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Nostalgia Ⅱ ~ココロのロココ~ [gillman*s Lands]

Nostalgia Ⅱ ~ココロのロココ~

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 東京は桜の咲く時期になっていたけれど、ドイツはそれよりは一月くらい前の気候だと思っていた。確かにヴァインハイムに着いた時はひやっとした空気に身が引き締まったが、ジャケットにマフラーという格好で問題は無かった。ところがバイエルン州に向かった頃から辺りの様子は一変した。

 ドイツは南へ行くほど寒いということは知っていたけれど、バスの中から平原がうっすらと白くなっている光景を見てもそれは朝方の霜かとおもっていた。ところが、そのうち空から白いものが降ってきてバスが目的地近くのフュッセンに近づく頃には辺りは何センチもの積雪がある白い世界になっていた。あたりまえだがドイツはやっぱり北国だったのだ。

 以前来たときにはバスで登ったノイシュヴァンシュタイン城の山道も積雪でバスが行けないために歩いて行くことになった。足元が悪くちょっときつかったけれども滅多に見られない城の雪景色というものを目にすることができた。昔から行きたいと思っていたWieskirche(ヴィース巡礼教会)も今回は行けたのだけれど、ここも雪に囲まれてイースターだというのにちょっとクリスマスのような雰囲気に浸った。

 草原の奇跡とうたわれたこの片田舎の教会はぼくが来たいと思っていた40年前には余り日本人には知られていなかったけれど今は世界遺産にも登録されて沢山の観光客が訪れているらしい。外見は白い清楚な教会だが内部は華やかなロココ調の教会だ。イースターの時期でもあるので、ミサが行われている時は信者以外は入れないことがあるのだが運よくミサ直前だったので入れた。そればかりかイースターのミサのリハーサルでパイプオルガンが演奏されている場面に遭遇した。

 ロココ様式の祭壇は確かに壮麗な装飾が施されているがなぜかゴテゴテとした感じはしない。ぼくはキリスト教徒ではないけれど「舞台装置」としての祭壇は好きである。ウィーンの教会でも素晴らしい祭壇に出会うことか出来た。もちろん祭壇は信者の神聖な場所なので好きだからと言ってむやみに写真を撮ることはしないようにしている。許可される範囲で邪魔にならないようにと気をつけている。

 教会でも場所によってはフラッシュ、三脚なしで礼拝の邪魔にならない形で撮影が許可されることがあるけれど、そんな場合でもフラッシュを焚いたり、ピースサインで写真を撮っている観光客が結構いるのだ。観光地であっても宗教施設は単なる場所やモノではないことを忘れたくはない。ひっそりと、そして心をこめて撮りたい。

 この教会が立てられたのは18世紀中ごろと決して古いものではないけれど内部の美しさはやはり特筆すべきものだ。この教会を建てたのはドミニク・ツィンマーマンという高名な教会建築家なのだけれど、彼の作った教会の中でも彼自身もこの教会を一番気に入っていたようだ。彼は、完成してからも晩年はこの教会の傍に住みつき、毎日自分の設計したこの教会に通い詰めたという。彼にとってここのロココ洋式の祭壇は全身全霊、心をこめたロココだったのだ。だからゴテゴテと感じられないのかもしれない。


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  (cam:NEX-7)


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Nostalgia  ~桜をあとに、ドイツへ~ [gillman*s Lands]

Nostalgia  ~桜をあとに、ドイツへ~

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 東京でもやっと桜の開花宣言が出ていたけれど、近くの公園の桜はまだ開花してはいなかった。年初から準備していたドイツへの旅行もやっと行けると確信が持てたのは出発の前々日だった。出発が近づくとばあさんの不定愁訴が強くなるのはいつものことで、何度か直前で旅行をドタキャンしたこともあるので今回も直前まで何度も医者に確認をしながら薄氷を踏む思いだった。

 ドイツは18年ぶりになる。サラリーマン時代に勤続20年の休暇枠があったが、長い休みをとらせたくないその時の上司の嫌味たっぷりな皮肉に耐えながら、それでも料金の一番高いゴールデンウィークに数日間休むだけで休みをつなげることで何とかカミさんを連れてゆくことができた。お陰で学生の頃住んでいたハイデルベルクの下宿を訪ね当時世話になった下宿のおばさんにカミさんを会わせることもできた。

 今回はハイデルベルクを始めとする西南及び南ドイツの街を18年ぶりに尋ねると同時に、40年ぶりに旧東ドイツ地域のベルリンヴァイマールを訪ねるのが目的だ。ドレスデンポツダムは今回が初めてだけれど殆どの街はいわばぼくの久方ぶりのノスタルジック・ジャーニーなのだ。

