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上野を考える [Ansicht Tokio]

上野を考える


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 今年の夏ごろにはいい具合に戻りかけていた嗅覚が、秋の訪れとともにまたゼロになってしまったのでいつもの大学病院の耳鼻科を訪ねた。原因はよくわからないが、薬を替えたのが影響しているかもしれないということで以前の薬も併用するようにするとのこと。あまり期待しないようにはしようと思っているけど、一度戻りかけただけに落胆も大きい。

 病院の後、少し気を取り直そうと思って杖を突きながらだけど上野に向かった。上野は平日だというのに結構な人出。上野では今上野の森美術館の「フェルメール展」、東京都美術館の「ムンク展」そして国立西洋美術館の「ルーベンス展」と人気の展覧会が重なっていることもあると思う。

 でも、こういう時は何といってもぼくにとっては西洋美術館だ。会社員時代も辛い時うれしい時何かにつけこの美術館にやってきた。ということでルーベンス展に。ここ数年で上野の恩賜公園一帯は急速に整備されて快適な文化地区になっている。東京都美術館の手前の木立の中に点在していたホームレスのブルーシートの小屋もいつの間にか姿を消してベンチや遊具などが置かれている。

 上野が成田空港から都心に直行する外国の観光客にとって最初に目にする日本の街になるため、第一印象の点でも心配ではあったのだけれど、ホームレスの問題はそれ自体が基本的に解決したのではなくて、単にぼくたちの目に触れないようになったというだけではないのかという複雑な気持ちが残る。それどころか今や社会の格差は広がる一方なことを考えると格差の象徴のようなホームレスが減るのではなくて単に目につかなくなるということが本当に良いことなのか…。

 東京国立博物館の前も噴水は残ったけれど花壇だった植え込みはイベントもできる広大な広場に生まれ変わっているが、これはいわゆる公共の広場ではないらしい。物産展などのイベントはよく開かれているけど、デモや集会などが開かれているのを見たことは無い。当然申請しても許可は出ないと思うのだけれど、東京でデモや集会というと大体が代々木公園のような一般の目には触れにくいような所で行われている。

 たまに国会議事堂の前などでデモが行われても厳重な警戒体制の下でのものになるし、マスコミも何故かあまりそのことを報じない。本来デモや集会は民衆が政治的意思を示すための民主主義における重要な意思表示手段であるのだけれども、ベルリンやワシントンやソウル等でみられるような社会を大きく動かす目に見える形での大規模な集会は東京では、それ自体行える「広場」すらないのかもしれない。

 大昔、まだ学生の頃ベトナム戦争反対の集会が行われていた「新宿西口地下広場」を、そこは広場ではなく通路だという理由をつけて集会を禁じたことを想い出した。政治に対する正当な怒り(いかり)を訴える機能の麻痺した日本の社会はこれからどうなっていくんだろうか。西洋美術館の庭におかれたロダンの「考える人」の前でフトそんなことも考えていた。



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 *そろそろ外出時はカメラを持ってと思っているのですが、やっぱり杖を突いてだとカメラを構える時に杖をわきに置かざるを得ないので、この日もiPhoneだけでしたが、西洋美術館の庭で見上げたロダンの考える人の感じがとても良かったので、やっぱりカメラを持ってくればよかったな、と…。

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影遊び [猫と暮らせば]

影遊び

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 ハルが来てから家の中が何となく活気づいた。というか騒がしくなった。一日に何度か「コラッ!」というぼくの声。考えてみたらいつの間にかウチは猫も飼い主も高齢化していて良く言えば落ち着いた、実のところまぁもの静かな家庭になっていたようだ。

 ハルはまだ子猫からやっと大人猫になったばかりくらいなので、動きも活発だし何といってもその好奇心は半端ない。テーブルの上のモノはなんでも下に落すので、寝る前には全て片づけておかなければ朝起きたら悲惨なことになっている。

 色んなものを何処かしらから見つけてきては転がして遊んでみたり、自分でなんかしらの遊びを考え出して遊んでいる。レオモモもおもちゃ等でじゃらせばじゃれついてくるのだけれど、自分で何かを探して遊ぶということはなくなった。ハルの遊びは若いうえにアメショーという猫の特徴でもあるらしい。

 以前、母が車椅子になって、中々外に出られなくなってしまったので家の中で鉢植えの手入れが楽しめるように小さなサンルームを作ってその周りに掴まれるように手すりを付けたのだけれど、ガラス窓とカーテンの間をその手すり伝いに歩き回るのがモモのお気に入りなのだ。

 特にこれからのように冬の日当たりの良い日は日向ぼっこにもなるのだろう、昨日も手すりの上を行ったり来たりしていた。モモの影が紗のカーテンに写ってそれがユラユラと揺れて、なんか回り灯籠の影絵のようだ。これをハルが見過ごすわけがない。

 目ざとく見つけて跳んでいき、待ち伏せ。モモからは見えないので不意打ちを食らった。手すりから落ちたモモは一目散に二階へと逃げて行ってしまった。ハルは猛ダッシュで追跡。まだまだこのドタバタは続きそうだ。


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The River Story [下町の時間]

The River Story


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 すみだ川

 隅田川の水はいよいよ濁りいよいよ悪臭をさえ放つようになってしまったので、その後わたくしは一度も河船には乗らないようになったが、思い返すとこの河水も明治大正の頃には奇麗であった。

  その頃、両国の川下には葭簀張(よしずばり)の水練場四、五軒も並んでいて、夕方近くには柳橋あたりの芸者が泳ぎに来たくらいで、かなり賑かなものであった。思い返すと四、五十年もむかしの事で、わたくしもこの辺の水練場で始めて泳ぎを教えられたのであった。

世間ではまだ鎌倉あたりへ別荘を建てて子弟の遊場をつくるような風習がなかった。尋常中学へ這入って一、二年過ぎた頃かと思う。季節が少し寒くなりかかると、泳げないから浅草橋あたりまで行って釣舟屋の舟を借り、両国から向嶋、永代から品川の砲台あたりまで漕ぎ廻ったが、やがて二、三年過るとその興味も追々他に変じて、一ツ舟に乗り合せた学校友達とも遠ざかり、中には病死したものもあるが、月日と共にその名さえ忘れてしまって、思出すことさえできないのがある。…

 (永井荷風「荷風随筆集(上)・向島」岩波文庫より)



 最近台風や集中豪雨などで河川の氾濫が頻発しているのでハザードマップ等への関心が深まり、それとともに河川が自分たちの生活と深くかかわっていることを再認識する必要があるという感を強めた。

 現在ぼくが住んでいるところは荒川隅田川の北側にありハザードマップでみると、荒川が決壊した場合はここも最大2mまで冠水する可能性があるようだ。ぼくが子どもの頃育った千住は隅田川と荒川の二つの一級河川に囲まれた胃袋のような形をしたいわば中洲のような所だった。

