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Déjà-vu No.12 旅先の光 [Déjà-vu]

Déjà-vu No.12  旅先の光

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 ■ …子供のころ、たまらなくどこかへ出かけたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなにむずむずしなくなるよ」といったものである。年齢からいって大人の仲間にはいると、中年になればおさまる、とのことだった。いざ中年になると、こんどは「もっと年をとれば、その病はなおる」といわれた。いま五十八歳だから、これだけ年をとれば、だいじょうぶなはずである。ところが、病はいっこうに治らない…
       (ジョン・スタインベック 『チャーリーとの旅』/大前正臣訳) 


 きっとそんなに長い間ではないのだろうけど、自分としては、もう長いこと旅をしていない気がする。ジョン・スタインベックの小説に上のような部分があるのだけれど、ぼくは70も過ぎたというのに今でも旅の「むずむず」は治らないみたいだ。もう五十年近くも昔、まだ二十歳を少し過ぎた頃ロシアとヨーロッパを抜けてアフリカのカサブランカに行くと決めたとき叔父の一人に「この子は何をやりたいんだろうねぇ…」と訝られたことがあった。

 それは今思うと最初の「むずむず」みたいなもので、自分でも抑えることのできない何かの衝動だったのだろうと思うし、説明しろとか、目的は何だとか言われても答えることができないものだったのだとも思う。とはいえ、その「むずむず」の中身は歳と共に変わってきてはいるようだ。

 若い時のように動き回って何かにぶち当たるのを期待しているようなことは余りなくなった。もちろん体力がなくなってきたこともあるのだけれど、今は動き回るよりも何か新しい「居心地の良さ」みたいなものを探しているような気がする。じゃあ、今が居心地が良くないのかと言うとまったくそういうことはないし、その証拠に旅に出たとたんに後悔して家に帰りたくなる。

 だから、旅の途中で居心地の良い居場所が見つかれば例えば飲み屋やカフェや公園など、あとは動き回りたくなくなるのだ。それを旅と言うかどうかは、よくわからないけど、そういう風に「むずむず」の中身は変わってきた。


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 そういう風に「むずむず」の中身が変わってきたのは歳のせいもあるけれど、その土地を楽しむやり方が若い時のようにただ動き回るのではなくて、どこか居心地のいいところに落ち着いて味わう、その土地の音や匂いや空気、光の移ろいなどをぼんやりと時の過ぎるままに、その中に身を任せて味わうという風に変わってきた。まぁ、半分は怠惰になった言い訳なのだけれど…。

 でも、そうするとちょっと困ったことになった。その土地を味わう一つの大事な要素である匂いが全く分からなくなってしまったことだ。普通、旅に出てその土地の駅や飛行場に降り立った時、真っ先にその土地、その国特有の匂いがぼくたちを襲う。それはある意味でぼくたちに「さぁ、きみの感覚のアンテナをはりなさい!」という合図でもあるのだ。その次にその土地の音が、そして光がやってくる。それが無い。

 以前旅したベトナムやカンボジアはその土地に着いた途端に本来は色々な匂いが洪水のようにぼくらを襲うはずなのだけれど、それがない。その時には既に嗅覚が失われていたから旅に現実味がないのだ。 とまぁ、嗅覚を取り戻す努力はしているけれど、失くしたものを嘆いているだけでも仕方がない。でも、昔の旅の写真を見ていたらぼくにはまだ光が残されていることに気が付いた。

 匂いと同じように、その土地にはその土地の光がある。しかもそれは同じ場所に居ても常に移ろっている。もしかしたら、今まで嗅覚に振り分けていた関心と感性を光の方に注げば、今までとは異なる「居心地のいい場所」を見つけることができるかもしれない。しかも、匂いは記憶の中にだけ残りえるけど、光は努力すればその一部を写真と言う形で残してまた後日味わうこともできるかもしれない。これからは今まで見逃していた旅先の光により目を向けようと思う。もちろん、嗅覚が戻ればそれに越したことはないのだけれど…。



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断捨離 本 [新隠居主義]

断捨離 本

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 断捨離で結構大変なのが本。大体の本は一回読んだらそう何回も読み返す訳ではないのだけれど、なんかの時にまた読みたくなったり、調べ物に使ったりなんて、実際にはそんなにありそうもない理由で処分できないで本はどんどん溜まって行く。ぼくは特別熱心な読書家という訳でもないのだけれど。それでも時間が経つうちにいつのまにかそういう事になっている。

 

 というわけで一年前に意を決して本の断捨離を始めたのだけど、整理しているうちに処分する筈の本をまた読み出したり、30年分溜まった文藝春秋や20年分の「新聞ダイジェスト」などを捨てるのはもったいないかなぁ、と迷ったり。(挙句やっぱり捨てたのだけれど) なんだかんだ結局一年くらいかかってしまった。

 

 最後には残す本は大きめの本棚二ヶ所に入るだけ、あとは処分すると残す量を決めてからは断捨離がスピードアップした。残った本を詰め込んだ本棚を見ると、一ヶ所は殆どが画集、もう一ヶ所が古典的な文学作品だけになった。本当は古典作品こそ今では青空文庫などでいつでも読めるんだけど、きっと本自体に何か愛着があるみたいだ。

 

 画集の方は、画集といっても、ごく一部の作家の画集を除いては殆どが訪れた美術館や展覧会の図録が主だ。理由は実際に自分の目で実物を見た作品について、覚えておきたいしやはり実物を見ているから後で印刷物である図録を見ても頭の中に残っている印象で補正して思い出して見られるという利点がある。

 

 以前は先に図録を買ってから作品を観てまわったのだけれど、最近はどの展覧会でも会場のベンチなどに置かれていることが多いので、それも見ながら色味などの誤差を頭に入れるようにしているのだけれど、会場は照明が暗いことも多いので結局買った図録を帰り道のカフェなんかで忘れないうちに記憶と比べたりしている。

 

 本当は展覧会では気になった作品は何十分もその前に佇んで眺めていたいのだけれど、そうもいかない。トーハクや国立西洋美術館そして海外の美術館の常設展などはそれができるから嬉しいのだけれど、特別展はそうもいかない。とりあえず、気になった作品は頭の中でマークしておいて、後でもう一度じっくり図録で見た時に実際に作品を見た時の記憶が蘇るようにしておきたい。

 

 画集で見たことのある作品を初めて実際に見ると写真写りの良い作品とその逆の場合があったりして、その度にやはり実物をみないとダメだなぁと思う。もちろんその絵の真贋なんかはぼくには分からないけど画集などの写真だけでは伝わって来ない何かが実物にあるのは確かだ。

 

 有り難いことに最近は海外のいろいろな美術館がパブリックドメインを設けているので、ネットでも美術館の所蔵作品の質の高い映像を見られるようになってきた。タブレットなどで気軽に見られるようになったのは嬉しいのだけど、コーヒーを飲みながらゆったりとした気分で画集のページを繰る楽しさはまた格別なのでそれはそれでとって置きたい気がする。

 


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真夏の夜の夢 [新隠居主義]