  ◆ ◆ ◆

 最初の晩はフランクフルト空港から車で1時間強のところにあるWeinheim(ヴァインハイム)のホテルに泊まった。本当はHeidelberg(ハイデルベルク)に泊まりたいのだが、街なかにはホテルが少なく中々とれないので比較的近くのこの街に泊まることなった。Weinheimの街は昔一度来たことがあるけれど静かで好い街だ。ホテルの周りは完全な住宅地で、ぼくらが着いた夕方は人通りも少なく静まり返っていた。ホテルの吹き抜けの窓から見下ろした街並みはどこにでもあるドイツの住宅地の街並みだ。それがぼくには却って嬉しかった。旅に出て一番嬉しいのは目を見張るような観光地よりも、違う世界にも日常があることを知ることだ。

 ヴァインハイムに着いた時にはもう日本の感覚で言えばもうとっくに夜になっている時刻だった。でも、ここでは今は8時を過ぎてもまだ充分に明るい。時差の関係で機内食の夕食は出たけれど明日の朝まではお腹が持たない間隔の時間が空いている。兎に角ビールを飲みたいということでレストランを探しがてら住宅地を散歩した。ホテルに来る途中バスで通りかかった時にレストランを見かけたという人の話を聴いていたので注意をしながらブラブラと歩いていると、確かにレストランらしき店を見つけた。入口は何かの会館になっているみたいでちょっと躊躇したけれど入ってみるとやはりレストランだった。

 店の中の様子はちょっとドイツ的ではない。エーゲ海の街らしい写真とミニチュアのギリシャ彫刻が店の中のそこここにおいてある。席の案内を頼むと入口付近のテーブルに座っていた親父がこっちだと顎をしゃくった。客だと思ったらこの店の人らしい。テーブルに案内されながら、店の雰囲気がかわっているので「なんか、ここ、ギリシャっぽいね」と聞くと、親父は「そうだよ」と言って奥に引っ込んだ。しばらくして入口の同じテーブルに座っていた中年のおばさんがぼくらの席に今度はもっと愛想良くメニューを持ってきた。どうやらここはギリシャレストランで街の住民の社交場にもなっているらしい。

 ぼくらの周りにはちょっと余所行きの装いのおばさん達やおじさんが談笑しながら食事をしたり、ビールやそしてギリシャの酒のウゾを飲んでいる。そう言えば今日からOstern、イースターだ。ヨーロッパではクリスマスに次ぐ休暇時期なのだ。イースターは毎年日にちが替わる移動祝祭日なのでぼくら日本人にはピンとこないけれど、こっちでは大切なイベントなのだ。カウンターの向こうではさっきの親父ともう一人の男性がギリシャ語らしい言葉で会話をしている。のんびりとした雰囲気だ。ぼくらも腰を落ちつけてゆっくりとビールを飲むことにした。一息入れるとやっと日本から離れた感じがした。



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 (cam:NEX-7/GRDⅡ)



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 *丘の上にあるハイデルベルク城のAltan(アルタン)と呼ばれるバルコニーから霧雨に煙る旧市街の街並みを眺めると胸が苦しくなるような気持ちになります。あの下の街で自分は苦しみ、悩み青春の時間を過ごしたのだということが夢のように感じます。今だから冷静に言えますが…


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桜はまだか [gillman*s park 12]

桜はまだか

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 東京も昨日桜の開花宣言をしたみたいだけれど、公園のソメイヨシノはまだ蕾のままだった。それでも濃いピンクの彼岸桜が数本咲いている一角では気の早いグループが木の下にシートを敷いてお花見をしていた。本格的な開花を待ちきれないみたいだ。

 春休み中とあって公園の中は子供連れの人で一杯だ。いつもは静かな公園もこの時期にはソリ・ゲレンデなどから子供達のはしゃぎまわる甲高い声が聞こえてくる。バーベキューのコーナーからはあの独特の匂いが漂ってくる。焦げくさいような、いろいろな食物の匂いが混ざり合ったちょっとすえた様な匂い。ぼくはその匂いがあまり好きではない。嗅覚が殆どダメになってしまったぼくの鼻は意地の悪いことにその匂いだけには敏感なのだ。

 バーベキュー広場を後にして通りを一本渡って公園未整備地区の方に入ると今までの喧騒が嘘のように人気のない静かな平原が広がっている。ここはいつまでもこのままの形で残しておいて欲しいと思う。もう長いことこの公園を見つめているけれど、素晴らしかった散歩道が遊具やコンクリートの歩道などの過剰な「整備」でつまらない場所になってゆく姿も随分目にしてきた。テーマパークのようにいろいろな設備を作って「遊ばせてもらう」スペースを作ることも良いかも知れないけれど、日本にももっと大人が静かに「遊ぶ」場所も残しておいてもらいたいと思う。 


