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駅で… [gillman*s Lands]

駅で…

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  日日

  ある日僕は思った
  僕に持ち上げられないものなんてあるだろうか

  次の日僕は思った
  僕に持ち上げられるものなんてあるだろうか

  暮れやすい日日を僕は
  傾斜して歩んでいる

  これらの親しい日日が
  つぎつぎ後ろへ駆け去るのを
  いぶかしいようなおそれの気持ちでみつめながら


  Days

  One day I wondered if there was something
  I would be unable to lift.

  The next day I wondered if there was anything
  I would be able to lift.

  As days lead toward darkness
  I walk on slumped over.

  watching, with doubt and fear,
  those familiar days gallop away backward,
  passing me by, one after another.

   (「二十億光年の孤独」谷川俊太郎/W.I.エリオット訳、集英社)


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 ヨーロッパの駅がぼくは好きだ。大きなガラスドームの下にプラットフォームが何本も並んでいて、独特の雰囲気の空間を作り出している。ヨーロッパの古い街の中央駅は引き込み線になっている場合が多い。線路が旧市街を貫通して横切るのが難しいためだという。従って列車が中央駅に停まると、発車する時には列車の進行方向が以前とは逆になることがよくある。

 ドームの下に広がる何本ものプラットホームに終着駅のようにずらっと何台も列車が並ぶ光景は鉄道マニアでなくてもちょっと嬉しくなるような瞬間だ。大抵の中央駅には改札口が無いのも駅の雰囲気を開放的にしている一因かもしれない。基本的には列車の中、もしくは乗車時にドアのところでの改札が基本なのでぼくらが当然あると思い込んでいる駅の改札口は何処にも無い。

 ドレスデン中央駅のちょっとガランとしたホームで列車を待っていると、若いころ散々列車で旅行した時のことを想い出した。一番長く列車に乗り続けたのは、…確か南スペインのグラナダからデンマークのコペンハーゲンまで列車を乗り継いでいったことがある。その間ぼくが居た6人部屋のコンパートメントには色々な国の人が乗り込んではやがて彼らの下車駅に着くと降りてゆく。ぼくだけはずっと乗りつづけている。

 スペインで乗り合わせたおばあさんには昼飯をごちそうになった。フランスで乗り込んできた女の子たちとは夜中にどんちゃん騒ぎになった。夜が明けて潮が引くように皆が降りて行ってひとりコンパートメントに取り残された時の寂しさと、これからの自分の将来への不安などが襲ってきて一挙に落ち込んだことを覚えている。若いころは自分には何でもできそうだという昂揚した気持ちと、結局何をやっても駄目だという絶望した気持ちがまるでジェットコースターのように交互に襲ってきた。

 ホームでしばらくボーっとしているうちに、乗る列車の発車時刻が過ぎていた。しかし待っていたホームに列車が入ってきた気配はない。どうも直前に発車する番線が変わったらしいのだけれど、何のアナウンスも無かった。多分掲示板の表示には出ていたのかも知れない。急ぐ旅ではないので次の列車に乗ることにしたのだけれど…。なんとも間の抜けたのんびりとした話だ。しかし、ここから東にいったブダペストの中央駅にはつい最近まで難民が溢れていたと思うと急に厳しい現実が脳裏に浮かび、とても複雑な気持ちになった。

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 *最近は列車で旅することが減っていたのでうっかりしていたのですが、ヨーロッパではふつう発車のベルも鳴らないし、発車のプラットホームが変更になることも珍しくはないのです。ホームで待っていると向かい側のホームの列車がなんとも面白いデザインで、駆動車の側面に「ドイツ鉄道はドイツ連邦警察60周年をお祝いします。あなたの安全を守る二つの強力なパートナー」

 なぜドイツ鉄道が連邦警察を?、わからん。などと考えていたんですが、実はその列車こそぼくが乗るべき列車だったようです。発車が隣のプラットフォームに変更になっていたのですね。




...
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冬こそ音楽 Dresden~Berlin [gillman*s Lands]

冬こそ音楽 Dresden~Berlin

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 今回の旅行の目的は音楽会と美術館だったのだけれど、寒さ嫌いのぼくとしてはこの時期のドイツはいかにも寒くて苦手なのだ。それをおして、敢えて今と言うのは一つにはこの時期が音楽の言わばハイシーズンということで年末年始恒例のオペレッタ「こうもり」からシーズンならではの素敵なコンサートが目白押しだということ。

 さらにもう一つは、観光シーズンには列に並んだり背伸びして観なければならないような名画や美術館の作品がゆったりと観られるということ。今回は特に今まで中々まとめて観ることが出来なかったフリードリヒなどのドイツロマン主義の絵画をじっくりと観てみたいという魂胆なのだった。

 ぼくはクラシック音楽は余りよく分からないので今回一緒に行く友人にチョイスを頼んだのだけれど、ぼくの唯一のしかし外せない要望がゼンパー(ドレスデンのザクセン州立歌劇場)でのヴェーバーのオペラ「魔弾の射手」の観劇だった。他のオペラについてはからきしなのだけれど、この「魔弾の射手」と「こうもり」それに「魔笛」だけはなぜかテキストも頭に入っている。彼のおかげで結局下の様なバラエティーに富むチケットが手に入った。

□Semper/Der Freischutz
 ドレスデン・ザクセン州立歌劇場 オペラ「魔弾の射手
□Semper/Sonderkonzert Rudolf Buchbinder
 ドレスデン・ザクセン州立歌劇場 「ブッフビンダー・誕生日ピアノコンサート」
□Semper/Die Fledermaus
 ドレスデン・ザクセン州立歌劇場 オペレッタ「こうもり
□Staatskapelle Berlin/Geburtstagskonzert Zubin Mehta/Daniel Barenboim
 シュターツカペレ・ベルリン 「ズービンメータ・バースデーコンサートwithバレンボイム
□Berliner Phil./Thieleman/Berliner Phil./Pollini Chopin Piano Conc.#1
 ベルリンフィル 「ティーレマン+ポリーニ・コンサート


