくらの世代だって、閉塞感の強い時代を生きる今の現役世代だってどの世代が一番大変ということは無いけれど、それでもお袋の世代は今のぼくたちには想像もできない苦労があったんだろうなと思う。 …なにはともあれ、お誕生日おめでとう。


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謹賀新年 [新隠居主義]

謹賀新年

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病院の身売り [新隠居主義]

病院の身売り


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 縁あってもう三十年近くお世話になっている病院がある。その病院でもう三回手術を受けたこともあるし、現役時代の最後の方は過労で頸椎症が悪化するので毎年のように年に一度は一月近く入院していたこともある病院だ。その病院が十月に突然他の病院グループに身売りすることが決まった。

 ぼくが通っていたその病院は企業名を冠した大病院でそのもとの企業の再建のためという事らしい。日本でも有数の大手メーカーで経営の失敗から急速に会社がおかしくなってしまった。昔ぼくも一年ほどその本社で仕事していたこともあって親近感のある企業だったが…。数年前に医療事業部門も手放し、従って病院も用無しになったのか残念なことではある。

 …というと他人事みたいだが、ぼくにとってはそれが切実な問題になってしまった。この歳になって医療難民のようになろうとは思ってもいなかった。現在ぼくが通院しているのはその病院だけなのだけれど、大きい病院なのでそこで複数の診療科にかかっており、いずれも長期間の通院が必要となっているのだが、病状が安定しているという理由で来年の一月一杯で他の病院に転院するように言われてしまった。嗅覚もゼロだし、いまだ胸のつかえの原因も結局分からずじまいなのに。転院先は自分でネットで探してくれと。

 発端は消化器科の医師に自分は三月で辞めるので、あとはぼくが今かかっている内分泌内科の医師に引きついでおくからとのことだったが、翌週その内分泌内科の医師の診察の際に、今度はこの病院が売却されるので内科ではこのままだと内科医が不足しており、買収後は病院の性格も変わるようなので他の病院へ行くように言われてしまった。ここに長年通っておりこの病院に自分の膨大な医療データがあること、何度もこの病院の治験にも協力してきたこと等も伝えたのだけれども、その医師も今後のことは自分でも責任が持てないから変わった方が良いと言われた。

 翌週、昨年手術をしてもらった別の科の医師の診察のときにも、その医師も三月で辞めるので紹介状を書くから他の病院に行くようにと…。さらにもし何かこの病院の他の医師の動向等の情報が分かったら教えてほしいとも言われた。どうやら医師の間にも詳しい情報は伝えられていないようだ。そんな医師の不安感はダイレクトに患者にも伝わってくる。この病院にはずっと感謝もし、信頼もしていたのだけれども、ぼくにとってあまりにもあっけない幕切れとなった。

 この病院には個人的にもいろいろな思い入れがあり、ぼくの人生の大きな山場を何回かこの病院のベッドの上で迎えた。このブログでも何度かそのことにも触れてきた。せめてもの救いは内科の医師が、来年一月に自分の最後の内視鏡チェックを責任を持ってやると言ってくれたこと位いか。買収後の病院は収益の見込める長期リハビリ分野に的を絞ることになるらしい。この年の瀬に世知辛い状況になってしまった。


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[Blog Review その時ぼくはこの病院にいた…]

病棟の夜  (2016)
眠り Der Schlaf  (2016)
香り無き世界 (2016)
病院の朝  (2011)
エレベーター  (2009)
病院閑話  (2009)
Blackout  (2009)
病院の桜  (2006)
レクイエムを残して  (2005)



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うしろ姿のしぐれてゆくか [新隠居主義]

うしろ姿のしぐれてゆくか

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 ■ うしろ姿の しぐれてゆくか (種田山頭火)

 

 1931(昭和6)年12月31日、山頭火は行乞の旅の途中にあり九州の飯塚にいた。自堕落な自分を奮い立たせて行乞の歩みを進めるが、ともすればすぐに俳句仲間の処などで深酒をし自堕落な自分に戻ってしまう。大晦日の俳句ノオトには「自嘲」という言葉に続いてこの句「うしろ姿のしぐれてゆくか」という句が収められている(行乞記二)。行乞の旅でこの師走に安宿に逗留している山頭火の脳裏には寒々とした時雨の中を行く自分自身の後ろ姿が浮かんでいたのかもしれない。

