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TANNOYの帰還 [新隠居主義]

TANNOYの帰還

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 いとこの遺品として彼の愛用していたスピーカーとアンプ等を引き受けることにしたのだけれど、肝心の自分の40数年聴いているTANNOYのスピーカーの方が少し前から特に低音が割れるようになっていた。調べてみるとスピーカーのエッジがヒビ割れてボロボロになっている。それも左右両方とも。

 考えてみれば20年くらい前、日本の夏の湿気でコーンがグズグズになってしまい止む無くイギリスに送って張り替えてもらったことがあるのだけれど、エッジの方は気にかけたことはないのだが、本当はそっちの方も気を使わなければならなかったのだ。エッジは人によっては10年くらいで劣化するという人もいるくらいだからコーン張り替えの時にメンテはしてあるとしても、それからでも20年間位は経っているわけだ。

 手頃な価格でエッジを交換してくれる業者が見つかったので丁寧に梱包して送り出した。修理期間は三週間くらいということだったが、きっちりその頃に出来上がって送り返されてきた。スピーカーの修理を機にスピーカー周りのコードの引き回しや、接続機器の整理そしてインシュレーターの根本的な改善など環境整備をすることにした。なんか40数年昔のオーディオに熱かった頃の事を思い出した。

 戻ってきたスピーカーのエッジは見違える程綺麗になっていた。お世話になった修理先の店長の話では将来またエッジが劣化した場合にも交換できるように修理してあるというので安心したけれど、そんなに長くこちらの聴く人間の命の方が持つかの方が心配なのだが…。仮接続して音を出してみただけでもう歴然と音が違う。環境を整えて本格稼働した時への期待が高まる。

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 結線はシンプルにかつ出来るところは全てバナナプラグに変える事で接点劣化のメンテナンスやチェックがやりやすいようにした。接続機器はVTR等のレガシーメディアは外して、CDとDVD、それにTVチューナーだけにした。その代わりバナナプラグ接続型のアンプ/スピーカーのセレクターを間にかまして2アンプX2スピーカーの4通りの組合せの音が出せるようにした。


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 TANNOYレクタンギュラーヨークはスピーカーボックスの下が袴を履いた状態になっているので底面が直接床に触れないようになっており以前は簡単なそれ用のゴムでできたインシュレーターを使っていたが、今回は硬い黒檀材のスパイクとさくら材の受け皿がセットになったインシュレーターを四隅に置きその上に硬質の合板ボードをのせて、その上にスピーカーを設置するようにした。

 二日にわたった作業を終えて音を出してみると今までとの違いに驚いた。一つは長い時間かけてエッジが劣化してきたためか、聴く方の人間の耳もそれに慣らされて劣化に気づきにくくなっていたのだろう、それがこうしていきなり復調してくるとその違いに驚く。また、これはインシュレーターのお陰もあると思うのだけど、特に低音のキレが素晴らしく良くなったように思う。これから音楽を聴く時間がふえそうだ。


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*今回使ったインシュレーターは下の写真のようにスパイクと受け皿がセットになったもので、スパイクのとがった点でスピーカーボックスを支えるようになっています。つまり40キロ以上のスピーカーボックスを4つの点で支えているわけで昔はこういうタイプのインシュレーターはなかったので、ずいぶん変わったなぁと驚いています。

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断捨離 家族の肖像 [下町の時間]

断捨離 家族の肖像


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 断捨離の中でも何とも難しいのがアルバムなど写真の扱いで、写真の中には自分で撮ったものだけではなくて、人の結婚式の写真や両親の時代の写真など量としても結構な量になる。

 

 生前、認知症になって記憶の薄れていったに見せてあげるために昔の写真を整理して主なものをスキャナーで取り込んでiPadに入れてそれを見せたりもしていたのだけれど、それでもまだ膨大な写真が残っている。

 

 ここのところ自分の断捨離も兼ねて母の遺品を整理していて今まで見た覚えがない写真が出てきた。撮られたのは昭和十年前後と思われるので、今から八十年位昔の写真だと思われる。写っているのは母の実家で撮られた家族の写真で、この写真はもしかしたらぼくも昔見たのかもしれないけれど記憶にはなかった。

 

 後ろに立っているのが母で、両端に座っているのが祖父と祖母だ。祖母は若い頃は評判の美人だったと母からよく聞かされていたが、そんな面影が残っている。ぼくが物心ついた時にはもうおばあさんという感じだったから、新鮮な感じがする。

 

 祖父もまだ壮年の容姿で、厳格な昔の日本の家長という感じだ。写真には女の子が三人、男の子が三人写っているが、この後さらに一番下の男の子が生まれているので一番上の長女とは20歳以上の開きがあることになる。

 

 この写真は千住のアサヒ写真館のK.Ishiiというシグネチャーの入った台紙に貼られているから写真屋を自宅に呼んで撮ってもらったものと思われる。よく見るといくつか面白いことに気がつく。子供達の真ん中に子犬が座卓に手をついているのが写っている。

 

 ぼくの家でもぼくが子供の頃から犬を飼っていたけれど、その頃は当然のように外で飼っており、ぼくの近所や友達の家でも座敷で犬を飼っている家はしらなかった。それを考えると八十年も前に座敷で犬を飼っていたのは当時としても珍しいのではないか。

 

 それともう一点は、いわばプロの写真屋が撮った写真なのだけれど真ん中に写っている男の子の顔が座卓の上に置かれた花で顔半分が隠れてしまって見えなくなっている。この男の子は長男で後年ばくもずいぶん可愛がってもらった叔父なのだけれど、その叔父の顔には隠したいものなどはなかったから、とても不可解だ。そう思うと、座卓の上の花瓶がなんとも不自然に思える。その時だけ叔父の顔に何かできものでもできていたのかもしれない。

 

 床の間に松らしきものが飾られていることをみると、正月に撮られたと思われるが、その時の幸せそうな家族の肖像と言えるかもしれない。映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではないけれど、ぼくはその後ここに写っている人物がどんな道をたどったか概略を知ってしまっているので、この写真を見ると複雑な気持ちになる。

 

 母は98歳の天寿を全うしたけれど、この写真の中の二人は若くして夭折しているし、祖父母も後年一番下の男の子が生まれた後に離婚している。祖父が外に愛人を作りそちらにも子供ができたのが原因らしい。祖父母は昔としては珍しく恋愛結婚だったらしいが、最後まで添い遂げることは出来なかった。それらのことごとを思うとこの写真は幸福な形でのこの家族の最後の「家族の肖像」だったような気がする。

 

 

 

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*祖母の実家は昔はタバコ栽培を行っていた裕福な農家だったらしく、祖母の代には凋落しかけていたらしいのですが、祖父はそこに跡取り婿として婿入りしたらしいです。しかし、婿の立場が息苦しかったのか、続けて三人できた子供が皆女の子で跡取りが生まれないこともあってか、ある年祖父母は祖母の実家から籍を抜いて一家で東京に出てきたようです。

 その後、祖父は幸い東京都に職を得てその後男の子も生まれました。この写真は東京に来て関東大震災にあいながらも、東京で生活基盤を築いた時代に撮られたものでしょう。一方、祖母の実家の父、つまりぼくの曾祖父は東京に出て行った娘を気遣ってか、ある年の暮れ娘一家に正月に旨いものを食べさせてやろうと田舎でとれた農産物をリヤカーに積んで早朝まだ暗いうちに茨木の家をでたのですが、曾祖父が東京に着くことはありませんでした。

 東京へ向かう途中で心臓麻痺かなにかに襲われたのか竹藪の中で亡くなっているのが発見されたということでした。これも母から聞かされた話で、母の過去帳にはそういうことで曾祖父の命日は大晦日になっています。一枚の写真は色々なことを語ってくれます。

 


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街の夕焼け [新隠居主義]

街の夕焼け

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 「ねぇ、外見てごらんなさいよ。すごいわよ」
カミさんが夕餉の支度をしながらぼくに言った。テラスの窓越しに西の空を見上げると、ほんとに燃えているような空。オレンジと赤紫と黄色が複雑に入り混じって炎の色を再現していた。

 「ほー、すごいな」といってぼくはスマホを持って家の前の通りにでた。とても不思議な感覚で、普段の何の変哲もない通りがまるで違う場所のように見えている。暫くして目の前を猫がのっそりと横切ってゆくことで、いつもと同じ場所なのだと気づかされる。でも、その猫もその後じっと空を見上げていた。

