So-net無料ブログ作成
検索選択

香り無き世界 [新隠居主義]

香り無き世界
duft01rs.jpg

 ■ …味覚と嗅覚には無数の段階があります。記憶、経験、主観、偏見、演出、無数の要素によって好悪が一瞬に決定されます。 (開高健 「白いページⅡ」)



 手術から数日経って、今度は手術後のもう一つの山場である。手術の際に止血のために鼻の奥に詰められていた大量のガーゼを取り出すのだけれど、前回の手術の時はこの作業がとても辛かったのを覚えている。ピンセットでガーゼの端を挟んでもちろん少しづつ取り出すのだけれど、癒着している部分もあって何度も痛い思いをした。

 しかし、今回は休憩をはさみながら三回に分けて慎重に作業をしてくれたので恐れていたほどのことは無く一安心。ガーゼを全部取り除いた時点で医師が何やら蓋のあいたビンをぼくの鼻先に近づけて「これ匂いますか?」と聞いた。まったく何の匂いも感じられないので「いいえ、全然」というと分かりましたと言ってビンを戻して、ぼくの両方の鼻の穴に綿球を詰めた。

 「この時点で匂いが感じられることもあるので…、まぁ、一か月くらいかかることもありますから」 あれ、前は一か月から長くて三か月と言っていたような気がするんだけど。縮まったかな。医者にしてみれば、手術前に匂いはダメ元と思ってください、と保険を掛けてあるから…そう、悲壮なニュアンスは無かったけれど…。

 というわけで、手術後に高熱が続いたことはあったが何とか退院して、それでもまだ鼻の孔は綿球でふさがれている。来週外来で診てもらった時に調子が良ければ、この綿球は取れるはずだ。なにしろ鼻で呼吸できないので苦しいうえに両方の鼻の穴に白い綿球が詰まっているのが傍から見てもよくわかるので、なんか鼻血を出した小学生みたいで、みっともなくてマスクをしないと外出もできない。



 以前、匂いが全く分からない状態を「モノクロの世界のようで現実感が無い」と表現したけれど、開高健のエッセイを読んでいて嗅覚は実は好悪などの直観的できわめてパーソナルな感性を担っていることに気が付いた。視覚や聴覚は感覚器の中でも言わば、あくまでも相対的だがどちらかといえば客観的にものを捉える特質を持っている。

  それに対して味覚や嗅覚は客観的な感覚というよりどちらかといえば人間の「生理」に近いような気がする。記憶や経験や嗜好、それこそ偏見まで含めて自分の生きてきた時間枠の中で蓄積された極めてパーソナルな部分が露出してくる。視覚や聴覚には「傍観」とか「傍聴」などいわば客観的スタンスで受容することを表す言葉があるのに対し、「傍嗅」などという言葉は無い。

 それじゃあ、主に視覚と聴覚に頼っている今のような状態は、主観的でパーソナルな嗅覚や味覚に邪魔されないのでものを以前よりも客観的に捉えられているかというと、ぼくの場合客観性の方に傾くのではなくて、非現実感の方に大きく振れてしまっているようなのだ。考えてみれば通常、現実というのは誰にとっても一律に同じなわけではなくて、それは常に自己というフィルターを通しての認識なので、一種の自己フィルター装置である嗅覚がなくなれば、それにつれて現実感も無くなるのは当たり前といえば当たり前であるかもしれない。

 学問的には良くよからないけれど、ぼくらが日々体験している「現実感」というヤツは実は嗅覚や味覚というエゴがフル回転している生理的な感覚があって、その上に視覚や聴覚のより客観的な感覚が乗っかって初めてちゃんと成立するのではないかと感じている。これは旅をしてみると実によくわかる。新しい土地に着くとまず鋭敏に働き出すのは嗅覚であり、味覚である。逆に言えばこれが働かないと旅をしている実感も薄れてくるのだ。なんとか…ならないかなぁ。
Duft02rs.jpg

Jokou.jpg


 *入院中暇なのでネットで調べていたら、嗅覚はゼロになっても障害には認定されないようです。客観的な測定方法の問題もあるのかもしれないけれど、調香師やソムリエならずとも料理人や食品関係やある種の工事関係など職業自体が困難になることもあると思うんですが…。それでなくてもぼくもペンキ塗やボンベのガス漏れでも怖い思いをしたこともあります。嗅覚がゼロになるということは、単に生活が味気なくなるとか、リスクを察知しにくくなるということだけではなくて、日常生活の中で現実感をも喪失したストレスに晒されているのだということは、中々理解してもらえないようです。

  **嗅覚がゼロになると、実は味覚の方も感覚的には半分位になってしまう感じです。モノを食べ、咀嚼している時に口腔の中から鼻腔に上がって来る香りを潤沢に含んだ空気は言わば味覚の一部のようなもので、それが一切感じられないというのが味覚を鈍くする一因でもあります。



nice!(34)  コメント(8) 
共通テーマ:アート

眠り Der Schlaf [新隠居主義]

