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病院のET [新隠居主義]

病院のET

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 病院のベッドの上で目を覚ましたけれど思うように身動きが取れない。頭はまだ殆ど回ってはいなかったけれど、手術が終わって自分の病室に戻ってきたのだけはかろうじて了解ができた。

 顔には酸素マスク、右手には点滴の管とバイタルサインのセンサーそれに血圧計のベルトが付いている。胸には心拍数をはじめいろんなデータをとるためだろう何カ所かにパッドが貼られてそこから何本ものコードが伸びている。両脚には血栓を防止するためのポンプが巻き付けられていて一定間隔でエアーが送り込まれている。

 下半身には尿を排出するためのカテーテルが挿入されているためか、少し不快な違和感と身動きが取れない拘束感がある。うす暗い病室にはベッドのそばに置かれた心電図モニターのピッピッという絶え間ない音と足元の血栓防止ポンプのシューッ、シューッという音が一定間隔で鳴っている。

 いわゆるスパゲッティー状態と言おうか、生きているというより生かされている、そう映画のブレードランナーやマトリックスで観たような感じのなんとも未来的で無機質な舞台装置の一部になったような気分だ。と言ってもこんな状況はこれが初めてではない。十数年前に集中治療室で同じような状況に置かれてから今度で4回目の経験だが、慣れるものではない。こんな経験はしないに越したことはない。

 右手の人差し指の先に付けられたセンサーのピンク色のライトが暗い部屋の中でいやに美しく見えて、ちょっとETのあの感動的なシーンみたいで素敵だなぁと思った。その写真を撮ろうと思ってかろうじて動く左手で枕もとをまさぐってスマホを探り当てて一枚撮った。その後で看護師に痛み止めを点滴に入れてもらって、そのまままた深い眠りにおちた。


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 嗅覚を取り戻すことも大事だけど、嗅覚神経近くのポリプをちゃんと除去して悪性化するリスクに対処した方が良いと医師に勧められたのは、ずっと長いこと通っていた病院から今の病院に転院してから一年近く経った時だった。医師の言葉のその「ちゃんと」というところが気になったのだけれど、要は今までの二回の手術が巧くなかったのだとその医師はストレートに言ってのけた。

 そんなこと言われてもなぁ、こちらは素人だからわからないし、ただ一回目の手術では「出血が多く」取り切れなかった、二回目の違う医師による手術では「再発するかもしれない」というコメントが気にはなっていたけれど、今後どうしたらよいという話は全くなかった。今回でけりが付くという自信は無かったけれど、三度目の正直という言葉もあるので今の医師に賭けてみることにした。

 やはり難しい部位だったらしく、今回の手術は結局6時間もかかる大手術になってしまったが医師はきれいに取れたと言っている。まだ鼻の中には止血のためのシリコンが入っているし、顔は腫れあがってパンパンになっている。手術の前に髭を剃って来いと言われたので、髭もない腫れた顔は鏡で見るとまるでアンパンマンみたいだ。とりあえずこの件は今回のこれで決着がつくといいのだけれど…。



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日本語 食べ物カルタ [にほんご]

日本語 食べ物カルタ


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 日本語学校で週に一度、留学生たちの日本語学習のサポート活動を始めて15年以上になるのだけど、最初は片言の日本語しか話せなかった若者達が卒業間際には自分の国の文化の話や人生の話まで語り合えるようになるのを見ると何とも言えない喜びを感じる。

 とは言え、最初の初級の段階では意思の疎通もままならずお互い歯がゆい思いをすることも多い。そこら辺についても長いこと苦労しているのだが、今までの経験からすると食べ物の話が比較的入りやすい気がする。最近は日本食への関心も高いし、何といっても日本で暮らし始めたその日から何を食べるかという問題は付いて回るのだ。

 今はネットがあるから学生たちは寿司や天ぷらなどの伝統的和食だけでなくたこ焼きとかお好み焼きなんかも結構知っている。そうは言っても初級では中々言葉で表現したり、説明を理解したりするのも難しい。今まではiPadに写真を入れて話の端々に見せていたのだが、この間の連休中に「食べ物カルタ」なるものを考えて作ってみた。

 日本人が良く食べる料理やお菓子など100種類のカードを作って、表にはその写真、裏にはその名称を平仮名と漢字などで表示し、場合によっては関連する単語などを載せた。料理は日本料理とは限らない、ハンバーグや餃子など留学生が街で目にするようなものについても入れることにした。


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 100枚のカードは30枚くらいの初級(青)・中級(黄)・上級(赤)の3つのグループにぼくが勝手に分けてみた。例えば初級なら「ごはん」「そば」「ラーメン」「すし」など基本的なものが入っており、中級になると「肉じゃが」「冷奴」「稲荷ずし」などもう一つひねったもの、そして上級になると「握り寿司のネタ(こはだ等)や「精進料理」「懐石料理」「ふぐ刺し」(ぼくも一度しか食べたことはないけど…)など外国人にはかなりマニアックなものが入ってくる。

 遊び方については、カルタをとるのは留学生で、カルタ取りの読み手は日本語母語話者か比較的上級の日本語学習者がよいと思っている。いっぺんに100枚を広げてはやりにくいので人数にもよるが30枚くらいのランク別にやっていった方が良いと思っている。例えば読み手が自分で目視でカードを確認して「さしみ」と言ったら、学生がその写真のカードをとればオーケーだが、誰も分からず取れなかった時には、読み手が「魚です」とか「丸い黒いお皿に乗ってます」などのヒントを出してゆく。これはヒヤリングの練習になるし、日本語学習の上級者がやれば、ものの外観を日本語で説明する練習にもなる。


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 最終的にはiPadに連動して入れてある大きな写真で確認するようにする。ある程度料理の名前を覚えたら今度はカードの文字面を表にして、iPadで写真を見せてカードを取るようにすれば迅速な文字認識の練習にもなると思う。もちろんこれは日本語の練習でもあるのだけれど、それが主眼ではなくて食べ物の話題をきっかけに日本語でのコミュニケーションを行って、初級の学生にも日本語でのコミュニケーションができる実感を持ってもらうのが眼目なので、途中で盛り上がって話が他の方に行っても、それはそれで大歓迎なのだ。

 最近は留学生の出身国の範囲も広がってイスラム文化圏やヒンドゥーなど宗教的理由で食材が制限されている留学生も増えている。日本ではまだ「ハラル認証」などの食品は普及しておらずぼくの知っている留学生は自炊ですべてまかなっていた。国によって戒律の厳しさは差があるらしいけどやはり食材の由来はとても気になるらしく、以前「かまぼこ」はソーセージだから食べないと言っていた学生がいて、材料は全部魚だと言ったら驚いていたことがあった。彼らに対しても遊びの中でそれとなく日本の食べ物の食材についても知ってもらえればありがたいとも思っている。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その37~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その37~

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 ■ 猫は頭が良いのだ。猫を躾けることなどできないと、人間に確信させてしまったのだから。(ワレン・エクシュタイン)
  I believe that cats are so smart, they've convinced people that they can't be trained. (Warren Eckstein)


 子供の時から犬も猫も飼ったことがことがあるけど、その付き合い方はずいぶん違うような気がする。ぼくの感じだと「猫は生まれたときから猫」だが「犬は育てられて犬になる」ような感じがしている。猫は最初から自律的な存在で、今まで飼った猫も今いる猫もウチに来た日から自分でトイレに入って始末するし、餌もお腹が一杯になればやめて犬のようにお腹がパンパンになるまで食べるということはない。