 そういえば、ここに今の街並みが建つまではウチの西側の窓からはずっとずっと先の空まで見渡せて、夏の夕刻窓辺にウチの猫が座ってじっと夕焼けを見つめていたことがあったのを思い出した。それから時がたって西の空が大分小さくなってしまったので夕焼けにもぼくの目がいかなくなっていたのだろう。今日の夕焼けは西の空がぼくの視界の中にまだあることを思い出させてくれた。


  ■ 雨晴れし 空の果てまで 夕焼くる (能美丹詠)



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 *リヒャルト・シュトラウス晩年(84歳)の作の歌曲Vier letzte Lieder(4つの最後の歌)の最後の一曲が日本語では「夕映えのなかで」と訳されることが多いようですが、原題のIm Abendrotを直訳すれば「夕焼けの中で」ということになります。

 ドイツの詩人アイヒェンドルフの詩に曲を付けたものですが、人生の最後に安寧の境地にたどり着き、夕焼けの中に死を感じるというような内容です。ジェシー・ノーマンをはじめシュワルツコップやヤノヴィッツなどの歌唱がYoutubeでも見られますので、よろしければ、ご一聴を。とても心にしみる曲です。



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寄る年波 [新隠居主義]

寄る年波


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 歳とれば金は無くなる、身体は弱る、増える別れに、減る出会い。と言ったことが身に染みる今日この頃だが、そうぼやきつつも何とか今日を乗り切らねばならない。先日趣味も同じで、同い年で仲の良かった近所のいとこが急逝し少し遺品整理を手伝っているのだけれど、その中で彼がここずっと愛用して聴いていたオーディオ装置を引き受けることにした。

 どちらかと言えば、ぼくの方も断捨離の段階でひと様の物まで引き受ける状態ではないのだけれど、遺族は音楽に全く興味が無いといっても彼の愛機をいきなり処分するのも何か忍びない気がした。彼の倅の力を借りて機材を何とか車に積み込み自宅に持ってきたけれど、それらを二階の自室にあげるのが一苦労。入院、手術前までにそこまではやったのだが機材が部屋に山積みのまま入院。

 退院してもまだ鼻には綿球が入っており、力んだりすると頻繁に出血する。ちょっとだけ今の装置の後ろを覗いてみようと機材を動かしたら、下のように手術直後のぼくみたいなスパゲッティ状態で見ただけで頭が痛くなった。これはセレクターでレガシーのVTRや8ミリVTRやレーザーディスクに加えて新たにDVDやAppleTVなど多くのデバイスを繋いだ結果。これをシンプルにしてスペースを空け、新たな機材を加えるのだけれど、口で言うのはたやすいが「力も根気も」ないととっかかれない感じ。


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 自分の中では体調が復調したらすぐにとりかかろうと心づもりはしていたのだけれど、でも、ちょっとだけ、と思って先日少し手を付けたら鼻血+腰痛で断念。なんてったって鼻に綿球が入っているから少し動いただけでも息切れがする。それで一日一作業と決めて少しづつ変えてやっとなんとか形になった。結局復調してからというのは、考えてみればそんなに待てるわけはなかったんだけど…。

 新たなフォーメーションはスピーカー+アンプの組み合わせで左側のぼくが使っていたTANNOYレクタンギュラーヨーク+DENNONの系統と右側に配置した彼のBowers & Wilkins(B&W)+Marantzという組み合わせになった。彼もぼくもイギリスのスピーカーが好きで、ぼくもそれまでは色々試してみたが今のTANNOYにしてからは同じスピーカーを45年も使い続けている。


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 とまぁ、外見は整ったのだけれど、一つ心配があった。それはTANNOYの低音が曲によってはビビることが多くなってきたことで、45年使い続けているいわば寄る年波のスピーカーなのでコーンかエッジが破損している可能性があったのだ。懐中電灯でサランの上からスピーカーを覗いてみたら案の定エッジが劣化して割れている。しかも左右両方とも。

 コーンは20年位前一度湿気でダメになってしまったことがあってその時本社に送り張り替えてもらっておりその時エッジも交換しているはず、しかしエッジは人によっては10年位しかもたないという人もいるくらいだ。決心して棺桶と異名をとる45キロ近くあるスピーカーボックスを腰を気遣い、鼻血がでないか心配しつつ久しぶりに開けると、布団にくるまれた38センチ同軸2wayのスピーカーが横たわっている。慎重にビスを外して正面から顔を見ると、見事にエッジがボロボロに破損してさらにカビのようなポツポツが無数に発生している。こりゃダメだ。

 ネットで探すと修理をしてくれる業者が数社あって、中にはこのスピーカーのように古いビンテージ型番のものをエンクロージャー(box)を含めて新品のようにフルレストアしてくれるところもあるのだけれど、片側42キロもあるボックスを2台輸送するだけでも目の球が飛び出るような金額になりそうだ。ぼくの場合自分の歳から言ってあと何年聴き続けるかということもあるし、彼同様音楽に興味のある身内ももういないので、金もないしそんなにコストをかけるわけにもいかない。

 幸い手ごろな価格でスピーカーを宅配便で送って修理してくれる会社があったので、そこにお願いするとこにした。ぼくもスピーカーもお互い寄る年波でいろいろとメンテが必要な時期だ。ぼくが入院して手術を受けたみたいに、スピーカーもひと月ほど入院して手術、元気な姿で戻ってきてほしい。昔の響きを携えて…。


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アレクサ、猫出してください [猫と暮らせば]

アレクサ、猫出してください

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 どこの猫でもそうだと思うけれど、猫は無類の箱好きだ。通販などの宅配便が来ると、受け取って玄関のドアを閉めるなりよってくる。お目当てはもちろん中身よりも、その箱。箱の中でもAmazonの小ぶりなものが何点か入ってくる小さめの箱がお気に入りのようだ。

 大きな箱だと暫くは遊んでいるのだけれどそのうち飽きてほったらかしになってしまう。こちらも邪魔だからすぐに片付けるのだけれど、この小さめの箱は入り心地が良いらしく中々手放さない。特にアメショーのハルが気に入っていて一日に何回も入っている。

 随分と時間もたって箱も少しくたびれてきたので、翌日の朝の燃えるゴミの日に捨てようと思い夜廊下に出しておいた。夜中にトレイに起きたらその箱の中に猫が寝ている。それもハルではなくてレオが寝ているのだ。真夜中の廊下でなんか家庭内捨て猫みたいな雰囲気が漂っている。もう一日様子を見ようということでそのままにしておいたら、翌日の夜中は今度はハルが寝ている。ということで、今その箱はもとあった居間に戻されている。



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 Amazonと言えば最近テレビでスマートスピーカー「アレクサ」のCMを大々的に流している。アレクサと呼びかけて指示をだすと、メールを出してくれたり、ニュースを読んでくれたり、音楽をかけてくれたり、電気をつけてくれたりと色々なことをしてくれる。カミさんもそうだけど、年配の人には何のことだか分からないかもしれないが、インパクトのあるCMだと思う。もっとも、ぼくはちょっとわざとらしいあのシーンが好きではないし、そんなこと自分でやれよ、と言いたいのだけれど…。

 先日、近所に住む姪が子供を連れて遊びに来た。姪の子は4歳のいたずら盛りの男の子でしかも猫好き。家に入るや否や猫を探し回る。こういう時は猫たちはとりあえずどこかに身を隠して様子を伺う。大丈夫そうだったりお腹がすいていたりすると、最初に姿を現すのはレオなのだ。その日も暫くするとレオが姿を見せた。

 姪の子はウチに猫が三匹いるのを知っているから他の猫も探し始めた。その内二階に隠れているかもしれないと、彼は二階に上がっていった。それでも中々猫は出てこないのか二階から大声が聞こえてくる。猫の名前を呼んでいるのかと思って二階に上がっていくと…。彼が天井に向かって「アレクサ、猫出してください」「アレクサ、猫出してください」と叫んでいる。

 姪のところにはアレクサはないと思うのだけれど、テレビで観ているのだろう、彼にはアレクサがあのアラジンの魔法のランプみたいに自分の言うことを聞いてくれる存在に見えているのかもしれない。さらによく聞いてみると「アレクサ」ではなく「アレックさん」と言っているみたいで「アレックさん、猫出してください」と言っているようだ。つまり部屋のどこかにアレックさんがいて、呼びかけると自分の願いを叶えてくれる、みたいな…。いやはや、大変な時代になってきたぞ。