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 *一年に一度くらいは夫婦で旅行したいということで去年から年一の旅行をすることにしてこの春も年初から準備をしていました。予定の日が近づくにつれてやっぱりばあさんの心気症の症状が強くなって医者通いが続いています。旅行に行く前日までまた以前のように直前でドタキャンをすることになりはしないかとストレスがつのります。

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春が来る前に [gillman*s park 12]

春が来る前に

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 昼ちょっと前に公園に散歩に行った。途中でマスクをかけてくるのを忘れたことに気がついた。家に戻ろうかとも思ったけれど、面倒くさいのでそのまま散歩を続けることにした。この間もマスクを忘れて花粉症のために目の痒みと鼻水でひどいことになったのだけれど…

 空は晴れているけれど風が結構強いし、その風が手に当たるとかじかむように冷たい。いつもの池の畔まで来ると一人のおじさんが鳥にパンくずの餌をやっている。ほんとうはここでは餌をやってはいけないのだけれども、散歩の際にここを通りかかるとたいてい誰かしらが餌やりをしている。

 鳥の方もそれを承知しているらしく、それらしい人がやってくると最初にハトカラスが、それからカルガモオオバンなどの水鳥がやってきて、最近では餌を投げ上げる人が多いのでヒヨドリ達も集まってきて木の上から餌が投げ上げられるのを狙っている。最後には鳥たちのおこぼれにあずかろうと、池の鯉達が近づいてくる。

 そのうち、もう一人のおじさんが近づいてきて餌を放り上げるとサッと鳥が飛んできてさらってゆくのを見て「すごいねぇ」といった。パンくずの餌を投げ上げているおじさんは自分が褒められたみたいに「まぁね~」とか言っていたが、もう一人のおじさんの方はそれに耳を貸す風もなく空を見上げていたので、それが単なる外交辞令で褒めたんだということが分かった。集まってきている鳥達のメンバーを見るとどうやら冬の渡り鳥たちは殆ど次の渡りの地に旅立ってしまったようだ。集まってくるのは留鳥達ばかりだ。

 鳥たちもおじさん達もみんなもうすぐ春が来ることを知っているみたいだ。そう、あと一息のところまで春は来ている。もうすぐだなぁ、と思った刹那、春が来る前にやっておかなけれゃならないあれやこれやがぼくの頭をよぎった。気がつけば毎日ダラダラと過ごしていて、やるべきことをやっていなかった。それと、これと、それから、あれも… 早く家に帰ってかたずけておかなくちゃ。

  (cam:Nikon D5000)


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祭りの後 [新隠居主義]

祭りの後

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 日本に住んでいる留学生達からよく聞く日本の印象の一つに、日本は兎に角お祭りが多いのにびっくりしたというのがある。いつでもどこかしらでお祭りをやっているように思えるらしい。ぼくらはそんな感じはしないのだけれど、特に韓国から来た学生は日本人のお祭り好きに目を見張る。言われてみれば確かに日本では春祭りだ、夏祭りだ、秋祭りだ、花火大会だ、冬の秩父夜祭りだ、ナマハゲだと各地で季節季節にお祭りがあるような気がする。

 お祭りといえばお神輿だ。日本人はお神輿を担ぐのが好きだ。お神輿のことは英語でportable shrineというが直訳すれば携帯神社ということでちょっと表現が軽い感じはするけどうまい言い方かもしれない。でも、日本人がお神輿で担ぐのはなにも神社だけじゃなくて酒樽だったり、神木だったり、中には男性のシンボルの形を担ぐお神輿まであるらしい。なにしろ日本には八百万(やおよろず)の神がいるから何だって担いでしまえば神様になってしまうのだ。 

 一昔前の日本式経営を「お神輿経営」と称する言い方がある。トップはさして有能でなくても大勢のミドルが担ぎあげてグングン進んでゆく。それはいかにもエネルギーに溢れた組織の在り方でもあるが、同時に何かあっても誰も責任をとらない集団無責任経営と揶揄される側面も持っていた。古来から政治は「政・祭り事(まつりごと)」と言われたように日本の政治も同様の性格を持っていたと思う。

 戦後の日本政治は傑出した一人の政治家がこの国を引っ張ってきたというよりは、中堅の政治家や役人という言わばしっかりとしたミドル層が形ばかりの指導者を担ぎあげて突き進んできたように思う。それは一つの時代を作ったしそれ自体は評価されるべきだと思うけれど、何か不測の事態や大きな変化に直面した時に誰も指針を示せないし、結局誰も責任もとらないという負の側面が今大きく出てしまっていると思う。

