おつかれさま [新隠居主義] [編集]
おつかれさま

ぼくは電話が怖いのだけれど、今度もやはり電話は通り魔のようにいきなり襲ってきた。夜中の三時過ぎ、夢の中でベルが鳴っていた。誰かがドアを叩いているようでもあるし、目覚ましのベルが鳴っているようでもあった。それが夢の中でもいつまでたっても鳴りやまないので、仕方なく目を開けた。
気が付くとスマホのベル音が鳴っている。でも、目が覚めると同時にその音が鳴りやんだ。よく焦点の定まらない目でスマホの画面を見ると、母の入所しているケアハウスからの電話だった。その瞬間全てが予感されたし、同時に夢の中にまだいたい気持ちにもなった。でも、それはきっとはかない一縷の希望だったことも知っていた。
危ないと思いながら、もうろうとして、でもしっかりしなきゃと思いながらカミさんを乗せて真っ暗な中を車を走らせた。静まり返った部屋の中で母は静かに寝ていた。体温はあるけど呼吸はしていないことに夜間検温巡回の職員が気が付いて電話をしてきた。

ぼくは電話が怖いのだけれど、今度もやはり電話は通り魔のようにいきなり襲ってきた。夜中の三時過ぎ、夢の中でベルが鳴っていた。誰かがドアを叩いているようでもあるし、目覚ましのベルが鳴っているようでもあった。それが夢の中でもいつまでたっても鳴りやまないので、仕方なく目を開けた。
気が付くとスマホのベル音が鳴っている。でも、目が覚めると同時にその音が鳴りやんだ。よく焦点の定まらない目でスマホの画面を見ると、母の入所しているケアハウスからの電話だった。その瞬間全てが予感されたし、同時に夢の中にまだいたい気持ちにもなった。でも、それはきっとはかない一縷の希望だったことも知っていた。
危ないと思いながら、もうろうとして、でもしっかりしなきゃと思いながらカミさんを乗せて真っ暗な中を車を走らせた。静まり返った部屋の中で母は静かに寝ていた。体温はあるけど呼吸はしていないことに夜間検温巡回の職員が気が付いて電話をしてきた。

翌朝、母の遺体をウチに安置して昼間は兄を呼んで、夜は仮通夜をカミさんと二人ですることにした。夜中になって日付が変わった頃一人で焼酎を少しグラスに注いでソーダを入れ、母の遺体の側に座った。ぼくは元来すごく臆病で死者と同じ部屋で夜中に二人きりで夜を過ごすなど恐ろしくてまったく無理と思っていたけれど、母とのそれは死者と話をするようなとても静謐な時だった。母の身体はただのむくろではないのだ。
口をついで出た言葉は「母ちゃん、おつかれ様」だった。愛するものの遺体は愛おしいことはあっても決して怖くはない。夜更けまで母ちゃんと色々と話をした。母ちゃんのために、もっといろいろとやりようはあったのかもしれないけれど、ぼくという人間の器ではこれが精いっぱいだった。九十八年間お疲れ様でした。
今は晩夏と言っても、この季節、生命の温もりを失った母の身体は脆い。部屋のクーラーを19度にして、なおかつ母を守るためのドライアイスを消耗させないようにクーラーの風が直接母の身体に当たらないようにする。
その風は今はぼくの方に向いている。真夜中の冷え冷えとした空気の中で飲む焼酎ハイボール。…でもぼくはいま生きている。 あなたに貰った生命を大切にしようと思った。母の遺体に近づいてきた猫のハルが立ち上がって横たわる母の顔を不思議そうに覗き込んでいる。 「ほんとうに、おつかれさまでした」
今は晩夏と言っても、この季節、生命の温もりを失った母の身体は脆い。部屋のクーラーを19度にして、なおかつ母を守るためのドライアイスを消耗させないようにクーラーの風が直接母の身体に当たらないようにする。
その風は今はぼくの方に向いている。真夜中の冷え冷えとした空気の中で飲む焼酎ハイボール。…でもぼくはいま生きている。 あなたに貰った生命を大切にしようと思った。母の遺体に近づいてきた猫のハルが立ち上がって横たわる母の顔を不思議そうに覗き込んでいる。 「ほんとうに、おつかれさまでした」


[御 礼]
沢山の暖かいコメントありがとうございました。
98歳といえば、世間的には十分すぎるほどの長寿である事は間違いのないところですが、亡くしてみればその悲しみは年齢にかかわらずいささかも変わらないようです。
ぼくももう71歳で身体のあちこちにガタが来て、朝などは辛いのですが、母の死を契機にもう一度心身ともにオーバーホールして人生に立ち向かおうと思っています。これからが自分の余生と思っています。宜しくお願いいたします。
2018-09-15 20:39
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I remember...

ヴィルヘルム・ハンマースホイ(Vilhelm Hammershoi 1864-1916)の描く、家の中に差し込む光の世界、一見無表情な妻イーダの背中、それらはぼくらが今まで考えていた絵画の画題とは大きくかけ離れていたものだった。誰もいない部屋を描く画家の気持ちなど理解できなかったけれども、彼の絵を観ればぼくは理屈抜きに納得できてしまう。
それは絵画的には日常の「時」の中に投げかけられるその光、文字的には静謐というものを見える形にしようとしたものかもしれない。誰もいない部屋の開け放たれたドアを見るとき、人はちょっと不安になるが、もしかしたらそれは誰の心の底にも潜んでいる心の原風景かもしれない。ぼくが彼の絵を観た時感じるのはその静謐な安らぎと、沁みとおって來る静寂の中の不安との狭間に漂っている自分の心だ。
ハンマースホイの描く室内の多くはコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地にあった自宅が舞台だ。彼は絵を描くためにあまり旅をした方ではない、というよりはフランスとイギリスを除いて殆ど旅しなかった。パリを訪れた時も印象派の絵画には余りひかれなかったようだ。
彼が唯一自分の作品を個人的に見て欲しかったのはホイッスラーだった。彼がロンドンを訪れた時ホイッスラーに作品を見てもらおうとしたがホイッスラーは旅行中で結局会うことはできなかった。そう言えばハンマースホイの《画家の母親-フレゼレゲ・ハンマースホイ1886年》はホイッスラーの名作《灰色と黒のアレンジメント、画家の母親(Arrangement in Grey and Black: Portrait of the Painter's Mother)に雰囲気は酷似している。
[参]
・ハンマースホイ/画家の母親-フレゼレゲ・ハンマースホイ(1886)
・ホイッスラー/灰色と黒のアレンジメント、画家の母親(1871)


国立西洋美術館が2008年に少ない収蔵品収集予算の中から彼の作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」を購入したことを知った時とてもうれしかった。今、彼のその作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」は国立西洋美術館の一番最後の展示スペースに掲げられている。
さらに嬉しいことには2020年1月に東京都美術館でハンマースホイ展が開催されることが決まった。タイトルは「ハマスホイとデンマーク絵画展」で(最近は画家の日本語表記が変わって「ハマスホイ」になったらしい)今から待ち遠しい。また、タイトルにはデンマーク絵画展とも銘打たれているので、もしかしたらミカエル&アンナ・アンカー夫妻やクロヤーなどのいわゆる「スケーエン派」の絵画にも再会できるかもしれないので、その意味でもワクワクする。
①ピアノを弾くイーダの居る室内

(1910)
この絵を挙げたのは、単に現在国立西洋美術館が所有しているので今でも身近に見られるというだけでなく、ハンマースホイの絵の特長を良く表す作品でもあると思うこともあってだ。タイトルには「ピアノを弾くイーダ…」とあるけど、ピアノを弾いているのかただ前に座って考え事をしているのか、さらにイーダとイスは一体化しているようにも見える。
手前のテーブルには空のプレートが置かれているが、ハンマースホイの絵は今まで此処で何があってこれから何が起きようとしているのか想像がつかない。ある批評家はそれを「物語の無い日常」と評した。確かにそうかもしれないが、そこに「静謐な今」だけは厳然としてある。固いこと言わずに勝手に想像してみるのも楽しみ方の一つだと思う。
②居間にさす陽光

(1903)
デンマーク室内画派のカール・ホルスーウやハンマースホイの義兄にあたるピーダ・イルステズなどは人のいない部屋や室内の生活の中で部屋に差し込む陽光のシーンなどを多く描いているが、ハンマースホイのこの絵はそのような室内画の中でも出色だと思う。
この部屋は彼が長いこと住んでおり、多くの室内画の舞台となったコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地の自宅の居間で、両脇の白い椅子は他の作品にも度々登場する。この絵は不思議なことに静謐で全く動きが無いように見られるけれど、じっと見ていると窓から差し込む陽光が段々と動いて行くように感じられる。
たぶんハンマースホイがそうであったように、ぼくも自分の部屋に窓を通して差し込む光が部屋の中を時間と共に移動してゆくのをじっと見つめているのが好きだ。
③室内、ストランゲーゼ30番地

(1899)
同名のタイトルつまり「Interior,Strandgade30」と題された絵は何点かあるが、これもその一枚。後姿や観る者とは意識的に距離を置いている感じの妻イーダの絵が多い中で、この一枚は実に温かみがありイーダの表情も見る者をほっとした気持ちにさせてくれる。
ハンマースホイにしては珍しい一枚だと思う。一見すると往年のオランダ室内絵画のようだけれど、もちろんハンマースホイはそう素直には鑑賞させてくれない。
イーダの手元を見ると、彼女の手はテーブルに置かれているのか、はたまたコーヒーカップのどこかを持とうとしているのか定かではない。テーブルクロスだって半分にまくられている。イーダの穏やかな表情は見る者を焦らそうとしているのだろうか。
④白い扉、あるいは開いた扉

(1905)
ハンマースホイの室内画ではドアの取っ手部分が色々な意味を暗示しているような気がする。多くの室内画に登場する全く取っ手の無いドア、上の③の「室内、ストランゲーゼ30番地」のドアのように小さな小さなノブが付いているドア。そしてこの絵の左側のドアにはなんともいかめしい真鍮の金具がついている。此処はストランゲーゼ30番地の自宅の食堂から居間に続く空間からの眺めだ。全ての扉が開け放たれているのに開放的な感じではない。
家具も無いのだけれど、手前の床を見れば実に生活感のある空間に見えて來る。食堂から居間に抜けるドアに、何故こんなにいかめしい金具がついているのか、そしてそれが開け放たれているというのはどういう意味か。一番奥の扉には取っ手が無い。分かっているのはハンマースホイの心の中には無数のドアがあったということだけ。
⑤若い女性の肖像、画家の妹アナ・ハンマースホイ

(1885)
これはハンマースホイが初めてデンマーク王立美術アカデミーの展覧会に出品して落選した作品だ。押さえられた色調や粗い筆致などがアカデミーの方針と合わなかったのかもしれないが、此処には翌年1886に母親を描いてホイッスラーの絵とよく比較される「画家の母親-フレゼレゲ・ハンマースホイ」のエッセンスが既に入っていると思う。
女性の表情は一見ルノアールのそれに似ているように感じるが、そこには確かに陽光溢れるフランスの印象派とは全く異なる北欧の空気の温度が現れているような気がする。
[Books]
残念ながら、ハンマースホイの画集や書籍はとても少ない。日本語の画集はぼくの知っている限りでは国立西洋美術館で2008年に行われた「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」の図録だけだし、ぼくの持っているのはもう一冊ドイツで出された画集の2冊のみだ。
●「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」/ハンマースホイ展図録
●Hammershoi und Europa/Prestel
[I remember…ぼくの電子過去帳]
昨年98歳で亡くなったウチのお袋は、毎朝「過去帳」を開いてその日の月命日の身内や知人にお経をあげていた。年寄りの古臭い習慣かも知れないけれど、ぼくは好きだ。それを見るたびに自分がどれだけ、色んな人から縁を貰って生きながらえているかが実感出来るから。
お袋の過去帳ではなけれど、ぼくも自分のパソコンのカレンダーに身内や知人の他にも好きな音楽家、歌手や作家、画家などの命日を書き込んでいる。そうすると、ぼくらは如何に過去の人達から多くの贈り物を貰って暮らしているかが感じられる。その日が近づくとちょっとその人の歌や作品について味わい直してみたくなる。
(Feb.2019 revised)
Vilhelm Hammershoi
(†1916年2月13日)

ヴィルヘルム・ハンマースホイ(Vilhelm Hammershoi 1864-1916)の描く、家の中に差し込む光の世界、一見無表情な妻イーダの背中、それらはぼくらが今まで考えていた絵画の画題とは大きくかけ離れていたものだった。誰もいない部屋を描く画家の気持ちなど理解できなかったけれども、彼の絵を観ればぼくは理屈抜きに納得できてしまう。
それは絵画的には日常の「時」の中に投げかけられるその光、文字的には静謐というものを見える形にしようとしたものかもしれない。誰もいない部屋の開け放たれたドアを見るとき、人はちょっと不安になるが、もしかしたらそれは誰の心の底にも潜んでいる心の原風景かもしれない。ぼくが彼の絵を観た時感じるのはその静謐な安らぎと、沁みとおって來る静寂の中の不安との狭間に漂っている自分の心だ。
ハンマースホイの描く室内の多くはコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地にあった自宅が舞台だ。彼は絵を描くためにあまり旅をした方ではない、というよりはフランスとイギリスを除いて殆ど旅しなかった。パリを訪れた時も印象派の絵画には余りひかれなかったようだ。
彼が唯一自分の作品を個人的に見て欲しかったのはホイッスラーだった。彼がロンドンを訪れた時ホイッスラーに作品を見てもらおうとしたがホイッスラーは旅行中で結局会うことはできなかった。そう言えばハンマースホイの《画家の母親-フレゼレゲ・ハンマースホイ1886年》はホイッスラーの名作《灰色と黒のアレンジメント、画家の母親(Arrangement in Grey and Black: Portrait of the Painter's Mother)に雰囲気は酷似している。
[参]
・ハンマースホイ/画家の母親-フレゼレゲ・ハンマースホイ(1886)
・ホイッスラー/灰色と黒のアレンジメント、画家の母親(1871)


国立西洋美術館が2008年に少ない収蔵品収集予算の中から彼の作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」を購入したことを知った時とてもうれしかった。今、彼のその作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」は国立西洋美術館の一番最後の展示スペースに掲げられている。
さらに嬉しいことには2020年1月に東京都美術館でハンマースホイ展が開催されることが決まった。タイトルは「ハマスホイとデンマーク絵画展」で(最近は画家の日本語表記が変わって「ハマスホイ」になったらしい)今から待ち遠しい。また、タイトルにはデンマーク絵画展とも銘打たれているので、もしかしたらミカエル&アンナ・アンカー夫妻やクロヤーなどのいわゆる「スケーエン派」の絵画にも再会できるかもしれないので、その意味でもワクワクする。
Hammershoi My Best 5
①ピアノを弾くイーダの居る室内

(1910)
この絵を挙げたのは、単に現在国立西洋美術館が所有しているので今でも身近に見られるというだけでなく、ハンマースホイの絵の特長を良く表す作品でもあると思うこともあってだ。タイトルには「ピアノを弾くイーダ…」とあるけど、ピアノを弾いているのかただ前に座って考え事をしているのか、さらにイーダとイスは一体化しているようにも見える。
手前のテーブルには空のプレートが置かれているが、ハンマースホイの絵は今まで此処で何があってこれから何が起きようとしているのか想像がつかない。ある批評家はそれを「物語の無い日常」と評した。確かにそうかもしれないが、そこに「静謐な今」だけは厳然としてある。固いこと言わずに勝手に想像してみるのも楽しみ方の一つだと思う。
②居間にさす陽光

(1903)
デンマーク室内画派のカール・ホルスーウやハンマースホイの義兄にあたるピーダ・イルステズなどは人のいない部屋や室内の生活の中で部屋に差し込む陽光のシーンなどを多く描いているが、ハンマースホイのこの絵はそのような室内画の中でも出色だと思う。
この部屋は彼が長いこと住んでおり、多くの室内画の舞台となったコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地の自宅の居間で、両脇の白い椅子は他の作品にも度々登場する。この絵は不思議なことに静謐で全く動きが無いように見られるけれど、じっと見ていると窓から差し込む陽光が段々と動いて行くように感じられる。
たぶんハンマースホイがそうであったように、ぼくも自分の部屋に窓を通して差し込む光が部屋の中を時間と共に移動してゆくのをじっと見つめているのが好きだ。
③室内、ストランゲーゼ30番地

(1899)
同名のタイトルつまり「Interior,Strandgade30」と題された絵は何点かあるが、これもその一枚。後姿や観る者とは意識的に距離を置いている感じの妻イーダの絵が多い中で、この一枚は実に温かみがありイーダの表情も見る者をほっとした気持ちにさせてくれる。
ハンマースホイにしては珍しい一枚だと思う。一見すると往年のオランダ室内絵画のようだけれど、もちろんハンマースホイはそう素直には鑑賞させてくれない。
イーダの手元を見ると、彼女の手はテーブルに置かれているのか、はたまたコーヒーカップのどこかを持とうとしているのか定かではない。テーブルクロスだって半分にまくられている。イーダの穏やかな表情は見る者を焦らそうとしているのだろうか。
④白い扉、あるいは開いた扉

(1905)
ハンマースホイの室内画ではドアの取っ手部分が色々な意味を暗示しているような気がする。多くの室内画に登場する全く取っ手の無いドア、上の③の「室内、ストランゲーゼ30番地」のドアのように小さな小さなノブが付いているドア。そしてこの絵の左側のドアにはなんともいかめしい真鍮の金具がついている。此処はストランゲーゼ30番地の自宅の食堂から居間に続く空間からの眺めだ。全ての扉が開け放たれているのに開放的な感じではない。
家具も無いのだけれど、手前の床を見れば実に生活感のある空間に見えて來る。食堂から居間に抜けるドアに、何故こんなにいかめしい金具がついているのか、そしてそれが開け放たれているというのはどういう意味か。一番奥の扉には取っ手が無い。分かっているのはハンマースホイの心の中には無数のドアがあったということだけ。
⑤若い女性の肖像、画家の妹アナ・ハンマースホイ

(1885)
これはハンマースホイが初めてデンマーク王立美術アカデミーの展覧会に出品して落選した作品だ。押さえられた色調や粗い筆致などがアカデミーの方針と合わなかったのかもしれないが、此処には翌年1886に母親を描いてホイッスラーの絵とよく比較される「画家の母親-フレゼレゲ・ハンマースホイ」のエッセンスが既に入っていると思う。
女性の表情は一見ルノアールのそれに似ているように感じるが、そこには確かに陽光溢れるフランスの印象派とは全く異なる北欧の空気の温度が現れているような気がする。
[Books]
残念ながら、ハンマースホイの画集や書籍はとても少ない。日本語の画集はぼくの知っている限りでは国立西洋美術館で2008年に行われた「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」の図録だけだし、ぼくの持っているのはもう一冊ドイツで出された画集の2冊のみだ。
●「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」/ハンマースホイ展図録
●Hammershoi und Europa/Prestel
[I remember…ぼくの電子過去帳]
昨年98歳で亡くなったウチのお袋は、毎朝「過去帳」を開いてその日の月命日の身内や知人にお経をあげていた。年寄りの古臭い習慣かも知れないけれど、ぼくは好きだ。それを見るたびに自分がどれだけ、色んな人から縁を貰って生きながらえているかが実感出来るから。
お袋の過去帳ではなけれど、ぼくも自分のパソコンのカレンダーに身内や知人の他にも好きな音楽家、歌手や作家、画家などの命日を書き込んでいる。そうすると、ぼくらは如何に過去の人達から多くの贈り物を貰って暮らしているかが感じられる。その日が近づくとちょっとその人の歌や作品について味わい直してみたくなる。
(Feb.2019 revised)
gillman*s Memories Blossom Dearie
I remember...

ジャズ・ボーカリストでピアニストのBlossom Dearie(ブロッサム・デアリー)の歌声は一度聴いたら忘れることは無いと思う。アメリカのある音楽批評家がチェット・ベーカーとベティ・ブープの間に子供ができたら、それはブロッサム・ディアリーになるだろうと言ったことがあるけど、それは彼女の一面をそれなりに言い当てているかもしれない。
尤もベティ・ブープと言ったって今では知っている人も少なくなってしまったかもしれないけれど、アメリカのマンガに出てくる「ベティさん」なのだが、そのベティさんの声は何と言ったら良いかマリリン・モンローの声をさらに砂糖でまぶしたような甘さだ。
そう言うと、それだけで大抵の人はもうノーサンキューと言うだろうと思うけど、ディアリーの歌声はそういう甘さではない、と言うか聴いている内にそういうモノとは全く異質なモノであることが分かる。彼女のファンの多くが、彼女はその声の甘さゆえに不当に低く評価されているという不満を持っているし、ぼくもその一人だ。彼女のピアノも歌も繊細でソフィスティケートされていてジャズとして申し分のないものだと思う。
彼女はアメリカ人だけども一時フランスで活動していたことがある。そこでミシェル・ルグランの実姉であるクリスチャン・ルグランらとコーラスグループの「ブルー・スターズ」を結成した。それはやがて「ダブル・シックス・オブ・パリ」そしてぼくの大好きなジャズ・ボーカルグループである「スウィングル・シンガーズ」の系譜へと繋がってゆく。
彼女のアルバムではいつもバックにケニー・バレル(gtuitar)、レイ・ブラウ(base)やジョー・ジョーンズ(drums)などのそうそうたるメンバーが脇を固めている。それは彼女の歌がジャズ界でそれなりのレスペクトを受けているという証左でもあるだろう。
以前ユーチューブで彼女の晩年のステージを見ていた時、舞台の上から客席に「写真はダメって言ったでしょ」とピシャリと言ったシーンを見て芯の強い人だなあと思った事があるけど、彼女の歌がただのスウィート・ボイスのふやけた歌にならないのは、そういう凛とした芯の強さに支えられているからかも知れない。
①Blossom Dearie Sings Comden & Green

(1959)
彼女がヴァーヴレコードに移って4枚目のLPだと思うが、ぼくは彼女らしさが出ていてこのアルバムが一番好きだ。曲がミュージカル「Singin' in the Rain」でお馴染みのComden&GreenことBetty ComdenとAdolph Greenコンビの作詞曲にフォーカスをあてていることも魅力のひとつとなっている。全体にしっとりとしたムードが流れていて聴いていると癒される気がする。
中でもぼくは一曲目の「Lucky to be me」が大好きだ。この曲はミュージカル「On the Town」の中の曲で作詞がComden&Greenそして作曲はレオナード・バーンスタイン、何ともチャーミングで美しい歌だ。ディアリーが歌うとホントに乙女心が伝わってくる。
2曲目の「Just in Time」(作曲:ジュール・スタイン)も5曲目の「I Love Myself」(作曲:アンドレ・プレヴィン)もすばらしいし、このアルバムには他にも好い曲がふんだんに入っている。ピアノはディアリー自身、ギターはケニー・バレル、ベースがレイ・ブラウン、そしてドラムスはエド・シグペンとバックも申し分ない。ジャケットにはComdenとGreenも写っている。
②Blossom Dearie

(1957)
彼女の名前を冠したこのアルバムがヴァーヴレコードでの最初のアルバムとなった。その前年にバークレーレコードから出したアルバム「April in Paris」はピアニストとしての参加だから、ジャズシンガーしての初のアルバムでもある。
ジャケットの写真も好いなぁ。彼女をクールなジャズシンガーとして売り出そうとしていたヴァーヴの意気込みが垣間見られるかも。この頃の彼女はアメリカとフランスを行き来していたこともあって、このアルバムには4曲目のComment Allez-Vousや7曲目のIt might as well be spring、8曲目のTout Documentなどフランス語で歌っている曲も入っている。
最後の曲「A Fine Spring Morning」なんかは歌詞の韻を踏んだリフレインの部分がとても心地よくて好きだ。Personnelは以下のようにこれもゴージャス。
Blossom Dearie – piano, vocals
Herb Ellis – guitar
Ray Brown – double bass
Jo Jones – drums
③Give Him The Ooh-La-La

(1957)
ヴァーヴレコードでのファーストアルバムが調子よかったので、翌年矢継ぎ早にこのアルバムが出された。プロデューサーにディアリーと名を連ねてノーマン・グランツの名が出ているので彼もかなりリキを入れているんだなということがわかる。
そもそもヴァーヴレコードで録音することをディアリーに個人的に勧めたのは彼らしいのだ。このアルバムは「Just one of these things」の軽快なリズムで始まる。その他にも「Between the devil and the deep blue sea」や「Bang goes the drum (and you're in love)」などアップテンポの曲も多く、前のアルバムのしっとりとしたディアリーの魅力とはまた異なる面を見せている。バックは前年のアルバム同様ギターがハーブ・エリス、レイ・ブラウンそしてドラムスはジョー・ジョーンズ。
④Once Upon A Summertime

(1958)
ディアリーのヴァーヴでの三枚目のアルバム。前の二枚のアルバムとはちょっと異なっていわゆるスタンダード・ナンバーが目白押しのアルバムとなっている。
アルバムのライナーノーツによるとディアリーはこの企画に余り乗り気ではなかったらしい。ある時ノーマン・グランツから説得されて録音に…。彼は当時録音の大御所だったTom Nolaと組んで、ベースにレイ・ブラウン、ギターはマンデル・ローそしてドラムスがエド・シグペンを入れると言った。
選曲とアレンジはぼくがやるからと…。で、頑固なディアリーも折れた。グランツの目論見は当たったと思う。「Tea for two」や「Teach me tonight」などお馴染みの曲が入った楽しいアルバムになっている。
⑤Blossom Dearie Sings Rootin' Songs

(1963)
ディアリーがヴァーヴレコードを去ってからのアルバム。新たなハイヤーズでは結局この一枚のアルバムだけのようだ。というのも当たり前だけど、このアルバムはもともと1962年にルートビヤーという清涼飲料のノベルティーとして配られたもの。その飲料会社がハイヤーズでレコード会社ではないのだから。
アルバムタイトルの「Rootin' Songs」とは良くかけられる曲と言ったような意味で当時の人気ナンバーが多く入っている。そのアルバムの現物は村上春樹氏が秘蔵していることでも有名だけれど、有難いことに2008年日本の会社からCD化されて聴くことが出来る。聴いてすぐ気が付くのはこのアルバムでの彼女の声は今までの他のアルバムと異なって声のビブラートがとても目立つということだ。録音のせいばかりではないと思うけど。
「Fly Me to the Moon」や「Days of Wine and Roses」などお馴染みの曲が入っている。このアルバムではディアリーのピアノはなく、歌手に徹している。このアルバムが作られた経緯と配布方法をみれば容易に想像できると思うけれど、全体的雰囲気としてはカチッとしたジャズィーな雰囲気というよりはよりポップス風のドリス・ディやパティ・ペイジ的雰囲気のアルバムに仕上がっている。もちろんこれはこれで楽しい。文句なく楽しいし、もしかしたらこのアルバムは、これ以降のダッフォディル・レコードへ繋がる道を指し示しているかもしれない。
Personnelは以下の通り。
Blossom Dearie – Vocals
Joe Harnell – Piano, Arranger
Jerome Richardson – Flute, Sax (Tenor)
Dick Romoff – Bass
Todd Sommer – Drums

ここでは主にヴァーヴ時代の彼女のアルバムを挙げたけれども、もちろんそれ以降に自分で立ち上げたダッフォディル・レコード時代にも素晴らしいアルバムがあると思う。
実はその時代の彼女の歌はまだ余り聴いていないのだが、おいおいと聴いてゆきたいと思っている。その中にもしかしたらこのBest5にとって代わるものがあるかもしれない。それを期待してもいるのだけれど…。
(Jan.2019 revised)
Blossom Dearie
(†2009年2月7日)

ジャズ・ボーカリストでピアニストのBlossom Dearie(ブロッサム・デアリー)の歌声は一度聴いたら忘れることは無いと思う。アメリカのある音楽批評家がチェット・ベーカーとベティ・ブープの間に子供ができたら、それはブロッサム・ディアリーになるだろうと言ったことがあるけど、それは彼女の一面をそれなりに言い当てているかもしれない。
尤もベティ・ブープと言ったって今では知っている人も少なくなってしまったかもしれないけれど、アメリカのマンガに出てくる「ベティさん」なのだが、そのベティさんの声は何と言ったら良いかマリリン・モンローの声をさらに砂糖でまぶしたような甘さだ。
そう言うと、それだけで大抵の人はもうノーサンキューと言うだろうと思うけど、ディアリーの歌声はそういう甘さではない、と言うか聴いている内にそういうモノとは全く異質なモノであることが分かる。彼女のファンの多くが、彼女はその声の甘さゆえに不当に低く評価されているという不満を持っているし、ぼくもその一人だ。彼女のピアノも歌も繊細でソフィスティケートされていてジャズとして申し分のないものだと思う。
彼女はアメリカ人だけども一時フランスで活動していたことがある。そこでミシェル・ルグランの実姉であるクリスチャン・ルグランらとコーラスグループの「ブルー・スターズ」を結成した。それはやがて「ダブル・シックス・オブ・パリ」そしてぼくの大好きなジャズ・ボーカルグループである「スウィングル・シンガーズ」の系譜へと繋がってゆく。
彼女のアルバムではいつもバックにケニー・バレル(gtuitar)、レイ・ブラウ(base)やジョー・ジョーンズ(drums)などのそうそうたるメンバーが脇を固めている。それは彼女の歌がジャズ界でそれなりのレスペクトを受けているという証左でもあるだろう。
以前ユーチューブで彼女の晩年のステージを見ていた時、舞台の上から客席に「写真はダメって言ったでしょ」とピシャリと言ったシーンを見て芯の強い人だなあと思った事があるけど、彼女の歌がただのスウィート・ボイスのふやけた歌にならないのは、そういう凛とした芯の強さに支えられているからかも知れない。
[Blossom Dearie
My Best 5 Albums]
①Blossom Dearie Sings Comden & Green

(1959)
彼女がヴァーヴレコードに移って4枚目のLPだと思うが、ぼくは彼女らしさが出ていてこのアルバムが一番好きだ。曲がミュージカル「Singin' in the Rain」でお馴染みのComden&GreenことBetty ComdenとAdolph Greenコンビの作詞曲にフォーカスをあてていることも魅力のひとつとなっている。全体にしっとりとしたムードが流れていて聴いていると癒される気がする。
中でもぼくは一曲目の「Lucky to be me」が大好きだ。この曲はミュージカル「On the Town」の中の曲で作詞がComden&Greenそして作曲はレオナード・バーンスタイン、何ともチャーミングで美しい歌だ。ディアリーが歌うとホントに乙女心が伝わってくる。
2曲目の「Just in Time」(作曲:ジュール・スタイン)も5曲目の「I Love Myself」(作曲:アンドレ・プレヴィン)もすばらしいし、このアルバムには他にも好い曲がふんだんに入っている。ピアノはディアリー自身、ギターはケニー・バレル、ベースがレイ・ブラウン、そしてドラムスはエド・シグペンとバックも申し分ない。ジャケットにはComdenとGreenも写っている。
②Blossom Dearie

(1957)
彼女の名前を冠したこのアルバムがヴァーヴレコードでの最初のアルバムとなった。その前年にバークレーレコードから出したアルバム「April in Paris」はピアニストとしての参加だから、ジャズシンガーしての初のアルバムでもある。
ジャケットの写真も好いなぁ。彼女をクールなジャズシンガーとして売り出そうとしていたヴァーヴの意気込みが垣間見られるかも。この頃の彼女はアメリカとフランスを行き来していたこともあって、このアルバムには4曲目のComment Allez-Vousや7曲目のIt might as well be spring、8曲目のTout Documentなどフランス語で歌っている曲も入っている。
最後の曲「A Fine Spring Morning」なんかは歌詞の韻を踏んだリフレインの部分がとても心地よくて好きだ。Personnelは以下のようにこれもゴージャス。
Blossom Dearie – piano, vocals
Herb Ellis – guitar
Ray Brown – double bass
Jo Jones – drums
③Give Him The Ooh-La-La

(1957)
ヴァーヴレコードでのファーストアルバムが調子よかったので、翌年矢継ぎ早にこのアルバムが出された。プロデューサーにディアリーと名を連ねてノーマン・グランツの名が出ているので彼もかなりリキを入れているんだなということがわかる。
そもそもヴァーヴレコードで録音することをディアリーに個人的に勧めたのは彼らしいのだ。このアルバムは「Just one of these things」の軽快なリズムで始まる。その他にも「Between the devil and the deep blue sea」や「Bang goes the drum (and you're in love)」などアップテンポの曲も多く、前のアルバムのしっとりとしたディアリーの魅力とはまた異なる面を見せている。バックは前年のアルバム同様ギターがハーブ・エリス、レイ・ブラウンそしてドラムスはジョー・ジョーンズ。
④Once Upon A Summertime

(1958)
ディアリーのヴァーヴでの三枚目のアルバム。前の二枚のアルバムとはちょっと異なっていわゆるスタンダード・ナンバーが目白押しのアルバムとなっている。
アルバムのライナーノーツによるとディアリーはこの企画に余り乗り気ではなかったらしい。ある時ノーマン・グランツから説得されて録音に…。彼は当時録音の大御所だったTom Nolaと組んで、ベースにレイ・ブラウン、ギターはマンデル・ローそしてドラムスがエド・シグペンを入れると言った。
選曲とアレンジはぼくがやるからと…。で、頑固なディアリーも折れた。グランツの目論見は当たったと思う。「Tea for two」や「Teach me tonight」などお馴染みの曲が入った楽しいアルバムになっている。
⑤Blossom Dearie Sings Rootin' Songs

(1963)
ディアリーがヴァーヴレコードを去ってからのアルバム。新たなハイヤーズでは結局この一枚のアルバムだけのようだ。というのも当たり前だけど、このアルバムはもともと1962年にルートビヤーという清涼飲料のノベルティーとして配られたもの。その飲料会社がハイヤーズでレコード会社ではないのだから。
アルバムタイトルの「Rootin' Songs」とは良くかけられる曲と言ったような意味で当時の人気ナンバーが多く入っている。そのアルバムの現物は村上春樹氏が秘蔵していることでも有名だけれど、有難いことに2008年日本の会社からCD化されて聴くことが出来る。聴いてすぐ気が付くのはこのアルバムでの彼女の声は今までの他のアルバムと異なって声のビブラートがとても目立つということだ。録音のせいばかりではないと思うけど。
「Fly Me to the Moon」や「Days of Wine and Roses」などお馴染みの曲が入っている。このアルバムではディアリーのピアノはなく、歌手に徹している。このアルバムが作られた経緯と配布方法をみれば容易に想像できると思うけれど、全体的雰囲気としてはカチッとしたジャズィーな雰囲気というよりはよりポップス風のドリス・ディやパティ・ペイジ的雰囲気のアルバムに仕上がっている。もちろんこれはこれで楽しい。文句なく楽しいし、もしかしたらこのアルバムは、これ以降のダッフォディル・レコードへ繋がる道を指し示しているかもしれない。
Personnelは以下の通り。
Blossom Dearie – Vocals
Joe Harnell – Piano, Arranger
Jerome Richardson – Flute, Sax (Tenor)
Dick Romoff – Bass
Todd Sommer – Drums

ここでは主にヴァーヴ時代の彼女のアルバムを挙げたけれども、もちろんそれ以降に自分で立ち上げたダッフォディル・レコード時代にも素晴らしいアルバムがあると思う。
実はその時代の彼女の歌はまだ余り聴いていないのだが、おいおいと聴いてゆきたいと思っている。その中にもしかしたらこのBest5にとって代わるものがあるかもしれない。それを期待してもいるのだけれど…。
(Jan.2019 revised)
Museum of the Month 2018 Best10
gillman*s Museums...
2018年美術展

今年の年初には、今年は日本画と写真展を重点的に観ようと、それを目標にしていたんだけれど春先に母が倒れたことや自分自身もちゃんと歩けなくなってしまったりで展覧会自体にあまり足を運べなかった。家で悶々として以前の図録や画集を見ているということが多かった。
特に日本画は東京国立博物館や東京国立近代美術館の常設展にも何度か足を運ぼうと考えていたのだけれど、結局ままならなかった。この課題はそのまま来年に持ち越しそうだ。来年こそ足腰鍛えて日本画と写真展を探索することと、再びカメラを持って街歩きしたいと思っている。
①ユージン・スミス展/東京都写真美術館…久しぶりに写真の原点を見たような厳粛な気分。

②至上の印象派展 ビュールレ・コレクション/国立新美術館…個人コレクションの特徴であるコレクターの美意識と鑑賞者の美意識のせめぎあいみたいな醍醐味。

③ターナー 風景の詩/損保ジャパン日本興亜美術館…ターナーの近代性に目を見張る。

④HOME FUJIFILMxMagnum Photo 共同プロジェクト/代官山ヒルサイドテラス…何人もの私小説を読んだような気分。

⑤藤田嗣治展/東京都美術館…藤田の多面的な作品に触れた。

⑥ピエール・ボナール展 いざ、「視神経の冒険」へ/国立新美術館…待ち望んだ待望のボナール展、色彩の魔術。

⑦小原古邨展 花と鳥のエデン/茅ヶ崎市美術館…版画の可能性を極限まで追求した質の高さに驚き。

⑧ムンク展 共鳴する魂の叫び/東京都美術館…「叫び」だけがムンクじゃないという当たり前の事実の再認識。

⑨ルーベンス展 バロックの誕生/国立西洋美術館…読み解く宗教画の楽しさを再確認。

⑩マイケル・ケンナ写真展/東京都写真美術館…静謐な、しかし饒舌なモノクロの世界。

2018年美術展
My Best 10

今年の年初には、今年は日本画と写真展を重点的に観ようと、それを目標にしていたんだけれど春先に母が倒れたことや自分自身もちゃんと歩けなくなってしまったりで展覧会自体にあまり足を運べなかった。家で悶々として以前の図録や画集を見ているということが多かった。
特に日本画は東京国立博物館や東京国立近代美術館の常設展にも何度か足を運ぼうと考えていたのだけれど、結局ままならなかった。この課題はそのまま来年に持ち越しそうだ。来年こそ足腰鍛えて日本画と写真展を探索することと、再びカメラを持って街歩きしたいと思っている。
[My Best10]
(開催順)
①ユージン・スミス展/東京都写真美術館…久しぶりに写真の原点を見たような厳粛な気分。

②至上の印象派展 ビュールレ・コレクション/国立新美術館…個人コレクションの特徴であるコレクターの美意識と鑑賞者の美意識のせめぎあいみたいな醍醐味。

③ターナー 風景の詩/損保ジャパン日本興亜美術館…ターナーの近代性に目を見張る。

④HOME FUJIFILMxMagnum Photo 共同プロジェクト/代官山ヒルサイドテラス…何人もの私小説を読んだような気分。

⑤藤田嗣治展/東京都美術館…藤田の多面的な作品に触れた。

⑥ピエール・ボナール展 いざ、「視神経の冒険」へ/国立新美術館…待ち望んだ待望のボナール展、色彩の魔術。

⑦小原古邨展 花と鳥のエデン/茅ヶ崎市美術館…版画の可能性を極限まで追求した質の高さに驚き。

⑧ムンク展 共鳴する魂の叫び/東京都美術館…「叫び」だけがムンクじゃないという当たり前の事実の再認識。

⑨ルーベンス展 バロックの誕生/国立西洋美術館…読み解く宗教画の楽しさを再確認。

⑩マイケル・ケンナ写真展/東京都写真美術館…静謐な、しかし饒舌なモノクロの世界。

(Dec.2018)
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gillman*s Memories A.Wyeth
I remember...

今年の1月16日は今ではアメリカを代表する画家の一人と言われているアンドリュー・ワイエスAndrew Wyeth(1917年7月12日~2009年1月16日)の没後10年にあたる。ぼくの大好きな画家で、ことあるごとに彼の画集を見るのだけれど見るたびに新たな発見もあるし、ある意味ではその時の自分の心の在り様のリトマス試験紙みたいな気がするときもある。
ワイエスと言えばその克明な描写で人によっては超写実作家の範疇でとらえる場合もあるかもしれない。昨年末東京ステーションギャラリーで観た吉村芳生の超写実展は絵と写真との関係における写実絵画の力やその力の源泉など、いろいろと考えさせられる点も多かったし、その展覧会では写真のことと同時にワイエスのことがぼくの脳裏を何度もよぎっていた。
ワイエスはインタビューの中で「…私が打ち込んできたものは、リアリズムだと思います。でも自分を写実主義の画家だと思ったことはありません。つまり、描く対象は具体的なものですが、写実的に描いたことはないということです」といっている。ワイエスが言うには彼の作品はリアリズムではあるが、いわゆる写実ではないと。吉村芳生や木村晋の超写実のように作品を作るにあたって対象を前にして、それと作品の間を何万回、何十万回と視線が行き来してその膨大な累積によって次第に作品が現れてくるというような方法とは異なる。もちろんどちらが良いというような話ではないのだけれど…。ワイエスの場合は父親から叩き込まれた、まず観察によって対象をとらえ最後には対象物を見ないでも描けるようにするということの方がキーポイントになるような気がする。彼の鋭敏な視神経によって彼の中に取り込まれた事実(Fact)は、彼の中でイマジネーションとともに再構成され彼自身の真実(truth)になってゆくのだと思う。
ぼくの好きな彼の晩年の作品に「SNOW HILL」というのがあるのだけど、そこには民族衣装などをまとった6人の人物が登場して皆で輪になって踊っている。その描かれた人物をよく見るとあのヘルガがいたり、「1946年の冬」に登場する飛行服の少年が居たり、黒人のアダム・ジョンソンと思しき人物や鉄兜を被ったカール・カーナーなど中にはその時には亡くなっていた人物も含まれている。ということはワイエスは目の前の光景をそのまま描いたわけではないのだ。
ぼくにはまだよくわからないのだけれど、ワイエスの表現には対象に迫る写実だけではなく、そこに造形や自然へのイマジネーションというものが色濃く付け加えられている、というかそのイマジネーションこそが彼の作品のコアなのかもしれないと…。それがワイエスが言う「事実の背後の私の真実(my truth behind fact)」ということを意味するのかどうかは、これからもっと彼の作品と付き合ってみないと分からない。いつか行われるかもしれない日本での「アンドリュー・ワイエス回顧展」を夢に見つつ今は画集を楽しんでいる。
[ワイエス画集 My Best 5+1]
古書店などで手に入れ集めたワイエスの画集の中から勝手にぼくのBest5+1の六冊を選んでみた。Bestというよりは特色のあるものを各々選んだという事で、それ以外に挙げた画集も素晴らしいことに変わりはない。*画集名(出版年)/出版社/言語
①新装版 ワイエス画集Ⅱクリスチーナの世界

(1991)/リブロポート(Libro)/日本語
リブロポートのワイエス画集は日本における最初で最良のワイエス画集シリーズだと思う。(Ⅰ)が「カーナー農場1944ー1975」、(Ⅱ)がこの「クリスチーナの世界」で(Ⅲ)が「ヘルガ」となっている。出版社リブロポートは西武系の書店Libroと同系列の出版社でLibroのブランドを共有していたが1998年に閉鎖されてしまった。数々の素晴らしい画集、写真集を出していた出版社だっただけに残念なことだ。
画集には280頁以上にわたってクーシングの「オルソン家」の長い期間の歴史が素描、水彩そしてテンペラ画で描かれている。冬の夜などゆっくりとこの画集を眺めているとクリスチーナの人生そのものが眼前に浮かんでくるような錯覚に陥る。一昨年丸沼芸術の森で開かれた「ワイエス展」でクリスチーナ関連の貴重なデッサンやアイデア画にふれることができて幸いだった。リブロポートのワイエス画集Ⅰ、Ⅱ巻については、作品解説などの文章はワイエスの妻のベッツィが書いている。
②アンドリュー・ワイエス作品集

(2017)/東京美術/日本語
ワイエスの画集では最も最近に出された画集でワイエスのチャッツフォードとクーシングという彼がその生涯をすごした二つの土地と彼のかかわりが伝わってくる。ワイエスの色味やディテールの再現は印刷では中々難しいので、その点はちょっと気になるけど、解説も分かりやすくワイエス入門としては最適の画集だと思う。
③Andrew Wyeth Looking out, looking in

(2014)/D.A.P./English
2014年5月から11月にかけてワシントンD.C.のナショナルギャラリーで開かれた同名の展覧会の図録で、同展覧会のキュレーターであるNancy AndersonとCharles Brockがそれぞれの観点で解説を書いている。
この展覧会のテーマは「Looking out, looking in」というタイトルでも想像できるように「窓」というものを通して見えてくるワイエスの世界を探索している。Nancy Andersonは「クリスチーナの世界」と並んでワイエスの代表作ともいえる「海からの風(Wind from the Sea)」を取り上げてワイエスの描法に関して写実的といわれることに対して、Painting Truth Beneath the Facts.(事実の下に隠された絵画の真実)という適切な表現でその違いを述べている。
一方、Charles BrockはThrough a Glassという表題で絵画における窓そして女性の扱い方をワイエスそしてシーラーおよびエドワード・ホッパーの絵と図版を使って比較しながらワイエスへの影響について述べている。アメリカの美術館にはまだ行ったことはないけど、この画集を見るたびに見逃してしまったBunkamuraミュージアムでの展覧会を観てみたかったとため息が出る。
④アンドリュー・ワイエス オルソン・ハウス~水彩・素描~

(2009)/丸沼芸術の森/日本語
一昨年、丸沼芸術の森でその作品群の一端を観たのだけれど、この本は丸沼芸術の森を主宰する須崎勝茂氏がワイエスとの縁で所有することになったオルソン家に関する水彩および素描の作品群を掲載した図録となっている。この画集を見ていると丸沼芸術の森でみた数々の水彩画が脳裏に蘇ってくる。
その何点かを観たのだけれど、大判の水彩画もありテンペラ画とはまた異なった魅力を持っている。また一連の素描作品群はあの名作「クリスチーナの世界」や「海からの風」などが成立するまでのプロセスを思わせるもの等資料的にも貴重なものが含まれている。
⑤Andrew Wyeth A Spoken Self-Portarait

(2013)/D.A.P./English
120頁ほどの単行本なのだけれど、タイトルでもわかるようにワイエス自身が語った言葉や手紙、それに妻のベッツィや家族の言葉など解説というより、絵をとりまく人々の証言も含めてワイエスの実像、彼の絵の背後にせまる。
⑤ワイエス画集Ⅲ ヘルガ

(1987)/リブロポート(Libro)/日本語
ワイエスとヘルガとの関係は彼の一見平坦な人生の中でも最もスキャンダラスでその意味でもヘルガ・シリーズは彼にとっては極めてパーソナルな作品群と言えるかもしれない。
ワイエスはチャッズフォードに住む隣家のヘルガ・テストーフを1971年から1985年まで15年にわたって描き続けた。そのことをワイエスの妻のベッツィもヘルガの夫も知らなかったと言われている。画集にはヘルガの時とともに変化してゆく姿が素描・水彩そしてテンペラ画で描かれている。ヌードやポートレートそして時には平原に立つ後ろ姿のヘルガのお下げにした栗色の髪だけが克明に描かれている。なお第Ⅲ巻のこの「ヘルガ」についてはコメントはワイエス自身が書いている。
画集を観ているうちに、こういう絵をどこかで観ていたような思いがわき上がってきたが、それはドイツで観た何点かのアルブレヒト・デューラーの絵だった。もちろんその克明なタッチがそれらを想起させたという事もあるかもしれないが、訴えかけてきたのはその出来上がった作品の深い精神性だ。いつの間にかスキャンダルなぞという俗なことはどうでも良いという気持ちになってくるのだ。
[その他のお勧めワイエス画集]

■ワイエス画集 カーナー農場1944ー1975(1981)/リブロポート(Libro)/English、日本語… リブロポートから出版されたワイエス画集の第一巻目の画集。ワイエスは自宅の隣家の農場主アンナ・カーナーとカール・カーナー夫妻を30年にわたり描き続けた。第二巻目の「クリスチーナの世界」からは基本的には全編日本語になっているが、この第一巻については基本は英語で、主要なキャプション部分についてのみ巻頭にまとめて日本語訳が掲載されている。
■ワイエス画集Ⅳ アメリカン・ヴィジョン ワイエス芸術の三代 (1988)/リブロポート(Libro)/日本語…ワイエス家の三代にわたる画家、つまり父のN.C.ワイエスそしてアンドリュー・ワイエスそして彼の次男であるジェイミー・ワイエスの作品を集めている。この三代の展覧会は1965年以来何度か開かれているようだ。三代の作品を比べて見ると共通する底流と時代や各人の表現の違いなど見えてきて興味深い。
■Andrew Wyethy[Contemporary Great Masters](1993)/講談社/日本語…世界作家シリーズの現代美術第三巻目。大型の画集で解説も多く読み物としても面白い。ワイエスとのインタビューや当時まだ健在だったワイエスの近影など見ていても楽しい。
■Andrew Wyethy Autobiography introduction by Thomas Hoving(1995)/Bulfinch Press/English…Autobiographyとあるようにワイエスの作品を時代に沿って並べ、それに本人の言葉が添えられている。まさに絵を通じた自叙伝といえる。
■丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス 水彩素描展[平塚美術館展示会図録](2000)丸沼芸術の森/日本語…平塚美術館等で開催された丸沼芸術の森所有の水彩画、素描を中心とした展覧会の図録で手軽に観られるのが良い。
■アンドリュー・ワイエス 創造への道程(2008)/Bunkamura Museum/日本語…恐らく今まで日本で開かれたワイエス展では一番規模が大きかったと思われるBunkamura Museumでの展覧会の図録。日本では現在なかなか見られないテンペラ画の作品も入っているので貴重。
■丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス オルソン・ハウスの物語[埼玉県立美術館展覧会図録](2010)/丸沼芸術の森/日本語…埼玉県立美術館で開催された展覧会の図録でこれも丸沼芸術の森所有の水彩画、素描を中心とした展覧会。横長の画集で見やすい構成になっている。
■Andrew Wyeth SNOW HILL(2017)/SkiraRizzoli,Brandywine River Museum/英語…晩年の1989年にチャッズフォードを舞台にした作品「スノーヒル」を中心にワイエスの三十年来の親交もあったJames H. Duffによるいわばワイエス論ともいえる著書。ワイエスのいうリアリズムとイマジネーションの関係についての考察も興味深い。

アンドリュー・ワイエス
(†2009年1月16日)

今年の1月16日は今ではアメリカを代表する画家の一人と言われているアンドリュー・ワイエスAndrew Wyeth(1917年7月12日~2009年1月16日)の没後10年にあたる。ぼくの大好きな画家で、ことあるごとに彼の画集を見るのだけれど見るたびに新たな発見もあるし、ある意味ではその時の自分の心の在り様のリトマス試験紙みたいな気がするときもある。
ワイエスと言えばその克明な描写で人によっては超写実作家の範疇でとらえる場合もあるかもしれない。昨年末東京ステーションギャラリーで観た吉村芳生の超写実展は絵と写真との関係における写実絵画の力やその力の源泉など、いろいろと考えさせられる点も多かったし、その展覧会では写真のことと同時にワイエスのことがぼくの脳裏を何度もよぎっていた。
ワイエスはインタビューの中で「…私が打ち込んできたものは、リアリズムだと思います。でも自分を写実主義の画家だと思ったことはありません。つまり、描く対象は具体的なものですが、写実的に描いたことはないということです」といっている。ワイエスが言うには彼の作品はリアリズムではあるが、いわゆる写実ではないと。吉村芳生や木村晋の超写実のように作品を作るにあたって対象を前にして、それと作品の間を何万回、何十万回と視線が行き来してその膨大な累積によって次第に作品が現れてくるというような方法とは異なる。もちろんどちらが良いというような話ではないのだけれど…。ワイエスの場合は父親から叩き込まれた、まず観察によって対象をとらえ最後には対象物を見ないでも描けるようにするということの方がキーポイントになるような気がする。彼の鋭敏な視神経によって彼の中に取り込まれた事実(Fact)は、彼の中でイマジネーションとともに再構成され彼自身の真実(truth)になってゆくのだと思う。
ぼくの好きな彼の晩年の作品に「SNOW HILL」というのがあるのだけど、そこには民族衣装などをまとった6人の人物が登場して皆で輪になって踊っている。その描かれた人物をよく見るとあのヘルガがいたり、「1946年の冬」に登場する飛行服の少年が居たり、黒人のアダム・ジョンソンと思しき人物や鉄兜を被ったカール・カーナーなど中にはその時には亡くなっていた人物も含まれている。ということはワイエスは目の前の光景をそのまま描いたわけではないのだ。
ぼくにはまだよくわからないのだけれど、ワイエスの表現には対象に迫る写実だけではなく、そこに造形や自然へのイマジネーションというものが色濃く付け加えられている、というかそのイマジネーションこそが彼の作品のコアなのかもしれないと…。それがワイエスが言う「事実の背後の私の真実(my truth behind fact)」ということを意味するのかどうかは、これからもっと彼の作品と付き合ってみないと分からない。いつか行われるかもしれない日本での「アンドリュー・ワイエス回顧展」を夢に見つつ今は画集を楽しんでいる。
[ワイエス画集 My Best 5+1]
古書店などで手に入れ集めたワイエスの画集の中から勝手にぼくのBest5+1の六冊を選んでみた。Bestというよりは特色のあるものを各々選んだという事で、それ以外に挙げた画集も素晴らしいことに変わりはない。*画集名(出版年)/出版社/言語
①新装版 ワイエス画集Ⅱクリスチーナの世界

(1991)/リブロポート(Libro)/日本語
リブロポートのワイエス画集は日本における最初で最良のワイエス画集シリーズだと思う。(Ⅰ)が「カーナー農場1944ー1975」、(Ⅱ)がこの「クリスチーナの世界」で(Ⅲ)が「ヘルガ」となっている。出版社リブロポートは西武系の書店Libroと同系列の出版社でLibroのブランドを共有していたが1998年に閉鎖されてしまった。数々の素晴らしい画集、写真集を出していた出版社だっただけに残念なことだ。
画集には280頁以上にわたってクーシングの「オルソン家」の長い期間の歴史が素描、水彩そしてテンペラ画で描かれている。冬の夜などゆっくりとこの画集を眺めているとクリスチーナの人生そのものが眼前に浮かんでくるような錯覚に陥る。一昨年丸沼芸術の森で開かれた「ワイエス展」でクリスチーナ関連の貴重なデッサンやアイデア画にふれることができて幸いだった。リブロポートのワイエス画集Ⅰ、Ⅱ巻については、作品解説などの文章はワイエスの妻のベッツィが書いている。
②アンドリュー・ワイエス作品集

(2017)/東京美術/日本語
ワイエスの画集では最も最近に出された画集でワイエスのチャッツフォードとクーシングという彼がその生涯をすごした二つの土地と彼のかかわりが伝わってくる。ワイエスの色味やディテールの再現は印刷では中々難しいので、その点はちょっと気になるけど、解説も分かりやすくワイエス入門としては最適の画集だと思う。
③Andrew Wyeth Looking out, looking in

(2014)/D.A.P./English
2014年5月から11月にかけてワシントンD.C.のナショナルギャラリーで開かれた同名の展覧会の図録で、同展覧会のキュレーターであるNancy AndersonとCharles Brockがそれぞれの観点で解説を書いている。
この展覧会のテーマは「Looking out, looking in」というタイトルでも想像できるように「窓」というものを通して見えてくるワイエスの世界を探索している。Nancy Andersonは「クリスチーナの世界」と並んでワイエスの代表作ともいえる「海からの風(Wind from the Sea)」を取り上げてワイエスの描法に関して写実的といわれることに対して、Painting Truth Beneath the Facts.(事実の下に隠された絵画の真実)という適切な表現でその違いを述べている。
一方、Charles BrockはThrough a Glassという表題で絵画における窓そして女性の扱い方をワイエスそしてシーラーおよびエドワード・ホッパーの絵と図版を使って比較しながらワイエスへの影響について述べている。アメリカの美術館にはまだ行ったことはないけど、この画集を見るたびに見逃してしまったBunkamuraミュージアムでの展覧会を観てみたかったとため息が出る。
④アンドリュー・ワイエス オルソン・ハウス~水彩・素描~

(2009)/丸沼芸術の森/日本語
一昨年、丸沼芸術の森でその作品群の一端を観たのだけれど、この本は丸沼芸術の森を主宰する須崎勝茂氏がワイエスとの縁で所有することになったオルソン家に関する水彩および素描の作品群を掲載した図録となっている。この画集を見ていると丸沼芸術の森でみた数々の水彩画が脳裏に蘇ってくる。
その何点かを観たのだけれど、大判の水彩画もありテンペラ画とはまた異なった魅力を持っている。また一連の素描作品群はあの名作「クリスチーナの世界」や「海からの風」などが成立するまでのプロセスを思わせるもの等資料的にも貴重なものが含まれている。
⑤Andrew Wyeth A Spoken Self-Portarait

(2013)/D.A.P./English
120頁ほどの単行本なのだけれど、タイトルでもわかるようにワイエス自身が語った言葉や手紙、それに妻のベッツィや家族の言葉など解説というより、絵をとりまく人々の証言も含めてワイエスの実像、彼の絵の背後にせまる。
⑤ワイエス画集Ⅲ ヘルガ

(1987)/リブロポート(Libro)/日本語
ワイエスとヘルガとの関係は彼の一見平坦な人生の中でも最もスキャンダラスでその意味でもヘルガ・シリーズは彼にとっては極めてパーソナルな作品群と言えるかもしれない。
ワイエスはチャッズフォードに住む隣家のヘルガ・テストーフを1971年から1985年まで15年にわたって描き続けた。そのことをワイエスの妻のベッツィもヘルガの夫も知らなかったと言われている。画集にはヘルガの時とともに変化してゆく姿が素描・水彩そしてテンペラ画で描かれている。ヌードやポートレートそして時には平原に立つ後ろ姿のヘルガのお下げにした栗色の髪だけが克明に描かれている。なお第Ⅲ巻のこの「ヘルガ」についてはコメントはワイエス自身が書いている。
画集を観ているうちに、こういう絵をどこかで観ていたような思いがわき上がってきたが、それはドイツで観た何点かのアルブレヒト・デューラーの絵だった。もちろんその克明なタッチがそれらを想起させたという事もあるかもしれないが、訴えかけてきたのはその出来上がった作品の深い精神性だ。いつの間にかスキャンダルなぞという俗なことはどうでも良いという気持ちになってくるのだ。
[その他のお勧めワイエス画集]

■ワイエス画集 カーナー農場1944ー1975(1981)/リブロポート(Libro)/English、日本語… リブロポートから出版されたワイエス画集の第一巻目の画集。ワイエスは自宅の隣家の農場主アンナ・カーナーとカール・カーナー夫妻を30年にわたり描き続けた。第二巻目の「クリスチーナの世界」からは基本的には全編日本語になっているが、この第一巻については基本は英語で、主要なキャプション部分についてのみ巻頭にまとめて日本語訳が掲載されている。
■ワイエス画集Ⅳ アメリカン・ヴィジョン ワイエス芸術の三代 (1988)/リブロポート(Libro)/日本語…ワイエス家の三代にわたる画家、つまり父のN.C.ワイエスそしてアンドリュー・ワイエスそして彼の次男であるジェイミー・ワイエスの作品を集めている。この三代の展覧会は1965年以来何度か開かれているようだ。三代の作品を比べて見ると共通する底流と時代や各人の表現の違いなど見えてきて興味深い。
■Andrew Wyethy[Contemporary Great Masters](1993)/講談社/日本語…世界作家シリーズの現代美術第三巻目。大型の画集で解説も多く読み物としても面白い。ワイエスとのインタビューや当時まだ健在だったワイエスの近影など見ていても楽しい。
■Andrew Wyethy Autobiography introduction by Thomas Hoving(1995)/Bulfinch Press/English…Autobiographyとあるようにワイエスの作品を時代に沿って並べ、それに本人の言葉が添えられている。まさに絵を通じた自叙伝といえる。
■丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス 水彩素描展[平塚美術館展示会図録](2000)丸沼芸術の森/日本語…平塚美術館等で開催された丸沼芸術の森所有の水彩画、素描を中心とした展覧会の図録で手軽に観られるのが良い。
■アンドリュー・ワイエス 創造への道程(2008)/Bunkamura Museum/日本語…恐らく今まで日本で開かれたワイエス展では一番規模が大きかったと思われるBunkamura Museumでの展覧会の図録。日本では現在なかなか見られないテンペラ画の作品も入っているので貴重。
■丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス オルソン・ハウスの物語[埼玉県立美術館展覧会図録](2010)/丸沼芸術の森/日本語…埼玉県立美術館で開催された展覧会の図録でこれも丸沼芸術の森所有の水彩画、素描を中心とした展覧会。横長の画集で見やすい構成になっている。
■Andrew Wyeth SNOW HILL(2017)/SkiraRizzoli,Brandywine River Museum/英語…晩年の1989年にチャッズフォードを舞台にした作品「スノーヒル」を中心にワイエスの三十年来の親交もあったJames H. Duffによるいわばワイエス論ともいえる著書。ワイエスのいうリアリズムとイマジネーションの関係についての考察も興味深い。

Wind from the Sea(1947)
(Jan.2019)
Museum of the Month Michael Kenna
Museum of the Month...
MICHAEL KENNA A 45 Year Odyssey 1973-2018 Retrospective 東京都写真美術館
2018年12月1日~2019年1月27日


[感想メモ]
マイケル・ケンナはソール・ライターやセバスチャン・サルガドそして植田正治等と並んでぼくの好きな写真家の一人だ。ケンナは6x6版のハッセルブラッドを使って独特のモノクロの色調で知られている。
今回のマイケル・ケンナ写真展はサブタイトルに「MICHAEL KENNA A 45 Year Odyssey 1973-2018 Retrospective」とうたわれているように、彼の45年間の作品を振り返って行われた日本では初めての彼の本格的な回顧展だ。
会場では条件付きではあるけど作品の撮影も許可されている。ただし会場には2つの別のブースがあって、そちらの方は撮影が禁止されている。
その一つは「Impossible to Forget」と題された50年後のナチス強制収容所のシリーズ、そしてもう一つは「RAFU」と題された10年間にわたって日本で撮りためた裸婦のシリーズ。
メインの写真展の方には人物は写っていない、荒涼とした平原や霧にかすむ並木道など、言わば幽玄ともいえるモノクロの世界が広がっている。
その多くは正方形のアングルで対象物をコンポジション的に捉えており、画面は西欧的な画面を埋め尽くす、というより引き算的な画面構成が印象的だ。ここら辺は、引き算の美意識を根底に持っている日本人の感性に訴えることが多いと思う。彼の作品が日本で評価されている一つの理由でもあるかもしれない。
最近の写真展は引き延ばした巨大な写真やマルチアングルの画面があったりして、それはそれで迫力はあるのだけれど、風景写真で言えばときにはこれでもかという絶景写真のオンパレードの写真展もあったりして…。ぼくにとっては絶景写真は5分で飽きるが、マイケル・ケンナの写真は何度見ても飽きることがないし、観るたびに新しい発見がある。それは水墨画がそうであるのと似ているかもしれない。期間中にもう一度来たいと思っている。

[印象に残った作品について少し…]
■Deckchairs,Bournemouth,Darset,England 1983

正方形ではなく横長の画面。海岸につきでたテラスに畳まれたデッキチェアーが置かれている。シーズンオフなのかそれともシーズン中だがこれから人の来る前の朝だろうか、あたりを静謐な空気が支配している。
ぼくはこれに似た状況を冬の沖縄の離島の海岸で感じたことがある。海に突き出た木製のデッキに置かれた木製のテーブルの腋に椅子が重ねられていた。見渡す限り海岸にも人影はない。静謐、安堵、寂寥いくつもの思いが重なってくる。ハンマースホイの感性を思い起こした。
■Kussharo Lake,Tree Study 1.Kotan,Hokkaido,Japan.2002


正方形の画面に雪の中に身をよじらすように立っている一本の木。ケンナが通いつめた冬の北海道で撮った一枚で、同じところで撮った他の木の写真も展示されていた。
この写真にある屈斜路湖にあったこの木は「ケンナの木」として親しまれていたみたいだが、倒壊の恐れがあるとして伐採されてしまった。尤も切ったほうは「そういう木」だとは知らなかったらしいのだが…。
この写真を見たとき、ぼくはとっさに一枚の絵を想いうかべた。それはウィーンのベルベデーレの美術館で観たセガンティーニの「Evil Mothers(邪悪な母たち)」だった。子供をないがしろにして自らの快楽におぼれる母の心を荒涼とした雪中にさらされる一本の古木になぞらえている。
ケンナの写真の木に絡みつく女の姿がぼくの頭の中でダブる。ケンナは風雪に耐える木のフォルムに惹かれたのだと思うが、観る者によってそれぞれの感慨があるという例かもしれない。
■Ten and a Half Trees,Peterhof,Russia.2000

ケンナの風景写真は基本的には静謐な雰囲気の写真が多いのだけれど、それは画面に動きがないということではない。例えば木立や杭や石像や電灯など同じものを繰り返し一つの画面に入れることによってリズムを生み出している作品は意外と多い。抽象絵画を観るような楽しさも味あわせてくれる。
■Avonmouth Docks,Study 7,Avon,England.1987

ケンナの写真には純粋にコンポジションの表現を狙ったような大胆な作品も多い。もちろんそれでも風景写真には違いないのだけれど、この写真はタイトルからすると多分造船所のドライドックの下から撮った写真だと思う。以前横浜のドライドックの底から見上げた空がこんなシルエットだった。
一見するとコントラストの強いまるでデ・キリコの絵のようだけど、空の星の動きやシャープで明快なスカイラインなどみるといろんな撮影テクニックが入っているんだろうなぁと想像できる。彼は時には10時間くらいかけて露光することもあるというから、それだけでも大変なことだ。

マイケル・ケンナ展
MICHAEL KENNA A 45 Year Odyssey 1973-2018 Retrospective 東京都写真美術館
2018年12月1日~2019年1月27日


[感想メモ]
マイケル・ケンナはソール・ライターやセバスチャン・サルガドそして植田正治等と並んでぼくの好きな写真家の一人だ。ケンナは6x6版のハッセルブラッドを使って独特のモノクロの色調で知られている。
今回のマイケル・ケンナ写真展はサブタイトルに「MICHAEL KENNA A 45 Year Odyssey 1973-2018 Retrospective」とうたわれているように、彼の45年間の作品を振り返って行われた日本では初めての彼の本格的な回顧展だ。
会場では条件付きではあるけど作品の撮影も許可されている。ただし会場には2つの別のブースがあって、そちらの方は撮影が禁止されている。
その一つは「Impossible to Forget」と題された50年後のナチス強制収容所のシリーズ、そしてもう一つは「RAFU」と題された10年間にわたって日本で撮りためた裸婦のシリーズ。
メインの写真展の方には人物は写っていない、荒涼とした平原や霧にかすむ並木道など、言わば幽玄ともいえるモノクロの世界が広がっている。
その多くは正方形のアングルで対象物をコンポジション的に捉えており、画面は西欧的な画面を埋め尽くす、というより引き算的な画面構成が印象的だ。ここら辺は、引き算の美意識を根底に持っている日本人の感性に訴えることが多いと思う。彼の作品が日本で評価されている一つの理由でもあるかもしれない。
最近の写真展は引き延ばした巨大な写真やマルチアングルの画面があったりして、それはそれで迫力はあるのだけれど、風景写真で言えばときにはこれでもかという絶景写真のオンパレードの写真展もあったりして…。ぼくにとっては絶景写真は5分で飽きるが、マイケル・ケンナの写真は何度見ても飽きることがないし、観るたびに新しい発見がある。それは水墨画がそうであるのと似ているかもしれない。期間中にもう一度来たいと思っている。

[印象に残った作品について少し…]
■Deckchairs,Bournemouth,Darset,England 1983

正方形ではなく横長の画面。海岸につきでたテラスに畳まれたデッキチェアーが置かれている。シーズンオフなのかそれともシーズン中だがこれから人の来る前の朝だろうか、あたりを静謐な空気が支配している。
ぼくはこれに似た状況を冬の沖縄の離島の海岸で感じたことがある。海に突き出た木製のデッキに置かれた木製のテーブルの腋に椅子が重ねられていた。見渡す限り海岸にも人影はない。静謐、安堵、寂寥いくつもの思いが重なってくる。ハンマースホイの感性を思い起こした。
■Kussharo Lake,Tree Study 1.Kotan,Hokkaido,Japan.2002


正方形の画面に雪の中に身をよじらすように立っている一本の木。ケンナが通いつめた冬の北海道で撮った一枚で、同じところで撮った他の木の写真も展示されていた。
この写真にある屈斜路湖にあったこの木は「ケンナの木」として親しまれていたみたいだが、倒壊の恐れがあるとして伐採されてしまった。尤も切ったほうは「そういう木」だとは知らなかったらしいのだが…。
この写真を見たとき、ぼくはとっさに一枚の絵を想いうかべた。それはウィーンのベルベデーレの美術館で観たセガンティーニの「Evil Mothers(邪悪な母たち)」だった。子供をないがしろにして自らの快楽におぼれる母の心を荒涼とした雪中にさらされる一本の古木になぞらえている。
ケンナの写真の木に絡みつく女の姿がぼくの頭の中でダブる。ケンナは風雪に耐える木のフォルムに惹かれたのだと思うが、観る者によってそれぞれの感慨があるという例かもしれない。
■Ten and a Half Trees,Peterhof,Russia.2000

ケンナの風景写真は基本的には静謐な雰囲気の写真が多いのだけれど、それは画面に動きがないということではない。例えば木立や杭や石像や電灯など同じものを繰り返し一つの画面に入れることによってリズムを生み出している作品は意外と多い。抽象絵画を観るような楽しさも味あわせてくれる。
■Avonmouth Docks,Study 7,Avon,England.1987

ケンナの写真には純粋にコンポジションの表現を狙ったような大胆な作品も多い。もちろんそれでも風景写真には違いないのだけれど、この写真はタイトルからすると多分造船所のドライドックの下から撮った写真だと思う。以前横浜のドライドックの底から見上げた空がこんなシルエットだった。
一見するとコントラストの強いまるでデ・キリコの絵のようだけど、空の星の動きやシャープで明快なスカイラインなどみるといろんな撮影テクニックが入っているんだろうなぁと想像できる。彼は時には10時間くらいかけて露光することもあるというから、それだけでも大変なことだ。

(Dec.2018)
Museum of hte Month 吉村芳生展
Museum of the Month...

[感想メモ]
鉛筆画家の作品というのはぼくにとってそれほど親しいものではないし、鉛筆画家という範疇の作家の存在も一人を除いてはそれまで知らなかったのが実のところだ。その一人というのが木下晋なのだけれど、2014年4月に那覇の沖縄県立博物館美術館で観た彼の個展「木下晋展 - 生命の旅路」を観た衝撃は今でも覚えている。
大判の紙に鉛筆で克明に描かれたハンセン病患者や身近な老人の姿。紙の上には細部にいたるまで実物と寸分たがわぬイメージが展開されているのだけれど、写真とは違う。写真よりはるかにその存在感が抜きんでている。ホキ美術館の超写実の絵を観るときにもいつも素朴な疑問が湧くのだけれど…。それは写真が好きで撮る人間としては、写真はその存在感という点でなぜ絵画に負けるのだろうかということだった。
ある評論家の超写実主義絵画に対する論文を読んで、なるほどと思った点がある。それは存在感という点で写実が写真に勝るのは、超写実が生まれる過程で行われる対象と作品との間を往復する視線の累積が比類なき存在感を生み出しているというものだった。気の遠くなるような時間をかけて作家の視線は対象と自分の手元の作品の間を何万回、何十万回と往復している。そこにあるというのだ。確かにそれもある。
吉村芳生の作品もいわゆる超写実の範疇に入ると思うのだけど、その存在感の由来は木下の場合とは少し違うような気もする。吉村の手法は身の回りのありふれたモノ、シーンを写真に撮りそれを微細な方眼に分割して、そのひとつひとつのセルを描き写していくというものだ。印刷と見まごうほどの手書きの新聞紙、365日撮り続けた自分の顔の写真を鉛筆画にしてゆく。
後年モノクロの鉛筆画からカラー鉛筆画になってからの鮮やかな色彩で描かれた彼の家の近所の秋桜畑、ポピーの野原そして河原の土手、どれもじっと見つめるていると息苦しくなるほど美しい。木下の作品を観るときと同様にその背後にある膨大な製作時間を想像して感動するという点もあるとは思うのだけれど、ぼくは吉村芳生の描いた新聞紙などの作品を観ていると、身の回りのほんとうにありふれたモノが、今自分の目の前で「ありふれたモノ」→「唯一のモノ」に変貌してゆくまさにその瞬間に立ち会っているような感動を覚えた。彼の絶筆の巨大な「コスモス」が途中で、彼の死によって突然白紙の方眼紙に還ってゆく姿は胸が締め付けられる。見ごたえのある展覧会だった。



[図 録]
215頁。2500円。吉村芳生の作品について言えば、彼の作品を鑑賞するという意味からすれば図録は殆どその意味を成さないと思う。彼の作品を写真にとって印刷した時点で彼の作品の持つ大事なモノが既に失われているような気がする。もしこの図録に意味があるとしたら、図録が彼の作品を観た記憶を呼び戻す引き金になりえるということで、その意味では役割は果たしていると思う。


吉村芳生展
東京ステーションギャラリー
~2019年1月20日

[感想メモ]
鉛筆画家の作品というのはぼくにとってそれほど親しいものではないし、鉛筆画家という範疇の作家の存在も一人を除いてはそれまで知らなかったのが実のところだ。その一人というのが木下晋なのだけれど、2014年4月に那覇の沖縄県立博物館美術館で観た彼の個展「木下晋展 - 生命の旅路」を観た衝撃は今でも覚えている。
大判の紙に鉛筆で克明に描かれたハンセン病患者や身近な老人の姿。紙の上には細部にいたるまで実物と寸分たがわぬイメージが展開されているのだけれど、写真とは違う。写真よりはるかにその存在感が抜きんでている。ホキ美術館の超写実の絵を観るときにもいつも素朴な疑問が湧くのだけれど…。それは写真が好きで撮る人間としては、写真はその存在感という点でなぜ絵画に負けるのだろうかということだった。
ある評論家の超写実主義絵画に対する論文を読んで、なるほどと思った点がある。それは存在感という点で写実が写真に勝るのは、超写実が生まれる過程で行われる対象と作品との間を往復する視線の累積が比類なき存在感を生み出しているというものだった。気の遠くなるような時間をかけて作家の視線は対象と自分の手元の作品の間を何万回、何十万回と往復している。そこにあるというのだ。確かにそれもある。
吉村芳生の作品もいわゆる超写実の範疇に入ると思うのだけど、その存在感の由来は木下の場合とは少し違うような気もする。吉村の手法は身の回りのありふれたモノ、シーンを写真に撮りそれを微細な方眼に分割して、そのひとつひとつのセルを描き写していくというものだ。印刷と見まごうほどの手書きの新聞紙、365日撮り続けた自分の顔の写真を鉛筆画にしてゆく。
後年モノクロの鉛筆画からカラー鉛筆画になってからの鮮やかな色彩で描かれた彼の家の近所の秋桜畑、ポピーの野原そして河原の土手、どれもじっと見つめるていると息苦しくなるほど美しい。木下の作品を観るときと同様にその背後にある膨大な製作時間を想像して感動するという点もあるとは思うのだけれど、ぼくは吉村芳生の描いた新聞紙などの作品を観ていると、身の回りのほんとうにありふれたモノが、今自分の目の前で「ありふれたモノ」→「唯一のモノ」に変貌してゆくまさにその瞬間に立ち会っているような感動を覚えた。彼の絶筆の巨大な「コスモス」が途中で、彼の死によって突然白紙の方眼紙に還ってゆく姿は胸が締め付けられる。見ごたえのある展覧会だった。



[図 録]
215頁。2500円。吉村芳生の作品について言えば、彼の作品を鑑賞するという意味からすれば図録は殆どその意味を成さないと思う。彼の作品を写真にとって印刷した時点で彼の作品の持つ大事なモノが既に失われているような気がする。もしこの図録に意味があるとしたら、図録が彼の作品を観た記憶を呼び戻す引き金になりえるということで、その意味では役割は果たしていると思う。


(Dec.2018)
Museum of the Month Rubens展
Museum of the Month...