 子供の頃自転車を買ってもらった時約束させられたのが自転車に乗って遊びに行っても、二つの川を超えないこと。北に行けば荒川に西新井橋がかかっており、そして南に行けば隅田川には千住大橋が掛かっているのでその間がぼくの遊びの空間というわけだ。

 今は荒川と言っているけど子供の頃は荒川放水路といっていた。というのも荒川(あらかわ)という名前が示す通り荒川はしばしば洪水をおこす暴れ川でその流れも頻繁に変わっていたようだ。この川には江戸時代から手こずりいろいろな手が打たれてきたが、大正から昭和にわたる大工事で赤羽の岩淵から東京湾に至る一大放水路を建設することで穏やかな川となった。

 子供の頃の記憶では荒川は夏になると川の真ん中にやぐらが組まれて、それが水泳のための休憩場所や飛び込み台にも使われるなど夏の風物詩になっていた覚えがあるが、隅田川はその頃にはもう墨汁のような黒い川で泳ぐなどもってのほかの川になっていたと思う。父と写っている写真の後ろに流れている川が隅田川でそのほとりに「お化け煙突」といわれた千住の火力発電所の煙突が見える。

 それでも隅田川はぼくにとっては親しい川であることに変わりはない。今思うとひやひやものだが、子供の頃には隅田川のコンクリート製の高い堤防の上を駆け回っていたし、隅田川に掛かる京成電車の鉄橋を友達と歩いて渡ったりもした。また夏になると船をしたてて千住大橋の袂から隅田川を下って、東雲(しののめ)や豊洲の方にハゼ釣りに行ったりした。(二枚目の写真)

 また中学校は隅田川のほとりの両国だったため、隅田川や両国橋などの想い出も多い。永井荷風の「すみだ川」はいつごろ書かれたのかは詳しくは定かではないが随分昔のことだと思うけれど、それでもそこにはもう汚れた川という風に書かれている。以前散策したときには、そのすみだ川の在り様と荷風のちょっと隠微な雰囲気が今でも向島あたりには漂っている感じがした。


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 *ここ数年、日本橋の下から出ている東京湾ミニクルーズや浅草から浜離宮までの定期船などで隅田川を何度か航行したことがありますが、昔とは様変わりに水がきれいになっていて驚きました。傷ついた自然も努力して改善すればある程度回復するものだなぁ、と感慨深かったことを覚えています。

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お稽古場 [下町の時間]

お稽古場

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 先日、亡くなった母の関連の手続きで以前住んでいた千住に用があって杖を突きながら行った。兄と待ち合わせをしていたのだが、時間よりちょっと早く着いたので待ち合わせのその建物の裏手にある懐かしい場所を覗いてみようと足を向けた。

 恐らくもうかれこれ60年近く来てはいないし、周りの街並みはすっかりと変わってしまったのだけれど、方向音痴のぼくなのに、その時は様変わりしていた細い路地の入口を不思議と見逃すことが無かった。きっともう変わってしまって分からないだろうと思っていた矢先、そのお稽古場は昔よりずっと小奇麗になってはいたけれど、ちゃんとそこにあった。


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 そこはぼくが子どもの頃週三回お稽古に通っていた日本舞踊の坂東流のお師匠さんの自宅兼お稽古場だ。お稽古場の看板にはぼくが教わったお師匠さんの坂東勝浜さんの名も残っている。今のお師匠さんはその娘さんで、その旦那になる人を引き合わせるきっかけを作ったのはたしか母だった。

 その場所を前にして急に色々なことが想い出された。床下に響をよくするために瓶が活けてあると教えられていた舞台をトンと踏んだ時のあの小気味良い音。舞台の前に座り踊りと同時に三味線のお稽古もつけていたお師匠さんの姿。そして当時、お稽古から家に帰る途中にお寺があって冬の日の夕暮れ時などその墓地のわきを通るのが小学生だったぼくは怖くていつも目をつぶって急ぎ足で抜けていたのも思い出した。

 学校が終わってからお稽古に行くのだけれど、時にはみんなで遊んでいた草野球を途中でぼくだけ切り上げてお稽古に行かなければならない時もあって、「これから踊りのお稽古だってさぁ」などとからかわれることもあった。いじめられることは無かったけど、ぼくとしては、そりゃあみんなと野球をしている方が楽しいわけで何年かたって結局辞めてしまった。

 ずっと後の大人になってから、あのまま続けていればよかったなぁとは思うけれど、まるで無駄だったかというとそうでもなくて、三味線や端唄、小唄などの邦楽の調べが今でも耳の底に残っているし、もう踊れないけど他人の踊りのうまい下手くらいは今でもわかる。時折気づくのだけれど、何よりも幼い心に刻み込まれた「和」の空気が今の自分の美意識の土台の一つになっているような気がする。そういう意味でもこの出会いに感謝。

 時間があれば本来お稽古場に寄って挨拶するのだけれど、今は時間がないので改めてこんど手土産をもって挨拶に来ようと思った。当時女学生だった今のお師匠さんはぼくのことをもう覚えていないかもしれないけど…。



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 *日本舞踊の曲は小唄端唄(はうた)もしくは長唄が多いのですが(他にも新内、清本そして常磐津などがあります)、そのほとんどは男女の関係の細かい機微をうたったものが多く、小学生には意味など分からないので呪文のように憶えていましたが、中にはぼくも最初に習った「桃太郎」などの分かりやすい題材のものもありますが、ごく少ないです。

例えば、ぼくも習ったことがある端唄の「わがもの」の歌詞は、

 [わがもの]
 わがものと 思えば 軽き傘の雪
 恋の重荷を 肩にかけ
 芋狩り行けば 冬の夜の
 川風寒く 千鳥鳴く
 待つ身に辛き 置炬燵
 実にやるせが ないわいな
  →芋狩り=妹許(いもがり)…妻や愛しい人の居るところ

 当時、お稽古場では細かい所作の処はお師匠さんが口ずさみながら指導しますが、通しで踊る時などにはその曲のSPレコードをかけて踊ります。SPレコードは最大でも5分位なので、その長さで収まる端唄、小唄はそういう意味でも適していたと思います。

 日本舞踊も上級になってくると段物(だんもの)と言って長編の常磐津(ときわづ)や長唄が入ってきます。長唄などは長いものだと30分近いものもあり、SPレコードが複数枚必要になります。歌舞伎の踊りなども小唄や清本などの世界なので、聞いていてどこか懐かしい感じがします。

 今はLPや色々な音楽プレーヤーがあるのでお稽古場ではどうしているんでしょうか。今度いったら聞いてみたい気がします。


 **ぼくも良く分からないんですが、分かりにくい日本舞踊の音楽の背景をそれが演じられた場所で、勝手に分類して自分なりに整理してみるとこんな感じになるのかなと。

 ①劇場系、②お座敷系、③門づけ系

 常磐津義太夫清本などは浄瑠璃の一派で芝居小屋等で演じられる①の劇場系かなと、また踊りはないですが、寄席などでも演じられた俗曲である都都逸(どどいつ)なども劇場系かもしれません。