眠り Der Schlaf

 
IMG_0601.JPG

 

おお 、人間よ! しかと聞け !
深い真夜中は何を語るか?
「わたしは眠りに眠り- 、
深い夢から 、いま目がさめた 、-
この世は深い 、
 『昼 』が考えたよりもさらに深い 。
この世の嘆きは深い-
しかしよろこびは - 断腸の悲しみよりも深い 。
嘆きの声は言う 、 『終わってくれ ! 』と 。
しかし 、すべてのよろこびは永遠を欲してやまぬ - 、
深い 、深い永遠を欲してやまぬ!」

O Mensch! Gib acht!
Was spricht die tiefe Mitternacht?
≫Ich schlief, ich schlief -,
Aus tiefem Traum bin ich erwacht:-
Die Welt ist tief,
Und tiefer als der Tag gedacht.
Tief ist ihr Weh-,
Lust-tiefer noch als Herzeleid:
Weh spricht: Vergeh!
Doch alle Lust will Ewigkeit-,
-will tiefe, tiefe Ewigkeit!≪

(ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』第四部「酔歌」より/氷上英廣訳)


 
IMG_0606.JPG


  このフリードリヒ・ニーチェの詩はツァラトゥストラの最終部分に出て来るのだけれど、マーラーの第三交響曲第4楽章のところでも歌曲としてアルトで歌われておりぼくの好きな曲でもある。

  実は一週間ほど前から入院して嗅覚の手術を受けている。この病院で手術を受けるのは頸の手術以来今回で4度目になるのだけれど、手術の際に全身麻酔を体験するたびに奇妙な感覚に襲われる。

  手術で顔がパンパンに腫れたお見苦しい写真は手術直後、病室に戻って来た時のスマホでの自撮り写真なのだが、この時はまだ少し意識が朦朧としている。頭の中には手術台に乗った時までのことしか残っていないのだ。

  全身麻酔は当たり前のことだけれど決して睡眠ではない。その間のことは恐らく記憶のどこにも残っておらず、それは敢えて言えば一時的な死という感じだ。麻酔から醒めた時、頭脳は一生懸命その空白を埋めようとあがくのだけれど、それは無駄な努力に終わる。

  ぼくは風邪をひいた時や、疲れ過ぎた時には食事も取らずに18時間くらい爆睡することがあるのだけれど、少なくともその時には睡眠の自覚もあるし、ぼくの場合その間に見た夢も大方覚えていることが多い。

  全身麻酔が痛みも感じず天国での死のようだとすれば、その覚醒後にやって来る間断無い痛みと、それを抑制するために投与される鎮静剤によってもたらされる眠りは、今度は現世の悪夢のような眠りかも知れない。

  ぼくの場合今回それは睡眠というより、うなされるという時間の連続でその間ぼくは何故か大学院の日本語教育の修論の資料が見つからずにずっと探し続けるという無限循環と、高速道路を逆走するというこれまた無限に続くループにはまっていた。

  ニーチェはツァラトゥストラの中で他所でも眠りについて書いている。云く…

  …睡眠をうやまい 、畏れるがいい !これが第一のことである 。そして 、よく眠れない 、夜なかに目をさましている者とつきあうな !

  盗人でさえも人の眠りをさまたげることを恥じている 。夜中に 、盗人は足を忍ばせて歩く 。
  しかし夜番は恥知らずだ 。恥知らずにも 、その角笛をふきまわる 。

  眠ることは 、決して容易なわざではない 。そのためには 、なにしろ一日じゅう起きていなければならない。…
  (ニーチェ同著、徳の講壇より/氷上英廣訳)

  まあここら辺は、ニーチェが「眠り」の名を借りて、先人の大哲学者ヘーゲルを揶揄してるようにも取れるのだけれど…。そんな哲学的な意味でなくとも、入院するような状況に置かれると如何に健全な眠りが大事で貴重なものか実感させられるのだ。


 
IMG_5589.JPG


gillmans todey.gif

  *再手術なのでちょっと手間どったようですが、匂いが戻るかは微妙です。医者からは匂いはダメもとと思ってくれと言われてますから。
  ぼくとしては、手術前に麻酔医が最後にさらっと言った言葉の方がショックでした。「あ、それから手術中に付ける人工呼吸器のテープが外れると命に関わりますからお髭は全部剃っておいてくださいね」え? 考えていなかった。前回は言われなかったのに…。
  術後、ちょっと高熱が続いてるので感染症の心配もあり、退院はもう少し後になりそうです。

  **この病院での手術はこれで4度目ですが、いつも入院するたびに感謝です。もちろん看護師さんや医師への感謝もあるけど、それ以上に食べられたり、歩けたり、笑えたり、匂いがかげる等、あたり前の日常がいかに得難く、そしてありがたいかに感謝です。
  今回の手術は再手術なので、骨が(頭蓋骨の一部)前回の手術で弱っており今回の手術中に折れる恐れがある、その時は血液成分でできた糊(生物学的組織接着剤というらしいです)を使いながら成形するといわれています。すごいなぁ。もうすぐ97歳になる母より先に逝くわけにはいかないので頑張ります。