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 ゼンパーでの「魔弾の射手」はそれなりに素晴らしかった。それなりにというのは、大昔にマンハイムの歌劇場で何度か観て以来夢にまで見たこのオペラの揺りかごであるゼンパーの舞台なのだが、演出も良かったし、合唱はそれ以上に本当に素晴らしかったのだけれど、一部主役級の歌手の力不足が(良く分かりもしないのにナマイキかもしれないけど…)感じられてそこがなんとも残念だった。

 いくつかあるこのオペラの盛り上がる処で、何かもう一つ盛り上がらない。なんとも納得がいかず後でもう一度プログラムを見てみたら、主役級の三人(アガーテ、エンヒェン、マックス役)が三人とも代役になっている。(しかも代役の理由が三人とも病気のためとなっている。こんなことって…) ぼくはオペラ全般のことはよく分からないけど、こんなことはよくあることなんだろうか。前の音楽監督ティーレマンがドレスデンを辞める時、いろいろとすったもんだがあったみたいなのだけれど、そこら辺が影響しているのか、いずれにしてもなんとも不可解である。

 逆にもしそんなことがあっての事なら、それでもまがりなりにもここまで纏め上げたのは当日の指揮者、エストニア出身の若手の指揮者Mihkel Kütson(キュットソン?)の力があったからなのかもしれない。ちょっと肩透かしは食ったけれど、でもモノは考えようで、もしぼくが今回ドレスデンの舞台で完璧な「魔弾の射手」を観たとしたら、ぼくの中の魔弾の射手の夢はそれで終わった訳で、そういう意味では今後に期待が繋がったと思うようにしよう。


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 逆に望外の楽しい経験になったのが翌日のJ.シュトラウス二世のオペレッタこうもり」の公演だった。それは歌舞伎や洒脱な大衆演劇を観ているような理屈抜きの愉しさ。「こうもり」は大昔に一度観ただけなのだけれど、ビデオなどでは何度となく観てはいた。オペレッタ独特の語りと笑いのツボをくすぐる演出。とにかく観ていて楽しくて面白くて、後で芸達者な役者達にただただ感心させられた。ある意味ではオペラよりも幅広い芸の力が要求されると感じた。

 今回の舞台は演出も斬新だし、特に牢番役を演じたヴォルフガング・シュトゥンプ(Wolfgang Stumph)の演技は抱腹絶倒の連続だった。彼は歌手ではなくベテランの役者で10年以上もこのドレスデンやブレーメン等の舞台で牢番役をやっているらしい。また、他のドイツの小劇場(キャバレット)でも活躍しているベテランの役者だ。彼が単独で演技する歌の無いシーンがたぶん三十分位いは続いたと思うけれど、アドリブもまじえて全く飽きさせない、それどころかぼくみたいにドイツ語のあやしい人間でも涙が出るほど腹を抱えて笑わせる力量は凄いの一言に尽きる。

 また他のシーンでは、女中役のアデーレが舞台から客席に降りてきて客と絡み合うのだけれど、ぼくは前から二列目の席に居たのだが、彼女が演技でぼくの前の席の老紳士の膝に乗って彼をからかいながらもぼくの方に向かって手を差し出した。とっさのことで、ぼくは思わずその手をとって軽い握手をしたのだけれど、後から考えるとあれは差し出された彼女の手と握手するのでなく、差し出された彼女の手の甲にキスをするべきだったのだと気が付いたけど後の祭り。なんとも無粋なリアクションをしてしまった、反省しきり。でも、最高の夜だった。

 
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 ドレスデンからライプチッヒに移って、最後にベルリンに入った。ここは美術館が楽しみだったのだけれど、コンサートも二つ楽しみなのがあった。その一つがズービンメータの八十歳のバースデー・コンサートでバレンボイムもでる。これを皮切りに今年中に何度か開かれるバースデー・コンサートのシリーズの皮切りだったのだけれど…。

 結論から言うと、会場を間違えて聴けなかったのだ。なんともトホホな話。その日のオーケストラはベルリンフィルではなくてSKB(Staatskapelle Berlin)と言われるベルリン国立歌劇場のオーケストラでベルリン国立歌劇場(Staatsoper Unter den Linden)の建物は現在リニューアル工事のため、ここ数年は会場としてシラー劇場を使っている。手にしていたチケットにも大きくStaatsoper im Schiller Theaterと書いてある。生半可にそのことを知っていたためにあらぬ思い込みをしてしまった。

 で、何の疑問も持たずその日開場時間に合わせてシラー劇場に行った。ところが開場時間が近づいてもホールが開かないし、客も数人しか来ない。来た人は皆怪訝そうにしている。シラー劇場の壁に貼ってある公演案内には今日の演目もちゃんと出ているのに。その場にいたやはり不思議がっているドイツ人の夫婦と話してみると、自分たちもチケットを持っているのだけれど訳が分からないという。その内奥さんがスマホでネットを見て公演が中止になったらしいと言う。それにしては案内の張り紙も無いのが不可解だ。

 とにかく明日またチケットオフィスに来てみましょうよ、ということで別れたけれど、何とも解せない。モヤモヤしながらこのままホテルに帰るのも癪に障るので劇場の裏手に回ったら、レストランというか飲み屋があったので入った。これは幸いした。とにかく雰囲気の好い所で、それに女将さんも好い感じ。客は地元の人ばかりらしいけど、今までベルリンで入った飲み屋では一番居心地の好い所だった。Schiller-Klauseという店の名前の通りシラー劇場に関わる色々なアーチストが来たらしく壁には多くの写真が飾られていた。いいなぁ此処。うん、これはこれで悪くはない想い出になりそうだ。

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 *結局、会場を間違えたのでした。その原因は現在はSKB公演=シラー劇場でという思い込みでした。チケットの券面はいかにもシラー劇場ですが、よく見るとチケットの左下に小さく会場はベルリンフィルと書いてありました。その日の公演はちゃんとベルリンフィルで行われていたのです。そうだとすると、あの時ドイツ人夫婦の奥さんの方が何やらネットで見て急きょ公演中止になったと言った情報は何だったのでしょうか。最終的には他にもドイツ人や外国人など何人かの人がシラー劇場の前に集まったのですが、結局その情報でみな会場を後にしたのですが…。ああ…。