 それに対し端唄小唄は芸者さんなどがお座敷で歌い踊るもので②のお座敷系かな。お座敷で30分もやられたらたまらないので短いのかもしれないです。

 また新内(しんない)は新内流しという言葉があるように「え~、お二階さんへ…」などと家の門の前に立ち演奏する流し的なもので③の門づけ系、但しこれも元は浄瑠璃の一派だったようです。いずれにしても子供にはわかりにくい世界です。



MutterTanz.jpgありし日の母の踊り





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光よ!  国立新美術館 [Ansicht Tokio]

光よ!  国立新美術館


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  今年の春、歩くと激痛を感じるようになってそれ以来殆ど外出ができない状態になってしまった。時を同じくして母が倒れたこともあり、それから殆ど美術館にも行っていないことに気付いた。以前は月に二回くらいは何らかの展覧会に行っていたのだけれど、こんなに行かなかったのは余りなかったし、それがストレスの一つにもなっていたみたいな気がする。

 リハビリは一進一退なのだけれど、朝の激痛がなくなっただけでも嬉しいし、少しずつ平地を歩いてみましょうというリハビリの先生の言葉もうれしかった。ということで先日、嗅覚の治療で大学病院に行った帰りに思い切ってどこかに行ってみることにした。

 幸い診療の予約は早朝だったので昼前には終わるから近場の美術館であればなんとか…。と、考えるとそこから一番行きやすいのが六本木の国立新美術館だった。そこなら美術館の地下まで千代田線で行けるのでそんなに歩くことは無い。

 待合の時間に今新美術館でなにをやっているかネットで調べたら、なんとピエール・ボナール展をやっているではないか。ボナールはぼくの大好きな画家で、今までもオルセー展ナビ派展などで彼の多くの作品に接してきたが、ボナール自身の回顧展は初めてだ。

 始まってまだ間もないから混んでいるかもしれないと思いながらも、意を決して行ってみると平日ということもあるとは思うけれども、拍子抜けするほど人が少なかった。そうか、ボナールは日本ではそんなに人気が無いのかなと、ちょっと寂しくなったけれど、大好きなボナールの作品をゆっくりと心行くまで見られたということでは大満足だった。

 観終わって、いつものようにロビーのカフェでコーヒーを飲む。ここも人がまばらだ。この美術館の建物に差し込む光はひときわ美しい。刻々と変化し同じ光にはもう出会えないと思えるほど来るたびに違う光が迎えてくれる。カフェの客もまばらなのでiPadで自撮りしたりして暫し遊んだ。

 まだカメラを持って歩き回れる気分ではなし、杖をついての撮影は辛いので今日もスマホとタブレットしか持ってこなかったけれど、そろそろカメラを持って街歩きをするのを目標に考えてもいいねと美術館の光が語り掛けていた。



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ねぇ、あんた [猫と暮らせば]

ねぇ、あんた

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 Momo:「ねぇ、あんた。 あんた最近ちょっといい気になってない?」
 Haru:「えっ?」


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 Momo:「ねぇ、そう思わない~?」 (ぼくの方を見て)
 Haru:「ふんっだ!」


 まだウチの中もこっちの心の中もドタバタしているので、なかなか猫たちと会話をする余裕がないのだけれども、その間にもハルは確実にウチの猫になりつつ、かつ身体も大きくなって他の猫たちとの関係も微妙に変わってきているみたいだ。

 クロの生きている頃から、三匹の猫にはそれぞれの役割というか特権みたいなものを与えるようにしていた。モモは寝る時に寝室で一緒に寝る。それは単純に寝室の猫ドアがモモしかくぐれない(身体は十分通り抜けられるのだけれど、他の猫は怖がって通らない)からなのだが…。

 またレオは晩の食事の時の味見係。ウチは朝はカリカリ、晩が猫缶なのだけれど、晩に新しい猫缶を開けてレオがスプーンで一なめしてOKがでてはじめて皆の食事となる。ハルもやっとその儀式に慣れてきておとなしくレオのOKが出るのをランチョンマットの前で待っている。

 で、クロの特権はなんだったかというと食事の際に一匹だけ食卓の上にあがることが許されて、いわゆる晩酌猫としてぼくのわきに座ること。クロは一番身体も小さかったのでこの役目になったのだけれど、その役をハルが引き継ぐことになった。

 他の面々はそれには特に異存はないみたいなのだけれど、クロがテーブルのぼくのわきにちょこんと座っていたのに対して、ハルは何とも泰然自若として態度が大きい。そこらへんがモモがカチンときているところかもしれない。 でもハルも寝ちゃうとおとなしくて可愛い寝顔なんだけどねぇ。

 クロが居なくなってから二階の部屋と寝室はモモの独壇場だったのだけど、二階の部屋では今モモとハルの争奪戦が始まっている。今のところハルの勢いにモモが負けている。ハルは時々レオにも向かってゆくのでレオはちょっと諦め気味。これからどうなりますか。



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ホッとキャット [猫と暮らせば]

ホッとキャット


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 の仮通夜、通夜、葬儀も終わって今はウチの居間に仮の祭壇がしつらえられて、その祭壇には四十九日の法要と納骨まで母の遺骨と仮の位牌そして葬儀の時の母の写真が飾られている。

 毎朝その祭壇にお香を焚き、お水をあげるのだけれど、あわただしく過ぎ去って行った日々の後に、その霊前に座る時間が何とも静かすぎて、戸惑ってしまうのだ。もっとも昼間の時間は色々な手続きやらなんやらで結構忙しいのだけれど…。

 仮通夜の時もそうだけれども、猫たちはやっぱり家の中の雰囲気がちがうのかとてもおとなしい。葬儀が済んでまた家の中が静かになっても、猫たちの様子が普段とは違うような気がする。ぼくらにつかず離れず様子をうかがっているようだ。

 ここ数日でやっと以前のような感じにはなってきたけれど、ハルなんかは食事の時もテーブルの上でぼくのそばに座るようになった。昨日、祭壇にあげたミカンがいたみそうなので、食べようと食卓の上に持ってきて置いておいたら、ハルがそれを枕にして寝ている。ずっと寝ているわけではなくて、時々目を開けてぼくの方を見ている。そんな猫を見ていると、何だかホッとする。

 かと思うと、遺骨や位牌を祭っている祭壇に上がって位牌は倒すは、毎朝捧げている茶わんの水はひっくり返してこぼすはで、そのたびにぼくやカミさんが大きな声を出して叱るのだけれど、そのたびにぼくらの中で何かが変わってゆくのに気付いた。悲しみは引きずっていながらも少しづつもとの日常に引き戻されるような不思議な気持ち。どれだけ、猫に助けられているか。ホッとキャット。


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おつかれさま [新隠居主義]

おつかれさま


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 ぼくは電話が怖いのだけれど、今度もやはり電話は通り魔のようにいきなり襲ってきた。夜中の三時過ぎ、夢の中でベルが鳴っていた。誰かがドアを叩いているようでもあるし、目覚ましのベルが鳴っているようでもあった。それが夢の中でもいつまでたっても鳴りやまないので、仕方なく目を開けた。