 

nice!(50)  コメント(18) 
共通テーマ:アート

ビーダーマイアー現象 [新隠居主義]

ビーダーマイアー現象

room2016brs.jpg



 ■「会議は踊る。されど進まず」。リーニュ侯爵の名言で知られる一八一五年のウィーン会議は、革命とナポレオンに搔き乱されたヨーロッパの再建策として催された。だが会議を牛耳ったメッテルニッヒは、革命はもちろん、民主的改革を憎み恐れることなはなだしく、王政復古を企み、旧体制、旧秩序の復活と延命にこれ務めて各国市民階級の期待を裏切った。…
   (「愉しいビーダーマイヤー」前川道介/クラテール書房)
 

 今から200年くらい前のオーストリア、ドイツにビーダーマイヤと呼ばれる文化的特徴をもったごく短い時代が存在した。具体的にはメッテルニヒが活躍したウィーン会議(1814年)から1848年革命までの期間となるのだけれど、その最盛期は1830年代までくらいかもしれない。

 ビーダーマイヤーと呼ばれる時期は短いけれど、それは家具や文学、服装や絵画の領域においてビーダーマイヤー様式というスタイルとして残っている。ビーダーマイヤー様式の絵画はベルリンの旧国立美術館やウイーンのオーストリア・ギャラリー(ヴェルヴェデーレ上宮)でも数多く見ることができる。

 実はビーダーマイヤー様式という立派な名前がついているけど、そこには「取るに足らない」とか「小市民的な」とかちょっと侮蔑的なニュアンスが含まれて居る。これはその文化を作り出した時代背景が大きく関わっていると思う。ビーダーマイヤー時代は別の言い方をすれば反動的時代と言ってよく、フランス革命で盛りあっがっていた市民社会の期待が王政復古によって打ち砕かれ人々の政治への希望、関心が薄れていた時代だ。

 人々の関心は日常の身の回りの事物に移っていった。日常的で簡素で小市民的なものに喜びを感じる感性が湧きあっがってきた。もちろんこれを逃避と見ることもできるし、本当の幸せは立身出世や大時代的な英雄譚にあるのではなく、ごくありふれた身の周りにあるのだという、新たな幸福感の成立と見ることもできるかもしれない。ぼく自身はビーダーマイヤーに関心があるし、そのスタイルも嫌いではない。

 あ、これって何か今の状況にすごく似てはなくないか。胸をふくらませて迎えた輝かしいはずの21世紀は、その期待とは裏腹にテロと民族戦争、そして宗教戦争の世紀の様相を呈している。加えてあのアメリカばかりか南の国でも北の国でも反動的で強権的政治指導者が台頭してきている。世界中で反動のマグマが蠢いているようだ。

 毎日そういう情報に触れていると段々と心が重くなって、それが積み重なってストレスを生み出していると自分でも認識できる程になっている。加えてここのところ母の身体の具合もあまりよくなく、かつ自分の体調も手術を前にしてすぐれないのでどうしても気持ち的に落ち込んでしまう。何とか上向かせようとしているのだけれど…。

 そんな時、この間お風呂場の洗面所のタオルを新しく変えて、これってなんか好いなぁ、と思ってどこか少し心が軽くなった。でも次の瞬間、あ、いかん、これは自分の心の中のビーダーマイヤー現象みたいなもんの始まりかもしれない。もちろん、身の周りの細かい事に目を向けてそこにささやかな美や喜びを見出すのは意味のあることだし、それがそもそもぼくがこのブログを始めた端緒でもあるのだけれど…、でもそれが逃げ道になってはいけないなぁ。逃げ道になってはいけない、でも今のほくは日常のいわゆる些細なことこそが人生の実相だと思っていたりもして。


 しかし時代というものは不思議なもので、その中にいるとわからないけれど何年か何十年か経って一定の距離を置いてみると、現像液の中から次第に姿を現す印画紙の映像のようにその姿が立ち上がってくる。何十年か経って振り返って今の時代を見た時、今が第二のビーダーマイヤー時代に見えてくる、ということもあるのかもしれない。

room2016rs.jpg


gillmans todey.gif


*この時代の詩人シュティフターは短編集「石さまざま」の序文の中で
次のように延べ、いかに日常的な事象に目を向けることが大切か述べています。

「…雷雨、稲妻、爆発する火山といった壮絶あるいは壮麗な光景より、
風のそよぎ、小川のせせらぎ、緑の草木、空の輝き、
星の輝きのほうが偉大なのてある。
嵐のような現象は特別なもので、過ぎてしまえばどうということはない。
それよりささやかな現象に現れている普遍的な「柔和な法則」を追及してこそ、
初めて真の驚異に対して目が開かれる。…」

ここら辺にもビーダーマイアー時代の価値観が生きているような気がします。


nice!(41)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

時の滴 [新隠居主義]