[感想メモ]
ここ一年足腰の痛みのせいで旅行や美術館にほとんど行けていなかったのだけれど、昨日やっと近場の上野に行くことができた。「ルーベンス展」といえばもちろんその多くが宗教画なのだが、これまた久しぶりにまとめて多くの宗教画を観ることになった。
ぼくはキリスト教徒でもないので、昔はヨーロッパの美術館などで次から次へと宗教画を見せられると正直言って辟易した時期もあるけど、少し宗教画のことを勉強するようになってからは興味が湧いてきた。
宗教画にはアトリビュート(聖ヒエロニムスなら本、聖ペテロなら鍵というような目印のようなもの)やエピソード、主題やアレゴリー毎の状況設定など色々な決まり事があって全ての垣根を取り払った近代絵画とは大きく異なっている。
それが表現を抑圧していた部分もあるけど、ぼくはそれこそが西洋絵画をここまで発展させてきた原動力の一つだと思っている。よく建築家の人から聞くのだけれど、予算も規模も様式も好きなようにしてよいから建ててくれと言われるのが、一番困るらしい。
予算や工期や立地等の制約があって初めて色々な工夫が生まれてくるらしい。宗教画においても画家たちは、もちろん宗教心に突き動かされてという点もあるが、その制約の中でいかにして自分の表現を可能にするかに命を懸けていたようなところがある。
決められた範疇の中で想像力を働かせて、それこそ想像力が創造力へと結びついていったのではないかと思う。ということで宗教画では同じテーマを色々な画家が描いている。キリスト教という大きな器の中で時代や地方、画家それぞれの表現がある。それを比べて観る楽しさは近代絵画では中々味わえない点だと思う。
①キリスト哀悼(1612)

No.25…画面の左上から右下に対角線上に横たわるキリストという大胆な構図にまず惹かれる。以前はヴァン・ダイクの作とされていたが、今はルーベンス作となっているらしい。横たえられたキリストの無造作に投げ出された脚の表現が妙に現実感を生み出している。群像を構成する各々の人物の表情や視線もドラマチックな効果をあげている。
②聖アンデレの殉教(1638)

No.33…聖アンデレというより、セント・アンドリュースという名前の方がぼくらにはしっくりくるけど、彼は兄弟のペテロとともに最初にキリストの弟子になった人物だが、ギリシャで殉教した。全体が速い筆致で描かれ素早い動きが感じられる。
彼が掛けられている十字架がX型なのが聖アンデレの特徴らしくフランクフルトの美術館にあるこれより200年位前に描かれたロナッホーの絵でもX型の十字架に掛けられているのでこれが聖アンデレのアトリビュートなのかもしれない。そういえば名門ゴルフ場のセント・アンドリュースのワッペンにも、このXの図案が配されている。
③クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像(1615)

No.35…会場の最初に飾れらている。小さな絵だがルーベンスが本当に愛情をこめて娘の姿を映していることが伝わってくる。この絵にお目にかかるのはこれが二度目。確か2012年に国立新美術館で開かれた「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」展の時の目玉作品の一つだったと思う。隣には国立西洋美術館の所有する「眠る二人の子供」の絵が掛けられていて、まず良きパパ、ルーベンスのアピールをしているけど、これから幾多の厳しい宗教画を観る前にまず心を和ませるというのはニクイ演出だ。
④パエトンの墜落(1604)

No.43…宗教画を観るときもう一つ忘れてならないのがギリシャ神話の世界だ。もちろんその二つは別のモノなのだけれど多くの宗教画家が神話の世界も描いているし、例えばぼくらが見てもエンジェル、プット(天使)とクピド(キューピッド)など紛らわしいものもある。天使はキリスト教だしクピドはギリシャ神話の世界のものだ。
パエトンの墜落はあのイカロスの墜落と並んで墜落伝説の話だけど、ファエトンと表記しているケースもある。彼はアポロの息子で、ある日父の日輪の馬車を持ち出していい気になって天空を懸けているうちに天の道を外れ地上の山々を焼き尽くしたために雷に打たれて死んでしまう。図に乗ると大変な目にあうというアレゴリーともなっているかもしれない。ギリシャ神話の絵にも聖書画と同じように三又の鉾はポセイドン、鹿を従えていればアルテミスのようにそれぞれのアトリビュートがあるようだ。
⑤聖ゲオルギウスと龍(1601)

No.45…前段で画家はルーベンスのように聖書画と神話画の両方を描くケースがあるのだということなのだけれど、そこら辺からぼくなどの初心者からすると絵の区別がややこしくなることもあって、例えばこの「聖ゲオルギウスと龍」を一目見ただけでは、ギリシャ神話の「ペルセウスとアンドロメダ姫」との区別がしにくい。絵柄的にはどちらも甲冑に身を固めた青年が龍から乙女を助け出すという図柄なのだ。
一説によるとギリシャ神話からキリスト関連伝説の中に組み入れられたという話もあるが、ゲオルギウスの甲冑に十字架でも入っていない限り分かりにくい。もっとも、それなぞはどちらでも良いことなのかもしれないけれど、絵を観ながらどちらかなぁと考えるとこも楽しみの一つではあると思うのだけど…。

[図 録]
291頁。3000円。通常の展覧会の図録は概ね2500円くらいが多いのだけれど、今回のはリキが入っているらしく3000円と割高だけれど、それだけに良くできている。作品ごとに解説が出ているほかに、読みごたえのある論文が7編も入っていて読み物としても面白いと思う。

[お薦め本]
宗教画やギリシャ神話にまつわる絵画は、例えばアトリビュートと言って特定の人物を示す持ち物などを絵の中に描き入れたり、テーマ毎の状況設定が決められていたり、言わば絵を見る時の約束事があったりして、最初はとっつきにくい感じがするのだけれど、少し分かってくると逆に興味が湧いてくる。
宗教画などを観るときぼくがよく参考にしている本が写真の二冊で、特に聖書編は旧約聖書、新約聖書両方の主題が170位の場面に分かれて、その意味と代表的な作品例が載せてあるので、宗教画ばかりでなく、通して読んで行くと聖書の概要も分かるお勧めの二冊です。

ルーベンス展
国立西洋美術館
2018年10月16日
~2019年1月20日

[感想メモ]
ここ一年足腰の痛みのせいで旅行や美術館にほとんど行けていなかったのだけれど、昨日やっと近場の上野に行くことができた。「ルーベンス展」といえばもちろんその多くが宗教画なのだが、これまた久しぶりにまとめて多くの宗教画を観ることになった。
ぼくはキリスト教徒でもないので、昔はヨーロッパの美術館などで次から次へと宗教画を見せられると正直言って辟易した時期もあるけど、少し宗教画のことを勉強するようになってからは興味が湧いてきた。
宗教画にはアトリビュート(聖ヒエロニムスなら本、聖ペテロなら鍵というような目印のようなもの)やエピソード、主題やアレゴリー毎の状況設定など色々な決まり事があって全ての垣根を取り払った近代絵画とは大きく異なっている。
それが表現を抑圧していた部分もあるけど、ぼくはそれこそが西洋絵画をここまで発展させてきた原動力の一つだと思っている。よく建築家の人から聞くのだけれど、予算も規模も様式も好きなようにしてよいから建ててくれと言われるのが、一番困るらしい。
予算や工期や立地等の制約があって初めて色々な工夫が生まれてくるらしい。宗教画においても画家たちは、もちろん宗教心に突き動かされてという点もあるが、その制約の中でいかにして自分の表現を可能にするかに命を懸けていたようなところがある。
決められた範疇の中で想像力を働かせて、それこそ想像力が創造力へと結びついていったのではないかと思う。ということで宗教画では同じテーマを色々な画家が描いている。キリスト教という大きな器の中で時代や地方、画家それぞれの表現がある。それを比べて観る楽しさは近代絵画では中々味わえない点だと思う。
[Rubens My Best 5]
①キリスト哀悼(1612)

No.25…画面の左上から右下に対角線上に横たわるキリストという大胆な構図にまず惹かれる。以前はヴァン・ダイクの作とされていたが、今はルーベンス作となっているらしい。横たえられたキリストの無造作に投げ出された脚の表現が妙に現実感を生み出している。群像を構成する各々の人物の表情や視線もドラマチックな効果をあげている。
②聖アンデレの殉教(1638)

No.33…聖アンデレというより、セント・アンドリュースという名前の方がぼくらにはしっくりくるけど、彼は兄弟のペテロとともに最初にキリストの弟子になった人物だが、ギリシャで殉教した。全体が速い筆致で描かれ素早い動きが感じられる。
彼が掛けられている十字架がX型なのが聖アンデレの特徴らしくフランクフルトの美術館にあるこれより200年位前に描かれたロナッホーの絵でもX型の十字架に掛けられているのでこれが聖アンデレのアトリビュートなのかもしれない。そういえば名門ゴルフ場のセント・アンドリュースのワッペンにも、このXの図案が配されている。
③クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像(1615)

No.35…会場の最初に飾れらている。小さな絵だがルーベンスが本当に愛情をこめて娘の姿を映していることが伝わってくる。この絵にお目にかかるのはこれが二度目。確か2012年に国立新美術館で開かれた「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」展の時の目玉作品の一つだったと思う。隣には国立西洋美術館の所有する「眠る二人の子供」の絵が掛けられていて、まず良きパパ、ルーベンスのアピールをしているけど、これから幾多の厳しい宗教画を観る前にまず心を和ませるというのはニクイ演出だ。
④パエトンの墜落(1604)

No.43…宗教画を観るときもう一つ忘れてならないのがギリシャ神話の世界だ。もちろんその二つは別のモノなのだけれど多くの宗教画家が神話の世界も描いているし、例えばぼくらが見てもエンジェル、プット(天使)とクピド(キューピッド)など紛らわしいものもある。天使はキリスト教だしクピドはギリシャ神話の世界のものだ。
パエトンの墜落はあのイカロスの墜落と並んで墜落伝説の話だけど、ファエトンと表記しているケースもある。彼はアポロの息子で、ある日父の日輪の馬車を持ち出していい気になって天空を懸けているうちに天の道を外れ地上の山々を焼き尽くしたために雷に打たれて死んでしまう。図に乗ると大変な目にあうというアレゴリーともなっているかもしれない。ギリシャ神話の絵にも聖書画と同じように三又の鉾はポセイドン、鹿を従えていればアルテミスのようにそれぞれのアトリビュートがあるようだ。
⑤聖ゲオルギウスと龍(1601)

No.45…前段で画家はルーベンスのように聖書画と神話画の両方を描くケースがあるのだということなのだけれど、そこら辺からぼくなどの初心者からすると絵の区別がややこしくなることもあって、例えばこの「聖ゲオルギウスと龍」を一目見ただけでは、ギリシャ神話の「ペルセウスとアンドロメダ姫」との区別がしにくい。絵柄的にはどちらも甲冑に身を固めた青年が龍から乙女を助け出すという図柄なのだ。
一説によるとギリシャ神話からキリスト関連伝説の中に組み入れられたという話もあるが、ゲオルギウスの甲冑に十字架でも入っていない限り分かりにくい。もっとも、それなぞはどちらでも良いことなのかもしれないけれど、絵を観ながらどちらかなぁと考えるとこも楽しみの一つではあると思うのだけど…。

[図 録]
291頁。3000円。通常の展覧会の図録は概ね2500円くらいが多いのだけれど、今回のはリキが入っているらしく3000円と割高だけれど、それだけに良くできている。作品ごとに解説が出ているほかに、読みごたえのある論文が7編も入っていて読み物としても面白いと思う。

[お薦め本]
宗教画やギリシャ神話にまつわる絵画は、例えばアトリビュートと言って特定の人物を示す持ち物などを絵の中に描き入れたり、テーマ毎の状況設定が決められていたり、言わば絵を見る時の約束事があったりして、最初はとっつきにくい感じがするのだけれど、少し分かってくると逆に興味が湧いてくる。
宗教画などを観るときぼくがよく参考にしている本が写真の二冊で、特に聖書編は旧約聖書、新約聖書両方の主題が170位の場面に分かれて、その意味と代表的な作品例が載せてあるので、宗教画ばかりでなく、通して読んで行くと聖書の概要も分かるお勧めの二冊です。

(Dec.2018)
gillman*s Memories Buddy de Franco
I remember...

日本ではジャズ・クラリネットと言えばベニー・グッドマンだけど、バディー・デ・フランコ(Buddy De Franco)はグッドマンやアーティー・ショウの一世代後の世代にあたるかもしれない。とはいえデ・フランコのプロとしてのスタートは早く既に14歳の時トミー・ドーシーの後援するアマチュア・スゥイング・コンテストで優勝してそのキャリアをスタートさせている。
しかし、時とともにスゥイング・ジャズの黄金時代は去りグッドマンやショウ等の多くのクラリネット奏者が新しいジャズの流れに苦悩する中、デ・フランコはいち早くビバップの流れに対応し、新しいジャズ・クラリネットの世界を構築したと言ってもいいかも知れない。彼のジャズにおけるクラリネットへの貢献は大きいし、ぼくたち日本人にとってはヤマハのクラリネットを高く評価してくれた恩人かも知れない。
エディー・ダニエルズの出現で(彼はクラリネット奏者というより、どちらかと言えばいわゆるリード楽器奏者という感じ)世代交代が行われた感もあるけどデ・フランコは数多くのアルバムを残してくれているので、これからもずっとぼくの中ではナンバーワンのジャズ・クラリネット奏者として生き続けるだろう。彼は数年前アメリカで91年の生涯を閉じた。
クラシック音楽でもそうだと思うけど近代の演奏家はその録音が残っているので幸せだと思う。音楽は時間芸術だから本来は生まれると同時に消えて行ってしまうのだが、それが録音という形で残っている。近年はそれも素晴らしい音質で。もちろんその恩恵は聴く側にも降り注いでいる。
そういう意味ではジャズは50年代のモノラルの録音でも素晴らしいものが多い。デフランコの演奏などはクラリネットだから文字通り「息遣い」まで伝わってくる。幸せなことだ。ジャズクラリネットといえば日本ではどうしてもスウィング時代の方が知られているのだけれど、モダンジャズにおいてもクラリネットは実に表現力豊かな楽器だということがもっと知られると良いなと思っている。クラリネットは心まで温かくしてくれる。
①The Artistry of Buddy De Franco

1954
アート・ブレイキー等とのカルテットを解散しソニー・クラーク達との新しいカルテットで吹き込んだLP。この中では何と言っても5曲目の「枯葉」が最高。枯葉はいろんなアーティストが演奏しているがぼくはBill EvanceそれにWynton Kellyの枯葉と並んで彼のこの演奏が大好きだ。
DeFrancoのしっとりとしたクラリネットに寄り添うようなSonny Clarkのピアノもたまらない。アルバムタイトルの「Artistry=腕前、技巧」というところにもDeFrancoの意気込みが感じられる。
[personnel]
Buddy DeFranco (cl)
Sonny Clark (p)
Gene Wright (b)
Bobby White (ds)
②Mr. Clarinet

1953
どの曲も良いけど4曲目のAutumn in New Yorkは最高。スウィングの世界から抜け出したデフランコのクラリネットが何ともモダンでカッコいい。このアルバムでデフランコはモダンジャズ楽器としてのクラリネットの実力をいかんなく証明して見せたと思う。Kenny Drewのピアノがまた何とも言えず良い。プロデュースはNorman Granz。
[personnel]
Buddy DeFranco (cl)
Kenny Drew (p)
Milt Hinton (b)
Art Blakey (ds)
③Buddy De Franco and Oscar Peterson Play George Gershwin


1985
なんと粋なアルバム。デフランコが実に楽しそうに吹いているような気がする。デフランコのクラリネットにピーターソンのピアノとジョー・パスのギターをのせてガーシュイン・メロディーに浸れるなんてなんて、なんて至福の時。
こちらはピーターソンのクインテットとのアルバム「Buddy De Franco and the Oscar Peterson Quintet」(下のジャケット)も良いな。
[personnel]
Buddy DeFranco (cl)
Osczr Peterson(p),
Joe Pass(g),
Niels Pedersen(b),
Mrtin Drew(ds)
④Pretty Moods

1954
アルバムThe Artistry of Buddy De Francoと同じ年で、メンバーも同じ。もしかしたらこちらの方が先かもしれない。どれもしっとりとした良い曲ばかり。これもNorman Granzのプロデュース。
[personnel]
Buddy DeFranco (cl)
Sonny Clark (p)
Gene Wright (b)
Bobby White (ds)
⑤Buddy De Franco

1978
デフランコのディスコグラフィーでは1978年MGMレコードで日本で発売となっているが詳しいことは分からない。Gone with the Windを始めテンポのいい曲が12曲も入っている。どれも思わず身体でテンポをとりたくなるような楽しい曲ばかりで、気のめいった時などにも何となく聴くと気が晴れてくるので好きなアルバムだ。
(Dec.2017)
Buddy De Franco
(†2014年12月24日)

日本ではジャズ・クラリネットと言えばベニー・グッドマンだけど、バディー・デ・フランコ(Buddy De Franco)はグッドマンやアーティー・ショウの一世代後の世代にあたるかもしれない。とはいえデ・フランコのプロとしてのスタートは早く既に14歳の時トミー・ドーシーの後援するアマチュア・スゥイング・コンテストで優勝してそのキャリアをスタートさせている。
しかし、時とともにスゥイング・ジャズの黄金時代は去りグッドマンやショウ等の多くのクラリネット奏者が新しいジャズの流れに苦悩する中、デ・フランコはいち早くビバップの流れに対応し、新しいジャズ・クラリネットの世界を構築したと言ってもいいかも知れない。彼のジャズにおけるクラリネットへの貢献は大きいし、ぼくたち日本人にとってはヤマハのクラリネットを高く評価してくれた恩人かも知れない。
エディー・ダニエルズの出現で(彼はクラリネット奏者というより、どちらかと言えばいわゆるリード楽器奏者という感じ)世代交代が行われた感もあるけどデ・フランコは数多くのアルバムを残してくれているので、これからもずっとぼくの中ではナンバーワンのジャズ・クラリネット奏者として生き続けるだろう。彼は数年前アメリカで91年の生涯を閉じた。
クラシック音楽でもそうだと思うけど近代の演奏家はその録音が残っているので幸せだと思う。音楽は時間芸術だから本来は生まれると同時に消えて行ってしまうのだが、それが録音という形で残っている。近年はそれも素晴らしい音質で。もちろんその恩恵は聴く側にも降り注いでいる。
そういう意味ではジャズは50年代のモノラルの録音でも素晴らしいものが多い。デフランコの演奏などはクラリネットだから文字通り「息遣い」まで伝わってくる。幸せなことだ。ジャズクラリネットといえば日本ではどうしてもスウィング時代の方が知られているのだけれど、モダンジャズにおいてもクラリネットは実に表現力豊かな楽器だということがもっと知られると良いなと思っている。クラリネットは心まで温かくしてくれる。
Buddy de Franco's Albums
[My Best 5]
①The Artistry of Buddy De Franco

1954
アート・ブレイキー等とのカルテットを解散しソニー・クラーク達との新しいカルテットで吹き込んだLP。この中では何と言っても5曲目の「枯葉」が最高。枯葉はいろんなアーティストが演奏しているがぼくはBill EvanceそれにWynton Kellyの枯葉と並んで彼のこの演奏が大好きだ。
DeFrancoのしっとりとしたクラリネットに寄り添うようなSonny Clarkのピアノもたまらない。アルバムタイトルの「Artistry=腕前、技巧」というところにもDeFrancoの意気込みが感じられる。
[personnel]
Buddy DeFranco (cl)
Sonny Clark (p)
Gene Wright (b)
Bobby White (ds)
②Mr. Clarinet

1953
どの曲も良いけど4曲目のAutumn in New Yorkは最高。スウィングの世界から抜け出したデフランコのクラリネットが何ともモダンでカッコいい。このアルバムでデフランコはモダンジャズ楽器としてのクラリネットの実力をいかんなく証明して見せたと思う。Kenny Drewのピアノがまた何とも言えず良い。プロデュースはNorman Granz。
[personnel]
Buddy DeFranco (cl)
Kenny Drew (p)
Milt Hinton (b)
Art Blakey (ds)
③Buddy De Franco and Oscar Peterson Play George Gershwin


1985
なんと粋なアルバム。デフランコが実に楽しそうに吹いているような気がする。デフランコのクラリネットにピーターソンのピアノとジョー・パスのギターをのせてガーシュイン・メロディーに浸れるなんてなんて、なんて至福の時。
こちらはピーターソンのクインテットとのアルバム「Buddy De Franco and the Oscar Peterson Quintet」(下のジャケット)も良いな。
[personnel]
Buddy DeFranco (cl)
Osczr Peterson(p),
Joe Pass(g),
Niels Pedersen(b),
Mrtin Drew(ds)
④Pretty Moods

1954
アルバムThe Artistry of Buddy De Francoと同じ年で、メンバーも同じ。もしかしたらこちらの方が先かもしれない。どれもしっとりとした良い曲ばかり。これもNorman Granzのプロデュース。
[personnel]
Buddy DeFranco (cl)
Sonny Clark (p)
Gene Wright (b)
Bobby White (ds)
⑤Buddy De Franco

1978
デフランコのディスコグラフィーでは1978年MGMレコードで日本で発売となっているが詳しいことは分からない。Gone with the Windを始めテンポのいい曲が12曲も入っている。どれも思わず身体でテンポをとりたくなるような楽しい曲ばかりで、気のめいった時などにも何となく聴くと気が晴れてくるので好きなアルバムだ。
(Dec.2017)
gillman*s Memories Ann Burton
I remember...

そこそこの歳になって会社を辞めて時間も出来てからまたジャズを聴くようになって、何故か女性ジャズシンガーの歌を多く聴くようになった。昔も全く聴かなかったわけではないけれど、その頃はヴォーカルよりは、どちらかといえば小編成のジャズ・インストルメントの曲を聴くことが多かった。
女性ジャズヴォーカリストの歌った歌の中でも若いころのローズマリー・クルーニーやスタンケントン楽団時代のアニタ・オデイやクリス・コナーみたいにビッグバンドをバックにしたものよりもジャズ・クラブ的な小編成をバックにしたものが好きだ。
一昔前に本国はもちろんだけど、特に日本で好まれた女性ジャズシンガーといえば、アメリカのヘレン・メリルとオランダのこのアン・バートンかもしれない。どちらも大人のジャズクラブの雰囲気を持っている。アン・バートンはぼくが若いころから聴いていたジャズシンガーの一人だ。
アン・バートンは1933年オランダのアムステルダム生まれ。アンの母親は1930年頃ポーランドから移住してきた。第二次大戦中は彼女の母や義父がナチスの強制収容所に入れられてしまったので彼女はオランダに隠れ住んでいたという。1957年になってアンはオランダの国籍を得た。
歌の本格的レッスンなどは受けたことは無かったようだけど、昔からローズマリー・クルーニーやドリス・デイなどアメリカのシンガーの歌をよく聴いていたという。楽譜もちゃんとは読めないのだと後年彼女は自分でも言っていた。彼女の本名はヨハンナ・ラファロヴィッツ(Johanna Rafalowicz)だが彼女が好きだったイギリスの俳優リチャード・バートンにちなんでアン・バートンという芸名にしたという。
彼女は初期はドイツの米軍キャンプなどで歌っていたということなので、ここら辺は日本の初期のジャズシンガー江利チエミや雪村いづみなんかとキャリアが似ているかもしれない。そして1967年に出したアルバム「Blue Burton」あたりからジャズシンガーとしての評価が高まりを見せてくる。
ぼくが初めてアン・バートンのアルバムを手にしたのが1977年の「He's Funny That Way」でこれは日本でのリリースだったと思う。初めて聴いてそのしっとりとした歌い方、ジャズクラブの雰囲気が感じられてその魅力に魅せられてしまった。また、英語は彼女にとって外国語であるためか逆にとても分かりやすくぼくでも歌詞が聴きとれたというのも魅力の一つかもしれない。(今でもオランダは英米以外で一番英語の通じる国でもあるが…)
先に書いたようにアン・バートンは日本で特に人気のあった歌手で世界的な大歌手と言うわけではないし、声のレンジだって広い方じゃないかもしれないけど、日本人の心の琴線に触れる何かを持っていたのだと思う。それに魅せられたぼくもその一人だ。
①He's Funny That Way(1977)

1977年に日本のロブスター企画からダイレクト・カッティングでリリースされたLPでジャケットも気に入っている。彼女が亡くなって30年近くたとうとしているが、このLPの録音は今でも古びていないし多分彼女の幾多の録音の中でもベストの音源であると思う。
LPは数年前に最後までお気に入りで残しておいた他のレコードと一緒に一括して寄贈してしまったので今はCDで持っているのだが雰囲気は十分出ているし、嬉しいことにCDにはアルバムタイトルにもある「He's Funny That Way」のLPともう一枚のダイレクトカット版LPの「Some Other Spring」の二枚分の曲と「Lover Come Back To Me」のおまけまでついている。日本のアン・バートンへの思いが込められた一枚だと思う。
[Songs in CD]
01. Exactly Like You
02. You'd Be So Nice To Come Home To
03. He's Funny That Way
04. Rainy Days And Mondays
05. Ain't Misbehavin'
06. Dream A Little Dream Of Me
07. The Very Thought Of You
08. Baubles, Bangles And Beads
09. Thursday's Child
10. It's A Pity To Say Good-Night
11. Skylark
12. The Days Of Wine And Roses
13. What Is There To Say
14. Some Other Spring
15. The End Of Love Affair
16. Lover, Come Back To Me (Bonus Track)
[Personnel]
Bass – Kunimitsu Inaba/Victor Kaihatsu
Drums – Tetsujiro Obara
Piano – Ken McCarthy/Frans Elson
Vocals – Ann Burton
②Burton For Certain(1977)

「雨の日と月曜日は」とサブタイトルされているこのアルバムにはもちろん「Rainy Days And Mondays」が入っている。
ポール・ウィリアムズとロジャー・ニコルズのコンビによる曲でカーペンターズのヒット曲となった。この曲は今ではスタンダード曲のようになっていて、ぼくの手元にあるだけでもケイコ・リー、ニキ・パロットやオリビア・ニュートンジョンなど多くの歌手が歌っている。
今回、これを書くのでちょっと聞き比べてみたけれど、アンの歌はとてもしっとりとしてカーペーンターズとは全く違った大人の世界の歌になっている。語り口もとてもジェントルで説得力がありまさにクラブで聴きたいような曲に仕上がっている。このアルバムにはやはりポール・ウィリアムズ作曲の「You and me against the world」も入っているけれど、それも素晴らしい。夜ウイスキーでも傾けながら聴きたいアルバムだ。
[Personnel]
Bass – Kunimitsu Inaba
Drums – Toshio Ohsumi*
Piano – Ken McCarthy
Solo Vocal – Ann Burton
③Blue Burton(1967)

2曲目の「Go Away Little Boy」がとてもいい。元はCarole King & Gerry Goffinのコンビの曲らしいのだけれど、キャロル・キングは「Go Away Little Girl」で作っており、1971年に少年ダニー・オズモンドが歌ってヒットした曲なのだが、それはお子様ソングでバートンのそれとは比ぶべくもない。バートンのはほんとに大人の情感が詰まった素晴らしい歌となっている。
その次の「He Was Too Good To Me」もしっとりとして聴きほれてしまう。バートンの繊細な歌声に寄り添うようなルイス・ヴァン・ダイクのピアノがこれまた渋い。バートンのバッキングをするときのヴァン・ダイクのピアノは彼女の歌に影のように寄り添い、出過ぎることなく歌を引き立てている。クラシックでいえば、名伴奏家のジェラール・ムーアかイェルク・デムスと言ったら言い過ぎだろうか。でも本当に良い。
[Personnel]
Alto Saxophone – Piet Noordijk
Bass – Jacques Schols
Drums – John Engels
Lead Vocals – Ann Burton
Piano – Louis Van Dyke*
④Ballads & Burton(1969)

このアルバムを一言でいうならば「大人のジャズ」に尽きる。一曲目の「A Lovely Way To Spend An Evening」でしっとりとしたおとな~の雰囲気にうっとり。大人度その2、曲のレパートリーもガリガリのジャズばかりじゃなくて、「Bang,Bang」や「The Shadow Of Your Smile」までいい具合にミックスされている。
[Personnel]
Alto Saxophone – Piet Noordijk
Bass – Jacques Schols
Design [Cover] – John J. Vis Drums – John Engels
Vocals – Ann Burton
Piano – Louis Van Dyke
Tenor Saxophone – Rudy Brink
⑤Lovely Way To Spend An Evening(1977)


録音は1977年だけれど、CDとして発売されたのは2003年頃で、2014年には追悼没後25年としてジャケットも新たに再リリースされている。録音は1977年、高知のジャズ喫茶・アルテックでのライブ録音。
タイトルの「Lovely Way To Spend An Evening」は「宵のひととき」という邦題になっているが、宵の素敵な過ごし方くらいの意味だと思う。ピアノのケン・マッカーシーもジャジーで良い感じだ。11曲目の「I wan’t cry anymore」などでは客の手拍子が入っていて地方のジャズ喫茶的雰囲気も出ている。
Ann Burton
(†1989年11月29日)

そこそこの歳になって会社を辞めて時間も出来てからまたジャズを聴くようになって、何故か女性ジャズシンガーの歌を多く聴くようになった。昔も全く聴かなかったわけではないけれど、その頃はヴォーカルよりは、どちらかといえば小編成のジャズ・インストルメントの曲を聴くことが多かった。
女性ジャズヴォーカリストの歌った歌の中でも若いころのローズマリー・クルーニーやスタンケントン楽団時代のアニタ・オデイやクリス・コナーみたいにビッグバンドをバックにしたものよりもジャズ・クラブ的な小編成をバックにしたものが好きだ。
一昔前に本国はもちろんだけど、特に日本で好まれた女性ジャズシンガーといえば、アメリカのヘレン・メリルとオランダのこのアン・バートンかもしれない。どちらも大人のジャズクラブの雰囲気を持っている。アン・バートンはぼくが若いころから聴いていたジャズシンガーの一人だ。
アン・バートンは1933年オランダのアムステルダム生まれ。アンの母親は1930年頃ポーランドから移住してきた。第二次大戦中は彼女の母や義父がナチスの強制収容所に入れられてしまったので彼女はオランダに隠れ住んでいたという。1957年になってアンはオランダの国籍を得た。
歌の本格的レッスンなどは受けたことは無かったようだけど、昔からローズマリー・クルーニーやドリス・デイなどアメリカのシンガーの歌をよく聴いていたという。楽譜もちゃんとは読めないのだと後年彼女は自分でも言っていた。彼女の本名はヨハンナ・ラファロヴィッツ(Johanna Rafalowicz)だが彼女が好きだったイギリスの俳優リチャード・バートンにちなんでアン・バートンという芸名にしたという。
彼女は初期はドイツの米軍キャンプなどで歌っていたということなので、ここら辺は日本の初期のジャズシンガー江利チエミや雪村いづみなんかとキャリアが似ているかもしれない。そして1967年に出したアルバム「Blue Burton」あたりからジャズシンガーとしての評価が高まりを見せてくる。
ぼくが初めてアン・バートンのアルバムを手にしたのが1977年の「He's Funny That Way」でこれは日本でのリリースだったと思う。初めて聴いてそのしっとりとした歌い方、ジャズクラブの雰囲気が感じられてその魅力に魅せられてしまった。また、英語は彼女にとって外国語であるためか逆にとても分かりやすくぼくでも歌詞が聴きとれたというのも魅力の一つかもしれない。(今でもオランダは英米以外で一番英語の通じる国でもあるが…)
先に書いたようにアン・バートンは日本で特に人気のあった歌手で世界的な大歌手と言うわけではないし、声のレンジだって広い方じゃないかもしれないけど、日本人の心の琴線に触れる何かを持っていたのだと思う。それに魅せられたぼくもその一人だ。
[Ann Burton
My Best 5 Albums]
①He's Funny That Way(1977)

1977年に日本のロブスター企画からダイレクト・カッティングでリリースされたLPでジャケットも気に入っている。彼女が亡くなって30年近くたとうとしているが、このLPの録音は今でも古びていないし多分彼女の幾多の録音の中でもベストの音源であると思う。
LPは数年前に最後までお気に入りで残しておいた他のレコードと一緒に一括して寄贈してしまったので今はCDで持っているのだが雰囲気は十分出ているし、嬉しいことにCDにはアルバムタイトルにもある「He's Funny That Way」のLPともう一枚のダイレクトカット版LPの「Some Other Spring」の二枚分の曲と「Lover Come Back To Me」のおまけまでついている。日本のアン・バートンへの思いが込められた一枚だと思う。
[Songs in CD]
01. Exactly Like You
02. You'd Be So Nice To Come Home To
03. He's Funny That Way
04. Rainy Days And Mondays
05. Ain't Misbehavin'
06. Dream A Little Dream Of Me
07. The Very Thought Of You
08. Baubles, Bangles And Beads
09. Thursday's Child
10. It's A Pity To Say Good-Night
11. Skylark
12. The Days Of Wine And Roses
13. What Is There To Say
14. Some Other Spring
15. The End Of Love Affair
16. Lover, Come Back To Me (Bonus Track)
[Personnel]
Bass – Kunimitsu Inaba/Victor Kaihatsu
Drums – Tetsujiro Obara
Piano – Ken McCarthy/Frans Elson
Vocals – Ann Burton
②Burton For Certain(1977)

「雨の日と月曜日は」とサブタイトルされているこのアルバムにはもちろん「Rainy Days And Mondays」が入っている。
ポール・ウィリアムズとロジャー・ニコルズのコンビによる曲でカーペンターズのヒット曲となった。この曲は今ではスタンダード曲のようになっていて、ぼくの手元にあるだけでもケイコ・リー、ニキ・パロットやオリビア・ニュートンジョンなど多くの歌手が歌っている。
今回、これを書くのでちょっと聞き比べてみたけれど、アンの歌はとてもしっとりとしてカーペーンターズとは全く違った大人の世界の歌になっている。語り口もとてもジェントルで説得力がありまさにクラブで聴きたいような曲に仕上がっている。このアルバムにはやはりポール・ウィリアムズ作曲の「You and me against the world」も入っているけれど、それも素晴らしい。夜ウイスキーでも傾けながら聴きたいアルバムだ。
[Personnel]
Bass – Kunimitsu Inaba
Drums – Toshio Ohsumi*
Piano – Ken McCarthy
Solo Vocal – Ann Burton
③Blue Burton(1967)

2曲目の「Go Away Little Boy」がとてもいい。元はCarole King & Gerry Goffinのコンビの曲らしいのだけれど、キャロル・キングは「Go Away Little Girl」で作っており、1971年に少年ダニー・オズモンドが歌ってヒットした曲なのだが、それはお子様ソングでバートンのそれとは比ぶべくもない。バートンのはほんとに大人の情感が詰まった素晴らしい歌となっている。
その次の「He Was Too Good To Me」もしっとりとして聴きほれてしまう。バートンの繊細な歌声に寄り添うようなルイス・ヴァン・ダイクのピアノがこれまた渋い。バートンのバッキングをするときのヴァン・ダイクのピアノは彼女の歌に影のように寄り添い、出過ぎることなく歌を引き立てている。クラシックでいえば、名伴奏家のジェラール・ムーアかイェルク・デムスと言ったら言い過ぎだろうか。でも本当に良い。
[Personnel]
Alto Saxophone – Piet Noordijk
Bass – Jacques Schols
Drums – John Engels
Lead Vocals – Ann Burton
Piano – Louis Van Dyke*
④Ballads & Burton(1969)

このアルバムを一言でいうならば「大人のジャズ」に尽きる。一曲目の「A Lovely Way To Spend An Evening」でしっとりとしたおとな~の雰囲気にうっとり。大人度その2、曲のレパートリーもガリガリのジャズばかりじゃなくて、「Bang,Bang」や「The Shadow Of Your Smile」までいい具合にミックスされている。
[Personnel]
Alto Saxophone – Piet Noordijk
Bass – Jacques Schols
Design [Cover] – John J. Vis Drums – John Engels
Vocals – Ann Burton
Piano – Louis Van Dyke
Tenor Saxophone – Rudy Brink
⑤Lovely Way To Spend An Evening(1977)


録音は1977年だけれど、CDとして発売されたのは2003年頃で、2014年には追悼没後25年としてジャケットも新たに再リリースされている。録音は1977年、高知のジャズ喫茶・アルテックでのライブ録音。
タイトルの「Lovely Way To Spend An Evening」は「宵のひととき」という邦題になっているが、宵の素敵な過ごし方くらいの意味だと思う。ピアノのケン・マッカーシーもジャジーで良い感じだ。11曲目の「I wan’t cry anymore」などでは客の手拍子が入っていて地方のジャズ喫茶的雰囲気も出ている。
(Nov.2018)
gillman*s Museums Phillips Collection
Museum of the Month

ルーブル美術館などの大美術館ベースの展覧会とちがって、例えばプライス・コレクションや先日のビュールレ・コレクションなどの個人コレクションの展覧会はまた一味違った楽しさがあると思う。なぜこれをコレクションに加えたんだろうという、その人の見識や美意識を想像するのも楽しいものだ。
そのコレクターと趣味の合わない場合もあるし、やっぱりこれを選ぶかみたいに自分の見方とぴったり合うと妙にうれしくなったりもする。そういう意味では今回の展覧会は違和感がなかった。もちろんそれはコレクションの一部に過ぎないので全体のバランスを現しているとは限らないけど…。
ここのところ体調の加減で美術館に遠ざかっていたけれど、久しぶりの美術館はやっぱり良いなとおもった。三菱一号館美術館ができた当初は年間パスポートを買っていたんだけど、ある時から急に高くなってそれからは買っていなかった。でも、昨日行ったら年間パスポートが二種類になって、一つの方は一年間観放題で4000円なのでこれなら元はとれそうなので、また買うことにした。今回の展覧会は2月までやっているので、東京駅近くに来た時はまた観にこようと思った。
①「画家のアトリエ」 ラウル・デュフィ

(1935年)No.40
デュフィはぼくが高校生の頃画集で見た一枚の絵「La Vie en rose」ですっかりその色使いに魅せられているしまった。特にデュフィ・ブルーと言われるその青はぼくの深い所を揺さぶる。
この絵はモンマルトルにあった彼のアトリエを描いているが、殆ど同じ構図で右側に人物が描かれているものもある。デュフィ独特の輪郭線と色の微妙なずれ、ピンク系と青系のコントラスト、そして踊るような筆先どれをとってもデュフィらしい記憶に残る一枚だ。
②「プラムを盛った鉢と桃、水差し」 ジャン・シメオン・シャルダン

(1728年)No.1
この絵が三菱一号館美術館に展示されるのは2012年の素晴らしかったシャルダン展以来だと思う。その時もこの作品は最初のコーナーに展示されていたと思うけど、今回はこの展覧会の一枚目に展示されていた。
ごく小さな絵だけれども、ぼくもシャルダンの絵の中でも一番好きな絵の一枚だ。これを手に入れたダンカン・フィリップスは「…それが置かれた建築空間の気配に至るまで余すところなく再現されている。まさに至高の静物画」と絶賛している。
③「クールマイヨールとダン・デュ・ジェアン」 オスカー・ココシュカ

(1927年)No.55
ココシュカの作品はあまり観たことがなかったのだけれど、昨年ウィーンに行ったときにアルベルティーナ美術館を始め彼の多くの作品に触れることができ、その色彩や独特の震えるようなタッチに魅せられた。色彩感覚は違うけれどどこかしらエゴン・シーレを思い浮かべる。(シーレの方が4歳年下がだか…)
この絵はイタリア側から見たモンブランでまさに山が迫ってくるような迫力がある。ココシュカは作曲家マーラーの妻、アルマ・マーラーと愛人関係にあり二人でイタリアにも旅行している。その後二人は破局したのだけれどココシュカはアルマが忘れられず、一時期アルマの等身大人形を作り、外出にも連れて行ったという。
この絵はそれからずいぶんと時間が経ってから描かれているが、想い出のイタリアでどんな心境で描かれたのだろうか。日本でのココシュカの回顧展は1978年に神奈川、京都で行われてから久しい、またやって欲しい作家の一人だ。
④「サン=ミシェル河岸のアトリエ」 アンリ・マチス

(1916年)No.41
舞台はパリのマチスのアトリエ。大きな窓の向こうにはパリの街並みが見える。デュフィの青に対して、マチスの赤が好きなのだけれど、この絵でも室内に横たわっているマチスのお気に入りのモデル、ローレットが横たわっているのが赤いベットカヴァーなのだ。少し暗めの室内だけによけい赤が引き立つ。
描かれている時間帯は定かでないが、画面には静謐な時が流れている。こんなシチュエーションをどこかで見たような気がしたけど、それはたぶんエドワード・ホッパーの「Eleven A.M.(1926)」や「Morning Sun(1952)」なのだが、それはシチュエーションというよりも、そこに流れている時間の質が酷似しているということかもしれない。エドワード・ホッパーがこの絵の状況を描いたらどんな風になるだろうか、と絵の前で考え込んでしまった。
⑤「驟雨」 ジョルジュ・ブラック

(1952年)No.73
フィリップス・コレクションにはブラックの作品が多い。フィリップス自身はブラックをピカソよりも評価していた。彼に言わせれば「ブラックにとって抽象とは生からの逃避ではない。それは興味深く時に精緻な生の関係性を讃える誌なのだ」ということらしいが…。
ぼくは抽象画はどちらかと言えば苦手でマチスあたりが限界と言えば限界なのだが、この「驟雨」は一目で了解できただけでなく、その空気感まで感じることができた。俳句の季語に「麦秋」という言葉があり夏の季語なのだけど、それは麦の熟する初夏の頃なのだが、この絵を観ると色づいた麦畑の傍の道を歩いていると突然空が掻き曇り激しい雨が降り出した、そんな瞬間のように見える。
⑥「ハム」 ポール・ゴーガン

(1889年)No.22
この絵にお目にかかるのは2016年東京都美術館での「ゴッホとゴーギャン展」以来二度目になる。その時はゴッホの「タマネギの皿のある静物」とゴーガンのこの「ハム」が並べられて展示されていた。描かれたのは両方とも1889年、二人が袂を分かった後のことだ。
その展覧会の時のぼくのメモ「…まずゴッホのタマネギ~の方については観るのはクレラーミュラー美術館と先年の国立新美術館でのゴッホ展に続いて三度目となるけど、観るたびにそのピュアーな色彩に引き込まれる。これも残念ながら印刷では再現しにくい色だ。絵が光を放っているような明るい、そして混じりけのない画面。描かれた静物一つ一つにゴッホにとっての意味が込められている。
それに対してゴーギャンのハム。もしかしたらぼくはゴーギャンの絵の中でこれが一番好きかもしれない。色は紛れもなくゴーギャンの色になっているが、構図はセザンヌのようで、しかしそれほどには冷たくなく、静かな音楽のようだ。ゴッホのようには描かれた静物自体には何の思い入れもなくハムはあくまでハムなのだけれど、描かれたものからはもっと別なものが伝わってくる」
[図録]

195頁、2500円。大判の図録で内容は標準的なスタイルだが、すべての展示75作品について簡単な解説がついているのは親切。会場には要所要所にダンカン・フィリップス氏の各作家や作品に対する考え方が短い言葉で示されていて、彼がコレクションを選定するときの考え方が分かり、とても興味深かったのだが、そこら辺も図録の構成に取り込んでもらえるとよかったと思う。(開設の中には随所にそのような言葉は入っているが) 色は良く出ている。

作品目録の他に切り離すとカード式になっている作品写真がついてくる。
(Nov.2018)
フィリップス・コレクション展
三菱一号館美術館
2018年10月17日~2月11日

ルーブル美術館などの大美術館ベースの展覧会とちがって、例えばプライス・コレクションや先日のビュールレ・コレクションなどの個人コレクションの展覧会はまた一味違った楽しさがあると思う。なぜこれをコレクションに加えたんだろうという、その人の見識や美意識を想像するのも楽しいものだ。
そのコレクターと趣味の合わない場合もあるし、やっぱりこれを選ぶかみたいに自分の見方とぴったり合うと妙にうれしくなったりもする。そういう意味では今回の展覧会は違和感がなかった。もちろんそれはコレクションの一部に過ぎないので全体のバランスを現しているとは限らないけど…。
ここのところ体調の加減で美術館に遠ざかっていたけれど、久しぶりの美術館はやっぱり良いなとおもった。三菱一号館美術館ができた当初は年間パスポートを買っていたんだけど、ある時から急に高くなってそれからは買っていなかった。でも、昨日行ったら年間パスポートが二種類になって、一つの方は一年間観放題で4000円なのでこれなら元はとれそうなので、また買うことにした。今回の展覧会は2月までやっているので、東京駅近くに来た時はまた観にこようと思った。
[Phillips Collection
My Best 5+1]
①「画家のアトリエ」 ラウル・デュフィ

(1935年)No.40
デュフィはぼくが高校生の頃画集で見た一枚の絵「La Vie en rose」ですっかりその色使いに魅せられているしまった。特にデュフィ・ブルーと言われるその青はぼくの深い所を揺さぶる。
この絵はモンマルトルにあった彼のアトリエを描いているが、殆ど同じ構図で右側に人物が描かれているものもある。デュフィ独特の輪郭線と色の微妙なずれ、ピンク系と青系のコントラスト、そして踊るような筆先どれをとってもデュフィらしい記憶に残る一枚だ。
②「プラムを盛った鉢と桃、水差し」 ジャン・シメオン・シャルダン

(1728年)No.1
この絵が三菱一号館美術館に展示されるのは2012年の素晴らしかったシャルダン展以来だと思う。その時もこの作品は最初のコーナーに展示されていたと思うけど、今回はこの展覧会の一枚目に展示されていた。
ごく小さな絵だけれども、ぼくもシャルダンの絵の中でも一番好きな絵の一枚だ。これを手に入れたダンカン・フィリップスは「…それが置かれた建築空間の気配に至るまで余すところなく再現されている。まさに至高の静物画」と絶賛している。
③「クールマイヨールとダン・デュ・ジェアン」 オスカー・ココシュカ

(1927年)No.55
ココシュカの作品はあまり観たことがなかったのだけれど、昨年ウィーンに行ったときにアルベルティーナ美術館を始め彼の多くの作品に触れることができ、その色彩や独特の震えるようなタッチに魅せられた。色彩感覚は違うけれどどこかしらエゴン・シーレを思い浮かべる。(シーレの方が4歳年下がだか…)
この絵はイタリア側から見たモンブランでまさに山が迫ってくるような迫力がある。ココシュカは作曲家マーラーの妻、アルマ・マーラーと愛人関係にあり二人でイタリアにも旅行している。その後二人は破局したのだけれどココシュカはアルマが忘れられず、一時期アルマの等身大人形を作り、外出にも連れて行ったという。
この絵はそれからずいぶんと時間が経ってから描かれているが、想い出のイタリアでどんな心境で描かれたのだろうか。日本でのココシュカの回顧展は1978年に神奈川、京都で行われてから久しい、またやって欲しい作家の一人だ。
④「サン=ミシェル河岸のアトリエ」 アンリ・マチス

(1916年)No.41
舞台はパリのマチスのアトリエ。大きな窓の向こうにはパリの街並みが見える。デュフィの青に対して、マチスの赤が好きなのだけれど、この絵でも室内に横たわっているマチスのお気に入りのモデル、ローレットが横たわっているのが赤いベットカヴァーなのだ。少し暗めの室内だけによけい赤が引き立つ。
描かれている時間帯は定かでないが、画面には静謐な時が流れている。こんなシチュエーションをどこかで見たような気がしたけど、それはたぶんエドワード・ホッパーの「Eleven A.M.(1926)」や「Morning Sun(1952)」なのだが、それはシチュエーションというよりも、そこに流れている時間の質が酷似しているということかもしれない。エドワード・ホッパーがこの絵の状況を描いたらどんな風になるだろうか、と絵の前で考え込んでしまった。
⑤「驟雨」 ジョルジュ・ブラック

(1952年)No.73
フィリップス・コレクションにはブラックの作品が多い。フィリップス自身はブラックをピカソよりも評価していた。彼に言わせれば「ブラックにとって抽象とは生からの逃避ではない。それは興味深く時に精緻な生の関係性を讃える誌なのだ」ということらしいが…。
ぼくは抽象画はどちらかと言えば苦手でマチスあたりが限界と言えば限界なのだが、この「驟雨」は一目で了解できただけでなく、その空気感まで感じることができた。俳句の季語に「麦秋」という言葉があり夏の季語なのだけど、それは麦の熟する初夏の頃なのだが、この絵を観ると色づいた麦畑の傍の道を歩いていると突然空が掻き曇り激しい雨が降り出した、そんな瞬間のように見える。
⑥「ハム」 ポール・ゴーガン

(1889年)No.22
この絵にお目にかかるのは2016年東京都美術館での「ゴッホとゴーギャン展」以来二度目になる。その時はゴッホの「タマネギの皿のある静物」とゴーガンのこの「ハム」が並べられて展示されていた。描かれたのは両方とも1889年、二人が袂を分かった後のことだ。
その展覧会の時のぼくのメモ「…まずゴッホのタマネギ~の方については観るのはクレラーミュラー美術館と先年の国立新美術館でのゴッホ展に続いて三度目となるけど、観るたびにそのピュアーな色彩に引き込まれる。これも残念ながら印刷では再現しにくい色だ。絵が光を放っているような明るい、そして混じりけのない画面。描かれた静物一つ一つにゴッホにとっての意味が込められている。
それに対してゴーギャンのハム。もしかしたらぼくはゴーギャンの絵の中でこれが一番好きかもしれない。色は紛れもなくゴーギャンの色になっているが、構図はセザンヌのようで、しかしそれほどには冷たくなく、静かな音楽のようだ。ゴッホのようには描かれた静物自体には何の思い入れもなくハムはあくまでハムなのだけれど、描かれたものからはもっと別なものが伝わってくる」
[図録]

195頁、2500円。大判の図録で内容は標準的なスタイルだが、すべての展示75作品について簡単な解説がついているのは親切。会場には要所要所にダンカン・フィリップス氏の各作家や作品に対する考え方が短い言葉で示されていて、彼がコレクションを選定するときの考え方が分かり、とても興味深かったのだが、そこら辺も図録の構成に取り込んでもらえるとよかったと思う。(開設の中には随所にそのような言葉は入っているが) 色は良く出ている。

作品目録の他に切り離すとカード式になっている作品写真がついてくる。
(Nov.2018)
gillman*s Memories 川瀬巴水
I remember...

版画は子供のころから好きで自分でもいたずらに彫ったりしていたのだけれど、特にどの作家が好きという程でもなかった(もちろん浮世絵版画の葛飾北斎や歌川広重等は別)。むしろリトグラフの方が好きになっていたのだが、フェリックス・ヴァロットンのモノクロの版画に出会ってから、その引き算みたいな美しさに憧れるようになった。
川瀬巴水の絵葉書も何枚かは持っていたけれど、本当に好きになったのは大田区立郷土博物館で開かれた「馬込時代の川瀬巴水展」を観てからだったと思う。その展覧会は無料の展覧会だったけど、巴水の傑作が一堂にそろっており、またその時の図録が充実していて今でもことあるごとに見直している。
近代版画の中ではこの川瀬巴水や小林清親そして小原古邨が好きなのだが、その中でも詩情性という点では巴水が抜きんでていると思う。ぼくは写真も好きなので巴水のような写真を撮りたいなと思うこともあるけど、自分の技量不足は棚上げにしても、もしかしたら写真では「写りすぎる」のかもしれない。巴水はその辺も心得ていたはずだ…と思う。
[雪]
「平泉金色堂」(1957年)

深々と降る雪の中を一人の僧が中尊寺金色堂への階段を上ってゆく姿を描いたもので昭和32年の巴水の絶筆といわれる作品。巴水自身はこの作品の刷り上がりは見ていないようだ。実は巴水は昭和10年に全く同じアングルで「平泉中尊寺金色堂」を描いている。ただそれは夜景で階段には僧の姿はない。
巴水がなぜこのタイミングで昔の構図に手を入れて作品を作り直したのかは知る由もないが、この時巴水は胃がんと戦っていたことを思うと、祈りにも近いものがあったのかもしれない。
巴水の版画には実に雪の情景が多い。彼の代表作の一つとされる「芝増上寺」(東京二十景)もそうだし、降りしきる雪の新たな表現に取り組んだ「三十間堀の暮雪」(東京十二か月)もしかり、まるで時間が止まったような雪の粒が美しい「夜の雪」(浦安)など枚挙にいとまないが、その雪の表情が多様なことも巴水の雪景色の醍醐味の一つだ。
[雨]
「品川」(東海道風景選集・1931年)

浮世絵版画の雨と言えば歌川広重の「大はしあたけの夕立」があまりにも有名だけれど、先年サントリー美術館の原安三郎のコレクションでそれを観たときには、その美しさに魅入られて立ち去り難い程だったのを覚えている。
広重の雨がどちらかというと画面にドラマチックな動きを与えているのに対し、巴水の雨は巴水の絵の画面の抒情性を強調する役目を果たしているように思う。篠突く雨も画面の静謐さを殺すものではない。
この「品川」に描かれたちょっと横殴りの吹き付けるような雨の向こうから番傘をさした人物の下駄の音が聞こえるようだ。よく観ると実に丁寧に刷られていて調べてみると巴水の版画の平均的刷色数を大きく上回る50色ほどが使われているらしい。
巴水の雨には、他にも「木曽の須原」(日本風景選集)や「但馬城埼」(旅みやげ第三集)などの視界を覆うような篠突く雨、まるで槍が降っているような太い雨の「森が崎の雨」の雨、広重の雨を彷彿とさせるような「今井橋之夕立」の雨、そして「湖畔茶屋の夜雨」における白い雨などその表現も様々である。
[夜]
「夜の新川」(東京十二選・1919年)

巴水は選ぶのに迷うほど夜景を多く描いている。その中でもこの作品は一風変わっている。構図は極めてシンプルで川に面した蔵に挟まれた細い路地から光がぼーっと漏れている。空には星が二つ輝いている。静かなのだけれど、光の漏れてくる道の向こうから誰かが今にも姿を現しそうな不思議な緊張感がある。
巴水には例えば「雪に暮る」(東京十二景)のような夜と雪、「新大橋」(東京二十景)のような夜と雨のように夜と天候の変化を組み合わせた情景を描いた作品も多い。また夜を引き立てる月の姿も「馬込の月」(東京二十景)のようにくっきりとした満月から「井之頭の春の夜」のようなおぼろ月まで見ていて飽きない。夜景は巴水の抒情性を支える大きな要素になっていると思う。
[紅葉]
「塩原乃秋・天狗岩乃下」(1950年)

巴水は東京生まれの東京育ちだけれど、幼い時は病弱だったらしく塩原に住む伯母のところによく預けられていたらしい。その縁もあってか戦時中は塩原に疎開している。また、版画家に転向して初めて世に認められた作品も「塩原おかね路」という塩原を題材にしたものだ。
雪や夜のようには巴水にとりわけ紅葉の題材が多いわけではないけど画面の暗い情景が多い中、逆にその鮮やかな色合いの画面は巴水のもう一つの側面を示すものとしてぼくの目を引き付ける。とりわけこの塩原乃秋は構図も気に入っていて秋になるとこの作品の後刷りを床の間にかけるのを楽しみにしている。
[橋]
「永代橋」(1937年)

巴水には震災後に東京の復興を願って描いた「新大橋」(東京二十景)があり雨に濡れた路面が光る表現が特に素晴らしい。さらに巴水が好きだったのかリクエストが多かったのか「清洲橋」は何回か描かれている。ぼくも好きな橋でその形はいかにも見栄えがするけど、絵になりすぎるという贅沢な悩みがある。
一方、この「永代橋」の方はいかにも平凡そうだが、よく観ると朝もやだろうか画面を微かに覆う空気感のようなものが感じられるし、橋の上を走る市電が車に変わっただけでその光景は今でも殆ど変わらないことも嬉しいし、カミさんが深川育ちでこの橋の袂で育ったという親近感もある。
巴水は他にも主な橋として、日光の神橋、二重橋、日本橋、赤坂弁慶橋、深川上の橋、錦帯橋、今井橋、野州佐久山岩井橋なども描いている。
(Nov.2018)
川瀬巴水
(†1957年11月7日)

版画は子供のころから好きで自分でもいたずらに彫ったりしていたのだけれど、特にどの作家が好きという程でもなかった(もちろん浮世絵版画の葛飾北斎や歌川広重等は別)。むしろリトグラフの方が好きになっていたのだが、フェリックス・ヴァロットンのモノクロの版画に出会ってから、その引き算みたいな美しさに憧れるようになった。
川瀬巴水の絵葉書も何枚かは持っていたけれど、本当に好きになったのは大田区立郷土博物館で開かれた「馬込時代の川瀬巴水展」を観てからだったと思う。その展覧会は無料の展覧会だったけど、巴水の傑作が一堂にそろっており、またその時の図録が充実していて今でもことあるごとに見直している。
近代版画の中ではこの川瀬巴水や小林清親そして小原古邨が好きなのだが、その中でも詩情性という点では巴水が抜きんでていると思う。ぼくは写真も好きなので巴水のような写真を撮りたいなと思うこともあるけど、自分の技量不足は棚上げにしても、もしかしたら写真では「写りすぎる」のかもしれない。巴水はその辺も心得ていたはずだ…と思う。
[巴水の情景 My Best 5]
[雪]
「平泉金色堂」(1957年)

深々と降る雪の中を一人の僧が中尊寺金色堂への階段を上ってゆく姿を描いたもので昭和32年の巴水の絶筆といわれる作品。巴水自身はこの作品の刷り上がりは見ていないようだ。実は巴水は昭和10年に全く同じアングルで「平泉中尊寺金色堂」を描いている。ただそれは夜景で階段には僧の姿はない。
巴水がなぜこのタイミングで昔の構図に手を入れて作品を作り直したのかは知る由もないが、この時巴水は胃がんと戦っていたことを思うと、祈りにも近いものがあったのかもしれない。
巴水の版画には実に雪の情景が多い。彼の代表作の一つとされる「芝増上寺」(東京二十景)もそうだし、降りしきる雪の新たな表現に取り組んだ「三十間堀の暮雪」(東京十二か月)もしかり、まるで時間が止まったような雪の粒が美しい「夜の雪」(浦安)など枚挙にいとまないが、その雪の表情が多様なことも巴水の雪景色の醍醐味の一つだ。
[雨]
「品川」(東海道風景選集・1931年)

浮世絵版画の雨と言えば歌川広重の「大はしあたけの夕立」があまりにも有名だけれど、先年サントリー美術館の原安三郎のコレクションでそれを観たときには、その美しさに魅入られて立ち去り難い程だったのを覚えている。
広重の雨がどちらかというと画面にドラマチックな動きを与えているのに対し、巴水の雨は巴水の絵の画面の抒情性を強調する役目を果たしているように思う。篠突く雨も画面の静謐さを殺すものではない。
この「品川」に描かれたちょっと横殴りの吹き付けるような雨の向こうから番傘をさした人物の下駄の音が聞こえるようだ。よく観ると実に丁寧に刷られていて調べてみると巴水の版画の平均的刷色数を大きく上回る50色ほどが使われているらしい。
巴水の雨には、他にも「木曽の須原」(日本風景選集)や「但馬城埼」(旅みやげ第三集)などの視界を覆うような篠突く雨、まるで槍が降っているような太い雨の「森が崎の雨」の雨、広重の雨を彷彿とさせるような「今井橋之夕立」の雨、そして「湖畔茶屋の夜雨」における白い雨などその表現も様々である。
[夜]
「夜の新川」(東京十二選・1919年)

巴水は選ぶのに迷うほど夜景を多く描いている。その中でもこの作品は一風変わっている。構図は極めてシンプルで川に面した蔵に挟まれた細い路地から光がぼーっと漏れている。空には星が二つ輝いている。静かなのだけれど、光の漏れてくる道の向こうから誰かが今にも姿を現しそうな不思議な緊張感がある。
巴水には例えば「雪に暮る」(東京十二景)のような夜と雪、「新大橋」(東京二十景)のような夜と雨のように夜と天候の変化を組み合わせた情景を描いた作品も多い。また夜を引き立てる月の姿も「馬込の月」(東京二十景)のようにくっきりとした満月から「井之頭の春の夜」のようなおぼろ月まで見ていて飽きない。夜景は巴水の抒情性を支える大きな要素になっていると思う。
[紅葉]
「塩原乃秋・天狗岩乃下」(1950年)

巴水は東京生まれの東京育ちだけれど、幼い時は病弱だったらしく塩原に住む伯母のところによく預けられていたらしい。その縁もあってか戦時中は塩原に疎開している。また、版画家に転向して初めて世に認められた作品も「塩原おかね路」という塩原を題材にしたものだ。
雪や夜のようには巴水にとりわけ紅葉の題材が多いわけではないけど画面の暗い情景が多い中、逆にその鮮やかな色合いの画面は巴水のもう一つの側面を示すものとしてぼくの目を引き付ける。とりわけこの塩原乃秋は構図も気に入っていて秋になるとこの作品の後刷りを床の間にかけるのを楽しみにしている。
[橋]
「永代橋」(1937年)

巴水には震災後に東京の復興を願って描いた「新大橋」(東京二十景)があり雨に濡れた路面が光る表現が特に素晴らしい。さらに巴水が好きだったのかリクエストが多かったのか「清洲橋」は何回か描かれている。ぼくも好きな橋でその形はいかにも見栄えがするけど、絵になりすぎるという贅沢な悩みがある。
一方、この「永代橋」の方はいかにも平凡そうだが、よく観ると朝もやだろうか画面を微かに覆う空気感のようなものが感じられるし、橋の上を走る市電が車に変わっただけでその光景は今でも殆ど変わらないことも嬉しいし、カミさんが深川育ちでこの橋の袂で育ったという親近感もある。
巴水は他にも主な橋として、日光の神橋、二重橋、日本橋、赤坂弁慶橋、深川上の橋、錦帯橋、今井橋、野州佐久山岩井橋なども描いている。
(Nov.2018)
The Museum of the Month Larsson展
The Museum of the Month

北欧の画家というとぼくなんかは真っ先に大好きなデンマークの画家であるヴィルヘルム・ハンマースホイの名前が浮かぶし先年、国立西洋美術館で行われた「スケーエン派絵画展」でのアンカー夫妻の絵が特に印象に残っているのだけれど、時期的に言えば今は当然ノルウェーの画家ムンクの名が浮かんでくる。
それに、ちょっとマイナーかもしれないけど、以前東京藝術大学美術館で行われたフィンランドの女流画家、ヘレン・シャフベックの一連の絵も魅力的だったのを覚えている。
で、今度は北欧のもう一つの国スウェーデンの画家カール・ラーションの展覧会が今損保ジャパン美術館(名前が長すぎるので短くしてます)で開かれているので、新宿に出た折に寄ってみた。
ぼくはこのラーションという画家について寡聞にして知らなかったのだけれど、展示物は絵画に限らずラーション夫人の手芸やインテリア家具まであり、どうもスウェーデンではそのラーション夫妻のライフ・スタイル自体が一つのコンセプト、作品としてとらえられているらしいことに気付いた。
とはいえラーションのデッサンの手堅さはやっぱり特筆に値する感じがして「絵葉書を描くモデル」などは一見アールヌーボーふうでもあるが、その線の確かさ(浮世絵の影響を受けているらしい)や色遣いの素晴らしさに見入った。

北欧絵画を一つに括るのはとっても失礼だけれど、それを承知であえて言えばやっぱり冬の長さとか厳しさとかの関係か、ハンマースホイの室内絵画のように感性が自己の内面や室内などに向けられる傾向があるみたいに思う。
会場の最後のコーナーにはラーション家風の部屋のインテリアがしつらえられており家具などはIKEAのものだった。会場の表示にもラーション一家のライフ・スタイルを具現化しようとするものがIKEAでもあるというようなプレートがあって、なるほどと思った。


カール・ラーション展
損保ジャパン日本興亜美術館
2018年9月22日~12月24日

北欧の画家というとぼくなんかは真っ先に大好きなデンマークの画家であるヴィルヘルム・ハンマースホイの名前が浮かぶし先年、国立西洋美術館で行われた「スケーエン派絵画展」でのアンカー夫妻の絵が特に印象に残っているのだけれど、時期的に言えば今は当然ノルウェーの画家ムンクの名が浮かんでくる。
それに、ちょっとマイナーかもしれないけど、以前東京藝術大学美術館で行われたフィンランドの女流画家、ヘレン・シャフベックの一連の絵も魅力的だったのを覚えている。
で、今度は北欧のもう一つの国スウェーデンの画家カール・ラーションの展覧会が今損保ジャパン美術館(名前が長すぎるので短くしてます)で開かれているので、新宿に出た折に寄ってみた。
ぼくはこのラーションという画家について寡聞にして知らなかったのだけれど、展示物は絵画に限らずラーション夫人の手芸やインテリア家具まであり、どうもスウェーデンではそのラーション夫妻のライフ・スタイル自体が一つのコンセプト、作品としてとらえられているらしいことに気付いた。
とはいえラーションのデッサンの手堅さはやっぱり特筆に値する感じがして「絵葉書を描くモデル」などは一見アールヌーボーふうでもあるが、その線の確かさ(浮世絵の影響を受けているらしい)や色遣いの素晴らしさに見入った。

北欧絵画を一つに括るのはとっても失礼だけれど、それを承知であえて言えばやっぱり冬の長さとか厳しさとかの関係か、ハンマースホイの室内絵画のように感性が自己の内面や室内などに向けられる傾向があるみたいに思う。
会場の最後のコーナーにはラーション家風の部屋のインテリアがしつらえられており家具などはIKEAのものだった。会場の表示にもラーション一家のライフ・スタイルを具現化しようとするものがIKEAでもあるというようなプレートがあって、なるほどと思った。


(Nov.2018)
gillman*s Museum Bonnard
The Museum of the Month

[感想メモ]
この春に歩くと激痛を感じるようになって、それ以来リハビリを重ねているのだけれど、やっと最近平地を何とか歩けるようになって来たということで、本当に久しぶりに美術館に行った。
手始めにウチから一番行きやすい国立新美術館でやっている「ピエール・ボナール展」を訪れた。ボナールはぼくも大好きな画家で、2010年にやはり国立新美術館での「ポスト印象派展」や、2017年に三菱一号館美術館で開かれた「オルセーのナビ派展」でも数多くのボナールの作品に出会うことができた。
今回はそのボナール自身の回顧展ということで久々の美術館ということもあって胸がたかなった。オルセー美術館を中心とするボナールの作品が並んだ様は壮観だったけれど、平日ということもあってか会場は素っ気ないほど人が少なかった。お陰でゆったりと心ゆくまで堪能出来たけど、日本ではあまり人気がないのかとちょっと寂しい気持ちにもなったのも事実だ。
①浴盤にしゃがむ裸婦

(1918年)[No.68]
ナビ派のアンティミスト(親密派)とされるボナールは日常の光景を数多く描いているけど、その中でも彼の妻のマルトを描いた絵がとても多い。
これもその一枚だけど、妻のマルトが床に置かれた浴槽の中に入りその中に置かれた器にお湯を注いでいる情景を明るいタッチで描いている。これによく似た「浴槽、ブルーのハーモニー」(1917年頃)を以前ポーラ美術館蔵で観たことがあるけど、それも同様の情景を描いてやはり素晴らしかった。
実は「浴盤に…」にそっくりの格好をしたマルトの写真をボナールは1908年頃に自分で撮っている。これも実にいい写真だ。その写真も会場の他の場所に展示してあったのだが、この絵やポーラ美術館の絵はそれから随分と時が経ってから描いている。
神経症のために一日に何度も湯浴みしたと言われるマルトの姿がボナールの頭の中でも何度も反芻され、それがやがて優しい光を抱えた単純化された画面へと昇華されていったのかもしれない。
②猫と女性 あるいは餌をねだる猫
(1912)[No.86]
これは昨年の三菱一号館美術館での「オルセーのナビ派展」以来の再会。大きな絵ではないが、ボナールの代表作のひとつだと思う。
今回の展覧会でもその感を強くしたのだけれど、ボナールは中・小サイズの絵に佳作が多いように思う。この絵もその一つだ。画面は赤と緑という対立する色を使いながらも中央の白い猫の存在がそれを融和させている。
ぼくは猫が大好きで家にも三匹いるのだけれど、この猫を何処かで見たことがあると思ったら、あのルナールの「博物誌」の挿絵をボナールが描いているのだが、その猫の項の処に描かれていたデッサン風の猫にそっくりなのだ。

③ジュール・ルナール「博物誌」挿絵

(1904)[No.27]
会場にはルナールの本「博物誌」の現物が置かれていた。昔から大好きな本で何度も読み返していたのでちょっと感激。
「博物誌」は身近な動物をルナールの洒脱な文章で表現している。例えば「猫」の項はこんな文章で始まる。「私のは鼠を食わない。そんなことをするのがいやなのだ。…」で、その文章のそばにボナールの描いた猫が鎮座している。
ボナールの絵は挿絵というよりは、文章と一体で一つの表現になっていると言っても過言ではない。彼の絵はルナールの文章に負けないくらい洒脱で素敵だ。残念ながら会場ではすべてのページを観ることは出来ないが、幸いこの「博物誌」をAmazonのKindle版から無料でダウンロードすることができるので覗いてみると楽しいと思う。
④桟敷席

(1908)[No.85]
一見して異様な雰囲気が感じられる。劇場の桟敷席に二組の男女が居るのだが、ちっとも楽しそうでもないしお互いに相愛のようにも見えない。
全体が暗い画面の左から光が漏れてコントラストを作り出すと同時に不安げな空気も示唆している。ナビ派の画家はよく劇場の光景を描いているが、それとも何処か異なっている。
こんな雰囲気の絵を観たことがあるなぁと絵の前で考えていたら、ヴァロットンのことが頭に浮かんだ。この妖しげなそして男女の気だるいような空気はヴァロットンの世界そのものだ。
ヴァロットンはボナールと一つ違いで国は違うけどやはりナビ派に属する画家なのでどこか通底するものがあり、それが画面に出ているのかもしれない。
⑤ル・カネの食堂の片隅