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 *「アレクサ」のようなネットワーク技術とAI技術を駆使した製品はこれからも色々と登場しそうです。また、高齢社会をサポートする有効な機能にもなりえるし、時代の大きな流れではあるとは思うのですが…。しかし、このタイプのスマートスピーカーは「盗聴」ではないものの、常時家庭内の会話がモニターされてることには変わりがないような気がします。

 アレクサの利用規約にも機能向上、開発に音声録音を役立てるために使用する規定があり、その機能を無効にすることもできますが、その場合は「新機能がうまく機能しない可能性があります」とうたってあり、事実上は黙認せざるを得ない仕組みになっています。

 アメリカの企業が信頼に足るかどうかはさておき、これらの機能がチェック体制が甘い強権的な体制、政権などに利用されたらと思うと、背筋が寒くなる思いがするのはぼくだけでしょうか。唯一の安息の場である家庭の中にもそういうものが入り込み、顔認証などの技術とも相まって、本当に逃げ場のない社会が作り上げられてゆくような恐怖感を覚えます。



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病院のET [新隠居主義]

病院のET

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 病院のベッドの上で目を覚ましたけれど思うように身動きが取れない。頭はまだ殆ど回ってはいなかったけれど、手術が終わって自分の病室に戻ってきたのだけはかろうじて了解ができた。

 顔には酸素マスク、右手には点滴の管とバイタルサインのセンサーそれに血圧計のベルトが付いている。胸には心拍数をはじめいろんなデータをとるためだろう何カ所かにパッドが貼られてそこから何本ものコードが伸びている。両脚には血栓を防止するためのポンプが巻き付けられていて一定間隔でエアーが送り込まれている。

 下半身には尿を排出するためのカテーテルが挿入されているためか、少し不快な違和感と身動きが取れない拘束感がある。うす暗い病室にはベッドのそばに置かれた心電図モニターのピッピッという絶え間ない音と足元の血栓防止ポンプのシューッ、シューッという音が一定間隔で鳴っている。

 いわゆるスパゲッティー状態と言おうか、生きているというより生かされている、そう映画のブレードランナーやマトリックスで観たような感じのなんとも未来的で無機質な舞台装置の一部になったような気分だ。と言ってもこんな状況はこれが初めてではない。十数年前に集中治療室で同じような状況に置かれてから今度で4回目の経験だが、慣れるものではない。こんな経験はしないに越したことはない。

 右手の人差し指の先に付けられたセンサーのピンク色のライトが暗い部屋の中でいやに美しく見えて、ちょっとETのあの感動的なシーンみたいで素敵だなぁと思った。その写真を撮ろうと思ってかろうじて動く左手で枕もとをまさぐってスマホを探り当てて一枚撮った。その後で看護師に痛み止めを点滴に入れてもらって、そのまままた深い眠りにおちた。


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 嗅覚を取り戻すことも大事だけど、嗅覚神経近くのポリプをちゃんと除去して悪性化するリスクに対処した方が良いと医師に勧められたのは、ずっと長いこと通っていた病院から今の病院に転院してから一年近く経った時だった。医師の言葉のその「ちゃんと」というところが気になったのだけれど、要は今までの二回の手術が巧くなかったのだとその医師はストレートに言ってのけた。

 そんなこと言われてもなぁ、こちらは素人だからわからないし、ただ一回目の手術では「出血が多く」取り切れなかった、二回目の違う医師による手術では「再発するかもしれない」というコメントが気にはなっていたけれど、今後どうしたらよいという話は全くなかった。今回でけりが付くという自信は無かったけれど、三度目の正直という言葉もあるので今の医師に賭けてみることにした。

 やはり難しい部位だったらしく、今回の手術は結局6時間もかかる大手術になってしまったが医師はきれいに取れたと言っている。まだ鼻の中には止血のためのシリコンが入っているし、顔は腫れあがってパンパンになっている。手術の前に髭を剃って来いと言われたので、髭もない腫れた顔は鏡で見るとまるでアンパンマンみたいだ。とりあえずこの件は今回のこれで決着がつくといいのだけれど…。



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日本語 食べ物カルタ [にほんご]

日本語 食べ物カルタ


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 日本語学校で週に一度、留学生たちの日本語学習のサポート活動を始めて15年以上になるのだけど、最初は片言の日本語しか話せなかった若者達が卒業間際には自分の国の文化の話や人生の話まで語り合えるようになるのを見ると何とも言えない喜びを感じる。

 とは言え、最初の初級の段階では意思の疎通もままならずお互い歯がゆい思いをすることも多い。そこら辺についても長いこと苦労しているのだが、今までの経験からすると食べ物の話が比較的入りやすい気がする。最近は日本食への関心も高いし、何といっても日本で暮らし始めたその日から何を食べるかという問題は付いて回るのだ。

 今はネットがあるから学生たちは寿司や天ぷらなどの伝統的和食だけでなくたこ焼きとかお好み焼きなんかも結構知っている。そうは言っても初級では中々言葉で表現したり、説明を理解したりするのも難しい。今まではiPadに写真を入れて話の端々に見せていたのだが、この間の連休中に「食べ物カルタ」なるものを考えて作ってみた。

 日本人が良く食べる料理やお菓子など100種類のカードを作って、表にはその写真、裏にはその名称を平仮名と漢字などで表示し、場合によっては関連する単語などを載せた。料理は日本料理とは限らない、ハンバーグや餃子など留学生が街で目にするようなものについても入れることにした。


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 100枚のカードは30枚くらいの初級(青)・中級(黄)・上級(赤)の3つのグループにぼくが勝手に分けてみた。例えば初級なら「ごはん」「そば」「ラーメン」「すし」など基本的なものが入っており、中級になると「肉じゃが」「冷奴」「稲荷ずし」などもう一つひねったもの、そして上級になると「握り寿司のネタ(こはだ等)や「精進料理」「懐石料理」「ふぐ刺し」(ぼくも一度しか食べたことはないけど…)など外国人にはかなりマニアックなものが入ってくる。

 遊び方については、カルタをとるのは留学生で、カルタ取りの読み手は日本語母語話者か比較的上級の日本語学習者がよいと思っている。いっぺんに100枚を広げてはやりにくいので人数にもよるが30枚くらいのランク別にやっていった方が良いと思っている。例えば読み手が自分で目視でカードを確認して「さしみ」と言ったら、学生がその写真のカードをとればオーケーだが、誰も分からず取れなかった時には、読み手が「魚です」とか「丸い黒いお皿に乗ってます」などのヒントを出してゆく。これはヒヤリングの練習になるし、日本語学習の上級者がやれば、ものの外観を日本語で説明する練習にもなる。


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 最終的にはiPadに連動して入れてある大きな写真で確認するようにする。ある程度料理の名前を覚えたら今度はカードの文字面を表にして、iPadで写真を見せてカードを取るようにすれば迅速な文字認識の練習にもなると思う。もちろんこれは日本語の練習でもあるのだけれど、それが主眼ではなくて食べ物の話題をきっかけに日本語でのコミュニケーションを行って、初級の学生にも日本語でのコミュニケーションができる実感を持ってもらうのが眼目なので、途中で盛り上がって話が他の方に行っても、それはそれで大歓迎なのだ。

 最近は留学生の出身国の範囲も広がってイスラム文化圏やヒンドゥーなど宗教的理由で食材が制限されている留学生も増えている。日本ではまだ「ハラル認証」などの食品は普及しておらずぼくの知っている留学生は自炊ですべてまかなっていた。国によって戒律の厳しさは差があるらしいけどやはり食材の由来はとても気になるらしく、以前「かまぼこ」はソーセージだから食べないと言っていた学生がいて、材料は全部魚だと言ったら驚いていたことがあった。彼らに対しても遊びの中でそれとなく日本の食べ物の食材についても知ってもらえればありがたいとも思っている。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その37~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その37~

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 ■ 猫は頭が良いのだ。猫を躾けることなどできないと、人間に確信させてしまったのだから。(ワレン・エクシュタイン)
  I believe that cats are so smart, they've convinced people that they can't be trained. (Warren Eckstein)