 一方、絵の世界で後ろ姿を描く画家といえばまず脳裏に浮かぶのはデンマークの画家ヴィルヘルム・ハンマースホイだろう。彼はコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地にあった自宅内を多く描いているが、その室内における妻のイーダの後ろ姿を何枚も描いている。現在国立西洋美術館に展示されている彼の作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」もそのような絵の一枚だ。白い扉の向こうで妻のイーダがピアノを弾いている後ろ姿。しかし、イーダはピアノの前には座っているけれど本当にピアノを弾いているようには見えない。画面を静寂が支配していてぼくにはピアノの音は聞こえてこない。言わば静謐だがどこか不安な空気が画面を覆っている。

 ドイツの画家カスパー・ダーフィド・フリードリヒも人物の後ろ姿をよく描いているが、彼の場合の後ろ姿は絵の登場人物が絵を観ている人と同じ方向を見つめるという関係に置くことによって、あたかも絵を観ている人が画中の人物になって彼の視線を通じて絵の中の情景を見つめ体験しているような感覚になる事を意図していると思う。

 またアングルロートレックドガムンクそして、アンドリュー・ワイエスなども人物の後ろ姿を描いている。それらは絵の鑑賞者の視線の代理というよりは、その背中自体の表情で何かを語らせている。それはモデルの存在感であったり、安らぎであったり、孤独や拒絶であったり、生きることのプライドであったり…。それらは時に顔の表情に劣らず多くの事を語ってくれる。また時として顔の表情は人を欺くが、背中は正直だ。


 大昔の1971年の冬、クリスマス休暇をウェールズの友人の実家で過ごした帰りにロンドンに寄ったことがある。年が変わって1972年1月1日になってピカデリーの近くのロイヤル・ヘイマーケット劇場で演劇を見た。演目は「A Voyage round my father(父を巡る旅路)」 主人公の頑固な父親を演じたのがアレック・ギネスだった。劇はもちろん英語で行われていたので細部はよく分からなかったけれど、素晴らしいラストシーンだけは今も鮮明に脳裏に残っている。

 真っ暗な舞台の中央に背もたれのある木の椅子が客席に背を向けるかたちで置かれている。スポットライトに浮かび上がったその椅子にはギネス扮する年老いた父親が座っている。やはり観客に背を向けて座り観客には彼の背中とイスの肘かけの上に載せた左右の手しか見えない。舞台には子供の楽しそうな声や海風の音、明らかにその老人の人生の回想シーンが音だけで流されている。

 どのくらいの時間それが続いただろうか、やがて音が止んで、静寂がおとづれ劇場内は緊張した空気に包まれる。観客の全ての視線がその老人の後ろ姿に注がれた時、老人の片方の手からふっと力が抜けて掌が少し上向き加減になった。観客がそれが老人が今息を引き取ったことを意味するのだという事に気が付くのにそれほど時間はかからなかった。その時ギネスは後ろ姿と片手だけで人生の終焉を演じ切った。暫くして静かに幕が下りる。そして鳴り止まない拍手。忘れられないラストシーンだった。後ろ姿には物語がある。


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 *「父の背中を見て育つ」など日本人には昔から後ろ姿への独特の思い入れのようなものがあるように思います。考えてみると、それは寡黙なことが良いとされた日本的風土の中で相手の心を言葉以外のものでも読み解こうとする文化的伝統のようなものがあったのかもしれません。

 そんな高尚なものではないんですが…、ぼくも写真を撮る時無意識に人物の後ろ姿を追ってしまいます。素人写真では普通モデルは使えないので、街なかのスナップなど事前・事後に了承を得て正面から撮ることはありますが、自分の力ではその大抵のものはいかにも記念写真的なものになってしまうような…。もちろん、時間をかけて相手との人間関係を作ったり、瞬時に相手との心理的距離を縮めることが巧みであればいいのですが、ぼくにはまだ、まだ…。

 それにぼくが何よりも後ろ姿に惹かれるのは、そこに作為がなく、かつ何がしかの物語を想像もしくは創造しうる余地がありそうな気がするからです。それが自分なりに大切にしている写真の画面の外に広がってゆく物語の予感みたいなものを与えてくれそうな気がしています。自分の写真の中ではたとえその後ろ姿が小さく写っていたとしても、その意味も同じようには小さいとは思っていません。絵画においてもしかりだと思ってます。