[ベルリンのオーケストラとメイン会場]
言い訳になりますが、ベルリンにおけるオーケストラの名前やメイン会場はなんとも紛らわしいのです。
・ベルリン・フイルハーモニー管弦楽団/Berliner Philharmoniker(オーケストラ名)
・ベルリン・フィル/Philhamonie Berlin(メイン会場名)

・ベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)/Staatskapelle Berlin(オーケストラ名)
・ベルリン国立歌劇場/Staatsoper Unter den Linden(メイン会場名) 但し、現在同劇場がリニューアル中のためシラー劇場/Schiller TheaterがStaatsoper im Schiller Theaterとしてメイン会場になっている

・ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団/Deutsche Oper Berlin(オーケストラ名)
・ベルリン・ドイツ・オペラ/Deutsche Oper Berlin(メイン会場名)

 また先日来日した
ベルリン・ドイツ交響楽団/Deutsches Symphonie-Orchester Berlinはまた別の楽団です。他にもベルリン・フィルを本拠地とするベルリン放送交響楽団/Rundfunk-Sinfonieorchester Berlinなどもありますね。複雑な一因は旧東ドイツ時代の楽団との統廃合などの影響もあるようです。


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<Photo>上から…
・ドレスデンのザクセン州立歌劇場
・ザクセン州立歌劇場内
・オペラ「魔弾の射手」のカーテンコール、中央は指揮者のキュットソン
・開場時間間際になっても誰もいないシラー劇場前
・シラー劇場裏の飲み屋Schiller-Krause内、3枚
・ロゴ上、ドレスデン歌劇場前のCafe Schinkelwache店内から
・ズービンメータの"幻の"チケット


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ヴェンダースみたいに [gillman*s Lands]

ヴェンダースみたいに

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 (「ベルリン天使の詩」に関してのインタビューで)…私にとって、旅をしている状態がいちばん居心地がいいのだ。1か所にとどまっていると、すぐ退屈するし、観察力も鈍っててしまう。未だに知らぬ場所に出かけて、そこをあてどなくさすらう。その高ぶり、感覚の増幅が、私にはたまらない魅力だ。ちょうど熱に浮かされている感じだろうか。わたしが"旅"を、もっと厳密に言えば"動いている状態"をテーマにするのは、そうした私の想いの所産と表現できるだろう。…
   (「Wim Wenders Faraway,so close!」 Interwiewより)


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 ライプチッヒからベルリンまでICEの特急で1時間とちょっと。隣の席にはドイツ人の老夫婦が座った。時々だんなと二言、三言言葉を交わす程度で奥さんの方はじっと窓を見つめている。目をつむっている時もあるけれど、眠っているわけではない。ぼくはこの二人がどんな旅をしているのか気になった。とは言え、今は自分も旅人であることに違いはない。

 その作品にはロード・ムーヴィーが多い映画監督ヴィム・ヴェンダースは彼にとっては旅をしている状態がいちばん居心地が好いという。ぼくは旅が好きだけれども必ずしもそれが一番居心地が好いとは思っていない。事実旅に出するとすぐ家に帰りたくなってしまうのだ。数日すると諦めがついて旅を続けようと言う気になるけど…。

 今の日常にだって別に退屈したことはない。それじゃあ何で旅に出るのかというと、どこか他所に新しい日常を探しに行っているような気がする。それは、今の日常に退屈していることなんじゃないかと言うかもしれないけれど、そうではなくて単純にどこかに別の日常があって、そこにも身を置いてみたいし、そこにはそれを構成している人たちがいるのだということを知りたいだけなのだ。

 だから、何処かへ行っても熱心に観光地を観て周ると言うのはあまり好きじゃない。その街にお気に入りの美術館と飲み屋があればそれで十分で、というよりそれを探して歩いていると言った方が好いかもしれない。ということはそういう所が見つかればその街ではそれで十分であとはホテルの部屋の所定の所に所定のモノを置いて身の周りの日常の環境を整えればそれで好いのだ。

 ただ、ヴェンダースの言うように旅に出ると、日常で鈍ってしまった観察力が蘇ってくるというのは確かにあるかもしれない。旅先で見聞きしたものを自分の日常と比べたり、もっと言えば旅先で自分の身を守るためにも目を凝らすということが必要になって來る。観察という点でいえば、ぼくの場合写真を撮るために旅に出ることはないけれど、旅でカメラを持っていると自分の裸眼では気が付かないところにも目が行くような気がして、カメラはぼくのもう一つの目であるように感じている(もちろん写真の巧い下手は別として…)。

 ヴェンダースのロード・ムーヴィーの場合、旅は目的地に着くことよりもその旅自体が目的であるような場合が多い。旅の中で感じたこと思ったことは、もしかしたらその旅でないと生まれなかったことなのかもしれない。隣の席の老夫婦のご婦人のようにボーっと窓の外を見ていることもその旅の重要な産物なのだ。そういう意味では列車の旅は豊かな時間を与えてくれる。12時間の飛行機の旅よりも1時間ちょっとの列車の旅の方が物思いにふける時間がずっと多いような気がするのだ。

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Dresden~Leipzig [gillman*s Lands]

Dresden~Leipzig ドレスデンからライプチッヒへ

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 ドイツの状況は随分と変わってしまっていた。年明け早々ドレスデン等に冬の音楽シーズンに音楽を聴きに行くのと、逆にシーズンオフのすいた美術館を回ることにしていたのだけれど、出発前の年明けにネットで在独日本大使館のサイトをチェックしていたら「12月31日深夜(現地時間)、ミュンヘン市警察は、深刻かつ差し迫ったテロの脅威があるとの理由からミュンヘン中央駅とパージング駅に近づかず、群衆が集まる場所は避けるよう警戒を呼びかけました。 一時、両駅は警察により封鎖されました」という注意喚起を見つけた。