 気が付くとスマホのベル音が鳴っている。でも、目が覚めると同時にその音が鳴りやんだ。よく焦点の定まらない目でスマホの画面を見ると、の入所しているケアハウスからの電話だった。その瞬間全てが予感されたし、同時に夢の中にまだいたい気持ちにもなった。でも、それはきっとはかない一縷の希望だったことも知っていた。

 危ないと思いながら、もうろうとして、でもしっかりしなきゃと思いながらカミさんを乗せて真っ暗な中を車を走らせた。静まり返った部屋の中で母は静かに寝ていた。体温はあるけど呼吸はしていないことに夜間検温巡回の職員が気が付いて電話をしてきた。


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 翌朝、母の遺体をウチに安置して昼間は兄を呼んで、夜は仮通夜をカミさんと二人ですることにした。夜中になって日付が変わった頃一人で焼酎を少しグラスに注いでソーダを入れ、母の遺体の側に座った。ぼくは元来すごく臆病で死者と同じ部屋で夜中に二人きりで夜を過ごすなど恐ろしくてまったく無理と思っていたけれど、母とのそれは死者と話をするようなとても静謐な時だった。母の身体はただのむくろではないのだ。

 口をついで出た言葉は「母ちゃん、おつかれ様」だった。愛するものの遺体は愛おしいことはあっても決して怖くはない。夜更けまで母ちゃんと色々と話をした。母ちゃんのために、もっといろいろとやりようはあったのかもしれないけれど、ぼくという人間の器ではこれが精いっぱいだった。九十八年間お疲れ様でした。

 今は晩夏と言っても、この季節、生命の温もりを失った母の身体は脆い。部屋のクーラーを19度にして、なおかつ母を守るためのドライアイスを消耗させないようにクーラーの風が直接母の身体に当たらないようにする。

 その風は今はぼくの方に向いている。真夜中の冷え冷えとした空気の中で飲む焼酎ハイボール。…でもぼくはいま生きている。 あなたに貰った生命を大切にしようと思った。母の遺体に近づいてきた猫のハルが立ち上がって横たわる母の顔を不思議そうに覗き込んでいる。 「ほんとうに、おつかれさまでした」


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[御 礼]

 沢山の暖かいコメントありがとうございました。

  98歳といえば、世間的には十分すぎるほどの長寿である事は間違いのないところですが、亡くしてみればその悲しみは年齢にかかわらずいささかも変わらないようです。

 ぼくももう71歳で身体のあちこちにガタが来て、朝などは辛いのですが、母の死を契機にもう一度心身ともにオーバーホールして人生に立ち向かおうと思っています。これからが自分の余生と思っています。宜しくお願いいたします。




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断捨離Ⅱ [新隠居主義]

断捨離Ⅱ

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 ここのところずっと、自分のリハビリ通院と母の処を行ったり来たりで、殆どその他の外出はできない状況なので、家の中の片づけや断捨離ばかりしている。昨日もリハビリの時にまだ痛みがでる程歩かないようにと言われた。そうなるとせいぜいが5000歩か6000歩位なので、美術館なんかもまだ無理かもしれない。

 というわけで、昨日も身の回りの整理をしていたのだけれども、その時小さなボール箱の中からガラスの乾板が出てきた。「乾板」と言っても若い人には分からないかもしれないけど、大昔はフィルムの(フィルム自体が今では分からないかもしれないけど)素材は以前の35ミリフィルムのように巻き取れる柔らかい素材ではなくてガラスなどでつくられていた。

 そのガラスの乾板をスキャナーでスキャンしてみたら小さな少女が二人写っていた。ガラスの乾板が入れてあった黄色く変色したパラフィン紙の袋にはもうパリパリになったセロテープで紙片が貼り付けられていた。そこには「みちい7歳、もとの11歳」と書かれていた。つまりそこに写っていた右側の少女がぼくの母でその隣が母の姉、つまりぼくの叔母だったのだ。場所は関東大震災後に母の一家は神田から千住に引っ越してきているので今の北千住の電機大のあるあたりだと思う。

 母は1920年(大正9年)生まれだから、この写真が撮られたのは1927年、昭和2年ということになる。今まではここに載せたように母の一番若い時の写真は12歳くらいの頃の写真だったのだけれど、これはさらに小さいころの写真だ。

 写真の歴史は絵画に比べればまだまだ若いけれど、それでも現実の時の流れをしっかりと見つめていたということかもしれない。この少女は今98歳になって夢うつつの世界を彷徨っている。複雑な気持ちだ。


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 では、この写真が撮られた1927年とはどんな年だったのか…その年の出来事をざっとあげてみると。

 3月26日…台湾銀行が鈴木商店に新規貸出し停止命令
 4月2日…鈴木商店破産
 4月21日…全国で銀行取付け激化し十五銀行などが休業
 5月21日…チャールズ・リンドバーグが大西洋の単独無着陸飛行に成功
 7月24日…芥川龍之介が睡眠薬を多量に飲んで自殺
 9月1日…宝塚少女歌劇レビュー初演(『モン・パリ』)
 11月5日…来日中の蒋介石が田中首相と会談(国民政府による中国統一に協力要請)
 11月12日…ソビエト共産党がトロツキーらを除名
 12月30日…上野・浅草間に日本最初の地下鉄が開通
  (Wikipediaより)

 鈴木商店は現在の神戸製鋼をはじめ帝人やIHIなど現在に繋がるそうそうたる企業群を傘下に抱える大企業だったが、非上場で経営を全て借入れによっていたため台湾銀行の融資が止まると立ちいかなくなってしまった。その発端は当時の大蔵大臣の不用意な発言によって、各地で銀行の取り付け騒ぎがおき台湾銀行の融資停止もそのあおりをくらったと言われている。

 そしてその二年後の1929年にはアメリカで経済恐慌が発生しそれはあっという間に日本に到達し昭和大恐慌がおき暗い時代に突き落とされる。それはやがて日本における軍部の台頭をも招きさらに暗い時代へと続いていく。母の生きた時代がくすんだようなガラス看板の向こうに潜んでいる。


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[Déjà-vu] No.11 旅に出たいが… [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.11 旅に出たいが…


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 ■ 旅3 Arizona

 地平線へ一筋に道はのびている
  何も感じない事は苦しい
 ふり返ると
 地平線から一筋に道は来ていた

 風景は大きいのか小さいのか分からなかった
 それは私の眼にうつり
 それはそれだけの物であった

 世界だったのかそれは
 私だったのか
 今も無言で

 そしてもう私は
 私がどうでもいい
 無言の中心に至るのに
 自分の言葉は邪魔なんだ


   
(谷川俊太郎 詩集『旅』より)


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 前にも少し書いたけれど、旅から戻って少し経つとまたどこかへ行きたくなる。そういうのを放浪癖というのかもしれないけれど、ぼくのはそれともちょっと違う。放浪癖というのは山下清がそうであったように「放浪」すること自体が好きなのであって、定着することが苦痛なのだ。つまり、そこには定着イコール束縛という図式があるようだ。

