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時の滴 [新隠居主義]

時の滴

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 ■ ブドー酒の日々

ブドー酒はねむる。
ねむりにねむる。

一千日がきて去って、
朱夏もまたきて去るけれども、

ブドー酒はねむる。
壜のなかに日のかたち、

年のなかに自分の時代、
もちこたえてねむる。

何のためでもなく、
ローソクとわずかな

われらの日々の食事のためだ。
ハイホー

ブドー酒はねむる。
われらはただ一本空壜をのこすだけ。

  (詩集『食卓一期一会』食卓の物語 / 長田弘)


 酒を「寝かせる」という言い方があるけど、もちろん何でも寝かせれば良いというわけではない。ウイスキーとかワインとか一部の果実酒みたいなのはそれに向いているけど、日本酒やビールは余り寝かせることはしないみたいだ。

 以前ポルトガルの港町ポルトでポルト酒の老舗醸造所Sandemanを訪れたことがある。暗いひんやりとした貯蔵蔵には大樽に詰まった膨大な量のポートワインが寝ていた。寝ていたといっても通常のポートワインはそれほど長く寝かせるものではないらしいのだが。

 その酒蔵の一角に金網で仕切られた区画がありその中にはこれまたおびただしい量のワインボトルが並んでいた。こちらの方はどうやら長い期間寝かせて熟成させるタイプの高級なポートワインが保管されているらしい。

 壜は年代順に並べられているらしく、その一角にぼくの生まれ年である1947年という表示を見つけてなんだか飲んでみたくなってしまった。その時酒蔵を案内してくれていたガイドに「高いんだろうねぇ」と聞くと「ええ、かなりお高いと思いますよ」と素っ気なく言われてしまった。やっぱり高いんだ。

 時は金なり、ということか。しかしまぁ、すべてがアジリティー、つまり俊敏性や即効性が重んじられる現代において、この「眠りは」貴重であり、贅沢でもあるのかもしれない。我が家でもその贅沢を最近発見した。それが写真の果実酒で一番古いものは1990年だからいまから26年前に仕込んだものだ。

 実は数年前に同じころのカリン酒を自分で飲んだり、知人に差し上げたりしたのだけれどそれはもう無いものと思っていた。ところが最近断捨離と称して身の回りのいろいろなところを整理していたら、床下収納と滅多に開けない天袋からまた古いガラス製の大きな壜がでてきた。

 もうすっかり忘れていたけれど、その頃は毎年のようにばあさんカミさんといろいろな果実酒を作っていたなぁ。一番古い1990年カリン酒は叔父の家でなったカリンの実を貰ったものを焼酎につけたものだ。1990年と言えば、ぼくは43歳、ぼあさんだって70歳で今のぼくとほぼ同じ歳だ。

 その年ぼくは会社で長いこと居た企画部門から経営管理部門に移って大きな転機を迎えていた。月並みな表現だけれど死ぬほど忙しくなって家にいることはほとんどなくなった。だからそのカリン酒もぼくは余り手を出していなかったのだと思う。多分カミさんとばあさんで作ったのだろう。

 もう一つの1999年杏子酒の方はほとんど記憶にない。その頃には日本のバブルもはげてぼくは夜も休みもなく走り回っていたころだ。朝は暗いうちに家を出て、帰ってくるのは大体夜中の12時を過ぎてから。心のどこにも果実酒を造る余裕などなかった。でもそんな中でも果実酒は造られて、そしてきっとひっそりと家のどこかにしまわれていたのだろう。

 壜の中にはまだ果実も入っていた。本来はタイミングを見て実を取り出すのだけれどもそれをしていないから、濾してみたけれども微細な澱が残っている。でも、数日壜を静かにしておくと澱が沈んで透明で実にいい色になる。口に含むと微かにえぐみはあるけれど、とても濃厚でまさに「時の滴」の趣がある、と感じた。