真夏の夜の夢


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 数年前に二度目の手術をしたのだけれど、結局嗅覚は回復せず嗅覚ゼロの生活が当たり前になっていた。耳鼻科には定期的に診てもらってはいるのだけれど前の病院の医者も今の大学病院の医者も嗅覚が戻ることについてはあまり期待しない方がいいという意見だった。と言う訳で医者に引導を渡されたようなもので嗅覚については諦めていたのだが…。

 それが去年の初夏のある日、猫の飲み水を替えてやるために水道の水を蛇口から出している時にふと「あ、カルキの匂いがする」と思った。でもそういうことは良くあることで、その時は幻聴ならぬ幻嗅かとも思った。というのは嗅覚がゼロになってからも、例えばテレビを観ていて火事の場面などになると焦げ臭い匂いがしたり、マッチを擦る場面では硫黄の匂いを感じたりということがよくあったからそれかと思っていた。

 ところがそれからカルキ臭はもちろん、手を消毒するアルコールの匂いや、ほうじ茶そして赤ワインの香りまで微かに感じるようになったので、これはもう幻嗅ではないと確信した。それで定期的な耳鼻科の通院の時にそのことを医者に話したら(今通っている大学病院の耳鼻科は行くたびに担当医が変わる)自分の経験でも3~5年のレベルで回復した例もあるので頑張りましょうと言ってくれた。前の医者とはまるで違う意見だった。

 その医者が言うには脳の方の嗅覚領域も活性化させることが大事なので、毎日色々なアロマやお茶などの香りを嗅いで嗅覚リハビリをすることが大切とのことだった。足腰のリハビリに加えて嗅覚のリハビリまでと思ったけれど、こちらの方は辛いことは無いし、感じられる匂いが増えるのはうれしいことだから仕舞い込んでいた、お茶やお香やアロマオイルを出してきてリハビリセットと称して机の脇に常備した。

 そのおかげもあってか夏の終わり頃にはかなりの種類の匂いが嗅ぎ分けられるようになってきた。このまま行けば元通りとはいかないまでも日常生活には支障はないし、今の程度でも十分満足と思っていたところに母が亡くなった。その時は自分の体調も良くなかったのだけれど、その後母の葬儀などが続いて疲れが溜まっていたこともあってか歩くこともままならない程身体の各所に痛みが出て最悪の状態になってしまった。

 四十九日や納骨など母に関する事々も少し落ち着いたら、季節は秋を通り越してもう冬の入り口に差し掛かっていた。その間は嗅覚リハビリどころではなかったけれど、気が付いたら嗅覚はまたもとのゼロに戻っていた。いつからというはっきりとした記憶は無い。耳鼻科に行くとまた違う医者が出てきたが今度はあまり嗅覚については触れたくない感じだった。

 と言う訳で、今は元通りの嗅覚ゼロに戻ってしまっている。本当に一瞬の間だけ、それこそ真夏の夜の夢のように嗅覚が消えていった。いっとき、儚い望みを持っただけに余計去って行った嗅覚が恨めしく思えるけど、これも自分の人生の一部として受け入れざるを得ないなぁ。


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距離感 [猫と暮らせば]

距離感

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 唐突だけれど、「距離感」という言葉には文字通り地理的な距離の感覚を表す場合もあるし、時には心理的な隔たりを表す時にも使われると思う。地理的な距離感で言えば距離の感覚って人によって違うんだなぁと実感したことが何回かある。一度はまだ子供の頃夏休みに父の実家の田舎に行ったとき同世代の従兄が近くの学校に遊びに行こうというのでついていったことがある。

 「すぐ近くだ」というのでついていったのだけど、いくら歩いても一向に着かない、結局子供の脚で一時間近く歩いたような気がする。「遠くて近くは男女の仲、近くて遠いは田舎の道」という格言を知ったのは遥か後の大人になってからのことだ。もう一度はやはり子供の頃近所の油屋のシロちゃん達と荒川土手に遊びに行った時のこと、しばらく土手で遊んでからシロちゃんが「近くに親戚の家があるから行こう」と言い出して、じゃあそうしようということになって歩き出したのだけれど、やっぱり一向にたどり着かない。その時はいつまでたっても子供たちが帰ってこないし携帯電話もない時代だから連絡もないので家の方で大騒ぎになっていた。

 距離感ということで言えばもう一つの大事な距離感が人と人との距離感かも知れない。サラリーマン時代でぼくが一番難しいと思ったのは会社の中での人との距離感だった。ぼくの居た会社にも派閥とは言わないまでも有力な人物や上司をとりまくグループみたいなものもあったし、先輩や同期の人間の中でも付き合いの濃い薄いなどもある。一番困ったのは敬意を払っている先輩や上司同士が仲が悪くて、両方から同じ日に飲みに誘われた時などだ。ぼくはある時から、そういう時ははっきりと誰々さんからも誘われています、と言うことにしていた。

 会社等での人との距離感でいえば、ドイツでもそんなことがあるみたいだ。ドイツ語では英語のYOUにあたる二人称が「Sie(ジィ-)=あなた」と「du(ドゥ)=きみ」の二種類があって、その人との上下関係や距離感によって使い分けている。一般的には見知らぬ人や目上の人には「Sie」で、親しい間柄や家族、子供など目下の人には二人称親称単数といわれる「du」を使うのだけれど、神様に呼びかける時にも「du」を使うから、一概に「du=キミ」のように目下とは限らない。

 会社に入ったばかりは多分最初はみんなに「Sie」で話しかけるんだろうけど、時と共に同僚や親しい仲間には「du」で話すようになるのだけれど、そのタイミングは難しそうだ。傍から見るとあいつには「du」で話しかけてるのに、俺には「Sie」かよ…、とか。特に相手が女性なんかだと微妙で難しそうだ。ドイツ語には「duで話していいですか?」とか「duで呼んで頂戴ね」などの表現もあるのでこのフレーズを正しいタイミングで使うのは外国人には難しそうだ。

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 猫にだって、猫同士の距離感、猫と人との距離感がある。ウチの猫についていえば以前はレオモモの距離が近くてクロはどちらからも少し離れていて、モモとクロの雌猫同士のけんかが始まるとレオがとんでいってモモの味方をするという感じだった。

 クロがいなくなってハルが来てからは距離感的にはハルもクロみたいな感じなのだが、違うのはハルとモモが喧嘩していてもレオは仲裁に入らないことが多い。というのもクロと違って仲裁に入ると自分もハルの反撃を受けそうだから。というわけで今は三猫三様等間隔でいる感じがする。

 猫とぼくとの関係でいえばモモはとにかくずっと一緒に居たいという感じで寝る時も一緒だし、ぼくがトイレに入っていても入れてくれと戸の外で鳴いているので、入れてあげると膝の上にのって寝ている。ハルは絶対に膝に乗らないけれどぼくやカミさんがソファに座るとピタッとくっついて座るし食事の時もそばに居る。その時は怖いのでモモは寄ってこない。