 数年前にぼくたちは政権交代という大きな「お祭り」を経験したけれども、祭りの後である今は何も残っていない。祭りが終わってみれば「政(まつりごと)」の世界では神輿として担ぐモノもなければ、それを担ぐ人もいないという惨憺たるあり様になっている。今の日本の政治的な混乱をナチスが登場する前のワイマール時代になぞらえる向きもある。こんな時にはカリスマ性を求めるあまりに「独裁」と「指導力」をはき違えてしまう恐れがある。マスコミもまたその片棒を担ぐリスクを持っている。今はぼくらが最大限の用心をする時だ。あとの祭りにならないように…

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   (cam:GRDⅡ)

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You Must Believe in Spring [gillman*s park 12]

You Must Believe in Spring

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 もうそろそろ春になったっていいじゃないかぁ、と思いながらコンビニとばあさんの薬を薬局にとりに行きがてら公園まで足を伸ばした。夕方からは曇り空になるらしいけれど、今朝は明るい陽射しが気持ちのいい朝だった。天気がいいと重いカメラでも苦にならないのか、コンビニに行くと言いながらもいつものGRDⅡじゃなくてD300が首にしっかりとぶる下がっていた。

 少し歩き出してから、用事を済ますのは後にして散歩を先にすることにした。光が好いうちに光の中を歩こうと思った。公園の南側の丘にくるといつものようにこんもりとしたクスノキの木立の下で犬を連れた数人の人が犬を遊ばせながら雑談をしている。 遠くから見るとこの小さな森はまだ黒々として見えるけれど、枝の間をすり抜けて下草を照らしている光はもう温かい色をしている。


 何匹かの犬たちは日向の草の上に座り込んで日向ぼっこをするように空を見上げている。 春が近いのは公園にいる人の数が増えたのでも分かる。池の畔のウッドデッキの上では近所のおじさん達が何やら話している。「マスクして、花粉症かぁ?」「んな上等なもんじゃあねぇんだよ。風邪だよ、風邪」「まぁ、歳食ってくると花粉症にもならねぇっていうからなぁ」「あれ、大崎さんは今日はどうした?」「ああ、今日は来ねえとよ」「どうしたんだろうなぁ?」「色々と大変みてえだな」

  おじさん達の会話を聴きながら犬はデッキのそこらへんをウロウロしている。首輪をしているけどリードは付いていない。誰の犬かは分からない。おじさん達からちょっと離れた処に女性が一人で立っている。彼女の犬かもしれない。 ぼくは池にせり出したデッキの手すりに寄り掛かっておじさん達を眺めている。

 デッキの上でのおじさん達と犬と女性の配置がなんか演劇の舞台の上の一つのシーンのように思えた。筋立てがこれからどうなるのかは分からないが… なんか大変そうな大崎さんの話が展開するのか。でも、春はもうそこまで来ている。You must believe in Spring.
 
 (cam:Nikon D300)

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 ⇒公園、あの日、あの場所 Stand by me

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 「You Must Believe in Spring」はBill Evansのぼくの好きなアルバムタイトルでもあり、もちろんその中に収録されている曲の名前でもあります。作曲は多くの名曲を世に出したミシェル・ルグラン、作詞がアラン&マリリン・バーグマンです。

 エヴァンスのこのアルバムは彼のアルバム「Walz for Debby」とならんで不朽の名盤と言っていいと思います。エヴァンスのピアノのリリシズムが曲の至る所に溢れています。この曲はメロディーはもちろん歌詞も素晴らしく、その内容はどんなに辛くともやがて春はやってくるのだから、そう信じなきゃ…というものですが、この曲を録音した数年後にエヴァンスは薬物などの荒廃した生活の果てに命を落としました。彼には春は来なかったのでしょうか。

 ピアノでこの曲を堪能するにはエヴァンスのこのアルバムがベストだと思いますが、この美しい歌詞を堪能したいならオペラ歌手のジェシー・ノーマンがミシェル・ルグランの曲を歌っているアルバム
I Was Born In Love With You Jessye Norman Sings Michel Legrandも素晴らしいです。ジャズとは異なる発声法で歌われたルグランの曲は今までとはまた違った魅力を見せてくれます。

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 You Must Believe In Spring
 

 ♪ When lonely feelings chill
   The meadows of your mind,
   Just think if Winter comes,
   Can Spring be far behind?

   Beneath the deepest snows,
   The secret of a rose
   Is merely that it knows
   You must believe in Spring!

   Just as a tree is sure
   Its leaves will reappear;
   It knows its emptiness
   Is just the time of year

   The frozen mountain dreams
   Of April’s melting streams,
   How crystal clear it seems,
   You must believe in Spring!