 考えてみればその26年間、もちろん時は止まってはいなかった。酒が暗闇の中で過ごした26年間を眠ったと表現してもよいかもしれないけれど、それは停止ではなかった。外界のぼくらの時間は眠ってはいなかった。それどころかそれは激変の時の流れだった。しかし経ってしまえばまるで眠りのようにあっという間だ。

 過ぎ去った時はきっと酒の味に浸み込んでいるはずだ。一方ぼくの過ぎ去った時もぼくの身体に浸み込んでいるのだろうか。尤もそれで好い具合の味になってるかは、傍から見れば酒もぼくも両方とも何とも怪しいものだけれど…。

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 *大きなガラス瓶から果実を取り出して、残った果実酒を濾してそれを何本かのウイスキーの空き瓶に入れました。(ウイスキーの空き瓶はとっておくもんですねぇ) それにパソコンに残っていた以前作ったラベルを貼る。ラベルのQuittenはドイツ語でマルメロのことでアバウトですがカリンに相当するかも。Aprikoseは杏子です。ぼくの飲み方は、果実酒に氷を入れてそこにドライな炭酸を注いで飲みます。

 **長田弘の詩集「食卓一期一会」は好きで最近よく手に取ります。全編食べ物の詩でタイトルを見ているだけでも楽しいです。中は…台所の人々、お茶の時間、食卓の物語、食事の場面の四つの章に分かれています。詩がそのままレシピになっているもの、中には「戦争がくれなかったもの」のような辛辣なものもあります。



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美術館で… [新隠居主義]

美術館で…

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 ここのところまたちょっと固めて美術館通いをしている。行きたい気分になるのにムラがあるという自分の性格にもよるのだけれど、美術展の方もどうやら展覧会向きの時期というのがあるらしくて見たいものの会期が重なるというのもあるみたいだ。

 それはもちろん企画展や特別展示のことを言っているのであって、収蔵品をもつ美術館の常設展なら基本的にはいつだって行けるのでその気軽さがいい。でも、大規模な特別展などは世界中から名画の方からやってきてくれる訳で、東京のような大都市に住んでいる役得みたいなものなのでそれも逃したくない下心もあって…。

 ぼくは本当はなじみの作品がゆったりとみられる常設展が好きだ。大好きな西洋美術館の常設展は大昔から毎月のように行っていたのだけれど、あの世界遺産登録の騒ぎでここのところちょっと足が遠のいていて、結構ストレスが溜まっている。

 西洋美術館はルーヴル美術館みたいに規模が大きすぎないので気が向いた時にフラッと行ってお気に入りの作品だけ観てくるなんてこともできる。絵は不思議なもので何度見てもその時の自分の状態で感じが変わってくる、どこか心の鏡みたいな面を持っていると思う。

 あ、そう言えばルーヴル美術館はずっと昔は「ルーヴル博物館」って言っていたような気がする。大英博物館がBritish MuseumでルーブルがMusée du Louvreだから、同じように訳すならルーヴル博物館だと思うのだけど…。概念としては博物館=Museumが一番大きな概念で、その中に美術館(美術博物館)=Art Museumや科学博物館=Science Museumなどのカテゴリーがあるのだと思う。

 それに収蔵品を持たない国立新美術館なんかも、固いことを言えば美術館(Art Museum)ではなくてアート・ギャラリー(Are Galarie)とかアート・センター(Art Centre)とかなんだけど、国立新美術館も英語名はちゃんとThe National Art Center, Tokyoとなっている。国立新美術館という日本名は最初はぼくなんかも違和感があったけれど、今では慣れてしまったなぁ。

 一方、東京都美術館(Tokyo Metropolitan Art Museum)はもともと収蔵品を持つ美術館と公募展や企画展なども行うアート・ギャラリーの両面の機能を持っていた美術館だ。しかし現代美術の収集収蔵機能は後から出来た東京都現代美術館に移行され、大規模なアート・ギャラリー機能は国立新美術館に持っていかれて微妙な立場になってしまっていたけれど、改修後にモネ展や若冲展などで盛り返そうと頑張っている。今後どうなるか楽しみ。