時の滴

Aweine2016.jpg


 ■ ブドー酒の日々

ブドー酒はねむる。
ねむりにねむる。

一千日がきて去って、
朱夏もまたきて去るけれども、

ブドー酒はねむる。
壜のなかに日のかたち、

年のなかに自分の時代、
もちこたえてねむる。

何のためでもなく、
ローソクとわずかな

われらの日々の食事のためだ。
ハイホー

ブドー酒はねむる。
われらはただ一本空壜をのこすだけ。

  (詩集『食卓一期一会』食卓の物語 / 長田弘)


 酒を「寝かせる」という言い方があるけど、もちろん何でも寝かせれば良いというわけではない。ウイスキーとかワインとか一部の果実酒みたいなのはそれに向いているけど、日本酒やビールは余り寝かせることはしないみたいだ。

 以前ポルトガルの港町ポルトでポルト酒の老舗醸造所Sandemanを訪れたことがある。暗いひんやりとした貯蔵蔵には大樽に詰まった膨大な量のポートワインが寝ていた。寝ていたといっても通常のポートワインはそれほど長く寝かせるものではないらしいのだが。

 その酒蔵の一角に金網で仕切られた区画がありその中にはこれまたおびただしい量のワインボトルが並んでいた。こちらの方はどうやら長い期間寝かせて熟成させるタイプの高級なポートワインが保管されているらしい。

 壜は年代順に並べられているらしく、その一角にぼくの生まれ年である1947年という表示を見つけてなんだか飲んでみたくなってしまった。その時酒蔵を案内してくれていたガイドに「高いんだろうねぇ」と聞くと「ええ、かなりお高いと思いますよ」と素っ気なく言われてしまった。やっぱり高いんだ。

 時は金なり、ということか。しかしまぁ、すべてがアジリティー、つまり俊敏性や即効性が重んじられる現代において、この「眠りは」貴重であり、贅沢でもあるのかもしれない。我が家でもその贅沢を最近発見した。それが写真の果実酒で一番古いものは1990年だからいまから26年前に仕込んだものだ。

 実は数年前に同じころのカリン酒を自分で飲んだり、知人に差し上げたりしたのだけれどそれはもう無いものと思っていた。ところが最近断捨離と称して身の回りのいろいろなところを整理していたら、床下収納と滅多に開けない天袋からまた古いガラス製の大きな壜がでてきた。

 もうすっかり忘れていたけれど、その頃は毎年のようにばあさんカミさんといろいろな果実酒を作っていたなぁ。一番古い1990年カリン酒は叔父の家でなったカリンの実を貰ったものを焼酎につけたものだ。1990年と言えば、ぼくは43歳、ぼあさんだって70歳で今のぼくとほぼ同じ歳だ。

 その年ぼくは会社で長いこと居た企画部門から経営管理部門に移って大きな転機を迎えていた。月並みな表現だけれど死ぬほど忙しくなって家にいることはほとんどなくなった。だからそのカリン酒もぼくは余り手を出していなかったのだと思う。多分カミさんとばあさんで作ったのだろう。

 もう一つの1999年杏子酒の方はほとんど記憶にない。その頃には日本のバブルもはげてぼくは夜も休みもなく走り回っていたころだ。朝は暗いうちに家を出て、帰ってくるのは大体夜中の12時を過ぎてから。心のどこにも果実酒を造る余裕などなかった。でもそんな中でも果実酒は造られて、そしてきっとひっそりと家のどこかにしまわれていたのだろう。

 壜の中にはまだ果実も入っていた。本来はタイミングを見て実を取り出すのだけれどもそれをしていないから、濾してみたけれども微細な澱が残っている。でも、数日壜を静かにしておくと澱が沈んで透明で実にいい色になる。口に含むと微かにえぐみはあるけれど、とても濃厚でまさに「時の滴」の趣がある、と感じた。

 考えてみればその26年間、もちろん時は止まってはいなかった。酒が暗闇の中で過ごした26年間を眠ったと表現してもよいかもしれないけれど、それは停止ではなかった。外界のぼくらの時間は眠ってはいなかった。それどころかそれは激変の時の流れだった。しかし経ってしまえばまるで眠りのようにあっという間だ。

 過ぎ去った時はきっと酒の味に浸み込んでいるはずだ。一方ぼくの過ぎ去った時もぼくの身体に浸み込んでいるのだろうか。尤もそれで好い具合の味になってるかは、傍から見れば酒もぼくも両方とも何とも怪しいものだけれど…。

Qweine2016.jpg

gillmans todey.gif


 *大きなガラス瓶から果実を取り出して、残った果実酒を濾してそれを何本かのウイスキーの空き瓶に入れました。(ウイスキーの空き瓶はとっておくもんですねぇ) それにパソコンに残っていた以前作ったラベルを貼る。ラベルのQuittenはドイツ語でマルメロのことでアバウトですがカリンに相当するかも。Aprikoseは杏子です。ぼくの飲み方は、果実酒に氷を入れてそこにドライな炭酸を注いで飲みます。