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Urban twilight [新隠居主義]

Urban twilight

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 最近家を出るのが億劫に感じる時がある。特に午後から約束があって出ていくようなこともあるのだけれど、午前中を家でダラダラと過ごしたあとに出かけてゆくのはちょっと自分の身体と心に活を入れて出ださないといけないみたいだ。日本語学校に行くというようなルーティンの行動は最初からそのつもりでいるから良いのだけれど、止める気なら自分さえそう決めればそれで済むようなことは、ともすれば止めてしまいたい衝動に駆られることもある。


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 日日

  ある日僕は思った
  僕に持ち上げられないものなんてあるだろうか

  次の日僕は思った
  僕に持ち上げられるものなんてあるだろうか

  暮れやすい日日を僕は
  傾斜して歩んでいる

  これらの親しい日日が
  つぎつぎ後ろへ駆け去るのを
  いぶかしいようなおそれの気持ちでみつめながら


  Days

  One day I wondered if there was something
  I would be unable to lift.

  The next day I wondered if there was anything
  I would be able to lift.

  As days lead toward darkness
  I walk on slumped over.

  watching, with doubt and fear,
  those familiar days gallop away backward,
  passing me by, one after another.

   (「二十億光年の孤独」谷川俊太郎/W.I.エリオット訳、集英社)


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 歳をとるということは、こういうことなんだろうか。ずっとこうだと、段々と精神もそのような身体について行ってもう少し楽になるのかもしないけれど、まだそんな境地にもなれない。天気の良い朝なぞは意味もなく「まだやれる感」が頭をもたげ身体を置き去りにして前のめりに走り出す。旅に出たいなんて思うときは、たいていこんな朝だ。

  この間の朝もそんな日だった。前の晩に億劫なので止めようと決め込んでいた新宿行きを、やっぱり行くことにして昼前にポケットにGRDだけをほうりこんで家を出た。駅まで来ると何となく身体が動き始めた。

 新宿で用を済ませた頃にはもう陽が傾きかけていた。まっすぐ帰ろうとも思ったけれど、出たついでなのでいつものように秋葉原をちょっと覗いてから帰路に就いた。秋葉原の駅のプラットホームから空を見上げるともう青い夜がそこまで来ていた。どこかヨーロッパの夜を思わせるように青い夜。この空は家にいては見られなかったかもしれないなぁ。



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東岳寺 一日だけの広重展 [新隠居主義]

東岳寺 一日だけの広重展

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 この間散歩がてら近くの寺、東岳寺に寄った。そこには歌川広重のお墓があってよく前は通るのだけど中に入ってお墓に参ったのはその時が初めてだった。ぼくの子供の頃には学校では安藤広重と習ったはずなのだけれど、実際には広重は絵師としては安藤姓を名乗ったことはないらしく、今では歌川広重ということになったらしい。

 広重のお墓の隣には寄り添うようにしてアメリカ人ジョン・スチュアート・ハッパーのお墓もある。余り知られていないけれど広重に魅せられて40年以上日本に住み西洋に広重を紹介した功績者でもある。広重に焦がれて最後は名前も広重ハッパーと名乗っていたこともあって、没後広重の傍にお墓が作られたそうだ。彼の著書「Japanese Sketches and Japanese Prints(1934)」は今でもペーパーバックで手に入るようだ。


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 実は先だってここに来た時に、数年前から広重の命日である9月6日にはこのお寺で「一日だけの広重展」をやっているというので来てみたのだ。午後からは広重の法要があると聞いていたので昼前に来てみると、既に数人の見学者が来ていて、展示場ばかりでなく広重の墓の前や境内でも墓参の人たちの姿も見られた。

 展示は本堂ではなくて、お寺の座敷の方に広重の版画が展示されている。展示物は神田の古書店からこの日限りに借り受けたもの等で、入場は自由で座敷にはソファも置いてあってゆったりと観ることができる。展示点数はそう多くは無いけど、広重の墓所で見る「東海道五十三次乃内 庄野の白雨」などは感慨深いものがあった。

 この寺もそうだけれど、ここら辺は関東大震災の後浅草のお寺が多数移転してきて寺町になっている。近くには先代三遊亭圓楽の実家の寺で彼のお墓もある易行院や林家三平や父の七代目林家正蔵のお墓がある常福寺もある。また、散歩の折に寄ってみようと思う。


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