 まあ、細かいことは抜きにしても、常設展のような場所があるというのはとにかくありがたい。前にも書いたけれど、ぼくはサラリーマン時代に仕事で行き詰まって辛い時に何度か西洋美術館に来て救われたような気になったことがある。この静かで時間が止まったような空間に身をおいてゆったりと観てまわると次第に気持ちが落ち着いてくるのだ。

 そして馴染みになった絵の一枚一枚を観てゆくと、それらの絵のどれ一枚として忽然としてこの美術館に現れたわけではないことに気付く。その多くはまず作家自身の中での格闘の末に一つの形として一枚の絵が生まれ、そしてそれは生まれ落ちたと同時に今度はその作家の生きた時代や世間の非難や怨嗟の波にもまれ、その末に時を経てやっと此処にたどり着いたのだと。美術館はその魂の安住の地でもあってほしい。

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 *写真はベルリン旧国立美術館(Alte Nationalgalarie Berlin Germany)
   **写真の大きな絵はルノアールの「ヴァルジュモンの子どもたちの午後(1884)」という作品。


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大人買い [新隠居主義]

大人買い

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 ぼくらの世代には誰でも大人になったら誰気兼ねなく自分のお金で買ってやるぞなんて思った品があるんだと思う。ぼくは終戦後すぐの生まれだから、誰彼構わず日本中が貧しかった。ぼくのすぐ上の世代は、もっと切実で大人になったらアレを腹いっぱい食べてみたい、というような食べることの欲求が強かったかもしれない。

 もちろんぼくらの世代にだって食料が十分あったわけではないから、心の底には飢えた記憶や、空腹への恐れはあるのだろうけど、そこらへんは物心つく前だったから主に親が苦労してくれたんだろうと思う。そして遊び盛りから、小生意気になるあたりに世の中は上向き初めて、新しいオモチャやら遊び道具が出始めてきた。

 ぼくの場合、小学校の中ほどくらいからお小遣い制になったような気がする。だから買いたいものはそのお小遣いをためるか、お正月のお年玉を使うかだったけど、子供のことだからそう計画的にできるわけではない。お年玉は貯金させられたりしてたから、やっぱり欲しいものがあると親におねだりという事になるのだけど、それが中々一筋縄ではいかない。

 家は貧しいという訳ではなかったけれど、とにかくまず我慢しなさいと言われて、それでも粘ると例えば半分まで自分のお小遣いで貯めたらあと半分をだしてあげるとか、2つ欲しいものがあったら1つは我慢するか後回しにする、とか親の方にも子供の言いなりにはならないぞ、という感じがあった。

 それは今でもぼくの中で息づいていて、何か欲しいものが複数あったらまず、一つにして他のモノは後回しにするか我慢するという気持ちが湧いてくる。カミさんに言わせるとそれはただの貧乏性みたいなんだけども…。そんなこんなで親との駆け引きで子供時代を過ごしてきたのだけれど、それでもどうしても手に入らなかったものがあった。

 それは、HOゲージとかいう鉄道模型で、それは当時はなんたってお金持ちの道楽みたいなもので下町の洟垂れ小僧達には手の届くものではなかった。小学校時代は喧嘩仲間のY君が近所に住んでいて、彼の家には立派な鉄道模型があったから遊びに行くと八畳の部屋にレールをしいて遊んだのだけれど、列車には触らせてはくれないので、結局はいつも喧嘩になって帰ってくる。

 結局、そこらへんのフラストレーションはまだ買いやすいプラモデルかなんかに転嫁されていたんだろうと思うのだけれど…。で、大人になって大人買いするようになったかというと、どうも先ほどの貧乏性の方が勝ってしまって、威勢の好い大人買いができない。