 **長田弘の詩集「食卓一期一会」は好きで最近よく手に取ります。全編食べ物の詩でタイトルを見ているだけでも楽しいです。中は…台所の人々、お茶の時間、食卓の物語、食事の場面の四つの章に分かれています。詩がそのままレシピになっているもの、中には「戦争がくれなかったもの」のような辛辣なものもあります。



..
nice!(47)  コメント(6) 
共通テーマ:アート

美術館で… [新隠居主義]

美術館で…

DSC05923r2.JPG


 ここのところまたちょっと固めて美術館通いをしている。行きたい気分になるのにムラがあるという自分の性格にもよるのだけれど、美術展の方もどうやら展覧会向きの時期というのがあるらしくて見たいものの会期が重なるというのもあるみたいだ。

 それはもちろん企画展や特別展示のことを言っているのであって、収蔵品をもつ美術館の常設展なら基本的にはいつだって行けるのでその気軽さがいい。でも、大規模な特別展などは世界中から名画の方からやってきてくれる訳で、東京のような大都市に住んでいる役得みたいなものなのでそれも逃したくない下心もあって…。

 ぼくは本当はなじみの作品がゆったりとみられる常設展が好きだ。大好きな西洋美術館の常設展は大昔から毎月のように行っていたのだけれど、あの世界遺産登録の騒ぎでここのところちょっと足が遠のいていて、結構ストレスが溜まっている。

 西洋美術館はルーヴル美術館みたいに規模が大きすぎないので気が向いた時にフラッと行ってお気に入りの作品だけ観てくるなんてこともできる。絵は不思議なもので何度見てもその時の自分の状態で感じが変わってくる、どこか心の鏡みたいな面を持っていると思う。

 あ、そう言えばルーヴル美術館はずっと昔は「ルーヴル博物館」って言っていたような気がする。大英博物館がBritish MuseumでルーブルがMusée du Louvreだから、同じように訳すならルーヴル博物館だと思うのだけど…。概念としては博物館=Museumが一番大きな概念で、その中に美術館(美術博物館)=Art Museumや科学博物館=Science Museumなどのカテゴリーがあるのだと思う。

 それに収蔵品を持たない国立新美術館なんかも、固いことを言えば美術館(Art Museum)ではなくてアート・ギャラリー(Are Galarie)とかアート・センター(Art Centre)とかなんだけど、国立新美術館も英語名はちゃんとThe National Art Center, Tokyoとなっている。国立新美術館という日本名は最初はぼくなんかも違和感があったけれど、今では慣れてしまったなぁ。

 一方、東京都美術館(Tokyo Metropolitan Art Museum)はもともと収蔵品を持つ美術館と公募展や企画展なども行うアート・ギャラリーの両面の機能を持っていた美術館だ。しかし現代美術の収集収蔵機能は後から出来た東京都現代美術館に移行され、大規模なアート・ギャラリー機能は国立新美術館に持っていかれて微妙な立場になってしまっていたけれど、改修後にモネ展や若冲展などで盛り返そうと頑張っている。今後どうなるか楽しみ。

 まあ、細かいことは抜きにしても、常設展のような場所があるというのはとにかくありがたい。前にも書いたけれど、ぼくはサラリーマン時代に仕事で行き詰まって辛い時に何度か西洋美術館に来て救われたような気になったことがある。この静かで時間が止まったような空間に身をおいてゆったりと観てまわると次第に気持ちが落ち着いてくるのだ。

 そして馴染みになった絵の一枚一枚を観てゆくと、それらの絵のどれ一枚として忽然としてこの美術館に現れたわけではないことに気付く。その多くはまず作家自身の中での格闘の末に一つの形として一枚の絵が生まれ、そしてそれは生まれ落ちたと同時に今度はその作家の生きた時代や世間の非難や怨嗟の波にもまれ、その末に時を経てやっと此処にたどり着いたのだと。美術館はその魂の安住の地でもあってほしい。

DSC05924r.JPG


gillmans todey.gif


 *写真はベルリン旧国立美術館(Alte Nationalgalarie Berlin Germany)
   **写真の大きな絵はルノアールの「ヴァルジュモンの子どもたちの午後(1884)」という作品。


nice!(46)  コメント(4) 
共通テーマ:アート

大人買い [新隠居主義]

大人買い

016741bfeba0d94c047d71f21e77c24ed0b9f1548a.jpg


 ぼくらの世代には誰でも大人になったら誰気兼ねなく自分のお金で買ってやるぞなんて思った品があるんだと思う。ぼくは終戦後すぐの生まれだから、誰彼構わず日本中が貧しかった。ぼくのすぐ上の世代は、もっと切実で大人になったらアレを腹いっぱい食べてみたい、というような食べることの欲求が強かったかもしれない。

 もちろんぼくらの世代にだって食料が十分あったわけではないから、心の底には飢えた記憶や、空腹への恐れはあるのだろうけど、そこらへんは物心つく前だったから主に親が苦労してくれたんだろうと思う。そして遊び盛りから、小生意気になるあたりに世の中は上向き初めて、新しいオモチャやら遊び道具が出始めてきた。