(1932)[No.92]
ル・カネはカンヌの郊外にあり、そこにボナールは別荘を構えた。この絵はその家の食堂を描いたものだが、この絵はひとえにその色彩と震えるようなボナール独特の境界線の魅力に尽きると思う。
ボナールはこのル・カネの食堂の連作を何枚か描いているがどれも明るい陽光が差し込む食堂の雰囲気が出ていてぼくは好きだ。1930年頃のボナールの静物画は多くの鮮やかな色彩を使っているのにどこか静謐でざわめいたところが無く良い。
小品だが国立西洋美術館にある「花」もこの頃の作品で、行くたびに見入ってしまう。今は常設展の一番最後の方に展示されているけど(会期中はボナール展に展示)、最後にその絵とハンマースホイの絵を観て余韻に浸りながら美術館を後にするのがなんとも心地よい。
[図 録]

262頁。2500円。ぼくのところにはナビ派の画集はあるのだけれど、ボナールだけのは無かったのでありがたかった。ハードカヴァーのコンパクトな作りでボナールらしい雰囲気が出ている。全体としては良くまとまっているし、会場では小さくてなかなか見にくかったボナールの撮った写真やルナールの「博物誌」の全頁載っているなど、展覧会後に見直しても楽しい図録になっている。
ピエール・ボナール展
国立新美術館
2018年9月26日~12月17日

[感想メモ]
この春に歩くと激痛を感じるようになって、それ以来リハビリを重ねているのだけれど、やっと最近平地を何とか歩けるようになって来たということで、本当に久しぶりに美術館に行った。
手始めにウチから一番行きやすい国立新美術館でやっている「ピエール・ボナール展」を訪れた。ボナールはぼくも大好きな画家で、2010年にやはり国立新美術館での「ポスト印象派展」や、2017年に三菱一号館美術館で開かれた「オルセーのナビ派展」でも数多くのボナールの作品に出会うことができた。
今回はそのボナール自身の回顧展ということで久々の美術館ということもあって胸がたかなった。オルセー美術館を中心とするボナールの作品が並んだ様は壮観だったけれど、平日ということもあってか会場は素っ気ないほど人が少なかった。お陰でゆったりと心ゆくまで堪能出来たけど、日本ではあまり人気がないのかとちょっと寂しい気持ちにもなったのも事実だ。
ボナール展
[My Best 5]
①浴盤にしゃがむ裸婦

(1918年)[No.68]
ナビ派のアンティミスト(親密派)とされるボナールは日常の光景を数多く描いているけど、その中でも彼の妻のマルトを描いた絵がとても多い。
これもその一枚だけど、妻のマルトが床に置かれた浴槽の中に入りその中に置かれた器にお湯を注いでいる情景を明るいタッチで描いている。これによく似た「浴槽、ブルーのハーモニー」(1917年頃)を以前ポーラ美術館蔵で観たことがあるけど、それも同様の情景を描いてやはり素晴らしかった。
実は「浴盤に…」にそっくりの格好をしたマルトの写真をボナールは1908年頃に自分で撮っている。これも実にいい写真だ。その写真も会場の他の場所に展示してあったのだが、この絵やポーラ美術館の絵はそれから随分と時が経ってから描いている。
神経症のために一日に何度も湯浴みしたと言われるマルトの姿がボナールの頭の中でも何度も反芻され、それがやがて優しい光を抱えた単純化された画面へと昇華されていったのかもしれない。
②猫と女性 あるいは餌をねだる猫

これは昨年の三菱一号館美術館での「オルセーのナビ派展」以来の再会。大きな絵ではないが、ボナールの代表作のひとつだと思う。
今回の展覧会でもその感を強くしたのだけれど、ボナールは中・小サイズの絵に佳作が多いように思う。この絵もその一つだ。画面は赤と緑という対立する色を使いながらも中央の白い猫の存在がそれを融和させている。
ぼくは猫が大好きで家にも三匹いるのだけれど、この猫を何処かで見たことがあると思ったら、あのルナールの「博物誌」の挿絵をボナールが描いているのだが、その猫の項の処に描かれていたデッサン風の猫にそっくりなのだ。

③ジュール・ルナール「博物誌」挿絵

(1904)[No.27]
会場にはルナールの本「博物誌」の現物が置かれていた。昔から大好きな本で何度も読み返していたのでちょっと感激。
「博物誌」は身近な動物をルナールの洒脱な文章で表現している。例えば「猫」の項はこんな文章で始まる。「私のは鼠を食わない。そんなことをするのがいやなのだ。…」で、その文章のそばにボナールの描いた猫が鎮座している。
ボナールの絵は挿絵というよりは、文章と一体で一つの表現になっていると言っても過言ではない。彼の絵はルナールの文章に負けないくらい洒脱で素敵だ。残念ながら会場ではすべてのページを観ることは出来ないが、幸いこの「博物誌」をAmazonのKindle版から無料でダウンロードすることができるので覗いてみると楽しいと思う。
④桟敷席

(1908)[No.85]
一見して異様な雰囲気が感じられる。劇場の桟敷席に二組の男女が居るのだが、ちっとも楽しそうでもないしお互いに相愛のようにも見えない。
全体が暗い画面の左から光が漏れてコントラストを作り出すと同時に不安げな空気も示唆している。ナビ派の画家はよく劇場の光景を描いているが、それとも何処か異なっている。
こんな雰囲気の絵を観たことがあるなぁと絵の前で考えていたら、ヴァロットンのことが頭に浮かんだ。この妖しげなそして男女の気だるいような空気はヴァロットンの世界そのものだ。
ヴァロットンはボナールと一つ違いで国は違うけどやはりナビ派に属する画家なのでどこか通底するものがあり、それが画面に出ているのかもしれない。
⑤ル・カネの食堂の片隅

(1932)[No.92]
ル・カネはカンヌの郊外にあり、そこにボナールは別荘を構えた。この絵はその家の食堂を描いたものだが、この絵はひとえにその色彩と震えるようなボナール独特の境界線の魅力に尽きると思う。
ボナールはこのル・カネの食堂の連作を何枚か描いているがどれも明るい陽光が差し込む食堂の雰囲気が出ていてぼくは好きだ。1930年頃のボナールの静物画は多くの鮮やかな色彩を使っているのにどこか静謐でざわめいたところが無く良い。
小品だが国立西洋美術館にある「花」もこの頃の作品で、行くたびに見入ってしまう。今は常設展の一番最後の方に展示されているけど(会期中はボナール展に展示)、最後にその絵とハンマースホイの絵を観て余韻に浸りながら美術館を後にするのがなんとも心地よい。
[図 録]

262頁。2500円。ぼくのところにはナビ派の画集はあるのだけれど、ボナールだけのは無かったのでありがたかった。ハードカヴァーのコンパクトな作りでボナールらしい雰囲気が出ている。全体としては良くまとまっているし、会場では小さくてなかなか見にくかったボナールの撮った写真やルナールの「博物誌」の全頁載っているなど、展覧会後に見直しても楽しい図録になっている。
(Oct.2018)
gillman*s Momories Egon Schiele
I remember...
![DSC00792[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_DSC007925B15D.jpg)
この10月31日はEgon Schiele(エゴン・シーレ)の没後100年にあたる。同時に今年はグスタフ・クリムトの没後100年にもあたるのだけれども。来年には日本でもクリムトやシーレの大規模な展覧会が予定されている。
昨年久しぶりにウィーンを訪れたのだが、ウィーンの街中が没後100年の前夜祭のような雰囲気に包まれていて驚いた。以前来た時にはクリムト作品はもちろんベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリーで見られたのだけれど、シーレの作品は余り印象になかった。それが今回はレオポルド美術館がエゴン・シーレ美術館と言えるほど彼の作品が充実していた。
日本では圧倒的にクリムトが有名だけれど、ウィーンで感じたのはいつの間にかこの二人が同じような重さで扱われるようになってきたなという印象だった。もちろんクリムトに対してシーレは28歳という若さで亡くなり、その作品も少なく、かつウィーンに偏在していることから、それが世界的な傾向になるとは言えないけれど、時代の変遷を感じたことは間違いない。
正直言って多くの実物に触れるまではシーレの作品は余り好きではなかった。いわゆる「あくの強い」画風だし、そのくすんだ色も今一つ好きになれなかった。しかし、実物を観ると、その線の繊細さ、構図の素晴らしさ(特に風景画のコンポジション的美しさ)に魅せられたと同時に、絵を前にすると実に色々な感情が伝わってくる不思議な力を持っているように感じた。
来年日本で行われるシーレを中心とするセセッション(分離派)の作家の展覧会でシーレのどの作品と再会できるかも楽しみになった。今回は昨年ウィーンで出会ったシーレの作品のMyBest5+1を挙げてみた。
[Egon Schiele My Best5+1]
①画家の妻の肖像、エディート・シーレ(1918)

ベルヴェデーレ・オーストリアギャラリー
実に堂々とした肖像画だ。シーレの絵はどんどん暗さを増してゆくが、この絵では暗い背景の中に妻のエディートが浮かび上がり、まるで画家が世の中の彼女しか見ていないように…。エディートの視線もレオポルド美術館の「縞のドレスを着て座るエーディト・シーレ(1915)」のそれのように弱々しくはない。
ぼくらは歴史的事実としてこの年彼女とシーレを襲う悲劇を知ってしまっているから、彼女の表情にそれを投影してしまいそうだけれど、そうではないと思う。彼女の視線はしっかりと一点を見つめ、表情は真面目で実直そうな一面をのぞかせている。この絵はシーレがこの年セセッションのメインホールで行われ大成功を収めた展示会に出品され、オーストリアの美術館が初めて買い上げた作品となった。
②死と乙女(1915)
![IMG_0364[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_IMG_03645B15D.jpg)
![IMG_0368sm[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_IMG_0368sm5B15D.jpg)
ベルヴェデーレ・オーストリアギャラリー
しっかりと抱き合っているのはシーレと恋人のヴァリだ。この絵の題名「死と乙女」は先年公開されたシーレの伝記的映画のタイトルにもなっている。恋人のヴァリとは四月くらいまで一緒にいたのだが、その間にも彼はパトロンにヴァリとではなくエーディトと結婚するだろうと言っている。ひしと抱き合う二人は冷徹な目をした死神に乙女が必死で抱きついている…ようにも見える。
③横たわる女(1917)
![DSC00851[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_DSC008515B15D.jpg)
レオポルド美術館
レオポルド美術館のシーレの展示の最も最後の方に掛けられており、シーレの人生においても最後に近い時期の作品である。髪の長い女性がしわくちゃなシーツの上に股を開いたしどけない姿で横たわっている。
最初のヴァージョンはもっと露骨な図柄だったらしいが、シーレは翌年春のセセッションに展示するつもりもあり、ちょっと手直しをしている。この手の構図は裸のマハやオランピアの延長上にあるのかもしれないが、広がったシーツに横たわる女性のフォルムなど絶妙なバランスでシーレの絵の中でも最も美しい一枚に数えられると思う。
④家のカーブ(1915)
![DSC00837[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_DSC008375B15D.jpg)
レオポルド美術館
これはKrumau(クルマウ:チェスキークルムロフのドイツ語名)の城から街を見下ろした光景だが、絵の原題にドイツ語でbogen (弓なり)という言葉が使われているように、中洲の街並みの全体に弓なりになっているフォルムを強調している。
シーレの描く人物画はアクが強く時には彼の傲慢さが前面に出ていることもあるけど、彼の描く風景画は多分にコンポジション的でその渋い色彩とも相まって不思議な世界を作り出している。
⑤鬼灯(ホオズキ)の実のある自画像(1912)
![DSC00813[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_DSC008135B15D.jpg)
![DSC00816[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_DSC008165B15D.jpg)
レオポルド美術館
小さい絵だけれど彼の代表作の一つに数えられると思う。この絵を観るものを睥睨するような彼の目線は、彼が他人や世間を見つめる視線そのものではないかと、ぼくには思える。もちろんこの絵における彼の目線は恋人ヴァリを愛おしむそれであったとは思うのだけれど…。
この絵は彼の以前の恋人(モデルであり、恋人であり、プロモーターでもあった)ヴァリ・ノイツィルの絵と対をなすもので美術館でもこの絵と並べて展示されている。シーレの絵の目線に対して、もう一枚の絵の中のヴァリの青い目線は、訝るようにも、問いかけているようにも見える。この後シーレはヴァリと別れエーディトと結婚する。でも、その後もヴァリとは時々逢いたいと手紙に書いているが、彼女は従軍看護婦となってクロアチアで病死してしまう。
⑥縞のドレスを着て座るエーディト・シーレ(1915)
![IMG_0889[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_IMG_08895B15D.jpg)
レオポルド美術館
ヴァリと別れてシーレはエーディトと結婚する。背を丸くして見上げている三角形の構図は安定しているのだけれど、どこか観るものを落ち着かない気持ちにするのはやはり、このエーディトの視線かもしれない。
ちょっとおどおどとしているようにも思える。この三年後エーディトは妊娠するが6ヶ月の時スペイン風邪に罹り急逝、シーレもその三日後の10月31日にやはりスペイン風邪で亡くなった。享年28歳。美術館の壁にはこの絵と並んで作品「母と子」が掛けられていた。
(Oct.2018)
エゴン・シーレ
(† 1918年10月31日)
没後100年
![DSC00792[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_DSC007925B15D.jpg)
この10月31日はEgon Schiele(エゴン・シーレ)の没後100年にあたる。同時に今年はグスタフ・クリムトの没後100年にもあたるのだけれども。来年には日本でもクリムトやシーレの大規模な展覧会が予定されている。
昨年久しぶりにウィーンを訪れたのだが、ウィーンの街中が没後100年の前夜祭のような雰囲気に包まれていて驚いた。以前来た時にはクリムト作品はもちろんベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリーで見られたのだけれど、シーレの作品は余り印象になかった。それが今回はレオポルド美術館がエゴン・シーレ美術館と言えるほど彼の作品が充実していた。
日本では圧倒的にクリムトが有名だけれど、ウィーンで感じたのはいつの間にかこの二人が同じような重さで扱われるようになってきたなという印象だった。もちろんクリムトに対してシーレは28歳という若さで亡くなり、その作品も少なく、かつウィーンに偏在していることから、それが世界的な傾向になるとは言えないけれど、時代の変遷を感じたことは間違いない。
正直言って多くの実物に触れるまではシーレの作品は余り好きではなかった。いわゆる「あくの強い」画風だし、そのくすんだ色も今一つ好きになれなかった。しかし、実物を観ると、その線の繊細さ、構図の素晴らしさ(特に風景画のコンポジション的美しさ)に魅せられたと同時に、絵を前にすると実に色々な感情が伝わってくる不思議な力を持っているように感じた。
来年日本で行われるシーレを中心とするセセッション(分離派)の作家の展覧会でシーレのどの作品と再会できるかも楽しみになった。今回は昨年ウィーンで出会ったシーレの作品のMyBest5+1を挙げてみた。
[Egon Schiele My Best5+1]
①画家の妻の肖像、エディート・シーレ(1918)

ベルヴェデーレ・オーストリアギャラリー
実に堂々とした肖像画だ。シーレの絵はどんどん暗さを増してゆくが、この絵では暗い背景の中に妻のエディートが浮かび上がり、まるで画家が世の中の彼女しか見ていないように…。エディートの視線もレオポルド美術館の「縞のドレスを着て座るエーディト・シーレ(1915)」のそれのように弱々しくはない。
ぼくらは歴史的事実としてこの年彼女とシーレを襲う悲劇を知ってしまっているから、彼女の表情にそれを投影してしまいそうだけれど、そうではないと思う。彼女の視線はしっかりと一点を見つめ、表情は真面目で実直そうな一面をのぞかせている。この絵はシーレがこの年セセッションのメインホールで行われ大成功を収めた展示会に出品され、オーストリアの美術館が初めて買い上げた作品となった。
②死と乙女(1915)
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ベルヴェデーレ・オーストリアギャラリー
しっかりと抱き合っているのはシーレと恋人のヴァリだ。この絵の題名「死と乙女」は先年公開されたシーレの伝記的映画のタイトルにもなっている。恋人のヴァリとは四月くらいまで一緒にいたのだが、その間にも彼はパトロンにヴァリとではなくエーディトと結婚するだろうと言っている。ひしと抱き合う二人は冷徹な目をした死神に乙女が必死で抱きついている…ようにも見える。
③横たわる女(1917)
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レオポルド美術館
レオポルド美術館のシーレの展示の最も最後の方に掛けられており、シーレの人生においても最後に近い時期の作品である。髪の長い女性がしわくちゃなシーツの上に股を開いたしどけない姿で横たわっている。
最初のヴァージョンはもっと露骨な図柄だったらしいが、シーレは翌年春のセセッションに展示するつもりもあり、ちょっと手直しをしている。この手の構図は裸のマハやオランピアの延長上にあるのかもしれないが、広がったシーツに横たわる女性のフォルムなど絶妙なバランスでシーレの絵の中でも最も美しい一枚に数えられると思う。
④家のカーブ(1915)
![DSC00837[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_DSC008375B15D.jpg)
レオポルド美術館
これはKrumau(クルマウ:チェスキークルムロフのドイツ語名)の城から街を見下ろした光景だが、絵の原題にドイツ語でbogen (弓なり)という言葉が使われているように、中洲の街並みの全体に弓なりになっているフォルムを強調している。
シーレの描く人物画はアクが強く時には彼の傲慢さが前面に出ていることもあるけど、彼の描く風景画は多分にコンポジション的でその渋い色彩とも相まって不思議な世界を作り出している。
⑤鬼灯(ホオズキ)の実のある自画像(1912)
![DSC00813[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_DSC008135B15D.jpg)
![DSC00816[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_DSC008165B15D.jpg)
レオポルド美術館
小さい絵だけれど彼の代表作の一つに数えられると思う。この絵を観るものを睥睨するような彼の目線は、彼が他人や世間を見つめる視線そのものではないかと、ぼくには思える。もちろんこの絵における彼の目線は恋人ヴァリを愛おしむそれであったとは思うのだけれど…。
この絵は彼の以前の恋人(モデルであり、恋人であり、プロモーターでもあった)ヴァリ・ノイツィルの絵と対をなすもので美術館でもこの絵と並べて展示されている。シーレの絵の目線に対して、もう一枚の絵の中のヴァリの青い目線は、訝るようにも、問いかけているようにも見える。この後シーレはヴァリと別れエーディトと結婚する。でも、その後もヴァリとは時々逢いたいと手紙に書いているが、彼女は従軍看護婦となってクロアチアで病死してしまう。
⑥縞のドレスを着て座るエーディト・シーレ(1915)
![IMG_0889[1].jpg](/_images/blog/_bb1/gillman/m_IMG_08895B15D.jpg)
レオポルド美術館
ヴァリと別れてシーレはエーディトと結婚する。背を丸くして見上げている三角形の構図は安定しているのだけれど、どこか観るものを落ち着かない気持ちにするのはやはり、このエーディトの視線かもしれない。
ちょっとおどおどとしているようにも思える。この三年後エーディトは妊娠するが6ヶ月の時スペイン風邪に罹り急逝、シーレもその三日後の10月31日にやはりスペイン風邪で亡くなった。享年28歳。美術館の壁にはこの絵と並んで作品「母と子」が掛けられていた。
(Oct.2018)
gillman*s Memories 志ん朝とEvans
■gillman*s Memories
I remember…
ぼくのスマホのカレンダーの画面が9月の画面に変わると4つの日付にリマインダーが現れた。9月といっても一画面に35日分が表示されるから大抵は9月1日から10月の初め位までを俯瞰することができる。そのリマインダーは9月12日が母の命日、9月15日がBill Evansの命日、9月26日が親父の命日、そして10月1日が古今亭志ん朝の命日であることを示している。
志ん朝もEvansもその分野こそ違うがぼくの大好きなアーチストだ。ちょっとこじつけ臭くなるけど、考えてみるとこの二人の間にはいくつかの共通点がある。残念なことに二人とも夭折してしまった。Evansは51歳、志ん朝は63歳で亡くなっている。二人ともその世界では比類ないほどに非凡だった。二人とも若くして既に完成していたような面がある。
もちろん歳とともに変化はしてゆくが、志ん朝はもう若いころの高座から志ん朝の風情があったし、Evansも26歳の時の最初のアルバム「New Jazz Conception/Bill Evans」のWalz for DebbyからしてもうEvansだったような気がする。もちろん、それでこの二人が老境の域に達するまで生きていてくれたら、という無念さを埋めてくれるものではないけれど…
そしてぼくがこの二人に一番共通していると思っていることは、この二人が持つ端正さと男の色気のよう雰囲気だ。その芸は知的なものの中にぞくっとするような深遠な世界を持っている。秋の夜長はこの二人の遺産に酔ってみたい気がする。
[My Favourite 3 Evans]
Bill Evans/Portrait in Jazz

1959年、どれもEvansのピアノとラファロの凄いベースとがかみ合ってとにかくいい。特にAutumn LeavesはTake1とTake2が入っているが、どちらも素晴らしい。Bill Evans Trioの第一作らしい気合が入っていると思う。
Bill Evans/Undercurrent

1962年、Jimm Hallのギターの素晴らしさを知ったのはこのアルバムだった。わくわくするようなテンポ。My Fanny Valentineも2Take入っている。ジャケットも素晴らしかったなぁ。LPのジャケットはいつも机の脇に飾っていたけれど、CDになると小さくて…
Bill Evans/You must believe in Spring

1977年、アルバムタイトルはミシェル・ルグランの曲。ピアノの流れるような動きをEddie Gomezのベースがしっかりと受け止めて例えようのない美しい世界を作り出してる。どの曲も心に響いてくる。録音もとてもいい。
[My Favourite 3 志ん朝]
古今亭志ん朝/化け物使い

志ん朝の話の中でぼくが一番好きな噺だ。人使いの荒い隠居についに奉公人も転居を機に見限って出ていくが、隠居は平然として転居先に出てくる化け物を顎で使うという、いわば他愛ない噺。化け物の台詞は一言もないのに、志ん朝はまるでその化け物が目の前にいるかのように演じきる。親父の志ん生もやっているけど、この噺は志ん朝の方がうまいと思っている。
古今亭志ん朝/明烏

桂文楽が十八番にしていた郭噺。初心な若旦那が町内の悪友に騙されて吉原に連れてゆかれるという噺だが。志ん朝の色気が如何なく発揮されている。特に下げのところで花魁と一つ床で朝を迎えた若旦那が、迎えにきた悪友に言う言葉なんかは志ん朝でなければ出せない味がある。
古今亭志ん朝/愛宕山

幇間、いわゆる太鼓持ちの噺。太鼓持ちの一八が、旦那の遊山に愛宕山についてゆくが、旦那が遊びで谷底に投げた小判を命がけで拾いにゆくという噺。旦那、芸者、取り巻き、そして太鼓持ちと登場人物が多彩だが志ん朝の手にかかると、その一人一人のキャラクターが手に取るように見えてくる。
(Sept.2018 revised)
I remember…
志ん朝とEvans
Bill Evans (†1980年9月15日)
古今亭志ん朝 (†2001年10月1日)
ぼくのスマホのカレンダーの画面が9月の画面に変わると4つの日付にリマインダーが現れた。9月といっても一画面に35日分が表示されるから大抵は9月1日から10月の初め位までを俯瞰することができる。そのリマインダーは9月12日が母の命日、9月15日がBill Evansの命日、9月26日が親父の命日、そして10月1日が古今亭志ん朝の命日であることを示している。
志ん朝もEvansもその分野こそ違うがぼくの大好きなアーチストだ。ちょっとこじつけ臭くなるけど、考えてみるとこの二人の間にはいくつかの共通点がある。残念なことに二人とも夭折してしまった。Evansは51歳、志ん朝は63歳で亡くなっている。二人ともその世界では比類ないほどに非凡だった。二人とも若くして既に完成していたような面がある。
もちろん歳とともに変化はしてゆくが、志ん朝はもう若いころの高座から志ん朝の風情があったし、Evansも26歳の時の最初のアルバム「New Jazz Conception/Bill Evans」のWalz for DebbyからしてもうEvansだったような気がする。もちろん、それでこの二人が老境の域に達するまで生きていてくれたら、という無念さを埋めてくれるものではないけれど…
そしてぼくがこの二人に一番共通していると思っていることは、この二人が持つ端正さと男の色気のよう雰囲気だ。その芸は知的なものの中にぞくっとするような深遠な世界を持っている。秋の夜長はこの二人の遺産に酔ってみたい気がする。
[My Favourite 3 Evans]
Bill Evans/Portrait in Jazz

1959年、どれもEvansのピアノとラファロの凄いベースとがかみ合ってとにかくいい。特にAutumn LeavesはTake1とTake2が入っているが、どちらも素晴らしい。Bill Evans Trioの第一作らしい気合が入っていると思う。
Bill Evans/Undercurrent

1962年、Jimm Hallのギターの素晴らしさを知ったのはこのアルバムだった。わくわくするようなテンポ。My Fanny Valentineも2Take入っている。ジャケットも素晴らしかったなぁ。LPのジャケットはいつも机の脇に飾っていたけれど、CDになると小さくて…
Bill Evans/You must believe in Spring

1977年、アルバムタイトルはミシェル・ルグランの曲。ピアノの流れるような動きをEddie Gomezのベースがしっかりと受け止めて例えようのない美しい世界を作り出してる。どの曲も心に響いてくる。録音もとてもいい。
[My Favourite 3 志ん朝]
古今亭志ん朝/化け物使い

志ん朝の話の中でぼくが一番好きな噺だ。人使いの荒い隠居についに奉公人も転居を機に見限って出ていくが、隠居は平然として転居先に出てくる化け物を顎で使うという、いわば他愛ない噺。化け物の台詞は一言もないのに、志ん朝はまるでその化け物が目の前にいるかのように演じきる。親父の志ん生もやっているけど、この噺は志ん朝の方がうまいと思っている。
古今亭志ん朝/明烏

桂文楽が十八番にしていた郭噺。初心な若旦那が町内の悪友に騙されて吉原に連れてゆかれるという噺だが。志ん朝の色気が如何なく発揮されている。特に下げのところで花魁と一つ床で朝を迎えた若旦那が、迎えにきた悪友に言う言葉なんかは志ん朝でなければ出せない味がある。
古今亭志ん朝/愛宕山

幇間、いわゆる太鼓持ちの噺。太鼓持ちの一八が、旦那の遊山に愛宕山についてゆくが、旦那が遊びで谷底に投げた小判を命がけで拾いにゆくという噺。旦那、芸者、取り巻き、そして太鼓持ちと登場人物が多彩だが志ん朝の手にかかると、その一人一人のキャラクターが手に取るように見えてくる。
(Sept.2018 revised)
gillman*s memories 歌川広重
I remember...

9月6日は歌川広重の命日。中学の頃、いっとき住んでいた両国の亀沢町の家があったあたりに、その昔葛飾北斎が住んでいて、そこが今はすみだ北斎美術館になっているのが何となく嬉しいのだけれど、今住んでいる所から歩いて行ける東岳寺というお寺には歌川広重のお墓があるというのも大好きな二人の絵師にどこか縁があるようで嬉しい。
広重といえば子供の頃には確か安藤広重と習った覚えがあるのだけれど、絵師として安藤姓を名乗った事はないらしく今は歌川広重となっているらしい。広重は寛政9年(1797年、シューベルトが同年に生まれている)に江戸に生まれて、安政5年9月6日(新暦換算1858年10月12日)にコレラに罹って亡くなったらしい。
広重が最初に名を成したのが「東海道五十三次」なのだけれど、ぼくは何と言っても当時既に世界でも有数の大都市になっていた江戸の町を活写した広重最晩年の傑作「名所江戸百景」が好きだ。その大胆な構図と言い、都会の一瞬を捉えた画題と言い正にモダンと言ってもいいと思う。
名所江戸百景の画集は散々迷った挙句、ドイツのTaschen社が30周年記念に出した和綴じの画集「歌川広重 名所江戸百景(日本語版)」を求めてそれは今でもことあるごとに観ている(本書の図版は太田記念美術館の所有する初刷り作品によっている)。Taschenは手ごろな価格で多くの美術書を提供しているけど、この広重の画集もその手の込んだ装丁の割にはリーズナブルな価格だったと思う。
広重の展覧会では何と言っても先年、サントリー美術館で開催された「広重ビビッド」展で原安三郎氏の素晴らしいコレクションには本当に驚かされ、感動もした。今でもその時の記憶をたどりながら頭の中でイメージを修正しつつ画集を観ている。先日、散歩がてら歩いて東岳寺に広重のお墓詣りに行った。道すがらあれこれ悩みながら自分のベスト5を選んでみた。
①名所江戸百景/大はしあたけの夕立(1857)

…サントリー美術館の「広重ビビッド」展で一番驚いたのがこの作品だった。恐らくそれは初刷りのものだと思うのだけれど、今まで想像していたものとは次元の違う繊細さ美しさ。糸のようなな雨の表現や向こう岸の船蔵辺りの雨に煙る風情、不安を掻き立てるように画面の上を追おう黒雲。版画というメディアをここまで昇華した広重の力に驚嘆させられる。
②名所江戸百景/浅草田甫酉の町詣(1857)

…この絵を観ていると吉原を舞台にした映画「さくらん」(原作:安野モヨコ、監督:蜷川美香、主演:土屋アンナ)を思い出す。玉菊屋の花魁、日暮(ひぐらし)が吉原の望楼の座敷から眺めた光景はこんな光景だったのだろうか。窓の格子越しに外の光景をじっと見ている猫の背中が外界を想う花魁日暮の姿に重なる。窓辺に置かれた手水鉢と手ぬぐい。襖に半ば隠れている客の土産と思われるかんざし、そして閨(ねや)紙など、描かれている小道具も意味深で奥深い。
③名所江戸百景/四ッ谷内藤新宿(1857)

…広重の絵の中でもおそらく最も大胆な構図の絵の一つに数えられると思う。馬の脚を背後からドアップに、その向こうに内藤新宿の宿場町の光景が見える。馬は馬草履を履いており足もとには馬糞も落ちている。ぼくはこの光景を写し取ろうとして矢立を手にして馬の尻の後ろに屈んでる広重の姿を思わず想像してしまう。今にも馬の後ろ脚で蹴られはしまいかと、ハラハラしてしまう。場所は今の新宿二丁目辺りらしい。
④名所江戸百景/吾妻橋金龍山遠望(1857)

…屋形船は画面の右から左に動いているのだろう、もう画面から外れようとしている。かろうじて画面の左端に芸者の髷と背中が見える。向こうには浅草浅草寺の五重塔、空には桜の花びらがチラホラと…。どう見たってこれは都会の一瞬を捉えたブレッソンかドアノーのスナップ写真だ。
ブレッソンが写真集「決定的瞬間」にある写真を撮影したのは1930年代から50年代でずっと後のことだ。それより80年近くも昔に広重は明らかに「都市に流れる決定的瞬間」を捉えるという明確な意図を持っていたと思う。芸者の後ろ姿と散ってゆく桜の花びら、広重は都会に流れてゆく切ない一瞬を見逃さなかった。
⑤東海道五十三次乃内/庄野 白雨(1833)

…広重の「雨」と言えば「大はしあたけの夕立」と並んでこの「庄野の白雨」を挙げないわけにはいかない。白雨とは夕立のことで急な雨にあった通行人の姿を活写している。こちらは大胆な構図というよりは画面を左斜めに横切る上り坂のラインとそれとは反対の角度を描いている竹藪の稜線の動きなど、全く隙のない完成度の高い構図と言えると思う。あたけの大はしとは、また異なった細かく吹き付けるような雨の表現も目を見張るものがある。
*作品図絵はパブリック・ドメインからのものです。
Public Domain Museum of Art
(Sept.2018)
歌川広重
(†1858年9月6日)

9月6日は歌川広重の命日。中学の頃、いっとき住んでいた両国の亀沢町の家があったあたりに、その昔葛飾北斎が住んでいて、そこが今はすみだ北斎美術館になっているのが何となく嬉しいのだけれど、今住んでいる所から歩いて行ける東岳寺というお寺には歌川広重のお墓があるというのも大好きな二人の絵師にどこか縁があるようで嬉しい。
広重といえば子供の頃には確か安藤広重と習った覚えがあるのだけれど、絵師として安藤姓を名乗った事はないらしく今は歌川広重となっているらしい。広重は寛政9年(1797年、シューベルトが同年に生まれている)に江戸に生まれて、安政5年9月6日(新暦換算1858年10月12日)にコレラに罹って亡くなったらしい。
広重が最初に名を成したのが「東海道五十三次」なのだけれど、ぼくは何と言っても当時既に世界でも有数の大都市になっていた江戸の町を活写した広重最晩年の傑作「名所江戸百景」が好きだ。その大胆な構図と言い、都会の一瞬を捉えた画題と言い正にモダンと言ってもいいと思う。
名所江戸百景の画集は散々迷った挙句、ドイツのTaschen社が30周年記念に出した和綴じの画集「歌川広重 名所江戸百景(日本語版)」を求めてそれは今でもことあるごとに観ている(本書の図版は太田記念美術館の所有する初刷り作品によっている)。Taschenは手ごろな価格で多くの美術書を提供しているけど、この広重の画集もその手の込んだ装丁の割にはリーズナブルな価格だったと思う。
広重の展覧会では何と言っても先年、サントリー美術館で開催された「広重ビビッド」展で原安三郎氏の素晴らしいコレクションには本当に驚かされ、感動もした。今でもその時の記憶をたどりながら頭の中でイメージを修正しつつ画集を観ている。先日、散歩がてら歩いて東岳寺に広重のお墓詣りに行った。道すがらあれこれ悩みながら自分のベスト5を選んでみた。
[広重 My Best 5]
①名所江戸百景/大はしあたけの夕立(1857)

…サントリー美術館の「広重ビビッド」展で一番驚いたのがこの作品だった。恐らくそれは初刷りのものだと思うのだけれど、今まで想像していたものとは次元の違う繊細さ美しさ。糸のようなな雨の表現や向こう岸の船蔵辺りの雨に煙る風情、不安を掻き立てるように画面の上を追おう黒雲。版画というメディアをここまで昇華した広重の力に驚嘆させられる。
②名所江戸百景/浅草田甫酉の町詣(1857)

…この絵を観ていると吉原を舞台にした映画「さくらん」(原作:安野モヨコ、監督:蜷川美香、主演:土屋アンナ)を思い出す。玉菊屋の花魁、日暮(ひぐらし)が吉原の望楼の座敷から眺めた光景はこんな光景だったのだろうか。窓の格子越しに外の光景をじっと見ている猫の背中が外界を想う花魁日暮の姿に重なる。窓辺に置かれた手水鉢と手ぬぐい。襖に半ば隠れている客の土産と思われるかんざし、そして閨(ねや)紙など、描かれている小道具も意味深で奥深い。
③名所江戸百景/四ッ谷内藤新宿(1857)

…広重の絵の中でもおそらく最も大胆な構図の絵の一つに数えられると思う。馬の脚を背後からドアップに、その向こうに内藤新宿の宿場町の光景が見える。馬は馬草履を履いており足もとには馬糞も落ちている。ぼくはこの光景を写し取ろうとして矢立を手にして馬の尻の後ろに屈んでる広重の姿を思わず想像してしまう。今にも馬の後ろ脚で蹴られはしまいかと、ハラハラしてしまう。場所は今の新宿二丁目辺りらしい。
④名所江戸百景/吾妻橋金龍山遠望(1857)

…屋形船は画面の右から左に動いているのだろう、もう画面から外れようとしている。かろうじて画面の左端に芸者の髷と背中が見える。向こうには浅草浅草寺の五重塔、空には桜の花びらがチラホラと…。どう見たってこれは都会の一瞬を捉えたブレッソンかドアノーのスナップ写真だ。
ブレッソンが写真集「決定的瞬間」にある写真を撮影したのは1930年代から50年代でずっと後のことだ。それより80年近くも昔に広重は明らかに「都市に流れる決定的瞬間」を捉えるという明確な意図を持っていたと思う。芸者の後ろ姿と散ってゆく桜の花びら、広重は都会に流れてゆく切ない一瞬を見逃さなかった。
⑤東海道五十三次乃内/庄野 白雨(1833)

…広重の「雨」と言えば「大はしあたけの夕立」と並んでこの「庄野の白雨」を挙げないわけにはいかない。白雨とは夕立のことで急な雨にあった通行人の姿を活写している。こちらは大胆な構図というよりは画面を左斜めに横切る上り坂のラインとそれとは反対の角度を描いている竹藪の稜線の動きなど、全く隙のない完成度の高い構図と言えると思う。あたけの大はしとは、また異なった細かく吹き付けるような雨の表現も目を見張るものがある。
*作品図絵はパブリック・ドメインからのものです。
Public Domain Museum of Art
(Sept.2018)
gillman*s memories Max Roach
I remember...

ジャズはヴォーカルばかり聴いていて、特にドラムスなどは余り聴かないのだけれど何故かマックス・ローチ(Max Roach)だけは昔から好きだった。学生の時最初に買ったドラムのLPは確かご多分に漏れずバディ・リッチとジーン・クルーパの機関銃みたいなドラム合戦のアルバムだったと思う。すごいなぁ、とは思ったけれど、更にそれ以上他のアルバムも聴きたいという気持ちは起きなかった。
それがある時レコード屋でローチのDrums Unlimitedというアルバムを目にして、大袈裟なタイトルだなぁと思ったけれど何となくジャケットに惹かれて買ってしまって、聴いてみて驚いた。それは草原の彼方から微かに聞こえて来るようなドラムソロで始まり、次第にそのリズムの高みへと昇りつめてゆく。そのアルバムから遡るようにしてローチを聴き始めた。
①The Drums Also Walzes

Drums Unlimited(1966)
まずこの曲のタイトルにまいってしまった。ドラムスだってワルツを奏でる。3分半の短い曲だけど無伴奏のドラムソロ、ドラムスが歌っている。ドラムスでのこういう曲を初めて聴いた驚き。3曲目のDrums Unlimitedも無伴奏のドラムソロ。こちらは実に小気味のいいテンポ。他の曲はフレディ・ハバード等とのセッションだけれど、これもまた良い。
[personnel]
Alto Saxophone – James Spaulding (tracks: A2, B1, B3)
Bass – Jymie Merritt (tracks: A2, B1, B3)
Drums – Max Roach
Piano – Ronnie Mathews (tracks: A2, B1, B3)
Trumpet – Freddie Hubbard (tracks: A2, B1, B3)
②Sing,Sing,Sing

Rich versus Roach(1959)
ジーン・クルーパとバディ・リッチのドラムス合戦が二台の機関銃の打ち合いだとしたら、このバディ・リッチとマックス・ローチのドラムス合戦は機関銃と腹に響く重火器の試合みたいだ。
右から聞こえてくるバディ・リッチのすさまじい連打に対して、左から聞こえてくるマックス・ローチのドラムスは「間」をおいて歌うように、そして語るように迫ってくる。それは腹に響くまさに太鼓の音。実に対照的だ。
③Take the A Train

Study in Brown(1955)
A列車が目の前を走りだしてゆくような出だしの処でもう心がどこかに連れて行かれてしまう。夭折のトランぺッター、クリフォード・ブラウンの忘れられないアルバムの一つだ。
アルバムのジャケットには大きくCliford Brown and Max Roachと書かれている。ローチのドラムスが要所でドスン・ドスンと…いいなぁ。曲の終わりの処でローチのスネアーがA列車の吐き出す蒸気を真似ているところなんぞはなんとも粋なエンディングになっている。
[personnel]
trumpet - Clifford Brown
tenor saxophone - Harold Land
bass - George Morrow
piano - Richie Powell
drums - Max Roach
④Delilah

Clifford Brown & Max RoachQuintett(1955)
このアルバムはどの曲を聴いても素晴らしい。各々のパートの見せ場が素晴らしいので、ここではたまたま一曲目のDelilahを挙げたのだけれど、他のどの曲も良いし、この時代の録音としては音も申し分ないと思う。ぼくは5曲目のJoy Springもテンポが良くて好きだ。
[personnel]
trumpet - Clifford Brown
tenor saxophone - Harold Land
bass - George Morrow
piano - Richie Powell
drums - Max Roach
⑤Freedom Day

We Instst!(1960)
ぼくは個人的にはあまりメッセージ性の強い音楽はどちらかというと苦手なのだけど…。そういう意味ではこれなど黒人解放の公民権法にかかわるメッセージの塊みたいなもの。
黒人に対する人種差別は日本に暮らしている自分には肌で感じることはできないけれど、アビー・リンカーンの歌声や怒りを叩き付けるようなパーカッションからはその想いの激しさが伝わってくる。もうあれから60年近く経とうとしているのに、つい最近のトランプ大統領の言動など、その根は今でも深く暗いことが痛感される。
[personnel]
drums - Max Roach
vocals - Abbey Lincoln
trumpet - Booker Little – on "Driva Man", "Freedom Day", "All Africa", and "Tears for Johannesburg"
trombone - Julian Priester – on "Driva Man", "Freedom Day", and "Tears for Johannesburg"
tenor saxophone - Walter Benton – on "Driva Man", "Freedom Day", and "Tears for Johannesburg"
tenor saxophone - Coleman Hawkins – on "Driva Man"
bass - James Schenk – on "Driva Man", "Freedom Day", and "Tears for Johannesburg"
congas, vocals - Michael Olatunji – on side two
percussion - Raymond Mantilla – on side two
percussion - Tomas du Vall – on side two
(Aug.2018revised/Org:Aug.2017)
Max Roach
(†2007年8月16日)

ジャズはヴォーカルばかり聴いていて、特にドラムスなどは余り聴かないのだけれど何故かマックス・ローチ(Max Roach)だけは昔から好きだった。学生の時最初に買ったドラムのLPは確かご多分に漏れずバディ・リッチとジーン・クルーパの機関銃みたいなドラム合戦のアルバムだったと思う。すごいなぁ、とは思ったけれど、更にそれ以上他のアルバムも聴きたいという気持ちは起きなかった。
それがある時レコード屋でローチのDrums Unlimitedというアルバムを目にして、大袈裟なタイトルだなぁと思ったけれど何となくジャケットに惹かれて買ってしまって、聴いてみて驚いた。それは草原の彼方から微かに聞こえて来るようなドラムソロで始まり、次第にそのリズムの高みへと昇りつめてゆく。そのアルバムから遡るようにしてローチを聴き始めた。
Max Roach
[My Best 5]
*Songs/Albums(year)
①The Drums Also Walzes

Drums Unlimited(1966)
まずこの曲のタイトルにまいってしまった。ドラムスだってワルツを奏でる。3分半の短い曲だけど無伴奏のドラムソロ、ドラムスが歌っている。ドラムスでのこういう曲を初めて聴いた驚き。3曲目のDrums Unlimitedも無伴奏のドラムソロ。こちらは実に小気味のいいテンポ。他の曲はフレディ・ハバード等とのセッションだけれど、これもまた良い。
[personnel]
Alto Saxophone – James Spaulding (tracks: A2, B1, B3)
Bass – Jymie Merritt (tracks: A2, B1, B3)
Drums – Max Roach
Piano – Ronnie Mathews (tracks: A2, B1, B3)
Trumpet – Freddie Hubbard (tracks: A2, B1, B3)
②Sing,Sing,Sing

Rich versus Roach(1959)
ジーン・クルーパとバディ・リッチのドラムス合戦が二台の機関銃の打ち合いだとしたら、このバディ・リッチとマックス・ローチのドラムス合戦は機関銃と腹に響く重火器の試合みたいだ。
右から聞こえてくるバディ・リッチのすさまじい連打に対して、左から聞こえてくるマックス・ローチのドラムスは「間」をおいて歌うように、そして語るように迫ってくる。それは腹に響くまさに太鼓の音。実に対照的だ。
③Take the A Train

Study in Brown(1955)
A列車が目の前を走りだしてゆくような出だしの処でもう心がどこかに連れて行かれてしまう。夭折のトランぺッター、クリフォード・ブラウンの忘れられないアルバムの一つだ。
アルバムのジャケットには大きくCliford Brown and Max Roachと書かれている。ローチのドラムスが要所でドスン・ドスンと…いいなぁ。曲の終わりの処でローチのスネアーがA列車の吐き出す蒸気を真似ているところなんぞはなんとも粋なエンディングになっている。
[personnel]
trumpet - Clifford Brown
tenor saxophone - Harold Land
bass - George Morrow
piano - Richie Powell
drums - Max Roach
④Delilah

Clifford Brown & Max RoachQuintett(1955)
このアルバムはどの曲を聴いても素晴らしい。各々のパートの見せ場が素晴らしいので、ここではたまたま一曲目のDelilahを挙げたのだけれど、他のどの曲も良いし、この時代の録音としては音も申し分ないと思う。ぼくは5曲目のJoy Springもテンポが良くて好きだ。
[personnel]
trumpet - Clifford Brown
tenor saxophone - Harold Land
bass - George Morrow
piano - Richie Powell
drums - Max Roach
⑤Freedom Day

We Instst!(1960)
ぼくは個人的にはあまりメッセージ性の強い音楽はどちらかというと苦手なのだけど…。そういう意味ではこれなど黒人解放の公民権法にかかわるメッセージの塊みたいなもの。
黒人に対する人種差別は日本に暮らしている自分には肌で感じることはできないけれど、アビー・リンカーンの歌声や怒りを叩き付けるようなパーカッションからはその想いの激しさが伝わってくる。もうあれから60年近く経とうとしているのに、つい最近のトランプ大統領の言動など、その根は今でも深く暗いことが痛感される。
[personnel]
drums - Max Roach
vocals - Abbey Lincoln
trumpet - Booker Little – on "Driva Man", "Freedom Day", "All Africa", and "Tears for Johannesburg"
trombone - Julian Priester – on "Driva Man", "Freedom Day", and "Tears for Johannesburg"
tenor saxophone - Walter Benton – on "Driva Man", "Freedom Day", and "Tears for Johannesburg"
tenor saxophone - Coleman Hawkins – on "Driva Man"
bass - James Schenk – on "Driva Man", "Freedom Day", and "Tears for Johannesburg"
congas, vocals - Michael Olatunji – on side two
percussion - Raymond Mantilla – on side two
percussion - Tomas du Vall – on side two
(Aug.2018revised/Org:Aug.2017)
CATLOG 2018
gillman*s memories Alec Guinness
I remember...

Sir Alec Guinness (1914年4月2日 - 2000年8月5日)サー・アレック・ギネスはぼくにとって忘れることのできない俳優だ。映画「アラビアのロレンス」の中でピーター・オトゥールの演じる燃えるような情熱の若者ロレンスの姿に対して、落ち着いてそして何よりも狡猾な大人の世界を代表するようなファイサル王子を演じていたのがアレック・ギネスだった。
当時青春真っただ中のぼくにとってはギネスの役は実に憎たらしいキャラクターに映ったのだけれど、それは当時の自分にとってこれから自分の人生の前に立ちはだかる、ある種の大きな壁や力を予感させてとても印象深かった。
大昔、1971年の冬、ぼくはクリスマス休暇をウェールズの友人の実家で過ごした帰りにロンドンに寄ったことがある。年が変わって1972年1月1日になってピカデリーの近くのロイヤル・ヘイマーケット劇場で演劇を見た。演目は「A Voyage round my father(父を巡る旅路)」 主人公の頑固な父親を演じたのがアレック・ギネスだった。劇はもちろん英語で行われていたので細部はよく分からなかったけれど、素晴らしいラストシーンだけは今も鮮明に脳裏に残っている。
真っ暗な舞台の中央に木の背もたれ椅子が観客に背を向けるかたちで置かれている。スポットライトに浮かび上がったその椅子にはギネス扮する年老いた父親が座っている。観客には彼の背中とイスの肘かけの上に載せた左右の手しか見えない。子供の楽しそうな声や海風の音、明らかにその老人の人生の回想シーンが音だけで流される。
どのくらいの時間それが続いただろうか、やがて静寂がおとづれ劇場内は緊張した空気に包まれる。観客の全ての視線がその老人の後ろ姿に注がれた時、老人の片方の手からふっと力が抜けて掌が少し上向き加減になった。観客がそれが老人が今息を引き取ったことを意味するのに気が付くのにそれほど時間はかからなかった。暫くして静かに幕が下りる。そして鳴り止まない拍手。忘れられないラストシーンだった。
晩年ギネスはスターウォーズのオービーワン・ケノービー役で出たことを、あんなのは演技ではないと後悔していたというようなことが言われているけれど、本人はどうあれ、あれはあれでぼくは大好きだ。彼の存在感が荒唐無稽な物語に厚みと真実味を与えているのは間違いが無い事実だと思う。段々とこういう味のある、筋金入りの役者が減ってきているような気がするのが寂しいのだけれど…。
戦場にかける橋

The Bridge on the River Kwai(1957)
ギネスといえばデヴィッド・リーン監督と数々の名作を生み出しているけれど、これは「大いなる遺産」以来のコンビ作で戦争映画の原点みたいになっている。
ぼく自身は早川雪舟の使われ方が今ひとつ納得できないけれど、ギネス扮するイギリス軍人のニコルスン大佐とホールデン扮するアメリカ軍人の態度の違いは見ていてもとても興味深い。一つの文化比較にもなっているかもしれない。
軍人の役柄で例えば、クルト・ユルゲンスとアレック・ギネスそれにウイリアム・ホールデンにそれぞれ軍服を着せたら、台詞が一言も無くても見ただけでそれがドイツ軍人、イギリス軍人、アメリカ軍人と分かるだろう。役者とは大したものだ。
余談になるけど、クルト・ユルゲンスとは一度だけ言葉を交わしたことがある。普段でもとても眼光の鋭い人物だった。その時は彼は札幌で開かれる冬季オリンピックを観に行くところでぼくはバンコックから同じ飛行機に乗り合わせた。台北でトランジットの時間待ちの時にぼくが日本人と知って話しかけて来たのだ。
アラビアのロレンス

Lawrence of Arabia(1962)
何度も同じ映画を観なおすということは余りないのだけど、この映画はほんとに何度も見直した。
ピーター・オトゥールとオマー・シャリフそしてファイサル王子役のアレック・ギネス、各々が脂の乗り切った時期の名演が見られる。
リーン監督独特の歴史と土地と人とが織りなすスペクタクルが何度見ても飽きることが無い。
1970年代にスペインのセビリアにあるスペイン広場を訪れたとき、その建物の長い列柱に囲みまれた回廊に立って何とも知れない懐かしさを感じたことがあるのだけれど、後で知ったのだがその場所こそ「アラビアのロレンス」のロケに使われた場所だったのだ。
アレック・ギネス扮するアラビアの王子がロレンスが熱情で壊した古い秩序を今度はギネス扮する王子たち大人が狡猾な大人の交渉で新たな世界の実権をにぎるための取引を始めるシーンだ。
今の中東情勢の複雑化の要因をこの映画の中に探りながらもう一度見直すのもまた違った角度から見られて興味深いと思う。
ドクトル・ジバゴ

Doctor Zhivago(1965)
これもまたリーン監督作。映画はギネス扮するソビエトの幹部エフグラフ・ジバゴ将軍がダムで働く一人の若い娘と面会するところから始まる。
原作はパステルナークの小説でぼくは小説の方は読んだことが無いけれど、この映画ほど「抒情」を感じた映画はない。
舞台は革命後のロシアでリーン監督の特長でもあるのだけれどロシアや東欧の大地が切ないほどほんとうに美しく描かれている。
ギネスの役どころはこの長い複雑な物語を時々冷静に現実に引き戻して進行する語り部的な役どころで地味だけれど映画をキリリと締めている。自分の青春時代に出会って胸が苦しくなるような感動を覚えた一本だ。
全編を観終わると、なんかひとつの人生を自分で経験したみたいでとても疲れるけれど、最近はこういう類の充実感のある疲れを感じる映画に中々出会わない。
この「ドクトル・ジバゴ」でも「アラビアのロレンス」でも素晴らしい演技を見せた名優オマー・シャリフが晩年あるフランス映画で落ちぶれた人物のチョイ役で登場したのを観たときは何とも寂しい気持ちに襲われたのを記憶している。
カフカ 迷宮の悪夢

Kafka(1991)
妖しくそして不思議な映画だが、カフカの世界をよく視覚的に象徴していると思う。カフカとうたっているが実際のカフカとは無縁で、この映画はスリラーという形を使って「カフカ的」世界を表現したものだと思う。
この作品でギネスは官僚を体現するような老練な事務所長を演じている。実にいい味だ。この映画でのギネスの登場シーンは正直言ってそう多くは無い。しかし、この物語自体が言わば荒唐無稽なものなのだけれど、そこにギネスが登場することによってにわかに現実味を帯びてくるように感じられる。
それは彼の役作りのディテールを観客が感じ取るということによって、そのような人物が、そしてひいては彼を囲むそんな世界が実在しうるという錯覚に陥るのかもしれない。言ってみればスターウォーズにおけるオービーワン・ケノービーのようなものだ。
この映画におけるモノクロの画面の部分は魔都プラハをまさにドイツ表現主義のような感覚で描き出している。冒頭の陰影の濃いプラハの街並みをなめるようにしてカメラが追うシーン。その妖しいまでの美しさ。ここはどうしたってモノクロで撮るべきだったなぁと納得。
主人公のカフカが忍び込む「城」の中で展開される場面のカラー画面との使い分けも実に巧い。ソダーバーグ監督のセンスが光っている。カフカの作品をいくつか読んでから観るとこの映画の雰囲気がより楽しめると思う。
アドルフ・ヒトラー 最後の10日間

HITLER: THE LAST TEN DAYS(1973)
日本では劇場未公開だったが(VHSのVTR版は出ていた)イギリスではこの映画でのギネスの鬼気迫るヒトラーの演技が評判になった。ずっと観たいと思っていたのだけど、今どうしても観たければ字幕なしのDVDをアメリカから取り寄せなければ観られない。
諦めていたところ、つい最近その映画が三つの部分に分割されてYouTubeにアップされているのを見つけた。(ただし、動画の画像は左右反転されていて観にくいので、別途アプリを使って再反転して3本を繋いで観なければならないけど…)もちろん字幕は無しだが大まかな筋やギネスの演技を楽しむには充分だ。ということでやっとギネスの演じるヒトラーに触れることができた。
この作品が撮影された時ギネスは59歳で、ヒトラーが死んだ56歳という年齢に近かった。彼のヒトラー役の演技の造り込みは徹底している。まるで本物のヒトラーのようだとも感じられるが、でもどこか違和感を感じていたのも事実だ。それはずっと後になるがタイトルがとても似ている「ヒトラー最後の12日間」(2004年)というドイツ映画の方もぼくは見ていたので、自然とそれとくらべていたのだ。
その映画のドイツ語の原タイトルは「Der Untergang」で没落、破滅というような意味で、こちらはヒトラー役を「ベルリン天使の詩」のブルーノ・ガンツが演じている。彼のヒトラーの演技も鬼気迫るものがある。ブルーノ・ガンツの演ずるヒトラーを観てぼくがギネスの演じるヒトラーに終始違和感を覚えていた理由が分かった。
それは何とも贅沢な話なのだけれど、ギネスの演じるヒトラーが余りにもぼくらが想像するとおりのヒトラーであって、それに逆に違和感を感じていたのかもしれない。とはいえこの二つの作品の描くヒトラー像に決定的な影響を及ぼしたのはこの二つの映画が制作された30年間という月日の差だろうと思う。ギネスの演じるヒトラーが描かれた1973年にはドイツでは「我が闘争」の出版どころかヒトラーの写真を所有することも禁じられていた。
ギネスのヒトラーにはまだ当時は至近距離にあった生の歴史の一コマとして史実の紹介という一面が強かったのに対し、ガンツのヒトラーはヒトラーという一人の独裁者の人間像というようなものに迫りたいという監督や役者の強い意志があったように思う。いわば、ドイツ人にとって長い間タブーとされていた人物へのアプローチが根底にあったようにも感じられる。
(July 2018 revised / Aug 2015)
Alec Guinness
(†2000年8月5日)

Sir Alec Guinness (1914年4月2日 - 2000年8月5日)サー・アレック・ギネスはぼくにとって忘れることのできない俳優だ。映画「アラビアのロレンス」の中でピーター・オトゥールの演じる燃えるような情熱の若者ロレンスの姿に対して、落ち着いてそして何よりも狡猾な大人の世界を代表するようなファイサル王子を演じていたのがアレック・ギネスだった。
当時青春真っただ中のぼくにとってはギネスの役は実に憎たらしいキャラクターに映ったのだけれど、それは当時の自分にとってこれから自分の人生の前に立ちはだかる、ある種の大きな壁や力を予感させてとても印象深かった。
大昔、1971年の冬、ぼくはクリスマス休暇をウェールズの友人の実家で過ごした帰りにロンドンに寄ったことがある。年が変わって1972年1月1日になってピカデリーの近くのロイヤル・ヘイマーケット劇場で演劇を見た。演目は「A Voyage round my father(父を巡る旅路)」 主人公の頑固な父親を演じたのがアレック・ギネスだった。劇はもちろん英語で行われていたので細部はよく分からなかったけれど、素晴らしいラストシーンだけは今も鮮明に脳裏に残っている。
真っ暗な舞台の中央に木の背もたれ椅子が観客に背を向けるかたちで置かれている。スポットライトに浮かび上がったその椅子にはギネス扮する年老いた父親が座っている。観客には彼の背中とイスの肘かけの上に載せた左右の手しか見えない。子供の楽しそうな声や海風の音、明らかにその老人の人生の回想シーンが音だけで流される。
どのくらいの時間それが続いただろうか、やがて静寂がおとづれ劇場内は緊張した空気に包まれる。観客の全ての視線がその老人の後ろ姿に注がれた時、老人の片方の手からふっと力が抜けて掌が少し上向き加減になった。観客がそれが老人が今息を引き取ったことを意味するのに気が付くのにそれほど時間はかからなかった。暫くして静かに幕が下りる。そして鳴り止まない拍手。忘れられないラストシーンだった。
晩年ギネスはスターウォーズのオービーワン・ケノービー役で出たことを、あんなのは演技ではないと後悔していたというようなことが言われているけれど、本人はどうあれ、あれはあれでぼくは大好きだ。彼の存在感が荒唐無稽な物語に厚みと真実味を与えているのは間違いが無い事実だと思う。段々とこういう味のある、筋金入りの役者が減ってきているような気がするのが寂しいのだけれど…。
Alec Guinness
[My Best 5]
戦場にかける橋

The Bridge on the River Kwai(1957)
ギネスといえばデヴィッド・リーン監督と数々の名作を生み出しているけれど、これは「大いなる遺産」以来のコンビ作で戦争映画の原点みたいになっている。
ぼく自身は早川雪舟の使われ方が今ひとつ納得できないけれど、ギネス扮するイギリス軍人のニコルスン大佐とホールデン扮するアメリカ軍人の態度の違いは見ていてもとても興味深い。一つの文化比較にもなっているかもしれない。
軍人の役柄で例えば、クルト・ユルゲンスとアレック・ギネスそれにウイリアム・ホールデンにそれぞれ軍服を着せたら、台詞が一言も無くても見ただけでそれがドイツ軍人、イギリス軍人、アメリカ軍人と分かるだろう。役者とは大したものだ。
余談になるけど、クルト・ユルゲンスとは一度だけ言葉を交わしたことがある。普段でもとても眼光の鋭い人物だった。その時は彼は札幌で開かれる冬季オリンピックを観に行くところでぼくはバンコックから同じ飛行機に乗り合わせた。台北でトランジットの時間待ちの時にぼくが日本人と知って話しかけて来たのだ。
アラビアのロレンス

Lawrence of Arabia(1962)
何度も同じ映画を観なおすということは余りないのだけど、この映画はほんとに何度も見直した。
ピーター・オトゥールとオマー・シャリフそしてファイサル王子役のアレック・ギネス、各々が脂の乗り切った時期の名演が見られる。
リーン監督独特の歴史と土地と人とが織りなすスペクタクルが何度見ても飽きることが無い。
1970年代にスペインのセビリアにあるスペイン広場を訪れたとき、その建物の長い列柱に囲みまれた回廊に立って何とも知れない懐かしさを感じたことがあるのだけれど、後で知ったのだがその場所こそ「アラビアのロレンス」のロケに使われた場所だったのだ。
アレック・ギネス扮するアラビアの王子がロレンスが熱情で壊した古い秩序を今度はギネス扮する王子たち大人が狡猾な大人の交渉で新たな世界の実権をにぎるための取引を始めるシーンだ。
今の中東情勢の複雑化の要因をこの映画の中に探りながらもう一度見直すのもまた違った角度から見られて興味深いと思う。
ドクトル・ジバゴ

Doctor Zhivago(1965)
これもまたリーン監督作。映画はギネス扮するソビエトの幹部エフグラフ・ジバゴ将軍がダムで働く一人の若い娘と面会するところから始まる。
原作はパステルナークの小説でぼくは小説の方は読んだことが無いけれど、この映画ほど「抒情」を感じた映画はない。
舞台は革命後のロシアでリーン監督の特長でもあるのだけれどロシアや東欧の大地が切ないほどほんとうに美しく描かれている。
ギネスの役どころはこの長い複雑な物語を時々冷静に現実に引き戻して進行する語り部的な役どころで地味だけれど映画をキリリと締めている。自分の青春時代に出会って胸が苦しくなるような感動を覚えた一本だ。
全編を観終わると、なんかひとつの人生を自分で経験したみたいでとても疲れるけれど、最近はこういう類の充実感のある疲れを感じる映画に中々出会わない。
この「ドクトル・ジバゴ」でも「アラビアのロレンス」でも素晴らしい演技を見せた名優オマー・シャリフが晩年あるフランス映画で落ちぶれた人物のチョイ役で登場したのを観たときは何とも寂しい気持ちに襲われたのを記憶している。
カフカ 迷宮の悪夢

Kafka(1991)
妖しくそして不思議な映画だが、カフカの世界をよく視覚的に象徴していると思う。カフカとうたっているが実際のカフカとは無縁で、この映画はスリラーという形を使って「カフカ的」世界を表現したものだと思う。
この作品でギネスは官僚を体現するような老練な事務所長を演じている。実にいい味だ。この映画でのギネスの登場シーンは正直言ってそう多くは無い。しかし、この物語自体が言わば荒唐無稽なものなのだけれど、そこにギネスが登場することによってにわかに現実味を帯びてくるように感じられる。
それは彼の役作りのディテールを観客が感じ取るということによって、そのような人物が、そしてひいては彼を囲むそんな世界が実在しうるという錯覚に陥るのかもしれない。言ってみればスターウォーズにおけるオービーワン・ケノービーのようなものだ。
この映画におけるモノクロの画面の部分は魔都プラハをまさにドイツ表現主義のような感覚で描き出している。冒頭の陰影の濃いプラハの街並みをなめるようにしてカメラが追うシーン。その妖しいまでの美しさ。ここはどうしたってモノクロで撮るべきだったなぁと納得。
主人公のカフカが忍び込む「城」の中で展開される場面のカラー画面との使い分けも実に巧い。ソダーバーグ監督のセンスが光っている。カフカの作品をいくつか読んでから観るとこの映画の雰囲気がより楽しめると思う。
アドルフ・ヒトラー 最後の10日間

HITLER: THE LAST TEN DAYS(1973)
日本では劇場未公開だったが(VHSのVTR版は出ていた)イギリスではこの映画でのギネスの鬼気迫るヒトラーの演技が評判になった。ずっと観たいと思っていたのだけど、今どうしても観たければ字幕なしのDVDをアメリカから取り寄せなければ観られない。
諦めていたところ、つい最近その映画が三つの部分に分割されてYouTubeにアップされているのを見つけた。(ただし、動画の画像は左右反転されていて観にくいので、別途アプリを使って再反転して3本を繋いで観なければならないけど…)もちろん字幕は無しだが大まかな筋やギネスの演技を楽しむには充分だ。ということでやっとギネスの演じるヒトラーに触れることができた。
この作品が撮影された時ギネスは59歳で、ヒトラーが死んだ56歳という年齢に近かった。彼のヒトラー役の演技の造り込みは徹底している。まるで本物のヒトラーのようだとも感じられるが、でもどこか違和感を感じていたのも事実だ。それはずっと後になるがタイトルがとても似ている「ヒトラー最後の12日間」(2004年)というドイツ映画の方もぼくは見ていたので、自然とそれとくらべていたのだ。
その映画のドイツ語の原タイトルは「Der Untergang」で没落、破滅というような意味で、こちらはヒトラー役を「ベルリン天使の詩」のブルーノ・ガンツが演じている。彼のヒトラーの演技も鬼気迫るものがある。ブルーノ・ガンツの演ずるヒトラーを観てぼくがギネスの演じるヒトラーに終始違和感を覚えていた理由が分かった。
それは何とも贅沢な話なのだけれど、ギネスの演じるヒトラーが余りにもぼくらが想像するとおりのヒトラーであって、それに逆に違和感を感じていたのかもしれない。とはいえこの二つの作品の描くヒトラー像に決定的な影響を及ぼしたのはこの二つの映画が制作された30年間という月日の差だろうと思う。ギネスの演じるヒトラーが描かれた1973年にはドイツでは「我が闘争」の出版どころかヒトラーの写真を所有することも禁じられていた。
ギネスのヒトラーにはまだ当時は至近距離にあった生の歴史の一コマとして史実の紹介という一面が強かったのに対し、ガンツのヒトラーはヒトラーという一人の独裁者の人間像というようなものに迫りたいという監督や役者の強い意志があったように思う。いわば、ドイツ人にとって長い間タブーとされていた人物へのアプローチが根底にあったようにも感じられる。
(July 2018 revised / Aug 2015)
gillman*s memories Bud Powell
I remember...