 それに対して犬はトイレもそうだけど人間と暮らしていくうえでいろいろと教えなければいけないことが多い、それで「躾ける」という発想が生まれてくるのだと思う。それはどちらが賢いとかいう問題ではなくて彼らが人間と出会う前に長い間続けてきた暮らし方に起因する。つまり、猫は森の中で一匹で狩りをして暮らしていたのに対して、犬は草原で集団で狩りをする暮らしを営んでいたからだろうと思う。

 いわば犬は「社会的動物」であるのに対し、猫は「個」の動物と言えるかもしれない。もちろん猫にだって猫同士の挨拶があったり、ウチのように多頭飼いしていれば猫社会的な雰囲気はでてくるのだけれど、基本はあくまでも「個」であることに変わりはない。福島の原発事故によって立ち入り禁止区域になってしまった土地に残されたペットの行動を見ても、猫は野良猫として一匹でも暮らしていけるが、犬は集団で野犬化し時には狂暴になることもあるらしい。

 そんな彼らが人間と暮らし始めるようになって、犬は人間の社会と一体になることによって生活が安定して営めるし、社会的行動を行いたいという彼等の欲求も満たされることに気がついたのだろうが、一方猫の方は人間に合わせるというよりは、自分の自由を確保できる範囲で人間と付き合っていこう、もしくは付き合ってやろうということにしたのだと思う。そのさい猫が学んだのは、人間は比較的よく言うことを聞く動物で、躾ければ十分役に立つということだと思う。


 ■ ネコのトレーニングは難しいと聞いていた。そんなことはない。我が家のネコは僕を2日でトレーニングした。(ビル・ダナ)
 I had been told that the training procedure with cats was difficult. It's not. Mine had me trained in two days.(Bill Dana )



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 *とまぁ、ペットの時代になった今だから上のような言葉の遊びもできますが、猫は中世ヨーロッパで味わったような人間に対する恐怖心もどこかに持っているのではないかと…。中世ヨーロッパでは猫は魔女の使いとしてしいたげられていた時代もありますし、日本でも三味線の皮を得るための猫さらいも横行したとか。




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Déjà-vu No.13 島情け [Déjà-vu]

Déjà-vu No.13  島情け


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 「今度は、夏においでよ、海の色が違うからさ~」
 「そうだね、一度夏に来てみようかな」

 と、宿の女将と毎回同じような会話がなされるのだけれど、いまだに島には夏行ったことがない。大抵は冬か春先。春先なら本土で花粉がとび始まる頃までか。板を小脇に抱えた若者でごった返す夏の海岸は苦手だし、そんなところにいても身の置きどころがない。

 ぼくが島ですることと言えば、散歩と読書とそれに昼寝と島の話を肴に飲む酒くらいか。朝昼夕と散歩して、その間は昼寝して昼飯は島で一軒しかやっていない食堂でタコライスなぞを食べる。ぼくのような、たまに来る余所者からすれば天国みたいなところだけれど、島には地獄のような時代もあった。

 宿の後ろの家のおばさんは隣の島の出身で集団自決の生き残りでもある。隣の島にはぼくも大好きな長く美しい海岸線をもつビーチがあるのだけれど、そこには昔集落があったのだが、海流の関係か子供の溺れる事故が多発して結局集落は他に移っていったという。美しいけれど、恐ろしいものが島にはたくさんあるのだ。

 もちろん、都会では見られないようないいこともたくさんある。今でも春になると島で見たある光景をよく思い出す。その年は春先に島に滞在していたんだと思う。いつものように散歩をして帰り道に一休みしようと港にも寄ってみた。港には町内連絡船が停泊していたので、ぼくはベンチに腰掛けて乗客の乗り降りや荷物の積み下ろしなどをぼんやりと見つめていた。

 その時、突然頭上から歌声が聞こえてきた。その歌声は後ろの待合所の二階のバルコニーから聞こえてくる。振り向くとそこには三人の少女が立っていて、ちょっと恥ずかしそうにでも背筋を伸ばして歌っている。そうか春の異動の時期なのできっと先生が転勤で島を後にするということなのかもしれない。彼女たちは歌で先生を送り出しているのだろう。

 島の住民は全部で250人位で、島には小中学校が一緒になった学校がある。そこの先生かもしれないし、もしかしたら近年橋で繋がった隣の小さな島の学校の先生かもしれない。隣の島の住民は80人くらいだけれどやはり小中学校がある。歌は町内連絡船が出港するまで続いていた。

 東京の下町の喧騒の中で育ったぼくにとっては、なんか目の前で今起きている光景は別の世界での出来事のように映っていた。しかし、それも彼らにとっては日常の光景には違いないのだろう。世界のいたるところで、それぞれの日常が動いているという、ごくごく当たり前のことが深くぼくの心に浸み込んだ瞬間だった。

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美しき逃げ道 [新隠居主義]

美しき逃げ道

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 なんか段々と世の中が、つまり日本だけでなくて世界中が騒がしいというか、嫌な方向にどんどんとのめりこんで行くようで心が落ち着かない。歴史の転回点と言おうか、歯車と言おうかこういう時期ってあるもんなのだなぁ、とつくづく思ったりしている。「世界は今複雑骨折をおこしている」と表現した評論家がいるが言いえて妙だ。

 世界が大きく変わるといえば、もう50年近く昔になるけどその年のメーデーにぼくはモスクワの赤の広場に立っていた。ぼくは学生で社会主義者でもなかったし、ソ連(ソビエト連邦…もう、こういう注釈を付けねばならない時代なんだなぁ)については五木寛之の小説「さらばモスクワ愚連隊」を読んだくらいで、当時のソ連に何の幻想も抱いてはいなかったけど、この強大な帝国が数十年後にあっという間に瓦解してゆくなどは想像することすらできなかった。

 テレビなどでニュースを見ていると心がざわざわして、かといって自分にとってできることは少ないので余計にストレスが強まる。目をそらしてはいけないのだろうけど、一方で老い先短い老体としては心の安寧も欲しいなんて思っている。そんな時思い出すのが、以前このブログでも書いたシュバイツァー博士の言葉だ。

 ■ 人生の苦悩から逃れる手立ては二つある。音楽と猫だ。
    „Es gibt zwei Möglichkeiten, vor dem Elend des Lebens zu flüchten: Musik und Katzen.“   (There are two means of refuge from the miseries of life:music and cats.)  ~Albert Schweitzer~

 心にしみるという点では、今のぼくにとっては音楽とそして。どれもそれに包まれた時間そのものを美しくそして価値あるものへと変換してくれる不思議な力を持っている。もちろんそれがただの逃げ道になってはいけないのだろうし、シュバイツァー博士にとってそうだったように、それがどこかで明日へ立ち向かう力の源泉のようになるはずのものであってほしい。ぼくもこれらの美しいものから力を貰って、また明日から自分のリハビリをはじめとして、各国からの留学生のサポートなど今、自分に出来ることを精一杯やっていきたい。



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 *上の二枚の写真もスマホで撮りましたが、最近のスマホの写真は大分優れものになってきていて、そこそこの大きさまでなら空気感も感じられて…。ここのところ中々気力がでなくて、街にもちゃんとしたカメラを持って出られないなどスマホ頼りになっていたんですが、また少しづつ愛機を持ち出したいと思っています。
 

 **逃げ道といえば19世紀の初頭から中頃までの30年余りの短い期間、反動的政治にうんざりして心の中の逃げ道をさまようような時代がありました。

 ウィーンやベルリンを中心としたそのビーダーマイヤー時代(Biedermeier)と呼ばれる戦争と革命に挟まれた時代の中では家庭回帰、日常回帰そして小市民的な文化が生まれましたが、後世からは「つまらない時代」と見なされていました。