 ぼくの場合、小学校の中ほどくらいからお小遣い制になったような気がする。だから買いたいものはそのお小遣いをためるか、お正月のお年玉を使うかだったけど、子供のことだからそう計画的にできるわけではない。お年玉は貯金させられたりしてたから、やっぱり欲しいものがあると親におねだりという事になるのだけど、それが中々一筋縄ではいかない。

 家は貧しいという訳ではなかったけれど、とにかくまず我慢しなさいと言われて、それでも粘ると例えば半分まで自分のお小遣いで貯めたらあと半分をだしてあげるとか、2つ欲しいものがあったら1つは我慢するか後回しにする、とか親の方にも子供の言いなりにはならないぞ、という感じがあった。

 それは今でもぼくの中で息づいていて、何か欲しいものが複数あったらまず、一つにして他のモノは後回しにするか我慢するという気持ちが湧いてくる。カミさんに言わせるとそれはただの貧乏性みたいなんだけども…。そんなこんなで親との駆け引きで子供時代を過ごしてきたのだけれど、それでもどうしても手に入らなかったものがあった。

 それは、HOゲージとかいう鉄道模型で、それは当時はなんたってお金持ちの道楽みたいなもので下町の洟垂れ小僧達には手の届くものではなかった。小学校時代は喧嘩仲間のY君が近所に住んでいて、彼の家には立派な鉄道模型があったから遊びに行くと八畳の部屋にレールをしいて遊んだのだけれど、列車には触らせてはくれないので、結局はいつも喧嘩になって帰ってくる。

 結局、そこらへんのフラストレーションはまだ買いやすいプラモデルかなんかに転嫁されていたんだろうと思うのだけれど…。で、大人になって大人買いするようになったかというと、どうも先ほどの貧乏性の方が勝ってしまって、威勢の好い大人買いができない。

 最近、ちょっとハマっているのが元来子供のオモチャのガチャで、見かけるとついやってしまう。もちろんガチャなら何でも良いという訳ではなくて、鳥獣戯画と海洋堂の仏像ガチャに限る。それでも多少大人買いの気分になるのはこれらは普通200~300円のところ100円高い400円なのだ。それを子供をわき目に時には2個連続で買ったりする。なんとも大人げない、大人買い。

gachabutsuzo01.jpg



gillmans todey.gif

nice!(50)  コメント(8) 
共通テーマ:アート

通夜の帰り道 [新隠居主義]

通夜の帰り道

Sad2016.jpg


 

 通夜の帰り道。

 先月、大学院時代の恩師の教授を亡くしたばかり、今日はもっとも親しかった元上司の通夜。気持ちが萎える。こうして別れに慣れてゆくのだろうか。歳をとると、新たな出会いが減り、逆に別れが多くなる。勢い「サヨナラだけが人生さ」という気持ちになる。それとも歳をとってもいつも新たな出会いを持ち続けろということか。

 元上司のAさんとはぼくの会社勤めの一番苦しい数年間を経営管理部門で一緒に過ごした。ぼくは株や土地などには手を出していなかったので世の中が浮かれたバブルの最中でも個人的には何も良い目には合ってはいなかったけど、バブル崩壊後はそのツケはしっかりと会社に降りかかってきて命を削る思いをしなければならなかった。

 Aさんとは毎晩オフィスをあとにしても会社の近くの食堂や居酒屋で喧々諤々の論議をして道筋を探り続けた。そんな論議の中でアイデアが出ることも何度もあった。そんな時はぼくが最終電車で帰宅した後、明け方までかかってそのアイデアをまとめて書類にして翌朝さらにその案を二人で練り直した。

 彼はその書類を食い入るように見て、でも昨晩終電で別れてからぼくがその書類をいつ作ったかなどという些末な事には、当たり前だけど関心などない様子だった。生来、身体も心も強いほうでない自分は激務とストレスで身体はボロボロになっていた。蓄積疲労のためか胃潰瘍と頚椎症の悪化で毎年年末には短期間入院するようになった。医者には職業病だと言われた。でも、不思議なことに今でもその時代のことになんら悔いはない。

 ある時、ぼくの会社のブランド名が絡む商標権の紛争が他社と起きて、それがこじれて法務部では手が追えずぼくの所に回って来たことがある。下手をすれば自社ブランドが使えなくなる重大だが嫌な案件を押し付けられたような形である。ぼくは追い詰められたようで悩んでいたが、その時Aさんが「何かあれば俺が責任をとるから、お前のやりたいようにやってこい」と背中を押してくれた。その言葉に今までの経緯に相手の理不尽さを感じていたぼくも何としてもやらなければという気になって相手方にのりこみ、ギリギリで切り抜けたこともある。