バド・パウエル(1924年9月27日 - 1966年7月31日)はジャズの歴史の中ではどうしても避けて通ることのできないミュージシャンの一人だけれど、他の初期のジャズメン同様その人生は必ずしも幸せとは言えなかったかもしれない。42歳の若さでニューヨークで死亡したが、死因は結核とも栄養失調、アルコール中毒とも言われている。
音楽論的なことは苦手なのだけれど、ジャズではピアノとヴォーカルが大好きで、ピアニストではビル・エヴァンス、レッド・ガーランド、ローランド・ハナやケニー・ドリューそしてこのバド・パウエルといったところが特に好きだ。
往年のジャズメンの通例としてバドも薬におぼれた時期があって、その時期の演奏は一般的には評価の低いものが多いようだ。音楽的にはそうかもしれないけれど、それもバドというその時代を生きたミュージシャンの残したものだという聴き方もあっても良いのかもしれない、と思っている。
The Scene Changes (DT Remaster)
.jpg)
(1959)
正直言ってこれはジャケ買いだったのだけれど…ぼくが最初に買ったバドのLPアルバムだった。ブルーノート特有の青い写真のジャケットにはピアノに向かうバド・パウェルとその後ろに父を覗き込む三歳になる彼の息子が写っている。なんて小粋なジャケットだろうと思った。
このアルバムの白眉は何といっても一曲目の「クレオパトラの夢」に尽きる、というと叱られるかもしれないけど、ぼくは何度効いても飽きない。全盛期に比べたらという人もいるけど、そのバドが他と比べると抜きんでているんだから、全盛期を過ぎたって目くじらを立てるほどのことだとも思わないのだけれど。
このアルバムはThe Amazing Bud PowellシリーズのVol.5になる。選曲も良いなぁ。特にアルバムの最初をテンポの良いCleopatra's Dreamで始めて最後のThe Scene Changesも軽快なテンポでしめている。
CDではデジタル・リマスター版も出ており、両方聴いてみたけどリマスターの方はかなり聴きやすくなっている。日本ではこのアルバムの人気は根強く当時のジャズ喫茶では良くかかっていた気がする。(もっとも、ぼくはどちらかといえば自宅オーディオ派の系列で、そう頻繁にジャズ喫茶に行った方ではないのだけれど…)
[Personnel]
Bud Powell – piano
Paul Chambers – bass
Art Taylor – drums
The Amazing Bud Powell Vol.1 (DT Remaster)
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(1951/1955)
このVol1にはもともと1951年にリリースされた10インチ盤と1955年に曲も変えてリリースされた12インチ盤があるらしいのだけれど、ぼくの持っているのは12インチ盤をベースにしたCDのデジタル・リマスター版のようだった。
CD版は1989年と2001年にリリースされているみたいだけど、ぼくの持っているのはそれとも曲目や曲数が違うから、いろいろなヴァージョンがあるみたいだ。音源的には1949年の8月に録音されたものと、1951年の5月に録音されたものが入っているみたいだ。特に'51年の録音ではMax Roachを入れてUn Poco Locoの色々なテイクをとったみたいだ。それにしてもそうそうたるメンバーだ。
[Personnel]
August 9, 1949 session
Fats Navarro – trumpet
Sonny Rollins – tenor sax
Bud Powell – piano
Tommy Potter – bass
Roy Haynes – drums
May 1, 1951 session
Bud Powell – piano
Curly Russell – bass
Max Roach – drums
Blues in the Closet (DT Remaster)
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(1958)
1956年ニューヨークで録音。Verveでの最後の録音であのノーマン・グランツのプロデュースによるもの。レイ・ブラウンとのスタジオ録音では初共演であることも特筆すべきか。LPのジャケットのデザインがあか抜けてていい。ちょっとBlueNote的な感じもするけど…。
アルバムの選曲が何とも良い。ぼくは二曲目のMy Heart Stood Stillと10曲目のI Didn't Know What Time It Wasが特に好きだけど、11曲目にBe Bopを持ってきて、最後はモンクの52nd Street Themeで閉めるというのも渋いなぁと思う。
[Personnel]
Bud Powell – piano
Ray Brown – double bass
Osie Johnson – drums
Bud Powell Trio Plays

(1951)
CDの中には録音時期が1947年と1953年のものが含まれている。1947年の方はバドのバンドリーダーとしての初めてのスタジオ録音らしい。CD自体は1990年に出されたもので「Bud Powell Trio バド・パウエルの芸術」というタイトルになっている。
演奏的には最高のアルバムだと思う。1947年と言えば時代も時代だから決して音がいいとは言えないけれど、音には弾みがあり、ジャズが内包する無限の可能性のようなものをミュージシャンが予感しながら演奏していると感じるのは、ジャズのその後を知っているジャズ・ファンの勝手な後出しジャンケン的な心情だろうか。ま、それでもいいけど。この年が自分の生まれた年だと思うと…。う~ん、なんとも感慨深い。
[Personnel]
January 10, 1947, New York. Tracks 1-8.
Bud Powell - piano
Curly Russell - bass
Max Roach - drums
September 1953, New York. Tracks 9-16.
Bud Powell - piano
George Duvivier - bass
Art Taylor - drums
Time Was

(1987)
バド・パウェルのアルバムにはThe Amazing Bud Powell vol.4としてリリースされたThe Time Waits(1958)というのもあってアルバムタイトル的にはちょっと紛らわしいし、どちらかというとそっちのアルバムの方が有名なのかもしれない。(このアルバムもいい。このアルバムには作曲家としてのバドの一面も垣間見られる。The Time Waitsもバドの作曲による名曲。あ、このアルバムをあげた方が良かったかな、録音もいいし)
実はこのCDアルバムTime Wasは1956-57の二枚のLPから作られているようだ。一枚は前半の9曲目までで元はStrictly Powell/RCA Victor LPM-1423 (Oct.5 1956)で10曲目以降は二枚目のLPであるSwingin' With Bud/RCA Victor LPM-1507 (Feb.11 1957)ということらしい。どちらのアルバムも持っているけどそういう意味ではこのアルバムはお買い得ということだろうか。とはいえこの時期の薬漬けの時代のバドの演奏の評判は正直言ってあまり良くいう人は少ないかもしれない。
Swingin'とうたっている割にはさして軽快とは言えないテンポや重すぎるピアノなど、難を挙げれば多々あるようだけど、それも含めて一人のピアニストとしてのバド・パウエルを味わうにはそれなりの意味があると思う。ジャケットのイラストがいかにもこの時代のバドの心の重さを現しているようだ。
[Personnel]
Piano – Bud Powell
Bass – George Duvivier
Drums – Art Taylor
と、言いつつ…+one
BUD POWELL Jazz Giant

(1950)
今回はバド・パウエルの人生も想いながら選んだのだけれど、やっぱりどこからか「本当のバドはこんなもんじゃないぞ…」という声が聞こえてきそうなので、バドの魅力がいかんなく発揮されている、今風に言えば「神CD」の一枚としてこれをあげておきたい。
[Tracks]
1.Tempus Fugue-it
2.Celia
3.Cherokee
4.I'll Keep Loving You
5.Strictly Confidential
6.All God's Chillun Got Rhythm
7.So Sorry Please
8.Get Happy"
9.Sometimes I'm Happy
10.Sweet Georgia Brown
11.Yesterdays
12.April in Paris
13.Body and Soul
[Personnel]
February 23, 1949, tracks 1-6.
Ray Brown – bass (except track 4 – Powell solo)
Max Roach – drums (except track 4 – Powell solo)
February 1950, tracks 7-13.
Curley Russell – bass (except track 11 – Powell solo)
Max Roach – drums (except track 11 – Powell solo)
Bud Powell
(†1966年7月31日)

バド・パウエル(1924年9月27日 - 1966年7月31日)はジャズの歴史の中ではどうしても避けて通ることのできないミュージシャンの一人だけれど、他の初期のジャズメン同様その人生は必ずしも幸せとは言えなかったかもしれない。42歳の若さでニューヨークで死亡したが、死因は結核とも栄養失調、アルコール中毒とも言われている。
音楽論的なことは苦手なのだけれど、ジャズではピアノとヴォーカルが大好きで、ピアニストではビル・エヴァンス、レッド・ガーランド、ローランド・ハナやケニー・ドリューそしてこのバド・パウエルといったところが特に好きだ。
往年のジャズメンの通例としてバドも薬におぼれた時期があって、その時期の演奏は一般的には評価の低いものが多いようだ。音楽的にはそうかもしれないけれど、それもバドというその時代を生きたミュージシャンの残したものだという聴き方もあっても良いのかもしれない、と思っている。
Bud Powell
[My Best 5+one Albums]
The Scene Changes (DT Remaster)
.jpg)
(1959)
正直言ってこれはジャケ買いだったのだけれど…ぼくが最初に買ったバドのLPアルバムだった。ブルーノート特有の青い写真のジャケットにはピアノに向かうバド・パウェルとその後ろに父を覗き込む三歳になる彼の息子が写っている。なんて小粋なジャケットだろうと思った。
このアルバムの白眉は何といっても一曲目の「クレオパトラの夢」に尽きる、というと叱られるかもしれないけど、ぼくは何度効いても飽きない。全盛期に比べたらという人もいるけど、そのバドが他と比べると抜きんでているんだから、全盛期を過ぎたって目くじらを立てるほどのことだとも思わないのだけれど。
このアルバムはThe Amazing Bud PowellシリーズのVol.5になる。選曲も良いなぁ。特にアルバムの最初をテンポの良いCleopatra's Dreamで始めて最後のThe Scene Changesも軽快なテンポでしめている。
CDではデジタル・リマスター版も出ており、両方聴いてみたけどリマスターの方はかなり聴きやすくなっている。日本ではこのアルバムの人気は根強く当時のジャズ喫茶では良くかかっていた気がする。(もっとも、ぼくはどちらかといえば自宅オーディオ派の系列で、そう頻繁にジャズ喫茶に行った方ではないのだけれど…)
[Personnel]
Bud Powell – piano
Paul Chambers – bass
Art Taylor – drums
The Amazing Bud Powell Vol.1 (DT Remaster)
.jpg)
(1951/1955)
このVol1にはもともと1951年にリリースされた10インチ盤と1955年に曲も変えてリリースされた12インチ盤があるらしいのだけれど、ぼくの持っているのは12インチ盤をベースにしたCDのデジタル・リマスター版のようだった。
CD版は1989年と2001年にリリースされているみたいだけど、ぼくの持っているのはそれとも曲目や曲数が違うから、いろいろなヴァージョンがあるみたいだ。音源的には1949年の8月に録音されたものと、1951年の5月に録音されたものが入っているみたいだ。特に'51年の録音ではMax Roachを入れてUn Poco Locoの色々なテイクをとったみたいだ。それにしてもそうそうたるメンバーだ。
[Personnel]
August 9, 1949 session
Fats Navarro – trumpet
Sonny Rollins – tenor sax
Bud Powell – piano
Tommy Potter – bass
Roy Haynes – drums
May 1, 1951 session
Bud Powell – piano
Curly Russell – bass
Max Roach – drums
Blues in the Closet (DT Remaster)
.jpg)
(1958)
1956年ニューヨークで録音。Verveでの最後の録音であのノーマン・グランツのプロデュースによるもの。レイ・ブラウンとのスタジオ録音では初共演であることも特筆すべきか。LPのジャケットのデザインがあか抜けてていい。ちょっとBlueNote的な感じもするけど…。
アルバムの選曲が何とも良い。ぼくは二曲目のMy Heart Stood Stillと10曲目のI Didn't Know What Time It Wasが特に好きだけど、11曲目にBe Bopを持ってきて、最後はモンクの52nd Street Themeで閉めるというのも渋いなぁと思う。
[Personnel]
Bud Powell – piano
Ray Brown – double bass
Osie Johnson – drums
Bud Powell Trio Plays

(1951)
CDの中には録音時期が1947年と1953年のものが含まれている。1947年の方はバドのバンドリーダーとしての初めてのスタジオ録音らしい。CD自体は1990年に出されたもので「Bud Powell Trio バド・パウエルの芸術」というタイトルになっている。
演奏的には最高のアルバムだと思う。1947年と言えば時代も時代だから決して音がいいとは言えないけれど、音には弾みがあり、ジャズが内包する無限の可能性のようなものをミュージシャンが予感しながら演奏していると感じるのは、ジャズのその後を知っているジャズ・ファンの勝手な後出しジャンケン的な心情だろうか。ま、それでもいいけど。この年が自分の生まれた年だと思うと…。う~ん、なんとも感慨深い。
[Personnel]
January 10, 1947, New York. Tracks 1-8.
Bud Powell - piano
Curly Russell - bass
Max Roach - drums
September 1953, New York. Tracks 9-16.
Bud Powell - piano
George Duvivier - bass
Art Taylor - drums
Time Was

(1987)
バド・パウェルのアルバムにはThe Amazing Bud Powell vol.4としてリリースされたThe Time Waits(1958)というのもあってアルバムタイトル的にはちょっと紛らわしいし、どちらかというとそっちのアルバムの方が有名なのかもしれない。(このアルバムもいい。このアルバムには作曲家としてのバドの一面も垣間見られる。The Time Waitsもバドの作曲による名曲。あ、このアルバムをあげた方が良かったかな、録音もいいし)
実はこのCDアルバムTime Wasは1956-57の二枚のLPから作られているようだ。一枚は前半の9曲目までで元はStrictly Powell/RCA Victor LPM-1423 (Oct.5 1956)で10曲目以降は二枚目のLPであるSwingin' With Bud/RCA Victor LPM-1507 (Feb.11 1957)ということらしい。どちらのアルバムも持っているけどそういう意味ではこのアルバムはお買い得ということだろうか。とはいえこの時期の薬漬けの時代のバドの演奏の評判は正直言ってあまり良くいう人は少ないかもしれない。
Swingin'とうたっている割にはさして軽快とは言えないテンポや重すぎるピアノなど、難を挙げれば多々あるようだけど、それも含めて一人のピアニストとしてのバド・パウエルを味わうにはそれなりの意味があると思う。ジャケットのイラストがいかにもこの時代のバドの心の重さを現しているようだ。
[Personnel]
Piano – Bud Powell
Bass – George Duvivier
Drums – Art Taylor
と、言いつつ…+one
BUD POWELL Jazz Giant

(1950)
今回はバド・パウエルの人生も想いながら選んだのだけれど、やっぱりどこからか「本当のバドはこんなもんじゃないぞ…」という声が聞こえてきそうなので、バドの魅力がいかんなく発揮されている、今風に言えば「神CD」の一枚としてこれをあげておきたい。
[Tracks]
1.Tempus Fugue-it
2.Celia
3.Cherokee
4.I'll Keep Loving You
5.Strictly Confidential
6.All God's Chillun Got Rhythm
7.So Sorry Please
8.Get Happy"
9.Sometimes I'm Happy
10.Sweet Georgia Brown
11.Yesterdays
12.April in Paris
13.Body and Soul
[Personnel]
February 23, 1949, tracks 1-6.
Ray Brown – bass (except track 4 – Powell solo)
Max Roach – drums (except track 4 – Powell solo)
February 1950, tracks 7-13.
Curley Russell – bass (except track 11 – Powell solo)
Max Roach – drums (except track 11 – Powell solo)
(July 2018)
(July 2018)
gillman*s choice 背中は語る
■gillman*s choice

「父の背中を見て育つ」など日本人には昔から後ろ姿への独特の思い入れのようなものがあると思っている。それは寡黙なことが良いとされた日本的風土の中で相手の心を言葉以外のものでも読み解こうとする伝統のようなものがあったのかもしれない。
西洋絵画においては肖像画は宗教画と並んで早くから発達していたけれど、それは誰が描かれたかわかることが大事で、ステイタス等をあらわすものであったということもあるが古典の中にはごく例外的なものを除いては人物の後ろ姿が描かれるというのはそう頻繁にあることではなかったようだ。
しかし世紀末あたりから絵画にも心理的側面の絵画への反映やモチーフの自由度が高まることによって後ろ姿にその作家なりの思入れを込めた作品も出始めてきたように思う。同じ後ろ姿を描くにもその意図するところは必ずしも同じではないようだ。人の背中は時に顔の表情に劣らず多くの事を語ってくれる。また時として顔の表情は人を欺くが、背中は正直である。
背中は語る [My Best 5+1]
①ピアノを弾く妻イーダのいる室内(1910)/ヴィルヘルム・ハンマースホイ…
西洋美術館での「ハンマースホイ展」の図録やドイツのPrestel 社の画集「Hammershoi und Europa 」で確認できるだけでもハンマースホイは20点近くの妻を始めとする女性の室内での後ろ姿の絵を描いている。彼はコペンハーゲンの自宅内を多く描いているが、現在国立西洋美術館に展示されている彼の作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」もそのような絵の一枚だ。
白い扉の向こうで妻のイーダがピアノを弾いている後ろ姿。しかし、イーダはピアノの前には座っているけれど本当にピアノを弾いているようには見えない。画面を静寂が支配していてぼくにはピアノの音は聞こえてこない。言わば静謐だがどこか不安な空気が画面を覆っている。国立西洋美術館は2008年のハンマースホイ展の直前にこの絵を購入したと思われる。今では西洋美術館の目玉作品の一つだ。

②クリスチーナの世界(1948)/アンドリュー・ワイエス…ワイエスの代表作ともいえる作品。クリスチーナはワイエスが長年描き続けたオルソン家の女主人だが、脚が不自由なため車椅子か這って移動しなればならない。そのクリスチーナがはるか遠くの自宅を目指して草原をゆく後姿を描いている。
この秋丸沼芸術の森で開かれたワイエス展でこの絵の初期スケッチを観て分かったのだが、ワイエスは最初正面から彼女を描くつもりだったようだ。絵の発端はある日ワイエスがオルソン家の二階から牧場の方を見ていたら、遥か彼方からクリスチーナが草原を這っている姿が見えた。その崇高ともいえる光景をワイエスは結局クリスチーナの側から遥か彼方の家を見上げるという構図に切り替えた。それにより絵を観る者もクリスチーナと同じ目線になり、彼女の背中が多くのことを語り始める。

③雲海のうえの旅人(1818)/カスパー・ダーフィド・フリードリヒ…フリードリヒの絵は自然への畏怖、畏敬を表すものが多いが、中でも大自然を前に立ち尽くす人物の絵が目につくけれどその場合大抵その人物はこちら側に背中を向けて立っている。
この絵も山上の雲海を前にして一人の男が立っている。フリードリヒは絵の中の人物を背後から描くことによって絵を観る者が画中の人物の視線を通じて大自然に対峙している状況を作り出しているのだと思う。つまり、画中の人物の視線と感慨を今の言葉でいえば鑑賞者と「同期」させようとしているのだと思う。

④赤毛の女[身づくろい](1896)/トゥールーズ・ロートレック…この絵は厚紙に油彩で描かれているため一見パステルのように見える。原題はLa Toiletteでここは娼館だろうか画面の左奥にバスタブが見える。客の来る前に湯あみして着衣する前のひととき。虚脱したような、物思うような複雑な背中の表情。彼女たちからの信頼篤い、そして速描きが得意なロートレックならではの作品だと思う。

⑤夕食、ランプの光(1899)/フェリックス・ヴァロットン…ヴァロットンは代表作の「ボール」を始め不思議な雰囲気の絵が多いのだけれど、この絵もなんとも不思議な感覚の絵だ。ヴァロットンは裕福な画商の娘と結婚したが、その雰囲気にも妻の連れ子たちとも馴染めなかったようだ。この絵は妻と二人の連れ子との食卓を描いていると思うのだけど、シルエットになっているヴァロットンの背中がいかにも家庭の中にあって浮いているような、孤独な感じが伝わってくる。

⑤あやめの衣/岡田三郎助(1927)…この絵はつい最近ポーラ美術館で観たばかり。第一印象は端正で綺麗という感じで、油彩でありながら「和」の感触が伝わってい来るのは単にアヤメ柄の和服を着ているということだけでなく、女性の背中自体から滲み出てくるもののように思う。その美しい「うなじ」や恐らく恥ずかしさのためか耳がほんのりと赤くなっている佇まいからもそれが伝わってくる。

上記以外にも
・ドガ/背中をふく女
・ムンク/海辺に立つ娘_孤独なる者
・アングル/ヴァルパンソンの浴女
など多くの画家が後ろ姿を描いている。美術館でまたどんな新たな「後ろ姿」に出会えるか、楽しみではある。
背中は語る
~後ろ姿の名画~
「父の背中を見て育つ」など日本人には昔から後ろ姿への独特の思い入れのようなものがあると思っている。それは寡黙なことが良いとされた日本的風土の中で相手の心を言葉以外のものでも読み解こうとする伝統のようなものがあったのかもしれない。
西洋絵画においては肖像画は宗教画と並んで早くから発達していたけれど、それは誰が描かれたかわかることが大事で、ステイタス等をあらわすものであったということもあるが古典の中にはごく例外的なものを除いては人物の後ろ姿が描かれるというのはそう頻繁にあることではなかったようだ。
しかし世紀末あたりから絵画にも心理的側面の絵画への反映やモチーフの自由度が高まることによって後ろ姿にその作家なりの思入れを込めた作品も出始めてきたように思う。同じ後ろ姿を描くにもその意図するところは必ずしも同じではないようだ。人の背中は時に顔の表情に劣らず多くの事を語ってくれる。また時として顔の表情は人を欺くが、背中は正直である。
背中は語る [My Best 5+1]
①ピアノを弾く妻イーダのいる室内(1910)/ヴィルヘルム・ハンマースホイ…
西洋美術館での「ハンマースホイ展」の図録やドイツのPrestel 社の画集「Hammershoi und Europa 」で確認できるだけでもハンマースホイは20点近くの妻を始めとする女性の室内での後ろ姿の絵を描いている。彼はコペンハーゲンの自宅内を多く描いているが、現在国立西洋美術館に展示されている彼の作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」もそのような絵の一枚だ。
白い扉の向こうで妻のイーダがピアノを弾いている後ろ姿。しかし、イーダはピアノの前には座っているけれど本当にピアノを弾いているようには見えない。画面を静寂が支配していてぼくにはピアノの音は聞こえてこない。言わば静謐だがどこか不安な空気が画面を覆っている。国立西洋美術館は2008年のハンマースホイ展の直前にこの絵を購入したと思われる。今では西洋美術館の目玉作品の一つだ。

②クリスチーナの世界(1948)/アンドリュー・ワイエス…ワイエスの代表作ともいえる作品。クリスチーナはワイエスが長年描き続けたオルソン家の女主人だが、脚が不自由なため車椅子か這って移動しなればならない。そのクリスチーナがはるか遠くの自宅を目指して草原をゆく後姿を描いている。
この秋丸沼芸術の森で開かれたワイエス展でこの絵の初期スケッチを観て分かったのだが、ワイエスは最初正面から彼女を描くつもりだったようだ。絵の発端はある日ワイエスがオルソン家の二階から牧場の方を見ていたら、遥か彼方からクリスチーナが草原を這っている姿が見えた。その崇高ともいえる光景をワイエスは結局クリスチーナの側から遥か彼方の家を見上げるという構図に切り替えた。それにより絵を観る者もクリスチーナと同じ目線になり、彼女の背中が多くのことを語り始める。

③雲海のうえの旅人(1818)/カスパー・ダーフィド・フリードリヒ…フリードリヒの絵は自然への畏怖、畏敬を表すものが多いが、中でも大自然を前に立ち尽くす人物の絵が目につくけれどその場合大抵その人物はこちら側に背中を向けて立っている。
この絵も山上の雲海を前にして一人の男が立っている。フリードリヒは絵の中の人物を背後から描くことによって絵を観る者が画中の人物の視線を通じて大自然に対峙している状況を作り出しているのだと思う。つまり、画中の人物の視線と感慨を今の言葉でいえば鑑賞者と「同期」させようとしているのだと思う。

④赤毛の女[身づくろい](1896)/トゥールーズ・ロートレック…この絵は厚紙に油彩で描かれているため一見パステルのように見える。原題はLa Toiletteでここは娼館だろうか画面の左奥にバスタブが見える。客の来る前に湯あみして着衣する前のひととき。虚脱したような、物思うような複雑な背中の表情。彼女たちからの信頼篤い、そして速描きが得意なロートレックならではの作品だと思う。

⑤夕食、ランプの光(1899)/フェリックス・ヴァロットン…ヴァロットンは代表作の「ボール」を始め不思議な雰囲気の絵が多いのだけれど、この絵もなんとも不思議な感覚の絵だ。ヴァロットンは裕福な画商の娘と結婚したが、その雰囲気にも妻の連れ子たちとも馴染めなかったようだ。この絵は妻と二人の連れ子との食卓を描いていると思うのだけど、シルエットになっているヴァロットンの背中がいかにも家庭の中にあって浮いているような、孤独な感じが伝わってくる。

⑤あやめの衣/岡田三郎助(1927)…この絵はつい最近ポーラ美術館で観たばかり。第一印象は端正で綺麗という感じで、油彩でありながら「和」の感触が伝わってい来るのは単にアヤメ柄の和服を着ているということだけでなく、女性の背中自体から滲み出てくるもののように思う。その美しい「うなじ」や恐らく恥ずかしさのためか耳がほんのりと赤くなっている佇まいからもそれが伝わってくる。

上記以外にも
・ドガ/背中をふく女
・ムンク/海辺に立つ娘_孤独なる者
・アングル/ヴァルパンソンの浴女
など多くの画家が後ろ姿を描いている。美術館でまたどんな新たな「後ろ姿」に出会えるか、楽しみではある。
(Dec.2017)
gillman*s memories Rosemary Clooney
■I remember...

Rosemary Clooney(1928~2002)、ローズマリー・クルーニーは1945年に「Come on-a my House」が全米にヒットして一躍有名になった。歌手の位置づけとしてはその少し前に「センティメンタル・ジャーニー」でブレイクしたドリス・デイのようなポップス歌手だったみたいだ。
でも、その頃の彼女のことはぼくはよく知らない。ぼくはどちらかといえば晩年に近い彼女の歌の方が味があってずっと好きだし、彼女の歌を聴き始めたのもその時代のものから入って時代をさかのぼってゆくような感じで聴いて行った。
彼女の歌を時代に沿って遡ってゆくと確かにジャズと言うよりは「カモノマイハウス」とか「マンボ・イタリアーノ」とか日本でも流行ったポップス系の歌にたどり着く。明るくエネルギッシュで若いアメリカの象徴のような存在だった。
もちろんぼくもすべてのアルバムを聴いたわけではないけれど、そういった時代の歌の中にもジャズシンガーとしてのRosie(ロージー)の片鱗を垣間見ることもある。それが段々と年を経るにしたがって頭をもたげ、そしてもちろん歌に人生の味も出てくる。彼女の歌を聴いていると歳をとるのもまんざら悪くはないなぁと思うことがある。とは言うものの、彼女は決して順当に歳をとっていったわけではない。
そこには、時代に取り残されてゆく大いなる不安と、それを乗り越えて手にした歌への情熱と情緒が息づいているような気がする。自分の才能で貧困から抜け出し、若くして名声を手にした才能がやがて辿りがちな道をロージーもたどり、しかし歳を取って再び名声を取り戻していったロージーの生き方はとても共感ができるのだ。
Rosemary Clooney Sings Ballads

(1985)
ぼくが最初に手にした彼女のアルバムで今でもおそらく一番よく聴くジャズ・ボーカルのアルバムの一つだ。彼女の声はちょっとかすれ気味の声で、だからと言って決して濁った声ではない。
曲の雰囲気は白人系のジャズボーカルも聴いてきたぼくには何の抵抗も無く耳になじんだ。このアルバムのバックの演奏がフルバンドでなく小編成の手堅いプレーヤーというところも気に入っている。
1曲目のThanks for the memoryなどではRosieの歌に寄り添うようなエド・ビカートのギターが何とも言えず好い味を出している。この一曲でいきなり好きになってしまった。彼女の歌い方は歌自体にはあまり大げさな陰影はついていないけれど、何回も聴くうちに次第に心に沁みて來るし、聴き飽きることが無い。
ここら辺の彼女の曲の解釈の仕方がとても好くて、今や女性ジャズボーカル界の大アネゴの感があるダイアナ・クラルがRosieを評価しているところかもしれない。それにRosieの英語はとても分かりやすい。(ジャズ歌手ではアン・バートンの英語がとても分かりやすいけど、彼女はオランダ人だから英語は外国語にあたるからかもしれないが…) これはぼくにとっての永久保存版だ。
[in this CD]
1. Thanks For The Memory
2. Here's That Rainy Day
3. The Shadow Of Your Smile
4. A Nightingale Sang In Berkeley Square
5. Bewitched, Bothered And Bewildered
6. The Days Of Wine And Roses
7. Easy Living
8. Spring Is Here
9. Why Shouldn't I
10. It Never Entered My Mind
■personnel
Rosemary Clooney (vocal)
Scott Hamilton (tenor saxophone)
Warrn Vache (cornet)
John Oddo (piano)
Ed Bickert (guitar)
Chuck Israels (bass)
Jake Hanna (drums)
Jazz Singer

(2003)
彼女自身は自分をジャズ・シンガーとは思っていなかったようだ。そう呼ばれると少し恥ずかしそうだったと言う。しかし、このアルバムのタイトルはずばり「Jazz Singer」となっているけれど、実はこのアルバムのリリースは彼女が亡くなった翌年の2003年で、1950年代の音源から作成されたオムニバス追悼版なのだ。
収録曲も名曲ぞろいだし、セッションの相手もそれぞれすばらしい。彼女との組み合わせの妙も楽しみだ。彼女をジャズ・シンガーとして敬愛していただろうプロデューサーの思い入れが伝わってくる。ジャケットの写真が往年の映画スクリーン写真のようでこれがまた好い。
Rosieの没後に出たアルバムだと思うとこのアルバムの最後の曲Goodbyeは余計心に沁みる。見事なアンソロジー版だと思う。このアルバムを聴けば、Popの女王だった頃から色々なところにジャズシンガーRosemary Clooneyの片鱗が散りばめられていたことに納得してもらえると思うのだけれど。
[in this CD]
1. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)
2. I'll Be Around
3. How About You?
4. Blues in the Night
5. Memories of You
6. I'm Checkin' Out -- Go'om Bye
7. What Is There to Say?
8. The Lady Is a Tramp
9. Bad News
10. Hey Baby
11. It's Bad for Me
12. A Touch of the Blues
13. Together
14. Learnin' the Blues
15. Don'cha Go 'Way Mad
16. Sophisticated Lady
17. Come Rain or Come Shine
■personnel
1. It Don't Mean A Thing (If It Ain't Got That Swing) (1956)
with Duke Ellington and his Orc.
2. I'll Be Around (1955)
3. How About You (1957)
with The Hi-Lo's
4. Blues In The Night (1952)
with Ray Charles Singers & Percy Faith Orc.
5. Memories Of You (1955)
with The Benny Goodman Trio
6. I'm Checkin' Out, Goombye (1956)
with Duke Ellington and his Orc.
7. What Is There To Say (1957)
with The Hi-Lo's
8. The Lady Is A Tramp (1951)
9. Bad News (1953)
10. Hey Baby (1956)
with Duke Ellington and his Orc.
11. It's Bad For Me (1955)
with The Benny Goodman Sextet
12. A Touch Of The Blues (1955)
with Paul Weston Orc.
13. Together (1957)
with The Hi-Lo's
14. Learnin' The Blues (1955)
15. Doncha Go 'Way Mad (1957)
with The Hi-Lo's
16. Sophisticated Lady (1956)
with Duke Ellington and his Orc.
17. Come Rain Or Come Shine (1956)
withNelson Riddle
18. Goodbye (1955)
with The Benny Goodman Sextet
Fancy meeting Here

(1958)
タイトルのFancy meeting hereは「あらまぁ、こんな所で会うなんて奇遇ね」くらいの意味かな。ビリー・メイのアレンジによるビング・クロスビーとの二人の粋なハーモニーを楽しめるアルバム。
50年代映画でも共演しテレビでも活躍していた国民的歌手であるビン・クロスビーとRosieの競演LPをリマスタリングしたCD。音も素晴らしく聴きよくなっている。
もうとにかく全編スマートで明るいあの頃のアメリカの空気に満ちている。'80・'90年代のジャジーなRosieから遡ってゆくとちょっと面食らうくらい明るいけど、そこには国民的ポピュラー歌手「Girl Singer」としての確固たるRosieの世界が広がっている。
[in this CD]
1. Fancy Meeting You Here
2. (I'd Like To Be) On A Slow Boat To China
3. I Can't Get Started
4. Hindustan
5. It Happened In Monterey
6. You Came A Long Way From St. Louis
7. Love Won't Let You Get Away
8. How About You
9. Brazil
10. Isle Of Capri
11. Say 'Si Si' (Para Vigo Me Voy)
12. Calcutta
13. Love Won't Let You Get Away
■personnel
Songs:Rosemary Clooney,Bing Crosby
Orchestra:Billy May And His Orchestra
Demi-Centennial

(1995)
Demi-Centennial、半世紀と銘打ったこのアルバムはRosieのショービジネス歴50周年を記念してつくられた。選曲は彼女の人生の色々な時代から想い出深い曲を彼女が選んだという。
例えば「ダニー・ボーイ」は子供の頃よく歌っていた曲だし、「コーヒー・ソング」はやはり歌手である妹のベティ・クルーニー(初期の頃には姉妹でクルーニー・シスターズで歌っていた)と歌っていた歌だ。ここでは姪のキャシー・カンポと歌っている。
それにデューク・エリントンやネルソン・リドルに捧げた歌もある。「ホワイトクリスマス」はもちろん女優としてビング・クロスビーと共演した映画の中で歌われたバーリングの名曲。このアルバムは1996年のグラミー賞のThe Best Traditional Pop Vocal Performanceにもノミネートされている。
このLPのライナーノーツを幼い時に母の離婚で別れて育った弟のニック・クルーニーが書いているようだ。彼は俳優のジョージ・クルーニーの父親だ。Rosie一家の思い出深い曲を彼女の50年に思いを馳せながら聴くのも好いと思う。
[in this CD]
1. Danny Boy
2. The Coffee Song
3. I'm Confessin That I Love You
4. I Left My Heart In San Francisco
5. Old Friends
6. White Christmas
7. There Will Never Be Another You
8. Falling In Love Again
9. Sophisticated Lady
10. How Will I Remember You
11. Mambo Italiano
12. The Promise
13. Heart's Desire (CD Only)
14. We'll Meet Again
15. Time Flies
16. Dear Departed Past
■personnel
Rosemary Clooney, Cathi Campo (vocals)
Peter Matz (conductor)
Gary Foster (alto saxophone, clarinet)
Warren Luening (trumpet)
John Oddo (piano)
Chuck Berghofer (bass)
Steve Houghton (drums)
Jeff Porcaro (percussion)
*1995 on the Concord label
The Last Concert

(2002)
このアルバムがRosieの最初にして最後のライブ版となった。と言うのもこの翌年に彼女は亡くなってしまったからだ。これはホノルル公演のライブでバックはBig Kahunaバンドとホノルル・シンフォニー。イントロではRosieのヒットソングメドレーがバンドによって演奏され、続いて彼女の歌でセンチメンタル・ジャーニーへと入って行く。
公演の構成は多分にジャズ・シンガーとしてのそれのように思える。実は2013年に出た彼女の3冊目の伝記「Late Life Jazz」は彼女の後半生に焦点をあてている。'60年から'70年当初まで彼女は体調のこともあって長いスランプに陥る。そこから抜け出すために彼女は第二のキャリアとして意識してジャズ・シンガーとしての道を歩もうとしていたようだった。
彼女の前半生は悲惨の一語につきる。子供の頃アル中の父は母と離婚。母は幼い弟を連れて出て行った。その後父親は男手でRosieと妹を育てていたが第二次大戦が終わって戦勝祝賀会が行われるその日に、父は家中の金を持って姿を消してしまった。この辺の事情は伝記の要約が公式サイトに出ていてWikipediaもそれを引用していると思う。
国民的歌手の人生は決して平坦ではなかったけれど、Rosieはそれを歌の力に変えて生き抜いていた。このコンサートのフィナーレでRosieはGod Bless Americaを歌っている。最後は会場を巻き込んだ大合唱になった。不幸のどん底で赤貧にあえいでいた少女に大きなチャンスを与えて引き上げてくれたアメリカへの彼女の熱い思いが伝わってくるようだ。これがRosieのラスト・メッセージかもしれないと思った。
[in this CD]
1.Overture: Medley: Tenderly/White Christmas/Half as Much/Sisters/This Ole House
2.Sentimental Journey
3.Dialogue
4.I'm Confessin' (That I Love You)
5.Just in Time
6.Dialogue
7.Happiness Is a Thing Called Joe、
8.You Go to My Head
9.Rockin' Chair
10.Dialogue
11.Ol' Man River
12.Singer
13.They Can't Take That Away from Me
14.God Bless America
■Personnel
Rosemary Clooney(vocals)
Big Kahuna and the Copa Cat Pack
Honululu Symphony Orchestra
[and others … 今まで聴いた上記以外のアルバム]
・Hollywood's Best (1955)
・Blue Rose (1956)
・Ring Around Rosie (1957)
・Swing Around Rosie (1959)
・A Touch of Tobasco (1959)
・Clap Hands, Here Comes Rosie (1960)
・Rosie Solves the Swingin' Riddle! (1961)
・Sharing The Holidays With Rosemary Clooney And Friends (2002)
・The Girl Singer (Bluebird's Best) (2002)
Rosemary Clooney
(†2002年6月29日)

Rosemary Clooney(1928~2002)、ローズマリー・クルーニーは1945年に「Come on-a my House」が全米にヒットして一躍有名になった。歌手の位置づけとしてはその少し前に「センティメンタル・ジャーニー」でブレイクしたドリス・デイのようなポップス歌手だったみたいだ。
でも、その頃の彼女のことはぼくはよく知らない。ぼくはどちらかといえば晩年に近い彼女の歌の方が味があってずっと好きだし、彼女の歌を聴き始めたのもその時代のものから入って時代をさかのぼってゆくような感じで聴いて行った。
彼女の歌を時代に沿って遡ってゆくと確かにジャズと言うよりは「カモノマイハウス」とか「マンボ・イタリアーノ」とか日本でも流行ったポップス系の歌にたどり着く。明るくエネルギッシュで若いアメリカの象徴のような存在だった。
もちろんぼくもすべてのアルバムを聴いたわけではないけれど、そういった時代の歌の中にもジャズシンガーとしてのRosie(ロージー)の片鱗を垣間見ることもある。それが段々と年を経るにしたがって頭をもたげ、そしてもちろん歌に人生の味も出てくる。彼女の歌を聴いていると歳をとるのもまんざら悪くはないなぁと思うことがある。とは言うものの、彼女は決して順当に歳をとっていったわけではない。
そこには、時代に取り残されてゆく大いなる不安と、それを乗り越えて手にした歌への情熱と情緒が息づいているような気がする。自分の才能で貧困から抜け出し、若くして名声を手にした才能がやがて辿りがちな道をロージーもたどり、しかし歳を取って再び名声を取り戻していったロージーの生き方はとても共感ができるのだ。
Rosie's Albums
[My Best5]
Rosemary Clooney Sings Ballads

(1985)
ぼくが最初に手にした彼女のアルバムで今でもおそらく一番よく聴くジャズ・ボーカルのアルバムの一つだ。彼女の声はちょっとかすれ気味の声で、だからと言って決して濁った声ではない。
曲の雰囲気は白人系のジャズボーカルも聴いてきたぼくには何の抵抗も無く耳になじんだ。このアルバムのバックの演奏がフルバンドでなく小編成の手堅いプレーヤーというところも気に入っている。
1曲目のThanks for the memoryなどではRosieの歌に寄り添うようなエド・ビカートのギターが何とも言えず好い味を出している。この一曲でいきなり好きになってしまった。彼女の歌い方は歌自体にはあまり大げさな陰影はついていないけれど、何回も聴くうちに次第に心に沁みて來るし、聴き飽きることが無い。
ここら辺の彼女の曲の解釈の仕方がとても好くて、今や女性ジャズボーカル界の大アネゴの感があるダイアナ・クラルがRosieを評価しているところかもしれない。それにRosieの英語はとても分かりやすい。(ジャズ歌手ではアン・バートンの英語がとても分かりやすいけど、彼女はオランダ人だから英語は外国語にあたるからかもしれないが…) これはぼくにとっての永久保存版だ。
[in this CD]
1. Thanks For The Memory
2. Here's That Rainy Day
3. The Shadow Of Your Smile
4. A Nightingale Sang In Berkeley Square
5. Bewitched, Bothered And Bewildered
6. The Days Of Wine And Roses
7. Easy Living
8. Spring Is Here
9. Why Shouldn't I
10. It Never Entered My Mind
■personnel
Rosemary Clooney (vocal)
Scott Hamilton (tenor saxophone)
Warrn Vache (cornet)
John Oddo (piano)
Ed Bickert (guitar)
Chuck Israels (bass)
Jake Hanna (drums)
Jazz Singer

(2003)
彼女自身は自分をジャズ・シンガーとは思っていなかったようだ。そう呼ばれると少し恥ずかしそうだったと言う。しかし、このアルバムのタイトルはずばり「Jazz Singer」となっているけれど、実はこのアルバムのリリースは彼女が亡くなった翌年の2003年で、1950年代の音源から作成されたオムニバス追悼版なのだ。
収録曲も名曲ぞろいだし、セッションの相手もそれぞれすばらしい。彼女との組み合わせの妙も楽しみだ。彼女をジャズ・シンガーとして敬愛していただろうプロデューサーの思い入れが伝わってくる。ジャケットの写真が往年の映画スクリーン写真のようでこれがまた好い。
Rosieの没後に出たアルバムだと思うとこのアルバムの最後の曲Goodbyeは余計心に沁みる。見事なアンソロジー版だと思う。このアルバムを聴けば、Popの女王だった頃から色々なところにジャズシンガーRosemary Clooneyの片鱗が散りばめられていたことに納得してもらえると思うのだけれど。
[in this CD]
1. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)
2. I'll Be Around
3. How About You?
4. Blues in the Night
5. Memories of You
6. I'm Checkin' Out -- Go'om Bye
7. What Is There to Say?
8. The Lady Is a Tramp
9. Bad News
10. Hey Baby
11. It's Bad for Me
12. A Touch of the Blues
13. Together
14. Learnin' the Blues
15. Don'cha Go 'Way Mad
16. Sophisticated Lady
17. Come Rain or Come Shine
■personnel
1. It Don't Mean A Thing (If It Ain't Got That Swing) (1956)
with Duke Ellington and his Orc.
2. I'll Be Around (1955)
3. How About You (1957)
with The Hi-Lo's
4. Blues In The Night (1952)
with Ray Charles Singers & Percy Faith Orc.
5. Memories Of You (1955)
with The Benny Goodman Trio
6. I'm Checkin' Out, Goombye (1956)
with Duke Ellington and his Orc.
7. What Is There To Say (1957)
with The Hi-Lo's
8. The Lady Is A Tramp (1951)
9. Bad News (1953)
10. Hey Baby (1956)
with Duke Ellington and his Orc.
11. It's Bad For Me (1955)
with The Benny Goodman Sextet
12. A Touch Of The Blues (1955)
with Paul Weston Orc.
13. Together (1957)
with The Hi-Lo's
14. Learnin' The Blues (1955)
15. Doncha Go 'Way Mad (1957)
with The Hi-Lo's
16. Sophisticated Lady (1956)
with Duke Ellington and his Orc.
17. Come Rain Or Come Shine (1956)
withNelson Riddle
18. Goodbye (1955)
with The Benny Goodman Sextet
Fancy meeting Here

(1958)
タイトルのFancy meeting hereは「あらまぁ、こんな所で会うなんて奇遇ね」くらいの意味かな。ビリー・メイのアレンジによるビング・クロスビーとの二人の粋なハーモニーを楽しめるアルバム。
50年代映画でも共演しテレビでも活躍していた国民的歌手であるビン・クロスビーとRosieの競演LPをリマスタリングしたCD。音も素晴らしく聴きよくなっている。
もうとにかく全編スマートで明るいあの頃のアメリカの空気に満ちている。'80・'90年代のジャジーなRosieから遡ってゆくとちょっと面食らうくらい明るいけど、そこには国民的ポピュラー歌手「Girl Singer」としての確固たるRosieの世界が広がっている。
[in this CD]
1. Fancy Meeting You Here
2. (I'd Like To Be) On A Slow Boat To China
3. I Can't Get Started
4. Hindustan
5. It Happened In Monterey
6. You Came A Long Way From St. Louis
7. Love Won't Let You Get Away
8. How About You
9. Brazil
10. Isle Of Capri
11. Say 'Si Si' (Para Vigo Me Voy)
12. Calcutta
13. Love Won't Let You Get Away
■personnel
Songs:Rosemary Clooney,Bing Crosby
Orchestra:Billy May And His Orchestra
Demi-Centennial

(1995)
Demi-Centennial、半世紀と銘打ったこのアルバムはRosieのショービジネス歴50周年を記念してつくられた。選曲は彼女の人生の色々な時代から想い出深い曲を彼女が選んだという。
例えば「ダニー・ボーイ」は子供の頃よく歌っていた曲だし、「コーヒー・ソング」はやはり歌手である妹のベティ・クルーニー(初期の頃には姉妹でクルーニー・シスターズで歌っていた)と歌っていた歌だ。ここでは姪のキャシー・カンポと歌っている。
それにデューク・エリントンやネルソン・リドルに捧げた歌もある。「ホワイトクリスマス」はもちろん女優としてビング・クロスビーと共演した映画の中で歌われたバーリングの名曲。このアルバムは1996年のグラミー賞のThe Best Traditional Pop Vocal Performanceにもノミネートされている。
このLPのライナーノーツを幼い時に母の離婚で別れて育った弟のニック・クルーニーが書いているようだ。彼は俳優のジョージ・クルーニーの父親だ。Rosie一家の思い出深い曲を彼女の50年に思いを馳せながら聴くのも好いと思う。
[in this CD]
1. Danny Boy
2. The Coffee Song
3. I'm Confessin That I Love You
4. I Left My Heart In San Francisco
5. Old Friends
6. White Christmas
7. There Will Never Be Another You
8. Falling In Love Again
9. Sophisticated Lady
10. How Will I Remember You
11. Mambo Italiano
12. The Promise
13. Heart's Desire (CD Only)
14. We'll Meet Again
15. Time Flies
16. Dear Departed Past
■personnel
Rosemary Clooney, Cathi Campo (vocals)
Peter Matz (conductor)
Gary Foster (alto saxophone, clarinet)
Warren Luening (trumpet)
John Oddo (piano)
Chuck Berghofer (bass)
Steve Houghton (drums)
Jeff Porcaro (percussion)
*1995 on the Concord label
The Last Concert

(2002)
このアルバムがRosieの最初にして最後のライブ版となった。と言うのもこの翌年に彼女は亡くなってしまったからだ。これはホノルル公演のライブでバックはBig Kahunaバンドとホノルル・シンフォニー。イントロではRosieのヒットソングメドレーがバンドによって演奏され、続いて彼女の歌でセンチメンタル・ジャーニーへと入って行く。
公演の構成は多分にジャズ・シンガーとしてのそれのように思える。実は2013年に出た彼女の3冊目の伝記「Late Life Jazz」は彼女の後半生に焦点をあてている。'60年から'70年当初まで彼女は体調のこともあって長いスランプに陥る。そこから抜け出すために彼女は第二のキャリアとして意識してジャズ・シンガーとしての道を歩もうとしていたようだった。
彼女の前半生は悲惨の一語につきる。子供の頃アル中の父は母と離婚。母は幼い弟を連れて出て行った。その後父親は男手でRosieと妹を育てていたが第二次大戦が終わって戦勝祝賀会が行われるその日に、父は家中の金を持って姿を消してしまった。この辺の事情は伝記の要約が公式サイトに出ていてWikipediaもそれを引用していると思う。
国民的歌手の人生は決して平坦ではなかったけれど、Rosieはそれを歌の力に変えて生き抜いていた。このコンサートのフィナーレでRosieはGod Bless Americaを歌っている。最後は会場を巻き込んだ大合唱になった。不幸のどん底で赤貧にあえいでいた少女に大きなチャンスを与えて引き上げてくれたアメリカへの彼女の熱い思いが伝わってくるようだ。これがRosieのラスト・メッセージかもしれないと思った。
[in this CD]
1.Overture: Medley: Tenderly/White Christmas/Half as Much/Sisters/This Ole House
2.Sentimental Journey
3.Dialogue
4.I'm Confessin' (That I Love You)
5.Just in Time
6.Dialogue
7.Happiness Is a Thing Called Joe、
8.You Go to My Head
9.Rockin' Chair
10.Dialogue
11.Ol' Man River
12.Singer
13.They Can't Take That Away from Me
14.God Bless America
■Personnel
Rosemary Clooney(vocals)
Big Kahuna and the Copa Cat Pack
Honululu Symphony Orchestra
[and others … 今まで聴いた上記以外のアルバム]
・Hollywood's Best (1955)
・Blue Rose (1956)
・Ring Around Rosie (1957)
・Swing Around Rosie (1959)
・A Touch of Tobasco (1959)
・Clap Hands, Here Comes Rosie (1960)
・Rosie Solves the Swingin' Riddle! (1961)
・Sharing The Holidays With Rosemary Clooney And Friends (2002)
・The Girl Singer (Bluebird's Best) (2002)
(June 2015 revised June 2018)
gillman*s memories Nancy Seki
■ I remember...

…「やあ、みんな。テレビからは悪い電波がでているから、見るとばかになるぞ。てなわけで、はじめましてナンシー関と申します。
どうでもいいかそんなことは。きょうは、そのばかの元凶であるテレビのお話をしたい。ポップティーンというのは、将来ある若い娘さんに人気の雑誌と聞いた。若者よ、ばかを恐れるな。ばかになるけどテレビを見よう。
テレビは全然これっぽっちも役に立たないけどおもしろいぞ。何いってんだかなあ。
とにかく、私はナンシーと名乗ってはいるが立派な社会人である。そして普通、立派な社会人というのはそんなにテレビを見ないものであるが、私は一日に15時間くらいテレビを見ている。
そこできょうは、ばかになりにくいテレビの見方を教えるとする」… (「Popteen」89年7月号 河出書房『ナンシー関』より)
ぼくはテレビが好きだ。というよりは、好きだったと言ったほうがいいかもしれない。昔、広告宣伝の担当をやっていたこともあって一度に二画面のテレビを見ていた時代もあった。かと言ってテレビの裏側が知りたいとか、特定の芸能人などに関心があったわけでもなかった。ただ、テレビの向こう側に流れてゆく時代の風景といったものが何となく好きで、列車の窓から外の景色を見るようにテレビを見ていた。
テレビは今や娯楽だけではなく、ニュースやワイドショーの形でぼくらの意見形成と世界観に大きな影響を与えている。政治や文化の面などで、どんな世論調査をしたってテレビの報道の方向を逸脱して意外なものがでてくることはない。それはテレビが大衆の要望や意見をとらえて番組を作っているからだというが、本当にそうだろうか。
今、テレビは下らないと一蹴して活字やインターネットの世界に転ずる方法もある。しかし茶の間のテレビは今やネットを飲み込み、世界中の番組までリアルタイムで家庭に届くメディアとして蘇ろうとしている。だからどうということはないのだが、ぼく自身は自分のテレビの見方をもう一度考えようと思っている。といっても眉間に皺を寄せて難しいことを考えるわけではない。要は、どうしたらもっと面白く見られて、そして騙されないか、ということだ。
テレビの向こうで話している胡散臭そうな政治家や、ずる賢そうな役人や、実直そうなコメンテーターや正義の味方みたいに突っ込みを入れているマスコミ人やら、その姿を穴のあくほど見つめてみよう。
ナンシー関はもういない。消しゴム版画家という一風変わった技能を引っさげて登場した彼女の真骨頂は、消しゴムのスタンプに定着された数々の芸能人などの顔と同時に、コラムを通じて発揮される彼女の「見抜く力」だということに世間が気がつくのにさして時間はかからなかった。ナンシー関の凄さはテレビという得体の知れないものを、最後までブラウン管(今や死語になってしまったけど…)のこちら側から見つめ続けたことだ。
テレビ界の業界人にはならず、ましてやタレントにもならずひたすらウオッチャーとしてテレビを見つめ続けた。だから彼女のコラムにはぼくらの知らない芸能界の裏話なんかは出てこない。全てはぼくらと同じように彼女の目の前のブラウン管の中で展開されていたことだ。
ナンシー関は言う。
■わたしは「顔面至上主義」を謳う。見えるものしか見ない。しかし目を皿のようにして見る。そして見破る。
芸能人と呼ばれるものが実は「芸能界人」であり、芸ではなくテレビの中では己の性格を商品として売っていることが彼女のスタンプやコラムを通じて浮き彫りにされてゆく。
テレビに載った情報は全て仕組まれている。情報を送り出す側がいる限りそれは仕方のないことだ。ナンシーはそれを承知の上で見ている。目を皿のようにして見ている。そして何が仕組まれているか見破る。オリンピックが始まる前から「感動をありがとう!」なんというサブタイトルのついた番組があれば、たちまちナンシー関の格好の餌食にされたはずだ。
ぼくは今まで、ぼくのような普通の人間が自分の周りのありふれた情報から何が分かるかを考えようとしてきた。もちろん自分の足で見に行けるものは極力行って見るが、ぼくらは全ての情報の発生現場に立ち会うことはできない。また、世の中には多くの場合全く相反する情報も存在している。
結局、ぼくらのようなごく普通の人間が真実に近づいてゆくためには目を皿のようにして見、自分の感性に照らし合わせて考えるということを重ねてゆくしかないように思う。ナンシー関はそれを大まじめに、かつ野次馬根性でやるとけっこう面白いよ、と教えてくれた。このナンシー関のまなざしは、きっとインターネットの世界でもっと必要になるのかもしれない。
[ぼくの好きなナンシー本]
何だかんだと(角川文庫)

何を根拠に(角川文庫)

小耳にはさもう(朝日文庫)

小さなスナック(文芸春秋)

ナンシー関の「小耳にはさもう」FINAL CUT(朝日文庫)

(Apr.2008 revised June 2018)
ナンシー関
(†2002年6月12日)

ナンシーの遺産
~わたしは見破る~
…「やあ、みんな。テレビからは悪い電波がでているから、見るとばかになるぞ。てなわけで、はじめましてナンシー関と申します。
どうでもいいかそんなことは。きょうは、そのばかの元凶であるテレビのお話をしたい。ポップティーンというのは、将来ある若い娘さんに人気の雑誌と聞いた。若者よ、ばかを恐れるな。ばかになるけどテレビを見よう。
テレビは全然これっぽっちも役に立たないけどおもしろいぞ。何いってんだかなあ。
とにかく、私はナンシーと名乗ってはいるが立派な社会人である。そして普通、立派な社会人というのはそんなにテレビを見ないものであるが、私は一日に15時間くらいテレビを見ている。
そこできょうは、ばかになりにくいテレビの見方を教えるとする」… (「Popteen」89年7月号 河出書房『ナンシー関』より)
ぼくはテレビが好きだ。というよりは、好きだったと言ったほうがいいかもしれない。昔、広告宣伝の担当をやっていたこともあって一度に二画面のテレビを見ていた時代もあった。かと言ってテレビの裏側が知りたいとか、特定の芸能人などに関心があったわけでもなかった。ただ、テレビの向こう側に流れてゆく時代の風景といったものが何となく好きで、列車の窓から外の景色を見るようにテレビを見ていた。
テレビは今や娯楽だけではなく、ニュースやワイドショーの形でぼくらの意見形成と世界観に大きな影響を与えている。政治や文化の面などで、どんな世論調査をしたってテレビの報道の方向を逸脱して意外なものがでてくることはない。それはテレビが大衆の要望や意見をとらえて番組を作っているからだというが、本当にそうだろうか。
今、テレビは下らないと一蹴して活字やインターネットの世界に転ずる方法もある。しかし茶の間のテレビは今やネットを飲み込み、世界中の番組までリアルタイムで家庭に届くメディアとして蘇ろうとしている。だからどうということはないのだが、ぼく自身は自分のテレビの見方をもう一度考えようと思っている。といっても眉間に皺を寄せて難しいことを考えるわけではない。要は、どうしたらもっと面白く見られて、そして騙されないか、ということだ。
テレビの向こうで話している胡散臭そうな政治家や、ずる賢そうな役人や、実直そうなコメンテーターや正義の味方みたいに突っ込みを入れているマスコミ人やら、その姿を穴のあくほど見つめてみよう。
ナンシー関はもういない。消しゴム版画家という一風変わった技能を引っさげて登場した彼女の真骨頂は、消しゴムのスタンプに定着された数々の芸能人などの顔と同時に、コラムを通じて発揮される彼女の「見抜く力」だということに世間が気がつくのにさして時間はかからなかった。ナンシー関の凄さはテレビという得体の知れないものを、最後までブラウン管(今や死語になってしまったけど…)のこちら側から見つめ続けたことだ。
テレビ界の業界人にはならず、ましてやタレントにもならずひたすらウオッチャーとしてテレビを見つめ続けた。だから彼女のコラムにはぼくらの知らない芸能界の裏話なんかは出てこない。全てはぼくらと同じように彼女の目の前のブラウン管の中で展開されていたことだ。
ナンシー関は言う。
■わたしは「顔面至上主義」を謳う。見えるものしか見ない。しかし目を皿のようにして見る。そして見破る。
芸能人と呼ばれるものが実は「芸能界人」であり、芸ではなくテレビの中では己の性格を商品として売っていることが彼女のスタンプやコラムを通じて浮き彫りにされてゆく。
テレビに載った情報は全て仕組まれている。情報を送り出す側がいる限りそれは仕方のないことだ。ナンシーはそれを承知の上で見ている。目を皿のようにして見ている。そして何が仕組まれているか見破る。オリンピックが始まる前から「感動をありがとう!」なんというサブタイトルのついた番組があれば、たちまちナンシー関の格好の餌食にされたはずだ。
ぼくは今まで、ぼくのような普通の人間が自分の周りのありふれた情報から何が分かるかを考えようとしてきた。もちろん自分の足で見に行けるものは極力行って見るが、ぼくらは全ての情報の発生現場に立ち会うことはできない。また、世の中には多くの場合全く相反する情報も存在している。
結局、ぼくらのようなごく普通の人間が真実に近づいてゆくためには目を皿のようにして見、自分の感性に照らし合わせて考えるということを重ねてゆくしかないように思う。ナンシー関はそれを大まじめに、かつ野次馬根性でやるとけっこう面白いよ、と教えてくれた。このナンシー関のまなざしは、きっとインターネットの世界でもっと必要になるのかもしれない。
[ぼくの好きなナンシー本]
何だかんだと(角川文庫)

何を根拠に(角川文庫)

小耳にはさもう(朝日文庫)

小さなスナック(文芸春秋)

ナンシー関の「小耳にはさもう」FINAL CUT(朝日文庫)

(Apr.2008 revised June 2018)
gillman*s memories Maria von Weber
■ I remember....

ウェーバー(ヴェーバーの方が読みは適切だが…、本名はCarl Maria Friedrich Ernst von Weberとすごく長い)は作曲した曲自体が少なそうなので日本では聴く機会はあまり多くないかもしれない。ぼくも彼の曲はあまり聴いたことは無いのだが、彼のオペラ「魔弾の射手」だけが唯一の例外みたいなものだ。ぼく自身はとりわけオペラが好きというほどでもない。勿論通り一遍のオペラは観ることは観るのだけれど、あんまり長いと飽きてしまうし、のべつ幕なしに歌い続けているというのも眠くなってしまう。
そこへいくとジングシュピール(Singspiel)と呼ばれる一部のドイツ語オペラは台詞は芝居のように通常の言葉でしゃべり、アリアや重要なところを歌うという形式でモーツァルトの「魔笛」なんかもそれにあたるかもしれない。ぼくは飽きっぽいから、何か一つのものに「ハマル」ということはあまり無いのだけれど、何故かこの「魔弾の射手」にははまってしまった。音楽的な難しいことはわからないが、今ではこの歌劇のどのパーツ一つをとってもぼくには親しいものとなっている。
時々ウェーバーがもっと長生きしていたら(彼は39歳で早世している)もっと多くのジングシュピールを残してくれたのかもしないと思うことがある。彼は小児まひで片足が不自由なうえ間違って劇薬を飲んで以来ほとんど声も出ない状態で、最後には結核でロンドンで客死してしまう。しかし、そんな彼の残した「魔弾の射手」は何とドイツの森と土の匂いの豊かで、自然とともに生きる人々の息づかいに溢れているのだろうか。彼がいなかったら間違いなく今のようなヴァグナーも存在しなかっただろう。今日は通しで聴いてみたい気持ちになっている。
Carlos Kleiber

Staatskapelle Dresden(1973)
カルロス・クライバー指揮。躍動感に溢れメリハリが効いていて実に小気味良いという事がいえるのだけれども、他の指揮者の「魔弾の射手」を聴き慣れた耳にとっては、時には部分的にテンポが速すぎて面食らう場面もあるかもしれない。
例えば序曲が終わり幕が開いて最初に流れる曲「Victoria,Victoria」やその後にくるワルツによる農民の踊り等のテンポの速いこと、Victoriaなぞはこれでよく合唱団の歌がついていけるなぁと思うほどだ。
これより前の1967年に録音されたマタチッチの方はもっとテンポが遅くドイツの森の響きのようなものが感じられる。こちらはオーケストラも合唱もベルリン・ドイツ・オペラの演奏だ。
とはいえ、クライバーの魔弾は臨場感も満点で、全編にドイツ・ロマン主義の息吹が息づいている。主人公のマックス役をペーター・シュライヤーが、そして恋人のアガーテ役をグンドラ・ヤノビッツが演じており、配役もこれ以上望めないほど素晴らしい。もちろんオーケストラがドレスデン歌劇場管弦楽団というところも聞き逃せない。
これはクライバーのデビュー録音でもある。録音はゼンパーではなくドレスデンのルカ教会で行われた。オペラの台詞部分は歌手ではなく、別の専門の役者の声で録音された。これにはクライバーはどうも不満だったらしいが、当時はまだ新人だったからグラモフォンにあまり文句は言えなかったのかもしれないが…。それでも、誰が聴いてもピカイチの「魔弾の射手」に仕上げたのは流石だ。
[cast]
Chor:Rundfunkchor Leipzig
Max:Peter Schreier
Agethe:Gundla Janowitz
Kasper:Theo Adam
Änchen:Edith Mathis
Rovro von Matacic
_Matacic.jpg)
Orchester der Deutschen Oper Berlin(1967)
ロブロ・フォン・マタチッチ指揮。LP時代からぼくが一番聴き込んだ演奏なので、他の指揮者の魔弾を聴くときにもどうしても標準指標的なものになってしまうが、オペラ(Singspiel)の面白さを教えてもらったのもこの演奏なので、今でも彼の演奏を聴くとなんとなく心が落ち着く。
学生の頃、ぼくが住んでいたハイデルベルクの隣町のマンハイム歌劇場で学割が利いたのでよく安い料金でオペラを観ることができて、そこで魔弾の射手も何度か観ることができたのだけれども、ある時はアガーテ役がこのCDと同じクレア・ワトソンだったと思う。
彼女のいかにも楚々とした佇まいはまさにこの歌劇のアガーテ役に相応しいと思う。また、このCDで悪役カスパールを演じたバスのゴットロープ・フリックも素晴らしくテオ・アダムに負けていないと思う。
[cast]
Chor:Chor der Deutschen Oper Berlin
Max:Gottlob Frick
Agethe:Claire Watson
Kasper:Gottlob Frick
Änchen:Lotte Schaedle
Wolf-Dieter Hauschild

Staatskapelle Dresden(1985)
ヴォルフ=ディーター・ハウシルト指揮。これも聴きなれた演奏、クライバー同様ドレスデン歌劇場管弦楽団(Staatskapelle Dresden)で、こちらは合唱もドレスデン歌劇場合唱団だがクライバーの方の合唱団はライプツィヒ放送合唱団なので相性はこちらの方が良いかもしれない。
全体に線が細い感じはするけれど、ウェーバーにもなじみの深いドレスデン歌劇場の雰囲気が良く出ている感じがして好きだ。それもそのはず、この演奏の特筆すべき点はこれはスタジオ録音ではなくゼンパー・オーパーの愛称で親しまれたドレスデン歌劇場の再建を祝うプレミアコンサートの録音であることだ。
当時はドレスデンはまだ東ドイツだったが、第二次世界大戦で完全に破壊されつくしたドレスデンの街の復興の象徴として1977年からゼンパー・オーパーの再建が行われそれが1985年に完成し、それを祝って2月にコンサートが行われたのだが、その録音がこれなのだ。先日YouTubeをチェックしていたら東ドイツのテレビ放送局が収録したこのコンサートの映像がアップされていた。カーテンコールの熱気がとても印象的だった。
[cast]
Chor:Chor des Staatsoper Dresden
Max:Reiner Goldberg
Agethe:Jana Smitkova
Kasper:Ekkehard Wlaschiha
Änchen:Andrea Ihle
Christian Thieleman(DVD)

Staatskapelle Dresden(2015)
クリスティアン・ティーレマン指揮。DVDなので演出の醍醐味が味わえる。やはりオペラは聴くだけでなく観るものという実感が湧いてくる。実は先年ドレスデン歌劇場でまさにこの舞台を観ることができた。
残念ながらティーレマンは既にドレスデン歌劇場を去った後でその日の指揮者はエストニア出身の若手指揮者Mihkel Kütsonだった。彼の指揮もよかったけれどやはり圧巻はドレスデン歌劇場合唱団のパフォーマンスで圧倒的な迫力があった。
ただ不可解で残念だったのは主人公のカップルや従妹のエンヒェンなどがことごとくプログラムとは異なる代役で迫力がなかった。理由は良くわからないが歌劇場とティーレマンの間の問題が役者にもなにか影響していたのかもしれない。
この舞台は演出も正統的で掛け値なしで楽しめる舞台なのでこのDVDのようにティーレマンの指揮で本来の配役で観てみたかった。
[cast]
Chor:Staatsopernchor Dresden
Max:Michael Koenig
Agethe:Sara Jakubiak
Kasper:Georg Zeppenfeld
Änchen:Christiana Landshamer
Wilhelm Furtwängler
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Wiener Philharmoniker(1954)
ヴィルヘルム・フルトベングラー指揮。この「魔弾の射手」はフルトヴェングラーがもっとも愛したオペラの一つだ。彼はエッセイの中でこの作品について「…これはたんなるロマン派オペラではなく、このジャンルの最初の作品であり、しかも他のいかなるオペラにも増してそれを代表し、その真髄をきわめた作品であり、ドイツ人は与えられたままの姿、オペラという形で受け取らなければならない。…」と述べており、「ウェーバーはひたすら『魔弾の射手』の作曲のために生まれたという言葉は真実である」とさえ言っていたようだ。
彼はこのオペラのなかに素朴で高貴な森の民としてのゲルマン人の本質を見ていたのだと思う。演奏のそこここに重々しい、森の妖気さえ漂わせている。ウェーバーはこのオペラにRomantische Oper in drei Aufzügen(三幕ものの浪漫的オペラ)というタイトルをつけている。それにふさわしい演奏だと思う。願わくは今の録音だったらなぁ、と。さすが録音が古いのでしかたないのだけれど…。録音は1954年7月26日、ザルツブルク祝祭劇場ライブである。フルトベングラー最後のオペラ録音となったが、この頃には彼の聴力はかなり衰えておりタイミングをとるのが困難になっていたという話も伝わっている。
実はこの翌年にカルロス・クライバーの親父さんのエーリッヒ・クライバーがやはり魔弾の射手をケルン交響楽団で録音しているが、配役で主役の二人それに従妹のエンヒェンさらに領主のオットーカール役までフルトベングラー版と同じ役者なのだ。当時は戦後まもなくなので役者のチョイスにも制約があったのかもしれない。
[cast]
Chor:Chor der Wiener Staatsoper
Max:Hans Hopf
Agethe:Elisabeth Gruemmer
Kasper:Kurt Boehme
Änchen:Rita Streich
その他の今ぼくの手元にあるCD、DVDなどの「魔弾の射手」
[CD]
*指揮者/オーケストラ/合唱団/録音年
♪ Erich Kleiber/Cologne Radio Symphony Orchestra/Cologne Radio Chorus(1955)
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♪ Eugen Jochum/Symphonieorchester des Bayerischen/Rundfunks Chor des Bayerischen Rundfunks(1959)
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♪ Joseph Keilberth/Berliner Philharmoniker/Chor der Deutschen Oper Berlin(1959)
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♪ Rafael Kubelik/Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks/Chor des Bayerischen Rundfunks(1979)
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[DVD]
♪ Ingo Metzmacher/Philharmonisches Staatsorchester Hamburg/Chor des Hamburgischer Staatsoper(1999)

♪ Nikolaus Harnoncourt/Chor und Orchester des Opernhauses Zuerich/Chor und Orchester des Opernhauses Zuerich(1999)

♪ Daniel Harding/London Symphony Orchestra/Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin(2010)…映画実写版

他に現在YouTubeで観られるものとして…
♪ Leopold Ludwig/Philharmonische Staatsorchester Hamburg/Chor des Hamburgischer Staatsoper(1968)…DVDが発売されているためYouTubeの動画はいずれ版権チェックで削除されると思われる。

♪ Siegfied Kurz/Staatskapelle Dresden/Chor des Staatsoper Dresden(1981)[LD]…ドレスデン歌劇場の日本公演をレーザーディスクでリリースしたもの。

Carl Maria von Weber
(†1828年6月5日)

ウェーバー(ヴェーバーの方が読みは適切だが…、本名はCarl Maria Friedrich Ernst von Weberとすごく長い)は作曲した曲自体が少なそうなので日本では聴く機会はあまり多くないかもしれない。ぼくも彼の曲はあまり聴いたことは無いのだが、彼のオペラ「魔弾の射手」だけが唯一の例外みたいなものだ。ぼく自身はとりわけオペラが好きというほどでもない。勿論通り一遍のオペラは観ることは観るのだけれど、あんまり長いと飽きてしまうし、のべつ幕なしに歌い続けているというのも眠くなってしまう。
そこへいくとジングシュピール(Singspiel)と呼ばれる一部のドイツ語オペラは台詞は芝居のように通常の言葉でしゃべり、アリアや重要なところを歌うという形式でモーツァルトの「魔笛」なんかもそれにあたるかもしれない。ぼくは飽きっぽいから、何か一つのものに「ハマル」ということはあまり無いのだけれど、何故かこの「魔弾の射手」にははまってしまった。音楽的な難しいことはわからないが、今ではこの歌劇のどのパーツ一つをとってもぼくには親しいものとなっている。
時々ウェーバーがもっと長生きしていたら(彼は39歳で早世している)もっと多くのジングシュピールを残してくれたのかもしないと思うことがある。彼は小児まひで片足が不自由なうえ間違って劇薬を飲んで以来ほとんど声も出ない状態で、最後には結核でロンドンで客死してしまう。しかし、そんな彼の残した「魔弾の射手」は何とドイツの森と土の匂いの豊かで、自然とともに生きる人々の息づかいに溢れているのだろうか。彼がいなかったら間違いなく今のようなヴァグナーも存在しなかっただろう。今日は通しで聴いてみたい気持ちになっている。
Weber作曲
オペラ「魔弾の射手」
[My Best 5]
Der Freischütz
Carlos Kleiber

Staatskapelle Dresden(1973)
カルロス・クライバー指揮。躍動感に溢れメリハリが効いていて実に小気味良いという事がいえるのだけれども、他の指揮者の「魔弾の射手」を聴き慣れた耳にとっては、時には部分的にテンポが速すぎて面食らう場面もあるかもしれない。
例えば序曲が終わり幕が開いて最初に流れる曲「Victoria,Victoria」やその後にくるワルツによる農民の踊り等のテンポの速いこと、Victoriaなぞはこれでよく合唱団の歌がついていけるなぁと思うほどだ。
これより前の1967年に録音されたマタチッチの方はもっとテンポが遅くドイツの森の響きのようなものが感じられる。こちらはオーケストラも合唱もベルリン・ドイツ・オペラの演奏だ。
とはいえ、クライバーの魔弾は臨場感も満点で、全編にドイツ・ロマン主義の息吹が息づいている。主人公のマックス役をペーター・シュライヤーが、そして恋人のアガーテ役をグンドラ・ヤノビッツが演じており、配役もこれ以上望めないほど素晴らしい。もちろんオーケストラがドレスデン歌劇場管弦楽団というところも聞き逃せない。
これはクライバーのデビュー録音でもある。録音はゼンパーではなくドレスデンのルカ教会で行われた。オペラの台詞部分は歌手ではなく、別の専門の役者の声で録音された。これにはクライバーはどうも不満だったらしいが、当時はまだ新人だったからグラモフォンにあまり文句は言えなかったのかもしれないが…。それでも、誰が聴いてもピカイチの「魔弾の射手」に仕上げたのは流石だ。
[cast]
Chor:Rundfunkchor Leipzig
Max:Peter Schreier
Agethe:Gundla Janowitz
Kasper:Theo Adam
Änchen:Edith Mathis
Rovro von Matacic
_Matacic.jpg)
Orchester der Deutschen Oper Berlin(1967)
ロブロ・フォン・マタチッチ指揮。LP時代からぼくが一番聴き込んだ演奏なので、他の指揮者の魔弾を聴くときにもどうしても標準指標的なものになってしまうが、オペラ(Singspiel)の面白さを教えてもらったのもこの演奏なので、今でも彼の演奏を聴くとなんとなく心が落ち着く。
学生の頃、ぼくが住んでいたハイデルベルクの隣町のマンハイム歌劇場で学割が利いたのでよく安い料金でオペラを観ることができて、そこで魔弾の射手も何度か観ることができたのだけれども、ある時はアガーテ役がこのCDと同じクレア・ワトソンだったと思う。
彼女のいかにも楚々とした佇まいはまさにこの歌劇のアガーテ役に相応しいと思う。また、このCDで悪役カスパールを演じたバスのゴットロープ・フリックも素晴らしくテオ・アダムに負けていないと思う。
[cast]
Chor:Chor der Deutschen Oper Berlin
Max:Gottlob Frick
Agethe:Claire Watson
Kasper:Gottlob Frick
Änchen:Lotte Schaedle
Wolf-Dieter Hauschild

Staatskapelle Dresden(1985)
ヴォルフ=ディーター・ハウシルト指揮。これも聴きなれた演奏、クライバー同様ドレスデン歌劇場管弦楽団(Staatskapelle Dresden)で、こちらは合唱もドレスデン歌劇場合唱団だがクライバーの方の合唱団はライプツィヒ放送合唱団なので相性はこちらの方が良いかもしれない。
全体に線が細い感じはするけれど、ウェーバーにもなじみの深いドレスデン歌劇場の雰囲気が良く出ている感じがして好きだ。それもそのはず、この演奏の特筆すべき点はこれはスタジオ録音ではなくゼンパー・オーパーの愛称で親しまれたドレスデン歌劇場の再建を祝うプレミアコンサートの録音であることだ。
当時はドレスデンはまだ東ドイツだったが、第二次世界大戦で完全に破壊されつくしたドレスデンの街の復興の象徴として1977年からゼンパー・オーパーの再建が行われそれが1985年に完成し、それを祝って2月にコンサートが行われたのだが、その録音がこれなのだ。先日YouTubeをチェックしていたら東ドイツのテレビ放送局が収録したこのコンサートの映像がアップされていた。カーテンコールの熱気がとても印象的だった。
[cast]
Chor:Chor des Staatsoper Dresden
Max:Reiner Goldberg
Agethe:Jana Smitkova
Kasper:Ekkehard Wlaschiha
Änchen:Andrea Ihle
Christian Thieleman(DVD)

Staatskapelle Dresden(2015)
クリスティアン・ティーレマン指揮。DVDなので演出の醍醐味が味わえる。やはりオペラは聴くだけでなく観るものという実感が湧いてくる。実は先年ドレスデン歌劇場でまさにこの舞台を観ることができた。
残念ながらティーレマンは既にドレスデン歌劇場を去った後でその日の指揮者はエストニア出身の若手指揮者Mihkel Kütsonだった。彼の指揮もよかったけれどやはり圧巻はドレスデン歌劇場合唱団のパフォーマンスで圧倒的な迫力があった。
ただ不可解で残念だったのは主人公のカップルや従妹のエンヒェンなどがことごとくプログラムとは異なる代役で迫力がなかった。理由は良くわからないが歌劇場とティーレマンの間の問題が役者にもなにか影響していたのかもしれない。
この舞台は演出も正統的で掛け値なしで楽しめる舞台なのでこのDVDのようにティーレマンの指揮で本来の配役で観てみたかった。
[cast]
Chor:Staatsopernchor Dresden
Max:Michael Koenig
Agethe:Sara Jakubiak
Kasper:Georg Zeppenfeld
Änchen:Christiana Landshamer
Wilhelm Furtwängler
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Wiener Philharmoniker(1954)
ヴィルヘルム・フルトベングラー指揮。この「魔弾の射手」はフルトヴェングラーがもっとも愛したオペラの一つだ。彼はエッセイの中でこの作品について「…これはたんなるロマン派オペラではなく、このジャンルの最初の作品であり、しかも他のいかなるオペラにも増してそれを代表し、その真髄をきわめた作品であり、ドイツ人は与えられたままの姿、オペラという形で受け取らなければならない。…」と述べており、「ウェーバーはひたすら『魔弾の射手』の作曲のために生まれたという言葉は真実である」とさえ言っていたようだ。
彼はこのオペラのなかに素朴で高貴な森の民としてのゲルマン人の本質を見ていたのだと思う。演奏のそこここに重々しい、森の妖気さえ漂わせている。ウェーバーはこのオペラにRomantische Oper in drei Aufzügen(三幕ものの浪漫的オペラ)というタイトルをつけている。それにふさわしい演奏だと思う。願わくは今の録音だったらなぁ、と。さすが録音が古いのでしかたないのだけれど…。録音は1954年7月26日、ザルツブルク祝祭劇場ライブである。フルトベングラー最後のオペラ録音となったが、この頃には彼の聴力はかなり衰えておりタイミングをとるのが困難になっていたという話も伝わっている。
実はこの翌年にカルロス・クライバーの親父さんのエーリッヒ・クライバーがやはり魔弾の射手をケルン交響楽団で録音しているが、配役で主役の二人それに従妹のエンヒェンさらに領主のオットーカール役までフルトベングラー版と同じ役者なのだ。当時は戦後まもなくなので役者のチョイスにも制約があったのかもしれない。
[cast]
Chor:Chor der Wiener Staatsoper
Max:Hans Hopf
Agethe:Elisabeth Gruemmer
Kasper:Kurt Boehme
Änchen:Rita Streich
その他の今ぼくの手元にあるCD、DVDなどの「魔弾の射手」
[CD]
*指揮者/オーケストラ/合唱団/録音年
♪ Erich Kleiber/Cologne Radio Symphony Orchestra/Cologne Radio Chorus(1955)
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♪ Eugen Jochum/Symphonieorchester des Bayerischen/Rundfunks Chor des Bayerischen Rundfunks(1959)
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♪ Joseph Keilberth/Berliner Philharmoniker/Chor der Deutschen Oper Berlin(1959)
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♪ Rafael Kubelik/Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks/Chor des Bayerischen Rundfunks(1979)
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[DVD]
♪ Ingo Metzmacher/Philharmonisches Staatsorchester Hamburg/Chor des Hamburgischer Staatsoper(1999)

♪ Nikolaus Harnoncourt/Chor und Orchester des Opernhauses Zuerich/Chor und Orchester des Opernhauses Zuerich(1999)

♪ Daniel Harding/London Symphony Orchestra/Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin(2010)…映画実写版

他に現在YouTubeで観られるものとして…
♪ Leopold Ludwig/Philharmonische Staatsorchester Hamburg/Chor des Hamburgischer Staatsoper(1968)…DVDが発売されているためYouTubeの動画はいずれ版権チェックで削除されると思われる。

♪ Siegfied Kurz/Staatskapelle Dresden/Chor des Staatsoper Dresden(1981)[LD]…ドレスデン歌劇場の日本公演をレーザーディスクでリリースしたもの。

(June 2018)
gillman*s Catlog
gillman*s choice Spring is Here
■ gillman*s choice

ジャズのスタンダードには春の曲が結構多い。Suddenly it's Spring,Joy Spring,Another Spring,Some other Spring,It might as well be SpringやSpring will be a little late this year.なんていう長期天気予報みたいなタイトルもある。
ぼくの好きな春の曲にブロッサム・ディアリーやニキ・パロットがよく歌っているThey say it's Spring.があるけど、これは「皆は春が来たから私もウキウキしているんだっていうけど、そうじゃないの、それはあなたがそばにいるからなのよ」っていう、いわば恋の歌なのだけど、一方このSpring is Here.はタイトルは似ているけど中身は反対だ。
直訳すれば「春はここに」だけれど、下の歌詞のように春が来たってみんなは言うけど、アタシなんかにゃ…というちょっとスネた内容なので、邦題は「春が来たと云うけれど」となっているらしい。今ではジャズ・スタンダードナンバーになっているが、もとは1938年のミュージカル「私は天使と結婚した」のためのロジャース&ハートのコンビによる作品。そう、あの名曲My Funny Valentineのコンビなのだ。
Portrait In Jazz