 レオはといえば、注文の多い猫で何か言いたいときには寄って来る。大抵は腹が減った、飲み水を替えてくれ、トイレを掃除してくれなのだけれど、膝に乗ったりはしないが気が付くと視線の届く範囲内にいる。付かず離れずのスタンスだ。ハルが来てしばらくは、人も猫たちもそれぞれの距離感を探りながら試行錯誤して生活してきたけれど、ここのところそれが少し落ち着いてきた感じがする。距離感とは生き物が互いに生きてゆく上での知恵かもしれないと思う今日この頃。


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 *昨年はいろいろとありましたが、今年は身体改造をしてアクティブに暮らそうと思っています。本年もよろしくお願いいたします。


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良いお年をお迎えください [新隠居主義]

良いお年をお迎えください


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歳末雑感 [Ansicht Tokio]

歳末雑感

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 写友と(以前は社友でもあったのだけど)恵比寿東京都写真美術館に写真展を観に行った。お目当てはイギリスの写真家マイケル・ケンナの写真展「MICHAEL KENNA A 45 Year Odyssey 1973-2018 Retrospective」なのだけれど、同時に開催されている他の写真展も観る。写真美術館は各フロアで別々の写真展をやっているので、大体常時3つの展覧会が並行している。もちろん入場料はそれぞれに取られるのだけれど、65歳以上だと割引があるので、行ったときは大抵3展全部を観ることにしている。

 ぼく的に言うとここでの写真展の勝率は2勝1敗というところ。ということは3つに1つは??がある。それはぼくにとってということで他の人に当てはまるわけではない。ぼくが単にアバンギャルドなインスタレーション的な写真展示が肌に合わないというだけのことで、ここでは3つに1つの割合でそういう展覧会があるということにもなるのかもしれない。今日の感じも2勝1敗だけど、ケンナの写真展がほんとに素晴らしかったので1敗はチャラどころか、お釣りがくる感じ。

 ケンナの写真展はほんとに素晴らしかったので会期中にまた来たいと思った。美術館を後にして、クリスマスを前にした夜景を見ようということで恵比寿のガーデンプレイスのビルの38、39階に昇った。ぼくは極度の高所恐怖症だから乗ったエレベーターの外が見えるガラス窓も気に入らないし、第一高いところに行くのが嫌だ。

 とはいえ、上がってみるとやはり上から見た東京の夜景はきれいだ。東京タワーが見える39階のデッキにはほとんど若いカップルばかりがいて、じいさまの三人組は正直言って浮いている感じがして、早々に下に降りて反省会と称する飲み食い場を探しに街をうろついた。

 何もない一年なんて、もちろんそんな年は無いのだけれど、それにしても今年はいろいろとありすぎた。人生長くやっているとそんな年も何年かに一回くらいはまわってくる。それも人生の一部だと妙に悟りながら痛い脚を引きずりながら帰途についた。

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母の筆遣い [新隠居主義]

母の筆遣い


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 暑い盛りの母の葬儀を済ませ、あとは夢中で四十九日そして納骨も済ませて少し落ち着いたとおもったら、もう師走になって喪中の挨拶を出すような季節になってしまった。こちらの体調がすぐれないこともあるけど、中々母の遺品整理をする気にもならないのだけれど、この間とにかくどういうものがあるのかだけでも見ておこうと思った。

 洋服や身の回りのもの以外では一番多いのは母の趣味に関するモノ。母は趣味の多い人で、ぼくがまだ子供の頃は日本舞踊と三味線などを習っていたが、晩年になってからは油絵、水彩画、日本画、俳画、書道それに木彫りなどをやっており、いつも何かしら描いていた記憶がある。

 まず、それらの作品が多く残っていることもあるけど、絵の具などの材料を始めまだ使っていない画帳や習字や日本画に使う紙類などが大量に残されていた。その中から書道五段の免状や師範の免状まで出てきて、そういうことになっていたのも知らなかったので、知っていたようでも母のことで知らないことはまだ沢山あったのだなぁと思い知らされた。

 母の生前から家の中には居間の壁などに母の油絵や水彩画などを掛けていたのだけれど、それほど大きい家ではないので飾れる数も限られてしまう。今回何点かぼくも初めて見るし気に入った絵が何点かあるので、季節や時期をみて架け替えてみようと思った。

 今回架け替えたのは三点の絵なのだけれど、その中でも花を描いた大判の水彩画がとても気に入っている。もちろんプロではないので、ひと様の家に飾ってもらうほどのものではないのだけれど、じっと観ていると母の人となりというか、息遣いならぬ筆遣いが語り掛けてくるようで妙に落ち着く。ぼくも元々絵が好きなのだけれど、母の絵が母よりも生きながらえて語り掛けてくるというのは絵が持っている本来の力なのかもしれない。自分もいまに写真でそんなことが出来たらなぁと思った。


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 *ぼくも子供の頃絵を習いに行ったこともあって、母の絵を観ながら、ぼくも母も絵が好きなのにそういえば母と一度も絵の話なぞしたことがないことに気が付きました。もう少しそんな話もしていたらなぁ、とも思いますが親子の間の話なんてそんなものかもしれませんね。



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上野を考える [Ansicht Tokio]

上野を考える


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 今年の夏ごろにはいい具合に戻りかけていた嗅覚が、秋の訪れとともにまたゼロになってしまったのでいつもの大学病院の耳鼻科を訪ねた。原因はよくわからないが、薬を替えたのが影響しているかもしれないということで以前の薬も併用するようにするとのこと。あまり期待しないようにはしようと思っているけど、一度戻りかけただけに落胆も大きい。

 病院の後、少し気を取り直そうと思って杖を突きながらだけど上野に向かった。上野は平日だというのに結構な人出。上野では今上野の森美術館の「フェルメール展」、東京都美術館の「ムンク展」そして国立西洋美術館の「ルーベンス展」と人気の展覧会が重なっていることもあると思う。

 でも、こういう時は何といってもぼくにとっては西洋美術館だ。会社員時代も辛い時うれしい時何かにつけこの美術館にやってきた。ということでルーベンス展に。ここ数年で上野の恩賜公園一帯は急速に整備されて快適な文化地区になっている。東京都美術館の手前の木立の中に点在していたホームレスのブルーシートの小屋もいつの間にか姿を消してベンチや遊具などが置かれている。

 上野が成田空港から都心に直行する外国の観光客にとって最初に目にする日本の街になるため、第一印象の点でも心配ではあったのだけれど、ホームレスの問題はそれ自体が基本的に解決したのではなくて、単にぼくたちの目に触れないようになったというだけではないのかという複雑な気持ちが残る。それどころか今や社会の格差は広がる一方なことを考えると格差の象徴のようなホームレスが減るのではなくて単に目につかなくなるということが本当に良いことなのか…。

 東京国立博物館の前も噴水は残ったけれど花壇だった植え込みはイベントもできる広大な広場に生まれ変わっているが、これはいわゆる公共の広場ではないらしい。物産展などのイベントはよく開かれているけど、デモや集会などが開かれているのを見たことは無い。当然申請しても許可は出ないと思うのだけれど、東京でデモや集会というと大体が代々木公園のような一般の目には触れにくいような所で行われている。