 考えてみれば、上司はまさに昭和的で豪胆な人だった。彼の祖父はNHKテレビの朝の連続ドラマにも登場したような立志伝中の人物だったのだけれど、あの豪胆さは祖父譲りだったのだろうか。反面、ずっと独身だったAさんは半生を通じて周囲から結婚を反対され続けてきた女性と、70歳近くになって会社を退いてから結婚するなど、言葉は陳腐に響くかもしれないけれど「純愛」の人でもあった。

 通夜の後、昔の仲間数人と少し精進落しをしてからみんなと別れて一人で帰る道すがら、ガラにもなく涙がこぼれてきた。昔だったらそんな弱い自分が何とも情けなくて耐えきれないくらいに嫌になったのだろうが、その感性さえも鈍くなったのか、そういう自分がいてもいいのかなと…思えた。ライナーの駅のガラスに映った既に老人になった自分の姿もちゃんと覚えておこうとスマホのボタンを押した。

Sad2016b.jpg





gillmans todey.gif

nice!(39)  コメント(9) 
共通テーマ:アート

Nikko 至福の時 [新隠居主義]

Nikko 至福の時

DSC06811rsb.jpg
DSC06863rsb2.jpg



 日光の小田代が原の湿原を見渡すデッキに着いたのは朝の四時少し過ぎだった。運よく赤沼駐車場を出る始発の低公害バスに乗り込むことができた。昔は何度か奥日光から歩いてこの小田代が原に来たことはあるけど、こんな朝早く来たことはなかった。

 デッキでは同じ始発のバスで来た人たちが三脚を並べ始めていた。いつもの写真仲間と、ベトナムに赴任していた友人も日本に戻ってきたので久々に四人そろっての撮り旅。昨夜は(というか午前3時に出たので、先ほどといったほうが良いけど…)日光に住む友人のところにお世話になった。

 小田代が原に着いた時には湿原のあたり一面には霧が立ち込めていた。日はまだ男体山の向こうにある。一緒に行った友人は朝霧を狙うと言っていた。ほかの一人が皆は朝霧の向こうに「貴婦人」が現れるのを待っているのだという。ぼくは知らなかったのだけれど、湿原の向こう側に貴婦人と呼ばれる背の高い白樺が一本生えているらしい。その貴婦人が朝霧の中に姿を現すのを待っているらしい。

 朝霧も日の光も刻々と変化してゆく。貴婦人とやらは中々姿を現さないけれど、この待っている時間がぼくにとっては至福の時間でもある。空気に拡散してゆく光の変化に心を奪われ、つい撮るのを忘れてしまう。まだ、レンズの目よりも自分の目の方が可愛い証拠だ。というより、自分の稚拙な能力では心に焼き付くほどの映像は残せないので、勢い心のフィルムの方に残しておこうという意識が働いているのかもしれない。

 貴婦人はともかく、朝霧に映える日の光が美しい。ちょっと影に入ると墨絵のような…、そして霧の晴れ間から太陽がのぞくと空気は一変してオレンジ色に変わる。いつか見た平山郁夫のパルミラ遺跡や仏教伝来の絵に出てくる砂漠の太陽のようなあのオレンジ色。でも、それは一瞬の出来事だ。ふと、我にかえって、あ、撮らなくちゃ、と思いブラケットで十数枚撮る。今回も小さなミラーレス。やっぱり景色は一眼でなくちゃ、なんて言いながら軽さの誘惑にいつも負けてしまう。

 数年前同じコースを歩いた時のカメラと三脚のずっしりとした重さが…。今回は幸い往きも帰りもバスに乗ることができたので助かった。このあと千手が浜の湖畔まで行って、ちょうど盛りのクリン草を見ることができた。前日までの雨が嘘のような晴れで何とも気持の好い一日だった。仲間と歩ける幸せに浸った至福の日光だった。



DSC06649rs.JPG
DSC06966rs.JPG
DSC06998rs.JPG


[Tour route]
・06/10…正午東京駅丸の内集合、高速道路で日光へ→日光友人宅→竜頭の滝茶屋(撮影)→三本松駐車場・戦場が原展望台(撮影)→友人宅泊
・06/11…友人宅am3:00出発→赤沼駐車場・am4:00低公害バスにて小田代ヶ原(撮影)→低公害バスにて千手が浜・九輪草(撮影)→低公害バスにて赤沼駐車場に戻る→高速道路で東京に


01ee3e4836284b5163d25686912469dbe336f15782.jpg
Inkyoismlogo.gif

[写真上から]
小田代が原の朝霧
龍頭の滝茶屋
千手が浜のクリン草
千手が浜
小田代が原に向けたカメラ

日光、春まだき

nice!(53)  コメント(8) 
共通テーマ:アート

PLUTOの先駆者たちよ [新隠居主義]

PLUTOの先駆者たちよ

0174f6ea91b925c9f29d9b4b0e6cf073650c9dd973.jpg


 ■ロボット三原則

 第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。
 また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

 第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。
 ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

 第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、
 自己をまもらなければならない。


 (アイザック・アシモフ  2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版)