 ドレスデン空港へはミュンヘン空港で乗り換えてゆく予定だったのでその後の経過に注意をしていた。幸い危惧したような事件は無かったけれど、念のため外務省の「旅レジ」にドイツ渡航の登録をして緊急事態に注意喚起メールを受け取れるようにしておいた。そうして7日には羽田を飛び立ったのだけれど、その頃には年末にドイツのケルンで起きた難民によるドイツ人女性への暴行事件の騒ぎが拡大しつつある様子が耳に入り始めていた。

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 ドレスデンは今までにも何度か訪れているけれど、最近ではドレスデンはPEGIDA(西欧のイスラム化に反対する欧州愛国主義者)の本拠地として彼らのデモが頻繁に繰り返され、またそれに反対する親移民派のデモも行われていた。そうした動きを危惧してかドレスデンの旧市街のアカデミーの壁にはDas Land, das die Fremden nicht beschützt,geht bald unter.(異国人を保護しない国はやがて没落する)というゲーテ作品の中の言葉が掲げられていたし、ゼンパー(ドレスデン州立歌劇場)の電光掲示板には「素晴らしい音楽は多彩な色彩を持っている」などの異文化との共存をたたえるスローガンが流されていた。

 ドレスデンに着いて二日目の夜、デュッセルドルフの総領事館から明日ケルンで大規模な反難民デモが予想されるのでその一帯には近づかないようにとの注意喚起のメールが来た。そのメールを見るまでも無く、ドイツのテレビでは連日ケルン事件の報道が頻繁に流されていた。幸いドレスデンでは不穏な動きは無かったが…。

 ドレスデンには四日ほど居たので買い物の必要もありいつもは行ったことのないエルベ川の向こうの新市街に行った。橋を越えてアルベルトプラッツからローテンベルガー通りをあがって横道に入ると、通りの様子が一変する。商店の様子もタトゥー屋や外国食品の店など怪しい雰囲気の店が多いし、何よりもほとんどすべての家の壁にペイントがしてある。なんか一昔前のブロンクスのようだ。道行く人の会話からも独逸語らしきものが聞こえてこない。

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 一昨日ドレスデンから列車でライプチッヒに移動した。ドレスデンでは目立ったPEGIDAの動きは無かったけれど、ここライプチッヒはある意味でもっと過激なLEGIDA(Leipzig gegen die Islamisierung des Abendlandes/西洋社会のイスラム化に反対するライプツィヒ)の本拠地でもある。

 旧市街を歩いている時、街なかや聖トマス教会で一枚のポスターを見かけた。Leipzig Beilbt Helle.(ライプチッヒは明るいままだ)つまりライプチッヒは明るい、明晰で、差別のない街であり続けると言う意味だと思う。その意思表示として今日ロウソクの灯りを持ち寄って光の鎖を作ろうと言う呼びかけだった。

 これはつまりLEGIDAの動きをけん制するものだと思うけれど、LEGIDA側も黙ってはいないだろう。街へ出た時異様なほどパトカーが多かったのはそのせいだったのだ。旅の疲れもあったので昨日の晩は駅前のホテルで早目にシャワーを浴びて部屋でワインを飲んでいた。外は小雨が降りだしている。底冷えのする晩。

 部屋で寛いでいると窓の外がさわがしい。ホテルの部屋の窓の下を大音響をあげてデモが通って行く。教会の先の広場に向かってるようだ。人々は手に手にロウソクを持って広場に向かってる。どうやらあのポスターの「Leipzig bleibt helleライプツィッヒは明晰であり続ける」という共生賛成派の意思表示のデモのようだ。反対派の殴り込みが無ければいいのだけれど…。

 人々は雨の中ここの近くの聖ニコライ教会の方に向かったようだ。ここは東ドイツ時代1989年10月9日、7万人に膨れ上がった参加者が「我々が人民だ(Wir sind das Volk!)」(=我々こそが主権者たる国民だ)と叫び大規模なデモが起こった場所。それが東ドイツ平和革命の発端だった。その1ヶ月後にベルリンの壁は崩壊した。

 夜更けまでテレビのニュースを見ているとデモの様子が簡単に報じられた程度だったが、一夜明けて詳細なニュースが入ってきた。昨日のデモ後、共生派との衝突こそなかったがやはりLEGIDAが暴れ出し、街なかで破壊行為を行い騒乱状態になって250人が逮捕された。やはり心配していた事が起こった。 今…ドイツは揺れている。

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 *ドイツは現在でも他の地域に比べて安全な国であることは間違いが無いのですが、現在のように膨大な数の難民の流入やEUの不安定化が続くようだと、治安上の不安も増大してくるのではないでしょうか。また、ドレスデンにしろ、ライプチッヒにしろ旧東ドイツの地域であるということが関係あるのかもしれません。言われていることですか未だに東西ドイツの地域的経済格差があるようです。

 **ドレスデンの新市街の一部の様子を見ると、毎週日本でいう大掃除くらいのレベルの掃除をする整理整頓好きのドイツ人気質からすれば、とれもストレスのかかる光景かも知れません。価値観の闘争の面もあるような気もします。

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ライプチッヒ。不穏な夜。


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Saudade 郷愁 [gillman*s Lands]

Saudade 郷愁

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  リスボンジェロニモス修道院の中に入ると、うす暗い空間の中に細長いステンドグラスをすり抜けてきた光に浮かび上がった二つの石棺が目に飛び込んでくる。一つはポルトガルの国民的詩人ルイス・ヴァス・デ・カモンイス(Luís Vaz de Camões)そしてもう一つはヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)の棺だ。

 この二人はポルトガルの栄光を作った。ガマはインドへの航路を発見しポルトガルの目線を世界に向け、カモインスはそのガマが築いた航路でアジアに向かい言葉の世界でポルトガルの栄光を築いた。諸説があるけどガマがこの世を去った1524年にカモンイスがこの世に産声を上げたというのも暗示的ではある。