 たまに国会議事堂の前などでデモが行われても厳重な警戒体制の下でのものになるし、マスコミも何故かあまりそのことを報じない。本来デモや集会は民衆が政治的意思を示すための民主主義における重要な意思表示手段であるのだけれども、ベルリンやワシントンやソウル等でみられるような社会を大きく動かす目に見える形での大規模な集会は東京では、それ自体行える「広場」すらないのかもしれない。

 大昔、まだ学生の頃ベトナム戦争反対の集会が行われていた「新宿西口地下広場」を、そこは広場ではなく通路だという理由をつけて集会を禁じたことを想い出した。政治に対する正当な怒り(いかり)を訴える機能の麻痺した日本の社会はこれからどうなっていくんだろうか。西洋美術館の庭におかれたロダンの「考える人」の前でフトそんなことも考えていた。



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 *そろそろ外出時はカメラを持ってと思っているのですが、やっぱり杖を突いてだとカメラを構える時に杖をわきに置かざるを得ないので、この日もiPhoneだけでしたが、西洋美術館の庭で見上げたロダンの考える人の感じがとても良かったので、やっぱりカメラを持ってくればよかったな、と…。

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影遊び [猫と暮らせば]

影遊び


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 ハルが来てから家の中が何となく活気づいた。というか騒がしくなった。一日に何度か「コラッ!」というぼくの声。考えてみたらいつの間にかウチは猫も飼い主も高齢化していて良く言えば落ち着いた、実のところまぁもの静かな家庭になっていたようだ。

 ハルはまだ子猫からやっと大人猫になったばかりくらいなので、動きも活発だし何といってもその好奇心は半端ない。テーブルの上のモノはなんでも下に落すので、寝る前には全て片づけておかなければ朝起きたら悲惨なことになっている。

 色んなものを何処かしらから見つけてきては転がして遊んでみたり、自分でなんかしらの遊びを考え出して遊んでいる。レオモモもおもちゃ等でじゃらせばじゃれついてくるのだけれど、自分で何かを探して遊ぶということはなくなった。ハルの遊びは若いうえにアメショーという猫の特徴でもあるらしい。

 以前、母が車椅子になって、中々外に出られなくなってしまったので家の中で鉢植えの手入れが楽しめるように小さなサンルームを作ってその周りに掴まれるように手すりを付けたのだけれど、ガラス窓とカーテンの間をその手すり伝いに歩き回るのがモモのお気に入りなのだ。

 特にこれからのように冬の日当たりの良い日は日向ぼっこにもなるのだろう、昨日も手すりの上を行ったり来たりしていた。モモの影が紗のカーテンに写ってそれがユラユラと揺れて、なんか回り灯籠の影絵のようだ。これをハルが見過ごすわけがない。

 目ざとく見つけて跳んでいき、待ち伏せ。モモからは見えないので不意打ちを食らった。手すりから落ちたモモは一目散に二階へと逃げて行ってしまった。ハルは猛ダッシュで追跡。まだまだこのドタバタは続きそうだ。

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The River Story [下町の時間]

The River Story


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 すみだ川

 隅田川の水はいよいよ濁りいよいよ悪臭をさえ放つようになってしまったので、その後わたくしは一度も河船には乗らないようになったが、思い返すとこの河水も明治大正の頃には奇麗であった。

  その頃、両国の川下には葭簀張(よしずばり)の水練場四、五軒も並んでいて、夕方近くには柳橋あたりの芸者が泳ぎに来たくらいで、かなり賑かなものであった。思い返すと四、五十年もむかしの事で、わたくしもこの辺の水練場で始めて泳ぎを教えられたのであった。

世間ではまだ鎌倉あたりへ別荘を建てて子弟の遊場をつくるような風習がなかった。尋常中学へ這入って一、二年過ぎた頃かと思う。季節が少し寒くなりかかると、泳げないから浅草橋あたりまで行って釣舟屋の舟を借り、両国から向嶋、永代から品川の砲台あたりまで漕ぎ廻ったが、やがて二、三年過るとその興味も追々他に変じて、一ツ舟に乗り合せた学校友達とも遠ざかり、中には病死したものもあるが、月日と共にその名さえ忘れてしまって、思出すことさえできないのがある。…

 (永井荷風「荷風随筆集(上)・向島」岩波文庫より)



 最近台風や集中豪雨などで河川の氾濫が頻発しているのでハザードマップ等への関心が深まり、それとともに河川が自分たちの生活と深くかかわっていることを再認識する必要があるという感を強めた。

 現在ぼくが住んでいるところは荒川隅田川の北側にありハザードマップでみると、荒川が決壊した場合はここも最大2mまで冠水する可能性があるようだ。ぼくが子どもの頃育った千住は隅田川と荒川の二つの一級河川に囲まれた胃袋のような形をしたいわば中洲のような所だった。

 子供の頃自転車を買ってもらった時約束させられたのが自転車に乗って遊びに行っても、二つの川を超えないこと。北に行けば荒川に西新井橋がかかっており、そして南に行けば隅田川には千住大橋が掛かっているのでその間がぼくの遊びの空間というわけだ。

 今は荒川と言っているけど子供の頃は荒川放水路といっていた。というのも荒川(あらかわ)という名前が示す通り荒川はしばしば洪水をおこす暴れ川でその流れも頻繁に変わっていたようだ。この川には江戸時代から手こずりいろいろな手が打たれてきたが、大正から昭和にわたる大工事で赤羽の岩淵から東京湾に至る一大放水路を建設することで穏やかな川となった。

 子供の頃の記憶では荒川は夏になると川の真ん中にやぐらが組まれて、それが水泳のための休憩場所や飛び込み台にも使われるなど夏の風物詩になっていた覚えがあるが、隅田川はその頃にはもう墨汁のような黒い川で泳ぐなどもってのほかの川になっていたと思う。父と写っている写真の後ろに流れている川が隅田川でそのほとりに「お化け煙突」といわれた千住の火力発電所の煙突が見える。

 それでも隅田川はぼくにとっては親しい川であることに変わりはない。今思うとひやひやものだが、子供の頃には隅田川のコンクリート製の高い堤防の上を駆け回っていたし、隅田川に掛かる京成電車の鉄橋を友達と歩いて渡ったりもした。また夏になると船をしたてて千住大橋の袂から隅田川を下って、東雲(しののめ)や豊洲の方にハゼ釣りに行ったりした。(二枚目の写真)

 また中学校は隅田川のほとりの両国だったため、隅田川や両国橋などの想い出も多い。永井荷風の「すみだ川」はいつごろ書かれたのかは詳しくは定かではないが随分昔のことだと思うけれど、それでもそこにはもう汚れた川という風に書かれている。以前散策したときには、そのすみだ川の在り様と荷風のちょっと隠微な雰囲気が今でも向島あたりには漂っている感じがした。


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 *ここ数年、日本橋の下から出ている東京湾ミニクルーズや浅草から浜離宮までの定期船などで隅田川を何度か航行したことがありますが、昔とは様変わりに水がきれいになっていて驚きました。傷ついた自然も努力して改善すればある程度回復するものだなぁ、と感慨深かったことを覚えています。