   You must believe in love
   And trust it’s on its way,
   Just as the sleeping rose
   Awaits the kiss of May

   So in a world of snow,
   Of things that come and go,
   Where what you think you know,
   You can’t be certain of,
   You must believe in Spring and love
   You must believe in Spring and love

     (Alan & Marilyn Bergman / Michel Legrand)



     


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熱海青春旅行 [新隠居主義]

熱海青春旅行

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 カンザクラというサクラの一種があって、学名をプルーヌス・カンザクラ(prunus Kanzakura, Makino)と称する。落葉喬木で多くの枝を分かち、繁く葉をつける。高さはおよそ一丈半くらいにも成長し、幹はおよそ一尺余にも達する。

 このカンザクラは、ふつうのサクラよりはずっと早く開花する。寒いときに早くも花が咲くというので、寒桜の名がある。彼岸ザクラに先だち、すなわち二月には花がさくので、ふつうのサクラの先駆けをする。しかし東京では寒気のためにその花弁が往々傷められがちであるが、駿州辺のような暖地ではまことにみごとに開花する。 …

 … 私は伊豆の熱海の繁栄策の一つとして、以前から考えていることがある。それをもし熱海の人士が実行するならば、これは確かに熱海の利益である。そしてその花時に際しては、東西南北のお客を熱海に吸い寄せることができると信じて疑わない。すなわちそれは上の寒桜緋寒桜とを利用することだ。

 その策は、カンザクラの苗木をまずおよそ千本くらい(なおたくさんあれば多々ますます弁ずる)用意して、これを熱海の適当なる地へ植えこむ。そしてまたかの緋カンザクラ(現に上のカンザクラもこの緋カンザクラも数本は既に同地の人家に栽えてあって、毎年よく花が咲きつつあるから、この両樹は同地に適する)の苗を同様用意してこれを植える。

そしてそれらが生長して花が咲くようになれば、この両樹の花は熱海のような暖地では、早くも一月時分から開花するので、そこで熱海ではもうサクラの花が咲き、それが赤白二色の咲き分けとなっているとて、とても評判になり、そら熱海のサクラの花見に行けとて押しかけるワかけるワ、汽車はいつも満員であろう。熱海の旅館やホテルの主人たちが、なぜこの点に着眼しないかふしぎである。

 これは言うべくして容易に行なうことのできるなんでもないことがらであるから、私は同地の繁栄のため早くこの二つの赤、白サクラを栽えられんことをお奨めして止まない。マーやってごらんなさい。きっと当たるよ。そして後にはようこそ植えたということになる。

 そこで熱海でしかるべき地を相して、寒桜を各方へ分散して植えずにこれを一区域へ列植して一群の林を作る。それから一方の緋寒桜も同様これを方々へ分植せずに、これも一群の林となるように列植する。そしてなるべくはこの二桜林を左右か上下かに接近させる。

 まもなくそれが生長し花を開くようになると一方は白いサクラ、一方は赤いサクラと咲き分けになり、それが二月頃同時に開くから熱海では赤白咲き分けのサクラがはや咲いているとて大評判となり、この機逸すべからずと同地の宿屋連中が馬力をかけて大いに広告すれば、そら行って花見をせよやとお客がわれ劣らじと四方八方からワンサワンサと押しかけ来たり、宿屋はたちまちみな満員、桜の林には人だかり、とても同地は賑わうことであろうと信ずる。
  
   
寒桜の話(牧野富太郎)
 

   ◆ ◆ ◆

 先週、留学生達と熱海温泉に一泊旅行に行った。前々から温泉に行きたいという希望はあったのだけれど、スケジュールと予算の点で中々折り合いがつかない。特に留学生にとっては円高なこともあって費用は大きな関心事だ。温泉に一泊すると二食付きで普通は1万5千円位はすると言うと、一人の学生が「えーっ、ワタシ500円で温泉入りました」と言う。聞いてみればそれはスーパー銭湯か日帰り温泉なのだけれど、それだって場所によってはそんなに安くない。

 色々と調べてみたら熱海に一泊二食付きで9800円飲み放題、食べ放題というホテルがあったので若い人達にはピッタリということでやっと学生たちの賛同をえた。そこは名前を聞けば誰でも知っている有名なホテルなのだけれど、法人需要の減った熱海の生き残り策なのだろう安価定額を謳っている。参加学生は女性4名、男性2名で国は台湾、韓国とロシアだ。台湾の男子学生O君はみんなと一緒にお風呂に入るのが嫌だと言って今回はパス。