 子供の時から犬も猫も飼ったことがことがあるけど、その付き合い方はずいぶん違うような気がする。ぼくの感じだと「猫は生まれたときから猫」だが「犬は育てられて犬になる」ような感じがしている。猫は最初から自律的な存在で、今まで飼った猫も今いる猫もウチに来た日から自分でトイレに入って始末するし、餌もお腹が一杯になればやめて犬のようにお腹がパンパンになるまで食べるということはない。

 それに対して犬はトイレもそうだけど人間と暮らしていくうえでいろいろと教えなければいけないことが多い、それで「躾ける」という発想が生まれてくるのだと思う。それはどちらが賢いとかいう問題ではなくて彼らが人間と出会う前に長い間続けてきた暮らし方に起因する。つまり、猫は森の中で一匹で狩りをして暮らしていたのに対して、犬は草原で集団で狩りをする暮らしを営んでいたからだろうと思う。

 いわば犬は「社会的動物」であるのに対し、猫は「個」の動物と言えるかもしれない。もちろん猫にだって猫同士の挨拶があったり、ウチのように多頭飼いしていれば猫社会的な雰囲気はでてくるのだけれど、基本はあくまでも「個」であることに変わりはない。福島の原発事故によって立ち入り禁止区域になってしまった土地に残されたペットの行動を見ても、猫は野良猫として一匹でも暮らしていけるが、犬は集団で野犬化し時には狂暴になることもあるらしい。

 そんな彼らが人間と暮らし始めるようになって、犬は人間の社会と一体になることによって生活が安定して営めるし、社会的行動を行いたいという彼等の欲求も満たされることに気がついたのだろうが、一方猫の方は人間に合わせるというよりは、自分の自由を確保できる範囲で人間と付き合っていこう、もしくは付き合ってやろうということにしたのだと思う。そのさい猫が学んだのは、人間は比較的よく言うことを聞く動物で、躾ければ十分役に立つということだと思う。


 ■ ネコのトレーニングは難しいと聞いていた。そんなことはない。我が家のネコは僕を2日でトレーニングした。(ビル・ダナ)
 I had been told that the training procedure with cats was difficult. It's not. Mine had me trained in two days.(Bill Dana )



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 *とまぁ、ペットの時代になった今だから上のような言葉の遊びもできますが、猫は中世ヨーロッパで味わったような人間に対する恐怖心もどこかに持っているのではないかと…。中世ヨーロッパでは猫は魔女の使いとしてしいたげられていた時代もありますし、日本でも三味線の皮を得るための猫さらいも横行したとか。




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Déjà-vu No.13 島情け [Déjà-vu]

Déjà-vu No.13  島情け


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 「今度は、夏においでよ、海の色が違うからさ~」
 「そうだね、一度夏に来てみようかな」

 と、宿の女将と毎回同じような会話がなされるのだけれど、いまだに島には夏行ったことがない。大抵は冬か春先。春先なら本土で花粉がとび始まる頃までか。板を小脇に抱えた若者でごった返す夏の海岸は苦手だし、そんなところにいても身の置きどころがない。

 ぼくが島ですることと言えば、散歩と読書とそれに昼寝と島の話を肴に飲む酒くらいか。朝昼夕と散歩して、その間は昼寝して昼飯は島で一軒しかやっていない食堂でタコライスなぞを食べる。ぼくのような、たまに来る余所者からすれば天国みたいなところだけれど、島には地獄のような時代もあった。

 宿の後ろの家のおばさんは隣の島の出身で集団自決の生き残りでもある。隣の島にはぼくも大好きな長く美しい海岸線をもつビーチがあるのだけれど、そこには昔集落があったのだが、海流の関係か子供の溺れる事故が多発して結局集落は他に移っていったという。美しいけれど、恐ろしいものが島にはたくさんあるのだ。

 もちろん、都会では見られないようないいこともたくさんある。今でも春になると島で見たある光景をよく思い出す。その年は春先に島に滞在していたんだと思う。いつものように散歩をして帰り道に一休みしようと港にも寄ってみた。港には町内連絡船が停泊していたので、ぼくはベンチに腰掛けて乗客の乗り降りや荷物の積み下ろしなどをぼんやりと見つめていた。

 その時、突然頭上から歌声が聞こえてきた。その歌声は後ろの待合所の二階のバルコニーから聞こえてくる。振り向くとそこには三人の少女が立っていて、ちょっと恥ずかしそうにでも背筋を伸ばして歌っている。そうか春の異動の時期なのできっと先生が転勤で島を後にするということなのかもしれない。彼女たちは歌で先生を送り出しているのだろう。

 島の住民は全部で250人位で、島には小中学校が一緒になった学校がある。そこの先生かもしれないし、もしかしたら近年橋で繋がった隣の小さな島の学校の先生かもしれない。隣の島の住民は80人くらいだけれどやはり小中学校がある。歌は町内連絡船が出港するまで続いていた。

 東京の下町の喧騒の中で育ったぼくにとっては、なんか目の前で今起きている光景は別の世界での出来事のように映っていた。しかし、それも彼らにとっては日常の光景には違いないのだろう。世界のいたるところで、それぞれの日常が動いているという、ごくごく当たり前のことが深くぼくの心に浸み込んだ瞬間だった。

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美しき逃げ道 [新隠居主義]

美しき逃げ道

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 なんか段々と世の中が、つまり日本だけでなくて世界中が騒がしいというか、嫌な方向にどんどんとのめりこんで行くようで心が落ち着かない。歴史の転回点と言おうか、歯車と言おうかこういう時期ってあるもんなのだなぁ、とつくづく思ったりしている。「世界は今複雑骨折をおこしている」と表現した評論家がいるが言いえて妙だ。

 世界が大きく変わるといえば、もう50年近く昔になるけどその年のメーデーにぼくはモスクワの赤の広場に立っていた。ぼくは学生で社会主義者でもなかったし、ソ連(ソビエト連邦…もう、こういう注釈を付けねばならない時代なんだなぁ)については五木寛之の小説「さらばモスクワ愚連隊」を読んだくらいで、当時のソ連に何の幻想も抱いてはいなかったけど、この強大な帝国が数十年後にあっという間に瓦解してゆくなどは想像することすらできなかった。

 テレビなどでニュースを見ていると心がざわざわして、かといって自分にとってできることは少ないので余計にストレスが強まる。目をそらしてはいけないのだろうけど、一方で老い先短い老体としては心の安寧も欲しいなんて思っている。そんな時思い出すのが、以前このブログでも書いたシュバイツァー博士の言葉だ。

 ■ 人生の苦悩から逃れる手立ては二つある。音楽と猫だ。
    „Es gibt zwei Möglichkeiten, vor dem Elend des Lebens zu flüchten: Musik und Katzen.“   (There are two means of refuge from the miseries of life:music and cats.)  ~Albert Schweitzer~

 心にしみるという点では、今のぼくにとっては音楽とそして。どれもそれに包まれた時間そのものを美しくそして価値あるものへと変換してくれる不思議な力を持っている。もちろんそれがただの逃げ道になってはいけないのだろうし、シュバイツァー博士にとってそうだったように、それがどこかで明日へ立ち向かう力の源泉のようになるはずのものであってほしい。ぼくもこれらの美しいものから力を貰って、また明日から自分のリハビリをはじめとして、各国からの留学生のサポートなど今、自分に出来ることを精一杯やっていきたい。



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 *上の二枚の写真もスマホで撮りましたが、最近のスマホの写真は大分優れものになってきていて、そこそこの大きさまでなら空気感も感じられて…。ここのところ中々気力がでなくて、街にもちゃんとしたカメラを持って出られないなどスマホ頼りになっていたんですが、また少しづつ愛機を持ち出したいと思っています。
 

 **逃げ道といえば19世紀の初頭から中頃までの30年余りの短い期間、反動的政治にうんざりして心の中の逃げ道をさまようような時代がありました。

 ウィーンやベルリンを中心としたそのビーダーマイヤー時代(Biedermeier)と呼ばれる戦争と革命に挟まれた時代の中では家庭回帰、日常回帰そして小市民的な文化が生まれましたが、後世からは「つまらない時代」と見なされていました。