Bill Evans Trio
(album/artist)
ゆったりとしたテンポの曲でしみじみと春を感じる。この曲はボーカルにも何曲か名演がある。歌詞を読むと本当は憂鬱な春なんだけれど…エバンスのピアノはけだるい春と複雑な女心をしみじみとうたっている。ぼくは最近は朝この曲を聴くことが多い。Evansにはこれ以外にも春にちなんで言えば"You must believe in Spring"というアルバムがあるが、これも素敵。
1. Come Rain Or Come Shine
2. Autumn Leaves
3. Autumn Leaves (Mono)
4. Witchcraft
5. When I Fall In Love
6. Peri's Scope
7. What Is This Thing Called Love
8. Spring Is Here
9. Someday My Prince Will Come
10. Blue In Green (take 3)
11. Blue In Green (take 2)
[personnel]
Piano – Bill Evans
Bass – Scott LaFaro
Drums – Paul Motian
Cool Chris

Chris Connor
語りに近いイントロのところをクリスがちょっとかすれ気味の声で歌い出すとぼくの心は一気に1950年代のあの世界に引き込まれてしまう。といってもその頃はぼくはまだ子供でそれに海の向こうの世界だけれど、まだ男が男で、女が女だった世界の幻想がぼくの深層心理に刷り込まれている。
Sings Ballads

Rosemary Clooney
このアルバムはR.クルーニーのアルバムの中でもぼくの一番のお気に入りのもの。晩年の作品だけれどジャズシガーとしてのロージーの完成形がここにあると思う。この曲ではバックの演奏はエド・ビカートのギターだけ。他の曲もフルバンドをバックにした昔のロージーから変わって、小編成のセッションと語り合うように歌っていて何度聴いても心に響く。
Anita Swings Rodgers And Hart (DT Remaster)
-2f07f.jpg)
Anita O'Day/Billy May: Orchestra
フルバンドをバックにスキャットで始まるアニタのSpeing is Hereは黄金時代のジャズの輝きに満ちている。ちょっと気だるそうにそれでいてスウィンギーに、白い長い手袋をして舞台の中央に立つアニタの姿が彷彿とするような雰囲気が伝わってくる。古い録音のフルバンドの音もデジタルリマスターで聴きやすくなっている。
さくらさくら Sakura Sakura

Nicki Parrott
ニッキ・パロットは最近ぼくがよく聴くジャズ歌手の一人だ。ちょっと甘ったるい声は一瞬往年のブロッサム・デアリーを思わせるところがあるけれど、歌い方はもう少しモダンでクールっぽいかもしれない。このアルバムでのSpring is Hereもバックはギター一本のみ。それで彼女の巧さが引き立っている。Sakura Sakuraと題されたアルバムは今聴くのにぴったり。April in Paris.など春にまつわる歌ばかり入っている。中でもYou must believe in Spring.が特に素晴らしかった。
♪Spring is Here
Once there was a thing called spring
When the world was writing verses like yours and mine,
All the lads and girls would sing
When we sat at little tables and drank May wine.
Now April, May and June
Are sadly out of tune
Life has stuck a pin in the boat.
Spring is here
Why doesn't my heart go dancing?
Spring is here
Why isn't the waltz entrancing?
No desire,
No ambition leads me
Maybe it's because nobody needs me
Spring is here
Why doesn't the breeze delight me?
Stars appear
Why doesn't the night invite me?
Maybe it's because nobody loves me
Spring is here, I hear
Maybe it's because nobody loves me
Spring is here, I hear
(March 2013 revised March 2018)
Spring is Here

ジャズのスタンダードには春の曲が結構多い。Suddenly it's Spring,Joy Spring,Another Spring,Some other Spring,It might as well be SpringやSpring will be a little late this year.なんていう長期天気予報みたいなタイトルもある。
ぼくの好きな春の曲にブロッサム・ディアリーやニキ・パロットがよく歌っているThey say it's Spring.があるけど、これは「皆は春が来たから私もウキウキしているんだっていうけど、そうじゃないの、それはあなたがそばにいるからなのよ」っていう、いわば恋の歌なのだけど、一方このSpring is Here.はタイトルは似ているけど中身は反対だ。
直訳すれば「春はここに」だけれど、下の歌詞のように春が来たってみんなは言うけど、アタシなんかにゃ…というちょっとスネた内容なので、邦題は「春が来たと云うけれど」となっているらしい。今ではジャズ・スタンダードナンバーになっているが、もとは1938年のミュージカル「私は天使と結婚した」のためのロジャース&ハートのコンビによる作品。そう、あの名曲My Funny Valentineのコンビなのだ。
Spring is Here
[My Best 5 Albums]
Portrait In Jazz

Bill Evans Trio
(album/artist)
ゆったりとしたテンポの曲でしみじみと春を感じる。この曲はボーカルにも何曲か名演がある。歌詞を読むと本当は憂鬱な春なんだけれど…エバンスのピアノはけだるい春と複雑な女心をしみじみとうたっている。ぼくは最近は朝この曲を聴くことが多い。Evansにはこれ以外にも春にちなんで言えば"You must believe in Spring"というアルバムがあるが、これも素敵。
1. Come Rain Or Come Shine
2. Autumn Leaves
3. Autumn Leaves (Mono)
4. Witchcraft
5. When I Fall In Love
6. Peri's Scope
7. What Is This Thing Called Love
8. Spring Is Here
9. Someday My Prince Will Come
10. Blue In Green (take 3)
11. Blue In Green (take 2)
[personnel]
Piano – Bill Evans
Bass – Scott LaFaro
Drums – Paul Motian
Cool Chris

Chris Connor
語りに近いイントロのところをクリスがちょっとかすれ気味の声で歌い出すとぼくの心は一気に1950年代のあの世界に引き込まれてしまう。といってもその頃はぼくはまだ子供でそれに海の向こうの世界だけれど、まだ男が男で、女が女だった世界の幻想がぼくの深層心理に刷り込まれている。
Sings Ballads

Rosemary Clooney
このアルバムはR.クルーニーのアルバムの中でもぼくの一番のお気に入りのもの。晩年の作品だけれどジャズシガーとしてのロージーの完成形がここにあると思う。この曲ではバックの演奏はエド・ビカートのギターだけ。他の曲もフルバンドをバックにした昔のロージーから変わって、小編成のセッションと語り合うように歌っていて何度聴いても心に響く。
Anita Swings Rodgers And Hart (DT Remaster)
-2f07f.jpg)
Anita O'Day/Billy May: Orchestra
フルバンドをバックにスキャットで始まるアニタのSpeing is Hereは黄金時代のジャズの輝きに満ちている。ちょっと気だるそうにそれでいてスウィンギーに、白い長い手袋をして舞台の中央に立つアニタの姿が彷彿とするような雰囲気が伝わってくる。古い録音のフルバンドの音もデジタルリマスターで聴きやすくなっている。
さくらさくら Sakura Sakura

Nicki Parrott
ニッキ・パロットは最近ぼくがよく聴くジャズ歌手の一人だ。ちょっと甘ったるい声は一瞬往年のブロッサム・デアリーを思わせるところがあるけれど、歌い方はもう少しモダンでクールっぽいかもしれない。このアルバムでのSpring is Hereもバックはギター一本のみ。それで彼女の巧さが引き立っている。Sakura Sakuraと題されたアルバムは今聴くのにぴったり。April in Paris.など春にまつわる歌ばかり入っている。中でもYou must believe in Spring.が特に素晴らしかった。
♪Spring is Here
Once there was a thing called spring
When the world was writing verses like yours and mine,
All the lads and girls would sing
When we sat at little tables and drank May wine.
Now April, May and June
Are sadly out of tune
Life has stuck a pin in the boat.
Spring is here
Why doesn't my heart go dancing?
Spring is here
Why isn't the waltz entrancing?
No desire,
No ambition leads me
Maybe it's because nobody needs me
Spring is here
Why doesn't the breeze delight me?
Stars appear
Why doesn't the night invite me?
Maybe it's because nobody loves me
Spring is here, I hear
Maybe it's because nobody loves me
Spring is here, I hear
(March 2013 revised March 2018)
gillman*s memory W.Hammershoi
I remember...
ヴィルヘルム・

ヴィルヘルム・ハンマースホイ(Vilhelm Hammershoi 1864-1916)の描く、家の中に差し込む光の世界、一見無表情な妻イーダの背中、それらはぼくらが今まで考えていた絵画の画題とは大きくかけ離れていたものだった。誰もいない部屋を描く画家の気持ちなど理解できなかったけれども、彼の絵を観ればぼくは理屈抜きに納得できてしまう。
それは絵画的には日常の「時」の中に投げかけられるその光、文字的には静謐というものを見える形にしようとしたものかもしれない。誰もいない部屋の開け放たれたドアを見るとき、人はちょっと不安になるが、もしかしたらそれは誰の心の底にも潜んでいる心の原風景かもしれない。ぼくが彼の絵を観た時感じるのはその静謐な安らぎと、沁みとおって來る静寂の中の不安との狭間に漂っている自分の心だ。
ハンマースホイの描く室内の多くはコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地にあった自宅が舞台だ。彼は絵を描くためにあまり旅をした方ではない、というよりはフランスとイギリスを除いて殆ど旅しなかった。パリを訪れた時も印象派の絵画には余りひかれなかったようだ。
彼が唯一自分の作品を個人的に見て欲しかったのはホイッスラーだった。彼がロンドンを訪れた時ホイッスラーに作品を見てもらおうとしたがホイッスラーは旅行中で結局会うことはできなかった。そう言えばハンマースホイの《画家の母親-フレゼレゲ・ハンマースホイ1886年》はホイッスラーの名作《灰色と黒のアレンジメント、画家の母親(Arrangement in Grey and Black: Portrait of the Painter's Mother)に雰囲気は酷似している。

ホイッスラー/灰色と黒のアレンジメント、画家の母親(1871)

ハンマースホイ/画家の母親-フレゼレゲ・ハンマースホイ(1886)
国立西洋美術館が2008年に少ない収蔵品収集予算の中から彼の作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」を購入したことを知った時とてもうれしかった。またハンマースホイ再評価の仕掛け人でもあるフランクフルトのシュテーデル美術館学芸員フェリックス・クレマー氏の講演「ハンマースホイと象徴主義」の講演を2008年に聴くことができたのも望外の喜びだった。
今(2018年2月現在)、彼のその作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」は国立西洋美術館の一番最後の展示スペースに掲げられている。機会があったら観てほしい。
[Hammershoi My Best 5]
①ピアノを弾くイーダの居る室内(1910)

この絵を挙げたのは、単に現在国立西洋美術館が所有しているので今でも身近に見られるというだけでなく、ハンマースホイの絵の特長を良く表す作品でもあると思うこともあってだ。タイトルには「ピアノを弾くイーダ…」とあるけど、ピアノを弾いているのかただ前に座って考え事をしているのか、さらにイーダとイスは一体化しているようにも見える。
手前のテーブルには空のプレートが置かれているが、ハンマースホイの絵は今まで此処で何があってこれから何が起きようとしているのか想像がつかない。ある批評家はそれを「物語の無い日常」と評した。確かにそうかもしれないが、そこに「静謐な今」だけは厳然としてある。固いこと言わずに勝手に想像してみるのも楽しみ方の一つだと思う。
②居間にさす陽光(1903)

デンマーク室内画派のカール・ホルスーウやハンマースホイの義兄にあたるピーダ・イルステズなどは人のいない部屋や室内の生活の中で部屋に差し込む陽光のシーンなどを多く描いているが、ハンマースホイのこの絵はそのような室内画の中でも出色だと思う。
この部屋は彼が長いこと住んでおり、多くの室内画の舞台となったコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地の自宅の居間で、両脇の白い椅子は他の作品にも度々登場する。この絵は不思議なことに静謐で全く動きが無いように見られるけれど、じっと見ていると窓から差し込む陽光が段々と動いて行くように感じられる。
たぶんハンマースホイがそうであったように、ぼくも自分の部屋に窓を通して差し込む光が部屋の中を時間と共に移動してゆくのをじっと見つめているのが好きだ。
③室内、ストランゲーゼ30番地(1899)

同名のタイトルつまり「Interior,Strandgade30」と題された絵は何点かあるが、これもその一枚。後姿や観る者とは意識的に距離を置いている感じの妻イーダの絵が多い中で、この一枚は実に温かみがありイーダの表情も見る者をほっとした気持ちにさせてくれる。
ハンマースホイにしては珍しい一枚だと思う。一見すると往年のオランダ室内絵画のようだけれど、もちろんハンマースホイはそう素直には鑑賞させてくれない。
イーダの手元を見ると、彼女の手はテーブルに置かれているのか、はたまたコーヒーカップのどこかを持とうとしているのか定かではない。テーブルクロスだって半分にまくられている。イーダの穏やかな表情は見る者を焦らそうとしているのだろうか。
④白い扉、あるいは開いた扉(1905)

ハンマースホイの室内画ではドアの取っ手部分が色々な意味を暗示しているような気がする。多くの室内画に登場する全く取っ手の無いドア、上の③の「室内、ストランゲーゼ30番地」のドアのように小さな小さなノブが付いているドア。そしてこの絵の左側のドアにはなんともいかめしい真鍮の金具がついている。此処はストランゲーゼ30番地の自宅の食堂から居間に続く空間からの眺めだ。全ての扉が開け放たれているのに開放的な感じではない。
家具も無いのだけれど、手前の床を見れば実に生活感のある空間に見えて來る。食堂から居間に抜けるドアに、何故こんなにいかめしい金具がついているのか、そしてそれが開け放たれているというのはどういう意味か。一番奥の扉には取っ手が無い。分かっているのはハンマースホイの心の中には無数のドアがあったということだけ。
⑤若い女性の肖像、画家の妹アナ・ハンマースホイ(1885)

これはハンマースホイが初めてデンマーク王立美術アカデミーの展覧会に出品して落選した作品だ。押さえられた色調や粗い筆致などがアカデミーの方針と合わなかったのかもしれないが、此処には翌年1886に母親を描いてホイッスラーの絵とよく比較される「画家の母親-フレゼレゲ・ハンマースホイ」のエッセンスが既に入っていると思う。
女性の表情は一見ルノアールのそれに似ているように感じるが、そこには確かに陽光溢れるフランスの印象派とは全く異なる北欧の空気の温度が現れているような気がする。
[Books]
残念ながら、ハンマースホイの画集や書籍はとても少ない。日本語の画集はぼくの知っている限りでは国立西洋美術館で2008年に行われた「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」の図録だけだし、ぼくの持っているのはもう一冊ドイツで出された画集の2冊のみだ。
●「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」/ハンマースホイ展図録
●Hammershoi und Europa/Prestel

[I remember…ぼくの電子過去帳] 今年96歳になるウチのお袋は、毎朝「過去帳」を開いてその日の月命日の身内や知人にお経をあげている。年寄りの古臭い習慣かも知れないけれど、ぼくは好きだ。それを見るたびに自分がどれだけ、色んな人から縁を貰って生きながらえているかが実感出来るから。 お袋の過去帳ではなけれど、ぼくも自分のカレンダーに身内や知人の他にも好きな音楽家、歌手や作家、画家などの命日を書き込んでいる。そうすると、ぼくらは如何に過去の人達から多くの贈り物を貰って生きているかが感じられる。その日が近づくとちょっとその人の歌や作品について味わい直してみたくなる。(2016年記す)
(Feb.2015 Feb.2018 revised)
ヴィルヘルム・
ハンマースホイ
(†1916年2月13日)

ヴィルヘルム・ハンマースホイ(Vilhelm Hammershoi 1864-1916)の描く、家の中に差し込む光の世界、一見無表情な妻イーダの背中、それらはぼくらが今まで考えていた絵画の画題とは大きくかけ離れていたものだった。誰もいない部屋を描く画家の気持ちなど理解できなかったけれども、彼の絵を観ればぼくは理屈抜きに納得できてしまう。
それは絵画的には日常の「時」の中に投げかけられるその光、文字的には静謐というものを見える形にしようとしたものかもしれない。誰もいない部屋の開け放たれたドアを見るとき、人はちょっと不安になるが、もしかしたらそれは誰の心の底にも潜んでいる心の原風景かもしれない。ぼくが彼の絵を観た時感じるのはその静謐な安らぎと、沁みとおって來る静寂の中の不安との狭間に漂っている自分の心だ。
ハンマースホイの描く室内の多くはコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地にあった自宅が舞台だ。彼は絵を描くためにあまり旅をした方ではない、というよりはフランスとイギリスを除いて殆ど旅しなかった。パリを訪れた時も印象派の絵画には余りひかれなかったようだ。
彼が唯一自分の作品を個人的に見て欲しかったのはホイッスラーだった。彼がロンドンを訪れた時ホイッスラーに作品を見てもらおうとしたがホイッスラーは旅行中で結局会うことはできなかった。そう言えばハンマースホイの《画家の母親-フレゼレゲ・ハンマースホイ1886年》はホイッスラーの名作《灰色と黒のアレンジメント、画家の母親(Arrangement in Grey and Black: Portrait of the Painter's Mother)に雰囲気は酷似している。

ホイッスラー/灰色と黒のアレンジメント、画家の母親(1871)

ハンマースホイ/画家の母親-フレゼレゲ・ハンマースホイ(1886)
国立西洋美術館が2008年に少ない収蔵品収集予算の中から彼の作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」を購入したことを知った時とてもうれしかった。またハンマースホイ再評価の仕掛け人でもあるフランクフルトのシュテーデル美術館学芸員フェリックス・クレマー氏の講演「ハンマースホイと象徴主義」の講演を2008年に聴くことができたのも望外の喜びだった。
今(2018年2月現在)、彼のその作品「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」は国立西洋美術館の一番最後の展示スペースに掲げられている。機会があったら観てほしい。
[Hammershoi My Best 5]
①ピアノを弾くイーダの居る室内(1910)

この絵を挙げたのは、単に現在国立西洋美術館が所有しているので今でも身近に見られるというだけでなく、ハンマースホイの絵の特長を良く表す作品でもあると思うこともあってだ。タイトルには「ピアノを弾くイーダ…」とあるけど、ピアノを弾いているのかただ前に座って考え事をしているのか、さらにイーダとイスは一体化しているようにも見える。
手前のテーブルには空のプレートが置かれているが、ハンマースホイの絵は今まで此処で何があってこれから何が起きようとしているのか想像がつかない。ある批評家はそれを「物語の無い日常」と評した。確かにそうかもしれないが、そこに「静謐な今」だけは厳然としてある。固いこと言わずに勝手に想像してみるのも楽しみ方の一つだと思う。
②居間にさす陽光(1903)

デンマーク室内画派のカール・ホルスーウやハンマースホイの義兄にあたるピーダ・イルステズなどは人のいない部屋や室内の生活の中で部屋に差し込む陽光のシーンなどを多く描いているが、ハンマースホイのこの絵はそのような室内画の中でも出色だと思う。
この部屋は彼が長いこと住んでおり、多くの室内画の舞台となったコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地の自宅の居間で、両脇の白い椅子は他の作品にも度々登場する。この絵は不思議なことに静謐で全く動きが無いように見られるけれど、じっと見ていると窓から差し込む陽光が段々と動いて行くように感じられる。
たぶんハンマースホイがそうであったように、ぼくも自分の部屋に窓を通して差し込む光が部屋の中を時間と共に移動してゆくのをじっと見つめているのが好きだ。
③室内、ストランゲーゼ30番地(1899)

同名のタイトルつまり「Interior,Strandgade30」と題された絵は何点かあるが、これもその一枚。後姿や観る者とは意識的に距離を置いている感じの妻イーダの絵が多い中で、この一枚は実に温かみがありイーダの表情も見る者をほっとした気持ちにさせてくれる。
ハンマースホイにしては珍しい一枚だと思う。一見すると往年のオランダ室内絵画のようだけれど、もちろんハンマースホイはそう素直には鑑賞させてくれない。
イーダの手元を見ると、彼女の手はテーブルに置かれているのか、はたまたコーヒーカップのどこかを持とうとしているのか定かではない。テーブルクロスだって半分にまくられている。イーダの穏やかな表情は見る者を焦らそうとしているのだろうか。
④白い扉、あるいは開いた扉(1905)

ハンマースホイの室内画ではドアの取っ手部分が色々な意味を暗示しているような気がする。多くの室内画に登場する全く取っ手の無いドア、上の③の「室内、ストランゲーゼ30番地」のドアのように小さな小さなノブが付いているドア。そしてこの絵の左側のドアにはなんともいかめしい真鍮の金具がついている。此処はストランゲーゼ30番地の自宅の食堂から居間に続く空間からの眺めだ。全ての扉が開け放たれているのに開放的な感じではない。
家具も無いのだけれど、手前の床を見れば実に生活感のある空間に見えて來る。食堂から居間に抜けるドアに、何故こんなにいかめしい金具がついているのか、そしてそれが開け放たれているというのはどういう意味か。一番奥の扉には取っ手が無い。分かっているのはハンマースホイの心の中には無数のドアがあったということだけ。
⑤若い女性の肖像、画家の妹アナ・ハンマースホイ(1885)

これはハンマースホイが初めてデンマーク王立美術アカデミーの展覧会に出品して落選した作品だ。押さえられた色調や粗い筆致などがアカデミーの方針と合わなかったのかもしれないが、此処には翌年1886に母親を描いてホイッスラーの絵とよく比較される「画家の母親-フレゼレゲ・ハンマースホイ」のエッセンスが既に入っていると思う。
女性の表情は一見ルノアールのそれに似ているように感じるが、そこには確かに陽光溢れるフランスの印象派とは全く異なる北欧の空気の温度が現れているような気がする。
[Books]
残念ながら、ハンマースホイの画集や書籍はとても少ない。日本語の画集はぼくの知っている限りでは国立西洋美術館で2008年に行われた「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」の図録だけだし、ぼくの持っているのはもう一冊ドイツで出された画集の2冊のみだ。
●「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」/ハンマースホイ展図録
●Hammershoi und Europa/Prestel

[I remember…ぼくの電子過去帳] 今年96歳になるウチのお袋は、毎朝「過去帳」を開いてその日の月命日の身内や知人にお経をあげている。年寄りの古臭い習慣かも知れないけれど、ぼくは好きだ。それを見るたびに自分がどれだけ、色んな人から縁を貰って生きながらえているかが実感出来るから。 お袋の過去帳ではなけれど、ぼくも自分のカレンダーに身内や知人の他にも好きな音楽家、歌手や作家、画家などの命日を書き込んでいる。そうすると、ぼくらは如何に過去の人達から多くの贈り物を貰って生きているかが感じられる。その日が近づくとちょっとその人の歌や作品について味わい直してみたくなる。(2016年記す)
(Feb.2015 Feb.2018 revised)
Museum of the Month Bernie Fuchs
■Museum of the Month


バーニー・ヒュークスはぼくが少年の頃始めて夢中になった画家だ。イラストレーターと呼ばれることもあるけれど、どう呼ばれようと実質は変わらないのだから構わないけど。
子供の事だからヒュークスの名前を最初から知っていたわけではない。ぼくは彼のイラストが載っていたアメリカ車の豪華なカタログが好きで集めていた。集めていたと言ってもすぐ手に入るわけではない。
外車なんか買うはずもない子供に豪華なカタログをそうおいそれとくれるわけはない。中学校、高校の頃学校の帰りに当時外車ディーラーが多かった麻布の何軒かの販売店に日参してやっと一冊貰えるかどうかだった。
ヒュークスの描く絵には車だけでなく、車を中心とした眩しいようなアメリカン・ライフの光景が展開されていた。そこには良き時代のアメリカの光が溢れていた。その作家の名前をバーニー・ヒュークスだと知ったのはもうずっと大人というかオジサンになってからの事だ。
その頃にはヒュークスはケネディのオフィシャルな肖像やエリザベス女王の肖像も描くような大御所になっていた。これも後になって知ったのだけれど、彼は写真には絶対写させなかったけれど実は青年時代の事故で右手の指三本が無かったということらしい。
今、代官山で短期間だけれど何回目かの彼の大規模な個展が開かれている。小規模なものは以前にも東急Bunkamuraのギャラリーなどで行われてぼくも行ったこともあるが、今回のように点数は多くないし、大半がリトグラフのことが多い。
彼の絵は彼独特の描法による光の表現が素晴らしい。特に木漏れ日や木々に降り注ぐ光の表現は独特で素晴らしい。今回展示されていた「カップル アンダー ツリー」は残念ながら画集には載っていないけれど、そのような彼の表現がいかんなく発揮されていた。彼の油彩はアメリカでの印象派の後継者と言えなくもないと思う。

[少し作品について…]
個展は撮影禁止のうえ展示作品リストもなかったため画像では紹介できないけれど、好きな絵のタイトルは控えてきたので列挙すると以下のような作品だった。
・オールドパーク コミスキー
・グリーンモンスター
・タイ カップ
・スプリング トレーニング マウンテンズ
・ヴァンダービルト フットボール
・インディアン ガール
・バーン、ムーン、キャリッジ
・トゥーシスターズ
・カップル アンダー ツリー
・ポートレート オブ ケネディ
・アット ザ スパ
展示作品に限らず彼の代表的な作品をいくつかあげるとこんな感じになるかもしれない。

Green Monster
ヒュークスは野球、ゴルフやフットボールなどスポーツのイラストを沢山描いているがこれはそのような作品の傑作のひとつ。ボストン・レッドソックスのFernway Parkのグリーン・モンスターと呼ばれる巨大な緑色の塀をダイナミックなタッチで描いた。この絵の主人公は他ならぬこの塀だ。原画が展示されていたがとても迫力がある。大きさを縮小したリトグラフも売られていた。

Portrait of JFK
ヒュークスは肖像画家というもう一つの顔を持っている。1988年に描かれたこのケネディの肖像画の他にも、マーチン・ルーサー・キングをはじめとしてエリザベス女王、モハメッド・アリ、ボビー・ジョーンズなど実に多岐にわたる。この作品も展示されていた。
ヒュークスの光あふれる世界
ヒュークスは生乾きの絵の具を布で拭い光の効果を出すという特殊な技法で光あふれる世界を描き出している。




ハンターと夕日
ヒュークスは晩年、絵本の制作に力を入れた。この絵も絵本Shooting from the Moonの中の一場面。アニーが大好きな森を歩く場面を描いている。木々の間から顔を見せる陽の光が美しい。
[画集について]

現在比較的容易に手に入る彼の画集として
・Bernie Fuchs AMERICAN ORIGINAL(日本語)
・The Life and Art of Bernie Fuchs
があるが、それには展覧会では中々見ることができない車のカタログを描いていた時代の作品や、雑誌のイラストを描き始めた頃の作品も観ることができる。
少年の頃アメリカ車のカタログで彼のイラストに触れたぼくにとっては何とも懐かしい世界を覗くことができる。ちなみに、ミカン箱一杯あった当時の車のカタログはいつの間にか処分してしまったらしく、今は手元にない。なんとも残念な…。




アメリカの雑誌McCall‘s誌に初めて掲載された彼のイラスト。
バーニー・ヒュークス展
代官山HILLSIDE TERRACE
2017/12/10-20


バーニー・ヒュークスはぼくが少年の頃始めて夢中になった画家だ。イラストレーターと呼ばれることもあるけれど、どう呼ばれようと実質は変わらないのだから構わないけど。
子供の事だからヒュークスの名前を最初から知っていたわけではない。ぼくは彼のイラストが載っていたアメリカ車の豪華なカタログが好きで集めていた。集めていたと言ってもすぐ手に入るわけではない。
外車なんか買うはずもない子供に豪華なカタログをそうおいそれとくれるわけはない。中学校、高校の頃学校の帰りに当時外車ディーラーが多かった麻布の何軒かの販売店に日参してやっと一冊貰えるかどうかだった。
ヒュークスの描く絵には車だけでなく、車を中心とした眩しいようなアメリカン・ライフの光景が展開されていた。そこには良き時代のアメリカの光が溢れていた。その作家の名前をバーニー・ヒュークスだと知ったのはもうずっと大人というかオジサンになってからの事だ。
その頃にはヒュークスはケネディのオフィシャルな肖像やエリザベス女王の肖像も描くような大御所になっていた。これも後になって知ったのだけれど、彼は写真には絶対写させなかったけれど実は青年時代の事故で右手の指三本が無かったということらしい。
今、代官山で短期間だけれど何回目かの彼の大規模な個展が開かれている。小規模なものは以前にも東急Bunkamuraのギャラリーなどで行われてぼくも行ったこともあるが、今回のように点数は多くないし、大半がリトグラフのことが多い。
彼の絵は彼独特の描法による光の表現が素晴らしい。特に木漏れ日や木々に降り注ぐ光の表現は独特で素晴らしい。今回展示されていた「カップル アンダー ツリー」は残念ながら画集には載っていないけれど、そのような彼の表現がいかんなく発揮されていた。彼の油彩はアメリカでの印象派の後継者と言えなくもないと思う。

[少し作品について…]
個展は撮影禁止のうえ展示作品リストもなかったため画像では紹介できないけれど、好きな絵のタイトルは控えてきたので列挙すると以下のような作品だった。
・オールドパーク コミスキー
・グリーンモンスター
・タイ カップ
・スプリング トレーニング マウンテンズ
・ヴァンダービルト フットボール
・インディアン ガール
・バーン、ムーン、キャリッジ
・トゥーシスターズ
・カップル アンダー ツリー
・ポートレート オブ ケネディ
・アット ザ スパ
展示作品に限らず彼の代表的な作品をいくつかあげるとこんな感じになるかもしれない。

Green Monster
ヒュークスは野球、ゴルフやフットボールなどスポーツのイラストを沢山描いているがこれはそのような作品の傑作のひとつ。ボストン・レッドソックスのFernway Parkのグリーン・モンスターと呼ばれる巨大な緑色の塀をダイナミックなタッチで描いた。この絵の主人公は他ならぬこの塀だ。原画が展示されていたがとても迫力がある。大きさを縮小したリトグラフも売られていた。

Portrait of JFK
ヒュークスは肖像画家というもう一つの顔を持っている。1988年に描かれたこのケネディの肖像画の他にも、マーチン・ルーサー・キングをはじめとしてエリザベス女王、モハメッド・アリ、ボビー・ジョーンズなど実に多岐にわたる。この作品も展示されていた。
ヒュークスの光あふれる世界
ヒュークスは生乾きの絵の具を布で拭い光の効果を出すという特殊な技法で光あふれる世界を描き出している。




ハンターと夕日
ヒュークスは晩年、絵本の制作に力を入れた。この絵も絵本Shooting from the Moonの中の一場面。アニーが大好きな森を歩く場面を描いている。木々の間から顔を見せる陽の光が美しい。
[画集について]

現在比較的容易に手に入る彼の画集として
・Bernie Fuchs AMERICAN ORIGINAL(日本語)
・The Life and Art of Bernie Fuchs
があるが、それには展覧会では中々見ることができない車のカタログを描いていた時代の作品や、雑誌のイラストを描き始めた頃の作品も観ることができる。
少年の頃アメリカ車のカタログで彼のイラストに触れたぼくにとっては何とも懐かしい世界を覗くことができる。ちなみに、ミカン箱一杯あった当時の車のカタログはいつの間にか処分してしまったらしく、今は手元にない。なんとも残念な…。




アメリカの雑誌McCall‘s誌に初めて掲載された彼のイラスト。
(Dec.2017)
Museum of the Month POLA美術館
■The Museum of the Month

[感想メモ]
箱根は好きなところだけれど、例の噴火騒ぎでしばらくご無沙汰だったが先日一泊二日で友人と温泉目当てで行った。箱根は近年温泉の町であると同時に美術館の町にもなっている。
中にはいかにも観光客向けのものもあるれど、本格的なレベルの高い美術館も増えて来たのは嬉しい限りだ。というわけで初日はPOLA美術館そして翌日は岡田美術館とちょっと贅沢に1日1館を観た。
POLA美術館は今年15周年を迎え、それを記念して所蔵作品の中から名作100展を選んで展示しているがどれも名作展の名に恥じないすばらしい作品が並んでおり滅多にな良いい機会だった。
[My Best 5+1]
①マント家の人々(1880)/エドガー・ドガ…パステル画というのは保存が難しいらしいれど独特の温かみがあってぼくは大好きだ。パステル画の特質に色彩が鮮やかというのもあり、例えばルドンなんかはその代表かもしれない、
そういう意味ではドガのこの絵はパステルでも派手な色は避けて実に落ち着いた画面で一見母娘のこまやかな関係を示す絵柄のように見えるが、よく見ると左側の茶色い洋服を着た少女の存在がミステリアスではある。

②バラ色のボート(1890)/クロード・モネ…横が170センチもある大作でぼくはモネの作品の中でも最も好きな作品の一つだ。まずシンプルな構図が良い。ボートとオールの直線の交点をセンターからちょっとずらしてボートの動きを感じさせている。ボートの直線に対して画面手前の大きくとられたスペースには今度は曲線を主体とした水草が水中で揺れるような風情で描かれている。深い緑の中に薄いピンクの二人の女性のおぼろげな姿がゆっくりと流れてゆく時を感じさせる。


③浴槽 ブルーのハーモニー(1917)/ピエール・ボナール…ボナールの色はいつも優しい。ナビ派の中でも日常の光景や近しい人たちを題材として描くアンティミストとしての目が日常の一瞬を鋭く切り取っている。妻のマルトの湯あみの光景だが、立膝をしてスポンジで体をぬぐっている刹那を捉えている。全体が青で統一されている空間を俯瞰しているアングルで空間が少しゆがんだような不思議な感じに襲われる。

④リュート(1943)/アンリ・マチス…赤といえば関根正二のバーミリオン、鴨井玲の深い赤、画家それぞれに色に対する深い思い入れがあるが、マチスも鮮やかな赤色に独特の思い入れを持っているようだ。マチスのこの赤色は下地に黄色が塗られているということでより鮮やかな赤となっている。印刷業界ではイエローにマゼンタをのせたものを「金赤」と言っているけど、その金赤に近いかもしれない。2009年にPOLA美術館で開かれた所蔵作品を中心とした展覧会「ボナールの庭、マティスの室内」も楽しい展覧会だったけど、そこにも展示されていた。

⑤パリ(1937)/ラウル・デュフロイ…デュフィは大好きな作家だがこの作品に初めて出会ったのは2014年に東急Bunkamuraで開かれた「デュフィ展」だった。デュフィはコスチュームを始め色々な意匠デザインを行なっているが、この作品も元はタピスリー用のデザインだったようだ。本作ではそのデザインを踏襲しながら屏風仕立てのような縦長の四枚の絵にしている。パリの朝から夜までの時間を四つのシーンで表現しタピスリーではできなかった線と色彩の微妙な関係の描き方がとてもいい。

⑤アンドレ ド リュー ド シャトー(1925)/佐伯祐三…佐伯祐三のあの重厚な画面が好きで、都市をああいう感じで写真にしてみたいと思うのだけれど、もちろん不可能なのだけれど。といっても佐伯の作品をそんなに多く観たわけではない、作品数自体があまり多くないのかもしれない。佐伯の描く建物の質感が好きだ。建物が自分の歴史を語っているようだ。佐伯の絵はこの頃からユトリロのように建物だけでなく横丁や街自体の物語を語り始めている。

[図録]
213頁、3240円。今回の展示のための図録は無く写真左のものはPOLA美術館の名作選なのだが、今回の展覧会が美術館の名作100点ということで、その大半が収録されている。同じ名作選で5年前のも持っているが掲載されている作品は多少変わっている。内容は掲載作品の解説が主で、英語でも解説があるので外国人にも便利なようになっている。
右の方は2009年に開かれた所蔵作品を中心とした展覧会「ボナールの庭、マティスの室内」のさいの図録。

岡田美術館
についても少々…

この美術館がちょっと凄すぎるので、一回では印象もまとまらないし、冷静にちゃんと観たとは言いがたいので一言だけ…。
前からずっと行きたいと思っていながら中々行く機会がなくて行けなかった岡田美術館にやっと行くことができた。友人と箱根に一泊旅行をして初日にはPOLA美術館に行って翌日に岡田美術館というゆったりとした日程で行くことができた。
入場料が2800円ということにちょっと驚いて、続いて携帯やスマホもカメラもロッカーに預けてボディチェックというのも驚いたけど、美術館を観ているうちに納得した。館内は独特の雰囲気で心から日本の美意識に浸りきれる環境になっている。ここにカメラは似合わない。
館内の闇に浮かび上がるため息の出るような作品群。展示ケースのガラスもたぶん特注のものだと思うのだけれど、他の美術館とは透明度が違うように感じるし、作品がケースの中に入っていてもかなり近くに置かれているので細部まで観察することができる。
特別展示として「仁清と乾山展」が行われていた。特別展といっても展示作品は全て岡田美術館の所蔵品なのでそれもすごいと思う。
ぼくが中々その場を離れがたかったのは日本画の部門。ため息を通り越してちょっと涙も…。陶器部門はこの美術館を作った岡田和生氏のコレクションが陶器から始まったとあって、その規模はまさに圧巻。
ちなみに、今思いついたものだけでも…
・尾形乾山/色絵竜田川文透彫反鉢
・尾形光琳/菊図屏風
・酒井抱一/月に秋草図屏風
・伊藤若冲/三十六歌仙図屏風
・伊藤若冲/月に叭々鳥図
・菱田春草/海月
・河合玉堂/渓村秋晴 など等、きりが無い。
さらに驚くべきは、これはコレクターの執念なのかその全てにおいて保存状態が素晴らしいということ。これにも驚ろかされる。
車で行ったので時間は気にしないで済んだのだけど、最低でも二時間はほしいし、半日いてもぼくは飽きない。春になったら是非また行きたいと思う。

100点の名画で巡る100年の旅
POLA美術館
2017年10月1日〜'18年3月11日

[感想メモ]
箱根は好きなところだけれど、例の噴火騒ぎでしばらくご無沙汰だったが先日一泊二日で友人と温泉目当てで行った。箱根は近年温泉の町であると同時に美術館の町にもなっている。
中にはいかにも観光客向けのものもあるれど、本格的なレベルの高い美術館も増えて来たのは嬉しい限りだ。というわけで初日はPOLA美術館そして翌日は岡田美術館とちょっと贅沢に1日1館を観た。
POLA美術館は今年15周年を迎え、それを記念して所蔵作品の中から名作100展を選んで展示しているがどれも名作展の名に恥じないすばらしい作品が並んでおり滅多にな良いい機会だった。
[My Best 5+1]
①マント家の人々(1880)/エドガー・ドガ…パステル画というのは保存が難しいらしいれど独特の温かみがあってぼくは大好きだ。パステル画の特質に色彩が鮮やかというのもあり、例えばルドンなんかはその代表かもしれない、
そういう意味ではドガのこの絵はパステルでも派手な色は避けて実に落ち着いた画面で一見母娘のこまやかな関係を示す絵柄のように見えるが、よく見ると左側の茶色い洋服を着た少女の存在がミステリアスではある。

②バラ色のボート(1890)/クロード・モネ…横が170センチもある大作でぼくはモネの作品の中でも最も好きな作品の一つだ。まずシンプルな構図が良い。ボートとオールの直線の交点をセンターからちょっとずらしてボートの動きを感じさせている。ボートの直線に対して画面手前の大きくとられたスペースには今度は曲線を主体とした水草が水中で揺れるような風情で描かれている。深い緑の中に薄いピンクの二人の女性のおぼろげな姿がゆっくりと流れてゆく時を感じさせる。


③浴槽 ブルーのハーモニー(1917)/ピエール・ボナール…ボナールの色はいつも優しい。ナビ派の中でも日常の光景や近しい人たちを題材として描くアンティミストとしての目が日常の一瞬を鋭く切り取っている。妻のマルトの湯あみの光景だが、立膝をしてスポンジで体をぬぐっている刹那を捉えている。全体が青で統一されている空間を俯瞰しているアングルで空間が少しゆがんだような不思議な感じに襲われる。

④リュート(1943)/アンリ・マチス…赤といえば関根正二のバーミリオン、鴨井玲の深い赤、画家それぞれに色に対する深い思い入れがあるが、マチスも鮮やかな赤色に独特の思い入れを持っているようだ。マチスのこの赤色は下地に黄色が塗られているということでより鮮やかな赤となっている。印刷業界ではイエローにマゼンタをのせたものを「金赤」と言っているけど、その金赤に近いかもしれない。2009年にPOLA美術館で開かれた所蔵作品を中心とした展覧会「ボナールの庭、マティスの室内」も楽しい展覧会だったけど、そこにも展示されていた。

⑤パリ(1937)/ラウル・デュフロイ…デュフィは大好きな作家だがこの作品に初めて出会ったのは2014年に東急Bunkamuraで開かれた「デュフィ展」だった。デュフィはコスチュームを始め色々な意匠デザインを行なっているが、この作品も元はタピスリー用のデザインだったようだ。本作ではそのデザインを踏襲しながら屏風仕立てのような縦長の四枚の絵にしている。パリの朝から夜までの時間を四つのシーンで表現しタピスリーではできなかった線と色彩の微妙な関係の描き方がとてもいい。

⑤アンドレ ド リュー ド シャトー(1925)/佐伯祐三…佐伯祐三のあの重厚な画面が好きで、都市をああいう感じで写真にしてみたいと思うのだけれど、もちろん不可能なのだけれど。といっても佐伯の作品をそんなに多く観たわけではない、作品数自体があまり多くないのかもしれない。佐伯の描く建物の質感が好きだ。建物が自分の歴史を語っているようだ。佐伯の絵はこの頃からユトリロのように建物だけでなく横丁や街自体の物語を語り始めている。

[図録]
213頁、3240円。今回の展示のための図録は無く写真左のものはPOLA美術館の名作選なのだが、今回の展覧会が美術館の名作100点ということで、その大半が収録されている。同じ名作選で5年前のも持っているが掲載されている作品は多少変わっている。内容は掲載作品の解説が主で、英語でも解説があるので外国人にも便利なようになっている。
右の方は2009年に開かれた所蔵作品を中心とした展覧会「ボナールの庭、マティスの室内」のさいの図録。

岡田美術館
についても少々…

この美術館がちょっと凄すぎるので、一回では印象もまとまらないし、冷静にちゃんと観たとは言いがたいので一言だけ…。
前からずっと行きたいと思っていながら中々行く機会がなくて行けなかった岡田美術館にやっと行くことができた。友人と箱根に一泊旅行をして初日にはPOLA美術館に行って翌日に岡田美術館というゆったりとした日程で行くことができた。
入場料が2800円ということにちょっと驚いて、続いて携帯やスマホもカメラもロッカーに預けてボディチェックというのも驚いたけど、美術館を観ているうちに納得した。館内は独特の雰囲気で心から日本の美意識に浸りきれる環境になっている。ここにカメラは似合わない。
館内の闇に浮かび上がるため息の出るような作品群。展示ケースのガラスもたぶん特注のものだと思うのだけれど、他の美術館とは透明度が違うように感じるし、作品がケースの中に入っていてもかなり近くに置かれているので細部まで観察することができる。
特別展示として「仁清と乾山展」が行われていた。特別展といっても展示作品は全て岡田美術館の所蔵品なのでそれもすごいと思う。
ぼくが中々その場を離れがたかったのは日本画の部門。ため息を通り越してちょっと涙も…。陶器部門はこの美術館を作った岡田和生氏のコレクションが陶器から始まったとあって、その規模はまさに圧巻。
ちなみに、今思いついたものだけでも…
・尾形乾山/色絵竜田川文透彫反鉢
・尾形光琳/菊図屏風
・酒井抱一/月に秋草図屏風
・伊藤若冲/三十六歌仙図屏風
・伊藤若冲/月に叭々鳥図
・菱田春草/海月
・河合玉堂/渓村秋晴 など等、きりが無い。
さらに驚くべきは、これはコレクターの執念なのかその全てにおいて保存状態が素晴らしいということ。これにも驚ろかされる。
車で行ったので時間は気にしないで済んだのだけど、最低でも二時間はほしいし、半日いてもぼくは飽きない。春になったら是非また行きたいと思う。

(Dec.2017)
gillman*s gallery もっと光を!
■gillman*s gallery
「もっと光を!」というのはゲーテの最期の言葉として有名で、いろいろな解釈がされているようだけど、実際は"Macht doch den zweiten Fensterladen auf, damit mehr Licht hereinkomme." つまり、「もっと光が入るように二番目の窓の鎧戸を開けておくれ」というもので特に形而上学的な意味があるわけではないらしいのだけれど…。
とは言え、人はいつの時代にも光の中に希望を見出そうとするものかもしれない。特に現代のように不安感にさいなまれつつ闇夜の中を歩いているように先の見えない時代においては。

Firenze
サンロレンツォ教会隣接の旧サン・マルコ修道院回廊の外光

Tokyo
六本木国立新美術館、夕刻建物の奥まで差し込む光は美しい

Vienna
ウィーン・レオポルド美術館のこの光景も一つの展示作品だ

Aries
ゴッホが一時収容されていたアルルの療養院中庭に溢れる天上からの光
※写真はクリックすると大きくなります。
Mehr Licht!
More Light !
もっと光を!
「もっと光を!」というのはゲーテの最期の言葉として有名で、いろいろな解釈がされているようだけど、実際は"Macht doch den zweiten Fensterladen auf, damit mehr Licht hereinkomme." つまり、「もっと光が入るように二番目の窓の鎧戸を開けておくれ」というもので特に形而上学的な意味があるわけではないらしいのだけれど…。
とは言え、人はいつの時代にも光の中に希望を見出そうとするものかもしれない。特に現代のように不安感にさいなまれつつ闇夜の中を歩いているように先の見えない時代においては。

Firenze
サンロレンツォ教会隣接の旧サン・マルコ修道院回廊の外光
Tokyo
六本木国立新美術館、夕刻建物の奥まで差し込む光は美しい
Vienna
ウィーン・レオポルド美術館のこの光景も一つの展示作品だ
Aries
ゴッホが一時収容されていたアルルの療養院中庭に溢れる天上からの光
※写真はクリックすると大きくなります。
(Dec.2017)
Museum of the Month Chagall
■Museum of the Month

[感想メモ]
シャガールというと個人的に想いだすのは、大昔のバブル華やかりし頃ある大手商社の会議室に呼ばれ、これを巧くさばけないかと見せられたのが、大量の大型のリトグラフでそれらは全てシャガールの作品だった。バブル景気もピークに達し上がりきった美術品の価格の下落も囁かれ始めたころだった。
シャガールにはなんとも気の毒だけれども、即物的な投資としての美術品の世界を見たようで想いだすといまだに釈然としない気持ちになる。とは言え、もちろんシャガールの作品自体は本来ファンタジックで色彩の美しさは群を抜いており、今回の展覧会でその造形力もとても趣のあるということも知った。
この東京駅のステーション・ギャラリーが出来て以来、良い企画展が多いので東京駅の近くに来たときなどによく訪れるのだけれど、今回の展示もとても良かった。シャガールの三次元の作品を観られることもそうだけれど、絵画の展示も充実しておりその殆どが美術館などではなく個人所有の作品なので貴重な機会だと思う。また紳士服でお馴染みのAOKIがシャガールの素晴らしい作品をこんなに多く所有していることも知らなかった。
[シャガール展 My Best 5]
①紫色の裸婦(1967)/No.114-6…会場には本作と二点の下絵が展示されている。本作は大型の油彩で絵具はかなりの厚塗りになっている。本作も素晴らしいが、ぼくはその下絵に見入ってしまった。
図柄はタイトルの通り紫色の裸婦と道化師そしてシャガールお得意のヤギなのだが、下絵の方は裸婦の部分と道化師の部分に分かれているが両方とも油彩でなくグワッシュと墨、コラージュ等で描かれており実に鮮やかな色彩が美しい。ぼくはどちらかというと下絵の方が気に入っている。

②天蓋の花嫁(1949)/No.159…シャガールの絵にはよく二重肖像が登場し、それは一見、一つのものを違う角度から見た構図の合成のようなキュビズム的なものに思えるのだけれど、シャガールの場合視覚と言うよりそれは心理的な二重性を表していると思った方が良いようだ。この絵の花嫁も二つの顔を持っている。それは恐らく亡き妻ベラと当時の恋人ハガードの二重像だと思える。

③赤い背景の花(1968)/No.109…まさに真紅の画面。会場でもひときわ目を引く作品だ。窓のある赤い壁の背景に溶け込むように花瓶に活けられた大きな花束が置いてある。右側から妻のヴァヴァだろうか女性が手に花を持って近づいてくる。強烈な残像のように脳裏に残る光景。

[参考]
ちなみに下の絵は今回ウィーンのアルベルティーナ美術館で観たシャガールの「花と共に眠る女性」(1972)だけれど、シャガールの花の絵は大抵このように人物や動物、故郷の風景などが書き込まれていることが多い。

④青いロバ[陶器](1954)/No.026…シャガールの手がけた陶器の作品も何点か展示されているが水差しにしろ、壺にしろ実用的な普通の形というよりは、その形態をかりたオブジェという感じだ。
このロバの水差しも取っ手が馬の脚(というか手というか)のようにもなっていて何ともユーモラスでおおらかな姿だ。周りに施されている彩色もいかにもシャガールというもので、全体の雰囲気としてはまさに彼の絵から三次元の世界に抜け出てきた感じがする。

⑤カーネーションを持つベラ(1925)/No.006…初期の頃の作品で、妻のベラの姿ががっしりとした骨太の体格で描かれている。この展覧会にもあったけどシャガールの1910年代の作品にはキュビズムの影響が見られるが、この作品は首の太さや骨格のダイナミックさなどピカソの新古典主義の時代(1918年~1925年頃)と共通するものがあるように思う。
ピカソはこの頃オルガと結婚しており、キュビズムの時代とは作風は大きく変わっている。その影響もあったのかもしれないが、色合いと言い、画面構成と言いその後のシャガールの作風からは想像がつきにくい。

[参考]

ピカソ「母と子」(1921)
[図録]
250頁。2592円。通常よりちょっと高いが、かなり力の入った図録に思える。多少くすんではいるが、色も比較的よく出ているし何よりも見ていて楽しい作りになっている。
シャガールの彫刻など三次元の作品を見ることができるのも楽しいが、ただ作品を並べるだけでなくその下絵や絵画作品と関連づけたり工夫がみられるのも好感が持てる。今回の展示は個人所蔵の作品が多いのでそういう意味でも他の画集には載っていない作品も多いと思う。



シャガール展
~三次元の世界~
東京ステーションギャラリー
2017年9月16日~12月3日

[感想メモ]
シャガールというと個人的に想いだすのは、大昔のバブル華やかりし頃ある大手商社の会議室に呼ばれ、これを巧くさばけないかと見せられたのが、大量の大型のリトグラフでそれらは全てシャガールの作品だった。バブル景気もピークに達し上がりきった美術品の価格の下落も囁かれ始めたころだった。
シャガールにはなんとも気の毒だけれども、即物的な投資としての美術品の世界を見たようで想いだすといまだに釈然としない気持ちになる。とは言え、もちろんシャガールの作品自体は本来ファンタジックで色彩の美しさは群を抜いており、今回の展覧会でその造形力もとても趣のあるということも知った。
この東京駅のステーション・ギャラリーが出来て以来、良い企画展が多いので東京駅の近くに来たときなどによく訪れるのだけれど、今回の展示もとても良かった。シャガールの三次元の作品を観られることもそうだけれど、絵画の展示も充実しておりその殆どが美術館などではなく個人所有の作品なので貴重な機会だと思う。また紳士服でお馴染みのAOKIがシャガールの素晴らしい作品をこんなに多く所有していることも知らなかった。
[シャガール展 My Best 5]
①紫色の裸婦(1967)/No.114-6…会場には本作と二点の下絵が展示されている。本作は大型の油彩で絵具はかなりの厚塗りになっている。本作も素晴らしいが、ぼくはその下絵に見入ってしまった。
図柄はタイトルの通り紫色の裸婦と道化師そしてシャガールお得意のヤギなのだが、下絵の方は裸婦の部分と道化師の部分に分かれているが両方とも油彩でなくグワッシュと墨、コラージュ等で描かれており実に鮮やかな色彩が美しい。ぼくはどちらかというと下絵の方が気に入っている。

②天蓋の花嫁(1949)/No.159…シャガールの絵にはよく二重肖像が登場し、それは一見、一つのものを違う角度から見た構図の合成のようなキュビズム的なものに思えるのだけれど、シャガールの場合視覚と言うよりそれは心理的な二重性を表していると思った方が良いようだ。この絵の花嫁も二つの顔を持っている。それは恐らく亡き妻ベラと当時の恋人ハガードの二重像だと思える。

③赤い背景の花(1968)/No.109…まさに真紅の画面。会場でもひときわ目を引く作品だ。窓のある赤い壁の背景に溶け込むように花瓶に活けられた大きな花束が置いてある。右側から妻のヴァヴァだろうか女性が手に花を持って近づいてくる。強烈な残像のように脳裏に残る光景。

[参考]
ちなみに下の絵は今回ウィーンのアルベルティーナ美術館で観たシャガールの「花と共に眠る女性」(1972)だけれど、シャガールの花の絵は大抵このように人物や動物、故郷の風景などが書き込まれていることが多い。
④青いロバ[陶器](1954)/No.026…シャガールの手がけた陶器の作品も何点か展示されているが水差しにしろ、壺にしろ実用的な普通の形というよりは、その形態をかりたオブジェという感じだ。
このロバの水差しも取っ手が馬の脚(というか手というか)のようにもなっていて何ともユーモラスでおおらかな姿だ。周りに施されている彩色もいかにもシャガールというもので、全体の雰囲気としてはまさに彼の絵から三次元の世界に抜け出てきた感じがする。

⑤カーネーションを持つベラ(1925)/No.006…初期の頃の作品で、妻のベラの姿ががっしりとした骨太の体格で描かれている。この展覧会にもあったけどシャガールの1910年代の作品にはキュビズムの影響が見られるが、この作品は首の太さや骨格のダイナミックさなどピカソの新古典主義の時代(1918年~1925年頃)と共通するものがあるように思う。
ピカソはこの頃オルガと結婚しており、キュビズムの時代とは作風は大きく変わっている。その影響もあったのかもしれないが、色合いと言い、画面構成と言いその後のシャガールの作風からは想像がつきにくい。

[参考]

ピカソ「母と子」(1921)
[図録]
250頁。2592円。通常よりちょっと高いが、かなり力の入った図録に思える。多少くすんではいるが、色も比較的よく出ているし何よりも見ていて楽しい作りになっている。
シャガールの彫刻など三次元の作品を見ることができるのも楽しいが、ただ作品を並べるだけでなくその下絵や絵画作品と関連づけたり工夫がみられるのも好感が持てる。今回の展示は個人所蔵の作品が多いのでそういう意味でも他の画集には載っていない作品も多いと思う。



(Okt.2017)
gillman*s gallery Vienna
gillman*s Museum 美術史美術館
ウィーン美術館巡り Ⅳ
ウィーン美術史美術館
Kunst Historisches Museum Wien
[感想メモ]
ウィーンに来てぼくがやはり一番じっくり観たいのはこの美術史美術館だ。今回も結局二日間通ったのだけど、体力というか気力で丸一日いるという訳には行かないので実質の滞在時間は2日で6〜8時間くらいだろうか。
一時リニューアルで閉館していたが2013年に再オープンし壁の色や作品の解説プレートも手摺を兼ねた所に集約されるなどすっきりとした感じになった。18世紀位までの作品が中心なので人によっては長時間いると重苦しいという人もいるけど、ぼくにとっては至福の時だ。
展示はローマ数字で示される大きい部屋である大ギャラリーとそれを囲むように配置されているアラビア数字で表される小部屋とに別れているので最初は分かりにくいけど、全体の配置が分かるとかえって目当ての作品も探しやすいと思う。大ギャラリーの中央には大きなソファがふんだんにあるので座ってじっくりと鑑賞できるのも有難い。
[美術史美術館 My Best 5+1]
①農民の踊り(1568年頃)/ピーテル・ブリューゲル…この美術館にはぼくの場合その部屋に入るとそれだけでテンションが上がってしまう大ギャラリーが少なくとも二つある。一つはカラヴァッジョ・ギャラリーと呼ばれる第Ⅴの部屋と、ブリューゲルのある第Ⅹのギャラリーだ。第Ⅹ室にはバベルの塔をはじめブリューゲルの傑作がずらりとならんでいる。この絵はこれもやはりブリューゲルの傑作「農民の結婚式」と並んで展示されておりこの二枚を観るだけで吸い込まれるようにもう心はフランドルに…。
②絵画芸術の寓意(アトリエの画家)(1668年頃)/ヨハニス・フェルメール…フェルメールの絵はドイツやオランダなどで何枚か観たけれど、どれもそれ程大きくはないしそれがフェルメールの絵の特徴だとも思っていたけれど、この絵は今まで見た彼の絵の中では破格に大きいような気がする。近寄って観るとその緻密な描写は大画面になってもその密度は小さい絵と変わらず、そこには完全にフェルメールの世界が作り込まれていることに驚く。
③草原の聖母(ヴェルベデーレの聖母)(1506年頃)/ラファエロ・サンティ…ラファエロは聖母子の画家と言われるけど、この絵もフィレンツェの「小椅子の聖母」「大公の聖母」(2013年西洋美術館 ラファエロ展来日)と並んで良く知られている。安定した三角構図の中に清浄で静謐な空気が流れている。
これと殆ど同じような構図で翌年描かれたのが現在はルーヴルにある「聖母子と幼児聖ヨハネ(別名;美しき女庭師)」があるが、この二つの聖母子像を比べるとルーヴルの聖母の視線がキリストを見つめているのに対し、このウィーンの聖母は明らかに幼児の聖ヨハネを見つめている。これは何か意味があるのだろうか。
折しも前日訪れたレオポルド美術館では「ラファエロ展」が開催されており、そこでこの「草原の聖母」の下絵デッサンや現在はルーヴルにある「青い冠の聖母」などラファエロの多くの聖母子像を観ることができたのは幸いだった。
④茨の冠を被ったキリスト(1604年頃)/カラヴァッジォ… 先年上野の西洋美術館でカラヴァッジョ展が開かれたとき彼の絵に接して同時代の画家とはそのドラマチックな点などずいぶん違うなぁとは感じていたのだけれど、美術史美術館の第Ⅴギャラリーに入るとそれがまさに肌で感じられる。他の部屋から入ってくるとカラヴァッジョの絵は陰影が濃く色彩も薄い膜が一枚はがれたような明確な印象を受ける。そして構図やポージングにおいてもドラマの一場面を見るような緊迫感が伝わってくる。
カラヴァッジョの絵がドラマチックだと言ったけどそれは決して写実的ということではないと思う。例えばこの絵にしても二人の兵士がキリストをいたぶっているけれどさして血が出ているわけでもないし、キリストをこずきまわしている棒もどこか寸止めのようにも見える。言ってみれば歌舞伎の、あるいは狂言の所作のような象徴的なドラマ性のようにも感じる。時間を忘れて見入ってしまう絵だ。
⑤青い服の女王マルガリータ(1659年頃)/ディエゴ・ベラスケス…ぼくはずっと勘違いをしていた。というのはこのベラスケスのマルガリータ女王の絵はてっきりプラド美術館で観たものと思い込んでいた。この美術館で何度か観ているはずなのにである。さらにはこの小部屋にはベラスケスのこの絵ばかりでなく彼のイザベラ女王やフィリップ四世の絵まであったのだ。考えてみればハプスブルク家とスペイン王家は親戚筋なのでウィーンにあっても何の不思議もないのだけれど、思い込みというものは恐ろしいものだ。
(Carlos&Maria Teresa)
⑤凸面鏡の自画像(1524年頃)/パルミジャーノ…パルミジャーノというのはパルマの若者という意味なので彼の本名は他にあるのだけれどとにかく長い名前なので覚えられない。絵自体は直径が25センチ位の小さなものなのだが、その湾曲した画像がマニエリスムの特徴を良く表しているので興味深かった。
マニエリスムというのは、人体の一部を極端に変形して描くなどの特徴を持っており彼が描いた「首の長い聖母」などはちょっと日本のろくろ首みたいで異様な感じさえする。それに比べてこの自画像は写真をやっている人間なら一目見るなりこれは広角レンズで寄って撮った画像だということであまり違和感はないと思うのだけど、当時の人達からしたらやはり異様な感じがしたのかもしれない。余談になるけどパルミジャーノは見ての通りのイケメンでナルシシストだったという話もあるが、惜しいことに夭折してしまった。
他にも…
(Albrecht Düler)
(Rembrandt van Rijn)
(Pieter Bruegel)
諸聖人の絵/アルブレヒト・デューラー
自画像/レンブラント
バベルの塔/ブリューゲル
そして、
エッケ・ホモ/ティツィアーノ
ホロフェルネスの首を持ったユディト/ルーカス・クラナハ
謀反を起こした天使たちを追いやる大天使ミカエル/ルカ・ジョルダーノ
ロザリオの聖母/カラヴァッジォ
等など…ああ、枚挙にいとまがない。
[図録]
128頁。19.9ユーロ。日本語。絵画ギャラリーの図録はこの日本語版が出ているけど中身はここ20年ほど変わっていないようだ。内容は15-18世紀の絵画作品160点の図録を載せて簡単な解説を付けている。イタリア、ドイツ、フランドル絵画など大きなくくりではもう少し詳細な解説を行っている。全体の俯瞰を得るには良いけど20ユーロはちょっと高いような気はする。

[蛇足] ミュージアム・カフェ
美術館内にあるカフェ・ゲルストナーは世界一美しいミュージアム・カフェと言われるだけあって大理石に囲まれた美しいカフェで、ぼくの一番好きな場所でもある。本店の方はオペラ座の近くにあるけれど、こちらもにぎわっている。ぼくは大抵ビールかワインを飲むのだけれど、コーヒーだけでなく軽い食事もできるのでここで一休みしてまたギャラリーに戻るというのも良いと思う。
(Okt.2017)
gillman*s Museum Albertina
ウィーン美術館巡り Ⅲ
アルベルティーナ美術館
Albertina Museum
[感想メモ]
アルベルティーナ美術館はハプスブルク家の領地であったネーデルラントからアルベルト公がブリュッセルよりグラフィックのコレクションを持ち込んで以来、版画や素描などのグラフィック作品の収蔵が中心になっているらしい。本格的修復が終わって印象派などの絵も加え新たにオープンしたのが2008年頃でその翌年に訪れたときには現在のような体制になっていたと思う。
美術館は大きく分けて3つの分野に分かれており、一つは常設展示で地下にはアンディー・ウォーホルなどのモダンアート、階上には「モネからピカソまで」と題するバトリナー・コレクションが展示されている。二番目は特別展の会場としての部門で今は、1.ラファエロ展(2017年9月27日~2018年1月7日)、2.ブリューゲル版画、素描展Brugel.Drawing the World(2017年9月8日~2017年12月3日)でどちらもとても見ごたえがあった。三つ目は宮殿部分の見学とそれに付随する絵画などの展示で、ここにデューラーの傑作「野うさぎ」や「手」がさりげなく飾られている。
グラフィック作品が中心ということでモダンアートとブリューゲルなどの銅版画などとの取り合わせが面白かったが、そうするとモネからピカソまでという近代油彩部門との関係がちょっとちぐはぐな感じもしたけれど、グラフィック作品だけでは中々客が呼べないという事情もあるのかもしれない。場所は歌劇場のすぐ裏なので便利ではある。特別展示はかなり力の入ったものが多いので訪れる前にはチェックしておくのが良いかもしれない。2009年に訪れたときにはゲルハルト・リヒターの大個展が行われており、モダンアートが好きな人にはたまらないだろうが、ぼくにはちょっと退屈だった覚えがある。
[アルベルティーナ美術館(常設展示)My Best 5]
①野うさぎ(1502)/アルブレヒト・デューラー…この絵はアルベルティーナの宮殿の一番奥まった方の部屋にほんとうにさりげなく、自分の家の壁に写真を掛けるみたいに展示されている。この部屋にはデューラーの絵があの「手」を含めて7枚くらい、それにルーベンスのデッサン画やクリムト、シーレの絵などが素っ気ないくらい普通に掛けられている。
この「野うさぎ」の絵に近づいて観ると筆遣いの違いによってウサギのふっくらとした部分とその外側にある野うさぎを示すちょっと堅そうな毛をかき分けていたり実に色々なことに気づいて驚かされる。いまこのウサギの形はウィーンのマスコットになっていて、国立歌劇場の脇にはこのウサギをかたどった巨大なピンクの野うさぎが置かれていた。
②シリーズ毛沢東(1972)/アンディ・ウォーホル…正直言ってウォーホルの絵は、理屈を聞けば成る程と思うけれど絵自体からはそんなにインパクトを受けた覚えはないのだが、カラフルな毛沢東のポートレートをこうも並べられると、それはそれで一つのインパクトを感じざるを得ない。
一説ではこの絵は天安門事件の後ウォーホルの中国への反感を表したものだとか、コピー文化によるプロパガンダは資本主義社会でも共産主義社会でも変わらないという事を現しているとも言われるが、今の中国とこの作品を照らし合わせるとまた違った意味を持つかもしれない。ウォーホルの狙いはもしかしたらそこら辺にもあったのかと、絵の前で考えてしまった。
③青い部屋(1917)/エドゥアール・ヴュイヤール…ヴュイヤールは今年二月に東京で開かれた「オルセーのナビ派展」で観た「エッセル家旧蔵の昼食」が色合いや構図がとても素晴らしかったのを覚えているけど、この絵も色合いといい画題といいナビ派の中でもアンティミストと言われたヴュイヤールらしくて好感が持てた。確かヴュイヤールは生涯独身だったと思うのだけど、この寝室っぽい部屋でローブを着た女性は誰なんだろうか、なんて想像したくなるのもアンティミストの絵ならではなのかもしれない。
④冬の風景(1915)/エドゥアルド・ムンク…ウィーンに来てムンクの絵を何枚か見たけれど、その中でもこの絵が一番印象に残った。ウィーンと言えばクリムトに代表されるセセッション、ウィーン分離派だけど、その数年前にミュンヘンで起きた分離派運動が元になっている。その動きは二年後ベルリンにも波及しマックス・リーバーマンなどによりベルリン分離派が誕生、ムンクもその会員になっていた。
この絵の描かれた1915年には数年前にコペンハーゲンの精神病院を退院しノルウェーに帰還、労働者や風景に目を向けた新たな制作活動に入った時期でもあった。この絵に描かれた冬のノルウェーの海の光景、凍てつくような海、うねるような岩場と雪、その向こうの雪か波か判然としない白い部分、全てが何か寒々として不安げに見える。ムンクの不安はまだ消え去ってはいない。30年代になるとナチスの台頭とともにとムンクの作品は廃頽芸術として一斉にドイツの美術館から姿を消すことになる。
⑤飛ぶ鳩(1950)/パブロ・ピカソ…戦後1949年4月に開催された世界平和会議に出席したピカソは自分の描いた鳩の旗やポスターが平和運動の象徴として掲げられていることに感激した。その時のデザインがこのリトグラフの飛ぶ鳩で、そのデザインはそのままチェコの切手にもなっていることでもわかるように、当時の東側社会にも広く受け入れられた。ここにはピカソの大作も何点かあったけど、ぼくにはこの小さなリトグラフが一番印象に残った。
[図録]
220頁。16.5ユーロ。英語。アルベルティーナのミュージアムショップは美術書が充実していた。図録については印象派+モダンアートの常設展示を一冊でカバーするものは見当たらなかった。広い売り場なので見落としたかもしれないけれど日本語の図録も見当たらなかった。買ったのはバトリナーコレクションの「モネからピカソまで」という図録。小型だがアート紙のしっかりとした本で発色も悪くない、全てが載っているわけではないが掲載作品ごとに丁寧な解説が載っている。

[特別展について]
特別展でやっていた、「ブリューゲル版画、素描展 Brugel.Drawing the World」と「ラファエロ展」はアルベルティーナの所蔵する版画、素描などのグラフィック作品を中心とした作品群で構成されていたが、めったにお目にかかれないような作品も多くとても充実していた。さらにその二つの展示の図録がまた素晴らしく、恐らく展示作品全ての図版と解説が載せられており資料としても貴重と思って意を決して買ったのだが、どちらも大判の本で紙も厚くとにかく重くて持って帰るのに苦労した。ラファエロの図録が445頁で34.9ユーロ、ブリューゲルの図録が230頁が24.5ユーロ。

(同美術館Raphael展より)
(同美術館Bruegel展より)
[蛇足]ロッカー事情
他のヨーロッパ諸国と同様リュックや大きい荷物はロッカーか手荷物預かり所に預けるように言われる。アルベルティーナのロッカーは暗証番号で鍵を閉めるタイプなのでロッカー番号や暗証番号を忘れると困る。他の美術館ではコインロッカーが主で1ユーロと2ユーロの二つのコインの入り口があるけど、鍵を開ければ戻ってくのでどちらでも同じこと。
ただし、どこの美術館のロッカーの鍵も小指の先ぐらいすごく小さくて日本のように番号札もついていないのでポケットなどに入れていると失くしやすそうだ。鍵を紛失すると28ユーロの罰金をとられるので注意。レオポルド美術館のロッカーは数が少ないのでいっぱいの時には手荷物預かり所に預けるのだけれど、ここが無愛想でその上荷物一つにつき1ユーロとられた。
(Okt.2017)
gillman*s Museum Belvedere
ウィーン美術館巡り Ⅱ
ベルヴェデーレ宮殿上宮
オーストリア・ギャラリー
Belvedere Austrian Gellery
[感想メモ]
今回ウィーンの美術館を回ってみて一番変化を感じたのがこのベルヴェデーレ宮殿の美術館だ。ぼくがここを初めて訪れたのは1970年でそれ以来何度か訪れているけれど、その度に上宮と下宮の使い方も変わって来ていて、今回でそれもほぼ落ち着いたみたいだ。
つまり、美術館としての機能は上宮に集約して、下宮は宮殿見学と特別展機能に振り分けたみたいだ。以前は下宮の宮殿内にあったダヴィドの大作「サン・ベルナール峠のナポレオン」も上宮に移っていた。特別展では今回は「クリムトとアンティーク展/エロスの遭遇」というのをやっていた。
上宮オーストリアギャラリーの展示内容も大きく変わっていて、ぼくの好きなビーダーマイアー時代の小品展示は縮小されて、その代わりクリムトとエゴン・シーレが大幅に拡充された感じがする。
クリムトの代表作とされる「接吻」は初めてきた時は確か階段を上がった所のスペースに飾られていたと思うのだけど、それが段々と「出世」して今回はついに壁の中に埋め込まれて見上げるような所に鎮座している。ここら辺にもウィーン市の観光戦略の一端がうかがえる。
いずれにしても、展示内容が充実して美術ファンの広いニーズに応えられるようになったのは嬉しいのだけれど、昔のビーダーマイアー室に一時間居ても誰にも会わなかったようなのんびりさがちょっと懐かしくもある。
[ベルヴェデーレ My Best 5+1]
①接吻-恋人たち(1908)/グスタフ・クリムト…大好きな絵だけれど、なんか観るたびに自分の中で小さくなっているような錯覚に陥る。今回各所でクリムト作品の展示を観て、意外と彼の黄金様式時代の作品展示が少ないことに気付く。
今回皮肉にも作品が見上げるような位置に置かれたことによって、二人の恋人の足元に目が行った。二人が立っている崖っぷちに咲く花々と黄金のアイビーの美しさに気付かされた。やっぱり良いなぁ。

②悪しき母たち(1894)/ジョヴァンニ・セガンティーニ…セガンティーニはアルプスの画家といわれているためスイス人と思われがちだけど、生まれは現在のイタリアのトレンティーノで当時は同地がハプスブルクの領地だったために国籍はオーストリア人である。この彼の傑作「悪しき母たち」はぜひ見たいと思っていたのだけれど2011年の損保ジャパン美術館「セガンティーニ展~山と光~」には残念ながら展示されていなかった。
荒涼とした雪原に立つ冬枯れした木の上に上半身を露わにした女性が身もだえするように、立っているというよりは枝に引っかかっていると言った方が良い恰好で居る。これに似た状況は「生の天使」でも見られるが、彼の特異な状況設定だ。抒情的なアルプスの光景とはまた異なる彼の一面を見た思いだ。彼の母に対する複雑な想いの表出なのだろうか。

③画家の妻の肖像、エディート・シーレ(1918)/エゴン・シーレ…実に堂々とした肖像画だ。シーレの絵はどんどん暗さを増してゆくが、この絵では暗い背景の中に妻のエディートが浮かび上がり、まるで画家が世の中の彼女しか見ていないように…。エディートの視線もレオポルド美術館の「縞のドレスを着て座るエーディト・シーレ(1915)」のそれのように弱々しくはない。
ぼくらは後出しジャンケンでこの年彼女とシーレを襲う悲劇を知ってしまっているから、彼女の表情にそれを投影してしまいそうだけれど、そうではないと思う。彼女の視線はしっかりと一点を見つめ、表情は真面目で実直そうな一面をのぞかせている。この絵はシーレがこの年セセッションのメインホールで行われ大成功を収めた展示会に出品され、オーストリアの美術館が初めて買い上げた作品となった。
④家族(1910)/グスタフ・クリムト…この絵を遠くから見ると一見真っ黒い画面に小さな白い点が三つあるだけのように見えるかもしれない。近寄ってよく観ると黒も均一ではない。やがて浮かび上がってくるのは黒いベールにくるまれた母に抱かれた幼子と、その傍らにやはり黒いベールにくるまれて眠る子供の姿だ。クリムト独特の正方形の世界の中で神々しいまでの静謐な家族が眠っている。今回観たクリムトの絵の中で一番好きになった絵かも知れない。
⑤エルベ砂岩山地の岩のある風景(1823)/カスパー・ダーヴィド・フリードリヒ…フリードリヒの絵はドレスデンとベルリンで大分観た覚えがある。中でもドレスデンで見た「山上の十字架」が一番印象に残っているけれど、北方ロマン主義というのはぼくには今一つ分かっていない感じがしている。そんな中で見たフリードリヒのこの風景画はそのロマン主義の何たるかをもう少し分かりやすくぼくに説明してくれたような気がした。
⑤死と乙女(1915)/エゴン・シーレ…しっかりと抱き合っているのはシーレと恋人のヴァリだ。この絵の題名「死と乙女」は今年年初に公開されたシーレの伝記的映画のタイトルにもなっている。恋人のヴァリとは四月くらいまで一緒にいたのだが、その間にも彼はパトロンにヴァリとではなくエーディトと結婚するだろうと言っている。ひしと抱き合う二人は冷徹な目をした死神に乙女が必死で抱き着いている…ようにも見える。