 最近、ちょっとハマっているのが元来子供のオモチャのガチャで、見かけるとついやってしまう。もちろんガチャなら何でも良いという訳ではなくて、鳥獣戯画と海洋堂の仏像ガチャに限る。それでも多少大人買いの気分になるのはこれらは普通200~300円のところ100円高い400円なのだ。それを子供をわき目に時には2個連続で買ったりする。なんとも大人げない、大人買い。

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通夜の帰り道 [新隠居主義]

通夜の帰り道

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 通夜の帰り道。

 先月、大学院時代の恩師の教授を亡くしたばかり、今日はもっとも親しかった元上司の通夜。気持ちが萎える。こうして別れに慣れてゆくのだろうか。歳をとると、新たな出会いが減り、逆に別れが多くなる。勢い「サヨナラだけが人生さ」という気持ちになる。それとも歳をとってもいつも新たな出会いを持ち続けろということか。

 元上司のAさんとはぼくの会社勤めの一番苦しい数年間を経営管理部門で一緒に過ごした。ぼくは株や土地などには手を出していなかったので世の中が浮かれたバブルの最中でも個人的には何も良い目には合ってはいなかったけど、バブル崩壊後はそのツケはしっかりと会社に降りかかってきて命を削る思いをしなければならなかった。

 Aさんとは毎晩オフィスをあとにしても会社の近くの食堂や居酒屋で喧々諤々の論議をして道筋を探り続けた。そんな論議の中でアイデアが出ることも何度もあった。そんな時はぼくが最終電車で帰宅した後、明け方までかかってそのアイデアをまとめて書類にして翌朝さらにその案を二人で練り直した。

 彼はその書類を食い入るように見て、でも昨晩終電で別れてからぼくがその書類をいつ作ったかなどという些末な事には、当たり前だけど関心などない様子だった。生来、身体も心も強いほうでない自分は激務とストレスで身体はボロボロになっていた。蓄積疲労のためか胃潰瘍と頚椎症の悪化で毎年年末には短期間入院するようになった。医者には職業病だと言われた。でも、不思議なことに今でもその時代のことになんら悔いはない。

 ある時、ぼくの会社のブランド名が絡む商標権の紛争が他社と起きて、それがこじれて法務部では手が追えずぼくの所に回って来たことがある。下手をすれば自社ブランドが使えなくなる重大だが嫌な案件を押し付けられたような形である。ぼくは追い詰められたようで悩んでいたが、その時Aさんが「何かあれば俺が責任をとるから、お前のやりたいようにやってこい」と背中を押してくれた。その言葉に今までの経緯に相手の理不尽さを感じていたぼくも何としてもやらなければという気になって相手方にのりこみ、ギリギリで切り抜けたこともある。

 考えてみれば、上司はまさに昭和的で豪胆な人だった。彼の祖父はNHKテレビの朝の連続ドラマにも登場したような立志伝中の人物だったのだけれど、あの豪胆さは祖父譲りだったのだろうか。反面、ずっと独身だったAさんは半生を通じて周囲から結婚を反対され続けてきた女性と、70歳近くになって会社を退いてから結婚するなど、言葉は陳腐に響くかもしれないけれど「純愛」の人でもあった。

 通夜の後、昔の仲間数人と少し精進落しをしてからみんなと別れて一人で帰る道すがら、ガラにもなく涙がこぼれてきた。昔だったらそんな弱い自分が何とも情けなくて耐えきれないくらいに嫌になったのだろうが、その感性さえも鈍くなったのか、そういう自分がいてもいいのかなと…思えた。ライナーの駅のガラスに映った既に老人になった自分の姿もちゃんと覚えておこうとスマホのボタンを押した。

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Nikko 至福の時 [新隠居主義]

Nikko 至福の時

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 日光の小田代が原の湿原を見渡すデッキに着いたのは朝の四時少し過ぎだった。運よく赤沼駐車場を出る始発の低公害バスに乗り込むことができた。昔は何度か奥日光から歩いてこの小田代が原に来たことはあるけど、こんな朝早く来たことはなかった。