 確かに絵画は凡庸な感じがするし、題材も情熱的とは言えない日常的なシーンにあふれています。しかし、その中ではカフェ文化が生まれビーダーマイヤー様式と呼ばれる家具や食器などが生まれています。それらは今までの装飾的なデザインから脱却したシンブルなデザインを基調とするモダン・デザインの源流の一つとなっています。そういう意味ではビーダーマイアー文化は単なる逃げ道の文化ではないと思っていますが。

 ぼく自身が凡庸で日常生活の些末なことに目が向くタイプなので、この時代に何となくシンパシーを感じていますが、ここのところ少しづつビーダーマイヤー時代が文化的に評価されてきているような気もして嬉しいです。転換の契機が反動からの逃げ道であっても、それによって今まで気づかなかったような美の新しい面を掘り起こしたというのは、それはそれで評価されていいと思うのですが。

 
  [about Biedermeier]
ビーダーマイヤー現象
静謐と熱情と ~German Trip 2~
つまらない時代 ~ウィーン~



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花と猫と青空 [猫と暮らせば]

花と猫と青空

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 家の出窓の外に植わっている花海棠(はなかいどう)の花が満開になった。昔、母を連れて近くの植木の町安行(あんぎょう)に行ったとき苗木を買ってきて植えたものだ。植木屋は八重桜のようなきれいな花が咲きますよと言っていたけど、植えてから数年はさほど咲かないで良くは覚えていないけど木が大きくなった数年前から春になると見事な花をつけるようになった。

 咲く時期はソメイヨシノの桜が散ったころ、八重桜と同じころ咲くので通りすがりの人は八重桜かと思っている人もいるかもしれない。花海棠は海棠の一種で元々は実海棠が中国から渡ってきたらしい。リンゴの木の親戚筋にあたる木で、リンゴ園ではリンゴの木の授粉用に植えられている場合もあるようだ。花海棠に実がなることもあって、それも食べられるらしいけど、ウチの木に実がなったのを見たことはまだない。

 去年の春、猫のハルがウチに来たばかりの頃この花海棠が咲いたのを「わ~咲いたね」という感じで身を乗り出して見ていたのが印象的だった。(下の写真) ハルの身体もその時と比べるとずいぶんと大きくなったけど性格は子猫のままだ。今年も花海棠が咲くと不思議そうに出窓に座ってみている。時々鳥たちがやってくるのも面白いのかもしれない。

 ウチの出窓には網戸が付けられているので陽のさす加減で花が良く見えないこともあるけど、網戸がまるでシルクスクリーンのようになってかえって絵のような効果を生むのでぼくは好きだ。出窓の猫とスクリーン越しに見える花と青空、ぼくの好きなものが一つの画面に収まって見ていても心が和む。実は昨日大学病院に行ったら、三度目の嗅覚の手術を勧められて気落ちしていたのだけれど、何だか少し心が落ち着いた感じがする。


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桜咲く [gillman*s park]

桜咲く

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 さまざまの事 おもひ出す 櫻かな (松尾芭蕉)

 日本人は桜を見るとなぜか感慨深くなるようだ。ぼくもその例外ではない。満開の桜を見たときいつも心に浮かぶのは西行法師の「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」という歌と、この松尾芭蕉の「さまざまの事 おもひ出す 櫻かな」という句だ。特に芭蕉の句は俳聖らしくないと言えるほど、直截に感慨を述べているところが逆に気に入っている。

  芭蕉は元は下級武士で伊賀上野で侍大将の藤堂良忠に仕えていた。その良忠が25歳という若さで急逝した。その時芭蕉は23歳。それがきっかけかどうかはわからないが、芭蕉は藩も武士の身分も捨て俳諧になった。その芭蕉が二十数年後に故郷伊賀上野を訪れた際にこの句を詠んだと言われている。芭蕉は藤堂家の花見の席によばれ、そこでこの句を詠んだらしいのだが、藤堂家は以前仕えていた良忠の息子の藤堂良長が当主になっていた。芭蕉は既に四十歳半ば、万感の思いだったのではないか。

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 桜が咲くと若いころはただ浮かれていたけど、歳をとってくるとそういう気分ばかりではない。もちろん心が華やぐのは以前と変わりないのだけれど、桜が長い間に自分の中で巡りくる季節のひとつの象徴のようになっていることに気が付く。あと何回この桜が見られるかな。そんな言葉が頭の後ろでささやかれているのを感じる。そして桜はあっという間に過ぎてゆく「時」の象徴にもなってゆく。

 結婚三十年を記念してこの公園に桜の苗木を植えたのは2006年のことだった。背丈よりも幾分か高い、か細い枝の何となく頼りなさそうな若木だった。その若木が今では春になると見事な花を咲かせその下でお花見ができるほどの立派な桜に育った。昨日もその桜の木の下でお花見をしたのだけれど、時折吹く強い風が寒いくらいに感じられた。強い風に花をつけた桜の枝が大きく揺さぶられていたけれど、しっかりと根をはった桜の木はもう若木の時のように木全体が揺れ動くことはない。

 今年の桜は比較的花の持ちが良い。開花してから暫く肌寒い日が続いたのが幸いしたのか。それでも、まぁ桜はいつものように駆け足で去ってゆくことに変わりはない。桜が駆け抜けていった後の気分をぼくは勝手にサクラ・メランコリーと名付けているんだけども、救いといえばその後に今度はまぶしいような緑の季節がやってくることだ。それを目にすると、また明日からやってくる新たな「さまざまの事」に立ち向かおうという元気が戻ってくるような気がする。



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 *今いろいろなところで、かつて一斉に植えられたソメイヨシノがその寿命を迎え問題になっているようです。と言ってもソメイヨシノの寿命が本当に人間の寿命と同じくらいなのか、それは恐らくソメイヨシノの木が全ていわばクローン的存在であるところからきているようですが、まだ新しい品種なので本当のところは判らないようでもあります。

 一般的には植物自体にはそんなに明確な寿命というものはないみたいなので、ほかの品種の桜の古木のように千年桜にならないとも言えないのでは…。

 公園の桜に目を取られていましたが、丘の裏側には艶やかなツバキの花がまだしっかりと咲き乱れていました。それはまた桜とは違った感慨を与えてくれました。

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< Ansicht 05 SAKURA Chronicle >

咲いたね/2018
月に叢雲、花に風/2016
Sakura Melancholy/2015
さくら時計/2015
感性の復讐/2013
約束の花Sakura/2013
死ぬなら今だ/2010
花冷え/2010
さくら散る頃/2008
桜吹雪 移動祝祭日のように/2008
さくら さくら/2008
薄墨色の桜/2007
桜散る/2006
桜吹雪/2006
病院の桜/2006
夕暮れの桜/2006


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猫の気持ち [猫と暮らせば]

猫の気持ち

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 一般に飼い主との関係は「犬は主従」、「猫は親子」の関係に近いというが、確かに猫なんかわがまま放題のドラ息子という感じもして、そうかなという気もするが実際にはもっと複雑だと思う。小さいときに一緒に暮らしていた犬とは時々兄弟のような感覚になったし、なんとなく向こうもぼくに対してはそういう感じの接し方だったと思う。ウチの三匹の猫をみただけでもぼくとの距離感、関係も微妙に違っている。

 ぼくはペットや動物を過剰に擬人化するのはあまり好きじゃないけど、動物と一緒に暮らしていると、誰でも彼らの「気持ち」というものを感じる瞬間というのが一度や二度ではなくあると思う。勿論それはぼくらのいう「愛情」とか「憎しみ」とか「嫉妬」とか「羞恥」等と全くのイコールではないかもしれないけど、それは「本能」や「習性」を超えたそれ以外の何物かであるということは直感できる。こんな、いわば生き物の種の壁を越えたような共感の一瞬というのも動物と暮らす醍醐味の一つでもあると感じている。

 以前読んだ本でオランダの動物学者であるフランス・ドゥ・ヴァールの著書「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」はそういう意味でもとても面白い本だった。彼は霊長類の社会的知能研究における第一人者で、この本の中でも今までの動物学者が動物の行動の全てを「本能」や「習性」または「刺激→反応」で説明しようとし、また説明しきれるとしていた姿勢を強く批判している。

 彼によれば、今までの動物の認知能力の認識の多くがその動物のある一部だけを見ていて、研究者自身がその動物の全体像を知らない為に意味のない実験をしたり、そもそも認知能力が無いという前提で行われたりしているケースも多いという。例えば、人間はほかの霊長類と比べて顔を認識する能力が別格に優れており、チンパンジー等はその能力は高くないと言われていた。