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お稽古場 [下町の時間]

お稽古場

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 先日、亡くなった母の関連の手続きで以前住んでいた千住に用があって杖を突きながら行った。兄と待ち合わせをしていたのだが、時間よりちょっと早く着いたので待ち合わせのその建物の裏手にある懐かしい場所を覗いてみようと足を向けた。

 恐らくもうかれこれ60年近く来てはいないし、周りの街並みはすっかりと変わってしまったのだけれど、方向音痴のぼくなのに、その時は様変わりしていた細い路地の入口を不思議と見逃すことが無かった。きっともう変わってしまって分からないだろうと思っていた矢先、そのお稽古場は昔よりずっと小奇麗になってはいたけれど、ちゃんとそこにあった。


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 そこはぼくが子どもの頃週三回お稽古に通っていた日本舞踊の坂東流のお師匠さんの自宅兼お稽古場だ。お稽古場の看板にはぼくが教わったお師匠さんの坂東勝浜さんの名も残っている。今のお師匠さんはその娘さんで、その旦那になる人を引き合わせるきっかけを作ったのはたしか母だった。

 その場所を前にして急に色々なことが想い出された。床下に響をよくするために瓶が活けてあると教えられていた舞台をトンと踏んだ時のあの小気味良い音。舞台の前に座り踊りと同時に三味線のお稽古もつけていたお師匠さんの姿。そして当時、お稽古から家に帰る途中にお寺があって冬の日の夕暮れ時などその墓地のわきを通るのが小学生だったぼくは怖くていつも目をつぶって急ぎ足で抜けていたのも思い出した。

 学校が終わってからお稽古に行くのだけれど、時にはみんなで遊んでいた草野球を途中でぼくだけ切り上げてお稽古に行かなければならない時もあって、「これから踊りのお稽古だってさぁ」などとからかわれることもあった。いじめられることは無かったけど、ぼくとしては、そりゃあみんなと野球をしている方が楽しいわけで何年かたって結局辞めてしまった。

 ずっと後の大人になってから、あのまま続けていればよかったなぁとは思うけれど、まるで無駄だったかというとそうでもなくて、三味線や端唄、小唄などの邦楽の調べが今でも耳の底に残っているし、もう踊れないけど他人の踊りのうまい下手くらいは今でもわかる。時折気づくのだけれど、何よりも幼い心に刻み込まれた「和」の空気が今の自分の美意識の土台の一つになっているような気がする。そういう意味でもこの出会いに感謝。

 時間があれば本来お稽古場に寄って挨拶するのだけれど、今は時間がないので改めてこんど手土産をもって挨拶に来ようと思った。当時女学生だった今のお師匠さんはぼくのことをもう覚えていないかもしれないけど…。



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 *日本舞踊の曲は小唄端唄(はうた)もしくは長唄が多いのですが(他にも新内、清本そして常磐津などがあります)、そのほとんどは男女の関係の細かい機微をうたったものが多く、小学生には意味など分からないので呪文のように憶えていましたが、中にはぼくも最初に習った「桃太郎」などの分かりやすい題材のものもありますが、ごく少ないです。

例えば、ぼくも習ったことがある端唄の「わがもの」の歌詞は、

 [わがもの]
 わがものと 思えば 軽き傘の雪
 恋の重荷を 肩にかけ
 芋狩り行けば 冬の夜の
 川風寒く 千鳥鳴く
 待つ身に辛き 置炬燵
 実にやるせが ないわいな
  →芋狩り=妹許(いもがり)…妻や愛しい人の居るところ

 当時、お稽古場では細かい所作の処はお師匠さんが口ずさみながら指導しますが、通しで踊る時などにはその曲のSPレコードをかけて踊ります。SPレコードは最大でも5分位なので、その長さで収まる端唄、小唄はそういう意味でも適していたと思います。

 日本舞踊も上級になってくると段物(だんもの)と言って長編の常磐津(ときわづ)や長唄が入ってきます。長唄などは長いものだと30分近いものもあり、SPレコードが複数枚必要になります。歌舞伎の踊りなども小唄や清本などの世界なので、聞いていてどこか懐かしい感じがします。

 今はLPや色々な音楽プレーヤーがあるのでお稽古場ではどうしているんでしょうか。今度いったら聞いてみたい気がします。


 **ぼくも良く分からないんですが、分かりにくい日本舞踊の音楽の背景をそれが演じられた場所で、勝手に分類して自分なりに整理してみるとこんな感じになるのかなと。

 ①劇場系、②お座敷系、③門づけ系

 常磐津義太夫清本などは浄瑠璃の一派で芝居小屋等で演じられる①の劇場系かなと、また踊りはないですが、寄席などでも演じられた俗曲である都都逸(どどいつ)なども劇場系かもしれません。

 それに対し端唄小唄は芸者さんなどがお座敷で歌い踊るもので②のお座敷系かな。お座敷で30分もやられたらたまらないので短いのかもしれないです。

 また新内(しんない)は新内流しという言葉があるように「え~、お二階さんへ…」などと家の門の前に立ち演奏する流し的なもので③の門づけ系、但しこれも元は浄瑠璃の一派だったようです。いずれにしても子供にはわかりにくい世界です。



MutterTanz.jpgありし日の母の踊り





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光よ!  国立新美術館 [Ansicht Tokio]

光よ!  国立新美術館


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  今年の春、歩くと激痛を感じるようになってそれ以来殆ど外出ができない状態になってしまった。時を同じくして母が倒れたこともあり、それから殆ど美術館にも行っていないことに気付いた。以前は月に二回くらいは何らかの展覧会に行っていたのだけれど、こんなに行かなかったのは余りなかったし、それがストレスの一つにもなっていたみたいな気がする。

 リハビリは一進一退なのだけれど、朝の激痛がなくなっただけでも嬉しいし、少しずつ平地を歩いてみましょうというリハビリの先生の言葉もうれしかった。ということで先日、嗅覚の治療で大学病院に行った帰りに思い切ってどこかに行ってみることにした。

 幸い診療の予約は早朝だったので昼前には終わるから近場の美術館であればなんとか…。と、考えるとそこから一番行きやすいのが六本木の国立新美術館だった。そこなら美術館の地下まで千代田線で行けるのでそんなに歩くことは無い。

 待合の時間に今新美術館でなにをやっているかネットで調べたら、なんとピエール・ボナール展をやっているではないか。ボナールはぼくの大好きな画家で、今までもオルセー展ナビ派展などで彼の多くの作品に接してきたが、ボナール自身の回顧展は初めてだ。

 始まってまだ間もないから混んでいるかもしれないと思いながらも、意を決して行ってみると平日ということもあるとは思うけれども、拍子抜けするほど人が少なかった。そうか、ボナールは日本ではそんなに人気が無いのかなと、ちょっと寂しくなったけれど、大好きなボナールの作品をゆっくりと心行くまで見られたということでは大満足だった。