 放浪する者にとってHOMEは息苦しいものであって帰るべきところではないらしい。ぼくは「放浪」と「旅」の違いは帰るべき日常があるか無いかだと思っている。そういう意味ではぼくには帰るべき日常があるし、日常こそ人生そのものだと思ってはいるのだけれど…。

 それどころか、旅に出たとたんに家に帰りたくなるし旅に出たことを悔やんだりするのだ。始末の悪いことに、ぼくは旅に出てもそれなりの日常を探そうとしたり、旅先で新たな日常を創り出そうとしたりする。ホテルの部屋につくなり、持ってきた物を置く定位置を探ったり、また来るかも分からないのに行きつけの店を作ろうとしたり…。だから、観光は余り得意ではない。ただ、いつもとは異なる場所で、朝飯を食ったり、本を読んだり、飲んだくれたりという日常を作りたいのだ。

 旅になんか出なくたって、君の周りに素晴らしい世界があるじゃないかと、ぼくの好きな画家たちが囁く。ボナールもハンマースホイもモランディもそしてワイエスも…。人生の大半をたった二か所で暮らしたアンドリュー・ワイエスはこう言う。「…このひとつの丘が私にとっては何千の丘と同じ意味を持つ。このひとつの対象の中に私は世界を見出す」と。

 写真家のソール・ライターもそうだったな。だから、旅に出て何か物珍しそうなものを探そうなぞとキョロキョロしているうちに人生は終わってしまうぞ、と。今は物理的にも身の回りのものに目を向けざるを得ない状況にもあるし、そういうライフスタイルが、そもそもぼく自身日常の些細なことが好きだという自分の性格にもあっているかもしれない。だから、しばらくは身の回りにもっと目を凝らして…広くよりも深く、 …ああ、でもやっぱり旅に出たいっ。


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[Déjà-vu] No.10 旅に出たい [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.10 旅に出たい

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 ■ 旅 1

 美しい絵葉書に
 書くことがない
 私はいま ここにいる

 冷たいコーヒーがおいしい
 苺の入った菓子がおいしい
 町を流れる河の名はなんだったろう
 あんなにゆるやかに

 ここにいま 私はいる
 ほんとうにここにいるから
 ここにいるような気がしないだけ

 記憶の中でなら
 話すこともできるのに
 いまはただここに
 私はいる

   (谷川俊太郎 詩集『旅』より)


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 毎日異常な暑さが続いている、ぼくがいつもパソコンを打っている二階の部屋は西向きなので午後になって西日がさして、さらに屋根裏に溜まった熱い空気がブロック高気圧のように停滞しもの凄い室温になる。この間は午後の3時で39.8度その後一瞬40.1度までなった。

 こうなるとエアコンをフル稼働させても中々温度は下がらないで、その時は二時間たっても33度までしか下がらなかった。カミさんは室温の上がらない涼しいうちからエアコンをつけておけというけれど、電気代のことを考えると二の足を踏んでしまうし、それにまだそれほど熱くなければ外気の入る状態の方が良いのだけれど…。(と、言っている間に熱中症になるのかも知れない)

 三匹の猫たちの暑さに対しての対応はまちまちだ。モモは35度くらいでも僕の部屋の机の上で寝ている。寒い国の猫のはずなのに大丈夫なのだろうか。ハルはいまどきの猫らしくエアコン好き。エアコンの吹き出し口の下などで寝ている。レオは暑がりだけどもエアコンが嫌い。エアコンをつけるとすぐ部屋を出て行ってしまう。

 だけど長毛種のペルシャだから暑いはずで玄関や風呂場のなどのタイルの上で寝ているから、夜は冷凍庫で冷やしておいたアイスノンをタオルにくるんで置いてやるとその上で寝ている。ぼくはと言えば病院でのリハビリと母の処を行ったり来たり、それ以外は比較的涼しい寝室で寝ころんで本を読んだりしているのだが、そろそろどこかへ行きたくなってきた。

 でも今は母のこともあるし、自分の脚の具合もあって旅にいける状態ではないのだけれど、そう思うと尚更のこと行きたくなるのだ。ぼくはウチにいても退屈するということは全くないのだけれど、そして旅に出ればすぐにウチに帰りたくなるのだけれど、放浪癖というのか暫く経つとまた旅に出たくなる。旅の代償行為として今は昔の旅の写真を引っ張り出しては眺めている。



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 *あ、丁度1000本目の記事になりました。今後ともよろしくお願いいたします。


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暑中お見舞い [新隠居主義]

暑中お見舞い

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 今年は関東地方は何だか異常に梅雨明けが早いようだ。とは言うものの、考えてみたらここのところ毎年のように「今年は何だか異常に…」と言うことが多くて、それになんか少し慣れっこになっていたようなところもある。ということは、こういうことがもう当たり前になりつつあるということなのか。それに自然災害の規模自体も起こるたびにじわじわと大きくなっているのも気がかりだ。ほんとに恐ろしいことだ。

 大体「暑中お見舞い」というのはいつ頃からなのかというと、諸説あるけど二十四節季からいうと小暑(七夕頃)から立秋までのひと月間位を言うらしいのだけれど、人によっては土用から立秋までという人も居れば、アバウトに梅雨明けから立秋までという人も居る。ぼくなんかの感覚からいうと、かっと暑くなる梅雨明けからというのが生活実感的にも分かりやすいと思うのだけど、今年みたいに梅雨明けが早くて、小暑を迎えないうちに梅雨明けとなるとまた考えてしまう。

 暑いから余り外に行かないというのもあるけど、それより痛みが酷くてちゃんと歩けないので家にいるということの方が当たっているかもしれない。先週、諸々の痛みの原因に加えて、歩くと踵も痛いのでレントゲンを撮ったら右足の踵に「骨棘(こっきょく)」が出来ていると言われ、要は踵の骨にとげ状の新しい骨ができていて、それが当たって痛いらしいのだ。

 という訳で、病院でのリハビリと母の見舞いに通いながら、あとは家でスマホで猫の写真ばかり撮っているというような状態。もちろん家でリハビリの「自主トレ」には励んでいるのだけれど、それとてすぐに効果が出るわけではないし、逆に張り切りすぎると今度はそれが原因で痛みが増す結果にもなり…さじ加減も難しい。

 家にいるおかげでしんまい猫のハルの様子もだいぶ良く分かるようになったし、時間がないので読まずに置いてあった本も少しは読めたのだけれど、やっぱり日本語学校に行ったり、美術館に行ったり、写真を撮りに行ったり、はたまた大好きな沖縄に行ったり自由に動けないというのは辛いものだなぁ。

 何とか頑張って秋風のたつ頃には…と思うのだけれど、そうすると意気込みだけが空回りしてすぐカミさんにも「そんなに焦ったってしょうがないでしょ」と…。ここはぼくがいつも言っている「三無主義」に従う他ないか。とにかく「がんばらない、くさらない、あきらめない」、これで何とかこの夏を乗り切りたい。