[図録]
127頁。14.9ユーロ。日本語あり。海外でよく見る基本的には図版だけの図録。個別の作品の解説は一切なく、限られた頁のなかで出来るだけ多くの図版を載せるという意味ではこういうやり方もありだと思う。個別作品の解説は無いが、例えば新古典主義やビーダーマイヤーなど中世から現代までオーストリア・ギャラリーが所有する主要作品を重要な美術的エポックで並べ替えて短い解説を加えているのは美術館全体の俯瞰を得るうえで助けになると思う。

[蛇足] シニア割引
今回まわって分かったのだけど、ウィーンの美術館には大抵シニア割引料金があった。確か62歳位からだったと思うが…、窓口で買うとき「エアメースィグング」もしくは「シニア」と言えば買える。ぼくの場合一度も年齢を証明する書類の提示を求められたことはないけど、いつも年齢より若く見られると自負している人はパスポートを持って行った方が良いかもしれない。
(Okt.2017)
gillman*s Museum Leopold Museum Wien
ウィーン美術館巡り Ⅰ
レオポルド美術館
Leopold Museum Wien
[感想メモ]
レオポルド美術館はウィーンの主要な美術館の中でも一番新しい美術館に属する。2001年にレオポルド夫妻の所有するウィーン分離派やウィーン工房、表現主義作家のコレクションを展示するために新たに整備されたミュージアム・クオーターの中に建設された。
中でもその中心となるのはエゴン・シーレの作品群でその規模は世界一と言われる。シーレの絵は一見アクも強く人によっては敬遠されるかもしれない。ぼくも正直言ってモダンアートや過激な表現の作品は苦手なのだけれど、シーレの絵にはウィーン世紀末芸術の底流に流れている独特の雰囲気があるような気がしてどこか惹かれる。
奇しくも来年はグスタフ・クリムトそしてその弟子のような関係であったエゴン・シーレの没後100年にあたる。来年はこのレオポルド美術館もそういう意味では注目される美術館の一つになると思う。
[レオポルド美術館 My Best 5+1]
①死と生(1910-11)/グスタフ・クリムト…クリムトの晩年の傑作で制作年は1911年頃までとなっているが、その後もたびたび加筆しているようだ。展示場でもひときわ目立つ大型の作品。左半分の死神が右半分の明るい「生」の群像に一瞬たじろいでいるようにも見える。老若男女が混然として一体化しているフォルムは彼の代表作の「接吻」を想わせる。クリムト様式と言っても良いような鮮やかな色彩と形の魔術に思わず見入ってしまう画面だ。
②横たわる女(1917)/エゴン・シーレ…シーレの展示の最も最後の方に掛けられており、シーレの人生においても最後に近い時期の作品である。髪の長い女性がしわくちゃなシーツの上に股を開いたしどけない姿で横たわっている。最初のヴァージョンはもっと露骨な図柄だったらしいが、シーレは翌年春のセセッションに展示するつもりもあり、ちょっと手直しをしている。この手の構図は裸のマハやオランピアの延長上にあるのかもしれないが、広がったシーツに横たわる女性のフォルムなど絶妙なバランスでシーレの絵の中でも最も美しい一枚に数えられると思う。
③窓辺の花(1925)/オスカー・ココシュカ…レオポルド美術館にはぼくの好きなココシュカの作品も何点か展示されている。ココシュカはクリムトと同じように工芸学校を出ているが、クリムトのように様式化されたような構図の絵はあまり無い。ココシュカは音楽家マーラーの妻アルマとの失恋を長い間引きずっていたが、この窓辺の花はその痛手を抜け出た後に描かれたものだ。花が海からの外気と光を吸い込んでいるようで、やっと安定した彼の心を現しているのかもしれない。
④家のカーブ(1915)/エゴン・シーレ…これはKrumau(クルマウ:チェスキークルムロフのドイツ語名)の城から街を見下ろした光景だが、絵の原題にドイツ語でbogen (弓なり)という言葉が使われているように、中洲の街並みの全体に弓なりになっているフォルムを強調している。シーレの描く人物画はアクが強く時には彼の傲慢さが前面に出ていることもあるけど、彼の描く風景画は多分にコンポジション的でその渋い色彩とも相まって不思議な世界を作り出している。
⑤鬼灯(ホオズキ)の実のある自画像(1912)/エゴン・シーレ…小さい絵だけれど彼の代表作の一つに数えられると思う。この絵を観るものを睥睨するような彼の目線は、彼が他人や世間を見つめる視線そのものではないかと、ぼくには思える。もちろんこの絵における彼の目線は恋人ヴァリを愛おしむそれであったとは思うのだけれど…。
この絵は彼の以前の恋人(モデルであり、恋人であり、プロモーターでもあった)ヴァリ・ノイツィルの絵と対をなすもので美術館でもこの絵と並べて展示されている。シーレの絵の目線に対して、もう一枚の絵の中のヴァリの青い目線は、訝るようにも、問いかけているようにも見える。この後シーレはヴァリと別れエーディトと結婚する。でも、その後もヴァリとは時々逢いたいと手紙に書いているが、彼女は従軍看護婦となってクロアチアで病死してしまう。
⑤縞のドレスを着て座るエーディト・シーレ(1915)/エゴン・シーレ…ヴァリと別れてシーレはエーディトと結婚する。背を丸くして見上げている三角形の構図は安定しているのだけれど、どこか観るものを落ち着かない気持ちにするのはやはり、このエーディトの視線かもしれない。ちょっとおどおどとしているようにも思える。この三年後エーディトは妊娠するが6ヶ月の時スペイン風邪に罹り急逝、シーレもその三日後にやはりスペイン風邪で亡くなった。享年28歳。美術館の壁にはこの絵と並んで作品「母と子」が掛けられていた。
[図録]
160頁。12.9ユーロ。ドイツ語、英語版など、日本語版は見当たらない。図版は小さいが、ウィーン分離派やウィーン工房など時代、美術の流れに沿って展示作品の解説が載っておりわかりやすい。レオポルド美術館は基本的には全ての作品の撮影が可能なので(稀にダメなものもあるが)、高精細のデジカメで好きな作品を撮っておいて後で細部を鑑賞することも可能。もちろん撮影には周囲に気を遣いフラッシュを使わないのが鉄則。
もう一冊、エゴン・シーレだけの大判の図録もあり、これにはベルヴェデーレなどの他の美術館の作品も出ている。でも、なぜか作品「横たわる女」だけは見当たらなかった。ドイツ語、英語版のみ。

(Okt.2017)
Museum of the Month アンドリュー・ワイエス展
■The Museum of the Month
アンドリュー・ワイエス

[感想メモ] (展示期間前半)
今年はアンドリュー・ワイエス生誕100周年にあたる。それを記念してワイエスの一連のオルソン家にまつわる水彩画・デッサンの作品群を所有する須崎氏が主宰する丸沼芸術の森でワイエス展が開かれているのでその初日に行ってみた。
都心の池袋から電車で20分弱、さらに駅からタクシーで20分弱はさすがに遠いし、倉庫街の奥にあった展示場所は想像していた雰囲気とはまるで違っていた。そこは須崎氏が若い芸術家たちに制作の場を提供している所で中にはいくつかの小さな建物と、これもまた小規模な展示棟がある。村上隆氏も藝大の大学院生時代から20年近くここのアトリエを使っていたということだ。
靴を脱いで展示会場に入ると20点前後の水彩及びスケッチが壁に掛けられている。どれも既に画集で馴染みになっているものばかりだ。初日とは言えぼくが行ったときには会場には十名位の人がいてゆったりと観ることができたし、会場に来ていた須崎氏とも言葉を交わすことができた。その日は土曜日ということでボランティアの人のギャラリートークも聞くことができた。
先に述べたように展示できる作品数はせいぜい20点前後なので展示は前・後半に分けて展示されるらしい。須崎氏がワイエスから譲り受けたオルソンハウス関係の水彩画、素描は実に238点にものぼるから、もちろん今回の展示ではその殆どが見られないわけだが…。今まで何度か須崎氏のコレクションは美術館などのワイエス展で公開されているが、100周年を機にまたどこかの美術館で是非その全貌にお目にかかりたいものだ。

[主な展示作品] 今回はMy Best5ではありませんが…。
①「オルソンの家」(水彩)…1939年、ワイエスがまだ若いころ、初めてオルソンハウスを見た日に描いたと思えるオルソンハウスの水彩画。その日ワイエスがクッシングで知人を訪ねた際、本人は不在だったがその娘がおり彼女に案内されたのが近くのオルソンの家だった。彼女は後にワイエスの妻になることになるので、この一枚の絵はある意味では運命的な出会いの証でもあるかもしれない。

②オルソン家を含む周辺の光景(水彩、鉛筆画)…何枚かの絵が並んでいる。水彩画は大判でどれも素早いタッチで描いたことが分かる。ワイエスのテンペラ画は緻密で精細なのに比べ彼の水彩はそれとは対照的に一瞬の印象を迅速に画面に定着させていることが多い。
③「海からの風」習作(水彩、鉛筆デッサン)…彼の代表作の一つでもある「海からの風」のデッサンと水彩による習作。ワイエスがその瞬間毛が逆立ったという、海からの風が朽ち果てたレースのカーテンをふわりと舞い上がらせた刹那を捉えようと苦心した過程が見える。会場にはワイエスがその瞬間を逃すまいと、その時持っていた、既にクリスチーナの顔が描きかけてあった紙の上から舞い上がるカーテンのデッサンを殴り書きしたものも展示されていた。その水彩画はたしかに習作ではあるけれど、テンペラ画の本作とはまた別な一つの作品として成立していると思う。

「海からの風」テンペラ画(本作)
④「幽霊」の習作(水彩)…白くくもった鏡にこれまた白い服を着たワイエス自身の姿が映っている。その姿がまるで幽霊のようだったということからこの作品名が付いたらしい。展示されているのはこの「幽霊」の恐らくは最終段階の習作で大きさも殆ど本作と同じである。本作の方はテンペラ画で全体がさらに白っぽく幻想的な感じが強調されている。展示されていた作品はこれも習作ではあるが水彩の個別の作品として十分成立している。

展示習作(水彩)

「幽霊」テンペラ画(本作)
⑤「クリスティーナの世界」習作(水彩、鉛筆デッサン)…「クリスティーナの世界」のもっとも初期段階のものと思われる構想デッサンをみると、最初は恐らくオルソンハウスの窓から、草原を這うクリスチーナの姿を描こうとしていたのではないかと想像される。実際は視点は逆になってクリスティーナの背後から遥か彼方のオルソンハウスを眺める構図になっている。
デッサン群を見ると、ワイエスがクリスティーナへの畏敬の念の表れとして彼女の手に拘っていたことが分かるし、彼女がモデルとして長い時間のポージングが無理なことから妻をモデルにして水彩の習作をしたことなどが想像できて、今後彼の代表作「クリスティーナの世界」を観る見方も変わってきそうだ。その他にもアルバロのデッサンがとてもよかった。

「クリスティーナの世界」テンペラ画(本作)

展示の習作(一部)
[図録]
今回の展示会用の図録はもちろんないけれど、売店には海外のものも含めて何種類かの画集が売っている。その中で日本語の画集は主に3種類。
写真の一番左は丸沼のオルソンハウス・コレクションのいわば正式画集、真ん中の横長のものは2010年埼玉県近代美術館等で行われた「丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス展 オルソンハウスの物語展」の図録、一番右は2000年に平塚市美術館等で行われた「丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス水彩素描展」の際の図録。
価格は1500円~3800円程度。個人的には一番右の図録が発色はイマイチだが、読み物もしっかりしていて価格的にもお勧めです。

アンドリュー・ワイエス
生誕100年記念展&フォーラム
丸沼芸術の森
2017年9月16日~11月19日

[感想メモ] (展示期間前半)
今年はアンドリュー・ワイエス生誕100周年にあたる。それを記念してワイエスの一連のオルソン家にまつわる水彩画・デッサンの作品群を所有する須崎氏が主宰する丸沼芸術の森でワイエス展が開かれているのでその初日に行ってみた。
都心の池袋から電車で20分弱、さらに駅からタクシーで20分弱はさすがに遠いし、倉庫街の奥にあった展示場所は想像していた雰囲気とはまるで違っていた。そこは須崎氏が若い芸術家たちに制作の場を提供している所で中にはいくつかの小さな建物と、これもまた小規模な展示棟がある。村上隆氏も藝大の大学院生時代から20年近くここのアトリエを使っていたということだ。
靴を脱いで展示会場に入ると20点前後の水彩及びスケッチが壁に掛けられている。どれも既に画集で馴染みになっているものばかりだ。初日とは言えぼくが行ったときには会場には十名位の人がいてゆったりと観ることができたし、会場に来ていた須崎氏とも言葉を交わすことができた。その日は土曜日ということでボランティアの人のギャラリートークも聞くことができた。
先に述べたように展示できる作品数はせいぜい20点前後なので展示は前・後半に分けて展示されるらしい。須崎氏がワイエスから譲り受けたオルソンハウス関係の水彩画、素描は実に238点にものぼるから、もちろん今回の展示ではその殆どが見られないわけだが…。今まで何度か須崎氏のコレクションは美術館などのワイエス展で公開されているが、100周年を機にまたどこかの美術館で是非その全貌にお目にかかりたいものだ。

[主な展示作品] 今回はMy Best5ではありませんが…。
①「オルソンの家」(水彩)…1939年、ワイエスがまだ若いころ、初めてオルソンハウスを見た日に描いたと思えるオルソンハウスの水彩画。その日ワイエスがクッシングで知人を訪ねた際、本人は不在だったがその娘がおり彼女に案内されたのが近くのオルソンの家だった。彼女は後にワイエスの妻になることになるので、この一枚の絵はある意味では運命的な出会いの証でもあるかもしれない。

②オルソン家を含む周辺の光景(水彩、鉛筆画)…何枚かの絵が並んでいる。水彩画は大判でどれも素早いタッチで描いたことが分かる。ワイエスのテンペラ画は緻密で精細なのに比べ彼の水彩はそれとは対照的に一瞬の印象を迅速に画面に定着させていることが多い。
③「海からの風」習作(水彩、鉛筆デッサン)…彼の代表作の一つでもある「海からの風」のデッサンと水彩による習作。ワイエスがその瞬間毛が逆立ったという、海からの風が朽ち果てたレースのカーテンをふわりと舞い上がらせた刹那を捉えようと苦心した過程が見える。会場にはワイエスがその瞬間を逃すまいと、その時持っていた、既にクリスチーナの顔が描きかけてあった紙の上から舞い上がるカーテンのデッサンを殴り書きしたものも展示されていた。その水彩画はたしかに習作ではあるけれど、テンペラ画の本作とはまた別な一つの作品として成立していると思う。

「海からの風」テンペラ画(本作)
④「幽霊」の習作(水彩)…白くくもった鏡にこれまた白い服を着たワイエス自身の姿が映っている。その姿がまるで幽霊のようだったということからこの作品名が付いたらしい。展示されているのはこの「幽霊」の恐らくは最終段階の習作で大きさも殆ど本作と同じである。本作の方はテンペラ画で全体がさらに白っぽく幻想的な感じが強調されている。展示されていた作品はこれも習作ではあるが水彩の個別の作品として十分成立している。

展示習作(水彩)

「幽霊」テンペラ画(本作)
⑤「クリスティーナの世界」習作(水彩、鉛筆デッサン)…「クリスティーナの世界」のもっとも初期段階のものと思われる構想デッサンをみると、最初は恐らくオルソンハウスの窓から、草原を這うクリスチーナの姿を描こうとしていたのではないかと想像される。実際は視点は逆になってクリスティーナの背後から遥か彼方のオルソンハウスを眺める構図になっている。
デッサン群を見ると、ワイエスがクリスティーナへの畏敬の念の表れとして彼女の手に拘っていたことが分かるし、彼女がモデルとして長い時間のポージングが無理なことから妻をモデルにして水彩の習作をしたことなどが想像できて、今後彼の代表作「クリスティーナの世界」を観る見方も変わってきそうだ。その他にもアルバロのデッサンがとてもよかった。

「クリスティーナの世界」テンペラ画(本作)

展示の習作(一部)
[図録]
今回の展示会用の図録はもちろんないけれど、売店には海外のものも含めて何種類かの画集が売っている。その中で日本語の画集は主に3種類。
写真の一番左は丸沼のオルソンハウス・コレクションのいわば正式画集、真ん中の横長のものは2010年埼玉県近代美術館等で行われた「丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス展 オルソンハウスの物語展」の図録、一番右は2000年に平塚市美術館等で行われた「丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス水彩素描展」の際の図録。
価格は1500円~3800円程度。個人的には一番右の図録が発色はイマイチだが、読み物もしっかりしていて価格的にもお勧めです。

(Sept. 2017)
gillman*s Museums ボストン美術館展
■The Museum of the Month

[感想メモ]
ボストン美術館と言えば、ぼくが近年行った展覧会だけでも森アーツセンターギャラリーでの「ボストン美術館展/西洋絵画の巨匠たち」(2010年)、国立博物館での「ボストン美術館/日本美術の至宝展」(2012年)、三菱一号館美術館での「ボストン美術館/ミレー展」(2014年)やBunkamura Museumでの「ボストン美術館所蔵/俺の国芳、わたしの国貞展」(2016年)など日本美術関係も含めて日本でも多くの展覧会が開かれており、その収蔵作品の豊富さに驚く。
今までのボストン美術館展は上記の展覧会でも分かるようにボストン美術館の豊富な収蔵品の中から特定の分野を選んで収蔵品をチョイスして展覧会を構成していたが、今回のは古代エジプト美術から現代美術まで幅広い分野を横断的に網羅している。出品点数80点余りで全時代を網羅するというのも多少辛い面もあるけれど、実際に現地に行っても美術館ツアーなんかで行ったら一回の滞在時間で80点を観て回れるかさえもとないので、向こうから来てくれるというのはありがたい機会だと思う。

[My Best 5]
①涅槃図(1713)/英一蝶…日本画においても色々な涅槃図があるけれど、この涅槃図も素晴らしい。入滅する仏陀を囲む菩薩をはじめとして諸々の生き物の表情がなんとも活き活きとしていつまで見ていても飽きない。近年に修復されてその美しさを取り戻している。ボストン美術館はこの作品を1911年にフェノロサから寄贈された。

②卓上の花と果物(1865)/アンリ・ファンタン=ラトゥール…ファンタン=ラトゥールはぼくの大好きな画家の一人だが、この「卓上の花と果物」と同じ年に描かれたと思われる作品「花と果物、ワイン容れのある静物」が国立西洋美術館にある(現時点では展示されていない)。国立西洋美術館にはぼくの好きな二人のラトゥールの作品がある、それは「光のジョルジュ・ド・ラトゥール」とこの「花のアンリ・ファンタン=ラトゥール」だ。この作品の瑞々しさを見つめ続けていると、シャルダンに通じるような揺るぎのないヨーロッパ絵画の力を感じさせる。

③郵便配達人ジョセフ・ルーラン(1888)/フィンセント・ファン・ゴッホ…ジョセフ・ルーランの肖像は以前クレラー・ミュラー美術館で見たことがあるけど、それは上半身の絵だったと思うが、今回の肖像はほぼ全身が描かれており画面も大きい。会場ではルーランの夫人の絵が並んで展示されていて、この展示会の目玉的な扱いがなされていた。画面の青がとても鮮烈で印象に残る。襟元や手の表現を観るとゴッホが何度か試行錯誤したような感じがする。

④ロベール・ド・セヴリュー(1879)/ジョン・シンガー・サージェント…サージェントの絵を一目見て思うのはまず巧いなぁということ。全体から描かれた人物の第一印象が真っ直ぐに伝わってくる。それは多分実際にその人物に会ってみても同じような第一印象を受けるのではないかと、錯覚するほど。かと言って超リアル絵画のように事細かに細部が描き込まれているわけではない。この子供を描いた肖像画をよく観るとその目元や口元から育ちの良い、利発そうな子供の印象を受ける。

⑤線路(1922)/エドワード・ホッパー…本作品はエッチングの小品だけれど、ホッパー特有の空気に満ち溢れている。ホッパーは都会を描くホッパーと荒涼たる地方の光景を描くホッパーの両面をもっているが、この絵には線路、電線、家といった後者のポッパーの面が表れている。コントラストのつよいモノクロの画面がこの情景の孤独さを強めている。ホッパーはぼくの大好きな画家で画集も何冊か持っているけど、実際の作品は数点しか見られていない。日本でのホッパー展を待ち望んでいるのだけど…。

[図録]
210頁。1900円。標準的な図録の作りだが、ボストン美術館の特徴ともいえる美術館を支える寄贈者について巻頭にかなりのスペースをさいている。展示場でもコレクション毎に寄贈者が紹介されていた。

ボストン美術館の至宝展
東西の名画、珠玉のコレクション
東京都美術館
2017年7月20日〜10月9日

[感想メモ]
ボストン美術館と言えば、ぼくが近年行った展覧会だけでも森アーツセンターギャラリーでの「ボストン美術館展/西洋絵画の巨匠たち」(2010年)、国立博物館での「ボストン美術館/日本美術の至宝展」(2012年)、三菱一号館美術館での「ボストン美術館/ミレー展」(2014年)やBunkamura Museumでの「ボストン美術館所蔵/俺の国芳、わたしの国貞展」(2016年)など日本美術関係も含めて日本でも多くの展覧会が開かれており、その収蔵作品の豊富さに驚く。
今までのボストン美術館展は上記の展覧会でも分かるようにボストン美術館の豊富な収蔵品の中から特定の分野を選んで収蔵品をチョイスして展覧会を構成していたが、今回のは古代エジプト美術から現代美術まで幅広い分野を横断的に網羅している。出品点数80点余りで全時代を網羅するというのも多少辛い面もあるけれど、実際に現地に行っても美術館ツアーなんかで行ったら一回の滞在時間で80点を観て回れるかさえもとないので、向こうから来てくれるというのはありがたい機会だと思う。

[My Best 5]
①涅槃図(1713)/英一蝶…日本画においても色々な涅槃図があるけれど、この涅槃図も素晴らしい。入滅する仏陀を囲む菩薩をはじめとして諸々の生き物の表情がなんとも活き活きとしていつまで見ていても飽きない。近年に修復されてその美しさを取り戻している。ボストン美術館はこの作品を1911年にフェノロサから寄贈された。

②卓上の花と果物(1865)/アンリ・ファンタン=ラトゥール…ファンタン=ラトゥールはぼくの大好きな画家の一人だが、この「卓上の花と果物」と同じ年に描かれたと思われる作品「花と果物、ワイン容れのある静物」が国立西洋美術館にある(現時点では展示されていない)。国立西洋美術館にはぼくの好きな二人のラトゥールの作品がある、それは「光のジョルジュ・ド・ラトゥール」とこの「花のアンリ・ファンタン=ラトゥール」だ。この作品の瑞々しさを見つめ続けていると、シャルダンに通じるような揺るぎのないヨーロッパ絵画の力を感じさせる。

③郵便配達人ジョセフ・ルーラン(1888)/フィンセント・ファン・ゴッホ…ジョセフ・ルーランの肖像は以前クレラー・ミュラー美術館で見たことがあるけど、それは上半身の絵だったと思うが、今回の肖像はほぼ全身が描かれており画面も大きい。会場ではルーランの夫人の絵が並んで展示されていて、この展示会の目玉的な扱いがなされていた。画面の青がとても鮮烈で印象に残る。襟元や手の表現を観るとゴッホが何度か試行錯誤したような感じがする。

④ロベール・ド・セヴリュー(1879)/ジョン・シンガー・サージェント…サージェントの絵を一目見て思うのはまず巧いなぁということ。全体から描かれた人物の第一印象が真っ直ぐに伝わってくる。それは多分実際にその人物に会ってみても同じような第一印象を受けるのではないかと、錯覚するほど。かと言って超リアル絵画のように事細かに細部が描き込まれているわけではない。この子供を描いた肖像画をよく観るとその目元や口元から育ちの良い、利発そうな子供の印象を受ける。

⑤線路(1922)/エドワード・ホッパー…本作品はエッチングの小品だけれど、ホッパー特有の空気に満ち溢れている。ホッパーは都会を描くホッパーと荒涼たる地方の光景を描くホッパーの両面をもっているが、この絵には線路、電線、家といった後者のポッパーの面が表れている。コントラストのつよいモノクロの画面がこの情景の孤独さを強めている。ホッパーはぼくの大好きな画家で画集も何冊か持っているけど、実際の作品は数点しか見られていない。日本でのホッパー展を待ち望んでいるのだけど…。

[図録]
210頁。1900円。標準的な図録の作りだが、ボストン美術館の特徴ともいえる美術館を支える寄贈者について巻頭にかなりのスペースをさいている。展示場でもコレクション毎に寄贈者が紹介されていた。

(Aug.2017)
gillman*s Museums ベルギー奇想の系譜
■The Museum of the Month
ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで

[感想メモ]
この間の東京都美術館の「ブリューゲル/バベルの塔展」に続いて、今度はBunkamuraザ・ミュージアムでの「ベルギー奇想の系譜」とここのところフランドルづいているけれど、こういう機会に特定の分野の俯瞰を得るような作品に出会えるのはそれはそれで嬉しいことだ。
今回の展覧会は「ベルギー奇想(Fantastic Art)の系譜」と銘打っている。このタイトルを目にすれば、当然まず15,6世紀頃のヒエロニムス・ボス(学校ではボッシュと習ったような気がするけど…)やブリューゲル、そして19世紀のフェリシアン・ロップスや20世紀のルネ・マグリットを思い起こすし事実今回の展覧会でもそれらが舞台に上っていたけれど、「奇想の系譜」という流れをその両端の時代を結んだ線上にある系譜作品群の提示をもう少し丁寧にやってもらえると嬉しかった。とはいえ、今回のタイトルは好奇心をそそるものだし、普段あまり馴染みのないベルギーという国に思いを馳せるのも悪くは無いと思う。

[My Best 5]
①版画「七つの徳目」シリーズ(1559-1560)/ピーテル・ブリューゲル(父)[原図](No.28-31)…ブリューゲル(父)がこのシリーズの前にやはり原画を手掛けた版画シリーズの「七つの死に至る大罪」も会場に展示されているが、それとは全くと言っていい程趣が異なっている。「七つの死に至る大罪」はブリューゲルの手によるとは言え、そこにはまさにボス的な魑魅魍魎のイメージが満載であるのに対し、「七つの徳目」の方はブリューゲル独自の鋭い人間観察に基づく細密な絵柄が展開されている。
②聖アントニウスの誘惑(1878)/フェリシアン・ロップス(No.42)…一見して何ともエロチックで強烈なシーンだ。今にしてそうなのだから、キリスト教的空気が社会を覆っていた19世紀に於ける衝撃は今の比ではなかったのではないかと想像に難くない。カリカチュア画家として画業をスタートさせたロップスの面目躍如たるものがある。
図柄は十字架にかかったキリストを蹴落とすように豊満な裸女(シバの女王らしいが)が十字架にかかっている。本来十字架の上にかけられているINRIの文字はEROSという言葉にすり替えられている。裸女の背後には死神、それを前にして狼狽える聖アントニウス。余りに淫らな図柄だという批判に「聖アントニウスの誘惑はそれほどにまで激しかったということだよ」というロップスのしたり顔が見えるようだ。

③ブリュージュにて、聖ヨハネ施療院(1904)/フェルナン・クノップフ(No.58)…ここはぼくもブルージュを訪れた際立ち寄ったことがあるけど、施療院の壁を運河側から間近にみた図柄で色は抑えてあるが構図は極めて大胆だ。ブルージュは今は観光地で街は喧騒に包まれているが、19世紀までは忘れ去られた街で、クノップフはそういうブルージュを知っていたし愛してもいたのだろう。何とも言えない静謐な空気が画面を支配している。どこかでこういう雰囲気の絵を見たことがあるなと思っていたけど、それはヴィルヘルム・ハンマースホイの描いた「クレスチャンスボー宮殿、晩秋」という絵だった。同じような静謐な空気が漂っている。

④夢(1945)/ルネ・マグリット(No.106)…ベルギー、奇想とくればどうしてもルネ・マグリットを外せないと思うのだが、今回も国内の美術館が所有する作品を中心に数点が展示されている。その殆どは2015年に国立新美術館で開かれた「マグリット展」以来の再会なのだけれど、今回はその中でもこの「夢」の明るい画面が印象に残った。女性のヌードを描いた「夢」にはポーズの異なるもう一枚の絵もあるのだけれど、今回はこの一枚のみが展示されていた。マグリットが印象派的な光や調和を求めていた時代の作品で実に温かい感じのする絵だ。
⑤The Trees(2008)/ミヒャエル・ボレマンス(No.128)…ボレマンスの絵は2014年に原美術館で開かれた「ミヒャエル・ボレマンス:アドバンテージ」で初めて出会って、その時にこれと今回展示されているもう一点の「Automat」の両方共が展示されていた。いずれも現在は大阪の国立国際美術館に収蔵されているようだ。久しぶりにボレマンスの無表情な絵に再会して、ずっと忘れかけていたボレマンス・ワールドの感覚が蘇ってきた。

[図録]
161頁。2500円。カタログの構成も展示会通り1)15-17世紀のフランドル美術、2)19世紀末から20世紀初頭のベルギー象徴派、表現主義、3)20世紀のシュルレアリズムから現代まで、となっている。図録の出来は標準的だが、普段馴染みのない作家について分かりやすい解説も書かれているのでベルギー美術の俯瞰を得るにはよいと思う。

ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで
ベルギー奇想の系譜展
Bunkamuraザ・ミュージアム
2017年7月15日~9月24日

[感想メモ]
この間の東京都美術館の「ブリューゲル/バベルの塔展」に続いて、今度はBunkamuraザ・ミュージアムでの「ベルギー奇想の系譜」とここのところフランドルづいているけれど、こういう機会に特定の分野の俯瞰を得るような作品に出会えるのはそれはそれで嬉しいことだ。
今回の展覧会は「ベルギー奇想(Fantastic Art)の系譜」と銘打っている。このタイトルを目にすれば、当然まず15,6世紀頃のヒエロニムス・ボス(学校ではボッシュと習ったような気がするけど…)やブリューゲル、そして19世紀のフェリシアン・ロップスや20世紀のルネ・マグリットを思い起こすし事実今回の展覧会でもそれらが舞台に上っていたけれど、「奇想の系譜」という流れをその両端の時代を結んだ線上にある系譜作品群の提示をもう少し丁寧にやってもらえると嬉しかった。とはいえ、今回のタイトルは好奇心をそそるものだし、普段あまり馴染みのないベルギーという国に思いを馳せるのも悪くは無いと思う。

[My Best 5]
①版画「七つの徳目」シリーズ(1559-1560)/ピーテル・ブリューゲル(父)[原図](No.28-31)…ブリューゲル(父)がこのシリーズの前にやはり原画を手掛けた版画シリーズの「七つの死に至る大罪」も会場に展示されているが、それとは全くと言っていい程趣が異なっている。「七つの死に至る大罪」はブリューゲルの手によるとは言え、そこにはまさにボス的な魑魅魍魎のイメージが満載であるのに対し、「七つの徳目」の方はブリューゲル独自の鋭い人間観察に基づく細密な絵柄が展開されている。
②聖アントニウスの誘惑(1878)/フェリシアン・ロップス(No.42)…一見して何ともエロチックで強烈なシーンだ。今にしてそうなのだから、キリスト教的空気が社会を覆っていた19世紀に於ける衝撃は今の比ではなかったのではないかと想像に難くない。カリカチュア画家として画業をスタートさせたロップスの面目躍如たるものがある。
図柄は十字架にかかったキリストを蹴落とすように豊満な裸女(シバの女王らしいが)が十字架にかかっている。本来十字架の上にかけられているINRIの文字はEROSという言葉にすり替えられている。裸女の背後には死神、それを前にして狼狽える聖アントニウス。余りに淫らな図柄だという批判に「聖アントニウスの誘惑はそれほどにまで激しかったということだよ」というロップスのしたり顔が見えるようだ。

③ブリュージュにて、聖ヨハネ施療院(1904)/フェルナン・クノップフ(No.58)…ここはぼくもブルージュを訪れた際立ち寄ったことがあるけど、施療院の壁を運河側から間近にみた図柄で色は抑えてあるが構図は極めて大胆だ。ブルージュは今は観光地で街は喧騒に包まれているが、19世紀までは忘れ去られた街で、クノップフはそういうブルージュを知っていたし愛してもいたのだろう。何とも言えない静謐な空気が画面を支配している。どこかでこういう雰囲気の絵を見たことがあるなと思っていたけど、それはヴィルヘルム・ハンマースホイの描いた「クレスチャンスボー宮殿、晩秋」という絵だった。同じような静謐な空気が漂っている。

④夢(1945)/ルネ・マグリット(No.106)…ベルギー、奇想とくればどうしてもルネ・マグリットを外せないと思うのだが、今回も国内の美術館が所有する作品を中心に数点が展示されている。その殆どは2015年に国立新美術館で開かれた「マグリット展」以来の再会なのだけれど、今回はその中でもこの「夢」の明るい画面が印象に残った。女性のヌードを描いた「夢」にはポーズの異なるもう一枚の絵もあるのだけれど、今回はこの一枚のみが展示されていた。マグリットが印象派的な光や調和を求めていた時代の作品で実に温かい感じのする絵だ。
⑤The Trees(2008)/ミヒャエル・ボレマンス(No.128)…ボレマンスの絵は2014年に原美術館で開かれた「ミヒャエル・ボレマンス:アドバンテージ」で初めて出会って、その時にこれと今回展示されているもう一点の「Automat」の両方共が展示されていた。いずれも現在は大阪の国立国際美術館に収蔵されているようだ。久しぶりにボレマンスの無表情な絵に再会して、ずっと忘れかけていたボレマンス・ワールドの感覚が蘇ってきた。

[図録]
161頁。2500円。カタログの構成も展示会通り1)15-17世紀のフランドル美術、2)19世紀末から20世紀初頭のベルギー象徴派、表現主義、3)20世紀のシュルレアリズムから現代まで、となっている。図録の出来は標準的だが、普段馴染みのない作家について分かりやすい解説も書かれているのでベルギー美術の俯瞰を得るにはよいと思う。

(Aug.2017)
gillman*s Museum 吉田博展
■The Museum of the Month

[感想メモ]
吉田博は川瀬巴水と並んでぼくの好きな版画家だ。尤も吉田博の場合、水彩も油彩も描いているので広い意味で画家と言った方がいいかもしれないが、世間で最も評価を受けているのはやはり版画だろう。
今回初めて彼のルーツとも言える水彩画を観たのだけれど、その第一印象は「巧い」ということでやはり天才肌なのだろう。画風は彼の破天荒な人生に似合わず実に繊細である。彼は反骨の人で皆がフランスに留学するならオレはアメリカだと言ってアメリカに行ってしまった。
川瀬巴水が移り変わり行く日本の風景、特に「街」を描き続けたのに対し、吉田博はアメリカのみならず世界各地を旅して主に自然を描き続けた。展覧会には平日の午後に行ったのだが、もちろん見づらい程ではないがかなり混んでいた。展示期間の後半には全体の三分の一にあたる60点以上が展示替えされるので、再度足を運ばねばならないかも。(最近このパターンが多いなぁ)

[吉田博展 My Best 5]=my favorite 5
①渓流/1928年(4-85)…版画で流れ落ちる水の質感をここまで表現できるというのはまさに驚異だと言える。渓流の段差を流れ落ちる水の音まで聞こえてきそうな迫力。会場で何度もこの絵の処に戻って来ては眺め直した。今回は展示されていないが、同じ場所を油彩で描いた作品もあるけれど、図録で見た限りぼくはこの版画版の方が好きだ。水の流れの部分は吉田が自ら版木を彫ったと言われている。版画の表現にかける吉田の執念のようなものが感じられる。

②劔山の朝/1926年(4-39)…今回の展覧会のポスターにも使われている吉田の山岳版画を代表するような作品。山岳シリーズ「日本アルプス十二題」の中のひとつ。朝日に染まって茜色に輝く剱山、手前のまだ明けきらぬ蒼い空間と残雪の純白が絶妙なバランスで大自然のドラマの一瞬を捉えている。
③帆船 朝/1926年(4-52)…吉田博も当初は川瀬巴水と同様、渡邊庄三郎のもとで制作しており、この帆船の最初の作品もその頃制作されたが、版木ともに関東大震災で失われたため後に再制作され、その頃には私家版として「自摺」をうたい自分で監修を行っている。吉田はこの帆船において同じ版木を使い朝・夜・午前・霧など色彩を変え多くのパターンを摺りだしている。会場でそのいくつかのパターンの変化を観るのも楽しい。風の凪いだ瀬戸内海の海面が、ねっとりとした液体のように帆船の影を映しているのが印象的だった。今回の図録の表紙に使われている。
④フワテプールシクリ/1931年(5-16)…吉田はアメリカばかりでなく、ヒマラヤやインドなど世界を旅しておりそれらの国の情景を版画にしている。ぼくはその中でもこのインドでの作品が好きだ。イスラム建築の室内の様子なのだけれど、室内の熱せられた空気とその空間にアラベスク模様の窓を通して外から差し込む光の感じが版画とは思えないようなタッチで再現されている。47度摺り(吉田の版画では多いとは言えないようだが…)という工程が創り出した厚みのようなものを感じる。

⑤霧の農家/1903年(2-22)…版画ばかりだったので…彼の初期の水彩画から一点。彼の水彩画は「巧い」の一言に尽きる。若い時いきなり私費でアメリカに渡り、デトロイト美術館で個展を開き彼の水彩画が売れて大金を手にしたと言われるだけあって、そこには水彩画の本場のイギリスの絵にも無いような日本独特の空気感が漂っている。
⑤雲海に入る日/1922年(4-10)…油絵から一点。会場でちょっと遠くからこの絵を見たとき、一瞬ドイツロマン主義絵画のカスパー・ダヴィッド・フリードリヒの絵ような錯覚を覚えた。吉田の絵を乱暴に一言でいうなら繊細な水彩画、大胆な油絵そして情緒的な版画ということも言えると思うのだけど、この絵は吉田の油絵を象徴するような一点にみえた。
[図録]
300頁。2300円。吉田博のこの回顧展は昨年の4月から始まった日本各地での巡回展で今回東京がその最後らしい。これはその共通の図録なので中には東京では展示されない作品も含まれている。会場には3000円の大判の画集も売られていたが、回顧展という意味で彼の作品の変遷や特質を知るにはこちらの方が適していると感じた。巻末の論文も読みごたえがあって楽しかった。

生誕140年
吉田博展
山と水の風景
損保ジャパン日本興亜美術館
2017年7月8日〜8月27日

[感想メモ]
吉田博は川瀬巴水と並んでぼくの好きな版画家だ。尤も吉田博の場合、水彩も油彩も描いているので広い意味で画家と言った方がいいかもしれないが、世間で最も評価を受けているのはやはり版画だろう。
今回初めて彼のルーツとも言える水彩画を観たのだけれど、その第一印象は「巧い」ということでやはり天才肌なのだろう。画風は彼の破天荒な人生に似合わず実に繊細である。彼は反骨の人で皆がフランスに留学するならオレはアメリカだと言ってアメリカに行ってしまった。
川瀬巴水が移り変わり行く日本の風景、特に「街」を描き続けたのに対し、吉田博はアメリカのみならず世界各地を旅して主に自然を描き続けた。展覧会には平日の午後に行ったのだが、もちろん見づらい程ではないがかなり混んでいた。展示期間の後半には全体の三分の一にあたる60点以上が展示替えされるので、再度足を運ばねばならないかも。(最近このパターンが多いなぁ)

[吉田博展 My Best 5]=my favorite 5
①渓流/1928年(4-85)…版画で流れ落ちる水の質感をここまで表現できるというのはまさに驚異だと言える。渓流の段差を流れ落ちる水の音まで聞こえてきそうな迫力。会場で何度もこの絵の処に戻って来ては眺め直した。今回は展示されていないが、同じ場所を油彩で描いた作品もあるけれど、図録で見た限りぼくはこの版画版の方が好きだ。水の流れの部分は吉田が自ら版木を彫ったと言われている。版画の表現にかける吉田の執念のようなものが感じられる。

②劔山の朝/1926年(4-39)…今回の展覧会のポスターにも使われている吉田の山岳版画を代表するような作品。山岳シリーズ「日本アルプス十二題」の中のひとつ。朝日に染まって茜色に輝く剱山、手前のまだ明けきらぬ蒼い空間と残雪の純白が絶妙なバランスで大自然のドラマの一瞬を捉えている。
③帆船 朝/1926年(4-52)…吉田博も当初は川瀬巴水と同様、渡邊庄三郎のもとで制作しており、この帆船の最初の作品もその頃制作されたが、版木ともに関東大震災で失われたため後に再制作され、その頃には私家版として「自摺」をうたい自分で監修を行っている。吉田はこの帆船において同じ版木を使い朝・夜・午前・霧など色彩を変え多くのパターンを摺りだしている。会場でそのいくつかのパターンの変化を観るのも楽しい。風の凪いだ瀬戸内海の海面が、ねっとりとした液体のように帆船の影を映しているのが印象的だった。今回の図録の表紙に使われている。
④フワテプールシクリ/1931年(5-16)…吉田はアメリカばかりでなく、ヒマラヤやインドなど世界を旅しておりそれらの国の情景を版画にしている。ぼくはその中でもこのインドでの作品が好きだ。イスラム建築の室内の様子なのだけれど、室内の熱せられた空気とその空間にアラベスク模様の窓を通して外から差し込む光の感じが版画とは思えないようなタッチで再現されている。47度摺り(吉田の版画では多いとは言えないようだが…)という工程が創り出した厚みのようなものを感じる。

⑤霧の農家/1903年(2-22)…版画ばかりだったので…彼の初期の水彩画から一点。彼の水彩画は「巧い」の一言に尽きる。若い時いきなり私費でアメリカに渡り、デトロイト美術館で個展を開き彼の水彩画が売れて大金を手にしたと言われるだけあって、そこには水彩画の本場のイギリスの絵にも無いような日本独特の空気感が漂っている。
⑤雲海に入る日/1922年(4-10)…油絵から一点。会場でちょっと遠くからこの絵を見たとき、一瞬ドイツロマン主義絵画のカスパー・ダヴィッド・フリードリヒの絵ような錯覚を覚えた。吉田の絵を乱暴に一言でいうなら繊細な水彩画、大胆な油絵そして情緒的な版画ということも言えると思うのだけど、この絵は吉田の油絵を象徴するような一点にみえた。
[図録]
300頁。2300円。吉田博のこの回顧展は昨年の4月から始まった日本各地での巡回展で今回東京がその最後らしい。これはその共通の図録なので中には東京では展示されない作品も含まれている。会場には3000円の大判の画集も売られていたが、回顧展という意味で彼の作品の変遷や特質を知るにはこちらの方が適していると感じた。巻末の論文も読みごたえがあって楽しかった。

(July 2017)
gillman*s Museum 不染鉄展
■ The Museum of the Month

[感想メモ]
東京ステーションギャラリーは今までも「鴨井玲展」や「ジョルジュ・モランディ展」など一見地味だけれども優れた企画の展示が多いので好きな場所で、今回の「不染鉄展」もそういった意味では見ごたえのある展覧会だと思う。
不染鉄(1891-1976)という画家は今まで一度もその名前さえ聞いたことが無いのだけれども、もうずっと長いこと西洋美術史を教えてもらっているS先生にとても興味深かったから観てみるといいと切符を頂いたので行ってみた。実際に行ってみると、その印象は一言では表しにくいが、日本人の郷愁を呼び覚ます独特の雰囲気を持っている。ある時は優しく、ある時は大胆にそして画面の随所に彼の生き方が顔を出している。
初期の作品はちょっとカリエールを思い起こさせるようなセピア色の朦朧とした画面が多いのだけれど、やがて彼独特の大胆さと精緻さが同居した絵の世界が展開されてゆく。時代的には、明治・大正・昭和を生きた人で、その人生は通常の画家とはずいぶんかけ離れている。もちろん、分野も境遇もまるで違うのだけれど、ぼくは何となく俳句の種田山頭火を思い起こしてしまった。

[不染鉄展 My Best 5]
①廃船/1969年(No.113)…さして大きな絵ではないけれど、その絵の前に来ると一瞬ドキッとする。暗い夜の海辺に巨大なクジラのような廃船が横たわっている。手前の陸には村が、もしかしたらこれも廃村かもしれない村の家並が見えている。どこにもやり場のないような廃墟感が漂っている。彼の絵の中ではちょっと特異な題材だと思うのだけれど、どこか眼の底にこびりついて離れない。

②春風秋雨/1955年(No.64)…四幅対の作品で、描かれているのはいずれも不染に縁の深い伊豆大島、信濃、奈良と言った土地で、それぞれの絵に不染の万感の思いが込められているような気がする。最初全体を俯瞰して、それから細部を見ると自分がその絵の中に入り込んだような気持になる。

③いちょう/昭和40年代(No.128)…画面の中央に実に存在感のある漆黒のイチョウの大木が一本、立ちふさがるように立っている。そして地上にはそのイチョウの木が降り積もらせた黄金の枯葉がまるで金色の雪の粒のように敷き詰められている。イチョウの足元には小さな一体の石地蔵が置かれている。時が止まったような荘厳で不思議な瞬間。
④夜の漁村/昭和40年代後半(No.114)…真っ暗な画面に所々家の明かりが見える。良く目を凝らすとそれは海岸線に沿って建てられた漁村の家並みであることがわかる。海にはかすかに漁船の明かりも見える。家屋や古い家並みは常に不染の絵に登場する最も大切なモチーフだと思う。そこには生活や家族や地域に対する不染のあらゆる思いが込められている。その中でもこの夜景図は一段と心にしみる。よく観ると灯りの点いた窓には人影が描かれていてそこに温もりさえ感じられる。
⑤暮色有情/大正期(No.1)…会場の一番最初に展示されている初期の頃の作品で、セピア色の画面に朦朧体で描いていた頃の作品だ。宿場の煙ったような夕刻の空気感が素晴らしく、町並みを俯瞰で捉えた構図も掛軸という形態ととてもマッチしている。

[図録]
205頁。2500円。図録自体は標準的な構成で写真も決して悪くは無いけど、どこか不染鉄の「異質さ」が伝わってこない。もっともこれは今回だけに言えることでもなく、油彩と違って日本画の図録全般に言えることかもしれないけど…。しかしながら、不染鉄の個展にそう度々お目にかかれるわけではないので、貴重な図録だと思う。

美術館内階段
没後40年 幻の画家
不染鉄展
東京ステーションギャラリー
2017年7月1日~8月27日

[感想メモ]
東京ステーションギャラリーは今までも「鴨井玲展」や「ジョルジュ・モランディ展」など一見地味だけれども優れた企画の展示が多いので好きな場所で、今回の「不染鉄展」もそういった意味では見ごたえのある展覧会だと思う。
不染鉄(1891-1976)という画家は今まで一度もその名前さえ聞いたことが無いのだけれども、もうずっと長いこと西洋美術史を教えてもらっているS先生にとても興味深かったから観てみるといいと切符を頂いたので行ってみた。実際に行ってみると、その印象は一言では表しにくいが、日本人の郷愁を呼び覚ます独特の雰囲気を持っている。ある時は優しく、ある時は大胆にそして画面の随所に彼の生き方が顔を出している。
初期の作品はちょっとカリエールを思い起こさせるようなセピア色の朦朧とした画面が多いのだけれど、やがて彼独特の大胆さと精緻さが同居した絵の世界が展開されてゆく。時代的には、明治・大正・昭和を生きた人で、その人生は通常の画家とはずいぶんかけ離れている。もちろん、分野も境遇もまるで違うのだけれど、ぼくは何となく俳句の種田山頭火を思い起こしてしまった。

[不染鉄展 My Best 5]
①廃船/1969年(No.113)…さして大きな絵ではないけれど、その絵の前に来ると一瞬ドキッとする。暗い夜の海辺に巨大なクジラのような廃船が横たわっている。手前の陸には村が、もしかしたらこれも廃村かもしれない村の家並が見えている。どこにもやり場のないような廃墟感が漂っている。彼の絵の中ではちょっと特異な題材だと思うのだけれど、どこか眼の底にこびりついて離れない。

②春風秋雨/1955年(No.64)…四幅対の作品で、描かれているのはいずれも不染に縁の深い伊豆大島、信濃、奈良と言った土地で、それぞれの絵に不染の万感の思いが込められているような気がする。最初全体を俯瞰して、それから細部を見ると自分がその絵の中に入り込んだような気持になる。

③いちょう/昭和40年代(No.128)…画面の中央に実に存在感のある漆黒のイチョウの大木が一本、立ちふさがるように立っている。そして地上にはそのイチョウの木が降り積もらせた黄金の枯葉がまるで金色の雪の粒のように敷き詰められている。イチョウの足元には小さな一体の石地蔵が置かれている。時が止まったような荘厳で不思議な瞬間。
④夜の漁村/昭和40年代後半(No.114)…真っ暗な画面に所々家の明かりが見える。良く目を凝らすとそれは海岸線に沿って建てられた漁村の家並みであることがわかる。海にはかすかに漁船の明かりも見える。家屋や古い家並みは常に不染の絵に登場する最も大切なモチーフだと思う。そこには生活や家族や地域に対する不染のあらゆる思いが込められている。その中でもこの夜景図は一段と心にしみる。よく観ると灯りの点いた窓には人影が描かれていてそこに温もりさえ感じられる。
⑤暮色有情/大正期(No.1)…会場の一番最初に展示されている初期の頃の作品で、セピア色の画面に朦朧体で描いていた頃の作品だ。宿場の煙ったような夕刻の空気感が素晴らしく、町並みを俯瞰で捉えた構図も掛軸という形態ととてもマッチしている。

[図録]
205頁。2500円。図録自体は標準的な構成で写真も決して悪くは無いけど、どこか不染鉄の「異質さ」が伝わってこない。もっともこれは今回だけに言えることでもなく、油彩と違って日本画の図録全般に言えることかもしれないけど…。しかしながら、不染鉄の個展にそう度々お目にかかれるわけではないので、貴重な図録だと思う。

美術館内階段
(July 2017)
gillman*s Museum ソール・ライター展
■Museum of the Month

[感想メモ]
写真家ソール・ライターのドキュメンタリー映画「急がない人生で見つけた13のこと」のDVDを見たのは旅行から帰ってきて疲れのためか一週間ほど寝込んでしまいベッドの上で時間を持て余していたからだ。そもそも彼の写真に興味を持ったのは彼のキャリアの中であのファッション誌「ハーパース・バザー」の表紙を飾った時期があるというのを知ったからだ。
「ハーパース・バザー」といえばあのカッサンドルのイラストも一時期表紙を飾ったこともあり、その美的センスは時代の先端を行っていた時もある。確かにライターのバザー誌の表紙は都会的で垢抜けている、しかし彼の本領はやっぱり日常を鋭い感覚で切り取った写真にあるような気がする。
大胆な構図、絵画的色彩、そこには画家としての、そして生活者としてのライターの目が活きている。図録に解説を載せているP.ヴェルマールはライターを称して「ニューヨークのナビ派」と表現したけれど、それは巧い言い方だと思う。ライター自身はこう言っている。「私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。神秘的なことは馴染み深い場所でおきると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ」*
それはぼくにとって馴染み深いアンドリュー・ワイエスやエドワード・ホッパーさらにはヴィルヘルム・ハンマースホイの世界とも通底していると思う。会場には僅かだがライターの描いた絵も展示されている。その柔らかな色彩感覚は写真集「アーリー・カラー」の色彩に通じている。ライターは数年前に亡くなったが、退蔵された作品が多数あるので今後も新しい写真集がでる可能性もあり楽しみだ。
*I take photographs in my neighborhood. I think that mysterious things happen in familiar places. We don't always need to run to the other end of the world.

[ソール・ライター展 My Best 5]
①天蓋/1958(No.148)…縦長の写真の上三分の二が真っ黒な天蓋で覆われている、その向こうにニューヨークの街の歩道の遠景がかすんでいる。なんとも大胆な構図なのだけども、きっとライターがこの写真のシャッターを押すとき彼の頭には広重の構図が浮かんでいたのではないかとぼくは勝手に思っている。彼は浮世絵や日本画の熱心な研究家だったからあながち的外れなことではないかもしれない。
②タクシー/1957(No.111)…すれ違う車の中からのショットらしいが、この写真の醍醐味は画面を覆うちょっとくすんだ暖色系の色彩だ。この色合いがシュタイデル社から出された彼の最初の写真集「アーリー・カラー」の底流に流れている。

③足跡/1950(No.93)…画面を斜めに横切る雪に覆われた通りを赤い傘を指した人物が歩いてゆく。雪の上に点々と続く足跡の先に真っ赤な傘。ライターは雪のニューヨークの情景をよく撮っているがどれも抒情豊かでぼくは好きだ。降りしきる雪の中を郵便配達が行く光景の「郵便配達/1952(No.90)」も良かった。色彩と言いまるでノーマン・ロックウェルの絵画を見ているようだ。

④バス/1954(No.143)…歩道から目の前を通り過ぎてゆくバスの窓を一瞬見上げた刹那、うつむく男のシルエットが目に飛び込んでくる。都会の静寂と孤独を象徴しているようだ。バスの赤い車体がそれをやさしく受け止めている。
⑤バーバラ/1951(No.201)…ライターのモノクロのヌード写真がまた良い。どれもインティメートな関係を思わせるような写真だけれど、その中でもこのバーバラがとても良い。窓をすり抜けた光がバーバラの顔とはだけた胸にまとわりついている。ライターの撮った商業写真の女性像とは全く異なった一面を見せている。
[図録]ソール・ライターのすべて
307頁、2700円。厳密に言えば今回の展覧会のための図録ではないけれど、これを契機に出版されていると思う。シュタイデル社の写真集「アーリー・カラー」増し刷り分が5000円程度で売り出されているが、本図録にはその写真集の大半が収録されていることを考えると、お買い得だと思う。

[蛇足]
最近写真愛好家が増えたからか写真展も以前よりは客が入るようになったみたいな気がする。ぼくはどちらかと言えば絵画の方が好きなのだけれど、写真展でいつも感じるのは作品としての写真を楽しむ前に、これは何ミリのレンズで撮ったのだろうかとか、露出はとか、撮り方ばかりを気にする人が多いことだ。
個展などでは写真家本人が会場に控えていることもあるが、そんな時も撮影条件についてばかり質問しているような気がしている。自分の撮影時の参考にしたいのは分かるが、知り合いの写真家に聞いたら、その手の質問には正直ちょっとうんざりしているようだ。まずは、作品自体をじっくり味わう方が大事だとおもうのだけれど…。
ニューヨークが生んだ伝説
写真家ソール・ライター展
Bunkamuraザ・ミュージアム
2017年4月29日~6月25日

[感想メモ]
写真家ソール・ライターのドキュメンタリー映画「急がない人生で見つけた13のこと」のDVDを見たのは旅行から帰ってきて疲れのためか一週間ほど寝込んでしまいベッドの上で時間を持て余していたからだ。そもそも彼の写真に興味を持ったのは彼のキャリアの中であのファッション誌「ハーパース・バザー」の表紙を飾った時期があるというのを知ったからだ。
「ハーパース・バザー」といえばあのカッサンドルのイラストも一時期表紙を飾ったこともあり、その美的センスは時代の先端を行っていた時もある。確かにライターのバザー誌の表紙は都会的で垢抜けている、しかし彼の本領はやっぱり日常を鋭い感覚で切り取った写真にあるような気がする。
大胆な構図、絵画的色彩、そこには画家としての、そして生活者としてのライターの目が活きている。図録に解説を載せているP.ヴェルマールはライターを称して「ニューヨークのナビ派」と表現したけれど、それは巧い言い方だと思う。ライター自身はこう言っている。「私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。神秘的なことは馴染み深い場所でおきると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ」*
それはぼくにとって馴染み深いアンドリュー・ワイエスやエドワード・ホッパーさらにはヴィルヘルム・ハンマースホイの世界とも通底していると思う。会場には僅かだがライターの描いた絵も展示されている。その柔らかな色彩感覚は写真集「アーリー・カラー」の色彩に通じている。ライターは数年前に亡くなったが、退蔵された作品が多数あるので今後も新しい写真集がでる可能性もあり楽しみだ。
*I take photographs in my neighborhood. I think that mysterious things happen in familiar places. We don't always need to run to the other end of the world.

[ソール・ライター展 My Best 5]
①天蓋/1958(No.148)…縦長の写真の上三分の二が真っ黒な天蓋で覆われている、その向こうにニューヨークの街の歩道の遠景がかすんでいる。なんとも大胆な構図なのだけども、きっとライターがこの写真のシャッターを押すとき彼の頭には広重の構図が浮かんでいたのではないかとぼくは勝手に思っている。彼は浮世絵や日本画の熱心な研究家だったからあながち的外れなことではないかもしれない。
②タクシー/1957(No.111)…すれ違う車の中からのショットらしいが、この写真の醍醐味は画面を覆うちょっとくすんだ暖色系の色彩だ。この色合いがシュタイデル社から出された彼の最初の写真集「アーリー・カラー」の底流に流れている。

③足跡/1950(No.93)…画面を斜めに横切る雪に覆われた通りを赤い傘を指した人物が歩いてゆく。雪の上に点々と続く足跡の先に真っ赤な傘。ライターは雪のニューヨークの情景をよく撮っているがどれも抒情豊かでぼくは好きだ。降りしきる雪の中を郵便配達が行く光景の「郵便配達/1952(No.90)」も良かった。色彩と言いまるでノーマン・ロックウェルの絵画を見ているようだ。

④バス/1954(No.143)…歩道から目の前を通り過ぎてゆくバスの窓を一瞬見上げた刹那、うつむく男のシルエットが目に飛び込んでくる。都会の静寂と孤独を象徴しているようだ。バスの赤い車体がそれをやさしく受け止めている。
⑤バーバラ/1951(No.201)…ライターのモノクロのヌード写真がまた良い。どれもインティメートな関係を思わせるような写真だけれど、その中でもこのバーバラがとても良い。窓をすり抜けた光がバーバラの顔とはだけた胸にまとわりついている。ライターの撮った商業写真の女性像とは全く異なった一面を見せている。
[図録]ソール・ライターのすべて
307頁、2700円。厳密に言えば今回の展覧会のための図録ではないけれど、これを契機に出版されていると思う。シュタイデル社の写真集「アーリー・カラー」増し刷り分が5000円程度で売り出されているが、本図録にはその写真集の大半が収録されていることを考えると、お買い得だと思う。

[蛇足]
最近写真愛好家が増えたからか写真展も以前よりは客が入るようになったみたいな気がする。ぼくはどちらかと言えば絵画の方が好きなのだけれど、写真展でいつも感じるのは作品としての写真を楽しむ前に、これは何ミリのレンズで撮ったのだろうかとか、露出はとか、撮り方ばかりを気にする人が多いことだ。
個展などでは写真家本人が会場に控えていることもあるが、そんな時も撮影条件についてばかり質問しているような気がしている。自分の撮影時の参考にしたいのは分かるが、知り合いの写真家に聞いたら、その手の質問には正直ちょっとうんざりしているようだ。まずは、作品自体をじっくり味わう方が大事だとおもうのだけれど…。
(May 2017)
gillman*s Museum Skagen派展
■Museum of the Month

[感想メモ]
特別展のシャセリオー展を見終わってからいつものように通常展示の方にも足を運んだ。そこではデンマークの芸術家村と銘打った「Skagen展」が行われていた。
実はぼくは昔買ったSkagenというブランドのデンマークの時計を持っているのだけれど、その名前はこの村の名前から来ているらしいのだが発音は「スケーエン」とか「スカーイェン」とか言うらしい。ぼくはずっと「スカーゲン」と読んでいた。
話を戻すと、スケーエンはちょうど南フランスのアルルやブルターニュのポン=タヴァンの芸術家村のように多くの芸術家が住んだ小さな漁師町らしい。地図で見ると海に突き出た細い棒のような半島の突端に位置している。海を隔てて向こうはイェーテボリだ。
そこで戸外にキャンバスを持ち出して彼らが描いたものは印象派のきらめきのようなものではなく、海における漁師たちの姿やその土地に生きる人々の姿だった。デンマークというとぼくの大好きなヴィルヘルム・ハンマースホイを想起するけど、それともまた異なる世界だ。シャセリオー展だけ観て帰らなくてよかったぁ。後日、Skagen展だけを観に再度足を運んでしまった。

[Skagen展 My Best 5]
①ボートを漕ぎだす漁師たち(1881)/ミカエル・アンカー(No.02)
大型の画面で会場でもひときわ目を引く。荒れた海に船を漕ぎだす漁師たちの群像とそれを見守る村人たち。北欧の鈍色の空の下でこちらにも凍てつく海の水の冷たさが伝わってくるような漁師たちの足元。映画の一場面のような迫力のある構図。会場ではこの絵の隣に、これに先立って描かれた「奴は岬を回れるだろうか?(1880)」も展示されている。
その絵は言わばアンカーの出世作ともいうものだけれど、余りに評判が良すぎて王室が買い上げて今も所有しているため、展示されているのはスケーエン美術館が所有する彼による再制作バージョンのようだ。画面は小さいがこちらの絵もすばらしい。

②浜辺の白いボート、明るい夏の夕べ(1895)/ペーダー・セヴェリン・クロヤー(No.05)…夕暮れ時に空気が青味を増す時間帯「青い時」をクロヤーは何枚か描いている。遠景に漁から帰った漁師たちが描かれて近景には子供の手を引いて家路につく母子らしい姿。全てが青い空気に包まれている。何故かその光景がぼくの心に強く残った。

③戸外の説教(1903)/アンナ・アンカー(No.13)
アンナはミカエル・アンカーの妻で画家。アンナは他のスケーエンの画家が余り扱わなかった宗教的場面も扱っている。これは当時北欧で起こっていた宗教的復興運動「ホーム・ミッション」の説教の様子で、海辺の傾斜地の野原で漁師の妻たちが説教に聴き入っている。だが女達の眼差しは説教師よりも自らの内面を見つめているようだ。本展示で一番大きい作品かも知れない。

④ばら(1893)/ペーダー・セヴェリン・クロヤー(No.32)
一見フランス印象派の絵と見間違うような共通点をこの絵は持っている。画面いっぱいに咲き乱れる白いバラ、その向こうにデッキチェアで新聞を読む妻のマリーの姿が描かれている。彼女も画家なのだ。光が踊って幸福を絵に描いたような情景、でもその幸福の時はそう長くは続かなかった。やがてクロヤーはうつ病に悩まされ、妻のマリーは不倫の果てに相手の子供を身ごもり家庭は崩壊して行く。クロヤーは失意のうちに58歳の若さでこの世を去る。蜃気楼のような幸せの残像。

⑤スケーエンの漁師の肖像/ミカエル・アンカー(No.53)
Skagen展は二つの会場に分かれている。二階の吹き抜けホールから続くスペースといつもは版画が展示されている部屋の二ヶ所だ。小さな紙に水彩と鉛筆で描かれた帽子を被った漁師の横顔はハッとするほどリアルだ。ミカエルの力量がありありと分かる。自然を相手にしてきた海の男の誇りのようなものまで伝わってくる。この絵の筆致や雰囲気、何処かで見たなぁと思っていたけど、帰りの道すがら、あっあれは正にアンドリュー・ワイエスだと気がついた。

[図録]
157頁。1800円。構成は標準的なモノだけれど、気に入った絵があっても多分もう二度とはお目にかかれないと思うので…。

[蛇足]
デンマークの画家と言えばハンマースホイがいるが、北欧の画家は日本ではあまり馴染みがないので、こういう展覧会が常設展の一画で行われるというのはいかにも気の利いた素晴らしい企画だと思う。
そういえば2008年にいまだに忘れられない「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展が行われたのも、ここ西洋美術館だった。西洋美術館所蔵の彼の作品が今観覧ルートの一番最後におかれている。 また2015年に藝大美術館で行われたフィンランドの画家「ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし」展も良い企画だった。
スケーエン派展
国立西洋美術館
2017年2月10日〜5月28日

[感想メモ]
特別展のシャセリオー展を見終わってからいつものように通常展示の方にも足を運んだ。そこではデンマークの芸術家村と銘打った「Skagen展」が行われていた。
実はぼくは昔買ったSkagenというブランドのデンマークの時計を持っているのだけれど、その名前はこの村の名前から来ているらしいのだが発音は「スケーエン」とか「スカーイェン」とか言うらしい。ぼくはずっと「スカーゲン」と読んでいた。
話を戻すと、スケーエンはちょうど南フランスのアルルやブルターニュのポン=タヴァンの芸術家村のように多くの芸術家が住んだ小さな漁師町らしい。地図で見ると海に突き出た細い棒のような半島の突端に位置している。海を隔てて向こうはイェーテボリだ。
そこで戸外にキャンバスを持ち出して彼らが描いたものは印象派のきらめきのようなものではなく、海における漁師たちの姿やその土地に生きる人々の姿だった。デンマークというとぼくの大好きなヴィルヘルム・ハンマースホイを想起するけど、それともまた異なる世界だ。シャセリオー展だけ観て帰らなくてよかったぁ。後日、Skagen展だけを観に再度足を運んでしまった。

[Skagen展 My Best 5]
①ボートを漕ぎだす漁師たち(1881)/ミカエル・アンカー(No.02)
大型の画面で会場でもひときわ目を引く。荒れた海に船を漕ぎだす漁師たちの群像とそれを見守る村人たち。北欧の鈍色の空の下でこちらにも凍てつく海の水の冷たさが伝わってくるような漁師たちの足元。映画の一場面のような迫力のある構図。会場ではこの絵の隣に、これに先立って描かれた「奴は岬を回れるだろうか?(1880)」も展示されている。
その絵は言わばアンカーの出世作ともいうものだけれど、余りに評判が良すぎて王室が買い上げて今も所有しているため、展示されているのはスケーエン美術館が所有する彼による再制作バージョンのようだ。画面は小さいがこちらの絵もすばらしい。

②浜辺の白いボート、明るい夏の夕べ(1895)/ペーダー・セヴェリン・クロヤー(No.05)…夕暮れ時に空気が青味を増す時間帯「青い時」をクロヤーは何枚か描いている。遠景に漁から帰った漁師たちが描かれて近景には子供の手を引いて家路につく母子らしい姿。全てが青い空気に包まれている。何故かその光景がぼくの心に強く残った。

③戸外の説教(1903)/アンナ・アンカー(No.13)
アンナはミカエル・アンカーの妻で画家。アンナは他のスケーエンの画家が余り扱わなかった宗教的場面も扱っている。これは当時北欧で起こっていた宗教的復興運動「ホーム・ミッション」の説教の様子で、海辺の傾斜地の野原で漁師の妻たちが説教に聴き入っている。だが女達の眼差しは説教師よりも自らの内面を見つめているようだ。本展示で一番大きい作品かも知れない。

④ばら(1893)/ペーダー・セヴェリン・クロヤー(No.32)
一見フランス印象派の絵と見間違うような共通点をこの絵は持っている。画面いっぱいに咲き乱れる白いバラ、その向こうにデッキチェアで新聞を読む妻のマリーの姿が描かれている。彼女も画家なのだ。光が踊って幸福を絵に描いたような情景、でもその幸福の時はそう長くは続かなかった。やがてクロヤーはうつ病に悩まされ、妻のマリーは不倫の果てに相手の子供を身ごもり家庭は崩壊して行く。クロヤーは失意のうちに58歳の若さでこの世を去る。蜃気楼のような幸せの残像。

⑤スケーエンの漁師の肖像/ミカエル・アンカー(No.53)
Skagen展は二つの会場に分かれている。二階の吹き抜けホールから続くスペースといつもは版画が展示されている部屋の二ヶ所だ。小さな紙に水彩と鉛筆で描かれた帽子を被った漁師の横顔はハッとするほどリアルだ。ミカエルの力量がありありと分かる。自然を相手にしてきた海の男の誇りのようなものまで伝わってくる。この絵の筆致や雰囲気、何処かで見たなぁと思っていたけど、帰りの道すがら、あっあれは正にアンドリュー・ワイエスだと気がついた。

[図録]
157頁。1800円。構成は標準的なモノだけれど、気に入った絵があっても多分もう二度とはお目にかかれないと思うので…。

[蛇足]
デンマークの画家と言えばハンマースホイがいるが、北欧の画家は日本ではあまり馴染みがないので、こういう展覧会が常設展の一画で行われるというのはいかにも気の利いた素晴らしい企画だと思う。
そういえば2008年にいまだに忘れられない「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展が行われたのも、ここ西洋美術館だった。西洋美術館所蔵の彼の作品が今観覧ルートの一番最後におかれている。 また2015年に藝大美術館で行われたフィンランドの画家「ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし」展も良い企画だった。
(Mar.2017)
gillman*s Museum カッサンドル展
■ Museum of the Month

[感想メモ]
ぼくはデザインのことは余り分からないのだけれど、それでも大好きなデザイナーが二人いる。一人は工業デザインの世界でレイモンド・ローウィ。大陸横断鉄道の機関車からタバコのパッケージまであらゆる分野のデザインを手がけた。日本のタバコのピースのあのロゴやラッキーストライクのロゴも彼によるものだ。
そしてもう一人がグラフィック・デザイナーであるこのカッサンドル。カッサンドルというのは本名ではないのだけれど、かなり早い時期からこの名前を使っている。彼のポスターはアール・デコの香りに溢れている。もし彼のポスターが今、街なかに飾られたらどんな写真のポスターよりも目を引くだろう。エネルギッシュでそれでいてどこか静謐だ。
カッサンドルの展覧会はたしか、1991年に東京都庭園美術館で、1995年に サントリー天保山(2010年閉館)で開かれているがぼくはどちらも見逃してしまった。それが今回埼玉県立近代美術館で開かれるというので喜び勇んで行ってみた。行ってみると予想以上の充実ぶりで嬉しい驚き。しかし、同時に殆ど人のいない閑散さに寂しさを感じた。平日ということもあるけどぼくが会場で目にした観客はたったの二人きり。
ここ埼玉県立近代美術館は以前ジャック=アンリ・ラルティーグの写真展で訪れて以来、折に触れて展覧会をチェックしているけど、結構いい企画のものがあったりして楽しみにしている美術館でもある。今回の展覧会は松本瑠樹氏のコレクションが中心だが、どれも素晴らしい状態。ポスターというよりリトグラフ展といった方が良いような雰囲気。そこにはカッサンドルのドキドキするような脈動感と、それでいて洒脱な、時にはセクシーでさえある彼の世界が広がっている。ぼくにとっては今年一押しの展覧会だった。会期中にもう一度訪れるつもり。

[カッサンドル展 My Best 5]
①ノルマンディー/1935(No.65)
当時最大、最速といわれたフランスの豪華客船ノルマンディー号のポスターで、カッサンドルの代表作の一つと言ってもいい作品。巨大客船を仰ぎ見るような角度から描いている。黒い船体の足元を飛ぶ小さなカモメの群れが船体の巨大さを物語っている。
ル・アーブルからニューヨークを四日で結んだフランス海運の意気込みとプライドを示すように実に堂々とダイナミックなポスターに仕上がっている。他と比べてもあまり大きなポスターではないのだけれど周りを威圧するように燦然と光り輝いていた。

②オ・ビュシュロン/1923(No.3)
会場を入るとすぐ巨大なポスターが目に飛び込んでくる。縦1メーター50、横は4メーター近い大きな画面に一人の男が斧を振り上げて木を切り倒している姿がVの字の画面構成でダイナミックに表現されている。オ・ビシュロンはパリの家具店で、このポスターがカッサンドルの事実上のデビュー作となった。
ル・コルビジェなどはこのデザインをこき下ろしたらしいが、当時のパリでは評判になったし、現代装飾美術・産業博覧会ではグランプリをとった。ぼくはこのポスターを前にしてこの構図をどこかで見たことがあると思った。家に帰って図録で調べてみたらそれはフェルディナント・ホドラーの描いた「木を伐る人」の構図とうり二つだった。そんなことはどこの解説書にも出ていないけれど人物の向きが逆ではあるけれどその躍動感のあるポーズは基本的には同じだ。ホドラーがその絵を描いたのは1910年でカッサンドルがこのポスターを描いたのは1923だから、どこかで一度目にしたことがあるのかもしれない。(ホドラーのこの絵は昔スイスの50フラン札の図柄に使われたことがある)