 観終わって、いつものようにロビーのカフェでコーヒーを飲む。ここも人がまばらだ。この美術館の建物に差し込む光はひときわ美しい。刻々と変化し同じ光にはもう出会えないと思えるほど来るたびに違う光が迎えてくれる。カフェの客もまばらなのでiPadで自撮りしたりして暫し遊んだ。

 まだカメラを持って歩き回れる気分ではなし、杖をついての撮影は辛いので今日もスマホとタブレットしか持ってこなかったけれど、そろそろカメラを持って街歩きをするのを目標に考えてもいいねと美術館の光が語り掛けていた。



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ねぇ、あんた [猫と暮らせば]

ねぇ、あんた


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 Momo:「ねぇ、あんた。 あんた最近ちょっといい気になってない?」
 Haru:「えっ?」



MomoHaru2018bcl.jpg
 Momo:「ねぇ、そう思わない~?」 (ぼくの方を見て)
 Haru:「ふんっだ!」


 まだウチの中もこっちの心の中もドタバタしているので、なかなか猫たちと会話をする余裕がないのだけれども、その間にもハルは確実にウチの猫になりつつ、かつ身体も大きくなって他の猫たちとの関係も微妙に変わってきているみたいだ。

 クロの生きている頃から、三匹の猫にはそれぞれの役割というか特権みたいなものを与えるようにしていた。モモは寝る時に寝室で一緒に寝る。それは単純に寝室の猫ドアがモモしかくぐれない(身体は十分通り抜けられるのだけれど、他の猫は怖がって通らない)からなのだが…。

 またレオは晩の食事の時の味見係。ウチは朝はカリカリ、晩が猫缶なのだけれど、晩に新しい猫缶を開けてレオがスプーンで一なめしてOKがでてはじめて皆の食事となる。ハルもやっとその儀式に慣れてきておとなしくレオのOKが出るのをランチョンマットの前で待っている。

 で、クロの特権はなんだったかというと食事の際に一匹だけ食卓の上にあがることが許されて、いわゆる晩酌猫としてぼくのわきに座ること。クロは一番身体も小さかったのでこの役目になったのだけれど、その役をハルが引き継ぐことになった。

 他の面々はそれには特に異存はないみたいなのだけれど、クロがテーブルのぼくのわきにちょこんと座っていたのに対して、ハルは何とも泰然自若として態度が大きい。そこらへんがモモがカチンときているところかもしれない。 でもハルも寝ちゃうとおとなしくて可愛い寝顔なんだけどねぇ。

 クロが居なくなってから二階の部屋と寝室はモモの独壇場だったのだけど、二階の部屋では今モモとハルの争奪戦が始まっている。今のところハルの勢いにモモが負けている。ハルは時々レオにも向かってゆくのでレオはちょっと諦め気味。これからどうなりますか。



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ホッとキャット [猫と暮らせば]

ホッとキャット


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 の仮通夜、通夜、葬儀も終わって今はウチの居間に仮の祭壇がしつらえられて、その祭壇には四十九日の法要と納骨まで母の遺骨と仮の位牌そして葬儀の時の母の写真が飾られている。

 毎朝その祭壇にお香を焚き、お水をあげるのだけれど、あわただしく過ぎ去って行った日々の後に、その霊前に座る時間が何とも静かすぎて、戸惑ってしまうのだ。もっとも昼間の時間は色々な手続きやらなんやらで結構忙しいのだけれど…。

 仮通夜の時もそうだけれども、猫たちはやっぱり家の中の雰囲気がちがうのかとてもおとなしい。葬儀が済んでまた家の中が静かになっても、猫たちの様子が普段とは違うような気がする。ぼくらにつかず離れず様子をうかがっているようだ。

 ここ数日でやっと以前のような感じにはなってきたけれど、ハルなんかは食事の時もテーブルの上でぼくのそばに座るようになった。昨日、祭壇にあげたミカンがいたみそうなので、食べようと食卓の上に持ってきて置いておいたら、ハルがそれを枕にして寝ている。ずっと寝ているわけではなくて、時々目を開けてぼくの方を見ている。そんな猫を見ていると、何だかホッとする。

 かと思うと、遺骨や位牌を祭っている祭壇に上がって位牌は倒すは、毎朝捧げている茶わんの水はひっくり返してこぼすはで、そのたびにぼくやカミさんが大きな声を出して叱るのだけれど、そのたびにぼくらの中で何かが変わってゆくのに気付いた。悲しみは引きずっていながらも少しづつもとの日常に引き戻されるような不思議な気持ち。どれだけ、猫に助けられているか。ホッとキャット。



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おつかれさま [新隠居主義]

おつかれさま


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 ぼくは電話が怖いのだけれど、今度もやはり電話は通り魔のようにいきなり襲ってきた。夜中の三時過ぎ、夢の中でベルが鳴っていた。誰かがドアを叩いているようでもあるし、目覚ましのベルが鳴っているようでもあった。それが夢の中でもいつまでたっても鳴りやまないので、仕方なく目を開けた。

 気が付くとスマホのベル音が鳴っている。でも、目が覚めると同時にその音が鳴りやんだ。よく焦点の定まらない目でスマホの画面を見ると、の入所しているケアハウスからの電話だった。その瞬間全てが予感されたし、同時に夢の中にまだいたい気持ちにもなった。でも、それはきっとはかない一縷の希望だったことも知っていた。

 危ないと思いながら、もうろうとして、でもしっかりしなきゃと思いながらカミさんを乗せて真っ暗な中を車を走らせた。静まり返った部屋の中で母は静かに寝ていた。体温はあるけど呼吸はしていないことに夜間検温巡回の職員が気が付いて電話をしてきた。


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 翌朝、母の遺体をウチに安置して昼間は兄を呼んで、夜は仮通夜をカミさんと二人ですることにした。夜中になって日付が変わった頃一人で焼酎を少しグラスに注いでソーダを入れ、母の遺体の側に座った。ぼくは元来すごく臆病で死者と同じ部屋で夜中に二人きりで夜を過ごすなど恐ろしくてまったく無理と思っていたけれど、母とのそれは死者と話をするようなとても静謐な時だった。母の身体はただのむくろではないのだ。

 口をついで出た言葉は「母ちゃん、おつかれ様」だった。愛するものの遺体は愛おしいことはあっても決して怖くはない。夜更けまで母ちゃんと色々と話をした。母ちゃんのために、もっといろいろとやりようはあったのかもしれないけれど、ぼくという人間の器ではこれが精いっぱいだった。九十八年間お疲れ様でした。

 今は晩夏と言っても、この季節、生命の温もりを失った母の身体は脆い。部屋のクーラーを19度にして、なおかつ母を守るためのドライアイスを消耗させないようにクーラーの風が直接母の身体に当たらないようにする。

 その風は今はぼくの方に向いている。真夜中の冷え冷えとした空気の中で飲む焼酎ハイボール。…でもぼくはいま生きている。 あなたに貰った生命を大切にしようと思った。母の遺体に近づいてきた猫のハルが立ち上がって横たわる母の顔を不思議そうに覗き込んでいる。 「ほんとうに、おつかれさまでした」


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[御 礼]