 そして、さらに暗示的なことは、そのカモンイスが世を去る1580年、ポルトガルは事実上スペインに併合される。60年後にスペインから再び独立するけれど以降は植民地ブラジルの富をよりどころにしてきた。考えてみれば、イスラム教徒からレコンキスタ(国土回復)を行い、スペインから離れ、そして今度はナポレオンが…。

 イベリア半島の隅っこに、その先は海しかないという地勢的な運命が彼らにいち早く大洋に目を向けさせたのかもしれないけれど、片方では自分の国土自体も安泰ではなかった。上っ面を撫でただけの旅人の無責任さで言えば、そんな歴史がこの国の独特の雰囲気を作り出しているのかもしれないと思った。だからだろうか至る所にSaudade(サウダーデ/サウダージ)の空気が色濃く残っていた。

 サウダーデというのは郷愁と訳されることが多いけれど、よく言うノスタルジーとはまた少し違うらしい。うまく他の国の言葉には訳せないと言うけれど、ノスタルジーのように過ぎ去った過去に想いを馳せると同時に、ぼくらアジア人の基本的メンタリティーでもある「切なさ」みたいなものを色濃く含んでいるらしいのだ。

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 東京に戻る日が近づいた晩、地元の人が来るというバロカ通りにある小ぶりのファドハウスに行った。  さして広くない店内では店専属のギタリスト二人にファドの歌手が短い休憩を挟んで数曲づつ歌う。もちろんノーマイク。夜明けまで店はやっているらしいけど、そんなに遅くまでは居られないから、三人の歌い手の歌を聴いて後ろ髪をひかれる思いで店をでた。

 ぼくは、フラメンコ・ギターにのせて魂を振り絞るように歌うスペイン人エル・カマロンカンテ(歌)が大好きだったのだけれども、ファドはそれともまた異なる。それはもう少し押さえたいわば日本の演歌みたいな印象だ。もちろん歌にはアジアの印である「こぶし」がはいる。これはアラブの影響だろう。言葉は全く分からないけれど、ずっと聴いていても飽きることが無いし、ずっと聴いていたい。ほんとうに名残惜しい気持ちで店をあとにして夜中の路地に出た時、なんとなくこれがサウダーデの気持ちなのかな…と感じた。

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 *コインブラという村のCD店で今お薦めのファドのCDは何かと聞いたら、このMARIZAの最新のCD「Mundo(世界)」を薦めてくれました。帰って聞いたら実に好いアルバムでした。今風のサウダーデが感じられます。彼女の歌はYoutubeにもありましたので、是非一度聴いてみて下さい。もちろん往年の名手アマリア・ロドリゲスの歌も素晴らしいです。

 **本年も拙ブログをお訪ねいただきありがとうございました。みなさま良いお年をお迎えください



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Bon Dia! Lisbon [gillman*s Lands]

Bon Dia! Lisbon


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 リスボンの朝。古い街区であるアルファマ地区の路地は、石畳を洗う水で雨が降った後のように濡れていた。人々がポイ捨てした吸い殻や犬たちの落し物がそれできれいに流されるというわけだ。人々が動き出して、段々と活気が出てくる。路地裏の小さな店でリスボンの交通機関の一日券を買っていると、店の前の通りが交差する角におばさんが店を広げだした。

 店と言っても濡れた石畳の上に白い布をひきつめて、その上に次々と商品らしきものを並べてゆくだけ。商品はどうやら女性の下着がメインのようだ。そんなに人通りが多い訳ではないと思うけど…。しばらく見ていると、その内集金袋のようなものをブル下げたオジサンがその通りの角に立ってウロウロし始めた。

 オジサンは盛んに露店の方を気にしているんだけど、おばさんに話しかけるでもない。それともぼくが一日券を買った店に用があるのか。その店は駄菓子屋みたいにお菓子なんかも売っているけど、宝くじも売っている。店の中には近所のおばあさんやおじいさんらしい人が宝くじを買ったり、以前買ったのが当たっているかのんびりと見てもらったりして、狭い店の中はちょっと混んでいた。

 やがて通りかかったおばさんが店?の女性と何やら親しげに話して下着の品定めをしている。暫くしてその中から何点かを選んで買って行った。なんかリスボンの庶民の朝の雰囲気がマンマンでいいなあ。此処はもっと若い時に来たかったなと思った。靴の底が擦り切れるほどにこの坂の街を歩いて…。


 考えてみたら確かにポルトガルは今回が初めてだけれど、国境までは大昔に一度来たことがある。1971年の2月19日、友人とドイツから車でスペインの南端のアルヘシーラスまで行って、そこに車をおいてその前年の夏に続いて二度目のモロッコカサブランカまで行った帰り、セビリアを出てアラセナで一泊してから北スペインに抜ける前にポルトガルの国境が近くそこを超えればリスボンまですぐなので寄ってゆこうという魂胆だった。

 今はポルトガルもEUの一員だから国境が無いようなものだけれど、当時は国境の検問所もあって、その時はスペイン側とポルトガル側の間に両側がフェンスに囲まれた細く長い一本道があって、そこは丁度国境の中間地帯の様なものだったのかもしれない。その一本道を抜けると少し開けたところに出て、そこに国境検問所と事務所があった。

 そのまま入国できるものと思ったら、ポルトガルに入るにはビザがいるという。即時発行ビザは国境の事務所で発行できるけどそれには100エスクードかかるということだった。今はEUになったのでどこでも€(ユーロ)だけども、当時はスペインはペセタでポルトガルはエスクード。100エスクードと言えばいくらくらいか、たぶん1000円くらいのものだったと思うのだけど…。

 貧乏学生にはそれでも高く感じられて、それに幾分かをエスクードに替えなければならないし、そうすればロスもでる。ぼくの財布には小銭レベルだけどモロッコのデルハムとスペインのペセタ、その前に通ってきたフランスのフラン、それに虎の子の幾ばくかのドイツマルクがごっちゃに入っていた。結局、それならいいや、と断ってスペイン側に戻った。