③ノール・エクスプレス/1927(No.17)
カッサンドルは乗り物の図案を多くポスターにしているが、これもその一つ。疾走する機関車をローアングルからとらえている。表現はアール・デコ独特の図形化された形でパーツを見ると機関車であるとは分からないけれど、全体を見れば疾走する機関車であることは一目瞭然である。
ダイナミックなスピード感と、このポスターでは特にカッサンドルが大事にしたタイポグラフィーが実に活き活きと効果的に使われている。このほかにもカッサンドルには機関車を扱った多くの素晴らしいポスターがあり、それらも会場には展示されている。

④リス・シャンティイ/1930(No.39)
カッサンドルにしては珍しい構図のポスターかもしれない。比較的小ぶりのサイズの画面全体が鮮やかな緑色で覆われている。それは木々の緑を表しているのだけれど、その真ん中にぽっかりと穴が開いておりそこから一軒の住宅の赤い屋根と白い壁がのぞいている。
これはパリの北にある、緑豊かな都市シャンティイに向かう鉄道のポスター。汽車も、線路も街並みも出てこない、だけどこのポスターを見ただけでそんな街にあこがれてしまう。なんとも心憎い演出のポスターだ。画面に大きく書かれたLYS CHANTILLYのタイポグラフィーも実に効果的で素敵だ。
⑤「ハーパース・バザー」の表紙デザイン/1936-37(No.85-1~20)
会場の最後の方に壁面に何枚もの絵が飾られている。それらはカッサンドルがファッション誌「ハーパース・バザー」の表紙を担当した時のものだ。期間的には3年くらいの間なのだが、その間カッサンドルはニューヨークに二度ほど長期滞在している。
そこで彼はダリやデ・キリコと知り合ってグラフィック・デザインからシュルレアリズムの肉筆画などに傾倒していったらしいのだが、それが果たして彼にとって幸いなことだったのか。というのもやがてグラフィック・デザインから離れ始めた彼は、新しい表現の模索に疲れたのか1968年6月17日にパリで拳銃自殺してしまう。まだ67歳だった。


[図録]
119頁。1800円。カッサンドルの日本語の画集は数も少なく、あってもたいてい高価なので中々手が出ないのだけれど、今回の図録は少なくとも展示作品は全て出ていて1800円というのは嬉しい。内容的には写真と主要作品の簡単な解説のみだが、それでもありがたいと思う。会場には1万8000円(税別)の画集が売っていたけれど、やっぱりそれにはちょっと手が出ないなぁ。


[蛇足]
沢木耕太郎の「深夜特急」の表紙にはこのカッサンドルの絵が使われています。

カッサンドル
・ポスター展
グラフィズムの革命
埼玉県立近代美術館
2017年2月11日~3月26日

[感想メモ]
ぼくはデザインのことは余り分からないのだけれど、それでも大好きなデザイナーが二人いる。一人は工業デザインの世界でレイモンド・ローウィ。大陸横断鉄道の機関車からタバコのパッケージまであらゆる分野のデザインを手がけた。日本のタバコのピースのあのロゴやラッキーストライクのロゴも彼によるものだ。
そしてもう一人がグラフィック・デザイナーであるこのカッサンドル。カッサンドルというのは本名ではないのだけれど、かなり早い時期からこの名前を使っている。彼のポスターはアール・デコの香りに溢れている。もし彼のポスターが今、街なかに飾られたらどんな写真のポスターよりも目を引くだろう。エネルギッシュでそれでいてどこか静謐だ。
カッサンドルの展覧会はたしか、1991年に東京都庭園美術館で、1995年に サントリー天保山(2010年閉館)で開かれているがぼくはどちらも見逃してしまった。それが今回埼玉県立近代美術館で開かれるというので喜び勇んで行ってみた。行ってみると予想以上の充実ぶりで嬉しい驚き。しかし、同時に殆ど人のいない閑散さに寂しさを感じた。平日ということもあるけどぼくが会場で目にした観客はたったの二人きり。
ここ埼玉県立近代美術館は以前ジャック=アンリ・ラルティーグの写真展で訪れて以来、折に触れて展覧会をチェックしているけど、結構いい企画のものがあったりして楽しみにしている美術館でもある。今回の展覧会は松本瑠樹氏のコレクションが中心だが、どれも素晴らしい状態。ポスターというよりリトグラフ展といった方が良いような雰囲気。そこにはカッサンドルのドキドキするような脈動感と、それでいて洒脱な、時にはセクシーでさえある彼の世界が広がっている。ぼくにとっては今年一押しの展覧会だった。会期中にもう一度訪れるつもり。

[カッサンドル展 My Best 5]
①ノルマンディー/1935(No.65)
当時最大、最速といわれたフランスの豪華客船ノルマンディー号のポスターで、カッサンドルの代表作の一つと言ってもいい作品。巨大客船を仰ぎ見るような角度から描いている。黒い船体の足元を飛ぶ小さなカモメの群れが船体の巨大さを物語っている。
ル・アーブルからニューヨークを四日で結んだフランス海運の意気込みとプライドを示すように実に堂々とダイナミックなポスターに仕上がっている。他と比べてもあまり大きなポスターではないのだけれど周りを威圧するように燦然と光り輝いていた。

②オ・ビュシュロン/1923(No.3)
会場を入るとすぐ巨大なポスターが目に飛び込んでくる。縦1メーター50、横は4メーター近い大きな画面に一人の男が斧を振り上げて木を切り倒している姿がVの字の画面構成でダイナミックに表現されている。オ・ビシュロンはパリの家具店で、このポスターがカッサンドルの事実上のデビュー作となった。
ル・コルビジェなどはこのデザインをこき下ろしたらしいが、当時のパリでは評判になったし、現代装飾美術・産業博覧会ではグランプリをとった。ぼくはこのポスターを前にしてこの構図をどこかで見たことがあると思った。家に帰って図録で調べてみたらそれはフェルディナント・ホドラーの描いた「木を伐る人」の構図とうり二つだった。そんなことはどこの解説書にも出ていないけれど人物の向きが逆ではあるけれどその躍動感のあるポーズは基本的には同じだ。ホドラーがその絵を描いたのは1910年でカッサンドルがこのポスターを描いたのは1923だから、どこかで一度目にしたことがあるのかもしれない。(ホドラーのこの絵は昔スイスの50フラン札の図柄に使われたことがある)

③ノール・エクスプレス/1927(No.17)
カッサンドルは乗り物の図案を多くポスターにしているが、これもその一つ。疾走する機関車をローアングルからとらえている。表現はアール・デコ独特の図形化された形でパーツを見ると機関車であるとは分からないけれど、全体を見れば疾走する機関車であることは一目瞭然である。
ダイナミックなスピード感と、このポスターでは特にカッサンドルが大事にしたタイポグラフィーが実に活き活きと効果的に使われている。このほかにもカッサンドルには機関車を扱った多くの素晴らしいポスターがあり、それらも会場には展示されている。

④リス・シャンティイ/1930(No.39)
カッサンドルにしては珍しい構図のポスターかもしれない。比較的小ぶりのサイズの画面全体が鮮やかな緑色で覆われている。それは木々の緑を表しているのだけれど、その真ん中にぽっかりと穴が開いておりそこから一軒の住宅の赤い屋根と白い壁がのぞいている。
これはパリの北にある、緑豊かな都市シャンティイに向かう鉄道のポスター。汽車も、線路も街並みも出てこない、だけどこのポスターを見ただけでそんな街にあこがれてしまう。なんとも心憎い演出のポスターだ。画面に大きく書かれたLYS CHANTILLYのタイポグラフィーも実に効果的で素敵だ。
⑤「ハーパース・バザー」の表紙デザイン/1936-37(No.85-1~20)
会場の最後の方に壁面に何枚もの絵が飾られている。それらはカッサンドルがファッション誌「ハーパース・バザー」の表紙を担当した時のものだ。期間的には3年くらいの間なのだが、その間カッサンドルはニューヨークに二度ほど長期滞在している。
そこで彼はダリやデ・キリコと知り合ってグラフィック・デザインからシュルレアリズムの肉筆画などに傾倒していったらしいのだが、それが果たして彼にとって幸いなことだったのか。というのもやがてグラフィック・デザインから離れ始めた彼は、新しい表現の模索に疲れたのか1968年6月17日にパリで拳銃自殺してしまう。まだ67歳だった。


[図録]
119頁。1800円。カッサンドルの日本語の画集は数も少なく、あってもたいてい高価なので中々手が出ないのだけれど、今回の図録は少なくとも展示作品は全て出ていて1800円というのは嬉しい。内容的には写真と主要作品の簡単な解説のみだが、それでもありがたいと思う。会場には1万8000円(税別)の画集が売っていたけれど、やっぱりそれにはちょっと手が出ないなぁ。


[蛇足]
沢木耕太郎の「深夜特急」の表紙にはこのカッサンドルの絵が使われています。

(Feb.2017)
gillman* Museums ナビ派展
■Museum of the Month

[感想メモ]
ナビ派というと日本ではあまりなじみがないような感じがするけれど、ぼくは若いころから国立西洋美術館で特にモーリス・ドニ等の作品に馴染んでいたのでかえって懐かしい感じがした。ドニについて言えば西洋美術館は「踊る女たち」をはじめとして50点近い作品を所蔵している。
ナビ派は平面的な表現やその装飾性の高い構図などが特徴的なものだと思っていたけれど、今回の展示を見てみると思ったよりもその表現の幅は広いように思う。ナビ派の作品でもボナールやドニの作品は西洋美術館をはじめとして、ブリヂストン美術館やポーラ美術館など日本の美術館でも観ることが出来るけれども、これだけの作品を俯瞰的に観る機会は中々ないのでとても楽しかった。

[ナビ派展 My Best 5]
①ボール/フェリックス・ヴァロットン(No.57)
ヴァロットンのこの「ボール」に再会できたのは全く期待していなかっただけに、驚きでもあり喜びでもあった。この「ボール」は2014年の7月に同じこの美術館で開催された「ヴァロットン展」の目玉作品だった。それまで図録でしか見たことがなかったこの作品を観られるとは思っていなかったので望外の喜びがあったけれど今回の再会もそれに匹敵する。
今度はホントにさりげなく、ひっそりと展示されていて心なしか絵の前で立ち止まる人も少なかったように思った。今や絵画展でも前宣伝というのは大したものなんだなぁと…。それともぼくがヴァロットンが好きだから一人で感心しているのか。もっともヴァロットンはナビ派といっても「外国人のナビ」と言われたように他のナビ派の作家とはちょっとテイストが異なる。ナビ派独特の装飾性や神秘性よりも日常に潜む怪しげな瞬間に目を凝らしている。ぼくはそれが好きなのだけれど…。

②猫と女性/ピエール・ボナール(No.44)
ボナールはなんといってもその色使いが魅力だ。色の配色と特に初期は日本絵画の影響を受けたといわれる平面的な画面構成が実に洗練されていて日常の変哲のない光景がとても特別で大切な瞬間のように画面に定着されている。この「猫と女性」は後年の色彩が鮮やかさを増した時代の作品で正にアンティミストとしての日常への眼差しが光っている。白猫の表情がとても活き活きとしていて素敵だ。

③エッセル家旧蔵の昼食/エドゥアール・ヴュイヤール(No.34)
ボナールの絵が色彩が踊っているとするならば、ヴュイヤールのそれはちょっと抑え気味の色彩がハーモニーを大事にして連なっていてるという感じがする。この室内情景画は一歩引いて食卓全体を見渡す位置から一家の食後のひと時を見つめている。今回は彼の大作「公園」も展示されているが、それからも分かるように彼の絵はナビ派の装飾性をもった代表的なものだと思う。

④髪を整える女性/フェリックス・ヴァロットン(No.28)
この絵と並んで展示されている「室内、戸棚を探る青い服の女性」も好きな絵だが、この二枚はヴァロットンお得意の日常の情景に潜む意味ありげなシーンを描いている。「ボール」もそうだけれどもヴァロットンの絵には、その画面を見てその暗示するもの、もしくは描かれたそのシーンの直前・直後の情景を想像してみるという楽しみがある。そういう意味ではナビ派のアンティミスト傾向が、日常の幸せで静謐な瞬間を定着させたいというものであるとしたら、それとはかなり傾向の違う題材であり表現だとも思える。(この二枚の絵もヴァロットン展以来の再会)

⑤マレーヌ姫のメヌエット/モーリス・ドニ(No.41)
ナビ派の中でもドニは恐らく、特にその後期においてもっとも装飾性の高い画家だと思うのだけれど、ぼくはどちらかと言えば比較的初期の作品の方が好きだ。この「マレーヌ姫」はその後ドニと結婚することになるマルトを描いた初期のものだが、優しい色使いと繊細な筆致にドニのモデルに対する愛情が感じられる。ドニの妻になる「マルト」はマルタ・モリエールの愛称だが、ぼくなんかは「マルト」というとボナールの妻マリア・ブールサンを思い浮かべてしまう。彼女も「マルト」と呼ばれてボナールの絵によく出てくる。

[図録]
206頁。2400円。新たな試みとして今回の図録はKindle版の電子ブックが発売されている。(2200円) 書籍版はページの角が丸くなっているなど丁寧な作りが伺われる。色彩はナビ派の絵はパステルカラーのような淡い色が多いので難しそうだがそれなりに出ていると思う。オルセー美術館の総裁へのインタビューや掲載されている論文も興味深く、これ一冊でナビ派の全容がよく分かりそう。

(Feb.2017)
オルセーのナビ派展
2017年2月4日~5月21日
三菱一号館美術館

[感想メモ]
ナビ派というと日本ではあまりなじみがないような感じがするけれど、ぼくは若いころから国立西洋美術館で特にモーリス・ドニ等の作品に馴染んでいたのでかえって懐かしい感じがした。ドニについて言えば西洋美術館は「踊る女たち」をはじめとして50点近い作品を所蔵している。
ナビ派は平面的な表現やその装飾性の高い構図などが特徴的なものだと思っていたけれど、今回の展示を見てみると思ったよりもその表現の幅は広いように思う。ナビ派の作品でもボナールやドニの作品は西洋美術館をはじめとして、ブリヂストン美術館やポーラ美術館など日本の美術館でも観ることが出来るけれども、これだけの作品を俯瞰的に観る機会は中々ないのでとても楽しかった。

[ナビ派展 My Best 5]
①ボール/フェリックス・ヴァロットン(No.57)
ヴァロットンのこの「ボール」に再会できたのは全く期待していなかっただけに、驚きでもあり喜びでもあった。この「ボール」は2014年の7月に同じこの美術館で開催された「ヴァロットン展」の目玉作品だった。それまで図録でしか見たことがなかったこの作品を観られるとは思っていなかったので望外の喜びがあったけれど今回の再会もそれに匹敵する。
今度はホントにさりげなく、ひっそりと展示されていて心なしか絵の前で立ち止まる人も少なかったように思った。今や絵画展でも前宣伝というのは大したものなんだなぁと…。それともぼくがヴァロットンが好きだから一人で感心しているのか。もっともヴァロットンはナビ派といっても「外国人のナビ」と言われたように他のナビ派の作家とはちょっとテイストが異なる。ナビ派独特の装飾性や神秘性よりも日常に潜む怪しげな瞬間に目を凝らしている。ぼくはそれが好きなのだけれど…。

②猫と女性/ピエール・ボナール(No.44)
ボナールはなんといってもその色使いが魅力だ。色の配色と特に初期は日本絵画の影響を受けたといわれる平面的な画面構成が実に洗練されていて日常の変哲のない光景がとても特別で大切な瞬間のように画面に定着されている。この「猫と女性」は後年の色彩が鮮やかさを増した時代の作品で正にアンティミストとしての日常への眼差しが光っている。白猫の表情がとても活き活きとしていて素敵だ。

③エッセル家旧蔵の昼食/エドゥアール・ヴュイヤール(No.34)
ボナールの絵が色彩が踊っているとするならば、ヴュイヤールのそれはちょっと抑え気味の色彩がハーモニーを大事にして連なっていてるという感じがする。この室内情景画は一歩引いて食卓全体を見渡す位置から一家の食後のひと時を見つめている。今回は彼の大作「公園」も展示されているが、それからも分かるように彼の絵はナビ派の装飾性をもった代表的なものだと思う。

④髪を整える女性/フェリックス・ヴァロットン(No.28)
この絵と並んで展示されている「室内、戸棚を探る青い服の女性」も好きな絵だが、この二枚はヴァロットンお得意の日常の情景に潜む意味ありげなシーンを描いている。「ボール」もそうだけれどもヴァロットンの絵には、その画面を見てその暗示するもの、もしくは描かれたそのシーンの直前・直後の情景を想像してみるという楽しみがある。そういう意味ではナビ派のアンティミスト傾向が、日常の幸せで静謐な瞬間を定着させたいというものであるとしたら、それとはかなり傾向の違う題材であり表現だとも思える。(この二枚の絵もヴァロットン展以来の再会)

⑤マレーヌ姫のメヌエット/モーリス・ドニ(No.41)
ナビ派の中でもドニは恐らく、特にその後期においてもっとも装飾性の高い画家だと思うのだけれど、ぼくはどちらかと言えば比較的初期の作品の方が好きだ。この「マレーヌ姫」はその後ドニと結婚することになるマルトを描いた初期のものだが、優しい色使いと繊細な筆致にドニのモデルに対する愛情が感じられる。ドニの妻になる「マルト」はマルタ・モリエールの愛称だが、ぼくなんかは「マルト」というとボナールの妻マリア・ブールサンを思い浮かべてしまう。彼女も「マルト」と呼ばれてボナールの絵によく出てくる。

[図録]
206頁。2400円。新たな試みとして今回の図録はKindle版の電子ブックが発売されている。(2200円) 書籍版はページの角が丸くなっているなど丁寧な作りが伺われる。色彩はナビ派の絵はパステルカラーのような淡い色が多いので難しそうだがそれなりに出ていると思う。オルセー美術館の総裁へのインタビューや掲載されている論文も興味深く、これ一冊でナビ派の全容がよく分かりそう。

(Feb.2017)
gillman*s Museum デトロイト美術館展
■Museum of the Month
上野の森美術館

[感想メモ]
上野の森美術館は今年はポール・スミス展に続いて、このデトロイト美術館展で二回目。この美術館の展示スペース自体があまり広くはないので(とは言っても山種美術館や太田美術館などよりは広いと思う)展示作品数は50点ちょっと。その範囲で印象派から20世紀前半までを駆け足で廻るような慌ただしさはあるけど、考えようによっては厳選された作品を一点一点じっくりと見る良い機会ではあるかもしれない。
特に今回少ない展示数の中でもドイツ表現主義を中心とする20世紀のドイツ絵画が10点強展示されているので、見方によっては今後の近代フランス絵画以外への興味の足がかりとなるかもしれない。


[デトロイト美術館展 My Best5]
①肘掛け椅子の女性/パブロ・ピカソ(No.45)…一口にピカソが好きだと言っても、ピカソの画風は時代によって千変万化するので難しい。ぼくはどちらかと言えば青の時代やこの古典主義様式時代の作品が好きだ。この作品の実物は初めて見たけれど、実に堂々としている。骨太な骨格の女性像はどこか神々しくてそれでいて全てを優しく包み込むような母性のようなものを感じる。この絵を観られただけでも元はとれたかなと…。

②エルサレムの眺め/オスカー・ココシュカ(No.35)…会場には日本ではあまり見られないドイツ表現主義の絵画も何点かあったが、その一画にココシュカの絵も二点ほどあった。ココシュカは人物画が多いように思うけど、ぼくはどちらかと言えば彼の風景画の方が好きだ。展示されていたのは「エルベ川、ドレスデン近郊」と本作の二点とも風景画でぼくはどちらも気に入った。こちらの方は横が1.3メーターあまりの大作で、ココシュカ独特の明るい色でエルサレムの街の俯瞰が描かれている。1930年ころの作品なので、この頃には翻弄され続けた女性アルマ・マーラー(マーラーの未亡人)の幻影からやっと抜け出せた頃か。この後ナチスの台頭で彼はプラハに逃れることになるのだけれど。

③犬と女性/ピエール・ボナール(No.24)…ボナールはぼくの大好きな画家の一人。その何とも言えない色彩の取り合わせにいつも魅了されてしまう。本作もアンティミスト(親密派)としてのボナールのいつもの画題通りに妻のマルトを描いている。彼には装飾性の高い作品もあり、変則な縦型の本作もそのような雰囲気を持っている。彼の描き出す日常の場面、日常の光に包まれた静謐な時間に引き付けられてしまう。

④画家の夫人/ポール・セザンヌ(No.15)…セザンヌはリンゴやサント・ヴクィトワール山や妻など同じ画題を繰り返し描いている。画面構成や平面の扱いなど専門的に見れば興味が尽きないし凄い画家でもあるのだろうけれど、ぼくみたいな素人からすると時に退屈な絵に見えないこともない。それは多分良く言えばクール、悪く言えば絵画構成等に傾注して描く対象物への興味なんかあったのだろうかという疑念を抱かせる点にあるのかもしれない。そういう意味では妻もリンゴも同じであったと言えるのかもしれないが、この作品では珍しくその妻そのものへの視線が光っているような気がする。絵には全く興味のなかった妻、夫婦とは名ばかりだったような二人の関係が妻の表情によく表れているような…気がする。

⑤バイオリニストと若い女性/エドガー・ドガ(No.4)…5番目は散々迷った。ルノアールも入っていないし、マチスだって良かった、ジェルヴェクスも捨てがたい。で結局ドガのこの作品となった。というのもこの作品の解説のところにドガの作品と当時台頭しつつあった写真との関係が述べられていたからだ。以前からドガの作品はスナップショットのようだと思っていたんだけれど、ドガも一時は写真機を使って自分で撮っていたこともあるらしい。もちろんそれはドガが写真をなぞったということではなくて、目の前を過ぎてゆく一瞬を捕捉するということを写真の登場によってより明確に意識したということではないかと思っている。

[図録]
174頁。2000円。展示作品数が52展と比較的コンパクトなものなので図録もコンパクトになっている。内容は作品と解説が見開きになっている通常のスタイル。写真の色の再現性は悪くはないと思う。印象派から20世紀前半までの絵画を駆け足で振り返るにしても作品数は少ないという思いはあるが、図録の中ではそこら辺をデトロイト美術館名誉館長のビール氏と千足伸行氏の読み応えのある論文でカバーしている感じがある。

デトロイト美術館展
上野の森美術館
2016年10月7日~1月21日

[感想メモ]
上野の森美術館は今年はポール・スミス展に続いて、このデトロイト美術館展で二回目。この美術館の展示スペース自体があまり広くはないので(とは言っても山種美術館や太田美術館などよりは広いと思う)展示作品数は50点ちょっと。その範囲で印象派から20世紀前半までを駆け足で廻るような慌ただしさはあるけど、考えようによっては厳選された作品を一点一点じっくりと見る良い機会ではあるかもしれない。
特に今回少ない展示数の中でもドイツ表現主義を中心とする20世紀のドイツ絵画が10点強展示されているので、見方によっては今後の近代フランス絵画以外への興味の足がかりとなるかもしれない。


[デトロイト美術館展 My Best5]
①肘掛け椅子の女性/パブロ・ピカソ(No.45)…一口にピカソが好きだと言っても、ピカソの画風は時代によって千変万化するので難しい。ぼくはどちらかと言えば青の時代やこの古典主義様式時代の作品が好きだ。この作品の実物は初めて見たけれど、実に堂々としている。骨太な骨格の女性像はどこか神々しくてそれでいて全てを優しく包み込むような母性のようなものを感じる。この絵を観られただけでも元はとれたかなと…。

②エルサレムの眺め/オスカー・ココシュカ(No.35)…会場には日本ではあまり見られないドイツ表現主義の絵画も何点かあったが、その一画にココシュカの絵も二点ほどあった。ココシュカは人物画が多いように思うけど、ぼくはどちらかと言えば彼の風景画の方が好きだ。展示されていたのは「エルベ川、ドレスデン近郊」と本作の二点とも風景画でぼくはどちらも気に入った。こちらの方は横が1.3メーターあまりの大作で、ココシュカ独特の明るい色でエルサレムの街の俯瞰が描かれている。1930年ころの作品なので、この頃には翻弄され続けた女性アルマ・マーラー(マーラーの未亡人)の幻影からやっと抜け出せた頃か。この後ナチスの台頭で彼はプラハに逃れることになるのだけれど。

③犬と女性/ピエール・ボナール(No.24)…ボナールはぼくの大好きな画家の一人。その何とも言えない色彩の取り合わせにいつも魅了されてしまう。本作もアンティミスト(親密派)としてのボナールのいつもの画題通りに妻のマルトを描いている。彼には装飾性の高い作品もあり、変則な縦型の本作もそのような雰囲気を持っている。彼の描き出す日常の場面、日常の光に包まれた静謐な時間に引き付けられてしまう。

④画家の夫人/ポール・セザンヌ(No.15)…セザンヌはリンゴやサント・ヴクィトワール山や妻など同じ画題を繰り返し描いている。画面構成や平面の扱いなど専門的に見れば興味が尽きないし凄い画家でもあるのだろうけれど、ぼくみたいな素人からすると時に退屈な絵に見えないこともない。それは多分良く言えばクール、悪く言えば絵画構成等に傾注して描く対象物への興味なんかあったのだろうかという疑念を抱かせる点にあるのかもしれない。そういう意味では妻もリンゴも同じであったと言えるのかもしれないが、この作品では珍しくその妻そのものへの視線が光っているような気がする。絵には全く興味のなかった妻、夫婦とは名ばかりだったような二人の関係が妻の表情によく表れているような…気がする。

⑤バイオリニストと若い女性/エドガー・ドガ(No.4)…5番目は散々迷った。ルノアールも入っていないし、マチスだって良かった、ジェルヴェクスも捨てがたい。で結局ドガのこの作品となった。というのもこの作品の解説のところにドガの作品と当時台頭しつつあった写真との関係が述べられていたからだ。以前からドガの作品はスナップショットのようだと思っていたんだけれど、ドガも一時は写真機を使って自分で撮っていたこともあるらしい。もちろんそれはドガが写真をなぞったということではなくて、目の前を過ぎてゆく一瞬を捕捉するということを写真の登場によってより明確に意識したということではないかと思っている。

[図録]
174頁。2000円。展示作品数が52展と比較的コンパクトなものなので図録もコンパクトになっている。内容は作品と解説が見開きになっている通常のスタイル。写真の色の再現性は悪くはないと思う。印象派から20世紀前半までの絵画を駆け足で振り返るにしても作品数は少ないという思いはあるが、図録の中ではそこら辺をデトロイト美術館名誉館長のビール氏と千足伸行氏の読み応えのある論文でカバーしている感じがある。

(Okt.2016)
gillman*s Museum ゴッホとゴーギャン展
■Museum of the Month

[感想メモ]
最近見たゴッホ展、ゴーギャン展といえば、2009年の東京国立近代美術館での「ゴーギャン展」、2010年の国立新美術館での「没後120年 ゴッホ展」、2013年の宮城県美術館での「ゴッホ 空白のパリ時代を追う」だったけど、今回はその二人の画家の共同展覧会ということで期待していた。ゴッホもゴーギャンも今やとてもポピュラーな画家だけれど色々な切り口があって興味の尽きない作家なのでその点でもよかった。
二人の共同生活とそれが破たんしたこともよく知られていることだけれど、性格の問題だけでなく今回の展覧会で展示作品を通して二人の絵画の何が違うのかおぼろげながら見えてくるような気がした。特に展示会場の中に設けられた二人の作品を対峙させたコーナーなどは絵画の表現の違いが肌で感じられてとても良かった。当日は午前中に行ったからか並ぶこともなく比較的ゆっくりと観ることができた。
[ゴッホとゴーギャン展 My Best5]
①恋する人(ミリエ少尉の肖像)/ゴッホ(No.41)…ゴッホに魅力を感じる点は人によってそれぞれだと思う。その独特な筆致や色彩そしてテーマ、生き方等など。ぼくはその中でも特に彼の色彩に魅力を感じている。
この絵はぼくにとってその最も顕著な作品だ。この絵をクレラーミュラー美術館で初めて見たとき、背景の緑の美しさに胸が苦しくなるような思いをした。今回もまたそんな気分に襲われた。
この何とも言えない色彩は残念ながら今回の図録でも、クレラーミュラー美術館でもとめた図録でも再現はされていない。というか全く異なる色になっている。現物を見るしかないので…今回が見納めかなぁ。

②タマネギの皿のある部屋/ゴッホ(No.51) vs. ハム/ゴーギャン(No.60)…今回の展覧会ではゴッホとゴーギャンの絵画のあり方の違いを浮き彫りにするために二人の絵を並べて対比しているコーナーが二か所ほどあったように思う。これはそのひとつ。静物画における二人のあり様の違いを示している。
まずゴッホのタマネギ…の方については観るのはクレラーミュラー美術館と先年の国立新美術館でのゴッホ展に続いて三度目となるけど、観るたびにそのピュアーな色彩に引き込まれる。これも残念ながら印刷では再現しにくい色だ。絵が光を放っているような明るい、そして混じりけのない画面。描かれた静物一つ一つにゴッホにとっての意味が込められている。
それに対してゴーギャンのハム。もしかしたらぼくはゴーギャンの絵の中でこれが一番好きかもしれない。色は紛れもなくゴーギャンの色になっているが、構図はセザンヌのようで、しかしそれほどには冷たくなく、静かな音楽のようだ。ゴッホのようには描かれた静物自体には何の思い入れもなくハムはあくまでハムなのだけれど、描かれたものからはもっと別なものが伝わってくる。

③アルルの洗濯女/ゴーギャン(No.50)…アルルの洗濯する女をゴーギャンは二点描いているけど、一点は2009年に東京国立近代美術館で開かれたゴーギャン展で観たことがある。今回のアルルの洗濯女はもう一点の方なのだけれど、先の絵が四人の洗濯女が並んで川で洗濯している図柄であるのに対し、こちらは一人の洗濯女とそれを見つめるもう一人の洗濯女を俯瞰的な構図で描いている。画面には殆ど直線がなくすべてが波打っている。色彩とフォルムがうまく共鳴しあってコンポジションのような感じもする。ゴッホはこの絵の制作過程も見ていたようで絶賛している。

④収穫/ゴッホ(No.37) vs. ブドウの収穫/ゴーギャン(No.49)…これも二人の作品を対峙させる形での展示の一つ。先の静物画における対比に対してこちらは各々の自信作での対峙と言っていいかもしれない。ゴッホの収穫の方は青い空と明るいオレンジがかった黄色の対比が初夏の田園風景を引き立たせている。ゴッホ自身が自信作というだけあってとても安定した構図など彼の心理面での充実ぶりを示していると思った。
それに対し、ブドウの収穫も同じ田園の収穫の場面を扱っているが、ゴッホの作品が見たものが比較的ストレートに表出されているのに対し、ゴーギャンの作品は絵のタイトルが不釣り合いなほどに陰鬱な雰囲気を醸し出している。画面の中央を占める両手で頬杖をついている女のポーズなどはペルーのミイラから発想したともいわれている。ゴーギャンは情景そのものを写し取るというよりは画面の要素に意味を象徴させるような象徴主義的な表現に傾倒してゆく。ゴーギャンは本作品を自信作とみなしていた。

⑤渓谷(レ・ペイルレ)/ゴッホ(No.56)…この絵も2010年に国立新美術館で開かれたゴッホ展以来である。その時は「渓谷の小道」という題で展示されていた。一目見てその異様な画面に引き付けられる。この作品はゴッホが施療院に入院している間に外出許可をもらい描いたらしいのだが、新たな表現に挑もうとする情熱みたいなのが伝わってくる。この曲がりくねった曲線は手の訓練のためでもあったらしい。

[図録]
159頁。2200円。ゴッホについてもゴーギャンについても印刷で色を忠実に出すことは至難の業だと思う。今回特にそのことを実感した。出来れば実物の印象をしっかりと脳裏に植え付けて図録を観るときはその記憶で補うということが望ましいと思う…のだけど、中々できないのでやっぱり出来るだけちゃんと再現して欲しいなぁと。ということで色味は別としても随所に丁寧な解説もあって読み物としても面白かった。

[After]
東京都美術館の中のレストランも展覧会とリンクしたメニューを提供するなどして頑張っている。今回は食事と昼飲みを兼ねて御徒町駅前の吉池食堂まで足を延ばした。ユニクロの最上階にあるレストランは今や昼飲みのメッカみたいで刺身をつまみにスカイツリーを見ながらビールという客で大盛況。ぼくは軽くビールとイクラさけオムレツを。これは美味でした。


ゴッホとゴーギャン
東京都美術館
2016年10月8日~12月8日

[感想メモ]
最近見たゴッホ展、ゴーギャン展といえば、2009年の東京国立近代美術館での「ゴーギャン展」、2010年の国立新美術館での「没後120年 ゴッホ展」、2013年の宮城県美術館での「ゴッホ 空白のパリ時代を追う」だったけど、今回はその二人の画家の共同展覧会ということで期待していた。ゴッホもゴーギャンも今やとてもポピュラーな画家だけれど色々な切り口があって興味の尽きない作家なのでその点でもよかった。
二人の共同生活とそれが破たんしたこともよく知られていることだけれど、性格の問題だけでなく今回の展覧会で展示作品を通して二人の絵画の何が違うのかおぼろげながら見えてくるような気がした。特に展示会場の中に設けられた二人の作品を対峙させたコーナーなどは絵画の表現の違いが肌で感じられてとても良かった。当日は午前中に行ったからか並ぶこともなく比較的ゆっくりと観ることができた。
[ゴッホとゴーギャン展 My Best5]
①恋する人(ミリエ少尉の肖像)/ゴッホ(No.41)…ゴッホに魅力を感じる点は人によってそれぞれだと思う。その独特な筆致や色彩そしてテーマ、生き方等など。ぼくはその中でも特に彼の色彩に魅力を感じている。
この絵はぼくにとってその最も顕著な作品だ。この絵をクレラーミュラー美術館で初めて見たとき、背景の緑の美しさに胸が苦しくなるような思いをした。今回もまたそんな気分に襲われた。
この何とも言えない色彩は残念ながら今回の図録でも、クレラーミュラー美術館でもとめた図録でも再現はされていない。というか全く異なる色になっている。現物を見るしかないので…今回が見納めかなぁ。

②タマネギの皿のある部屋/ゴッホ(No.51) vs. ハム/ゴーギャン(No.60)…今回の展覧会ではゴッホとゴーギャンの絵画のあり方の違いを浮き彫りにするために二人の絵を並べて対比しているコーナーが二か所ほどあったように思う。これはそのひとつ。静物画における二人のあり様の違いを示している。
まずゴッホのタマネギ…の方については観るのはクレラーミュラー美術館と先年の国立新美術館でのゴッホ展に続いて三度目となるけど、観るたびにそのピュアーな色彩に引き込まれる。これも残念ながら印刷では再現しにくい色だ。絵が光を放っているような明るい、そして混じりけのない画面。描かれた静物一つ一つにゴッホにとっての意味が込められている。
それに対してゴーギャンのハム。もしかしたらぼくはゴーギャンの絵の中でこれが一番好きかもしれない。色は紛れもなくゴーギャンの色になっているが、構図はセザンヌのようで、しかしそれほどには冷たくなく、静かな音楽のようだ。ゴッホのようには描かれた静物自体には何の思い入れもなくハムはあくまでハムなのだけれど、描かれたものからはもっと別なものが伝わってくる。

③アルルの洗濯女/ゴーギャン(No.50)…アルルの洗濯する女をゴーギャンは二点描いているけど、一点は2009年に東京国立近代美術館で開かれたゴーギャン展で観たことがある。今回のアルルの洗濯女はもう一点の方なのだけれど、先の絵が四人の洗濯女が並んで川で洗濯している図柄であるのに対し、こちらは一人の洗濯女とそれを見つめるもう一人の洗濯女を俯瞰的な構図で描いている。画面には殆ど直線がなくすべてが波打っている。色彩とフォルムがうまく共鳴しあってコンポジションのような感じもする。ゴッホはこの絵の制作過程も見ていたようで絶賛している。

④収穫/ゴッホ(No.37) vs. ブドウの収穫/ゴーギャン(No.49)…これも二人の作品を対峙させる形での展示の一つ。先の静物画における対比に対してこちらは各々の自信作での対峙と言っていいかもしれない。ゴッホの収穫の方は青い空と明るいオレンジがかった黄色の対比が初夏の田園風景を引き立たせている。ゴッホ自身が自信作というだけあってとても安定した構図など彼の心理面での充実ぶりを示していると思った。
それに対し、ブドウの収穫も同じ田園の収穫の場面を扱っているが、ゴッホの作品が見たものが比較的ストレートに表出されているのに対し、ゴーギャンの作品は絵のタイトルが不釣り合いなほどに陰鬱な雰囲気を醸し出している。画面の中央を占める両手で頬杖をついている女のポーズなどはペルーのミイラから発想したともいわれている。ゴーギャンは情景そのものを写し取るというよりは画面の要素に意味を象徴させるような象徴主義的な表現に傾倒してゆく。ゴーギャンは本作品を自信作とみなしていた。

⑤渓谷(レ・ペイルレ)/ゴッホ(No.56)…この絵も2010年に国立新美術館で開かれたゴッホ展以来である。その時は「渓谷の小道」という題で展示されていた。一目見てその異様な画面に引き付けられる。この作品はゴッホが施療院に入院している間に外出許可をもらい描いたらしいのだが、新たな表現に挑もうとする情熱みたいなのが伝わってくる。この曲がりくねった曲線は手の訓練のためでもあったらしい。

[図録]
159頁。2200円。ゴッホについてもゴーギャンについても印刷で色を忠実に出すことは至難の業だと思う。今回特にそのことを実感した。出来れば実物の印象をしっかりと脳裏に植え付けて図録を観るときはその記憶で補うということが望ましいと思う…のだけど、中々できないのでやっぱり出来るだけちゃんと再現して欲しいなぁと。ということで色味は別としても随所に丁寧な解説もあって読み物としても面白かった。

[After]
東京都美術館の中のレストランも展覧会とリンクしたメニューを提供するなどして頑張っている。今回は食事と昼飲みを兼ねて御徒町駅前の吉池食堂まで足を延ばした。ユニクロの最上階にあるレストランは今や昼飲みのメッカみたいで刺身をつまみにスカイツリーを見ながらビールという客で大盛況。ぼくは軽くビールとイクラさけオムレツを。これは美味でした。


(Okt.2016)
gillman*s Museum カリエール展
■Museum of the Month

[感想メモ]
カリエールはこの展覧会のサブタイトルにもなっている「セピア色の想い」ということでもわかるように、セピア色の濃淡で象徴主義的な表現をする絵画で知られている。会場には90点近くが展示されていたけれど、ほぼ全ての絵がセピア色のものだ。こういう展覧会も珍しいかもしれない。カリエールの展覧会はたしか2006年位に西洋美術館で友人だったロダンの作品との共同展示の展覧会があって以来だと思う。
正直言ってカリエールの絵は見ていて気持ちが浮き立つという類の絵ではないと思うけれど、その独特の空気感というか今回の図録の中でフランス文化庁のラペッティ氏がいみじくも言っているように「現実の幻視者」という表現が言い当てているような現実離れした浮遊感がある。カリエールはあの陶磁器のような肌のヴィーナス「ヴィーナスの誕生」を描いたアレキサンドル・カバネルの弟子なのだけれど、その絵画世界はなんとかけ離れていることか。カバネルのやはり弟子のラファエル・コランそしてその弟子の黒田清輝のあの明るい絵の世界と比べてみてもいかにもその表現は特異だ。
カリエールの表現はどうやらイギリスにいるときにイギリス絵画の巨匠ターナーの影響を受けたらしい。言われてみると確かに、霧のような空気のようなあの光を吸い込んでしまうような画面は共通点を持っているかもしれない。色を失ったのは長男の死によるともいわれている。しかし、今回彼の絵をずっと観ていて感じたのはターナーよりも、例えばデンマークの画家ヴィルヘルム・ハンマースホイのような自己の中に沈潜してゆく世界だった。今回の展示は特にカリエール家の所有ものや個人蔵で彼の家族を描いた絵が中心になっているということも影響していてるかも知れない。そこに家の中でずっと妻のイーダを描き続けたハンマースホイに通じるものを感じたのかもしれない。やはり一般的でないのか、会場に人はまばらだった。
[カリエール展 My Best 5]
①手紙(No.17)…描かれたのは1887年頃とされるので手紙を読んでいるのは妻のソフィー、女の子は長女かもしれない。エリーズはこの頃ちょうど10歳くらいだったはずだ。この絵では二人の女性をとりまくセピア色は何とも暖かく、優しい空気の色をしている。

②子供を抱くエリーズ(No.14)…エリーズというのはカリエールの7人いた子供の中の長女。幼な子がむずかってかエリーズの顔に手をやろうとしているところをあやしている。図録の表紙にもなっているが女性と子供の顔周辺のみが浮き上がって、子供の体を横切っているのが椅子なのか、紐なのかさえ判然としない。

③ポール・ガリマール夫人の肖像(N0.37)…この絵は今回展示されている絵の中では一番明るい色が使われているかもしれない。と言ってもその明るい色とは夫人の靴、コサージュと花にあしらわれた淡いピンクなのだけれど。夫人の体は大きく傾いで、まるで空中を浮遊しているようだ。

④風景(No.54)…大きさはせいぜいハガキ二枚くらいの大きさだと思う。例によってこれもセピア色の風景だ。Y字に分かれた道の向こうに屋敷森と小さな家が見える。ボヤっとしてどこかピンホールカメラで撮影した古い写真のようだ。会場にはこんな風景画が何枚か並んでいる。じっと見ているとあのムンクの絵「叫び」の溶けてゆく背景のようにも見えてくる。

⑤女性の肖像(No.68)…会場のなかでは大型の方だ。セピア色の画面の中に頬杖をついた中年の女性が椅子に腰かけている。その顔には微すかに笑みが浮かんでいるが、両手の指の先は奇妙なほどにとんがっていて、まるで爬虫類の爪のようにも見える。何かのメタファーなのだろうか。

[図録]
127頁。2200円。大判の図録で基本的には図録の本来の役目である絵そのものの提示に徹している。個々の作品の解説はない。シンプルといえばシンプルだが、一般的にはあまり知られていない画家なのでこの機会にもう少し丁寧に解説してほしかったという気はする。尤もこの図録を作るだけでもかなりの資金的負担にはなったと思うのだけれど。

[After]
この美術館は高層ビルの42階にあるので、極度の高所恐怖症のぼくにとってはこの美術館を訪れることだけでも決心がいるのだけど。しかし、この美術館から新宿の街を見下ろすのを密かに期待もしている。とくに遠くにスカイツリーを望む夕景は見ていて飽きない。夕日に照らされた暮れなずむ新宿の街は実に美しい。

没後100年 カリエール展
~セピア色の想い~
損保ジャパン日本興亜美術館
2016年9月10日~11月20日

[感想メモ]
カリエールはこの展覧会のサブタイトルにもなっている「セピア色の想い」ということでもわかるように、セピア色の濃淡で象徴主義的な表現をする絵画で知られている。会場には90点近くが展示されていたけれど、ほぼ全ての絵がセピア色のものだ。こういう展覧会も珍しいかもしれない。カリエールの展覧会はたしか2006年位に西洋美術館で友人だったロダンの作品との共同展示の展覧会があって以来だと思う。
正直言ってカリエールの絵は見ていて気持ちが浮き立つという類の絵ではないと思うけれど、その独特の空気感というか今回の図録の中でフランス文化庁のラペッティ氏がいみじくも言っているように「現実の幻視者」という表現が言い当てているような現実離れした浮遊感がある。カリエールはあの陶磁器のような肌のヴィーナス「ヴィーナスの誕生」を描いたアレキサンドル・カバネルの弟子なのだけれど、その絵画世界はなんとかけ離れていることか。カバネルのやはり弟子のラファエル・コランそしてその弟子の黒田清輝のあの明るい絵の世界と比べてみてもいかにもその表現は特異だ。
カリエールの表現はどうやらイギリスにいるときにイギリス絵画の巨匠ターナーの影響を受けたらしい。言われてみると確かに、霧のような空気のようなあの光を吸い込んでしまうような画面は共通点を持っているかもしれない。色を失ったのは長男の死によるともいわれている。しかし、今回彼の絵をずっと観ていて感じたのはターナーよりも、例えばデンマークの画家ヴィルヘルム・ハンマースホイのような自己の中に沈潜してゆく世界だった。今回の展示は特にカリエール家の所有ものや個人蔵で彼の家族を描いた絵が中心になっているということも影響していてるかも知れない。そこに家の中でずっと妻のイーダを描き続けたハンマースホイに通じるものを感じたのかもしれない。やはり一般的でないのか、会場に人はまばらだった。
[カリエール展 My Best 5]
①手紙(No.17)…描かれたのは1887年頃とされるので手紙を読んでいるのは妻のソフィー、女の子は長女かもしれない。エリーズはこの頃ちょうど10歳くらいだったはずだ。この絵では二人の女性をとりまくセピア色は何とも暖かく、優しい空気の色をしている。

②子供を抱くエリーズ(No.14)…エリーズというのはカリエールの7人いた子供の中の長女。幼な子がむずかってかエリーズの顔に手をやろうとしているところをあやしている。図録の表紙にもなっているが女性と子供の顔周辺のみが浮き上がって、子供の体を横切っているのが椅子なのか、紐なのかさえ判然としない。

③ポール・ガリマール夫人の肖像(N0.37)…この絵は今回展示されている絵の中では一番明るい色が使われているかもしれない。と言ってもその明るい色とは夫人の靴、コサージュと花にあしらわれた淡いピンクなのだけれど。夫人の体は大きく傾いで、まるで空中を浮遊しているようだ。

④風景(No.54)…大きさはせいぜいハガキ二枚くらいの大きさだと思う。例によってこれもセピア色の風景だ。Y字に分かれた道の向こうに屋敷森と小さな家が見える。ボヤっとしてどこかピンホールカメラで撮影した古い写真のようだ。会場にはこんな風景画が何枚か並んでいる。じっと見ているとあのムンクの絵「叫び」の溶けてゆく背景のようにも見えてくる。

⑤女性の肖像(No.68)…会場のなかでは大型の方だ。セピア色の画面の中に頬杖をついた中年の女性が椅子に腰かけている。その顔には微すかに笑みが浮かんでいるが、両手の指の先は奇妙なほどにとんがっていて、まるで爬虫類の爪のようにも見える。何かのメタファーなのだろうか。

[図録]
127頁。2200円。大判の図録で基本的には図録の本来の役目である絵そのものの提示に徹している。個々の作品の解説はない。シンプルといえばシンプルだが、一般的にはあまり知られていない画家なのでこの機会にもう少し丁寧に解説してほしかったという気はする。尤もこの図録を作るだけでもかなりの資金的負担にはなったと思うのだけれど。

[After]
この美術館は高層ビルの42階にあるので、極度の高所恐怖症のぼくにとってはこの美術館を訪れることだけでも決心がいるのだけど。しかし、この美術館から新宿の街を見下ろすのを密かに期待もしている。とくに遠くにスカイツリーを望む夕景は見ていて飽きない。夕日に照らされた暮れなずむ新宿の街は実に美しい。

(Okt, 2016)
gillman*s Museum 鈴木其一展
■ Museum of the Month

[感想メモ]
世界でも稀な400年も続いた絵師集団である狩野派が、時の権力者と共に歩みその系図を重んじたのに対し、片ややはり300年間紆余曲折を経ながらも続いてきた琳派は系図ではなくひとえにその共通した美意識で繋がっている。
数年前、熱海のMOA美術館で尾形光琳の「紅白梅図屏風」と「燕子花図屏風」が並んでいたのを目にした時の驚きは忘れられない。同時にその時ぼくの脳裏に去来した何とも贅沢な願望は、この光琳の「燕子花図屏風」と鈴木其一の「朝顔図屏風」を並べて観てみたいというものだった。
もちろん、それは望むべくも無いけれど、今日鈴木其一の「朝顔図屏風」の前に立って熱海の時の感動に近いものが蘇ってきた。あの光琳から百年、琳派の美意識はより鮮明になって其一に生き続けており、それはきっと今でも日本人の美意識の一つの底流となって生きているに違いないと思った。
今回の展覧会は5つの展示期間、大きくは2つ位いの期間に分けて展示替えが行われるので注意が必要だ。目玉展示の「朝顔図屏風」は全期間を通じて展示されるが、宗達から連綿と続くあの「風神、雷神図」の其一ヴァージョンは10月5日からの展示になるし、他の作品の大半も展示替えになる。という事はまんべんなく観ようと思ったら二度行かなければならないかも知れない。
[鈴木其一展 My Best 5 (前期)]
①朝顔図屏風(No.67)…まるで空中を浮遊しているような朝顔の群像。以前見た光琳の「燕子花図屏風」と色使いや極めて洗練されたデザイン画のような点では似ているのだけれど、光琳の燕子花図がまだ伊勢物語という文学的背景を背負っているのに対し、其一の朝顔は純粋に意匠的なもののように思われる。ずっと頭の中で思い描いていた朝顔図よりはるかにモダンで正にRIMPAという感じだった。
②三十六歌仙図(No.187)…三十六歌仙という画題は琳派に伝承されているものらしいのだけど、この三十六歌仙は掛軸の表装部分までデザイン化する描表装という手法と相まって、そのまま現代美術館に飾ってもなんら違和感が無い程今日的だ。色彩、構図どれをとってもこれが十九世紀に描かれたものとは思えない程。
③木蓮小禽図(No.51)…もちろん、其一の作品は超モダンなものだけが好いのではない。伝統にのっとった賛が入った掛け軸だって素晴らしいものがある。一見地味な掛け軸だけれど、木蓮の花の質感・存在感が素晴らしい。残念ながら図録ではその良さが全くと言っていいほど伝わって来ない。一羽の鶯がどこにいるか探してみるのも楽しみ。
④芒野図屏風(No.50)…師の抱一ゆずりの銀箔の使い方が実に渋い。二曲一隻の屏風に一面芒(すすき)が生い茂っている。月光に芒が照らされ、所々に霞が立ち込めている。なんとも幽玄なシーンだが、画面自体は素晴らしいPOPアートになっている。
⑤十二ヶ月花鳥図扇面(No.131)…これはファインバーグ・コレクションの所有だが、扇面画十二枚がセットになっている。全体に淡い色調で紙に折り目がついていることから実際に扇子に仕立てられていたらしい。とすればなんとも贅沢で素敵な扇子だ。何よりも目を見張ったのは、その構図。小さな扇なのに絵はその外の大きな世界にシームレスに続いているように見える。
[図録]
340頁。2800円。図録を見るとその展覧会への意気込みが伝わってくることもあるが、今回はそんな図録の一つと言えるかもしれない。300頁超えという持って帰るにはちと重すぎるボリュームにもそれが現れている。構成はいたって標準的なもので、作品の写真と巻末にその解説が載っている。
今までの日本美術の展覧会の図録では三井記念美術館での「北大路魯山人の美 和食の天才展」の図録が最も気に入っているけれど、あそこまでの遊びは無くても好いけど、340頁もあるのだからもう少し遊んでほしかったと思う。とは言え、学術的にも素晴らしいものだと思う。

鈴木其一展
~江戸琳派の旗手~
サントリー美術館
2016年9月10日~10月30日

[感想メモ]
世界でも稀な400年も続いた絵師集団である狩野派が、時の権力者と共に歩みその系図を重んじたのに対し、片ややはり300年間紆余曲折を経ながらも続いてきた琳派は系図ではなくひとえにその共通した美意識で繋がっている。
数年前、熱海のMOA美術館で尾形光琳の「紅白梅図屏風」と「燕子花図屏風」が並んでいたのを目にした時の驚きは忘れられない。同時にその時ぼくの脳裏に去来した何とも贅沢な願望は、この光琳の「燕子花図屏風」と鈴木其一の「朝顔図屏風」を並べて観てみたいというものだった。
もちろん、それは望むべくも無いけれど、今日鈴木其一の「朝顔図屏風」の前に立って熱海の時の感動に近いものが蘇ってきた。あの光琳から百年、琳派の美意識はより鮮明になって其一に生き続けており、それはきっと今でも日本人の美意識の一つの底流となって生きているに違いないと思った。
今回の展覧会は5つの展示期間、大きくは2つ位いの期間に分けて展示替えが行われるので注意が必要だ。目玉展示の「朝顔図屏風」は全期間を通じて展示されるが、宗達から連綿と続くあの「風神、雷神図」の其一ヴァージョンは10月5日からの展示になるし、他の作品の大半も展示替えになる。という事はまんべんなく観ようと思ったら二度行かなければならないかも知れない。
[鈴木其一展 My Best 5 (前期)]
①朝顔図屏風(No.67)…まるで空中を浮遊しているような朝顔の群像。以前見た光琳の「燕子花図屏風」と色使いや極めて洗練されたデザイン画のような点では似ているのだけれど、光琳の燕子花図がまだ伊勢物語という文学的背景を背負っているのに対し、其一の朝顔は純粋に意匠的なもののように思われる。ずっと頭の中で思い描いていた朝顔図よりはるかにモダンで正にRIMPAという感じだった。
②三十六歌仙図(No.187)…三十六歌仙という画題は琳派に伝承されているものらしいのだけど、この三十六歌仙は掛軸の表装部分までデザイン化する描表装という手法と相まって、そのまま現代美術館に飾ってもなんら違和感が無い程今日的だ。色彩、構図どれをとってもこれが十九世紀に描かれたものとは思えない程。
③木蓮小禽図(No.51)…もちろん、其一の作品は超モダンなものだけが好いのではない。伝統にのっとった賛が入った掛け軸だって素晴らしいものがある。一見地味な掛け軸だけれど、木蓮の花の質感・存在感が素晴らしい。残念ながら図録ではその良さが全くと言っていいほど伝わって来ない。一羽の鶯がどこにいるか探してみるのも楽しみ。
④芒野図屏風(No.50)…師の抱一ゆずりの銀箔の使い方が実に渋い。二曲一隻の屏風に一面芒(すすき)が生い茂っている。月光に芒が照らされ、所々に霞が立ち込めている。なんとも幽玄なシーンだが、画面自体は素晴らしいPOPアートになっている。
⑤十二ヶ月花鳥図扇面(No.131)…これはファインバーグ・コレクションの所有だが、扇面画十二枚がセットになっている。全体に淡い色調で紙に折り目がついていることから実際に扇子に仕立てられていたらしい。とすればなんとも贅沢で素敵な扇子だ。何よりも目を見張ったのは、その構図。小さな扇なのに絵はその外の大きな世界にシームレスに続いているように見える。
[図録]
340頁。2800円。図録を見るとその展覧会への意気込みが伝わってくることもあるが、今回はそんな図録の一つと言えるかもしれない。300頁超えという持って帰るにはちと重すぎるボリュームにもそれが現れている。構成はいたって標準的なもので、作品の写真と巻末にその解説が載っている。
今までの日本美術の展覧会の図録では三井記念美術館での「北大路魯山人の美 和食の天才展」の図録が最も気に入っているけれど、あそこまでの遊びは無くても好いけど、340頁もあるのだからもう少し遊んでほしかったと思う。とは言え、学術的にも素晴らしいものだと思う。

(Sept.2016)
gillman*s Museum マーガレット・キャメロン展
■Museum of the Month

写真を観るのも、下手の横好きで撮るのも好きなのだけれど、マーガレット・キャメロンの写真を観るについてぼくらの頭に入れておかなければいけない事が幾つかあると思う。彼女が生まれた1815年は日本では文化12年、杉田玄白が蘭学事始めを著した頃だ。
そして彼女が50歳を目前にして娘に貰ったカメラで写真を撮り始めたのが1863年頃、日本で言えば文久2年、その年は奇しくも日本の写真の先駆者下岡蓮杖が横浜の野毛に写真館を開いた年でもある。その頃の蓮杖はもちろん写真家ではなく「写真師」と呼ばれていたはずだ。要はそういう時代である。
彼女の肖像写真の何枚かにはぼくらも知っている詩人テニスンや画家の弟で美術評論家のウィリアム・ロセッティなどの記録的にも貴重なものが含まれているけど、大抵は彼女の身の回りの人間をピクトリアリズム(Pictorealism)風に、即ち古典的絵画様式に似せて撮っている。
ぼくは正直言って、これよりもっと後のスティーグリッツとかラルティーグとかブレッソンの作品の方が観ていてずっと楽しいのだけれど…。もちろん彼女の写真には、専門家が見れば上流階級のマダムの余技と片付けるには余りにも超時代的な要素が含まれているのだと思う。ぼくにはそこら辺はよく分からないのだけれど、とにかく写真を撮ること自体が面白くて仕方がないと言う写真創世記のワクワク感はビンビンと伝わって来た。尚、展示会場には二部屋程フラッシュなしでの作品撮影が許されている場所があったので他の人の迷惑にならない範囲なら撮影できるのが気が利いていてよかった。

[キャメロン展 My Best 5]
①ベアトリーチェ(No.65)…ピクトリアリズム時代の傑作だと思う。はじめはダンテの「神曲」で煉獄山の頂上でダンテを迎えるベアトリーチェかと思ったら、16世紀に実在した悲劇の娘ベアトリーチェ・チェンチらしい。貴族の父の暴力に耐えかねついに父を殺害し自らも死刑になってしまう悲劇の女性。ルネサンスのボッティチェリの絵画に出てくる女性のようだ。衣服は少しぼけて、悲しげな表情にピントが合っている。当時は実在のモデルを歴史上の人物として撮影したことが批判されたらいしが、ポートレート写真としても優れていると思う。モデルはキャメロンの姪(養子のようだ)にあたるメイ・プリンセプ。後に詩人テニスンの子息の妻となる。キャメロン展のポスターにも使われている。(図録表紙写真)
②修道士ロレンツォとジュリエット(No.73)…色彩こそモノクロだけど、一目見ただけでラファエル前派の絵画の作風を写真化したんじゃないかと思ってしまう。キャメロンの交友関係にラファエル前派の画家ロセッティの弟で美術評論家のウィリアム・ロセッティもいたことから十分考えられると思う。ジュリエットの表情なぞまさにそれだ。(写真) モデルはキャメロン邸の小間使いメアリ・ライアン。メアリはロンドン郊外で物乞いをしていたところを、その美しさに打たれてキャメロンが自宅に連れてきて雇い、教養もつけさせた。最終的には貴族に見初められてその妻となったらしい。
③ジュリア・ジャクスン(No.66)…ピクトリアリズムの枠組みになぞらえた肖像写真が多い中、これはキャメロンの姪であるジュリア・ジャクスンを個人そのままにとらえた肖像写真。真正面からカメラをしっかりと見つめてその女性の芯の強さを表している。ジュリア・ジャクソンはキャメロン自身が名付け親になっており、可愛がっていた。彼女はラファエル前派の画家エドワード・バーン=ジヨーンズの絵画「受胎告知」のマリアのモデルにもなっている。彼女は嫁ぎ先で夫とすぐに死別、その後再婚して後に著名な小説家となったヴァージニア・ウルフを生む。
④シャーロット・ノーマン(No.111)…キャメロンの写真の中には素人写真家ならではの失敗や技術の未熟さもあったようで、ご多分に漏れずそこら辺が当時の批評家たちの非難の的にもなった。しかしそのうちキャメロンはそれらの失敗は新しい表現に結びつくことに気が付き始める。ある批評家はそれに触れて「失敗が成功だったことに気づき、それ以降は焦点の外れた肖像写真を計画的に作り出すという明敏さをもった最初の人物」と明言した。このシャーロット・ノーマンの写真もそうした失敗写真コーナーに飾られている。いわゆるアトピンといわれる手前がぼけていて向こうに居る少女の顔にだけピントがあっている。今では当たり前の画面だけれど…。これはレンズというよりも現像処理段階でのムラから発したらしい。
⑤アメリカの芸術家ジョージア・オキーフの肖像2(No.119)/アルフレッド・スティーグリッツ…これはキャメロンの作品ではなく、それから40年以上後のスティーグリッツの作品。ここら辺に来るとフォーカスも安定していてちょっとほっとする。スティーグリッツも最初はピクトリアリズムからスタートしたけれど後にストレートな写真に移っている。スティーグリッツは絵画に隷属するようなメディアとしての写真を自立した表現手段として発展させていったように思う。

[図録]
221頁。2300円。写真史にあまり興味のない人にとっては正直言って持て余す感じかもしれない。中に掲載されている作品の写真は正直言って会場に展示されていた実物の写真よりも見易い。それは多分印刷することで若干コントラストが強められるなど細部が判別しやすくなっているからかもしれない。

[After]
帰りはいつも美術館カフェのCafe1894で休んでいくのだけれど、昨日はパーティーかなんかで4時から貸切。入れなくて残念。
マーガレット・キャメロン展
三菱一号館美術館
2016年7月2日~9月19日

写真を観るのも、下手の横好きで撮るのも好きなのだけれど、マーガレット・キャメロンの写真を観るについてぼくらの頭に入れておかなければいけない事が幾つかあると思う。彼女が生まれた1815年は日本では文化12年、杉田玄白が蘭学事始めを著した頃だ。
そして彼女が50歳を目前にして娘に貰ったカメラで写真を撮り始めたのが1863年頃、日本で言えば文久2年、その年は奇しくも日本の写真の先駆者下岡蓮杖が横浜の野毛に写真館を開いた年でもある。その頃の蓮杖はもちろん写真家ではなく「写真師」と呼ばれていたはずだ。要はそういう時代である。
彼女の肖像写真の何枚かにはぼくらも知っている詩人テニスンや画家の弟で美術評論家のウィリアム・ロセッティなどの記録的にも貴重なものが含まれているけど、大抵は彼女の身の回りの人間をピクトリアリズム(Pictorealism)風に、即ち古典的絵画様式に似せて撮っている。
ぼくは正直言って、これよりもっと後のスティーグリッツとかラルティーグとかブレッソンの作品の方が観ていてずっと楽しいのだけれど…。もちろん彼女の写真には、専門家が見れば上流階級のマダムの余技と片付けるには余りにも超時代的な要素が含まれているのだと思う。ぼくにはそこら辺はよく分からないのだけれど、とにかく写真を撮ること自体が面白くて仕方がないと言う写真創世記のワクワク感はビンビンと伝わって来た。尚、展示会場には二部屋程フラッシュなしでの作品撮影が許されている場所があったので他の人の迷惑にならない範囲なら撮影できるのが気が利いていてよかった。

[キャメロン展 My Best 5]
①ベアトリーチェ(No.65)…ピクトリアリズム時代の傑作だと思う。はじめはダンテの「神曲」で煉獄山の頂上でダンテを迎えるベアトリーチェかと思ったら、16世紀に実在した悲劇の娘ベアトリーチェ・チェンチらしい。貴族の父の暴力に耐えかねついに父を殺害し自らも死刑になってしまう悲劇の女性。ルネサンスのボッティチェリの絵画に出てくる女性のようだ。衣服は少しぼけて、悲しげな表情にピントが合っている。当時は実在のモデルを歴史上の人物として撮影したことが批判されたらいしが、ポートレート写真としても優れていると思う。モデルはキャメロンの姪(養子のようだ)にあたるメイ・プリンセプ。後に詩人テニスンの子息の妻となる。キャメロン展のポスターにも使われている。(図録表紙写真)
②修道士ロレンツォとジュリエット(No.73)…色彩こそモノクロだけど、一目見ただけでラファエル前派の絵画の作風を写真化したんじゃないかと思ってしまう。キャメロンの交友関係にラファエル前派の画家ロセッティの弟で美術評論家のウィリアム・ロセッティもいたことから十分考えられると思う。ジュリエットの表情なぞまさにそれだ。(写真) モデルはキャメロン邸の小間使いメアリ・ライアン。メアリはロンドン郊外で物乞いをしていたところを、その美しさに打たれてキャメロンが自宅に連れてきて雇い、教養もつけさせた。最終的には貴族に見初められてその妻となったらしい。
③ジュリア・ジャクスン(No.66)…ピクトリアリズムの枠組みになぞらえた肖像写真が多い中、これはキャメロンの姪であるジュリア・ジャクスンを個人そのままにとらえた肖像写真。真正面からカメラをしっかりと見つめてその女性の芯の強さを表している。ジュリア・ジャクソンはキャメロン自身が名付け親になっており、可愛がっていた。彼女はラファエル前派の画家エドワード・バーン=ジヨーンズの絵画「受胎告知」のマリアのモデルにもなっている。彼女は嫁ぎ先で夫とすぐに死別、その後再婚して後に著名な小説家となったヴァージニア・ウルフを生む。
④シャーロット・ノーマン(No.111)…キャメロンの写真の中には素人写真家ならではの失敗や技術の未熟さもあったようで、ご多分に漏れずそこら辺が当時の批評家たちの非難の的にもなった。しかしそのうちキャメロンはそれらの失敗は新しい表現に結びつくことに気が付き始める。ある批評家はそれに触れて「失敗が成功だったことに気づき、それ以降は焦点の外れた肖像写真を計画的に作り出すという明敏さをもった最初の人物」と明言した。このシャーロット・ノーマンの写真もそうした失敗写真コーナーに飾られている。いわゆるアトピンといわれる手前がぼけていて向こうに居る少女の顔にだけピントがあっている。今では当たり前の画面だけれど…。これはレンズというよりも現像処理段階でのムラから発したらしい。
⑤アメリカの芸術家ジョージア・オキーフの肖像2(No.119)/アルフレッド・スティーグリッツ…これはキャメロンの作品ではなく、それから40年以上後のスティーグリッツの作品。ここら辺に来るとフォーカスも安定していてちょっとほっとする。スティーグリッツも最初はピクトリアリズムからスタートしたけれど後にストレートな写真に移っている。スティーグリッツは絵画に隷属するようなメディアとしての写真を自立した表現手段として発展させていったように思う。

[図録]
221頁。2300円。写真史にあまり興味のない人にとっては正直言って持て余す感じかもしれない。中に掲載されている作品の写真は正直言って会場に展示されていた実物の写真よりも見易い。それは多分印刷することで若干コントラストが強められるなど細部が判別しやすくなっているからかもしれない。

[After]
帰りはいつも美術館カフェのCafe1894で休んでいくのだけれど、昨日はパーティーかなんかで4時から貸切。入れなくて残念。
(Aug. 2016)
gillman*s Museum メアリー・カサット展
■Museum of the Month

パリで活躍したアメリカ人の女流画家メアリー・カサットの絵は好きで前から見てみたいと思っていたのだけれどなかなか機会がなく叶わなかった。今回横浜美術館で回顧展が開かれたので期待して行ってみた。
油彩、パステル画、銅版画そして彩色版画と多角的な作品が収められていて、とても楽しめた。会場に入って数点の彼女の作品を見て、まず思うのは巧いなぁということ。ここら辺は天賦の才能なんだろうなと。それからもう一つは、ドガや印象派などと出会って感銘した画家の画風がその時の作品にストレートに反映されていること。それが時間の経過とともに彼女の中でどのような変容を遂げるかを見届けるのもこの回顧展の楽しみの一つだと思う。(展示は時系列にはなっていないけれど作成年を見ると何となく…)
最近観た女流画家の回顧展としてはフィンランド人のヘレン・シャルフベックとユトリロの母であるシュザンヌ・ヴァラドンがあるけど、それぞれ頭の中で比べながら観ると感慨深いものがある。カサットは1844年~1926年、シャルフベックは1862年~1946年そしてヴァラドンが1865年~1938年といわばほとんど同時代を生きた女性たちだ。しかしその生き方はまるで異なる。手堅いプロのアーティストとして生きたカサット、破天荒なほど自由奔放に生きたヴァラドンそして生涯孤独だったシャルフベック。
そして皆国は違うけれども、まだ必ずしも女性に取って自由ではなかった同じような時代にパリで絵を学んだという事は共通している。その時代のカサットとヴァラドンの記憶を結びつけるのはドガだ。シャルフベックはパリとヘルシンキを行き来したけれど彼女の関心はどちらかと言えばイギリスやイタリアに向いていたかもしれない。
画風の変容も、印象派からジャポニズムそして版画やパステルなどの表現手段ごとの自分のスタイルを模索していったカサット、正式な美術教育を受けていないけれど男を変えるたびにそこから感性を吸い取ってゆくようなヴァラドンの変容、そして生涯作風が揺れ続け、その揺れること自体が彼女の生きている証だったようなシャルフベック。三人の女性の人生を重ね合わせながら観ていたらとても感慨深いものがあった。
[カサット展 My Best 5]
①沐浴する女性(No.59)…迷ったけれど結局ドライポイントの彩色版画であるこれを一番に選んだ。カサットはエコール・デ・ボザールで見た日本の浮世絵版画に感動してその構図、画題そして線の繊細さを求めて10点組の彩色版画を作成しているけど、これが また素晴らしい出来。ただエキゾチックなだけではなくて表現として洗練されている。特にその中でもこの「沐浴する女性」は繊細な色遣いと線が見事だ。これを見たドガは、女なんかにこんな線が描けるとはなんという事だと悔しがったらしい。(ドガは大の女嫌いだったけど、カサットとヴァラドンは別格だったらしい)

②桟敷席にて(No.13)…カサットの油彩の代表作だからという理由だけでなく確かにその構図やカメラでいうピントとボケでの筆致の使い分け、光と影のバランスどれをとっても素晴らしい。一目見ただけでその時代の空気、光が蘇ってくるようだ。向かいのバルコンに居るサッといかにも粗いタッチで描かれた紳士がちゃんとオペラグラスでこっちを見ている風に見えるから大したものだ。

③眠たい子供を沐浴させる母親(No.29)…カサットはこのような母子像を何枚も描いている。見ようによっては現代の聖母子像のような雰囲気さえあるかもしれない。色彩的にはルノアールを全体に淡くしたような印象だけれども、ここでもカサットの構図の構成力はすごいと思わせる。まず中央の母子の交差する視線に目をやると観る者の目線は続いて画面の左下へと延びている母親の腕へと誘導される。そしてその手の先は洗面器の中で母親がスポンジを握って水を切ろうとしているまさにその瞬間であることを示している。なんかギュッという指の動きが一瞬見えたような…。

④ロバート・J・カサット夫人、画家の母(No.34)…カサットはずいぶん多くの肖像画を手掛けているけれどその肖像画の中でもこれはピカイチだと思う。敬愛する母親の内面まで映し出すようだ。彼女は母親をパステルでも描いているけどこれも素晴らしい(No.33)。黒い服に身を包んだ母親の肖像画というと他の二枚の絵も思い出す。(ここには展示されていないけど…) 一枚はホイッスラーの「灰色と黒のアレンジメント第一番、画家の母の肖像(1871年)」 そしてもう一枚がハンマースホイの「画家の母(1886年)」だ。この三枚の母親の肖像画を頭の中で並べてみると各々の母に対する想いみたいなものが伝わってくる。カサットのこの絵は1889年ごろに描かれているのでもしかしたらホイッスラーの絵は見ているかもしれない。

⑤ソファに腰掛けるレーヌとマーゴ(No.107)…また 迷う。パステルが彼女は好きだったようで、素晴らしい作品も多いが、此処では敢えてモノクロのドライポイントの版画をあげたい。画面の中央に母子が横たわって居る。周りは全て余白だ。一見未完成の作品のように見えるが、そうではない。輪郭がソフトで優しいドライポイントの効果が上手く使われている。ふと、カサットがアメリカ人であることを思い出した。どこかイラストレーションのようで、やがてバーニー・ヒュークスなどのアメリカン・イラストレーションへと繋がってゆく予兆のようなものをこの画面からは感じた。


美術館前
[図録]
212頁。2300円。図録の出来は標準的だけれども、この図録の存在自体は特別なものだと思う。日本では作品の現物は勿論画集でさえ滅多に見られない類の作家の回顧展の図録は即その国におけるその作家の資料の全てである場合がある。ということは後でその作品に出会いたくともそれ自体無理になる場合があるということだ。メアリー・カサットもそれに近い作家なのかもしれない。
例えば、先のシェルフベックやカイユボットやハンマースホイの回顧展の図録などは今でもその作家の日本における貴重な資料だと思う。回顧展の図録などは意外と図書館には置いていないものだ。(ぼくはいつも国立新美術館の3階の資料室で見てますが…) 展覧会を見て、その作家が好きになったら図録を手元に置いておくのもいいと思う。

[After]
横浜美術館は収蔵品の常設展示もあるので、企画展の帰りにはいつも観る。ここは結構写真の収蔵品を多く持っているので写真部門には必ず立ち寄るようにしている。そのあとは美術館カフェの窓からゆっくりと美術館前広場の光景を観察するのが好きだ。