 旅行当日「ぼくは雨男です」と威張っていたG君の言葉通りに朝から雨。そのG君が待ち合わせに来ないので電話したら予定を一週間間違えて知らずにバイトをしていた。後追いして熱海で待ち合わせることにする。学生達と待ち合わせをすると、いつもと言っていいほど誰かしらが来ない。熱海に着いて後から来るG君を待っているうちに、ロシアと台湾の女性達が3月下旬には国に帰るのでなんとしても日本の桜を見たいと言う。

 今年は寒い日が長く続いたので3月下旬では桜の開花は微妙だ。改札口の脇をみると、河津桜が今満開だという看板が出ていた。河津なら熱海から1時間半位でいけるし今が満開の見ごろだと提案したけれど、往復運賃が3200円位かかるといういことであえなく却下。ああ、熱海市が牧野先生のご提案を真摯に受け止めていたら今頃は熱海の桜並木の下を…、と思ったがもう遅い。

 翌日プランの江の島水族館も入場料2000円で却下。結局、横浜に寄って街を散策してから横浜近郊の上大岡にある同行した日本人のTさんのお宅にお邪魔することに落ち着いた。
ぼくらは折角旅行に来たのだからと、学生達を楽しませるプランを色々と算段してみたけれど、みんなとワイワイしていることだけでも楽しかったみたいだ。新幹線にも乗らず普通の通勤列車の快速で熱海に行く途中だってキャ~キャ~楽しそうだった。お金を使うことだけが能ではないな。忘れていた自分の若い頃の旅の愉しさを想い出していた。

 夜もふけてTさん宅を辞して京浜急行上大岡の駅で皆で電車を待っている間に台湾のHさんが「あ、この駅のベルのメロディ、何処かで聴いたことあるよ!」と言いだした。皆でもう一度耳を澄ます。「あ、これ、絶対聴いたことがある!」と韓国のKさんも。皆でもう一回聴いたけれど曲名が出てこない。そのうち電車がきてしまった。ドアが閉まる時もそのメロディがなっていた。電車にのってからKさんはスマホで何やら懸命に調べていた。そして大声で「ゆずだよ! ゆずの"夏色"だよ!」と叫んだ。同時に皆で「そうだ、ゆずだ!」と叫んだ。周りの日本人の乗客はキョトンとしていた。熱海青春旅行。愉しかったな。


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  *熱海温泉は昔の社員旅行や宴会を主体とした団体旅行の需要が減って苦戦していました。ぼくが勤めていた会社でも地域の活性化策としていくつかの企画を提案したこともあります。先日訪れたホテルは資本が変わって今のようなシーズン、曜日に関係なく定額で宿泊でき、かつバイキング方式の飲み放題・食べ放題形式になったようです。熱海の活性化策の一つにはなっていると思いました。

 **留学生の中には座敷に布団を敷いて寝るのは初めての体験という学生もいてちょっと興奮気味でした。夕食が終って、露天風呂に入ってから部屋で浴衣姿で座卓を囲み皆で夜中まで話し込みました。学生たちには日本語のいい勉強にもなりますが、ぼくたちにも愉しいひと時でした。

 ***後で調べてみたら京浜急行上大岡駅の近くの街が「ゆず」の出身地らしく、それで上大岡駅のベルにはゆずの「夏色」のメロディーが使われていたんですね。日本の曲や俳優についてもみんな詳しいです。

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南三陸町 あれから一年 [新隠居主義]

南三陸町 あれから一年

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 一月の末に宮城県の南三陸町を訪れた。その日は生憎この冬で一番冷え込んだ日だった。時折、青空が覗いたり、かと思うと頭上に覆いかぶさるような曇天になったり、そして夜には大雪になった。一日の中でも目まぐるしく天気が変わる。その日は終始一貫して冷たい風も吹き続けていた。

 志津川町で行われていた福興市から山内鮮魚店の仮店舗に寄って、何もなくなってしまった浜の漁港の辺りについた頃には日も傾きかけていた。ポツンと屋根だけがある港の岸壁にずっと佇んでいる人がいたのでシャッターを押した。きっとこの写真だけ見れば夕陽に照らされる豊饒の海を見つめている光景だけれど、画面の外の右手には瓦礫の山、振り向けば廃墟のような平坦な区画の土台だけが残った街があった。

 その日に見聞きしたことを心の中で反芻していたけれど、ぼくだったら到底立ち直れないような過酷な状況がまた胸に迫る。話を伺った山内さんも及善かまぼこ店の及川さんも決してもう若くは無い。ぼくと同じ世代だ。でも先頭を切って走っている。彼らより一世代若い水産加工業者の伊藤さんとマルセン食品の三浦さんとの四人で新会社を立ち上げた。