 沢山の暖かいコメントありがとうございました。

  98歳といえば、世間的には十分すぎるほどの長寿である事は間違いのないところですが、亡くしてみればその悲しみは年齢にかかわらずいささかも変わらないようです。

 ぼくももう71歳で身体のあちこちにガタが来て、朝などは辛いのですが、母の死を契機にもう一度心身ともにオーバーホールして人生に立ち向かおうと思っています。これからが自分の余生と思っています。宜しくお願いいたします。




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断捨離Ⅱ [新隠居主義]

断捨離Ⅱ

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 ここのところずっと、自分のリハビリ通院と母の処を行ったり来たりで、殆どその他の外出はできない状況なので、家の中の片づけや断捨離ばかりしている。昨日もリハビリの時にまだ痛みがでる程歩かないようにと言われた。そうなるとせいぜいが5000歩か6000歩位なので、美術館なんかもまだ無理かもしれない。

 というわけで、昨日も身の回りの整理をしていたのだけれども、その時小さなボール箱の中からガラスの乾板が出てきた。「乾板」と言っても若い人には分からないかもしれないけど、大昔はフィルムの(フィルム自体が今では分からないかもしれないけど)素材は以前の35ミリフィルムのように巻き取れる柔らかい素材ではなくてガラスなどでつくられていた。

 そのガラスの乾板をスキャナーでスキャンしてみたら小さな少女が二人写っていた。ガラスの乾板が入れてあった黄色く変色したパラフィン紙の袋にはもうパリパリになったセロテープで紙片が貼り付けられていた。そこには「みちい7歳、もとの11歳」と書かれていた。つまりそこに写っていた右側の少女がぼくの母でその隣が母の姉、つまりぼくの叔母だったのだ。場所は関東大震災後に母の一家は神田から千住に引っ越してきているので今の北千住の電機大のあるあたりだと思う。

 母は1920年(大正9年)生まれだから、この写真が撮られたのは1927年、昭和2年ということになる。今まではここに載せたように母の一番若い時の写真は12歳くらいの頃の写真だったのだけれど、これはさらに小さいころの写真だ。

 写真の歴史は絵画に比べればまだまだ若いけれど、それでも現実の時の流れをしっかりと見つめていたということかもしれない。この少女は今98歳になって夢うつつの世界を彷徨っている。複雑な気持ちだ。


みちい7歳1927年昭和2年smrs.jpg

 では、この写真が撮られた1927年とはどんな年だったのか…その年の出来事をざっとあげてみると。

 3月26日…台湾銀行が鈴木商店に新規貸出し停止命令
 4月2日…鈴木商店破産
 4月21日…全国で銀行取付け激化し十五銀行などが休業
 5月21日…チャールズ・リンドバーグが大西洋の単独無着陸飛行に成功
 7月24日…芥川龍之介が睡眠薬を多量に飲んで自殺
 9月1日…宝塚少女歌劇レビュー初演(『モン・パリ』)
 11月5日…来日中の蒋介石が田中首相と会談(国民政府による中国統一に協力要請)
 11月12日…ソビエト共産党がトロツキーらを除名
 12月30日…上野・浅草間に日本最初の地下鉄が開通
  (Wikipediaより)

 鈴木商店は現在の神戸製鋼をはじめ帝人やIHIなど現在に繋がるそうそうたる企業群を傘下に抱える大企業だったが、非上場で経営を全て借入れによっていたため台湾銀行の融資が止まると立ちいかなくなってしまった。その発端は当時の大蔵大臣の不用意な発言によって、各地で銀行の取り付け騒ぎがおき台湾銀行の融資停止もそのあおりをくらったと言われている。

 そしてその二年後の1929年にはアメリカで経済恐慌が発生しそれはあっという間に日本に到達し昭和大恐慌がおき暗い時代に突き落とされる。それはやがて日本における軍部の台頭をも招きさらに暗い時代へと続いていく。母の生きた時代がくすんだようなガラス看板の向こうに潜んでいる。


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[Déjà-vu] No.11 旅に出たいが… [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.11 旅に出たいが…


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 ■ 旅3 Arizona

 地平線へ一筋に道はのびている
  何も感じない事は苦しい
 ふり返ると
 地平線から一筋に道は来ていた

 風景は大きいのか小さいのか分からなかった
 それは私の眼にうつり
 それはそれだけの物であった

 世界だったのかそれは
 私だったのか
 今も無言で

 そしてもう私は
 私がどうでもいい
 無言の中心に至るのに
 自分の言葉は邪魔なんだ


   
(谷川俊太郎 詩集『旅』より)


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 前にも少し書いたけれど、旅から戻って少し経つとまたどこかへ行きたくなる。そういうのを放浪癖というのかもしれないけれど、ぼくのはそれともちょっと違う。放浪癖というのは山下清がそうであったように「放浪」すること自体が好きなのであって、定着することが苦痛なのだ。つまり、そこには定着イコール束縛という図式があるようだ。

 放浪する者にとってHOMEは息苦しいものであって帰るべきところではないらしい。ぼくは「放浪」と「旅」の違いは帰るべき日常があるか無いかだと思っている。そういう意味ではぼくには帰るべき日常があるし、日常こそ人生そのものだと思ってはいるのだけれど…。

 それどころか、旅に出たとたんに家に帰りたくなるし旅に出たことを悔やんだりするのだ。始末の悪いことに、ぼくは旅に出てもそれなりの日常を探そうとしたり、旅先で新たな日常を創り出そうとしたりする。ホテルの部屋につくなり、持ってきた物を置く定位置を探ったり、また来るかも分からないのに行きつけの店を作ろうとしたり…。だから、観光は余り得意ではない。ただ、いつもとは異なる場所で、朝飯を食ったり、本を読んだり、飲んだくれたりという日常を作りたいのだ。

 旅になんか出なくたって、君の周りに素晴らしい世界があるじゃないかと、ぼくの好きな画家たちが囁く。ボナールもハンマースホイもモランディもそしてワイエスも…。人生の大半をたった二か所で暮らしたアンドリュー・ワイエスはこう言う。「…このひとつの丘が私にとっては何千の丘と同じ意味を持つ。このひとつの対象の中に私は世界を見出す」と。

 写真家のソール・ライターもそうだったな。だから、旅に出て何か物珍しそうなものを探そうなぞとキョロキョロしているうちに人生は終わってしまうぞ、と。今は物理的にも身の回りのものに目を向けざるを得ない状況にもあるし、そういうライフスタイルが、そもそもぼく自身日常の些細なことが好きだという自分の性格にもあっているかもしれない。だから、しばらくは身の回りにもっと目を凝らして…広くよりも深く、 …ああ、でもやっぱり旅に出たいっ。


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[Déjà-vu] No.10 旅に出たい [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.10 旅に出たい

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 ■ 旅 1

 美しい絵葉書に
 書くことがない
 私はいま ここにいる

 冷たいコーヒーがおいしい
 苺の入った菓子がおいしい
 町を流れる河の名はなんだったろう
 あんなにゆるやかに

 ここにいま 私はいる
 ほんとうにここにいるから
 ここにいるような気がしないだけ

 記憶の中でなら
 話すこともできるのに
 いまはただここに
 私はいる

   (谷川俊太郎 詩集『旅』より)