 もちろん今だったら入国を迷うことはないけど、その時はポルトガルだってスペインとそんなに変わらないだろう、位いの気持ちでいた。あの頃にもしリスボンに入っていたら、この街の虜になっていたかもしれない。今でもポルトガルの国境についたときの国境警備員のBon Dia!(こんにちは)という陽気な声が耳に残っている。



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海岸線の向こう 〜ポルトガル・ギンショ海岸から〜 [gillman*s Lands]

海岸線の向こう 〜ポルトガル・ギンショ海岸から〜

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 ■ …それについては、檀一雄がサンタクルスから十六歳の娘のふみに宛てた手紙の中に記されている。
  
 ふみ様

 そらがカラッポになってしまって、空気さえ無いみたいな太陽ばかりが光り輝いています。砂浜が十キロばかり続いているから、そこを走り、泳ぐだけです。素敵な奥座敷が見つかり、その奥座敷で、(ドイツで買った三百円の)魔法瓶のお茶を飲むのが、うれしく、そこから三方に広がる大西洋を見下ろすのは、愉快を通り越しています。そこで、奥座敷の近所に海小屋を作れば、ペニシの風車小屋と、合わせて二軒。亡命するのに充分だろう、と、一人で悦に入っています。今はメロンと洋梨と葡萄と無花果の出盛りで、大メロン一個六十円(日本円換算)大瓜一個八十円の見当です。肉がバカみたいに安く、ふみも、父の小間使いになって、ここへ亡命してみたらどうですか。毎日西瓜(またはメロン)一個、大ビフテキ一枚支給します。  父

 そして、その手紙には、最後に「牛の津奥座敷景観」と記されたスケッチが描かれている。崖の上には「奥座敷二十畳岩」という岩が描かれ、その端の小高い部分が「父玉座」と記されている。…

  (「一号線を北上せよ」鬼火より/ 沢木耕太郎  講談社)


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 リスボンから車で西に40分くらい行った所にカスカイス(Cascais)という町がある。そこから少し山の中に入った王室の離宮のあるシントラ(Sintra)あたりまではシントラ・カスカイス自然公園と言って自然豊かな地域になっている。その地区の海っぷちにポツンと一軒のホテルが建っている。

 そこは17世紀にポルトガルがスペインのハプスブルク家によって支配された時代(60年間)に海の要塞として造られた建物で、今はラグジュアリーホテルとミシュランの星付きレストラン「フォルタレーザ・ド・ギンショ(Fortaleza Do Guincho)」になっている。ギンショというのはそこの海岸の名前で、サーフィンもできる海岸線がずっと続いている。建物はその海岸の崖の上に建っておりレストランの窓からは北大西洋の海を見渡すことができる。


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 窓越しに視界いっぱいに広がる海の水平線を目で追ってゆくと遥か右の方に岬が見えるのだけれど、そこがユーラシア大陸最西端と言われるロカ岬だ。そのロカ岬の向こうに日本の小説家、檀一雄が一年余り滞在して「火宅の人」を書き上げた小さな村サンタクルス村がある。

 サンタクルス村で彼は一軒の家を借り家政婦を雇って、彼の言葉を借りれば「天と地と私が鼎談(ていだん)できる所」で暮らしながら作品を書いた。時には村人を家に呼んで土地の材料を使って彼得意の料理を振る舞ったらしい。もちろん逆に彼が土地の料理を教わったということもあるだろう。

 のちに新聞の連載をまとめて出した彼の単行本「檀流クッキング」という本の中に、干ダラのコロッケ(バステーシュ・ド・バッカロウ)が出ているが、これは彼がこの時サンタクルス村で憶えたものらしい。

 ■ ポルトガルにやって来て、あちこちおよばれに出かけてゆく。例えば誕生祝だとか、何だとか…。するとまったく例外なしに「コジドー」と「バステーシュ・ド・バッカロウ」というご馳走が出される。「コジドー」というのは「煮る」ということで、煮物は何でも「コジドー」のはずだが、しかし客を呼んで「コジドー」といったら、大体様式がきまっている。…

…「バステーシュ・ド・バッカロウ」は、干ダラとジャガイモとタマネギを卵でつなぎ、パセリを散らしながら揚げ物にした至極簡単な料理であって、これなら、はなはだ日本人向きだ。殊更「馬鹿野郎のバステーシュ」と聞こえるから、みなさんも、せいぜい馬鹿野郎(干ダラ)を活用して、愉快なポルトガル料理を作ってみるがよい。子供のオヤッによろしく、また酒のサカナに面白い。…

   (「檀流クッキング」冬から春へより/ 檀一雄 中公文庫)

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  沢木耕太郎は檀一雄について「檀」と言う小説を書いているけど、その沢木がサンタクルス村を訪れた際の紀行文が「一号線を北上せよ」の中の「鬼火」と言う章に載っている。彼がそこを訪れた時には沢木は既に「檀」を書き上げて出版もされていた。檀一雄はサンタクルス村から日本に戻って四年ほどで肺がんでこの世を去っていた。沢木にとってこのサンタクルス村の訪問は言わば彼と檀一雄との関係の総仕上げのようなものだったようだ。

  レストランの外の崖に張り出したテラスに立ってゆっくりと水平線の端から端まで眺めた。この海岸線を右へ何処までも辿ればサンタクルス村に行き着く。左に目を移してその海岸線を、何処までも何処までも辿って行けばジブラルタル島の見えるスペインの想い出深い、懐かしい街アルヘシーラスにたどり着く。恐らくはもう二度と訪ねることの無いあの土地の匂いとあの時の陽の光を思い浮かべたら少し胸が苦しくなった。


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 *干ダラのコロッケはポルトのフレイショ通りの店で食べました。その時は写真(下の写真左)の様な小ぶりなものでしたが、スーパーあたりで売っているのをみると、ひと口では食べきれないような大きなものもありました。檀一雄はその本の中で、