 しかし、その実験は人間の顔は男女を含め個人差が大きいからという理由で人間の顔で行われていたことに誰も疑問を抱かなかった。だがある時アトランタにある国立霊長類研究所の職員がチンパンジーの顔写真を使ってチンパンジーをテストすると彼らは素晴らしい結果を残した。今ではチンパンジーの顔認識能力は人間に一歩も引けをとらないし、顔認識能力は人間だけでなく他の動物も持つ能力だと広く認められるようになった。

 そんな認識は、犬猫とくらしているぼくらにしてみれば当たり前のことなのだけれど、多くの動物学者は条件反射のパブロフの犬的動物観(もしかしたら宗教的世界観もあるかもしれない)から長いこと抜け出すことができなかった。もちろんその対極には動物の行動を過剰に擬人化させるもう一つの呪縛された動物観があったことも否めない事実なのだけれど。あのチャールズ・ダーウィンはさすがと言おうか、こういう言葉を残している。「ヒトと高等動物の心の違いははなはだしいとはいえ、それはあくまで程度の問題であって、質の問題ではない」(同書のプロローグより)


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 …と、長々と落語で言えば「枕」の話をしたのは昨日の晩モモに起こったことをどう解釈していいか迷っていたので、そこに繋がりやしないかと思ってのことだ。モモはいつも夜は寝室でぼくの脇に寝ている。真冬の寒い日の夜明け前などには布団の中に入ってくることもあるけど、普通は布団の上に寝ている。昨日の晩もいつものようにそうだった。

 ぼくは歳をとってから夜中に少なくとも一回はトイレに行くことが多い。昨日も夜中になってトイレに行きたくなり、モモを起こさないようにそっと布団をめくってトイレに行った。そしてトイレに座ったと同時くらいに、寝室の猫ドアを跳ね上げる大きな音がしてモモがすっ飛んできてぼくの目の前に立ってじっとぼくのほうを見ている。

 「どうしたの? 起きちゃったの?」と言ってもぼくの方をじっと見つめたまま。「大丈夫だよ、どこへもいかないから」 トイレを済ませてまたベッドに戻ると、モモもついてきてぼくが布団に入ると慌ててモモも布団に入ってきてぼくの腕にしがみついた。力が入っていてモモの爪がちょっとぼくの腕に食い込んで痛い。なんか必死にしがみついている。怖い夢でも見たのかもしれないと思ってそのままにしておいたら、暫くしてフッと爪の力が抜けたのでモモがまた眠りについたのが分かった。

 と、まぁ、これだけのことなのだけれど、このことがぼくにあることを思い起こさせた。ぼくは小さい時、日本ではほかの家庭でもそうだと思うけど、母の布団で一緒に寝ていた。母から聞いたこともあるし、自分でもいやにはっきりと覚えているのだが、その頃真夜中にふと目が覚めると急に不安感に襲われ突然「母ちゃん死んじゃいやだ!」と母の腕にすがりついて泣いたという。子供心に親が居なくなる恐怖心を持っていたのかもしれない。
 
 昨日のモモの振る舞いがそういうものだという気はないし、その論理的な根拠もないのだけれど、夜中にモモが真剣な面持ちでぼくを追いかけてきたとき、昔母がそう言ったように、思わず「大丈夫だよ、どこへもいかないから」という言葉がぼくの口から出たということは、ぼくの方にはきっとモモは夢の中で昔のぼくみたいに不安感に襲われたのかなという思いがあったのだろう。それはきっとぼくの方の誤解か錯覚なのかもしれないけど、なんか猫の気持ちが少し理解出来たようでちょっと嬉しくなった。

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 *もちろん猫や犬の本能や習性を知ることは、それを無視して彼らに不快な思いをさせたり、不幸せな目に合わせたりしないためにも必要なことだとおもっています。しかし一緒に暮らしていればその土台の上に各々の個性や性格というものがしっかりと存在しいることに容易に気づくはずです。古典的な動物学者にはその視点が抜けていたようです。

 フランス・ドゥ・ヴァール氏の著書を読むと今までの動物学者がその動物を実験の対象としてしか見ておらず、まずその動物そのものをよく理解しようとしていなかったことに端を発していたように感じます。著書自体は学術的で冗長に感じられる点も多く決して読みやすい本ではないと思いますが、もし興味があれば読んでみてください。

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「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」
 フランス・ドゥ・ヴァール著
 紀伊国屋書店 2017年



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記憶 [新隠居主義]

記憶

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 あれから、もう八年経ったのか、八年しか経っていないのか3月11日が来るたびに時の流れを振り返ることになる。その度に頭をよぎる映像の記憶に戦慄が走る。押し寄せる津波に飲み込まれる街並み。テレビの画面を「南三陸町全壊」のテロップの文字が横切ってゆく。

 その映像は9月11日テレビを見ていた時に目に飛び込んできたあのニューヨーク9・11の摩天楼に激突する旅客機の映像とともに生涯忘れられない記憶としてぼくの脳裏にも刻み込まれている。それらの記憶は忘れてはならないのだけれど、それが同時にそれを実際に体験した人を今日も苦しめていることも間違いのない事実だ。

 テレビであの「南三陸町…」の光景を見たとき余りの凄まじさに直ぐにはそこに思い至らなかったのだけど、そう言えばワカメのあのお店は南三陸町にあった筈、お店やお店の人は大丈夫だろうか、と思い始めた。それは母が昔からことあるごとに魚介類やワカメを取り寄せていた南三陸町にある鮮魚店のことだ。昔は電話で注文を取っており、電話口にでる女性はいかにも朴訥な東北の感じがする家庭的な店だった。

 それが時とともにファックスで注文を受けるようになり、それからネットでの販売に発展し、南三陸町でも最も成功した鮮魚店になっていた。その店のことがとっさに浮かんだ。その直後から連絡を取ったけど、もちろん繋がることはなかった。あの津波でお店も工場も全てが流されてしまったこと、幸いお店の方は無事であったことなどを知ったのはずいぶん後になってからのことだ。

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 震災以降ぼくの記憶はあの津波のシーンで止まっていた。しかし、当たり前のことだけれども被災地では何一つ止まっているものはなく、もがき苦しむ戦いが始まっているはずなのだ。翌年の冬、やっと南三陸町を訪れてぼくの記憶は動き出したのだけれど、それはあの津波の記憶に覆いかぶさるようなさらに強烈なものだった。現地で聞いたいろいろな話も忘れることができない。ぼくの記憶はさらに重くなっていた。

 記憶には忘れてはいけない記憶と塗り替えてゆくべき記憶があるような気がして、自分の中では今もそれは峻別できていないけれど、とにかく時が止まったようなあの津波の記憶を動かして、その後に何がどうなったかという新たな記憶を積み重ねていってぼくの頭の中の記憶のバランスをとる必要があるような気がしている。


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東京バラード、それから [Ansicht Tokio]

東京バラード、それから

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 ■ 東京バラード、それから

   東京では 空は
   しっかり目をつぶっていなければ  見えない
   東京では 夢は
   しっかりと目をあいていなければ  見えない

    (谷川俊太郎 「東京バラード、それから」巻頭の詩)

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  たかだか七十数年の人生だけど、今まで東京が大きく変わる節目を何度か目にしてきた。毎日少しづつ変わっているから余り気が付かないのかもしれないけれど、一定の期間を置いて見るとその変化の大きさに驚く。その中でも全体が短時間に大きく変わっていった時期というのもあるような気がする。

 ぼくは勝手に「土の時代」と呼んでいるのだけれど、ぼくの子供の頃は東京でも自分の身の回りのどこにでも「土」があるのが当たり前だった。小津安二郎の「東京物語」に出てくるような下町の千住に住んでいたんだけれど、自分の家の前も含めて身の回りはどこも土の地面ばかりだった。道路も敢えて舗装道路と言わない限りそれは砂利道か踏み固めた土の道のことだった。雨が降ればぬかるみになるから長靴は必需品だった。

 そんな状況が大きく変わってきたのはやはり1964年の東京オリンピックあたりからだと思う。と言っても目に見える急激な変化は都心周辺が主で下町に「アスファルトの時代」がやってくるのはそれからずっと後だったと思う。ぼくが結婚してからずいぶん経って下町から少し離れた東京の縁(へり)に引っ越してからも雨が降ると家の前の道がぬかるみになる状態はしばらく続いていた。