 それは製氷工場と汚水処理工場を共同で作るためだった。山内さんと及川さんは同い年、三浦さんと伊藤さんは同級生ということで、地域の中の密な人間関係があったからできたことかもしれないが、それは絆(きずな)という口当たりのいい言葉だけでは到底表せない、掛け値なしの生き残りの為の手立てなのだと思う。会社の名前は四人のイニシャルをとってYOIMとした。それには「良い夢」に繋げたいという願いも込められている。

 たった一回来ただけで分かった風なことは言えないし、結局何の助けにもならなかったかもしれないけれど来てよかったと思っている。それはぼくにとって少なくとも二つのことをもたらしてくれた。復興ということがどんなに大変なことか肌で感じられたということ、そしてそれによって「忘れない」という自分の気持ちに力を与えられたということだ。 はや一年、やっと一年。南三陸町、あれから一年。

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執着心 ~雛壇~ [新隠居主義]

執着心 ~雛壇~

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 …大久保に住んでいたころである。その頃家(うち)にいたお房という女とつれ立って、四谷通へ買物に出かける。市ヶ谷饅頭谷(まんじゅうだに)の貧しい町を通ると、三月の節句に近いころで、幾軒となく立ちつづく古道具屋の店先には、雛人形が並べてあったのを、お房が見てわたくしの袂(たもと)を引いた。

 ほしければ買ってやろうというと、お房はもう娘ではあるまいし、ほしくはないと言ったので、そのまま歩み過ぎ、表通の八百屋で明日たべるものを買い、二人で交る交る坊主持(ぼうずもち)をして家にかえったことがある。何故とも分らず、この晩の事が別れた後まで永くわたくしの心に残っていた。…
  
「西瓜」(永井荷風)より



 永井荷風の小説は至るところに昭和の匂いがして好い。この小説の市ヶ谷饅頭谷のシーンなんかもぼくの脳裏の記憶と呼応するものがある。もちろん、ぼくの場合こんな艶っぽい話ではないけれど… 

 ぼくの通っていた高校は駒込にあった。不忍通りから白山通りに向かって急な団子坂を登る。森鴎外の記念図書館を過ぎて坂を登り切った辺りに学校はあった。当時、団子坂には何故か知らないが骨董屋が多くあって、ひな祭りが近づいてくると何軒かの骨董屋の店先には古色蒼然とした雛人形が置かれる。今風で言うと骨董屋だけれど当時は荷風のこの小説のように古道具屋と言っていたように思う。

 団子坂はおそらく東京でも最も急でそして長い坂の一つだと思うが、雪が降るとタイヤがスリップして車が立ち往生している光景を何度か目にした。雪の日の団子坂は車にとっての鬼門であった。ぼくが高校生だったある年の冬も車が立ち往生している脇をぼく自身も足を滑らして転びそうになりながら通り抜けた。

 その時、骨董屋の店先に置かれていた内裏雛の顔が含み笑いをしてこっちを見ているような気がした。その年も今年のように春が間近の遅い雪だったのかもしれない。また30年近く通った会社は本郷にあったが、毎日通勤時に歩いていた湯島天神の切通しの辺りにも何軒か骨董屋があって、骨董屋には何故か縁がある。そこでも今頃になると店先の雛人形を目にした記憶がある。


 この間、秋葉原に行った折にちょっと時間があったので久しぶりに両国駅に寄ってみた。両国は母校の中学校があり一時期住んだこともある懐かしい町だ。両国駅はぼくが子供の頃には房総方面に海水浴に行く時は始発列車がこの駅から出るので夏は大変な賑わいだったのを覚えている。しかし、今は大相撲の本場所が開かれている時以外はなんとなくひっそりとしている。

 昔は何本かのホームに列車が止まっていたけれど、今は総武線のホームが一本使われているだけで、残っていた向かい側のホームは使われていないようだ。ホームの階段を下りると改札の手前に長いトンネルがあって真っ赤な絨毯が引きつめられていた。どうやらそのトンネルは今は使われていないもう一本のプラットホームに通じているらしい。

 怪訝に思い絨毯をたどってゆくと赤い毛氈がひきつめられたホームの階段に無数の雛人形が並べられている。往時には夏のシーズンには多くの人たちが行き来しただろうホームの階段に今は大勢の雛人形が並んでいる。その出現が意外だっただけに何かぼくの心にジンと響くものがあった。

 先週、日本語学校で留学生達と校内に雛人形を飾ったけれど、その時は七段飾りだった。雛人形を並べながら留学生の一人が「Big familyですねぇ」と言ったけれどそれはfamilyではなく、最上段の内裏様を頂点とする大きなヒエラルキーと見ることもできる。このプラットホームの雛壇は一体、何段飾りなのだろうか。