 確かに絵画は凡庸な感じがするし、題材も情熱的とは言えない日常的なシーンにあふれています。しかし、その中ではカフェ文化が生まれビーダーマイヤー様式と呼ばれる家具や食器などが生まれています。それらは今までの装飾的なデザインから脱却したシンブルなデザインを基調とするモダン・デザインの源流の一つとなっています。そういう意味ではビーダーマイアー文化は単なる逃げ道の文化ではないと思っていますが。

 ぼく自身が凡庸で日常生活の些末なことに目が向くタイプなので、この時代に何となくシンパシーを感じていますが、ここのところ少しづつビーダーマイヤー時代が文化的に評価されてきているような気もして嬉しいです。転換の契機が反動からの逃げ道であっても、それによって今まで気づかなかったような美の新しい面を掘り起こしたというのは、それはそれで評価されていいと思うのですが。

 
  [about Biedermeier]
ビーダーマイヤー現象
静謐と熱情と ~German Trip 2~
つまらない時代 ~ウィーン~



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花と猫と青空 [猫と暮らせば]

花と猫と青空

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 家の出窓の外に植わっている花海棠(はなかいどう)の花が満開になった。昔、母を連れて近くの植木の町安行(あんぎょう)に行ったとき苗木を買ってきて植えたものだ。植木屋は八重桜のようなきれいな花が咲きますよと言っていたけど、植えてから数年はさほど咲かないで良くは覚えていないけど木が大きくなった数年前から春になると見事な花をつけるようになった。

 咲く時期はソメイヨシノの桜が散ったころ、八重桜と同じころ咲くので通りすがりの人は八重桜かと思っている人もいるかもしれない。花海棠は海棠の一種で元々は実海棠が中国から渡ってきたらしい。リンゴの木の親戚筋にあたる木で、リンゴ園ではリンゴの木の授粉用に植えられている場合もあるようだ。花海棠に実がなることもあって、それも食べられるらしいけど、ウチの木に実がなったのを見たことはまだない。

 去年の春、猫のハルがウチに来たばかりの頃この花海棠が咲いたのを「わ~咲いたね」という感じで身を乗り出して見ていたのが印象的だった。(下の写真) ハルの身体もその時と比べるとずいぶんと大きくなったけど性格は子猫のままだ。今年も花海棠が咲くと不思議そうに出窓に座ってみている。時々鳥たちがやってくるのも面白いのかもしれない。

 ウチの出窓には網戸が付けられているので陽のさす加減で花が良く見えないこともあるけど、網戸がまるでシルクスクリーンのようになってかえって絵のような効果を生むのでぼくは好きだ。出窓の猫とスクリーン越しに見える花と青空、ぼくの好きなものが一つの画面に収まって見ていても心が和む。実は昨日大学病院に行ったら、三度目の嗅覚の手術を勧められて気落ちしていたのだけれど、何だか少し心が落ち着いた感じがする。


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桜咲く [gillman*s park]

桜咲く

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 さまざまの事 おもひ出す 櫻かな (松尾芭蕉)

 日本人は桜を見るとなぜか感慨深くなるようだ。ぼくもその例外ではない。満開の桜を見たときいつも心に浮かぶのは西行法師の「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」という歌と、この松尾芭蕉の「さまざまの事 おもひ出す 櫻かな」という句だ。特に芭蕉の句は俳聖らしくないと言えるほど、直截に感慨を述べているところが逆に気に入っている。

  芭蕉は元は下級武士で伊賀上野で侍大将の藤堂良忠に仕えていた。その良忠が25歳という若さで急逝した。その時芭蕉は23歳。それがきっかけかどうかはわからないが、芭蕉は藩も武士の身分も捨て俳諧になった。その芭蕉が二十数年後に故郷伊賀上野を訪れた際にこの句を詠んだと言われている。芭蕉は藤堂家の花見の席によばれ、そこでこの句を詠んだらしいのだが、藤堂家は以前仕えていた良忠の息子の藤堂良長が当主になっていた。芭蕉は既に四十歳半ば、万感の思いだったのではないか。

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 桜が咲くと若いころはただ浮かれていたけど、歳をとってくるとそういう気分ばかりではない。もちろん心が華やぐのは以前と変わりないのだけれど、桜が長い間に自分の中で巡りくる季節のひとつの象徴のようになっていることに気が付く。あと何回この桜が見られるかな。そんな言葉が頭の後ろでささやかれているのを感じる。そして桜はあっという間に過ぎてゆく「時」の象徴にもなってゆく。

 結婚三十年を記念してこの公園に桜の苗木を植えたのは2006年のことだった。背丈よりも幾分か高い、か細い枝の何となく頼りなさそうな若木だった。その若木が今では春になると見事な花を咲かせその下でお花見ができるほどの立派な桜に育った。昨日もその桜の木の下でお花見をしたのだけれど、時折吹く強い風が寒いくらいに感じられた。強い風に花をつけた桜の枝が大きく揺さぶられていたけれど、しっかりと根をはった桜の木はもう若木の時のように木全体が揺れ動くことはない。

 今年の桜は比較的花の持ちが良い。開花してから暫く肌寒い日が続いたのが幸いしたのか。それでも、まぁ桜はいつものように駆け足で去ってゆくことに変わりはない。桜が駆け抜けていった後の気分をぼくは勝手にサクラ・メランコリーと名付けているんだけども、救いといえばその後に今度はまぶしいような緑の季節がやってくることだ。それを目にすると、また明日からやってくる新たな「さまざまの事」に立ち向かおうという元気が戻ってくるような気がする。



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 *今いろいろなところで、かつて一斉に植えられたソメイヨシノがその寿命を迎え問題になっているようです。と言ってもソメイヨシノの寿命が本当に人間の寿命と同じくらいなのか、それは恐らくソメイヨシノの木が全ていわばクローン的存在であるところからきているようですが、まだ新しい品種なので本当のところは判らないようでもあります。

 一般的には植物自体にはそんなに明確な寿命というものはないみたいなので、ほかの品種の桜の古木のように千年桜にならないとも言えないのでは…。

 公園の桜に目を取られていましたが、丘の裏側には艶やかなツバキの花がまだしっかりと咲き乱れていました。それはまた桜とは違った感慨を与えてくれました。

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< Ansicht 05 SAKURA Chronicle >

咲いたね/2018
月に叢雲、花に風/2016
Sakura Melancholy/2015
さくら時計/2015
感性の復讐/2013
約束の花Sakura/2013
死ぬなら今だ/2010
花冷え/2010
さくら散る頃/2008
桜吹雪 移動祝祭日のように/2008
さくら さくら/2008
薄墨色の桜/2007
桜散る/2006
桜吹雪/2006
病院の桜/2006
夕暮れの桜/2006


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猫の気持ち [猫と暮らせば]

猫の気持ち

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 一般に飼い主との関係は「犬は主従」、「猫は親子」の関係に近いというが、確かに猫なんかわがまま放題のドラ息子という感じもして、そうかなという気もするが実際にはもっと複雑だと思う。小さいときに一緒に暮らしていた犬とは時々兄弟のような感覚になったし、なんとなく向こうもぼくに対してはそういう感じの接し方だったと思う。ウチの三匹の猫をみただけでもぼくとの距離感、関係も微妙に違っている。

 ぼくはペットや動物を過剰に擬人化するのはあまり好きじゃないけど、動物と一緒に暮らしていると、誰でも彼らの「気持ち」というものを感じる瞬間というのが一度や二度ではなくあると思う。勿論それはぼくらのいう「愛情」とか「憎しみ」とか「嫉妬」とか「羞恥」等と全くのイコールではないかもしれないけど、それは「本能」や「習性」を超えたそれ以外の何物かであるということは直感できる。こんな、いわば生き物の種の壁を越えたような共感の一瞬というのも動物と暮らす醍醐味の一つでもあると感じている。