 デッキでは同じ始発のバスで来た人たちが三脚を並べ始めていた。いつもの写真仲間と、ベトナムに赴任していた友人も日本に戻ってきたので久々に四人そろっての撮り旅。昨夜は(というか午前3時に出たので、先ほどといったほうが良いけど…)日光に住む友人のところにお世話になった。

 小田代が原に着いた時には湿原のあたり一面には霧が立ち込めていた。日はまだ男体山の向こうにある。一緒に行った友人は朝霧を狙うと言っていた。ほかの一人が皆は朝霧の向こうに「貴婦人」が現れるのを待っているのだという。ぼくは知らなかったのだけれど、湿原の向こう側に貴婦人と呼ばれる背の高い白樺が一本生えているらしい。その貴婦人が朝霧の中に姿を現すのを待っているらしい。

 朝霧も日の光も刻々と変化してゆく。貴婦人とやらは中々姿を現さないけれど、この待っている時間がぼくにとっては至福の時間でもある。空気に拡散してゆく光の変化に心を奪われ、つい撮るのを忘れてしまう。まだ、レンズの目よりも自分の目の方が可愛い証拠だ。というより、自分の稚拙な能力では心に焼き付くほどの映像は残せないので、勢い心のフィルムの方に残しておこうという意識が働いているのかもしれない。

 貴婦人はともかく、朝霧に映える日の光が美しい。ちょっと影に入ると墨絵のような…、そして霧の晴れ間から太陽がのぞくと空気は一変してオレンジ色に変わる。いつか見た平山郁夫のパルミラ遺跡や仏教伝来の絵に出てくる砂漠の太陽のようなあのオレンジ色。でも、それは一瞬の出来事だ。ふと、我にかえって、あ、撮らなくちゃ、と思いブラケットで十数枚撮る。今回も小さなミラーレス。やっぱり景色は一眼でなくちゃ、なんて言いながら軽さの誘惑にいつも負けてしまう。

 数年前同じコースを歩いた時のカメラと三脚のずっしりとした重さが…。今回は幸い往きも帰りもバスに乗ることができたので助かった。このあと千手が浜の湖畔まで行って、ちょうど盛りのクリン草を見ることができた。前日までの雨が嘘のような晴れで何とも気持の好い一日だった。仲間と歩ける幸せに浸った至福の日光だった。



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[Tour route]
・06/10…正午東京駅丸の内集合、高速道路で日光へ→日光友人宅→竜頭の滝茶屋(撮影)→三本松駐車場・戦場が原展望台(撮影)→友人宅泊
・06/11…友人宅am3:00出発→赤沼駐車場・am4:00低公害バスにて小田代ヶ原(撮影)→低公害バスにて千手が浜・九輪草(撮影)→低公害バスにて赤沼駐車場に戻る→高速道路で東京に


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[写真上から]
小田代が原の朝霧
龍頭の滝茶屋
千手が浜のクリン草
千手が浜
小田代が原に向けたカメラ

日光、春まだき

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PLUTOの先駆者たちよ [新隠居主義]

PLUTOの先駆者たちよ

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 ■ロボット三原則

 第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。
 また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

 第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。
 ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

 第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、
 自己をまもらなければならない。


 (アイザック・アシモフ  2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版)



 この間、原宿の太田美術館に行った帰り駅に戻る途中、携帯電話会社のビルの中にロボットが3台(もしくは3基)置いてあるのがガラス越しに見えた。ここら辺はどこを見回しても外国人だらけなのだけれど、ビルの中でも外国人観光客らしき人が二台のロボットとパラパラみたいなのを踊っている。それを仲間が面白そうに写真を撮っている。左にある三台目のロボットはこれも外国人とみられる少年と手を取り合って踊っている。なんかとても未来的な光景だなぁ。