 それでも変化は着実に進んで、気が付いたら身の回りで「土」を目にすることが無くなった。近所の公園も最初は水たまりのできる散歩道があったのだが、今はそれも舗装されてしまっている。そして気が付くと東京全体から「土」が姿を消して、地表は固い鎧のような舗装材に覆われて「アスファルトの時代」になっていた。


 最近放送されているNHKスペシャル「東京Reborn」のシリーズをみていると、これから東京はさらに大きな変化をとげるようなのだ。都市は湾岸ベイエリアといわれる東京湾側に浸潤し、大深度地下と超高層という三次元の広がりをみせてゆく。この都市は今、「土の時代」から「アスファルトの時代」を経て、「モグラの時代」かつ「鳥の時代」へと移りつつあるようだ。

 しかし、心配なのはそこには新宿や渋谷や湾岸地域といったエリアごとのデザインはあっても東京全体の構想といったものが見えてこない。かつて、ウィーンはちょうど江戸から明治に変わる頃ハプスブルク家の統率の元、不要になった城壁の跡にリング通りを創り、リング内の公共の建物を一新する大改造を行い今の姿になっている。パリも江戸末期にナポレオン三世の元、確たるグランドデザインに従ってやはり大改造がなされて今日に至っている。

 もともと東京は江戸時代に徳川家康が壮大な構想の下に作り上げた計画都市でもあった。そして大正時代の関東大震災の後、五藤新平が東京大改造をデザインし着手したが、これは未完に終わってしまった。ある意味では今の東京は一つのコンセプトで設計するには巨大で複雑な生き物に肥大化してしまったのかもしれない。

 「東京Reborn」は未来に対応する壮大な実験なのかもしれない。新たなエネルギーを秘めた世界に類のない都市を実現しようとしているようにも見えなくはないのだが、東京を今も「故郷」として愛している人間にとっては、それは何ともリスキーでいろんな人間が好きなようにいじくりまわしているようにも見える、というのは年寄りのひがみなのだろうか…。

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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その36〜 [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その36〜

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  ■ 猫は、心地よさの鑑定家だ。 (ジェイムズ・ヘリオット)
  Cats are connoisseurs of comfort. ~ James Herriot〜 


 七年程前にも一度このアフォリズムは取り上げたのだけれど、イギリスの獣医で作家のジェイムズ・ヘリオットの言葉だconnoisseurs(コナスアー:発音は難しそう)というのは、別の日本語で言えば「通(つう)」とか「目利き、うるさ方」という表現がぴったりするのかもしれない。

 ウチの猫たちも、心地よさのうるさ方と言う点では引けをとらない。それぞれが複数のお気に入りの心地よい場所を持っているし、それだけでは満足できずぼくやカミさんが心地よさそうにしていると、当然という顔をしてその場所の明け渡しを要求する。

 モモも家の中に何か所かお気に入りの場所を持っているのだけれど、彼女の場合それだけでは飽き足らず環境に手を加えて自分用にしてしまうという才能というか執念を持っている。

 居間にちょっと大きめの黒皮の椅子があるのだけれど、その背もたれの上でまったりするのがモモのお気に入りだ。その椅子の不安定な背もたれの上で何度もぐるぐると回って背もたれにくぼみを作りそこにハマりこむようにして寝るのだ。最初のうちはモモが降りるたびに背もたれの形を戻していたのだが、最近はそれも諦めた。

 モモがそこに寝ると、まるで椅子の一部になったみたいでそこに居るのに気が付かないことが良くある。ご飯の時に散々大声を出して呼んだら目の前の椅子に同化していたということも多い。

 ハルは窓辺のソファの上が好きだ。冬のうららかな陽を全身にあびて大きく伸びをする姿を見ていると、何となくそれを見ているぼくの心も伸びをしている。

  昨年から色々なことがあり過ぎて硬く凝ってしまったぼくの心をやんわりと揉み解してくれるような…。今は猫たちから少しづつ、心地よさの秘密を伝授してもらっているところだ。


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別れの曲 [新隠居主義]

別れの曲


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 昨日の朝、食事を終えて日本語学校に行く準備をしながら、ふとスマホの画面に目をやると一件の着信履歴が目に入った。食事の時はスマホを書斎に置いていたので気がつかなかったようだ。

 見ると、いとこの息子からだった。彼には泊まりがけで家を留守にする時などには猫の世話を頼んだりして世話になっているけど、向こうから電話がかかってくることは滅多にない。何だろうと訝りながら電話すると、昨日の夜、いとこが急逝したという訃報だった。

 いとこと言っても、子供の頃からずっと近しく育った女性のいとこのダンナだから義理のいとこなのだけれど、近所に住んでおり歳も同い年、それに音楽や落語や酒など趣味も一緒で一番気の合う親戚だった。昨年末にも忘年会をしてその時も楽しいひと時を過ごして別れた。

 それが突然の訃報。取るものもとりあえず、彼の自宅に向かうと病院から搬送された彼の遺体が和室に寝かされていた。枕元には好きだった焼酎の一升瓶とその日の朝刊に老眼鏡が添えられて置かれていた。彼の顔はこの前分かれた時のままで、今にも起きて話し出しそうな感じがした。聞けば半月くらい前、突然末期がんを宣告され余命いくばくもないことが判明したらしい。

 居間は彼が暮らしていた時のままに、彼が座っていたソファやテレビのあたりには音楽CDやDVDなどが山積みにされていた。ぼくと話しながら息子が部屋に残されていた郵便物や書類に目を通しているうちに、それらの間から一枚の封筒がでてきた。その封筒の中を見てみると何枚ものコンサートのチケットが入っていた。それは彼の好きなクラシックの演奏会の切符だった。

 今年の三月から九月にかけて行われる室内楽シリーズのコンサートの切符で、コンビニのチケット販売機から買ったものだ。買った日付を見ると、恐らくは彼が末期がんの告知を受ける直前に買っていたと思われる。その時点ではその未来の日付は彼にとっても確実な未来に見えていたに違いない日々なのだ。そのことを思うと胸が苦しくなった。

 そのチケットは結局ぼくが貰い受けてそれらのコンサートに行くことにした。残された家族もそれが彼の供養にもなるからということだった。もちろん、ぼくにだってチケットに書いてあるその未来の日付が確実に保証されているという訳ではないのだけれど…。何度か彼とコンサートに行ったこともあるけれど、今度は彼の想い出を胸に秘めて一人で聴くことになる。これからのコンサートの演奏はぼくにとっては彼との長い、長い別れの曲になると思う。



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日課力 [新隠居主義]

日課力

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 今年の自分のテーマは「日課力」ということにしている。ぼくはスポーツ番組はあまり見ないし、オリンピックにもさして興味はなく毎回アテネでやればいいのに位に思っているのだけれど、アスリートというものには強い畏敬の念を持っている。それは彼らが金メダルをとったり、優勝したからというより、背後で彼らを支えている「日課力」みたいなものを感じるからだ。

 彼らは優勝しようが、金メダルをとろうが翌朝の早朝にはもうランニングやトレーニングを始めている。彼らはそれなしにはどんな夢にも近づけないのを身をもって知っているから。もちろん才能と資質がなければ一流のアスリートにはなれないのだけれど、それだけでは十分ではない。それに加えて夢を設定する力とそれを日々の日課におとしこみ実践してゆく力がなければならない。

 それは時にはチームとして取り組むこともあるだろう。目標を設定してそれに向かって最終的には日々の行動レベルまでにステップ化、線表化してゆく。しかし実践するのはあくまでもアスリート自身なのだ。考えてみればこの目標を設定し、それを線表化し実践してゆくというのはビジネスでも同じことなのだ。自分もサラリーマンの現役時代には当然のこととして行っていたはずのものだ。

 やるべきことのリストである「ToDo」(もしくはタスク・リスト)やスケジュールそしてメモ書き文書管理などはずっと昔からZAURUS(シャープ製の電子手帳、後半期はLinaxで動いていた携帯端末)の時代から電子化していたので、日々のやるべきことを緊急性と重要性で類別し優先順位をつけてそれを時間刻みのスケジュールに落とし込んでいた。当時のToDoリストには常時100以上のアイテムが並んでいたと思う。尤もそんな生活が嫌で、はやいとこ抜け出したいとは思っていたのだけれど…。