(Aug. 2016)
メアリー・カサット展
横浜美術館
2016年6月25日~9月11日

パリで活躍したアメリカ人の女流画家メアリー・カサットの絵は好きで前から見てみたいと思っていたのだけれどなかなか機会がなく叶わなかった。今回横浜美術館で回顧展が開かれたので期待して行ってみた。
油彩、パステル画、銅版画そして彩色版画と多角的な作品が収められていて、とても楽しめた。会場に入って数点の彼女の作品を見て、まず思うのは巧いなぁということ。ここら辺は天賦の才能なんだろうなと。それからもう一つは、ドガや印象派などと出会って感銘した画家の画風がその時の作品にストレートに反映されていること。それが時間の経過とともに彼女の中でどのような変容を遂げるかを見届けるのもこの回顧展の楽しみの一つだと思う。(展示は時系列にはなっていないけれど作成年を見ると何となく…)
最近観た女流画家の回顧展としてはフィンランド人のヘレン・シャルフベックとユトリロの母であるシュザンヌ・ヴァラドンがあるけど、それぞれ頭の中で比べながら観ると感慨深いものがある。カサットは1844年~1926年、シャルフベックは1862年~1946年そしてヴァラドンが1865年~1938年といわばほとんど同時代を生きた女性たちだ。しかしその生き方はまるで異なる。手堅いプロのアーティストとして生きたカサット、破天荒なほど自由奔放に生きたヴァラドンそして生涯孤独だったシャルフベック。
そして皆国は違うけれども、まだ必ずしも女性に取って自由ではなかった同じような時代にパリで絵を学んだという事は共通している。その時代のカサットとヴァラドンの記憶を結びつけるのはドガだ。シャルフベックはパリとヘルシンキを行き来したけれど彼女の関心はどちらかと言えばイギリスやイタリアに向いていたかもしれない。
画風の変容も、印象派からジャポニズムそして版画やパステルなどの表現手段ごとの自分のスタイルを模索していったカサット、正式な美術教育を受けていないけれど男を変えるたびにそこから感性を吸い取ってゆくようなヴァラドンの変容、そして生涯作風が揺れ続け、その揺れること自体が彼女の生きている証だったようなシャルフベック。三人の女性の人生を重ね合わせながら観ていたらとても感慨深いものがあった。
[カサット展 My Best 5]
①沐浴する女性(No.59)…迷ったけれど結局ドライポイントの彩色版画であるこれを一番に選んだ。カサットはエコール・デ・ボザールで見た日本の浮世絵版画に感動してその構図、画題そして線の繊細さを求めて10点組の彩色版画を作成しているけど、これが また素晴らしい出来。ただエキゾチックなだけではなくて表現として洗練されている。特にその中でもこの「沐浴する女性」は繊細な色遣いと線が見事だ。これを見たドガは、女なんかにこんな線が描けるとはなんという事だと悔しがったらしい。(ドガは大の女嫌いだったけど、カサットとヴァラドンは別格だったらしい)

②桟敷席にて(No.13)…カサットの油彩の代表作だからという理由だけでなく確かにその構図やカメラでいうピントとボケでの筆致の使い分け、光と影のバランスどれをとっても素晴らしい。一目見ただけでその時代の空気、光が蘇ってくるようだ。向かいのバルコンに居るサッといかにも粗いタッチで描かれた紳士がちゃんとオペラグラスでこっちを見ている風に見えるから大したものだ。

③眠たい子供を沐浴させる母親(No.29)…カサットはこのような母子像を何枚も描いている。見ようによっては現代の聖母子像のような雰囲気さえあるかもしれない。色彩的にはルノアールを全体に淡くしたような印象だけれども、ここでもカサットの構図の構成力はすごいと思わせる。まず中央の母子の交差する視線に目をやると観る者の目線は続いて画面の左下へと延びている母親の腕へと誘導される。そしてその手の先は洗面器の中で母親がスポンジを握って水を切ろうとしているまさにその瞬間であることを示している。なんかギュッという指の動きが一瞬見えたような…。

④ロバート・J・カサット夫人、画家の母(No.34)…カサットはずいぶん多くの肖像画を手掛けているけれどその肖像画の中でもこれはピカイチだと思う。敬愛する母親の内面まで映し出すようだ。彼女は母親をパステルでも描いているけどこれも素晴らしい(No.33)。黒い服に身を包んだ母親の肖像画というと他の二枚の絵も思い出す。(ここには展示されていないけど…) 一枚はホイッスラーの「灰色と黒のアレンジメント第一番、画家の母の肖像(1871年)」 そしてもう一枚がハンマースホイの「画家の母(1886年)」だ。この三枚の母親の肖像画を頭の中で並べてみると各々の母に対する想いみたいなものが伝わってくる。カサットのこの絵は1889年ごろに描かれているのでもしかしたらホイッスラーの絵は見ているかもしれない。

⑤ソファに腰掛けるレーヌとマーゴ(No.107)…また 迷う。パステルが彼女は好きだったようで、素晴らしい作品も多いが、此処では敢えてモノクロのドライポイントの版画をあげたい。画面の中央に母子が横たわって居る。周りは全て余白だ。一見未完成の作品のように見えるが、そうではない。輪郭がソフトで優しいドライポイントの効果が上手く使われている。ふと、カサットがアメリカ人であることを思い出した。どこかイラストレーションのようで、やがてバーニー・ヒュークスなどのアメリカン・イラストレーションへと繋がってゆく予兆のようなものをこの画面からは感じた。


美術館前
[図録]
212頁。2300円。図録の出来は標準的だけれども、この図録の存在自体は特別なものだと思う。日本では作品の現物は勿論画集でさえ滅多に見られない類の作家の回顧展の図録は即その国におけるその作家の資料の全てである場合がある。ということは後でその作品に出会いたくともそれ自体無理になる場合があるということだ。メアリー・カサットもそれに近い作家なのかもしれない。
例えば、先のシェルフベックやカイユボットやハンマースホイの回顧展の図録などは今でもその作家の日本における貴重な資料だと思う。回顧展の図録などは意外と図書館には置いていないものだ。(ぼくはいつも国立新美術館の3階の資料室で見てますが…) 展覧会を見て、その作家が好きになったら図録を手元に置いておくのもいいと思う。

[After]
横浜美術館は収蔵品の常設展示もあるので、企画展の帰りにはいつも観る。ここは結構写真の収蔵品を多く持っているので写真部門には必ず立ち寄るようにしている。そのあとは美術館カフェの窓からゆっくりと美術館前広場の光景を観察するのが好きだ。

(Aug. 2016)
gillman*s Museum ポール・スミス展
■Museum of the Month

ぼくがポール・スミスという名前を初めて知ったのはアパレルの仕事をしていた故義兄から一着のモスグリーンのジャケットを貰った時からだった。そのジャケットのタグにポール・スミスの名があった。ぼくは着るものの方は疎いのだけれど、それ以来お店や雑誌などでポール・スミスという名前が目に入ると気を付けてみるようになった。
ポール・スミス展は上野の森美術館でやっている。月曜日なら上野の他の美術館が休みなので、ここはすいているだろうと思ったのだけれど、意外とチケット売り場には列が…。その日は時間もなかったので翌日再度行くことに。
やはり混んでいる。中は美術展というより、何とも楽しいイヴェントのような雰囲気で、まさにポール・スミス・ワールド。彼の集めた写真やイラスト、それに仕事のスタジオなどあの不思議なカラリングが生み出される現場感があふれていた。会場内は写真もオーケーということなので今回はカメラを持ってきてよかった。これは誰にでも楽しいという訳ではないと思うけれど、ぼくはとても楽しかった。


[ポール・スミス展 My Best 5] 作品というより展示コーナー
①デザインスタジオ…彼のかつてのコヴェント・ガーデンのデザイン・オフィスを模したコーナーにはカラーチャートや素材見本やステーショナリーが雑然と置かれている。全体を俯瞰すると仕事場の雰囲気が感じ取れる。そして一つ一つのモノに目をやると、どこに関心が向くかは人によって全く違うかもしれないけれど、見ていて飽きない。一つ一つを貪るように写真に収めていた人がいた。
②オフィス…デザインスタジオの隣にはやはり彼のオフィスの様子がわかる展示があった。昔のマック、スヌーピーの置物、自転車、カメラ等々、足の踏み場もないような状態でモノが置かれている。一見すると70年代モノのアンティークショップのようだ。それらはポール・スミスが世界を旅して手に入れたものやファンから送られたもの等だが、彼はそれが自分の頭の中そのものだと言う。そこから数々のインスピレーションが湧いてくるのだと。
③インスピレーション…彼はアイデアやインスピレーションを逃さないようにメモやデジタルカメラの映像を残しているが、この小さな部屋では多数のモニターに彼の写真アーカイブが投影される。
④コラボレーション…有名な自動車のミニをはじめとして彼のデザインは工業製品ともコラボをしている。ライカのカメラもそうだが、ぼくは二階の会場に飾られていたTriumphのオートバイが一番美しく感じられた。
⑤ギャラリー…会場を入るとすぐに回廊の両側の壁にポール・スミスが集めた写真や絵がギャラリーのように飾られている。一つ一つは全く異なるものだけど、全体を見回してみるとポール・スミスのテイストというか、どんなものに愛情が向いているのかを感じ取ることができる。気に入ったイラストなり写真なりを自分のデジカメでハイティングして自分の中のポール・スミスを探してみるのも面白いと思う。ぜひカメラを持参で。
*一つ残念なことは美術館の中にはロッカーがないので、出来るだけ荷物を少なくしていく方が良いと思います。



[図録]
175頁。2500円。これは図録というよりは「ポール・スミス図鑑」もしくは「ポール・スミス・マガジン」と言った方が好いような感じ。文章は殆どないけれど全体的雰囲気は見事にエグジビションの雰囲気にシンクロしている。

ポール・スミス展
上野の森美術館
2016年7月27日~8月23日

ぼくがポール・スミスという名前を初めて知ったのはアパレルの仕事をしていた故義兄から一着のモスグリーンのジャケットを貰った時からだった。そのジャケットのタグにポール・スミスの名があった。ぼくは着るものの方は疎いのだけれど、それ以来お店や雑誌などでポール・スミスという名前が目に入ると気を付けてみるようになった。
ポール・スミス展は上野の森美術館でやっている。月曜日なら上野の他の美術館が休みなので、ここはすいているだろうと思ったのだけれど、意外とチケット売り場には列が…。その日は時間もなかったので翌日再度行くことに。
やはり混んでいる。中は美術展というより、何とも楽しいイヴェントのような雰囲気で、まさにポール・スミス・ワールド。彼の集めた写真やイラスト、それに仕事のスタジオなどあの不思議なカラリングが生み出される現場感があふれていた。会場内は写真もオーケーということなので今回はカメラを持ってきてよかった。これは誰にでも楽しいという訳ではないと思うけれど、ぼくはとても楽しかった。
[ポール・スミス展 My Best 5] 作品というより展示コーナー
①デザインスタジオ…彼のかつてのコヴェント・ガーデンのデザイン・オフィスを模したコーナーにはカラーチャートや素材見本やステーショナリーが雑然と置かれている。全体を俯瞰すると仕事場の雰囲気が感じ取れる。そして一つ一つのモノに目をやると、どこに関心が向くかは人によって全く違うかもしれないけれど、見ていて飽きない。一つ一つを貪るように写真に収めていた人がいた。
②オフィス…デザインスタジオの隣にはやはり彼のオフィスの様子がわかる展示があった。昔のマック、スヌーピーの置物、自転車、カメラ等々、足の踏み場もないような状態でモノが置かれている。一見すると70年代モノのアンティークショップのようだ。それらはポール・スミスが世界を旅して手に入れたものやファンから送られたもの等だが、彼はそれが自分の頭の中そのものだと言う。そこから数々のインスピレーションが湧いてくるのだと。
③インスピレーション…彼はアイデアやインスピレーションを逃さないようにメモやデジタルカメラの映像を残しているが、この小さな部屋では多数のモニターに彼の写真アーカイブが投影される。
④コラボレーション…有名な自動車のミニをはじめとして彼のデザインは工業製品ともコラボをしている。ライカのカメラもそうだが、ぼくは二階の会場に飾られていたTriumphのオートバイが一番美しく感じられた。
⑤ギャラリー…会場を入るとすぐに回廊の両側の壁にポール・スミスが集めた写真や絵がギャラリーのように飾られている。一つ一つは全く異なるものだけど、全体を見回してみるとポール・スミスのテイストというか、どんなものに愛情が向いているのかを感じ取ることができる。気に入ったイラストなり写真なりを自分のデジカメでハイティングして自分の中のポール・スミスを探してみるのも面白いと思う。ぜひカメラを持参で。
*一つ残念なことは美術館の中にはロッカーがないので、出来るだけ荷物を少なくしていく方が良いと思います。
[図録]
175頁。2500円。これは図録というよりは「ポール・スミス図鑑」もしくは「ポール・スミス・マガジン」と言った方が好いような感じ。文章は殆どないけれど全体的雰囲気は見事にエグジビションの雰囲気にシンクロしている。
(Aug. 2016)
gillman*s Museums ヴェネツィア派
■Museum of the Month

ここのところバタバタしていてちょっと美術館から遠ざかってしまっていたけれど、昨日国立新美術館にいった。午前中だったけれど結構な人が美術館に向かっていた。でも中に入ると大半の人はルノアール展の方に入って行った。
同時に二階会場で開かれている「アカデミア美術館所蔵-ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち展」の方はさほど混んではいなかった。
ヴェネツィア派というとフィレンツェやローマを中心とするルネサンスの中では地味に感じられるのかもしれない。大半は宗教画だし、グエルチーノやカラヴァッジョのような色彩の華やかさはない。しかし、素描に重きを置くフィレンツェ派に対して、色彩に重きを置くヴェネツィア派のティントレットやティツィアーノの絵を見ているうちに、トーンを少し抑え気味の揺れるような色彩の向こうにかすかな動きさえ見えてくるような気がする。今回はティツィアーノの受胎告知をはじめとした大作も観ることができる貴重な機会だと思う。
[My Best 5]
①受胎告知/ティツィアーノ・ヴェチェッリオ…縦4.1メートル、横2.4メートルの巨大な絵でヴェネツィアのサン・サルヴァドール教会にあったこの絵がまさか日本に来るとは思わなかった。通常なら教会に描かれるこの大きさの絵はフレスコ画なのだけれど、ヴェネツィアは湿気が多いのでキャンバスを何枚も並べた油彩画になっていたので持ってこられたのだと思う。フィレンツェ派の輪郭のかっちりとした絵に対してカンヴァスに色彩をのせてゆくヴェネツィア派のティツィアーノの画面は実に動きを感じさせる。
②父なる神のサン・マルコ広場への顕現/ボニファーチョ・ヴェロネーゼ…ヴェネツィアといえばサン・マルコ広場だけど、この絵ではその広場の上に広がる黒雲のさらに上を父なる神が飛翔してヴェネツィアを祝福している。飛んでいる神のなんと自由な浮遊感。マントをたなびかせてまるでスーパーマンのようだ。
③聖母被昇天/ヤコボ・ティントレット…じつに劇的な空間構成だ。これが縦2.5メートルの大画面に広がっているのだから迫力がある。群がる徒弟たちの視線を浴びながら聖母マリアがまるでワイヤー・アクションでつられているかのようにスーッと天に上ってゆくような感覚。ほぼ同時代のティツィアーノやエル・グレコの聖母被昇天図に並ぶ傑作だと思う。
④聖母子(アルベルテイーニの聖母)/ティツィアーノ・ヴェチェッリオ…聖母の衣服の速いタッチ、少しチントのかかったような色味。同時代のラファエロの聖母子像とはかなり異なる。ラファエロの聖母子像が究極の理想像とすれば、ティツィアーノのそれはもっと生身の聖母の感じがする。静謐な慈愛の眼差しが画面を支配している。
⑤聖母子(赤い智天使の聖母)/ジョヴァンニ・ベッリーニ…ベッリーニ親子はヴェネツィア派の重要な画家で、このジョヴァンニはヤーコポの息子でやはり画家のジェンティーレの弟にあたる。この聖母子像は展示会場のすぐ入ったところに最初の展示作品として置かれていた。画面の上に描かれたタイトルにある「赤い智天使…」の頭部が少し離れたところから見ると、まるで6つの赤いバラの花のように見える。実に安定した三角構図が見ていて心地よい。
[図録]
235頁。2500円。標準的な図録といったら失礼になるかもしれないけれど、とても手堅い作りで、各所にヴェネツィア派に関しての丁寧な解説がしてあり、これ一冊で十分ヴェネツィア派に関しての俯瞰を得ることができると思う。本屋で買った高額な美術書と違って美術展の図録のだいご味は、実物の絵に触れた感触が残っているうちにその背景や作品の特徴を反芻できることだと思う。それも貴重な美術展を数倍楽しむ一つの方法ではないかと…。そういう意味でもその作業に十分応えうる図録だと思う。

[After]
美術館の帰りの昼飯は近場で…。最近は出口近くの中華料理屋さんでのランチが多い。やっぱりビールを頼んでしまうけど…。


.
アカデミア美術館所蔵
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち展
国立新美術館
2016/07/13-10/10

ここのところバタバタしていてちょっと美術館から遠ざかってしまっていたけれど、昨日国立新美術館にいった。午前中だったけれど結構な人が美術館に向かっていた。でも中に入ると大半の人はルノアール展の方に入って行った。
同時に二階会場で開かれている「アカデミア美術館所蔵-ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち展」の方はさほど混んではいなかった。
ヴェネツィア派というとフィレンツェやローマを中心とするルネサンスの中では地味に感じられるのかもしれない。大半は宗教画だし、グエルチーノやカラヴァッジョのような色彩の華やかさはない。しかし、素描に重きを置くフィレンツェ派に対して、色彩に重きを置くヴェネツィア派のティントレットやティツィアーノの絵を見ているうちに、トーンを少し抑え気味の揺れるような色彩の向こうにかすかな動きさえ見えてくるような気がする。今回はティツィアーノの受胎告知をはじめとした大作も観ることができる貴重な機会だと思う。
[My Best 5]
①受胎告知/ティツィアーノ・ヴェチェッリオ…縦4.1メートル、横2.4メートルの巨大な絵でヴェネツィアのサン・サルヴァドール教会にあったこの絵がまさか日本に来るとは思わなかった。通常なら教会に描かれるこの大きさの絵はフレスコ画なのだけれど、ヴェネツィアは湿気が多いのでキャンバスを何枚も並べた油彩画になっていたので持ってこられたのだと思う。フィレンツェ派の輪郭のかっちりとした絵に対してカンヴァスに色彩をのせてゆくヴェネツィア派のティツィアーノの画面は実に動きを感じさせる。
②父なる神のサン・マルコ広場への顕現/ボニファーチョ・ヴェロネーゼ…ヴェネツィアといえばサン・マルコ広場だけど、この絵ではその広場の上に広がる黒雲のさらに上を父なる神が飛翔してヴェネツィアを祝福している。飛んでいる神のなんと自由な浮遊感。マントをたなびかせてまるでスーパーマンのようだ。
③聖母被昇天/ヤコボ・ティントレット…じつに劇的な空間構成だ。これが縦2.5メートルの大画面に広がっているのだから迫力がある。群がる徒弟たちの視線を浴びながら聖母マリアがまるでワイヤー・アクションでつられているかのようにスーッと天に上ってゆくような感覚。ほぼ同時代のティツィアーノやエル・グレコの聖母被昇天図に並ぶ傑作だと思う。
④聖母子(アルベルテイーニの聖母)/ティツィアーノ・ヴェチェッリオ…聖母の衣服の速いタッチ、少しチントのかかったような色味。同時代のラファエロの聖母子像とはかなり異なる。ラファエロの聖母子像が究極の理想像とすれば、ティツィアーノのそれはもっと生身の聖母の感じがする。静謐な慈愛の眼差しが画面を支配している。
⑤聖母子(赤い智天使の聖母)/ジョヴァンニ・ベッリーニ…ベッリーニ親子はヴェネツィア派の重要な画家で、このジョヴァンニはヤーコポの息子でやはり画家のジェンティーレの弟にあたる。この聖母子像は展示会場のすぐ入ったところに最初の展示作品として置かれていた。画面の上に描かれたタイトルにある「赤い智天使…」の頭部が少し離れたところから見ると、まるで6つの赤いバラの花のように見える。実に安定した三角構図が見ていて心地よい。
[図録]
235頁。2500円。標準的な図録といったら失礼になるかもしれないけれど、とても手堅い作りで、各所にヴェネツィア派に関しての丁寧な解説がしてあり、これ一冊で十分ヴェネツィア派に関しての俯瞰を得ることができると思う。本屋で買った高額な美術書と違って美術展の図録のだいご味は、実物の絵に触れた感触が残っているうちにその背景や作品の特徴を反芻できることだと思う。それも貴重な美術展を数倍楽しむ一つの方法ではないかと…。そういう意味でもその作業に十分応えうる図録だと思う。

[After]
美術館の帰りの昼飯は近場で…。最近は出口近くの中華料理屋さんでのランチが多い。やっぱりビールを頼んでしまうけど…。


(July 2016)
.
gillman*s Museums ルノワール展
■Museum of the Month

また病院の帰りに美術館に寄ってしまった。若冲展の前売り券はまだ一枚残っているし再度観たい気持ちは充分なのだけれど、連日の過熱ぶりをみていると足が向かない。ということで、今日は六本木の国立新美術館へ。ルノワール展の他にも資料室でちょっと調べたい事があったので…。
着いたら昼近くだったけれど、思ったほど混んではいなかった。中に入っても「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」等の目玉作品の前は人だかりがしていたけれど、見られないということは全くない。まぁ、8月までやってるので上野のあっちの方が片付いてからゆっくり来ようというのかな。
会場の中はどこもルノワール色一色。月並みな言葉だけど、癒されるような…。ルノワールはかつて世の中には醜いことや、辛いことは山ほどある、画家がわざわざそんなものを描くことは無い、みたいなことを言っていたが確かにここにあるのは幸せな光と、愛おしい時間の姿だ。もちろんルノワールの人生自身はそんな癒しに満ちたものではなかったけれど、彼の筆先から湧き出てくるイメージはいつも光に満ちている。
そんな中で夭折した女性画家のベルト・モリゾの絵が一際ぼくの目を引いた。「舞踏会の装いをした若い女性」。ルノワールとは明らかに異なる淡い色の画面の中で若い女性が物憂げに虚空を見つめている。ルノワールがモリゾの娘を描いた「猫を抱く子供」はこちらがモリゾの夭折を知ってしまっているからか他の絵とは異なって、幸せな時間の背後にある別のモノを感じてしまう。
ルノワールを肖像画家とみることもできるけど、その肖像画の中でもリヒャルト・ワーグナーの肖像画は実に彼の実像を表していると思った。他のワーグナーの肖像画や写真はどれも尊大で天才ぶりを強調したようなものばかりだけれど、ルノワールの肖像画のワーグナーは弱々しく尊大さのかけらもない。ルノワールはワーグナー本人に会ってみて音楽と人物はイコールではないと感じたのかもしれない。それがでているのは肖像画家としての面目躍如たるものがあると思った。
[ルノワール展 My Best 5]
①ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会…やはり圧巻、緑色が鮮烈
②草原の坂道…ヴィスコンテ映画のワンシーンを見ているような
③リヒャルト・ワーグナー…コジマ・ワグナーが嫌ったはず
④田舎のダンス/都会のダンス…ユトリロの母、バラドンの若き日の姿
⑤舞踏会の装いをした若い女性/ベルト・モリゾ…パステル色の後ろに見えるもの
[図録]
270頁。2700円。図録部分は展示に沿って構成された平均的なものだと思うが、巻頭にいくつか載っている論文の一つ、横山有季子氏の『「悲しい絵を描かなかった唯一の偉大な画家」ルノワールと文学者の交流』は読みごたえがあった。

[After]
ここの一階のカフェ・コキーユは好きでよく利用する。テーブルは基本的にはフリースペースなので売店で買ったものでなくとも飲食がオーケー。美術展を見た後はいつもここでビールを一杯。900円弱と高い。今日は昼食を兼ねてローソンで買ったサンドイッチとここのビールでランチ。

ルノワール展
~オルセー、オランジュリー美術館所蔵~
国立新美術館
2016年4月27日~8月22日

また病院の帰りに美術館に寄ってしまった。若冲展の前売り券はまだ一枚残っているし再度観たい気持ちは充分なのだけれど、連日の過熱ぶりをみていると足が向かない。ということで、今日は六本木の国立新美術館へ。ルノワール展の他にも資料室でちょっと調べたい事があったので…。
着いたら昼近くだったけれど、思ったほど混んではいなかった。中に入っても「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」等の目玉作品の前は人だかりがしていたけれど、見られないということは全くない。まぁ、8月までやってるので上野のあっちの方が片付いてからゆっくり来ようというのかな。
会場の中はどこもルノワール色一色。月並みな言葉だけど、癒されるような…。ルノワールはかつて世の中には醜いことや、辛いことは山ほどある、画家がわざわざそんなものを描くことは無い、みたいなことを言っていたが確かにここにあるのは幸せな光と、愛おしい時間の姿だ。もちろんルノワールの人生自身はそんな癒しに満ちたものではなかったけれど、彼の筆先から湧き出てくるイメージはいつも光に満ちている。
そんな中で夭折した女性画家のベルト・モリゾの絵が一際ぼくの目を引いた。「舞踏会の装いをした若い女性」。ルノワールとは明らかに異なる淡い色の画面の中で若い女性が物憂げに虚空を見つめている。ルノワールがモリゾの娘を描いた「猫を抱く子供」はこちらがモリゾの夭折を知ってしまっているからか他の絵とは異なって、幸せな時間の背後にある別のモノを感じてしまう。
ルノワールを肖像画家とみることもできるけど、その肖像画の中でもリヒャルト・ワーグナーの肖像画は実に彼の実像を表していると思った。他のワーグナーの肖像画や写真はどれも尊大で天才ぶりを強調したようなものばかりだけれど、ルノワールの肖像画のワーグナーは弱々しく尊大さのかけらもない。ルノワールはワーグナー本人に会ってみて音楽と人物はイコールではないと感じたのかもしれない。それがでているのは肖像画家としての面目躍如たるものがあると思った。
[ルノワール展 My Best 5]
①ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会…やはり圧巻、緑色が鮮烈
②草原の坂道…ヴィスコンテ映画のワンシーンを見ているような
③リヒャルト・ワーグナー…コジマ・ワグナーが嫌ったはず
④田舎のダンス/都会のダンス…ユトリロの母、バラドンの若き日の姿
⑤舞踏会の装いをした若い女性/ベルト・モリゾ…パステル色の後ろに見えるもの
[図録]
270頁。2700円。図録部分は展示に沿って構成された平均的なものだと思うが、巻頭にいくつか載っている論文の一つ、横山有季子氏の『「悲しい絵を描かなかった唯一の偉大な画家」ルノワールと文学者の交流』は読みごたえがあった。

[After]
ここの一階のカフェ・コキーユは好きでよく利用する。テーブルは基本的にはフリースペースなので売店で買ったものでなくとも飲食がオーケー。美術展を見た後はいつもここでビールを一杯。900円弱と高い。今日は昼食を兼ねてローソンで買ったサンドイッチとここのビールでランチ。

(May 2016)
gillman*s Museums 大原治雄展
■Museum of the Month

大原治雄の写真展を観たかったけど、高知県立美術館なので、今のぼくにはちょっと遠すぎる。巡回展でほかの美術館でも見られるようになるらしいが伊丹と清里なのでこれも遠い。ということで取り敢えず図録を送ってもらった訳だけど、それがさっき宅配便でついた。
大原治雄は1927年に17歳でブラジルに移民している。その過酷な移民生活の中で手にした一台のカメラから彼の写真活動が始まる。生きるか死ぬかの過酷な原野での開拓生活の合間に撮影された写真は驚くほど静謐で、どこか植田正治の世界を思い起こさせる。
片や鳥取、片や地球の裏側のブラジルで…。境遇もまるで異なる二人のなかに通底する似た何ものかがあったのだろうか。距離感こそ違えともに世の中の中心から離れているということもあるのだろうか。植田正治は1913年~2000年、そして大原治雄は1909年~1999年。ほぼ同時代人だ。
二人の作品にとって「土地」ということがとても大切なファクターになっている。植田にとって鳥取はいわば舞台のようなものだったのかもしれないけれど、大原にとって土地は生きる糧であり生活そのものだったのだと思う。大原も写すという行為の中では演出もしたようだけど、その作品における土地との関係ではよりリアリティーを含んでいるような気がするのだ。
[大原治雄写真集 My Best 10]
①朝の雲/1952年…まさに孤高(ポスター、チラシ写真)
②コーヒーの収穫に向かう朝/1940年…ミレーのように
③治雄の娘・マリアと甥・富田カズオ/1955年…まるでラルティーグの「ダニとミションとボビー」の世界(図録表紙写真)
④逆光:銀婚式前日の治雄と幸(こう)のセルフポートレート/1959年…写っているのは心と時間だ
⑤渦/1957年…見事なコンポジション
⑥ポートレート/1950年(144頁)…凛とした青春
⑦シャッカラ・アララの入り口/1950年…異郷の地に和の空気
⑧シャッカラ・アララの前を通る空港方面に向かう道1949年…世界に繋がるただ一つの道
⑨見物人/1961年…チャップリン的なペーソス
⑩天日乾燥場で遊ぶ子どもたち/1950年…原野がここまでになるまでどれ程の汗と日々が
[図録]
174頁。2900円+税。シンプルな写真集だけれど、図録の写真は良く諧調が再現されていると思う。なんとも美しいモノクロの世界に魅せられる。マルコス・サー・コヘーアによる写真展の解説資料も追加で添付されていた。

HARUO OHARA
大原治雄写真展
~ブラジルの光、家族の光景~
高知県立美術館
2016年4月9日~6月12日

大原治雄の写真展を観たかったけど、高知県立美術館なので、今のぼくにはちょっと遠すぎる。巡回展でほかの美術館でも見られるようになるらしいが伊丹と清里なのでこれも遠い。ということで取り敢えず図録を送ってもらった訳だけど、それがさっき宅配便でついた。
大原治雄は1927年に17歳でブラジルに移民している。その過酷な移民生活の中で手にした一台のカメラから彼の写真活動が始まる。生きるか死ぬかの過酷な原野での開拓生活の合間に撮影された写真は驚くほど静謐で、どこか植田正治の世界を思い起こさせる。
片や鳥取、片や地球の裏側のブラジルで…。境遇もまるで異なる二人のなかに通底する似た何ものかがあったのだろうか。距離感こそ違えともに世の中の中心から離れているということもあるのだろうか。植田正治は1913年~2000年、そして大原治雄は1909年~1999年。ほぼ同時代人だ。
二人の作品にとって「土地」ということがとても大切なファクターになっている。植田にとって鳥取はいわば舞台のようなものだったのかもしれないけれど、大原にとって土地は生きる糧であり生活そのものだったのだと思う。大原も写すという行為の中では演出もしたようだけど、その作品における土地との関係ではよりリアリティーを含んでいるような気がするのだ。
[大原治雄写真集 My Best 10]
①朝の雲/1952年…まさに孤高(ポスター、チラシ写真)
②コーヒーの収穫に向かう朝/1940年…ミレーのように
③治雄の娘・マリアと甥・富田カズオ/1955年…まるでラルティーグの「ダニとミションとボビー」の世界(図録表紙写真)
④逆光:銀婚式前日の治雄と幸(こう)のセルフポートレート/1959年…写っているのは心と時間だ
⑤渦/1957年…見事なコンポジション
⑥ポートレート/1950年(144頁)…凛とした青春
⑦シャッカラ・アララの入り口/1950年…異郷の地に和の空気
⑧シャッカラ・アララの前を通る空港方面に向かう道1949年…世界に繋がるただ一つの道
⑨見物人/1961年…チャップリン的なペーソス
⑩天日乾燥場で遊ぶ子どもたち/1950年…原野がここまでになるまでどれ程の汗と日々が
[図録]
174頁。2900円+税。シンプルな写真集だけれど、図録の写真は良く諧調が再現されていると思う。なんとも美しいモノクロの世界に魅せられる。マルコス・サー・コヘーアによる写真展の解説資料も追加で添付されていた。

(June 2016)
gillman*s Museums 国芳・国貞
■ Museum of the Month

ゴールデンウィークの前後から日本美術の展覧会を固め打ちしているけど、取り敢えずはここらで一段落ということになるかもしれない。
年初に今年は日本美術を観ようと心に決めていてしょっぱなが正月の「川瀬巴水展」だったけど、今まで幸いにして大きく期待外れなものはなかった。今日の浮世絵展も期待以上のものだったなぁ。
この間の歌川広重の展覧会といい、ここのところの浮世絵展でまず感じるのは、まず保存状態の良い初刷りの浮世絵の色の鮮やかさ。
次にこれが本当に版画なんだろうかと目を疑うようなち密さ。そして江戸時代の人の何という大人の色彩感覚、そして意匠力、構図力。今回の展覧会も会場に入るなり、この全てが感じられた。
国芳vs国貞という図式は面白かった。スペクタクルな国芳とファッショナブルな国貞という見方もできるし、自分なりの軸を探してみる楽しさもあるかもしれない。
国芳の「正札附現金男…(長いので)」の着物の猫の図柄は有名だけれど、何回見ても飽きない。国芳は猫やヒトの体を組み合わせて髑髏や人の顔を作るのが得意だが、これはアルチンボルドあたりの絵をどこかで見て思いついたのかもしれない。
ぼくもウィーンの美術史美術館で何点かアルチンボルドの動物や魚を寄せ集めた肖像画を見たことかあるけど、意匠としてのデザイン性や洗練さは国芳のほうが数段優れていると思った。
こんなにまとめて国芳の作品を間近に見たことはないので、その多彩な表現力に唯々驚いた。それに国貞の「御誂三段ぼかし」などポップとしか言いようのないデザインと色使い、観ていて思わずにんまりとしてしまう。会場は結構混んでいたけれど根気よく観て回ればちゃんと見られる程度の混み方だった。
この素晴らしいコレクションが日本になくてアメリカのボストンにあるというのはちょっと残念だけれど、逆に良くぞこんな素晴らしい状態で保存してくれたと感謝の気持ちも湧いてくる。
日本人にとっては当時浮世絵は身の回りに普通にあるものだったから、当たり前すぎて保存などあまり考えなかったのかもしれない。価値体系の異なる文化から他の文化を見るということも時には必要なことかもしれない。
[国芳・国貞 My Best 5] これ無理だよ、えいや~で…
①「若鬼丸と大緋鯉」国貞…大胆だなぁ
②「讃岐院眷属をして…」国貞…やっぱりこのワニザメを見ちゃうとなぁ
③「御誂三段ぼかし」国芳…これ欲しいなぁ
④「雪遊び」国芳…江戸のAKB48だなぁ
⑤「子供遊土蔵之上棟」国芳…エッシャーも真っ青
[図録]
270頁。2500円。広重の時にもそうだったけど基本的には浮世絵の場合図録の写真と現物は全く別のものだと思ったほうが良いと感じている。
これはその図録の印刷がどうのということではなくて、浮世絵の場合写真と現物では特にディテールがぎっしりと詰まっている初刷りの存在感などは比べようがないような気がする。
とは言え、ボストンにある浮世絵をそう頻繁に観に行くこと自体無理なのでやはり手元に置いておいて折に触れ観たいと思う。

[グッズ]
また、性懲りもなく会場にあった国芳ガチャをやってしまった。2回ひいたけど今回は二度とも「正札附現金男…」の背景の髑髏下駄でした。

ボストン美術館所蔵
俺たちの国芳/わたしの国貞
Bunkamura ザ・ミュージアム
2016年3月19日~6月5日

ゴールデンウィークの前後から日本美術の展覧会を固め打ちしているけど、取り敢えずはここらで一段落ということになるかもしれない。
年初に今年は日本美術を観ようと心に決めていてしょっぱなが正月の「川瀬巴水展」だったけど、今まで幸いにして大きく期待外れなものはなかった。今日の浮世絵展も期待以上のものだったなぁ。
この間の歌川広重の展覧会といい、ここのところの浮世絵展でまず感じるのは、まず保存状態の良い初刷りの浮世絵の色の鮮やかさ。
次にこれが本当に版画なんだろうかと目を疑うようなち密さ。そして江戸時代の人の何という大人の色彩感覚、そして意匠力、構図力。今回の展覧会も会場に入るなり、この全てが感じられた。
国芳vs国貞という図式は面白かった。スペクタクルな国芳とファッショナブルな国貞という見方もできるし、自分なりの軸を探してみる楽しさもあるかもしれない。
国芳の「正札附現金男…(長いので)」の着物の猫の図柄は有名だけれど、何回見ても飽きない。国芳は猫やヒトの体を組み合わせて髑髏や人の顔を作るのが得意だが、これはアルチンボルドあたりの絵をどこかで見て思いついたのかもしれない。
ぼくもウィーンの美術史美術館で何点かアルチンボルドの動物や魚を寄せ集めた肖像画を見たことかあるけど、意匠としてのデザイン性や洗練さは国芳のほうが数段優れていると思った。
こんなにまとめて国芳の作品を間近に見たことはないので、その多彩な表現力に唯々驚いた。それに国貞の「御誂三段ぼかし」などポップとしか言いようのないデザインと色使い、観ていて思わずにんまりとしてしまう。会場は結構混んでいたけれど根気よく観て回ればちゃんと見られる程度の混み方だった。
この素晴らしいコレクションが日本になくてアメリカのボストンにあるというのはちょっと残念だけれど、逆に良くぞこんな素晴らしい状態で保存してくれたと感謝の気持ちも湧いてくる。
日本人にとっては当時浮世絵は身の回りに普通にあるものだったから、当たり前すぎて保存などあまり考えなかったのかもしれない。価値体系の異なる文化から他の文化を見るということも時には必要なことかもしれない。
[国芳・国貞 My Best 5] これ無理だよ、えいや~で…
①「若鬼丸と大緋鯉」国貞…大胆だなぁ
②「讃岐院眷属をして…」国貞…やっぱりこのワニザメを見ちゃうとなぁ
③「御誂三段ぼかし」国芳…これ欲しいなぁ
④「雪遊び」国芳…江戸のAKB48だなぁ
⑤「子供遊土蔵之上棟」国芳…エッシャーも真っ青
[図録]
270頁。2500円。広重の時にもそうだったけど基本的には浮世絵の場合図録の写真と現物は全く別のものだと思ったほうが良いと感じている。
これはその図録の印刷がどうのということではなくて、浮世絵の場合写真と現物では特にディテールがぎっしりと詰まっている初刷りの存在感などは比べようがないような気がする。
とは言え、ボストンにある浮世絵をそう頻繁に観に行くこと自体無理なのでやはり手元に置いておいて折に触れ観たいと思う。

[グッズ]
また、性懲りもなく会場にあった国芳ガチャをやってしまった。2回ひいたけど今回は二度とも「正札附現金男…」の背景の髑髏下駄でした。

(May 2016)
gillman*s Museums MUGMUM'S First
■ Museum of the Month

写真家集団マグナムはロバート・キャパの発案で1947年にカルティエ・ブレッソン等によって創設されて以来今日に至るまで第一線で活躍する写真家集団として続いているが、いわばその原点とも言える第一回の写真展「Face of Time(実際にはオーストリアで巡回展がなされたためタイトルはドイツ語でGesicht der Zeitとなってる…)の行方不明になっていたオリジナルプリントが2006年に発見されたため以来世界でMagnum's Firstと銘打って写真展が行われている。
展示点数がモノクロ写真83枚と少ないが、そこには時代の顔が色濃く浮かび上がっている。特に目を引いたのはカルティエ・ブレッソンの撮影した一連のマハトマ・ガンジーの写真で、そこには断食から生還するガンジーそして暗殺される前日のガンジー、ガンジーの葬儀と凍りついたまさにFace of Time、時代の顔がおさめられていた。枚数は少ないけど、これは絵画でいえば印象派の第一回印象派展にあたる記念すべき写真史の一頁だと思う。
[Mugnum's First My Best 5] 難しいっ!
①ロバート・キャパ…村祭り、バスク地方 1951年
②アンリ・カルティエ・ブレッソン…ガンディーの葬儀、デリー 1948年
③エルンスト・ハース…映画「ピラミッド」のセットにて、エジプト 1954年
④エーリッヒ・レッシング…ベルヴェデーレ宮殿、ウィーン 1954年
⑤インゲ・モラス…ボンド・ストリート、ロンドン 1953年
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[図録]
150頁。3000円。一連のオリジナル・プリントは木箱に収められてインスブルックの施設の地下室に置かれていたのだが、多分冷暗所でかつ湿気の少ない気候のせいもあってか、全くと言っていい程ダメージを受けていない。その恩恵もあって図録の写真は鑑賞に堪える質をキープしている。


(May 2016)
Mugnum's First
ヒルサイドフォーラム(代官山)
2016年4月23日~5月15日

写真家集団マグナムはロバート・キャパの発案で1947年にカルティエ・ブレッソン等によって創設されて以来今日に至るまで第一線で活躍する写真家集団として続いているが、いわばその原点とも言える第一回の写真展「Face of Time(実際にはオーストリアで巡回展がなされたためタイトルはドイツ語でGesicht der Zeitとなってる…)の行方不明になっていたオリジナルプリントが2006年に発見されたため以来世界でMagnum's Firstと銘打って写真展が行われている。
展示点数がモノクロ写真83枚と少ないが、そこには時代の顔が色濃く浮かび上がっている。特に目を引いたのはカルティエ・ブレッソンの撮影した一連のマハトマ・ガンジーの写真で、そこには断食から生還するガンジーそして暗殺される前日のガンジー、ガンジーの葬儀と凍りついたまさにFace of Time、時代の顔がおさめられていた。枚数は少ないけど、これは絵画でいえば印象派の第一回印象派展にあたる記念すべき写真史の一頁だと思う。
[Mugnum's First My Best 5] 難しいっ!
①ロバート・キャパ…村祭り、バスク地方 1951年
②アンリ・カルティエ・ブレッソン…ガンディーの葬儀、デリー 1948年
③エルンスト・ハース…映画「ピラミッド」のセットにて、エジプト 1954年
④エーリッヒ・レッシング…ベルヴェデーレ宮殿、ウィーン 1954年
⑤インゲ・モラス…ボンド・ストリート、ロンドン 1953年
[図録]
150頁。3000円。一連のオリジナル・プリントは木箱に収められてインスブルックの施設の地下室に置かれていたのだが、多分冷暗所でかつ湿気の少ない気候のせいもあってか、全くと言っていい程ダメージを受けていない。その恩恵もあって図録の写真は鑑賞に堪える質をキープしている。


(May 2016)
gillman*s Museums 広重展
■Museum of the Month

歌川広重はぼくなんかは学校の時には安藤広重と習ったけど、知らない間に歌川広重になっていた。どうも広重は絵師としては安藤姓を名乗ったことは無いことが分かって、今の歌川広重と呼ぶようになったらしい。
この連休は日本美術づいているけど、いやぁ、今回の広重展も大興奮。今回は原安三郎氏のコレクションの展示なのだけれど、広重の作品の殆どが初刷りで、何と言ってもまず色の鮮烈さに圧倒される。名所江戸百景で有名な「大はしあたけの夕立」などは、その雨の線の繊細さは印刷で見ていたのとはまるで次元が異なり鳥肌が立ったほど。
広重の、特に晩年の方の名所江戸百景を観るとき、ぼくの頭に浮かんでくるのはぼくが勝手につけた「フォトグラファー広重」という言葉。まさに変幻自在の彼のアングルを見ていると、どうしたって彼の頭の中にヴァーチャルなカメラがあるとしかおもえないのだ。
超広角で景色全体を捉えたと思ったら、「四ツ谷内藤新宿」のように接写に近い近景に馬の脚を入れてその向こうに内藤新宿の宿場の町並みを入れている。広重の構図はゴッホなんかも真似ているけど、当時台頭しつつあった写真はさすがにまだこのアングルの真似はできなかったようだ。
これをフィルムカメラでやろうとしたら、昔オーソン・ウェルズが映画「市民ケーン」の中でやってのけたようにパンフォーカスのようなことをやらなければならない。つまり一つの画面の中の超近景と遠景のどちらにもピントがあった写真を撮るためには特別のテクニックが必要なのだ。
それを広重は人間の目と想像力でやってのけた。他にも、例えば「日本橋江戸ばし」などでは橋の欄干のどアップの右隅に此方に近ずいてくるぼてぶりの天秤の一部だけが描かれているし、「吾妻橋金龍山遠望」では芸者を載せた船が画面中央から移動して殆ど画面から外れかけている。
それはまるでパリを活写したカルティエ・ブレッソンのスナップ写真のようだ。もちろん先の大写しやこういう手法は広重だけのものではなく当時の浮世絵自体が持っていた手法らしいけど、広重ほど効果的にかつモダンで都会的に駆使した絵師は居なかったように思う。
会場には一部北斎の富嶽三十六景の作品も展示されていた。広重と北斎の風景画を比べると、北斎はスペクタクル、広重はドキュメンタリーじゃないかなんて勝手な見方が頭をよぎる。広重が好きな人には堪らない展覧会だと思う。それ程混んでいなかったので、ゆったり見られて至福の時だった。
[広重展 My Best 5]
①名所江戸百景/大はしあたけの夕立

②六十余州名所図会/美作 山伏谷

③名所江戸百景/浅草田圃酉の町詣

④名所江戸百景/真崎辺より水神の 森内川関屋の里を見る図

⑤名所江戸百景/四ツ谷内藤新宿

*作品図絵はパブリック・ドメインよりのものです。
[図録]
495頁。2800円。浮世絵はいわば一種の印刷みたいなものだから、図録などの印刷には向いているだろうと思われるけど、実際は逆で現物の雰囲気は中々伝わってこない。今回の図録は図版解説としては完璧だと思うけど、残念ながら初刷りのあの華麗な雰囲気はあまり伝わっては来ない。
逆にそれを要求するのは酷というものだ。写真にあるドイツTASCHEN社の出している「名所江戸百景」を以前買って持っているけど、これも少し不満が残る。これは元は太田美術館の所有する初刷りの作品でより原寸に近い、装丁も和綴じになっている。
とはいえ、今回の図録も展覧会でしっかりと現物のイメージを目に焼き付けてそれを想起しながら見れば楽しい資料であることは間違いない。ぼくは広重ハンドブックとして使おうと思っている。


[蛇足]
個人的にはぼくは浮世絵と縁があると勝手に思い込んでいる。広重の墓はいまぼくが住んでいるところから歩いていくらもかからないところにあるし、中学校の時に一時両国の祖母の所に住んでいたことがあるけど、そこら辺は北斎が住んでいたところだ。
実は先日知ったのだけれど、昔ぼくが住んでいた家の前の公園に今、すみだ北斎美術館が建設されている最中だ。資金の問題で完成が遅れているらしいけど、来年には完成すると思う。それも楽しみだ。

..
広重ビビッド
2016年4月29日~6月12日
サントリー美術館

歌川広重はぼくなんかは学校の時には安藤広重と習ったけど、知らない間に歌川広重になっていた。どうも広重は絵師としては安藤姓を名乗ったことは無いことが分かって、今の歌川広重と呼ぶようになったらしい。
この連休は日本美術づいているけど、いやぁ、今回の広重展も大興奮。今回は原安三郎氏のコレクションの展示なのだけれど、広重の作品の殆どが初刷りで、何と言ってもまず色の鮮烈さに圧倒される。名所江戸百景で有名な「大はしあたけの夕立」などは、その雨の線の繊細さは印刷で見ていたのとはまるで次元が異なり鳥肌が立ったほど。
広重の、特に晩年の方の名所江戸百景を観るとき、ぼくの頭に浮かんでくるのはぼくが勝手につけた「フォトグラファー広重」という言葉。まさに変幻自在の彼のアングルを見ていると、どうしたって彼の頭の中にヴァーチャルなカメラがあるとしかおもえないのだ。
超広角で景色全体を捉えたと思ったら、「四ツ谷内藤新宿」のように接写に近い近景に馬の脚を入れてその向こうに内藤新宿の宿場の町並みを入れている。広重の構図はゴッホなんかも真似ているけど、当時台頭しつつあった写真はさすがにまだこのアングルの真似はできなかったようだ。
これをフィルムカメラでやろうとしたら、昔オーソン・ウェルズが映画「市民ケーン」の中でやってのけたようにパンフォーカスのようなことをやらなければならない。つまり一つの画面の中の超近景と遠景のどちらにもピントがあった写真を撮るためには特別のテクニックが必要なのだ。
それを広重は人間の目と想像力でやってのけた。他にも、例えば「日本橋江戸ばし」などでは橋の欄干のどアップの右隅に此方に近ずいてくるぼてぶりの天秤の一部だけが描かれているし、「吾妻橋金龍山遠望」では芸者を載せた船が画面中央から移動して殆ど画面から外れかけている。
それはまるでパリを活写したカルティエ・ブレッソンのスナップ写真のようだ。もちろん先の大写しやこういう手法は広重だけのものではなく当時の浮世絵自体が持っていた手法らしいけど、広重ほど効果的にかつモダンで都会的に駆使した絵師は居なかったように思う。
会場には一部北斎の富嶽三十六景の作品も展示されていた。広重と北斎の風景画を比べると、北斎はスペクタクル、広重はドキュメンタリーじゃないかなんて勝手な見方が頭をよぎる。広重が好きな人には堪らない展覧会だと思う。それ程混んでいなかったので、ゆったり見られて至福の時だった。
[広重展 My Best 5]
①名所江戸百景/大はしあたけの夕立

②六十余州名所図会/美作 山伏谷

③名所江戸百景/浅草田圃酉の町詣

④名所江戸百景/真崎辺より水神の 森内川関屋の里を見る図

⑤名所江戸百景/四ツ谷内藤新宿

*作品図絵はパブリック・ドメインよりのものです。
[図録]
495頁。2800円。浮世絵はいわば一種の印刷みたいなものだから、図録などの印刷には向いているだろうと思われるけど、実際は逆で現物の雰囲気は中々伝わってこない。今回の図録は図版解説としては完璧だと思うけど、残念ながら初刷りのあの華麗な雰囲気はあまり伝わっては来ない。
逆にそれを要求するのは酷というものだ。写真にあるドイツTASCHEN社の出している「名所江戸百景」を以前買って持っているけど、これも少し不満が残る。これは元は太田美術館の所有する初刷りの作品でより原寸に近い、装丁も和綴じになっている。
とはいえ、今回の図録も展覧会でしっかりと現物のイメージを目に焼き付けてそれを想起しながら見れば楽しい資料であることは間違いない。ぼくは広重ハンドブックとして使おうと思っている。


[蛇足]
個人的にはぼくは浮世絵と縁があると勝手に思い込んでいる。広重の墓はいまぼくが住んでいるところから歩いていくらもかからないところにあるし、中学校の時に一時両国の祖母の所に住んでいたことがあるけど、そこら辺は北斎が住んでいたところだ。
実は先日知ったのだけれど、昔ぼくが住んでいた家の前の公園に今、すみだ北斎美術館が建設されている最中だ。資金の問題で完成が遅れているらしいけど、来年には完成すると思う。それも楽しみだ。

(May 2016)
..
gillman*s Museums 若冲展
■ Museum of the Month

朝八時ごろ家を出て、日暮里から散歩気分で歩いて谷中墓地を抜けて藝大の所まで来たらもう人の列が見える。まだ九時前なのに…。
若冲コレクターのプライス氏の講演が聴きたくて申し込んだけど見事に外れ。そのために買っておいた前売り券が手元に残ったけど、混雑ぶりを聞くと二の足を踏んでいた。
結局誘惑に負けて1時間超待ってやっと入場。これだけ混むのもさもありなん。展示内容は未曽有といって良いかもしれない。特に「釈迦三尊像」と「動植綵絵」が飾られている巨大なオーバルルームは圧巻だった。若冲の絵のもつ圧倒的なエネルギーが溢れかえっている。
細密な若冲の彩色画からは画面を絵で埋め尽くす情熱みたいなものが伝わってくる。それはあたかもブリューゲルやヒエロニムス・ボスがとりつかれた一寸の余白も許さない止み難い衝動にも似ている。
一方、若冲の「象と鯨図屏風」や「月に叭叭鳥(ははちょう)」等の水墨画からは若冲の持つ絶妙な余白感覚が伝わってくる。なんとも不思議な…。さらに黒と白への執着。今回初めて見た「石灯籠図屏風」に至ってはその筆致はまるで点描派の筆使いのようで驚かされる。
ゆっくり観たいけれど、勿論それは無理と言うものだ。押し合いへし合いしながら見なければならないのはなんとも残念だけれど、来てよかったと思う。そう言えば前売り券はカミさんの分としてもう一枚残っているんだけど…。もう一度行くか。
[若冲展My Best5]月並みだけど…
①動植綵絵 群鶏図
②月に叭叭鳥図
③象と鯨図屏風
④月梅図
⑤鳥獣花木図屏風
[図録]
315頁。3000円と通常の展覧会の図録より高価だけれど、豪華な若冲本という出来になっている。今回の展覧会にかけて美術雑誌や総合誌の若冲特集が出されていて、本屋の店頭でもよく見かけた。
どれもそこそこ高価で複数冊買うと結構大変だと思う。それならこの図録一冊を買うというのも一つの選択肢かも知れない。

[蛇足]
人混みですっかり疲れて、帰りはお約束の店でフィッシュ&チップスのハーフサイズとワンパイント・ビールで一休み。

若冲展
生誕三百年記念
東京都美術館
2016年4月22日~5月24日

朝八時ごろ家を出て、日暮里から散歩気分で歩いて谷中墓地を抜けて藝大の所まで来たらもう人の列が見える。まだ九時前なのに…。
若冲コレクターのプライス氏の講演が聴きたくて申し込んだけど見事に外れ。そのために買っておいた前売り券が手元に残ったけど、混雑ぶりを聞くと二の足を踏んでいた。
結局誘惑に負けて1時間超待ってやっと入場。これだけ混むのもさもありなん。展示内容は未曽有といって良いかもしれない。特に「釈迦三尊像」と「動植綵絵」が飾られている巨大なオーバルルームは圧巻だった。若冲の絵のもつ圧倒的なエネルギーが溢れかえっている。
細密な若冲の彩色画からは画面を絵で埋め尽くす情熱みたいなものが伝わってくる。それはあたかもブリューゲルやヒエロニムス・ボスがとりつかれた一寸の余白も許さない止み難い衝動にも似ている。
一方、若冲の「象と鯨図屏風」や「月に叭叭鳥(ははちょう)」等の水墨画からは若冲の持つ絶妙な余白感覚が伝わってくる。なんとも不思議な…。さらに黒と白への執着。今回初めて見た「石灯籠図屏風」に至ってはその筆致はまるで点描派の筆使いのようで驚かされる。
ゆっくり観たいけれど、勿論それは無理と言うものだ。押し合いへし合いしながら見なければならないのはなんとも残念だけれど、来てよかったと思う。そう言えば前売り券はカミさんの分としてもう一枚残っているんだけど…。もう一度行くか。
[若冲展My Best5]月並みだけど…
①動植綵絵 群鶏図
②月に叭叭鳥図
③象と鯨図屏風
④月梅図
⑤鳥獣花木図屏風
[図録]
315頁。3000円と通常の展覧会の図録より高価だけれど、豪華な若冲本という出来になっている。今回の展覧会にかけて美術雑誌や総合誌の若冲特集が出されていて、本屋の店頭でもよく見かけた。
どれもそこそこ高価で複数冊買うと結構大変だと思う。それならこの図録一冊を買うというのも一つの選択肢かも知れない。

[蛇足]
人混みですっかり疲れて、帰りはお約束の店でフィッシュ&チップスのハーフサイズとワンパイント・ビールで一休み。

(May 2016)
gillman*s Museum ジャック=アンリ・ラルティーグ展
■Museum of the Month

ジャック=アンリ・ラルティーグの回顧展は2013年に東京都写真美術館で開かれた「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ展 ~写真であそぶ~」以来だけれど、今回はラルティーグ単独の展覧会になる。
東京都写真美術館でこの二人の作品をパラレルに展示したのは二人の写真家がアマチュア写真家だということがあるのだけれど、それはもちろんカッコつきの「アマチュア」ということであるのは言うまでもない。鳥取の植田正治写真美術館でも感じたのだが、植田正治の写真が静謐な「静」の写真だとすれば、ラルティーグのそれは躍動感のある「動」の写真と言えるかもしれない。
今日の展覧会を観て再度感じたのはこの二人に共通するのはカメラを持った時のワクワク感かも知れない。誰かのために撮るのではなく本人自身が撮りたくてうずうずしている。そんな気持ちが伝わってる。もしそれをもって「アマチュア」というのならそれは最高の褒め言葉じゃないかと感じた。
今回の展示の素晴らしいのは、前回は余り展示されていなかったラルティーグがカラーで撮った写真も数多く展示されていることだ。動きを重視した彼はそういうシテュエーションで使いにくかったカラーフィルムはあまり好まなかったらしいけど、動きを軸としないテーマではカラーも使っている。
ぼくはどちらかと言えば躍動感よりも日常の静謐な場面が好きなので、今回ラルティーグの多くのカラー写真に触れてみてすっかり魅入られてしまった。彼は大半をオートクロームで撮っているけど、その色合いのなんと優しくて暖かいことか。特に1954年に撮った「フロレット ヴァンス」の映像などは目の底に焼き付いて離れない。
昨日がオープニングで混んでいると思ったら、あっけないほど空いている。なんかもったいないなぁ。一度見ておいて損は無いと思うんだけど…。

[ラルティーグ展My Best 5]
①フロレット・ヴァンス(colour)1954年
②オビオ(colour) 1963年
③スージー・ヴェルノン 1926年
④ダニとミションとボビー1936年
⑤ルネ・ペルル 1930年
[図録]
163頁。この時代の写真は大判でないので図録にしても大きさで見劣りするということはない。モノクロ写真の諧調は印刷では難しい所もあるけどそれもなんとか。カラー写真の優しい彩は比較的良く出ていると思う。写真展の図録は見ているだけで楽しい。

[ポスター]
入場者がまだ少ないからか、入場券を買ったら帰りにポスターをもらいました。好い感じのポスターです。

ジャック=アンリ・ラルティーグ展
~幸せの瞬間をつかまえて~
埼玉県立近代美術館
2016.04.05~05.22

ジャック=アンリ・ラルティーグの回顧展は2013年に東京都写真美術館で開かれた「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ展 ~写真であそぶ~」以来だけれど、今回はラルティーグ単独の展覧会になる。
東京都写真美術館でこの二人の作品をパラレルに展示したのは二人の写真家がアマチュア写真家だということがあるのだけれど、それはもちろんカッコつきの「アマチュア」ということであるのは言うまでもない。鳥取の植田正治写真美術館でも感じたのだが、植田正治の写真が静謐な「静」の写真だとすれば、ラルティーグのそれは躍動感のある「動」の写真と言えるかもしれない。
今日の展覧会を観て再度感じたのはこの二人に共通するのはカメラを持った時のワクワク感かも知れない。誰かのために撮るのではなく本人自身が撮りたくてうずうずしている。そんな気持ちが伝わってる。もしそれをもって「アマチュア」というのならそれは最高の褒め言葉じゃないかと感じた。
今回の展示の素晴らしいのは、前回は余り展示されていなかったラルティーグがカラーで撮った写真も数多く展示されていることだ。動きを重視した彼はそういうシテュエーションで使いにくかったカラーフィルムはあまり好まなかったらしいけど、動きを軸としないテーマではカラーも使っている。
ぼくはどちらかと言えば躍動感よりも日常の静謐な場面が好きなので、今回ラルティーグの多くのカラー写真に触れてみてすっかり魅入られてしまった。彼は大半をオートクロームで撮っているけど、その色合いのなんと優しくて暖かいことか。特に1954年に撮った「フロレット ヴァンス」の映像などは目の底に焼き付いて離れない。
昨日がオープニングで混んでいると思ったら、あっけないほど空いている。なんかもったいないなぁ。一度見ておいて損は無いと思うんだけど…。

[ラルティーグ展My Best 5]
①フロレット・ヴァンス(colour)1954年
②オビオ(colour) 1963年
③スージー・ヴェルノン 1926年
④ダニとミションとボビー1936年
⑤ルネ・ペルル 1930年
[図録]
163頁。この時代の写真は大判でないので図録にしても大きさで見劣りするということはない。モノクロ写真の諧調は印刷では難しい所もあるけどそれもなんとか。カラー写真の優しい彩は比較的良く出ていると思う。写真展の図録は見ているだけで楽しい。

[ポスター]
入場者がまだ少ないからか、入場券を買ったら帰りにポスターをもらいました。好い感じのポスターです。

(Apr. 2016)
gillman*s museum フェルメール
■The Museum of the Month

終了が間近い本展示会に行ってきた。二回位い六本木に来た際観ようかと思ったけれど並んで観るのと、高い所が嫌いなので混んでいたこともあっていずれもパス。今日、義父の墓参りに六本木に行った帰りに寄ってみたら結構楽々で即入場。
展示はとても充実していた。フェルメールを含めて、17世紀のオランダ絵画の隆盛が偲ばれる作品群が揃っていたと思う。特にステーンやハルスやデ・ホーホが良かった。
展示会では展示作品の照明のあり方で絵の印象は大きく変わってしまうけれど、今日の照明もぼくはそれほど嫌いではないけれど趣味の分かれるところだと思う。
例えば、今日の静物画などはスポットライトは絵ではなく絵の脇に貼られた作者名などのプレートに当たっていて、絵の方はその余光でうっすらと見える。という訳でとくにぼくの様な年寄りは絵の細部は余程目を凝らさないと見ることはできない。
これで不満の残る人もいれば、これこそ当時の絵が置かれていた環境に近いと思う人も居るかもしれない。新興市民が財力を持ち台頭してきた当時のオランダ絵画の主な買い手は彼らで、その絵が飾られるだろう部屋は決して太陽燦々の部屋ではなく、夜も暖炉の光などで観ていたことを想像すれば、この照明もありだと思う。
展示会場について言えば、美術館の楽しみは絵だけではないと思ってるので、イベント会場っぽいここは余り好きではない。もちろんこれは52階にあるという高所恐怖症のぼくだけに言える一種の偏見ですが…。

[17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展My Best 5]
①ヨハネス・フェルメール/水差しを持つ女
②ヤン・ステーン/通称:二種類の遊び
③レンブラント・ファン・レイン/ベローナ
④ヤン・リーフェンス/読書する老女
⑤カレル・ファブリティウス/帽子と胴よろいをつけた男
[図録]
205頁。色の出方も比較的忠実で、何より有難いのは展示では照明の事もあって中々細部まで見づらかった静物画が良く出ていることだ。読み物としては巻頭のロンドン・ナショナル・ギャラリーとアムステルダム国立美術館の学芸員などによるオランダ絵画とそれぞれの美術館のコレクションとの関わり合いについての部分が興味深かった。

フェルメールとレンブラント
17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち
森アーツセンターギャラリー
2016.01.14-03.31

終了が間近い本展示会に行ってきた。二回位い六本木に来た際観ようかと思ったけれど並んで観るのと、高い所が嫌いなので混んでいたこともあっていずれもパス。今日、義父の墓参りに六本木に行った帰りに寄ってみたら結構楽々で即入場。
展示はとても充実していた。フェルメールを含めて、17世紀のオランダ絵画の隆盛が偲ばれる作品群が揃っていたと思う。特にステーンやハルスやデ・ホーホが良かった。
展示会では展示作品の照明のあり方で絵の印象は大きく変わってしまうけれど、今日の照明もぼくはそれほど嫌いではないけれど趣味の分かれるところだと思う。
例えば、今日の静物画などはスポットライトは絵ではなく絵の脇に貼られた作者名などのプレートに当たっていて、絵の方はその余光でうっすらと見える。という訳でとくにぼくの様な年寄りは絵の細部は余程目を凝らさないと見ることはできない。
これで不満の残る人もいれば、これこそ当時の絵が置かれていた環境に近いと思う人も居るかもしれない。新興市民が財力を持ち台頭してきた当時のオランダ絵画の主な買い手は彼らで、その絵が飾られるだろう部屋は決して太陽燦々の部屋ではなく、夜も暖炉の光などで観ていたことを想像すれば、この照明もありだと思う。
展示会場について言えば、美術館の楽しみは絵だけではないと思ってるので、イベント会場っぽいここは余り好きではない。もちろんこれは52階にあるという高所恐怖症のぼくだけに言える一種の偏見ですが…。

[17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展My Best 5]
①ヨハネス・フェルメール/水差しを持つ女
②ヤン・ステーン/通称:二種類の遊び
③レンブラント・ファン・レイン/ベローナ
④ヤン・リーフェンス/読書する老女
⑤カレル・ファブリティウス/帽子と胴よろいをつけた男
[図録]
205頁。色の出方も比較的忠実で、何より有難いのは展示では照明の事もあって中々細部まで見づらかった静物画が良く出ていることだ。読み物としては巻頭のロンドン・ナショナル・ギャラリーとアムステルダム国立美術館の学芸員などによるオランダ絵画とそれぞれの美術館のコレクションとの関わり合いについての部分が興味深かった。

(March 2016)
gillman*s Museum カラヴァッジョ展
■Museum of the Month

先般のグエルチーノ展に続く西美のイタリアシリーズとも言える展覧会。とても充実していた展覧会だと思う。しかし、カラヴァッジョと言えば名うての無頼漢。すぐ切れるタイプで暴力的で人まで殺めてしまう。そういういう人物像と、「ナルキッソス」に代表されるような息をのむような繊細さとの接点にいつも悩まされるのだけれど、考えてみればドガだって、ヴァーグナーにだって同じような事が言える。
ドガは女性蔑視主義者で女性と花と犬猫が大嫌い。何かと言えば他人をこき下ろす。いわゆる嫌なヤツ。ヴァグナーは不遜で借金踏み倒しと他人の女に手を出す性癖の持ち主だった。しかし、その人間から湧き出す表現は人を捉えて離さない。どちらが本当の姿なのだと悩むよりも、多かれ少なかれ人間とか才能とかいうものはそういうものだと思い切った方が楽なのかもしれない。
カラバッジョの絵を観ていると随所にぼくの大好きなジョルジュ・ド・ラ・トゥールを彷彿とさせる闇に出会う。現に会場には西美の所有する彼の二点の絵も展示されていた。同じように光と影の画家としてのジャコモ・マッサの存在を知ったのも今回の展覧会の収穫だった。また今回はつい最近カラバッジョの真筆と認められた「法悦のマグダラのマリア」が初めて公開されている。
現在(3月5日時点)では特別展の入場券とは別に常設展の入場券が付いてくる。実は、3月中旬まで常設展の部分はメンテナンスのためクローズされているのでいつもなら特別展の入場券で常設展も観られるのだが今回は観られないので常設展の入場券が付いてるというわけ。6月12まで有効な券だった。

[カラヴァッジョ展My Best 5]
①ナルキッソス
②果物籠を持つ少年
③エッケ・ホモ
④エマオの晩餐
⑤法悦のマグダラのマリア
[図録]
321頁の大部で色の再現性も良いように思う。前回グエルチーノの図録(185頁)にましてリキが入っている。特に巻頭のロッセラ・ヴォドレの論文『カラヴァッジョ「とてつもなく奇抜な男」』はカラヴァッジョの作品と人生について簡潔にかつ分かりやすく解説していて好感が持てた。
(Mar. 2016)
カラヴァッジョ展
国立西洋美術館
2016.03.01-06.12

先般のグエルチーノ展に続く西美のイタリアシリーズとも言える展覧会。とても充実していた展覧会だと思う。しかし、カラヴァッジョと言えば名うての無頼漢。すぐ切れるタイプで暴力的で人まで殺めてしまう。そういういう人物像と、「ナルキッソス」に代表されるような息をのむような繊細さとの接点にいつも悩まされるのだけれど、考えてみればドガだって、ヴァーグナーにだって同じような事が言える。
ドガは女性蔑視主義者で女性と花と犬猫が大嫌い。何かと言えば他人をこき下ろす。いわゆる嫌なヤツ。ヴァグナーは不遜で借金踏み倒しと他人の女に手を出す性癖の持ち主だった。しかし、その人間から湧き出す表現は人を捉えて離さない。どちらが本当の姿なのだと悩むよりも、多かれ少なかれ人間とか才能とかいうものはそういうものだと思い切った方が楽なのかもしれない。
カラバッジョの絵を観ていると随所にぼくの大好きなジョルジュ・ド・ラ・トゥールを彷彿とさせる闇に出会う。現に会場には西美の所有する彼の二点の絵も展示されていた。同じように光と影の画家としてのジャコモ・マッサの存在を知ったのも今回の展覧会の収穫だった。また今回はつい最近カラバッジョの真筆と認められた「法悦のマグダラのマリア」が初めて公開されている。
現在(3月5日時点)では特別展の入場券とは別に常設展の入場券が付いてくる。実は、3月中旬まで常設展の部分はメンテナンスのためクローズされているのでいつもなら特別展の入場券で常設展も観られるのだが今回は観られないので常設展の入場券が付いてるというわけ。6月12まで有効な券だった。

[カラヴァッジョ展My Best 5]
①ナルキッソス
②果物籠を持つ少年
③エッケ・ホモ
④エマオの晩餐
⑤法悦のマグダラのマリア
[図録]
321頁の大部で色の再現性も良いように思う。前回グエルチーノの図録(185頁)にましてリキが入っている。特に巻頭のロッセラ・ヴォドレの論文『カラヴァッジョ「とてつもなく奇抜な男」』はカラヴァッジョの作品と人生について簡潔にかつ分かりやすく解説していて好感が持てた。
(Mar. 2016)
私も母が入所しているケアハウスから電話があるとドキドキします。
記事を拝読しながら自分の事のように感情移入してしまいました。
お母様のご冥福をお祈り申し上げます。
gillmanさんも、やる事が色々あって大変だと思います。
どうぞ御自愛下さいませ。
by 親知らず (2018-09-16 01:06)
お母さんの ご冥福を心からお祈りいたします
合掌
by dolphy (2018-09-16 02:17)
旅立たれてしまいましたか。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌。
by あるいる (2018-09-16 04:19)
最も近い肉親が亡くなるのは辛いですね。
お母様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
お母様、おつかれさま。そしてgillmanさんと奥様、おつかれさまでした。
by ZZA700 (2018-09-16 10:42)
お母さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
激動の時代を、生き抜いてこられた世代ですね。私の母もそうでした。でもちょっと若くて、83歳で他界しました。
お母さまは98歳、天寿を全うされた、と言ってもいいかもしれませんね。だからといって、こちらの気が済むというわけではないのです。親というのは、心の支えですから。
私はいつも、母をはじめ、亡くなった家族に語りかけています。彼らの笑顔が、目の前に浮かんできます。そうすると、心が落ち着きます。
gillman さんも奥様も、後のお疲れが出ませんよう、お祈りいたします。
by coco030705 (2018-09-16 11:17)
ご母堂さまのご冥福をこころから願っております。
gillmanさん&奥さまのお疲れがでませんように!
by fumiko (2018-09-16 13:36)
ご冥福を心よりお祈りいたします。誰もが通らなければならない道ですね。そして一人前になっていきます。
by JUNKO (2018-09-16 16:10)
ご母堂さまのご冥福をこころからお祈り申しあげます。
父を見送ったのが真夏でした。
長く患いましたので心に浮かんだ言葉は私もお疲れさまでした。
gillmanさんと奥様も、お疲れが出ませんようご自愛くださいませ。
by ゆきち (2018-09-16 18:09)
お母様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
by kuwachan (2018-09-16 20:36)
お母様のご冥福を、心より、お祈り、申し上げます。
by テリー (2018-09-16 21:10)
gillman さん、立派な息子さんです。
この記事を、次は私か?でもあたしちゃんとでけるかんかな?って思いながら拝読しました。gillman さん、写真で拝見する限りお母さま似ですよね♪こんな社交辞令みたいなことを申し上げても何の足しにもなりませんが、どうかお心落としの無き様に~
そしてせめて生きている身として、お母さまのご冥福を、あったこともない他人ですが、心からお祈り申し上げます。
(私は無宗教ですが、霊界はあると、そして思いは必ず具現化すると信じます)
by 女王猫 (2018-09-16 23:10)
その日が来たのですね。
ご冥福をお祈りいたします。
by めぎ (2018-09-17 04:57)
私も昨年父を亡くしてから母が一人になり、電話が鳴るたびにドキッとすることがあります。
お母さまのご冥福を心からお祈りいたします。
by SWEET (2018-09-17 10:20)
93歳で父が亡くなったとき、充分長生きされましたねといわれ
複雑な思いでした..
お母さまのご冥福を心よりお祈りいたします
by rannyaβ (2018-09-17 12:30)
お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
98歳なら大往生されたようですね。
by としぽ (2018-09-17 17:04)
心よりお悔やみ申し上げます。
くれぐれもご自愛くださいませ。
by Inatimy (2018-09-17 22:37)
読んでいて涙が出ました。悲しいです。
by 三橋 (2018-09-18 10:57)
ご冥福をお祈りいたします。
施設からの夜中の電話・・・同じです。
わかっているのに、電話を切って、これが現実なのか?ほんとに今電話あったのか?頭がぼーーとしてたのを思い出します。
by たま (2018-09-20 22:51)
ご母堂様のご冥福をお祈りします
心安らかに、どうぞご自愛ください
by engrid (2018-09-25 06:32)
忙しくてしばらくブログを放置している間に、gillmanさんのお母様が亡くなって、、ご冥福をお祈りいたします。
最後のお写真にあるように、笑顔が素敵なお母様ですね。98才の人生、gillmanさんにたくさんの思い出を残していかれましたね。親が亡くなった後、これからが、gillmanさんの第二の人生ですね。
by TaekoLovesParis (2018-09-27 13:47)
お母様のご冥福をお祈りします。
私も今は仕事と母のところと、いっぱいいっぱいの生活ですが、居なくなるってことを考えていませんでした、その時ってぽっかり穴が開いた様なそんな気持ちかなって、想像しかできませんが。覚悟をしておかないといけませんね。
お身体 ご自愛ください。
by aya (2018-10-07 20:48)