 …さて、スプーン二本を左右の手に持ち、こね合わせたすり身をすくって、約五、六センチ長さの、三面の、稜を持った紡錘状の団子を作る。これが、娘達の自慢であって、日本の自称大家もシャペウ(シャッポ)を脱いだ。植物油でむらなく揚げれば、終わりである。 (「檀流クッキング」冬から春へ/ 檀一雄 中公文庫)


 と、こちらの方が素朴で美味そうですねぇ。

 **その時一緒に食べたのが、檀もきっと食べただろう「タコ飯」と「タコの天ぷら」(下の写真中)でした。タコ飯は一見赤飯のようですが、この色はタコから出た色のようです。どちらもタコが本当に柔らかくて、今まで食べたタコ料理の中でもピカイチでした。ちょっと日本人の口には塩分が濃すぎるかもしれませんが、こちらではそうなのかもしれません。

 ***ギンショのレストランで、檀一雄が同じ名前だと言ってそればかりを飲んでいたらしいのですが、ダン・ワイン(下の写真右)という赤ワインを飲みましたが、どっしりとした味の美味しいワインでした。ダンワインというのは銘柄の名前ではなくてポルトガルの中央部のダン川流域のダン地区でできたワインで、ポルトガルを通じて日本人が初めて口にしたワインはもしかしたらこのダンワインだったのかもしれません。


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                                          …つづく
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村の猫 ~オビドス村~ [gillman*s Lands]

村の猫 ~オビドス村~


 ポルトガルのオビドス村(Obidos)はリスボンから北に100キロほど行った処にある。13世紀はじめ、時の王ディニス王が王妃イザベルがスペインから嫁いできたときにこの小さな村をプレゼントして以来ポルトガル王妃の直轄地として栄えた。城壁に囲まれたメインストリートが一本きりの小さな村たげど観光客でにぎわっている。

 石畳のメインストリートの中ほどまで来ると、猫が道の真ん中に座っている。ゆっくり近づいて目線を猫の高さにする。日陰だから日向ぼっこでもないのだろうけど、逃げる様子はない。かといって餌をねだって近づいてくるわけでもない。目元の涼しげな三毛トラ。しばらくお付き合いすることにした。

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 ニャン。(こんにちは)
 ニャーン。(Bon Dia! こんにちは)
 何してるの?
 別に…。

 あ、子供が来た。
 子供:こんにちは~。
 ニャーン。

 行っちゃったねぇ。
 行っちゃった…。



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サンティアゴの背中 [gillman*s Lands]

サンティアゴの背中

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 カソリックの巡礼達はここスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラを目指していずれもフランスの地から発する4つのいずれかの巡礼街道300キロを歩いてやって来る。そして彼らが最後にたどり着くのが大聖堂全体を見晴らすように置かれているこのサンティアゴ(聖ヤコブ)像の背中なのだ。暗く狭い階段を昇ってサンティアゴ像の後ろから両手を回し抱きついてその背中に口づけした時その苦しかった300キロの巡礼の旅が報われる。

 ぼくはキリスト教徒でも巡礼でもないけれど、サンティアゴ像の後ろから手を回しその両肩に手を置いた時何とも言えない安堵感を覚えた。とてつもなく大きな背中を感じた。巡礼の旅の目的の一つは旅の苦難を乗り越えてこのサンティアゴの背中に辿り着くことによって自分が変われるということらしいのだけど、その背中が彼らにどれほどの安堵と歓喜を与えてくれたかは想像に難くない。

 仏教の仏像にしてもキリスト教のキリスト像やマリア像などにしてもある種の宗教的装置と言って仕舞えばそれまでのことなのだけれど、そこには本来目に見えない信仰という世界を何とか見えるようにしたいという長い時間をかけた信仰者の継続的な意志と、一方それによって信仰や布教をより強固なものにしたいという宗教者の思惑が交差している。

 聖人サンティアゴの遺骨の上に大聖堂を建てることによって信仰に新たな光が差し込むと同時に、かたや教会は巡礼者で潤いこの街の不動産の大半を所有するようにまで裕福になる。もちろんぼくにはその事に対して何かを言う資格はない。どんな宗教でも大きくなれば、純粋な祈りと組織を拡大・維持する意志という二本の柱になってゆくことは自明のことなのだから…。

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 今週の日曜日からポルトガルに来ている。昨日はポルトガルの港町ポルトから北に250キロほど上がった北スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラを訪れた。ここはエルサレムに次ぐカソリック教徒の聖地でサンティアゴ(聖ヤコブ)の遺骨を祭ってあり、中世から多くの巡礼が目指す地である。ぼくが訪れた時も丁度巡礼を終えた男女に出会った。

 彼女たちは八年かけて300キロの巡礼の道のりを少しづつ歩いて今日ようやく成就したということだった。日本のお遍路と同じように街道にはいくつか教会の宿坊の様なものや巡礼宿がありそのスタンプも誇らしげに見せてくれた。ただ、日本の八十八か所詣りのお遍路と違って、途中の何か所の教会を廻ったと言うのはさほど重要ではなくてあくまでも巡礼道を歩いてサンティアゴの背中にたどり着いたということが意味があるらしい。

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 カソリックの国、特にスペインやポルトガルを旅していると今でもここは宗教国家だなぁという気がする。考えてみれば数百年をかけてイスラムからレコンキスタ、いわゆる国土回復の戦いをして奪回したのだから無理もないかもしれない。とは言いながらも両国とも文化的にはイスラムの影響を色濃く残していて、それがその国の魅力の一つにもなっているような気がする。

 ここサンティアゴ・デ・コンポステラに来る前々日に訪れたファティマはカソリック教徒にとってのもう一つの聖地だ。こちらは時代的にはごく新しく1917年に起きた奇跡が元になっている。その年の5月13日三人の羊飼いの子供たちの前に聖母マリアが現れた。それから毎月13日に六度にわたってマリアが現れ、最後の10月13日には10万人のカソリック教徒が集まったと言われる。