 以前読んだ本でオランダの動物学者であるフランス・ドゥ・ヴァールの著書「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」はそういう意味でもとても面白い本だった。彼は霊長類の社会的知能研究における第一人者で、この本の中でも今までの動物学者が動物の行動の全てを「本能」や「習性」または「刺激→反応」で説明しようとし、また説明しきれるとしていた姿勢を強く批判している。

 彼によれば、今までの動物の認知能力の認識の多くがその動物のある一部だけを見ていて、研究者自身がその動物の全体像を知らない為に意味のない実験をしたり、そもそも認知能力が無いという前提で行われたりしているケースも多いという。例えば、人間はほかの霊長類と比べて顔を認識する能力が別格に優れており、チンパンジー等はその能力は高くないと言われていた。

 しかし、その実験は人間の顔は男女を含め個人差が大きいからという理由で人間の顔で行われていたことに誰も疑問を抱かなかった。だがある時アトランタにある国立霊長類研究所の職員がチンパンジーの顔写真を使ってチンパンジーをテストすると彼らは素晴らしい結果を残した。今ではチンパンジーの顔認識能力は人間に一歩も引けをとらないし、顔認識能力は人間だけでなく他の動物も持つ能力だと広く認められるようになった。

 そんな認識は、犬猫とくらしているぼくらにしてみれば当たり前のことなのだけれど、多くの動物学者は条件反射のパブロフの犬的動物観(もしかしたら宗教的世界観もあるかもしれない)から長いこと抜け出すことができなかった。もちろんその対極には動物の行動を過剰に擬人化させるもう一つの呪縛された動物観があったことも否めない事実なのだけれど。あのチャールズ・ダーウィンはさすがと言おうか、こういう言葉を残している。「ヒトと高等動物の心の違いははなはだしいとはいえ、それはあくまで程度の問題であって、質の問題ではない」(同書のプロローグより)


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 …と、長々と落語で言えば「枕」の話をしたのは昨日の晩モモに起こったことをどう解釈していいか迷っていたので、そこに繋がりやしないかと思ってのことだ。モモはいつも夜は寝室でぼくの脇に寝ている。真冬の寒い日の夜明け前などには布団の中に入ってくることもあるけど、普通は布団の上に寝ている。昨日の晩もいつものようにそうだった。

 ぼくは歳をとってから夜中に少なくとも一回はトイレに行くことが多い。昨日も夜中になってトイレに行きたくなり、モモを起こさないようにそっと布団をめくってトイレに行った。そしてトイレに座ったと同時くらいに、寝室の猫ドアを跳ね上げる大きな音がしてモモがすっ飛んできてぼくの目の前に立ってじっとぼくのほうを見ている。

 「どうしたの? 起きちゃったの?」と言ってもぼくの方をじっと見つめたまま。「大丈夫だよ、どこへもいかないから」 トイレを済ませてまたベッドに戻ると、モモもついてきてぼくが布団に入ると慌ててモモも布団に入ってきてぼくの腕にしがみついた。力が入っていてモモの爪がちょっとぼくの腕に食い込んで痛い。なんか必死にしがみついている。怖い夢でも見たのかもしれないと思ってそのままにしておいたら、暫くしてフッと爪の力が抜けたのでモモがまた眠りについたのが分かった。

 と、まぁ、これだけのことなのだけれど、このことがぼくにあることを思い起こさせた。ぼくは小さい時、日本ではほかの家庭でもそうだと思うけど、母の布団で一緒に寝ていた。母から聞いたこともあるし、自分でもいやにはっきりと覚えているのだが、その頃真夜中にふと目が覚めると急に不安感に襲われ突然「母ちゃん死んじゃいやだ!」と母の腕にすがりついて泣いたという。子供心に親が居なくなる恐怖心を持っていたのかもしれない。
 
 昨日のモモの振る舞いがそういうものだという気はないし、その論理的な根拠もないのだけれど、夜中にモモが真剣な面持ちでぼくを追いかけてきたとき、昔母がそう言ったように、思わず「大丈夫だよ、どこへもいかないから」という言葉がぼくの口から出たということは、ぼくの方にはきっとモモは夢の中で昔のぼくみたいに不安感に襲われたのかなという思いがあったのだろう。それはきっとぼくの方の誤解か錯覚なのかもしれないけど、なんか猫の気持ちが少し理解出来たようでちょっと嬉しくなった。

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 *もちろん猫や犬の本能や習性を知ることは、それを無視して彼らに不快な思いをさせたり、不幸せな目に合わせたりしないためにも必要なことだとおもっています。しかし一緒に暮らしていればその土台の上に各々の個性や性格というものがしっかりと存在しいることに容易に気づくはずです。古典的な動物学者にはその視点が抜けていたようです。

 フランス・ドゥ・ヴァール氏の著書を読むと今までの動物学者がその動物を実験の対象としてしか見ておらず、まずその動物そのものをよく理解しようとしていなかったことに端を発していたように感じます。著書自体は学術的で冗長に感じられる点も多く決して読みやすい本ではないと思いますが、もし興味があれば読んでみてください。

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「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」
 フランス・ドゥ・ヴァール著
 紀伊国屋書店 2017年



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記憶 [新隠居主義]

記憶

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 あれから、もう八年経ったのか、八年しか経っていないのか3月11日が来るたびに時の流れを振り返ることになる。その度に頭をよぎる映像の記憶に戦慄が走る。押し寄せる津波に飲み込まれる街並み。テレビの画面を「南三陸町全壊」のテロップの文字が横切ってゆく。

 その映像は9月11日テレビを見ていた時に目に飛び込んできたあのニューヨーク9・11の摩天楼に激突する旅客機の映像とともに生涯忘れられない記憶としてぼくの脳裏にも刻み込まれている。それらの記憶は忘れてはならないのだけれど、それが同時にそれを実際に体験した人を今日も苦しめていることも間違いのない事実だ。

 テレビであの「南三陸町…」の光景を見たとき余りの凄まじさに直ぐにはそこに思い至らなかったのだけど、そう言えばワカメのあのお店は南三陸町にあった筈、お店やお店の人は大丈夫だろうか、と思い始めた。それは母が昔からことあるごとに魚介類やワカメを取り寄せていた南三陸町にある鮮魚店のことだ。昔は電話で注文を取っており、電話口にでる女性はいかにも朴訥な東北の感じがする家庭的な店だった。

 それが時とともにファックスで注文を受けるようになり、それからネットでの販売に発展し、南三陸町でも最も成功した鮮魚店になっていた。その店のことがとっさに浮かんだ。その直後から連絡を取ったけど、もちろん繋がることはなかった。あの津波でお店も工場も全てが流されてしまったこと、幸いお店の方は無事であったことなどを知ったのはずいぶん後になってからのことだ。

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 震災以降ぼくの記憶はあの津波のシーンで止まっていた。しかし、当たり前のことだけれども被災地では何一つ止まっているものはなく、もがき苦しむ戦いが始まっているはずなのだ。翌年の冬、やっと南三陸町を訪れてぼくの記憶は動き出したのだけれど、それはあの津波の記憶に覆いかぶさるようなさらに強烈なものだった。現地で聞いたいろいろな話も忘れることができない。ぼくの記憶はさらに重くなっていた。