 ここ数年のロボットの進化は目まぐるしいものがある。目に見える点でいえば、二足歩行のできるいわゆるヒューマノイド型の進歩。そして頭脳である人工知能(AI)の方の進歩も目覚ましいものがある。こういう光景を目にすると、どうしてもぼくの大好きなあの漫画「PLUTOプルートゥ」の世界を思い起こしてしまう。PLUTOは浦沢直樹の傑作漫画だけど、その原作は手塚治虫の鉄腕アトム「地上最大のロボット」のリメイクだ。リメイクと言ってもそれは完全に浦沢直樹のアトムになっている。

 それは人間とロボットが共生するようになった時代の話。ロボットは「感情」を持ち始め憎しみや愛との相克に悩み始める。ロボット社会の枠組みとして1950年代にアシモフが提起した「ロボット三原則」や手塚治虫の「ロボット法」などにその時代のロボットも規制されているのだと思うが、感情を持ち始めたロボット達にとってそれはどのように映るのだろうか。

 理系の人はそんなことは技術知識にうとい文系の戯言だというかもしれない。確かにチェスや将棋で人工知能が人間を負かそうともそれを作っているのは人間だからだ。でも、すっかりそういうスパンの時間軸を見失ってしまったぼくらにとって、考えるすべもない百年単位の時間の向こうの未来では、既に等差から等比級数的な発展へと踏み込んでしまった科学技術がどんな姿になるのか誰にも想像はつかないはずだ。もっとも、その時に人類がまだ存続していればの話だけれど…。

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眼差しの意味 [新隠居主義]

眼差しの意味

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 ぼくがよく通るJRの新宿西口から都庁に行く地下道のところに最近ローラの大きな写真の載っている広告がでて、そこを通るたびになんか睨まれている感じがする。日本に暮らしているとこういう風にストレートに相手を見る眼差しというものに中々出会わないし、もしそういう眼差しで見られたらそれは何か特別な意味があるのだと…。

 睨まれたから言うのじゃないけど、視線、眼差しというものは、どうやらぼくら人間も含めて動物にとっては重要な意味を持っているらしい。よく言われるのは、山の中でクマに出会ったときは死んだふりしたり、背中を見せて逃げてはいけないらしい。そういう時はじっとクマの目を見て徐々に後ずさりするのが正しい対処らしいのだけれど、ぼくにはそんな自信はない。本能的に背中を見せて一目散に逃げ出してしまうと思う。

 逆に、例えば慣れていない犬や猿の目をじっと見てはいけない、つまり視線を合わせてはいけないといわれる。それは敵意があることを意味するらしい。猫は目が合うとプイと目をそらしてしまう。その意味は動物によっても違うのかもしれない。人間にとってもそんなことがありそうだ。ぼくが学生の頃には不良がよく「ガンをつけた」といって絡んできたことがあった。相手には自分と目が合ったことが敵意の存在に感じられたらしい。何だかサルみたいだ。

 驚いたのは先日ニュースを見ていたら、義理の父親だかの男が三歳くらいの自分の子に、その子が自分に「ガンをつけた」と言って蹴って殺してしまったという事件が報じられていた。こうなると、そいつはサル以下だけど…。考えてみると子供のころ人の目をじっと見るのは失礼だから気を付けるようにと言われた覚えがある。それに会社の新入社員の頃の教育でも話すときは相手の目を見ずにネクタイのあたりを見ると良いと教わったような気もする。

 ところが、そういう文化の環境で育って二十歳をちょっと過ぎた頃ドイツに行ったら、話すときは「ちゃんと」相手の目を見て話しなさいと度々注意された。え、相手の目を見て話すことが「ちゃんと」したことなんだ。それは失礼ではないんだ。ところが長いこと当時の日本的な習慣の中で育ったのでなかなかその「ちゃんと」ができない。そうすると、それは自分に自信がないのだと受け取られる。困った。今では日本でも相手の目を見て話すことが真剣さや誠実さの表現になると受け取られるようになったようだけれど…、中々慣れない。