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 *今回の西日本を中心とする洪水等の災害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。地震、洪水、土砂崩れなど日本中どこへ行ってもここは万全というところは無いことを痛感しました。これからは未曽有のとか、今までにないとかいう事態が自分とは決して無縁ではない時代になっており、それを頭において生活することが必要なんだと感じました。




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浅草寺 四万六千日 [Ansicht Tokio]

浅草寺 四万六千日


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 この間ちょっとしたことでお気に入りのグラスにひびが入ってしまった。気に入っていたやつなので捨てるに忍びなく、ネットで調べてみたらガラスの補修、リメイクをする店が浅草にあるということでリハビリを兼ねてカミさんと行ってみることにした。

 浅草寺は相変わらず外国人観光客でごった返していたが、それにしても平日なのに大変な人出。仲見世に入ってみて今日が四万六千日ホウズキ市なのに気づいた。どうりで、人が多いわけだ。

 四万六千日といっても外国人観光客には何の事だか分からないだろうけど、こっちもついぞそのことを忘れていた。浅草寺にとっては毎月9日、10日が功徳日で、その中でも7月9日、10日はお参りすると四万六千日お参りした分の功徳があるという。

 日本人のこのアバウトでご都合主義的宗教観はぼくは嫌いじゃない。目くじら立てて宗教論争に明け暮れ、果ては殺し合いまでするようなことまで考えると、アミニズムの要素も含んだおおらかな日本人の宗教観はひとつのあり方だと思う。

 それはそれで良いんだけど、歩いているうちにかなり脚が痛くなり用を済ましたら、結局松屋の上の食堂でうどんを食べて早々に戻ってきた。歩いたのは全部で5000歩位なのだけれど、まだまだリハビリが必要な感じ。

 肝心のグラスの補修は結局、フチにひびの入った部分をカットしてグラスを短くするしか方法がないということで、それでお願いをした。好きだったグラスの形は変わってしまうけれど、引き続き使えるのは嬉しい。注文が多いらしく出来上がるまでひと月ちょっとかかるらしいけど、どんな風になるのか…。

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 *ここのところ脚が辛いので重いカメラを持って歩く気にはならず、スマホばっかりで写真を撮っています。昨日も浅草でスマホで撮ったのですが、最近のスマホはほんとによく映るのでカメラメーカーも大変だなぁ、と思ったりして。




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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その35~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その35~

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 ■ 「にゃ~」は心のマッサージ (スチュアート・マックミラン)
   A meow massages the heart.   (Stuart McMillan)


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 考えてみたらもう十年以上も子猫を飼ったことがないもんだから、子猫がどんなものか忘れかけていた。ハルはウチに来た直後のこの春にはもう二歳になったのだけれどいまだに子猫という感じで、とにかくよく眠りよく遊ぶ。十一歳と十二歳になった先輩猫たちが一日中寝ているばかりというのに対しハルの活発さが目につく。

 これも子猫の特徴である何にでも興味を示すというのが、これまたハンパない。動くものはもちろん何にでも跳びかかってゆくし、カサカサという音がするので何かと思ったら、室内の観葉植物の枯れた葉をどこからか見つけてきてはこねくり回して遊んでいる。かと思うと、遊んでやろうと思って猫のおもちゃを取りに行って戻ってくると、さっきまで一心不乱に遊んでいたのにもうぐっすりと寝ている。

 そうこうするうちに段々とレオモモの子猫の頃を思い出してきた。甘噛みされても結構痛い、鋭い子猫の歯。やはり剃刀のように細くて鋭利な子猫の爪。どれももうすっかり忘れていたのだけれど…。ハルがウチに来て他の猫と一番違うことは殆ど、というかまったく鳴かないことだ。レオやモモは今でもよく鳴くし、それは今は言葉のように何かしてほしい時の合図でもある。

 でも、ハルは鳴かない。正直言ってそんなこともあってかぼくとの意思疎通も今ひとつなのかもしれないのだが。ハルはペットショップから里親で引き取ってきたときにかなりひどい角膜炎に罹っていたのでかかりつけのペットクリニックに連れて行って診てもらうのだけれど、何回目かの診察にいくとき外出用のバスケットに入るのを極端に嫌がった。

 なんとか捕まえてやっとのことでバスケットに押し込み車の助手席にそれを乗せた。車が走り出すと、ハルが消え入りそうな声で「にゃ~」と鳴いた。あ、鳴くんだ。そして暫くしてからもう一度今度はもっとはっきりと「にゃ~」と。それは普段のやんちゃさから想像もしてなかった可愛い泣き声だった。余程心細かったのだろう。でもその「にゃ~」はぼくの心をわしづかみにしてしまった。 猫というのはつくづく只者ではないなぁ。


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そうっと、そっと [新隠居主義]

そうっと、そっと


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 ■そっと うた

 そうっと そっと
 うさぎの せなかに
 ゆきふるように

 そうっと そっと
 たんぽぽ わたげが
 そら とぶように

 そうっと そっと
 こだまが たにまに
 きえさるように

 そうっと そっと
 ひみつを みみに
 ささやくように

  (谷川 俊太郎「自選 谷川俊太郎詩集」岩波文庫)


 の写真は結構撮っていると思うのだけれど、正直言って中々これというものは撮れていない。尤もそれは母の写真だけでなくて、写真全般についてもいえるのだけれど…。その中でこの一枚は良く撮れたというより、自分の好きな写真の一枚といった方がいいかもしれない。ピントは甘目だけれど、母とひ孫の視線が合ったところを捉えられたのがよかったかと。

 母は今、点滴だけでかろうじて命を繋いでいる。意識も大抵は朦朧としていてたまに目を開ける程度だ。もし夢を見ているとしたら、いい夢を見ていてほしいと切に願うのだけれど。写真を撮ったこのときはまだ母も多少元気な頃で、兄の娘夫婦が子供を連れて遊びに来た時、つまり母のひ孫を連れてきたときのものだ。

 ひ孫に限らずもう永いこと赤ん坊の姿を間近で見ていないこともあってか、最初は少し戸惑い気味だったけれど慣れてくるにしたがって目を細めて見るようになった。その内車椅子にのった母の膝にひ孫をのせてやると、まるで大事な壊れ物でも抱えるように「そうっと、そっと」、でもなんとも愛おしそうに眺めていた姿が、とても印象的で今でもぼくの目の奥に残っている。




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[Déjà-vu] No.10 夜の匂い [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.10  夜の匂い

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おお 、人間よ! しかと聞け !
深い真夜中は何を語るか?
「わたしは眠りに眠り- 、
深い夢から 、いま目がさめた 、-
この世は深い 、
 『昼 』が考えたよりもさらに深い 。
この世の嘆きは深い-
しかしよろこびは - 断腸の悲しみよりも深い 。
嘆きの声は言う 、 『終わってくれ ! 』と 。
しかし 、すべてのよろこびは永遠を欲してやまぬ - 、
深い 、深い永遠を欲してやまぬ!」