 記憶には忘れてはいけない記憶と塗り替えてゆくべき記憶があるような気がして、自分の中では今もそれは峻別できていないけれど、とにかく時が止まったようなあの津波の記憶を動かして、その後に何がどうなったかという新たな記憶を積み重ねていってぼくの頭の中の記憶のバランスをとる必要があるような気がしている。


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東京バラード、それから [Ansicht Tokio]

東京バラード、それから

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 ■ 東京バラード、それから

   東京では 空は
   しっかり目をつぶっていなければ  見えない
   東京では 夢は
   しっかりと目をあいていなければ  見えない

    (谷川俊太郎 「東京バラード、それから」巻頭の詩)

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  たかだか七十数年の人生だけど、今まで東京が大きく変わる節目を何度か目にしてきた。毎日少しづつ変わっているから余り気が付かないのかもしれないけれど、一定の期間を置いて見るとその変化の大きさに驚く。その中でも全体が短時間に大きく変わっていった時期というのもあるような気がする。

 ぼくは勝手に「土の時代」と呼んでいるのだけれど、ぼくの子供の頃は東京でも自分の身の回りのどこにでも「土」があるのが当たり前だった。小津安二郎の「東京物語」に出てくるような下町の千住に住んでいたんだけれど、自分の家の前も含めて身の回りはどこも土の地面ばかりだった。道路も敢えて舗装道路と言わない限りそれは砂利道か踏み固めた土の道のことだった。雨が降ればぬかるみになるから長靴は必需品だった。

 そんな状況が大きく変わってきたのはやはり1964年の東京オリンピックあたりからだと思う。と言っても目に見える急激な変化は都心周辺が主で下町に「アスファルトの時代」がやってくるのはそれからずっと後だったと思う。ぼくが結婚してからずいぶん経って下町から少し離れた東京の縁(へり)に引っ越してからも雨が降ると家の前の道がぬかるみになる状態はしばらく続いていた。

 それでも変化は着実に進んで、気が付いたら身の回りで「土」を目にすることが無くなった。近所の公園も最初は水たまりのできる散歩道があったのだが、今はそれも舗装されてしまっている。そして気が付くと東京全体から「土」が姿を消して、地表は固い鎧のような舗装材に覆われて「アスファルトの時代」になっていた。


 最近放送されているNHKスペシャル「東京Reborn」のシリーズをみていると、これから東京はさらに大きな変化をとげるようなのだ。都市は湾岸ベイエリアといわれる東京湾側に浸潤し、大深度地下と超高層という三次元の広がりをみせてゆく。この都市は今、「土の時代」から「アスファルトの時代」を経て、「モグラの時代」かつ「鳥の時代」へと移りつつあるようだ。

 しかし、心配なのはそこには新宿や渋谷や湾岸地域といったエリアごとのデザインはあっても東京全体の構想といったものが見えてこない。かつて、ウィーンはちょうど江戸から明治に変わる頃ハプスブルク家の統率の元、不要になった城壁の跡にリング通りを創り、リング内の公共の建物を一新する大改造を行い今の姿になっている。パリも江戸末期にナポレオン三世の元、確たるグランドデザインに従ってやはり大改造がなされて今日に至っている。

 もともと東京は江戸時代に徳川家康が壮大な構想の下に作り上げた計画都市でもあった。そして大正時代の関東大震災の後、五藤新平が東京大改造をデザインし着手したが、これは未完に終わってしまった。ある意味では今の東京は一つのコンセプトで設計するには巨大で複雑な生き物に肥大化してしまったのかもしれない。

 「東京Reborn」は未来に対応する壮大な実験なのかもしれない。新たなエネルギーを秘めた世界に類のない都市を実現しようとしているようにも見えなくはないのだが、東京を今も「故郷」として愛している人間にとっては、それは何ともリスキーでいろんな人間が好きなようにいじくりまわしているようにも見える、というのは年寄りのひがみなのだろうか…。

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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その36〜 [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その36〜

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  ■ 猫は、心地よさの鑑定家だ。 (ジェイムズ・ヘリオット)
  Cats are connoisseurs of comfort. ~ James Herriot〜 


 七年程前にも一度このアフォリズムは取り上げたのだけれど、イギリスの獣医で作家のジェイムズ・ヘリオットの言葉だconnoisseurs(コナスアー:発音は難しそう)というのは、別の日本語で言えば「通(つう)」とか「目利き、うるさ方」という表現がぴったりするのかもしれない。

 ウチの猫たちも、心地よさのうるさ方と言う点では引けをとらない。それぞれが複数のお気に入りの心地よい場所を持っているし、それだけでは満足できずぼくやカミさんが心地よさそうにしていると、当然という顔をしてその場所の明け渡しを要求する。

 モモも家の中に何か所かお気に入りの場所を持っているのだけれど、彼女の場合それだけでは飽き足らず環境に手を加えて自分用にしてしまうという才能というか執念を持っている。

 居間にちょっと大きめの黒皮の椅子があるのだけれど、その背もたれの上でまったりするのがモモのお気に入りだ。その椅子の不安定な背もたれの上で何度もぐるぐると回って背もたれにくぼみを作りそこにハマりこむようにして寝るのだ。最初のうちはモモが降りるたびに背もたれの形を戻していたのだが、最近はそれも諦めた。

 モモがそこに寝ると、まるで椅子の一部になったみたいでそこに居るのに気が付かないことが良くある。ご飯の時に散々大声を出して呼んだら目の前の椅子に同化していたということも多い。

 ハルは窓辺のソファの上が好きだ。冬のうららかな陽を全身にあびて大きく伸びをする姿を見ていると、何となくそれを見ているぼくの心も伸びをしている。

  昨年から色々なことがあり過ぎて硬く凝ってしまったぼくの心をやんわりと揉み解してくれるような…。今は猫たちから少しづつ、心地よさの秘密を伝授してもらっているところだ。


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別れの曲 [新隠居主義]

別れの曲


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 昨日の朝、食事を終えて日本語学校に行く準備をしながら、ふとスマホの画面に目をやると一件の着信履歴が目に入った。食事の時はスマホを書斎に置いていたので気がつかなかったようだ。

 見ると、いとこの息子からだった。彼には泊まりがけで家を留守にする時などには猫の世話を頼んだりして世話になっているけど、向こうから電話がかかってくることは滅多にない。何だろうと訝りながら電話すると、昨日の夜、いとこが急逝したという訃報だった。

 いとこと言っても、子供の頃からずっと近しく育った女性のいとこのダンナだから義理のいとこなのだけれど、近所に住んでおり歳も同い年、それに音楽や落語や酒など趣味も一緒で一番気の合う親戚だった。昨年末にも忘年会をしてその時も楽しいひと時を過ごして別れた。

 それが突然の訃報。取るものもとりあえず、彼の自宅に向かうと病院から搬送された彼の遺体が和室に寝かされていた。枕元には好きだった焼酎の一升瓶とその日の朝刊に老眼鏡が添えられて置かれていた。彼の顔はこの前分かれた時のままで、今にも起きて話し出しそうな感じがした。聞けば半月くらい前、突然末期がんを宣告され余命いくばくもないことが判明したらしい。

 居間は彼が暮らしていた時のままに、彼が座っていたソファやテレビのあたりには音楽CDやDVDなどが山積みにされていた。ぼくと話しながら息子が部屋に残されていた郵便物や書類に目を通しているうちに、それらの間から一枚の封筒がでてきた。その封筒の中を見てみると何枚ものコンサートのチケットが入っていた。それは彼の好きなクラシックの演奏会の切符だった。

 今年の三月から九月にかけて行われる室内楽シリーズのコンサートの切符で、コンビニのチケット販売機から買ったものだ。買った日付を見ると、恐らくは彼が末期がんの告知を受ける直前に買っていたと思われる。その時点ではその未来の日付は彼にとっても確実な未来に見えていたに違いない日々なのだ。そのことを思うと胸が苦しくなった。