 この間、原宿の太田美術館に行った帰り駅に戻る途中、携帯電話会社のビルの中にロボットが3台(もしくは3基)置いてあるのがガラス越しに見えた。ここら辺はどこを見回しても外国人だらけなのだけれど、ビルの中でも外国人観光客らしき人が二台のロボットとパラパラみたいなのを踊っている。それを仲間が面白そうに写真を撮っている。左にある三台目のロボットはこれも外国人とみられる少年と手を取り合って踊っている。なんかとても未来的な光景だなぁ。

 ここ数年のロボットの進化は目まぐるしいものがある。目に見える点でいえば、二足歩行のできるいわゆるヒューマノイド型の進歩。そして頭脳である人工知能(AI)の方の進歩も目覚ましいものがある。こういう光景を目にすると、どうしてもぼくの大好きなあの漫画「PLUTOプルートゥ」の世界を思い起こしてしまう。PLUTOは浦沢直樹の傑作漫画だけど、その原作は手塚治虫の鉄腕アトム「地上最大のロボット」のリメイクだ。リメイクと言ってもそれは完全に浦沢直樹のアトムになっている。

 それは人間とロボットが共生するようになった時代の話。ロボットは「感情」を持ち始め憎しみや愛との相克に悩み始める。ロボット社会の枠組みとして1950年代にアシモフが提起した「ロボット三原則」や手塚治虫の「ロボット法」などにその時代のロボットも規制されているのだと思うが、感情を持ち始めたロボット達にとってそれはどのように映るのだろうか。

 理系の人はそんなことは技術知識にうとい文系の戯言だというかもしれない。確かにチェスや将棋で人工知能が人間を負かそうともそれを作っているのは人間だからだ。でも、すっかりそういうスパンの時間軸を見失ってしまったぼくらにとって、考えるすべもない百年単位の時間の向こうの未来では、既に等差から等比級数的な発展へと踏み込んでしまった科学技術がどんな姿になるのか誰にも想像はつかないはずだ。もっとも、その時に人類がまだ存続していればの話だけれど…。

ファイル 2016-06-03 20 57 44.jpeg



atom.gif
Inkyoismlogo.gif



..
nice!(53)  コメント(2) 
共通テーマ:アート

眼差しの意味 [新隠居主義]

眼差しの意味

Shisen02.jpg




 ぼくがよく通るJRの新宿西口から都庁に行く地下道のところに最近ローラの大きな写真の載っている広告がでて、そこを通るたびになんか睨まれている感じがする。日本に暮らしているとこういう風にストレートに相手を見る眼差しというものに中々出会わないし、もしそういう眼差しで見られたらそれは何か特別な意味があるのだと…。

 睨まれたから言うのじゃないけど、視線、眼差しというものは、どうやらぼくら人間も含めて動物にとっては重要な意味を持っているらしい。よく言われるのは、山の中でクマに出会ったときは死んだふりしたり、背中を見せて逃げてはいけないらしい。そういう時はじっとクマの目を見て徐々に後ずさりするのが正しい対処らしいのだけれど、ぼくにはそんな自信はない。本能的に背中を見せて一目散に逃げ出してしまうと思う。

 逆に、例えば慣れていない犬や猿の目をじっと見てはいけない、つまり視線を合わせてはいけないといわれる。それは敵意があることを意味するらしい。猫は目が合うとプイと目をそらしてしまう。その意味は動物によっても違うのかもしれない。人間にとってもそんなことがありそうだ。ぼくが学生の頃には不良がよく「ガンをつけた」といって絡んできたことがあった。相手には自分と目が合ったことが敵意の存在に感じられたらしい。何だかサルみたいだ。

 驚いたのは先日ニュースを見ていたら、義理の父親だかの男が三歳くらいの自分の子に、その子が自分に「ガンをつけた」と言って蹴って殺してしまったという事件が報じられていた。こうなると、そいつはサル以下だけど…。考えてみると子供のころ人の目をじっと見るのは失礼だから気を付けるようにと言われた覚えがある。それに会社の新入社員の頃の教育でも話すときは相手の目を見ずにネクタイのあたりを見ると良いと教わったような気もする。

 ところが、そういう文化の環境で育って二十歳をちょっと過ぎた頃ドイツに行ったら、話すときは「ちゃんと」相手の目を見て話しなさいと度々注意された。え、相手の目を見て話すことが「ちゃんと」したことなんだ。それは失礼ではないんだ。ところが長いこと当時の日本的な習慣の中で育ったのでなかなかその「ちゃんと」ができない。そうすると、それは自分に自信がないのだと受け取られる。困った。今では日本でも相手の目を見て話すことが真剣さや誠実さの表現になると受け取られるようになったようだけれど…、中々慣れない。

shisen01.jpg


eyej0236233.gif

today.gif


017c05faa1cc8f1fe0dc4dccd43a315a2c37ce1f7f.jpg

眼差しにはまだまだ不思議なことが沢山
ありそうで、興味は尽きないです。


nice!(50)  コメント(9) 
共通テーマ:アート