 聖母マリアはここに教会を建てることとファティマの3つの預言と言われるものを子供達に告げた。以来このファティマの地は奇跡の地として多くの巡礼者を集め、当時は何もなかった平原に今では壮大なバジリカと呼ばれる大聖堂とにぎやかな街が出来上がった。バジリカと新教会にはさまれた広大な広場はバチカンのサンピエトロ広場をはるかにしのぐ広さだ。

 その広場を貫いて一本の道がバジリカ前の出現礼拝堂(聖母マリアが現れたと言われる場所に建っている)のところまで伸びているのだが、熱心な信者はその道を立膝の格好で一歩一歩にじり歩いて行く。来年はそのマリア出現の奇跡が起こってからちょうど100年目を迎える。式典にはローマ法王も出席する予定だと言う。何故ならこれはバチカンが正式に認めた数少ない奇跡だかららしい。

 ファティマの街の商店にはマリア像や奇跡を願って自分の身体の悪いところを治してもらうための蝋で出来た身体パーツの供え物などがずらっと並んでいる。毎年5月13日と10月13日にはこの広場に10万人を超す人が集まると言う。人々は奇跡を望んでいる。今世界は混とんとし始めてきた。イスラムとの争いは忌まわしい宗教戦争の様相さえ呈している。もし100年目にここで大きな奇跡を望めるなら、望むべくは世界に本当の平和が訪れることではないか。

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<Photos>
上から…
サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂のサンティアゴ像背後
同、正面からの全景…像の背後に階段がある
今巡礼の旅を終えた巡礼者
ファティマの新教会と広場を横切る道
広場全景
バジリカ全景と広場に集まった信者への説教台

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街で… Nürnberg [gillman*s Lands]

街で… Nürnberg (ニュルンベルク)

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 今回はバイロイトに行くのに羽田からミュンヘンに行ってそこからまた飛行機でニュルンベルクに行き、さらにそこからタクシーでバイロイトに入った。帰りも同じ経路で帰ることにしていたので最終日にニュルンベルクで一泊することにしていた。ニュルンベルクは何回か来たけれど好きな街の一つだ。

 ニュルンベルクで泊まるホテルは決めていなかったのでバイロイトのコンサートの日程が終わる頃、ネットで調べて予約を入れた。帰りの飛行機が朝なのでニュルンベルク空港に近い処にしたのだけれど、行ってみると本当に空港の目の前でしかもホテルの前には市内へ行く地下鉄の駅がある。

 空港駅から市街地の中央駅までは地下鉄で二十分位なので手軽に街に出られる。予約していたホテルには昼前についてしまったのだけれど、少し待っただけで部屋に入れたし、無料で部屋のグレードアップをしてくれていた。荷物を置いて即中央駅に向かった。大抵は車で来ていたので地下鉄に乗るのは初めて。

 空港から郊外のローテンバッハまでゆく地下鉄U2号線は全線が開通したのは1999年というから、ぼくが最初にこの街に来たころにはまだなかったはずだ。地下鉄は新しいせいもあるけど、飾り気はないが機能的で清潔ですっきりとしている。車両も日本のように中吊りの広告も無くシンプルだ。ヨーロッパでは多い自転車が乗せられるというのも気が利いている。

 ニュルンベルクに限らず地下鉄の中みたいに都会の情景を観察するのも旅の楽しみの一つだ。バイロイトから来るとこのニュルンベルクは大都会に見える。色んな所へ行くと出来るだけ地下鉄に乗るようにしているのだけれど、地下鉄の中と言うのはその都会のその地域の感じが比較的ストレートにでている感じがする。

 ある意味では都会に住む人間の生活に密着しているものなので、その色合いが反映されるのかもしれない。治安の良くない、もしくは不安のある地域の地下鉄は何となくうす暗くて汚いし、そうでない都市の地下鉄はそれなりに好い雰囲気をしている。ここの地下鉄もそういう意味では好い雰囲気だけど、写真を見ると天井にしっかりと監視カメラがついている。今、大挙してシリアなどの難民がドイツに押し寄せている。これからの治安のことも考えるとこういう監視カメラは必須なのかもしれない。

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 中央駅で降りて城壁の中の旧市街地にゆく途中ニュルンベルク州立劇場(Staatstheater Nürnberg)の前を通った。なんとも懐かしい建物だけれど、ここにはちょっと苦い思い出がある。もう大昔になるけど1971年の9月24日にこの劇場にヴァグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を見に来たことがある。

 その時は市政何百年記念かの記念行事としてミュンヘンあたりからも一流の歌手を招いてマイスタージンガーの公演を行うということで、ぼくも思い切って結構いい席の切符を買って友達と一泊の予定でハイデルベルクから車で向かった。ニュルンベルクでのマイスタージンガーの上演、それも選りすぐりのメンバーとあって会場は満員の盛況だった。

 例のわくわくするような前奏曲が終わって、劇は滞りなく進んでいたのだが、第二幕の職人たちの乱闘シーンで主役のハンス・ザックス役の歌手が本当に怪我をしてしまい頭から血を流すしまつ。ただちに幕が下りて何十分か待たされた挙句当日の公演はそこで中止となった。後日憤懣やるかたなく劇場に手紙を出したら入場料の一部を返してくれたけど…。


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<Photos (上から)>
・地下鉄U2号線ニュルンベルク空港駅の構内
・地下鉄の車両風景
・ニュルンベルクのカイザーブルク城
・市庁舎前のベンチで

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*ニュルンベルクは坂の多い街です。坂の上のカイザーブルク城から降りてきて市庁舎の前のレストランで一休みしました。外のテラス席で道行く人を眺めながらのんびりとコーヒーやワインを飲むというのが楽しみの一つですが、ぼくも暫くボーっとして通りを観ていました。

 レストランの丁度向かい側の市庁舎の壁に何台かベンチが置かれていて、カップルが座ったり中には本を読んでいる人もいます。そんな中におばあちゃん世代と孫でしょうか犬を連れた一家が一つのベンチにかたまって座っています。ぼくの頭の中にフト「家族の肖像」という言葉が浮かんできました。こんな穏やかなシーンがいつまでもずっと続いてほしいと願いながらシャッターを押しました。


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