 そのチケットは結局ぼくが貰い受けてそれらのコンサートに行くことにした。残された家族もそれが彼の供養にもなるからということだった。もちろん、ぼくにだってチケットに書いてあるその未来の日付が確実に保証されているという訳ではないのだけれど…。何度か彼とコンサートに行ったこともあるけれど、今度は彼の想い出を胸に秘めて一人で聴くことになる。これからのコンサートの演奏はぼくにとっては彼との長い、長い別れの曲になると思う。



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日課力 [新隠居主義]

日課力

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 今年の自分のテーマは「日課力」ということにしている。ぼくはスポーツ番組はあまり見ないし、オリンピックにもさして興味はなく毎回アテネでやればいいのに位に思っているのだけれど、アスリートというものには強い畏敬の念を持っている。それは彼らが金メダルをとったり、優勝したからというより、背後で彼らを支えている「日課力」みたいなものを感じるからだ。

 彼らは優勝しようが、金メダルをとろうが翌朝の早朝にはもうランニングやトレーニングを始めている。彼らはそれなしにはどんな夢にも近づけないのを身をもって知っているから。もちろん才能と資質がなければ一流のアスリートにはなれないのだけれど、それだけでは十分ではない。それに加えて夢を設定する力とそれを日々の日課におとしこみ実践してゆく力がなければならない。

 それは時にはチームとして取り組むこともあるだろう。目標を設定してそれに向かって最終的には日々の行動レベルまでにステップ化、線表化してゆく。しかし実践するのはあくまでもアスリート自身なのだ。考えてみればこの目標を設定し、それを線表化し実践してゆくというのはビジネスでも同じことなのだ。自分もサラリーマンの現役時代には当然のこととして行っていたはずのものだ。

 やるべきことのリストである「ToDo」(もしくはタスク・リスト)やスケジュールそしてメモ書き文書管理などはずっと昔からZAURUS(シャープ製の電子手帳、後半期はLinaxで動いていた携帯端末)の時代から電子化していたので、日々のやるべきことを緊急性と重要性で類別し優先順位をつけてそれを時間刻みのスケジュールに落とし込んでいた。当時のToDoリストには常時100以上のアイテムが並んでいたと思う。尤もそんな生活が嫌で、はやいとこ抜け出したいとは思っていたのだけれど…。

 その頃の習慣でかToDoリストは今でも使っている。見てみたらリストアップされている項目数は300くらいに膨れ上がっていた。ただし、昔と違うことは昔は「やらなければならない」事柄が列挙されていたが、今は「やりたいこと」の項目が多くなっているし、何よりも忘れやすくなった頭をサポートする役目を果たしていることだ。それは少なくとも、ボーッとして何か大事なことを忘れているのではないかという年寄りの強迫観念から解放してくれるのだ。

 で、日課の話に戻るのだけれど、サラリーマンを辞めてからは大学院に行っていた時期以外は目標管理なんぞとは縁のない生活をしていたのだけれど、昨年春に歩けなくなってしまってから、とりあえずは旅行に行けるくらいは歩けるようになることを目標にしてアクションせざるを得ない状況に追い込まれた。リハビリの先生の指導でやるべきことは段々明確になってきた時点でそれをスケジュールに組立、日々の中でこなしてゆくことが不可欠になった。ということで回りくどくなったけど、今は自分自身の「日課力」が問われている感じだ。


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 *何か具体的な目標を設定すると、ステップや期日やモチベーションなどと言うものについて明らかにしてゆかないといけないので、急に頭が回り出したりして目が前に向くような感じがします。と言いつつ、目標ができるとじっとしていられない貧乏性な自分の性みたいなものにあきれています。

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Déjà-vu No.12 旅先の光 [Déjà-vu]

Déjà-vu No.12  旅先の光

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 ■ …子供のころ、たまらなくどこかへ出かけたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなにむずむずしなくなるよ」といったものである。年齢からいって大人の仲間にはいると、中年になればおさまる、とのことだった。いざ中年になると、こんどは「もっと年をとれば、その病はなおる」といわれた。いま五十八歳だから、これだけ年をとれば、だいじょうぶなはずである。ところが、病はいっこうに治らない…
       (ジョン・スタインベック 『チャーリーとの旅』/大前正臣訳) 


 きっとそんなに長い間ではないのだろうけど、自分としては、もう長いこと旅をしていない気がする。ジョン・スタインベックの小説に上のような部分があるのだけれど、ぼくは70も過ぎたというのに今でも旅の「むずむず」は治らないみたいだ。もう五十年近くも昔、まだ二十歳を少し過ぎた頃ロシアとヨーロッパを抜けてアフリカのカサブランカに行くと決めたとき叔父の一人に「この子は何をやりたいんだろうねぇ…」と訝られたことがあった。

 それは今思うと最初の「むずむず」みたいなもので、自分でも抑えることのできない何かの衝動だったのだろうと思うし、説明しろとか、目的は何だとか言われても答えることができないものだったのだとも思う。とはいえ、その「むずむず」の中身は歳と共に変わってきてはいるようだ。

 若い時のように動き回って何かにぶち当たるのを期待しているようなことは余りなくなった。もちろん体力がなくなってきたこともあるのだけれど、今は動き回るよりも何か新しい「居心地の良さ」みたいなものを探しているような気がする。じゃあ、今が居心地が良くないのかと言うとまったくそういうことはないし、その証拠に旅に出たとたんに後悔して家に帰りたくなる。

 だから、旅の途中で居心地の良い居場所が見つかれば例えば飲み屋やカフェや公園など、あとは動き回りたくなくなるのだ。それを旅と言うかどうかは、よくわからないけど、そういう風に「むずむず」の中身は変わってきた。


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 そういう風に「むずむず」の中身が変わってきたのは歳のせいもあるけれど、その土地を楽しむやり方が若い時のようにただ動き回るのではなくて、どこか居心地のいいところに落ち着いて味わう、その土地の音や匂いや空気、光の移ろいなどをぼんやりと時の過ぎるままに、その中に身を任せて味わうという風に変わってきた。まぁ、半分は怠惰になった言い訳なのだけれど…。

 でも、そうするとちょっと困ったことになった。その土地を味わう一つの大事な要素である匂いが全く分からなくなってしまったことだ。普通、旅に出てその土地の駅や飛行場に降り立った時、真っ先にその土地、その国特有の匂いがぼくたちを襲う。それはある意味でぼくたちに「さぁ、きみの感覚のアンテナをはりなさい!」という合図でもあるのだ。その次にその土地の音が、そして光がやってくる。それが無い。

 以前旅したベトナムやカンボジアはその土地に着いた途端に本来は色々な匂いが洪水のようにぼくらを襲うはずなのだけれど、それがない。その時には既に嗅覚が失われていたから旅に現実味がないのだ。 とまぁ、嗅覚を取り戻す努力はしているけれど、失くしたものを嘆いているだけでも仕方がない。でも、昔の旅の写真を見ていたらぼくにはまだ光が残されていることに気が付いた。

 匂いと同じように、その土地にはその土地の光がある。しかもそれは同じ場所に居ても常に移ろっている。もしかしたら、今まで嗅覚に振り分けていた関心と感性を光の方に注げば、今までとは異なる「居心地のいい場所」を見つけることができるかもしれない。しかも、匂いは記憶の中にだけ残りえるけど、光は努力すればその一部を写真と言う形で残してまた後日味わうこともできるかもしれない。これからは今まで見逃していた旅先の光により目を向けようと思う。もちろん、嗅覚が戻ればそれに越したことはないのだけれど…。