 頂上の内裏様に行きつくのには気の遠くなるような段階が控えている。まるで大きな組織のようだ。ぼくは勤めている頃は自分くらい地位に執着しない人間はないと思っていたし、いわゆる上昇志向というものが自分にはないのだと思い込んでいた。しかし今この気の遠くなるような無数の雛壇の光景を前にして、何故かそれを駆け上がってみたい衝動に駆られた。案外ぼくも上昇志向が強かったのかもしれない。

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 *上の荷風の小説の中に出てくる「坊主持(ぼうずもち)」というのは、同行者が交替に荷物を持って、坊さんに出会うたびに持つ人を変えることらしいですが、いかにも昭和的に微笑ましくも男女がイチャついている光景が目に浮かんできますね。

 そう言えばぼくも小学校の頃、最初はじゃんけんで負けた子が皆のランドセルを持って、猫に出会ったらまたじゃんけんで持ち手を決めると言う「猫持ち」(そんな名前はついていませんでしたが…)をやった覚えがあります。

 **高校があった駒込や会社のあった本郷・湯島近辺は、森鴎外、夏目漱石、樋口一葉や石川啄木などの明治の文人たちにゆかりの場所が多く、ぼくがいつも会社の帰りに歩いていた湯島の切通しの道には、
 二晩おきに、
 夜の一時頃に切通の坂を上りしも
 勤めなればかな
という石川啄木の歌の石碑がありました。残業の帰りなどは今も余り変わらないなぁ、と思いながら句碑の前の坂を下りて行った覚えがありますね。

 (cam:Xperia so-01)


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執着心
 執着心 ~その2~


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なごり雪 [gillman*s park 12]

なごり雪

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  朝起きたら外は雪だった。昨日は天気予報を気にしていなかったのでちょっと意外な雪だ。外はかなりの降りだ。雪は比較的細かい粒なのだけれど、随分と水分を含んでいるらしく地面に落ちるとベタッとした感じになる。

 今日は午前中ケアマネージャーがウチに来て話をした後、日本橋あたりで友人と昼飯をとる予定だったのだけれど、雪はやみそうもないので、足元も危ないから取りやめた。ケアマネージャーが帰った後、窓から降りしきる雪を見ていたら公園はどんな景色になっているだろうか、ということが気になり始めてきた。

 午後になると雪がやんで陽が照りだしてきた。早くも軒先の雪が溶けだしてあちこちでポタポタという音がする。水分を多く含んだ雪だから溶けるのも速いのだろうか。公園の雪も溶けてしまうなぁ。友人との会食を断っておいて、のこのこと公園に出かけてゆくのも申し訳ないと思ったが、誘惑には勝てなかった。

 公園は人影も殆ど無かった。いつもの坂道には一筋の足跡があるだけでその先には真っ白な雪の平原が続いていた。池の畔に行くと、ぼくと同じように誘惑にかられたのか二三人の人がカメラを持って立っていた。用意万端三脚を構えている人もいる。ぼくはそこまで根性がないから軽めのα350を首から下げてポケットにGX200を入れて歩き回った。雪がベタベタと足にまとわりつく。

 公園のそこここでカラス達が騒いでいた。もともとここの公園にはカラスが多いのだけれど、今日は特にその姿が目立つ。人によってはカラスを毛嫌いするけれど、ぼくはこの公園のカラスを撮るのが好きだ。良く見るとカラスにはいろいろな表情がある。まぁ、ちょっと多すぎる気はするけど… 種田山頭火カラスの句を沢山詠んでいる。

 彼の場合カラスには「鴉」という字を使っている。普通は「烏」の字の方を使うことが多いのかもしれない。「烏」の方はカラスの形から来た象形文字だが、「鴉」の方は漢字の「牙(ガ)」の方がカラスの鳴き声を現す擬声語らしい。いずれにしても山頭火は行乞の旅で目にするカラスに自分の心理を投影することが多かったのかもしれない。 

 ■ 寒うをれば鴉やたらにないて (其中日記)

 ■ なにもかも凍つてしまつて啼く鴉 (其中日記)

 ■ 雪の鴉のながながないて (其中日記)


 今年はこれが最後の雪かもしれない。元来「なごり雪」という言葉は無いのだけれど、イルカの歌ったなごり雪は抵抗なくぼくらの心に浸みこんできた。それは春先に訪れる名残り惜しい別れを象徴する言葉として生きているかもしれない。別れを告げるのは愛する人であったり、古い自分であったり、去りゆく季節であったり。今年の冬はさほど名残り惜しくはないかも知れないけれど…

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