O Mensch! Gib acht!
Was spricht die tiefe Mitternacht?
≫Ich schlief, ich schlief -,
Aus tiefem Traum bin ich erwacht:-
Die Welt ist tief,
Und tiefer als der Tag gedacht.
Tief ist ihr Weh-,
Lust-tiefer noch als Herzeleid:
Weh spricht: Vergeh!
Doch alle Lust will Ewigkeit-,
-will tiefe, tiefe Ewigkeit!≪

(ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』第四部「酔歌」より/氷上英廣訳)


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 旅をしていると、いろいろな土地に行くたびにその土地特有の匂いがすることに気付く。もちろんそれは国境を越えたとたんに現れてくる類のものではないかもしれないが、例えばいきなり遠く離れた土地の飛行場に降り立った時など、それが急に襲いかかってくることがある。

 その匂いを嗅いだものにとっては、それはその土地を代表するものとして長く記憶に残るのかもしれない。一説によると脳において匂いと記憶を司る領域は隣接していて、それゆえ匂いには記憶を呼び覚ます力があるという。

 ぼくは今はその嗅覚自体が無くなってしまったのだけれど、考えてみるといまだに幻聴ならぬ幻嗅に襲われることがあり、それは例えばテレビで火事のシーンが流された時など一瞬焦げ臭い匂いを感じることがある。嗅覚がないにもかかわらず、である。

 まだ匂いが分かる頃にも、香しい焼きたてのパンの香りがすると若いころ早朝にウィーンのオーパーリンクの地下道を歩いている瞬間を思い出し、それは匂いだけでなくその時の自分の着ていた洋服まで浮かんでくるのだ。その土地の匂いがあるように、一日の中にも匂いの変化があるように思う。朝には朝の、昼には昼のそして夜には夜の匂いがある。

 それはその土地の特有の匂いに時間的要素が加わった言わば重層的な匂いと言えるかもしれない。ベトナムを旅した時にはもうぼくに嗅覚は無かったけれども、ホイアンでは南国のムッとしたような夜の空気のよどみの向こうに昼間の喧騒の埃の残滓と強烈なスパイスの混ざったような夜の香りが想像できた。

 まだかろうじて匂いの分かった頃に感じたリスボンのホテルのバーでの女の香水の残り香とジンの香り。石垣島の川平(かびら)の暮れなずむ田舎道で感じた潮の香りと雨上がりのサトウキビ畑の赤土の匂いが入り混じったような匂い等など。現実の匂いはぼくにはもう戻ってこないみたいだけれども、その時の写真を見ると沢山の匂いが頭の中に微かながらたちこめてくるような…。それも何故か夜の匂いの方が明瞭に立ち上がってくるのだ。


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*2005年にこのブログAnsicht05を始めてから気が付いたらもう13年になろうとしています。その間にアップした記事ももうすぐ1000本になるということで、全てに飽きっぽい自分としてはこれは上出来なことなのだと…。

そして先日、ご覧いただいた総閲覧数がいつの間にか300万になっていました。ご覧いただいた皆様に感謝です。これからもマイペースでできる限り続けてゆきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。

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記念日 [新隠居主義]

記念日


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  離婚届

 おまえに黙って区役所にゆき
 ぼくは離婚届の用紙をもらってきた
 おまえが眠ってしまったあとで
 うすっぺらのその紙に
 ぼくは憶えているだけのことを書きこんだ
 七年前の二人の結婚式の日付も
 あの日は底ぬけにいい天気で
 ぼくらは教会の芝生の上で写真をとった
 それからぼくはその紙でヒコーキを折った
 うすいのでそれはちっとも飛ばなくて
 眠っているおまえのお尻の上に墜落した
 もういちどその紙をひろげ
 ぼくは自分の几帳面なペン字をみつめた
 それを丸めて便所に捨て
 ぼくは眠った
 おまえの隣で

  (谷川俊太郎 「東京バラード、それから」)


 この間断捨離をしていて、新婚旅行の時にカミさんと撮った写真が出てきて、ああ、お互いにエラくくたびれたもんだなぁ、と思わずため息が出てしまった。おいおい、ぼくなんかベルボトムのジーンズにボーダーのシャツ、それにパーマのロンゲ。きっと会社の中でひんしゅくをかっていたのも分からなかったんだなぁ。なにしろ会社訪問にバラの花柄のシャツを着ていったのだから。何も分かっていなかった。就職して翌年に結婚。職場の上司に仲人を頼んだのだけれど、ぼくが決めた結婚式の日どりが本社の創立記念日の日だった。お蔭でいまも結婚記念日は忘れないけど…。

 いったい君は何を考えているんだと言われたけど、入社して即設立間もない外資系の会社に出向させられたぼくとしては、本体の創立記念日など知るよしもない。でも上司は仲人を引き受けてくれて、当日本社の創立記念式典にも出たのかちょっと遅れて結婚式場に来た。式の時間になってもなかなか現れない仲人をぼくは式場の入り口で間の悪い落語家みたいに紋付き袴で扇子を握りしめて待っていた。

 それからずっと同じカミさんと暮らしている。それは当たり前のようで当たり前じゃないかもしれない。その間カミさんはごく短い期間を除いてずっとぼくの両親と同じ家に住み家を守ってきた。ぼくはぼくなりに頑張ったつもりなのだけれど、ほとんど家には居なかったので今こうしてみるとぼくがもっと気遣うべきことはたくさんあったような気がする。

 ま、それもこれもあったけど会社を辞めたとたんに離婚届を突き付けられなくてよかった。と言いつつも何も改心していない自分が居たりして、これじゃいかんと思ったり…。でも、お互い人生そう残りは長くないのだから言いたいことを言い合って暮らしてゆきたいなぁ。その内、お互い耳も遠くなるから喧嘩にもなるまい。これからも、よろしくの43年目。




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[Déjà-vu] No.9 もの想う海. [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.9  もの想う海


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  …ここ2年ほど、私にとってサンタクルスという地名は特別なものだった。ここ二年…それは私が「檀」という作品に取り掛かっていた時期というのと同じことでもある。檀とは、作家の檀一雄の姓を意味するが、サンタクルスは、六十を間近にしたその檀一雄が、一年余り暮らした町なのだ。檀一雄はサンタクルスの海辺に家を借り、女中を雇い、酒場に出入りし、土地の人と付き合って楽しい日々を過ごした。「来る日、去る日」というエッセイにはこう書かれている。《短い一年のあいだに、これほど集約的で、これほど生一本な、友愛を浴びた時期は、ほかにない》…

  (沢木耕太郎「1号線を北上せよ」鬼火より/講談社)

  沖縄に行けなくなって、もう長いこと海を見ていない気がした。実のところそんなに長い間ではないのだけれど、もうずっと、という感覚がある。自分の撮った海の写真を見ていると色々なことが浮かんでくる。その中でもこのポルトガルのギンショ海岸の海は格別の思いがある。