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断捨離 本 [新隠居主義]

断捨離 本

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 断捨離で結構大変なのが本。大体の本は一回読んだらそう何回も読み返す訳ではないのだけれど、なんかの時にまた読みたくなったり、調べ物に使ったりなんて、実際にはそんなにありそうもない理由で処分できないで本はどんどん溜まって行く。ぼくは特別熱心な読書家という訳でもないのだけれど。それでも時間が経つうちにいつのまにかそういう事になっている。

 

 というわけで一年前に意を決して本の断捨離を始めたのだけど、整理しているうちに処分する筈の本をまた読み出したり、30年分溜まった文藝春秋や20年分の「新聞ダイジェスト」などを捨てるのはもったいないかなぁ、と迷ったり。(挙句やっぱり捨てたのだけれど) なんだかんだ結局一年くらいかかってしまった。

 

 最後には残す本は大きめの本棚二ヶ所に入るだけ、あとは処分すると残す量を決めてからは断捨離がスピードアップした。残った本を詰め込んだ本棚を見ると、一ヶ所は殆どが画集、もう一ヶ所が古典的な文学作品だけになった。本当は古典作品こそ今では青空文庫などでいつでも読めるんだけど、きっと本自体に何か愛着があるみたいだ。

 

 画集の方は、画集といっても、ごく一部の作家の画集を除いては殆どが訪れた美術館や展覧会の図録が主だ。理由は実際に自分の目で実物を見た作品について、覚えておきたいしやはり実物を見ているから後で印刷物である図録を見ても頭の中に残っている印象で補正して思い出して見られるという利点がある。

 

 以前は先に図録を買ってから作品を観てまわったのだけれど、最近はどの展覧会でも会場のベンチなどに置かれていることが多いので、それも見ながら色味などの誤差を頭に入れるようにしているのだけれど、会場は照明が暗いことも多いので結局買った図録を帰り道のカフェなんかで忘れないうちに記憶と比べたりしている。

 

 本当は展覧会では気になった作品は何十分もその前に佇んで眺めていたいのだけれど、そうもいかない。トーハクや国立西洋美術館そして海外の美術館の常設展などはそれができるから嬉しいのだけれど、特別展はそうもいかない。とりあえず、気になった作品は頭の中でマークしておいて、後でもう一度じっくり図録で見た時に実際に作品を見た時の記憶が蘇るようにしておきたい。

 

 画集で見たことのある作品を初めて実際に見ると写真写りの良い作品とその逆の場合があったりして、その度にやはり実物をみないとダメだなぁと思う。もちろんその絵の真贋なんかはぼくには分からないけど画集などの写真だけでは伝わって来ない何かが実物にあるのは確かだ。

 

 有り難いことに最近は海外のいろいろな美術館がパブリックドメインを設けているので、ネットでも美術館の所蔵作品の質の高い映像を見られるようになってきた。タブレットなどで気軽に見られるようになったのは嬉しいのだけど、コーヒーを飲みながらゆったりとした気分で画集のページを繰る楽しさはまた格別なのでそれはそれでとって置きたい気がする。

 


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真夏の夜の夢 [新隠居主義]

真夏の夜の夢


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 数年前に二度目の手術をしたのだけれど、結局嗅覚は回復せず嗅覚ゼロの生活が当たり前になっていた。耳鼻科には定期的に診てもらってはいるのだけれど前の病院の医者も今の大学病院の医者も嗅覚が戻ることについてはあまり期待しない方がいいという意見だった。と言う訳で医者に引導を渡されたようなもので嗅覚については諦めていたのだが…。

 それが去年の初夏のある日、猫の飲み水を替えてやるために水道の水を蛇口から出している時にふと「あ、カルキの匂いがする」と思った。でもそういうことは良くあることで、その時は幻聴ならぬ幻嗅かとも思った。というのは嗅覚がゼロになってからも、例えばテレビを観ていて火事の場面などになると焦げ臭い匂いがしたり、マッチを擦る場面では硫黄の匂いを感じたりということがよくあったからそれかと思っていた。

 ところがそれからカルキ臭はもちろん、手を消毒するアルコールの匂いや、ほうじ茶そして赤ワインの香りまで微かに感じるようになったので、これはもう幻嗅ではないと確信した。それで定期的な耳鼻科の通院の時にそのことを医者に話したら(今通っている大学病院の耳鼻科は行くたびに担当医が変わる)自分の経験でも3~5年のレベルで回復した例もあるので頑張りましょうと言ってくれた。前の医者とはまるで違う意見だった。

 その医者が言うには脳の方の嗅覚領域も活性化させることが大事なので、毎日色々なアロマやお茶などの香りを嗅いで嗅覚リハビリをすることが大切とのことだった。足腰のリハビリに加えて嗅覚のリハビリまでと思ったけれど、こちらの方は辛いことは無いし、感じられる匂いが増えるのはうれしいことだから仕舞い込んでいた、お茶やお香やアロマオイルを出してきてリハビリセットと称して机の脇に常備した。

 そのおかげもあってか夏の終わり頃にはかなりの種類の匂いが嗅ぎ分けられるようになってきた。このまま行けば元通りとはいかないまでも日常生活には支障はないし、今の程度でも十分満足と思っていたところに母が亡くなった。その時は自分の体調も良くなかったのだけれど、その後母の葬儀などが続いて疲れが溜まっていたこともあってか歩くこともままならない程身体の各所に痛みが出て最悪の状態になってしまった。

 四十九日や納骨など母に関する事々も少し落ち着いたら、季節は秋を通り越してもう冬の入り口に差し掛かっていた。その間は嗅覚リハビリどころではなかったけれど、気が付いたら嗅覚はまたもとのゼロに戻っていた。いつからというはっきりとした記憶は無い。耳鼻科に行くとまた違う医者が出てきたが今度はあまり嗅覚については触れたくない感じだった。

 と言う訳で、今は元通りの嗅覚ゼロに戻ってしまっている。本当に一瞬の間だけ、それこそ真夏の夜の夢のように嗅覚が消えていった。いっとき、儚い望みを持っただけに余計去って行った嗅覚が恨めしく思えるけど、これも自分の人生の一部として受け入れざるを得ないなぁ。


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距離感 [猫と暮らせば]

距離感

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 唐突だけれど、「距離感」という言葉には文字通り地理的な距離の感覚を表す場合もあるし、時には心理的な隔たりを表す時にも使われると思う。地理的な距離感で言えば距離の感覚って人によって違うんだなぁと実感したことが何回かある。一度はまだ子供の頃夏休みに父の実家の田舎に行ったとき同世代の従兄が近くの学校に遊びに行こうというのでついていったことがある。

 「すぐ近くだ」というのでついていったのだけど、いくら歩いても一向に着かない、結局子供の脚で一時間近く歩いたような気がする。「遠くて近くは男女の仲、近くて遠いは田舎の道」という格言を知ったのは遥か後の大人になってからのことだ。もう一度はやはり子供の頃近所の油屋のシロちゃん達と荒川土手に遊びに行った時のこと、しばらく土手で遊んでからシロちゃんが「近くに親戚の家があるから行こう」と言い出して、じゃあそうしようということになって歩き出したのだけれど、やっぱり一向にたどり着かない。その時はいつまでたっても子供たちが帰ってこないし携帯電話もない時代だから連絡もないので家の方で大騒ぎになっていた。