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眼差しにはまだまだ不思議なことが沢山
ありそうで、興味は尽きないです。


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Dancing All Night [新隠居主義]

Dancing All Night

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 大桟橋をぶらついている間に日が暮れてあたりはすっかり暗くなった。一緒に行った中の一人が家が遠いので八時過ぎには横浜から電車に乗りたいという。関内当たりで軽く食事をして…とするともういくらも時間がない。急にあわただしくなって急ぎ足で管内の駅に向かった。

 途中高架の下を通る。そこは赤レンガ倉庫のあたりから大桟橋まで歩行者専用の道があって、山下臨港線プロムナードと言うらしいけど、見晴らしも良いしゆったりと歩けるところだ。ぼくはこの高架下が好きだ。というのも、ここはよくCMの撮影をしていたり、若者が遊んでいたりするのでちょっと立ち止まって見ているのも楽しいし、場合によっては写真を撮ってもみたくなる場所なのだ。

 ところが、ここら辺から皆俄然早足になってきた。こういう時に限って、撮りたいような光景が広がっているものだ。そこでは若者数人が広場の端にあるサーチライトを舞台のスポットライトに見立てて影遊びのようなものをやっている。音楽がなっているので、それに合わせて若者たちも影も踊る。

 首から下げているぼくのミラーレスは望遠のズームになっているのでレンズを変えている暇などない。皆はズンズン先に行っている。結局、ポケットに入れていた小さいデジカメで二枚だけ撮ることができた。もうちょっと、ゆっくり撮りたかったなぁ。というより、若者たちの姿を見ていたかった。

 また早足で歩きだしながら、もうずっと長いことダンスなんてしてないなぁ、昔のことが頭をよぎった。ダンスといったって大昔に数回ディスコ(「クラブ」ではない)に行ったのと、ドイツのワイン祭りで酔っ払って一晩中ワルツを踊りまくったことくらいしか記憶にないけど…。ああダメだ、ちょっと、早足で歩いただけで息切れがしてくる。今はダンスどころではない。

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Blue Light YOKOHAMA [新隠居主義]

Blue Light YOKOHAMA

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 ここのところ二週続けて横浜に来ている。連休の始めには韓国の留学生達と連れ立って横浜散策に、そして昨日は久しぶりに写真仲間と。最近あまり体調がすぐれないので放っておくとどうしても家に居たい気持ちに負けてしまう。意識して動くようにしないと…。ということで連休中は横浜と近場の美術館に。

 連休中だから、もちろんどこへ行っても人・ヒト・ひと。桜木町で待ち合わせて野毛の飲み屋横丁から日ノ出町、黄金町へ。途中で一休みし、さらに赤煉瓦倉庫そして最終的に大桟橋にたどり着いた。なんだか人ごみにあてられたようで、段々シャッターを押す回数が減ってゆく。ダメだなぁ。

 カメラは軽いミラーレスとポケット・デジカメなのにとても重く感じる。夕方やっとのことで大桟橋にたどり着くと、街なかほどは人が居ない。ウロウロしている内にあたりは薄暮(はくぼ)になってきた。ちょっと強めだけれど頬にあたる風が気持ちいい。対岸の街並みと大観覧車に灯がともり始めて夜景ショウが始まる頃になると、これからはカップルの時間だ。徘徊中のオジサンたちには関係ないけど、それでもなんとなく心の中で軽くリフレインしている。

 ♫ 街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ~ 

 振り向いて、街と反対側の方をみれば、そこは確かにブルーライト・ヨコハマ。いいなぁ。でも、写真については今回もいろいろ反省点が。自分ではわざわざ撮りに行くほどの写真根性がないもんで、撮影に誘ってもらえるのがなんともありがたい。横浜に撮りに来るたびにちゃんと撮れなくてがっかりするけど、まぁのんびりとこれからも撮り続けようと思ったりして…。