 リスボンから殆ど真西に30キロほど行った北大西洋に面するギンショ海岸にぽつんと一軒だけホテルが建っている。昔の砦を改装してつくったホテルなのだけれど、そのレストランから眺めた海は一見どうということもないのだけれど、テーブルに腰かけてじっと見ているとじわじわと感慨が湧いてくる。

 視線をずらしてずっと右の方を見やると「ここに地果て、海はじまる」と詠われたヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬がある。そしてその遥か先には檀一雄がいっ時暮らしたサンタクルスという小さな村がある。そこに檀が暮らしたのはほんの一年くらいのことだったらしいのだが、彼にしてみれば、もちろん書くために現実から距離を置くという必然性はあったものの、それは浦島太郎が竜宮城に暮らした日々のように淡い想い出の日々になったのかもしれない。

 ■…ポルトガルにやってきて、あちこちおよばれに出かけてゆく。例えば誕生日だとか、何だとか…。するとまったく例外なしに「コジドー」と「バステーシュ・ド・バッカロウ」というご馳走が出される。「コジドー」というのは「煮る」ということで、煮物は何でも「コジドー」のはずだが、客を呼んで「コジドー」といったら、大体様式が決まっている。

…「バステーシュ・ド・バッカロウ」は、干ダラとジャガイモとタマネギを卵でつなぎ、パセリを散らしながら揚げ物にした至極簡単な料理であって、これなら、はなはだ日本人向きだ。殊更「馬鹿野郎のバステーシュ」と聞こえるから、みなさんもせいぜい馬鹿野郎(干ダラ)を活用して、愉快なポルトガル料理を作ってみるがよい。子供のオヤッによろしく、また酒のサカナに面白い。…
 
(檀一雄著「檀流クッキング」冬から春へ/中公文庫)

 檀はサンタクルス村に滞在している時は自分の名前と同じというのが気に入ってかDaoワイン(ダンと読む)ばかり飲んでいたらしい。それはワインの銘柄ではなくて産地の名前らしいのだが、このホテルのレストランでそのダン・ワインのご相伴にあずかったのだけれど、さっぱりとして美味しい白ワインだったのを覚えている。

 ただ波の音だけが聞こえるこのホテルで落日を迎えるまで日なが一日ほろ酔いで過ごせたらいいだろうなぁ。サンタクルス村には今、檀が残した句の碑が立っている。

 落日を 拾いに行かむ 海の果て


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Baby Gang [猫と暮らせば]

Baby Gang

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 里子を引き受けた2歳のアメショーのハルが来てから三ヶ月ほど経って、ハルの姿が日常の視界に常に入っているのが当たり前の生活になった。

 

 ぼくの方はすっかり慣れたのだけれど、レオモモの二匹の先輩猫はなかなかそうもいかないみたいだ。ハルと他の二匹とは10歳近い歳の差があるので、その持っているエネルギーの差は歴然でそれがどうも鬱陶しいらしい。

 

 クロがいるときは、三匹でも皆一歳づつの違いで歳もそうかわらないから多少の小競り合いがあったとしても、まぁ大人の関係ではあった。ずっとそういう生活をしている中に、エネルギー満タンの若猫が入って来たので、しかもそれが遊びの天才みたいなアメショーだから余計に大変なのかも知れない。

 クロとモモの雌猫同士の小競り合いには、あまりに見かねるとレオが割って入って大抵は収まっていたのだけれど、この間ハルとモモの間にそうやって割って入ろうとしてハルの反撃を受けてしまった。それ以来ちょっと腰が引けている。とはいえ、一応我が家のボス猫としての自負?をもっているレオとしては、ハルとモモのいざこざがあまり長く続いてる時には近くにやってきて、一応目は光らせている。

 ハルが遊びたくて追いかけているのか、2歳の雄だから挑戦的なんだかよくわからないけど、モモなんかと目が合うと跳びかかろうとする。ネットなどでいろいろ調べてみたけど、そういう時ハルの方を叱ってはいけないとか、下手に手を出すとこちらも巻き添えを食うから手を出すな…とか。面白かったのは睨み合った時には間にボール紙をおいて視線を遮るといい、というもの。ちょっとやってみようかと思う。ここしばらくはこのBaby Gangのご乱行が続きそうだ。

 


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 *ハルがウチに来た時にはひどくなっていた角膜炎もペットクリニックで診てもらって目薬をさしているのでかなり良くなってきているんですが大暴れして目薬をさすのが大変で、最近は目薬の袋を持っただけで逃げ出してゆくので毎回苦戦しています。


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QOL [gillman*s park 18]

QOL

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 QOL(Quality of Life)という言葉がある。言葉自体は何となく知ってはいたけれど実のところそれがどういう意味を持っているかは、あまり関心もなかったし知ってもいなかったように思う。LIFEという英語は日本語に直せば「生命」と「生活」という両方の意味を持っているのだけれど、ここでもその両義を備えている。

 つまりQOLとは「生活の質」であり、同時に「生命の質」でもあるようだ。もちろん「生命」に上等も下等もないわけだけど、それは究極的には自分の命がどこまで自分の望む在り様に沿っているかということかもしれない。そういうことでは、平常時や若い時はQOLとはあくまでも「生活の質」であって、「生命の質」という差し迫った意味は薄い。

 でも加齢や病気によって、LIFEの選択肢が極めて狭くなってきたような状況においてはそれは同時に「生命の質」ということを意味するようになる。たとえば治療方針で、例えば延命策において本人が「命」と「生活」についてどう考えているかが大きな意味をなしてくると思う。

 もちろん、それはあくまでも本人が自身で決めることで他が決めることではない。もしそれが、つまりその人のLIFEの意味を他人が勝手に決めるとすれば、それはこの上なく恐ろしいことだ。今回ののことも母がまだしっかりしている頃に話し合って決めていた。こう書くとなんか極めてドライな決め方みたいに見えるかもしれないけど、それは母が長いこと老いや衰えと向かい合ってそれこそ自分なりのQOLを想定していたからだろうと思う。それはぼくらも尊重しなければならない。

 今の母ほどの差し迫ったQOLではないのだけれど、ぼく自身も今はそのことが大きな関心事になっている。「生活の質」という意味でのぼくの今のQOLの評価は、嗅覚がゼロ、食物がのどを通りにくいので特に朝の食事に苦労している、歩行に痛みが伴う等決して良い状態ではない。

 先日、転院した病院で三度目の手術を打診されたけど今は暫く様子見をしている。やりたいことは山ほどあるのに自分の身体的な要因のせいで選択肢を狭めなければならないのは何とも辛いのだけれど…。まだ、早急に選択肢を狭める気にはならない。

 この一年は70歳の節目でいろいろなところで年齢の影響が顕著になってきているみたいだ。しかしまだやりたいことの選択肢を捨てる気にはならないので、これからまず身体のオーバーホールに専念してなんとか…と。そんなぼくの今のQOLを内側から精神的に支えてくれているのはカミさんの心遣いと、公園の散歩だ。公園のまぶしいような新緑は心にエネルギーを充填してくれている。


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