 距離感ということで言えばもう一つの大事な距離感が人と人との距離感かも知れない。サラリーマン時代でぼくが一番難しいと思ったのは会社の中での人との距離感だった。ぼくの居た会社にも派閥とは言わないまでも有力な人物や上司をとりまくグループみたいなものもあったし、先輩や同期の人間の中でも付き合いの濃い薄いなどもある。一番困ったのは敬意を払っている先輩や上司同士が仲が悪くて、両方から同じ日に飲みに誘われた時などだ。ぼくはある時から、そういう時ははっきりと誰々さんからも誘われています、と言うことにしていた。

 会社等での人との距離感でいえば、ドイツでもそんなことがあるみたいだ。ドイツ語では英語のYOUにあたる二人称が「Sie(ジィ-)=あなた」と「du(ドゥ)=きみ」の二種類があって、その人との上下関係や距離感によって使い分けている。一般的には見知らぬ人や目上の人には「Sie」で、親しい間柄や家族、子供など目下の人には二人称親称単数といわれる「du」を使うのだけれど、神様に呼びかける時にも「du」を使うから、一概に「du=キミ」のように目下とは限らない。

 会社に入ったばかりは多分最初はみんなに「Sie」で話しかけるんだろうけど、時と共に同僚や親しい仲間には「du」で話すようになるのだけれど、そのタイミングは難しそうだ。傍から見るとあいつには「du」で話しかけてるのに、俺には「Sie」かよ…、とか。特に相手が女性なんかだと微妙で難しそうだ。ドイツ語には「duで話していいですか?」とか「duで呼んで頂戴ね」などの表現もあるのでこのフレーズを正しいタイミングで使うのは外国人には難しそうだ。

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 猫にだって、猫同士の距離感、猫と人との距離感がある。ウチの猫についていえば以前はレオモモの距離が近くてクロはどちらからも少し離れていて、モモとクロの雌猫同士のけんかが始まるとレオがとんでいってモモの味方をするという感じだった。

 クロがいなくなってハルが来てからは距離感的にはハルもクロみたいな感じなのだが、違うのはハルとモモが喧嘩していてもレオは仲裁に入らないことが多い。というのもクロと違って仲裁に入ると自分もハルの反撃を受けそうだから。というわけで今は三猫三様等間隔でいる感じがする。

 猫とぼくとの関係でいえばモモはとにかくずっと一緒に居たいという感じで寝る時も一緒だし、ぼくがトイレに入っていても入れてくれと戸の外で鳴いているので、入れてあげると膝の上にのって寝ている。ハルは絶対に膝に乗らないけれどぼくやカミさんがソファに座るとピタッとくっついて座るし食事の時もそばに居る。その時は怖いのでモモは寄ってこない。

 レオはといえば、注文の多い猫で何か言いたいときには寄って来る。大抵は腹が減った、飲み水を替えてくれ、トイレを掃除してくれなのだけれど、膝に乗ったりはしないが気が付くと視線の届く範囲内にいる。付かず離れずのスタンスだ。ハルが来てしばらくは、人も猫たちもそれぞれの距離感を探りながら試行錯誤して生活してきたけれど、ここのところそれが少し落ち着いてきた感じがする。距離感とは生き物が互いに生きてゆく上での知恵かもしれないと思う今日この頃。


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 *昨年はいろいろとありましたが、今年は身体改造をしてアクティブに暮らそうと思っています。本年もよろしくお願いいたします。


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良いお年をお迎えください [新隠居主義]

良いお年をお迎えください


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歳末雑感 [Ansicht Tokio]

歳末雑感

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 写友と(以前は社友でもあったのだけど)恵比寿東京都写真美術館に写真展を観に行った。お目当てはイギリスの写真家マイケル・ケンナの写真展「MICHAEL KENNA A 45 Year Odyssey 1973-2018 Retrospective」なのだけれど、同時に開催されている他の写真展も観る。写真美術館は各フロアで別々の写真展をやっているので、大体常時3つの展覧会が並行している。もちろん入場料はそれぞれに取られるのだけれど、65歳以上だと割引があるので、行ったときは大抵3展全部を観ることにしている。

 ぼく的に言うとここでの写真展の勝率は2勝1敗というところ。ということは3つに1つは??がある。それはぼくにとってということで他の人に当てはまるわけではない。ぼくが単にアバンギャルドなインスタレーション的な写真展示が肌に合わないというだけのことで、ここでは3つに1つの割合でそういう展覧会があるということにもなるのかもしれない。今日の感じも2勝1敗だけど、ケンナの写真展がほんとに素晴らしかったので1敗はチャラどころか、お釣りがくる感じ。

 ケンナの写真展はほんとに素晴らしかったので会期中にまた来たいと思った。美術館を後にして、クリスマスを前にした夜景を見ようということで恵比寿のガーデンプレイスのビルの38、39階に昇った。ぼくは極度の高所恐怖症だから乗ったエレベーターの外が見えるガラス窓も気に入らないし、第一高いところに行くのが嫌だ。

 とはいえ、上がってみるとやはり上から見た東京の夜景はきれいだ。東京タワーが見える39階のデッキにはほとんど若いカップルばかりがいて、じいさまの三人組は正直言って浮いている感じがして、早々に下に降りて反省会と称する飲み食い場を探しに街をうろついた。

 何もない一年なんて、もちろんそんな年は無いのだけれど、それにしても今年はいろいろとありすぎた。人生長くやっているとそんな年も何年かに一回くらいはまわってくる。それも人生の一部だと妙に悟りながら痛い脚を引きずりながら帰途についた。

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母の筆遣い [新隠居主義]

母の筆遣い


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 暑い盛りの母の葬儀を済ませ、あとは夢中で四十九日そして納骨も済ませて少し落ち着いたとおもったら、もう師走になって喪中の挨拶を出すような季節になってしまった。こちらの体調がすぐれないこともあるけど、中々母の遺品整理をする気にもならないのだけれど、この間とにかくどういうものがあるのかだけでも見ておこうと思った。

 洋服や身の回りのもの以外では一番多いのは母の趣味に関するモノ。母は趣味の多い人で、ぼくがまだ子供の頃は日本舞踊と三味線などを習っていたが、晩年になってからは油絵、水彩画、日本画、俳画、書道それに木彫りなどをやっており、いつも何かしら描いていた記憶がある。

 まず、それらの作品が多く残っていることもあるけど、絵の具などの材料を始めまだ使っていない画帳や習字や日本画に使う紙類などが大量に残されていた。その中から書道五段の免状や師範の免状まで出てきて、そういうことになっていたのも知らなかったので、知っていたようでも母のことで知らないことはまだ沢山あったのだなぁと思い知らされた。

 母の生前から家の中には居間の壁などに母の油絵や水彩画などを掛けていたのだけれど、それほど大きい家ではないので飾れる数も限られてしまう。今回何点かぼくも初めて見るし気に入った絵が何点かあるので、季節や時期をみて架け替えてみようと思った。

 今回架け替えたのは三点の絵なのだけれど、その中でも花を描いた大判の水彩画がとても気に入っている。もちろんプロではないので、ひと様の家に飾ってもらうほどのものではないのだけれど、じっと観ていると母の人となりというか、息遣いならぬ筆遣いが語り掛けてくるようで妙に落ち着く。ぼくも元々絵が好きなのだけれど、母の絵が母よりも生きながらえて語り掛けてくるというのは絵が持っている本来の力なのかもしれない。自分もいまに写真でそんなことが出来たらなぁと思った。


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 *ぼくも子供の頃絵を習いに行ったこともあって、母の絵を観ながら、ぼくも母も絵が好きなのにそういえば母と一度も絵の話なぞしたことがないことに気が付きました。もう少しそんな話もしていたらなぁ、とも思いますが親子の間の話なんてそんなものかもしれませんね。



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