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感性の断層 [新隠居主義]

感性の断層

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 最近、遅ればせながら歳をとるとはこう言うことかと実感することがある。ぼくの青春時代に活躍していた人がテレビに出てきたりすると、時の流れを感じないわけにはいかない。逆に、例えば子供の頃は相撲の横綱や花形の野球選手はもちろんずっと年上だったから、そういう人は当然自分よりも目上なのだとずっと思っていた。それが大学を出る頃にはその時代のそういう人たちはぼくと同い年位になっていたはずなのだけれど、頭の中では子供の頃と同じ位置づけのままで彼らの方が年上と思い込んでいた。

 さすがに60歳過ぎてからは横綱も野球選手も年下に見えてきたけど、元横綱の北の湖(元相撲協会理事長)などはてっきりぼくより年上かと思っていたら、実はぼくと同じ両国中学の6年後輩と知って驚いたことがある。周りは変わってゆくのに自分の頭の中の年齢だけは中々変わって行かないのだ。

 それも歳をとったことの一つなのだけれど、最近感じているのは感性と言う点でも年齢を感じるようになった。現在の音楽や映画などへの違和感みたいなのがあって、どこかで感性の断層みたいなものがあったのだろうと思う。例えばヒットソングみたいなものでいうと、もちろん今どういう曲がヒットしているかなんて皆目分からないのだけれど、じゃあ、いつ頃からそれが分からなくなって来たのか。

 つらつら考えて見るとぼくがヒット曲として最後の方で認識しているのは宇多田ヒカルの「Automatic」あたりじゃないかなと思う。彼女のAutomaticが大ヒットしたのが1998年だから、その頃ぼくはもう51歳でおっさんでサラリーマンだった。でも、満員の通勤電車の中で聴いていたラジオから彼女の歌が流れてきたときの驚きは今でもはっきりと覚えている。日本人にこんな歌が作れて歌えるのだということがオジサンの耳にも鮮烈でショックだった。それ以来彼女の歌はずっと聴いているけど…。

 ぼくがどうもヒット曲なるモノに興味を失うというか分からなくなったのは宇多田ヒカルと相前後して登場してきた小室哲也の系統の曲が広がり始めたことと関係がありそうなのだ。歌謡曲からフォークそしてビートルズなどメロディーラインを追える音楽にならされた耳には小室サウンドはなんとも居心地の悪いものだったのだと思う。ぼくにとってはどうもそこら辺が断層だったみたいだ。

 ジャズは今でも好きで聴いているけれど、ジャズに対しての感性の断層が来たのは比較的早くてバップを中心に気楽に聴いていたので、ジャズ喫茶でコルトレーンなんかをしかつめらしい顔で聴いている雰囲気はとても嫌だった。そこら辺からあまり先には出ていない。やがてフリージャズやヒュージョンやロックのテイストが入るなどジャズは多様で広範な音楽へと拡散していったような気がするが、そっちの方はあまり関心が無い。幸いジャズは音源の遺産が豊富なので今でも不自由はない。

 そういった感性の断層みたいなものはどうもクラシック音楽にも絵画などにもあるみたいなのだ。それは年齢によっておこることもあるけど、時代というもっと大きなもので断層が形作られることもあると思う。ヒトは望むと望まないに関わらず時代の空気を吸って時代の中で生きている。だから自分の感性の中にも少なからずその時代と言う要素が忍び込んでいるはずなのだ。

 もちろんそれが全てではないけれど、その時代の感性を超えて共感したり、断層を乗り越えて異なる時代の感性に共感するには、たまには自分の居心地の好い世界から断層を超えて覗いてみる気持ちも大事かもしれない。でも、それ自分でも最近ないなぁ。何も無理することは無いけど、それで断層の向こう側に新たに自分の感性の居心地の好いモノが見つかったら、それこそメッケモンということになるかもしれない。



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