 その頃の習慣でかToDoリストは今でも使っている。見てみたらリストアップされている項目数は300くらいに膨れ上がっていた。ただし、昔と違うことは昔は「やらなければならない」事柄が列挙されていたが、今は「やりたいこと」の項目が多くなっているし、何よりも忘れやすくなった頭をサポートする役目を果たしていることだ。それは少なくとも、ボーッとして何か大事なことを忘れているのではないかという年寄りの強迫観念から解放してくれるのだ。

 で、日課の話に戻るのだけれど、サラリーマンを辞めてからは大学院に行っていた時期以外は目標管理なんぞとは縁のない生活をしていたのだけれど、昨年春に歩けなくなってしまってから、とりあえずは旅行に行けるくらいは歩けるようになることを目標にしてアクションせざるを得ない状況に追い込まれた。リハビリの先生の指導でやるべきことは段々明確になってきた時点でそれをスケジュールに組立、日々の中でこなしてゆくことが不可欠になった。ということで回りくどくなったけど、今は自分自身の「日課力」が問われている感じだ。


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 *何か具体的な目標を設定すると、ステップや期日やモチベーションなどと言うものについて明らかにしてゆかないといけないので、急に頭が回り出したりして目が前に向くような感じがします。と言いつつ、目標ができるとじっとしていられない貧乏性な自分の性みたいなものにあきれています。

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Déjà-vu No.12 旅先の光 [Déjà-vu]

Déjà-vu No.12  旅先の光

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 ■ …子供のころ、たまらなくどこかへ出かけたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなにむずむずしなくなるよ」といったものである。年齢からいって大人の仲間にはいると、中年になればおさまる、とのことだった。いざ中年になると、こんどは「もっと年をとれば、その病はなおる」といわれた。いま五十八歳だから、これだけ年をとれば、だいじょうぶなはずである。ところが、病はいっこうに治らない…
       (ジョン・スタインベック 『チャーリーとの旅』/大前正臣訳) 


 きっとそんなに長い間ではないのだろうけど、自分としては、もう長いこと旅をしていない気がする。ジョン・スタインベックの小説に上のような部分があるのだけれど、ぼくは70も過ぎたというのに今でも旅の「むずむず」は治らないみたいだ。もう五十年近くも昔、まだ二十歳を少し過ぎた頃ロシアとヨーロッパを抜けてアフリカのカサブランカに行くと決めたとき叔父の一人に「この子は何をやりたいんだろうねぇ…」と訝られたことがあった。

 それは今思うと最初の「むずむず」みたいなもので、自分でも抑えることのできない何かの衝動だったのだろうと思うし、説明しろとか、目的は何だとか言われても答えることができないものだったのだとも思う。とはいえ、その「むずむず」の中身は歳と共に変わってきてはいるようだ。

 若い時のように動き回って何かにぶち当たるのを期待しているようなことは余りなくなった。もちろん体力がなくなってきたこともあるのだけれど、今は動き回るよりも何か新しい「居心地の良さ」みたいなものを探しているような気がする。じゃあ、今が居心地が良くないのかと言うとまったくそういうことはないし、その証拠に旅に出たとたんに後悔して家に帰りたくなる。

 だから、旅の途中で居心地の良い居場所が見つかれば例えば飲み屋やカフェや公園など、あとは動き回りたくなくなるのだ。それを旅と言うかどうかは、よくわからないけど、そういう風に「むずむず」の中身は変わってきた。


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 そういう風に「むずむず」の中身が変わってきたのは歳のせいもあるけれど、その土地を楽しむやり方が若い時のようにただ動き回るのではなくて、どこか居心地のいいところに落ち着いて味わう、その土地の音や匂いや空気、光の移ろいなどをぼんやりと時の過ぎるままに、その中に身を任せて味わうという風に変わってきた。まぁ、半分は怠惰になった言い訳なのだけれど…。

 でも、そうするとちょっと困ったことになった。その土地を味わう一つの大事な要素である匂いが全く分からなくなってしまったことだ。普通、旅に出てその土地の駅や飛行場に降り立った時、真っ先にその土地、その国特有の匂いがぼくたちを襲う。それはある意味でぼくたちに「さぁ、きみの感覚のアンテナをはりなさい!」という合図でもあるのだ。その次にその土地の音が、そして光がやってくる。それが無い。

 以前旅したベトナムやカンボジアはその土地に着いた途端に本来は色々な匂いが洪水のようにぼくらを襲うはずなのだけれど、それがない。その時には既に嗅覚が失われていたから旅に現実味がないのだ。 とまぁ、嗅覚を取り戻す努力はしているけれど、失くしたものを嘆いているだけでも仕方がない。でも、昔の旅の写真を見ていたらぼくにはまだ光が残されていることに気が付いた。

 匂いと同じように、その土地にはその土地の光がある。しかもそれは同じ場所に居ても常に移ろっている。もしかしたら、今まで嗅覚に振り分けていた関心と感性を光の方に注げば、今までとは異なる「居心地のいい場所」を見つけることができるかもしれない。しかも、匂いは記憶の中にだけ残りえるけど、光は努力すればその一部を写真と言う形で残してまた後日味わうこともできるかもしれない。これからは今まで見逃していた旅先の光により目を向けようと思う。もちろん、嗅覚が戻ればそれに越したことはないのだけれど…。



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断捨離 本 [新隠居主義]

断捨離 本

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 断捨離で結構大変なのが本。大体の本は一回読んだらそう何回も読み返す訳ではないのだけれど、なんかの時にまた読みたくなったり、調べ物に使ったりなんて、実際にはそんなにありそうもない理由で処分できないで本はどんどん溜まって行く。ぼくは特別熱心な読書家という訳でもないのだけれど。それでも時間が経つうちにいつのまにかそういう事になっている。

 

 というわけで一年前に意を決して本の断捨離を始めたのだけど、整理しているうちに処分する筈の本をまた読み出したり、30年分溜まった文藝春秋や20年分の「新聞ダイジェスト」などを捨てるのはもったいないかなぁ、と迷ったり。(挙句やっぱり捨てたのだけれど) なんだかんだ結局一年くらいかかってしまった。

 

 最後には残す本は大きめの本棚二ヶ所に入るだけ、あとは処分すると残す量を決めてからは断捨離がスピードアップした。残った本を詰め込んだ本棚を見ると、一ヶ所は殆どが画集、もう一ヶ所が古典的な文学作品だけになった。本当は古典作品こそ今では青空文庫などでいつでも読めるんだけど、きっと本自体に何か愛着があるみたいだ。

 

 画集の方は、画集といっても、ごく一部の作家の画集を除いては殆どが訪れた美術館や展覧会の図録が主だ。理由は実際に自分の目で実物を見た作品について、覚えておきたいしやはり実物を見ているから後で印刷物である図録を見ても頭の中に残っている印象で補正して思い出して見られるという利点がある。

 

 以前は先に図録を買ってから作品を観てまわったのだけれど、最近はどの展覧会でも会場のベンチなどに置かれていることが多いので、それも見ながら色味などの誤差を頭に入れるようにしているのだけれど、会場は照明が暗いことも多いので結局買った図録を帰り道のカフェなんかで忘れないうちに記憶と比べたりしている。

 

 本当は展覧会では気になった作品は何十分もその前に佇んで眺めていたいのだけれど、そうもいかない。トーハクや国立西洋美術館そして海外の美術館の常設展などはそれができるから嬉しいのだけれど、特別展はそうもいかない。とりあえず、気になった作品は頭の中でマークしておいて、後でもう一度じっくり図録で見た時に実際に作品を見た時の記憶が蘇るようにしておきたい。

 

 画集で見たことのある作品を初めて実際に見ると写真写りの良い作品とその逆の場合があったりして、その度にやはり実物をみないとダメだなぁと思う。もちろんその絵の真贋なんかはぼくには分からないけど画集などの写真だけでは伝わって来ない何かが実物にあるのは確かだ。

 

 有り難いことに最近は海外のいろいろな美術館がパブリックドメインを設けているので、ネットでも美術館の所蔵作品の質の高い映像を見られるようになってきた。タブレットなどで気軽に見られるようになったのは嬉しいのだけど、コーヒーを飲みながらゆったりとした気分で画集のページを繰る楽しさはまた格別なのでそれはそれでとって置きたい気がする。

 


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