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 毎日異常な暑さが続いている、ぼくがいつもパソコンを打っている二階の部屋は西向きなので午後になって西日がさして、さらに屋根裏に溜まった熱い空気がブロック高気圧のように停滞しもの凄い室温になる。この間は午後の3時で39.8度その後一瞬40.1度までなった。

 こうなるとエアコンをフル稼働させても中々温度は下がらないで、その時は二時間たっても33度までしか下がらなかった。カミさんは室温の上がらない涼しいうちからエアコンをつけておけというけれど、電気代のことを考えると二の足を踏んでしまうし、それにまだそれほど熱くなければ外気の入る状態の方が良いのだけれど…。(と、言っている間に熱中症になるのかも知れない)

 三匹の猫たちの暑さに対しての対応はまちまちだ。モモは35度くらいでも僕の部屋の机の上で寝ている。寒い国の猫のはずなのに大丈夫なのだろうか。ハルはいまどきの猫らしくエアコン好き。エアコンの吹き出し口の下などで寝ている。レオは暑がりだけどもエアコンが嫌い。エアコンをつけるとすぐ部屋を出て行ってしまう。

 だけど長毛種のペルシャだから暑いはずで玄関や風呂場のなどのタイルの上で寝ているから、夜は冷凍庫で冷やしておいたアイスノンをタオルにくるんで置いてやるとその上で寝ている。ぼくはと言えば病院でのリハビリと母の処を行ったり来たり、それ以外は比較的涼しい寝室で寝ころんで本を読んだりしているのだが、そろそろどこかへ行きたくなってきた。

 でも今は母のこともあるし、自分の脚の具合もあって旅にいける状態ではないのだけれど、そう思うと尚更のこと行きたくなるのだ。ぼくはウチにいても退屈するということは全くないのだけれど、そして旅に出ればすぐにウチに帰りたくなるのだけれど、放浪癖というのか暫く経つとまた旅に出たくなる。旅の代償行為として今は昔の旅の写真を引っ張り出しては眺めている。



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 *あ、丁度1000本目の記事になりました。今後ともよろしくお願いいたします。


..

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暑中お見舞い [新隠居主義]

暑中お見舞い

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 今年は関東地方は何だか異常に梅雨明けが早いようだ。とは言うものの、考えてみたらここのところ毎年のように「今年は何だか異常に…」と言うことが多くて、それになんか少し慣れっこになっていたようなところもある。ということは、こういうことがもう当たり前になりつつあるということなのか。それに自然災害の規模自体も起こるたびにじわじわと大きくなっているのも気がかりだ。ほんとに恐ろしいことだ。

 大体「暑中お見舞い」というのはいつ頃からなのかというと、諸説あるけど二十四節季からいうと小暑(七夕頃)から立秋までのひと月間位を言うらしいのだけれど、人によっては土用から立秋までという人も居れば、アバウトに梅雨明けから立秋までという人も居る。ぼくなんかの感覚からいうと、かっと暑くなる梅雨明けからというのが生活実感的にも分かりやすいと思うのだけど、今年みたいに梅雨明けが早くて、小暑を迎えないうちに梅雨明けとなるとまた考えてしまう。

 暑いから余り外に行かないというのもあるけど、それより痛みが酷くてちゃんと歩けないので家にいるということの方が当たっているかもしれない。先週、諸々の痛みの原因に加えて、歩くと踵も痛いのでレントゲンを撮ったら右足の踵に「骨棘(こっきょく)」が出来ていると言われ、要は踵の骨にとげ状の新しい骨ができていて、それが当たって痛いらしいのだ。

 という訳で、病院でのリハビリと母の見舞いに通いながら、あとは家でスマホで猫の写真ばかり撮っているというような状態。もちろん家でリハビリの「自主トレ」には励んでいるのだけれど、それとてすぐに効果が出るわけではないし、逆に張り切りすぎると今度はそれが原因で痛みが増す結果にもなり…さじ加減も難しい。

 家にいるおかげでしんまい猫のハルの様子もだいぶ良く分かるようになったし、時間がないので読まずに置いてあった本も少しは読めたのだけれど、やっぱり日本語学校に行ったり、美術館に行ったり、写真を撮りに行ったり、はたまた大好きな沖縄に行ったり自由に動けないというのは辛いものだなぁ。

 何とか頑張って秋風のたつ頃には…と思うのだけれど、そうすると意気込みだけが空回りしてすぐカミさんにも「そんなに焦ったってしょうがないでしょ」と…。ここはぼくがいつも言っている「三無主義」に従う他ないか。とにかく「がんばらない、くさらない、あきらめない」、これで何とかこの夏を乗り切りたい。


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 *今回の西日本を中心とする洪水等の災害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。地震、洪水、土砂崩れなど日本中どこへ行ってもここは万全というところは無いことを痛感しました。これからは未曽有のとか、今までにないとかいう事態が自分とは決して無縁ではない時代になっており、それを頭において生活することが必要なんだと感じました。




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浅草寺 四万六千日 [Ansicht Tokio]

浅草寺 四万六千日


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 この間ちょっとしたことでお気に入りのグラスにひびが入ってしまった。気に入っていたやつなので捨てるに忍びなく、ネットで調べてみたらガラスの補修、リメイクをする店が浅草にあるということでリハビリを兼ねてカミさんと行ってみることにした。

 浅草寺は相変わらず外国人観光客でごった返していたが、それにしても平日なのに大変な人出。仲見世に入ってみて今日が四万六千日ホウズキ市なのに気づいた。どうりで、人が多いわけだ。

 四万六千日といっても外国人観光客には何の事だか分からないだろうけど、こっちもついぞそのことを忘れていた。浅草寺にとっては毎月9日、10日が功徳日で、その中でも7月9日、10日はお参りすると四万六千日お参りした分の功徳があるという。

 日本人のこのアバウトでご都合主義的宗教観はぼくは嫌いじゃない。目くじら立てて宗教論争に明け暮れ、果ては殺し合いまでするようなことまで考えると、アミニズムの要素も含んだおおらかな日本人の宗教観はひとつのあり方だと思う。

 それはそれで良いんだけど、歩いているうちにかなり脚が痛くなり用を済ましたら、結局松屋の上の食堂でうどんを食べて早々に戻ってきた。歩いたのは全部で5000歩位なのだけれど、まだまだリハビリが必要な感じ。

 肝心のグラスの補修は結局、フチにひびの入った部分をカットしてグラスを短くするしか方法がないということで、それでお願いをした。好きだったグラスの形は変わってしまうけれど、引き続き使えるのは嬉しい。注文が多いらしく出来上がるまでひと月ちょっとかかるらしいけど、どんな風になるのか…。

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 *ここのところ脚が辛いので重いカメラを持って歩く気にはならず、スマホばっかりで写真を撮っています。昨日も浅草でスマホで撮ったのですが、最近のスマホはほんとによく映るのでカメラメーカーも大変だなぁ、と思ったりして。




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